マル近頃仕事に行った先で、「犬は連れてないんですか?」とか 「マルはどうした?」 などと聞かれる事が何度かあった。 マルが小さい頃、1歳半くらいまでは、どこに行くにもトラックの横に乗せて連れて歩いていた。 その頃仕事でお会いした方々は犬好きの方が多く、現場でいつもマルは、なでてもらったりえさをもらったりと、とてもかわいがってもらっていた。 たまたま最近そういう方たちとお会いする事が多く「マルは?」という質問を頂いたのだ。 そこで久々マルの登場。 ![]() 前回の登場からずいぶん時間が経ってしまった。 その間マルはすっかり大人の犬に成長。 少しは落ち着いてきたけれど、でも相変わらずあれこれ問題を起こしてくれる。 散歩の途中で逃走して近所のオジサンから「また来てるぞ」と電話があったり、2、3日帰って来ないかと思えば保健所のお世話になっていたり、全くマイペースというか野生児というか。ちょっと油断するとすぐどこかへ行ってしまう。 まあ犬なんて、そもそもそういう動物なのだろうけど。 そんなこんなで最近のマルは現場へは行かず、家で留守番をすることが多くなった。夜は玄関で寝て、昼間は庭で日向ぼっこをする毎日だ。 時々車でお出かけする事もあるが、いつも「もっと連れてってくれよ」という目をしている。 マルよ、これからはなるべく一緒に出かけるようにしよう。でももう少し大人しくなってくれ。 2008年3月
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春春を告げる花というのは、どうやら梅のことを言うらしいが、人それぞれ春を感じる花や植物が違って良いと思う。僕の場合、春を感じる植物の一つはふきのとうだ。 以前、ふきのとうを採って来てこのページに写真を載せたのは、もう2年も前の事だ。 その時は、料理する前の写真しか撮らなかった。 今日(3/22)工房のそばの土手を歩いてみると、可愛いふきのとうがいくつも顔を出していた。 いくつか採って来ると、早速嫁さんがてんぷらにしてくれたが、今日は料理後の写真のみ。 ![]() 子供の頃、家が料理屋をやっていた。 この季節になるとよくお酒の付け合せに、ふきのとうと味噌を和えたものを出してたのを思い出す。 どんな味がするのかなめてみたのだが、ただ苦いだけで「こんなまずいものよく食えるな」と、子供心に思ったものだ。 ふきのとうの味がわかるようになったのは、やはりおとなになってからだ。 あの鮮やかな薄緑色と独特の苦味が、目と舌で春を感じさせてくれる。 この冬は寒く雪も多かったが、この辺りも春の気配が濃くなってきた。 2008年3月
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台湾10年ひとむかし、とそれこそひとむかし前までは言っていたが、最近では世の中の変化が激しく、5年も経つと色々がすっかり変わってしまう。20年も前のことはすっかり過去の事だ。 先日20年ぶりに台湾に行って来た。 台湾に行くのはこれが2回目だ。 学校を卒業して1年間、台湾で北京語を勉強していた事があり、それが23歳の年、今からちょうど20年前なのだ。 20年前、初めて台湾に行った時は日本との違いに驚いたものだ。 街中にいかがわしい場所がたくさんあったし、そこらじゅうでブランド物やビデオやカセットテープのイミテーションが平気で売られていた。 賭博などの規制もゆるかったようで道端のゲーム機から現金が出てきたりもした。 反面、政府の報道などへの規制は厳しく、学校や公民館など人の集まる場所には必ず蒋介石の写真が飾られていたし、テレビも3局しかなく番組も政府が認めるものに限られていたようだ。 紙幣の肖像も蒋介石だったと記憶している。 ところが今回日本の空港で台湾ドルに換金して、2番目に高い1,000台湾ドル紙幣を見た時、その図柄が地球儀を囲む子供たちの姿だったのにまずびっくりした。 台湾に着いてからも、20年前とはずいぶん変わったのに驚かされた。 まず街の中からいかがわしさが消えて、街全体がとても綺麗になっていた。 テレビのチャンネルも、日本のBSも含め一体いくつあるのかというくらいあったし、CDの海賊版とかブランド品のニセモノもほとんど見かけなかった。 デパートなどの大型商業施設もいくつも出来ていたし、日本でもおなじみのコンビニや珈琲専門チェーン店がいたる所に出来ていて日本にいる感覚と全く同じ。 それでいて台湾料理の屋台があちこちにあったり夜市が今も残っていたり、台湾らしいところもたくさん残っていて、観光客にとっては充分楽しめるのだ。 何よりありがたかったのは日本と比べて物価が安い事だ。大体同じものなら半額くらいの値段、中でもタクシー代は初乗りが70台湾ドル(250円程度)と格安で、市内の移動にはとても便利だった。 今回なぜ台湾に行く事になったかというと、嫁さんのお父さんの従兄弟の方が今台湾に住んでいて、その方に会いに嫁さんの両親が行くので、以前台湾に住んでいたことのある俺に声がかかった、というわけだ。 折角だからと、うちの家族4人と嫁さんの両親2人の合計6人で行く事になった。 以前1年間台湾に住んでいたといっても、20年も前の事だから当時の記憶もあまり当てにはならない。 北京語もほとんど忘れてしまっていて、案内らしい事もあまり出来なかったが、それでもいくつか思い出に残っている場所などもあり、古い記憶をたどりながら台北市内をあちこち回った。 この5日間で行った主な市内の観光地は、故宮博物館、忠烈祠、龍山寺、士林、永康街、迪化街など。 小さい子供が2人いるのでホテル近くの公園に遊びにも行ったし、近くのデパートやスーパー、それから嫁さんが鳳梨酥(パイナップルケーキ)にはまっていて、その店をいくつもはしごした。 その他烏龍茶の店や屋台、食事はほとんど外食なので地元の食堂やらレストランなど、今回行ったところだけで旅行記が書けるほど盛りだくさんの内容だった。 機会があれば、またこのHPでも紹介したいが、いつになることやら。 久しぶりの台湾で古い友人にも会えたし、とてもよい刺激をもらった。 日本に帰って「さあやろう!」という元気をもらった旅でした。 2008年3月
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北欧か!この冬は信州でも雪の日が多く、朝起きると外が真っ白、という日が何日もあった。この日も夜に雪が降ったようで、朝いつものように、家の前の道路の雪かきをして仕事に向かった。 前の晩に雪が降った日はちょっとした楽しみが待っている。 それは景色だ。 ![]() いつも通るこの道は、真っ直ぐ八ヶ岳に向かって伸びていて、自動車で走っていてとても気持ちがいい。 その八ヶ岳の絶景ポイントを過ぎてしばらく行くと、道は林の中へと入っていく。 そこでいつも思うのだ。「ここは北欧か」。 ![]() そして今日も工房へ。 ![]() あとは暖かくなってから、壁塗りと基礎の石積みをする予定。 もし参加希望の方がいれば、またワークショップをしてもいいかな。 2008年3月
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お金がないのは悪い事かここ数日、工房の工事を集中的にやっている。今は、壁を作るのが主な作業だ。 奥の壁は畳を貼って、気候が暖かくなったらその上に土を塗る予定だが、問題はその他の壁を何にするかだ。 思いたって、時々材料を注文する製材所に、傷物の板がないか聞いてみた。 いわゆるB級品というやつで、洋服やかばんなどと同様、建材でもそういうモノが出ることがあるのだ。 答えは「今在庫はありません」。 まあB級品といえどもただではないので、それなりの出費は覚悟していたが、モノがないのでは仕方がない。他の物を探すまでだ。 もちろん古畳も考えたが、古畳こそ無い時にはなかなか手に入らない。 それにとにかく今は、出来るだけ早くやってしまいたい。 そこで今回は、普通屋根の下地に使う野地板を壁に張ることにした。 窓は、以前知り合いの現場の解体を手伝った時もらっておいたアルミサッシの中に、サイズの合うものが3つあったのでそれを付けた。 野地板というのは、屋根や天井の間で隠れてしまう事が多く、寸法も短くサネなどもついていない。 製材所では、大きな材を挽いた後に残ったハンパな木材を使って作ることが普通で、要するにあまり手がかかっていない分、比較的安い材料ということなのだ。 今回は近くの製材所で、一応巾を揃えてもらって、残りの壁を張るのに必要な量を入れてもらった。 サネがないので、板と板の間に隙間があって見た目が悪いし、風が抜けてしまうが、それは後で桟を打って塞げばいいだろう。 ![]() 通常の仕事ではそういう場合、すぐ買いに走るのだが、今回は「ちょっと待てよ」と考えた。 今使っているロール釘(打機用の釘)は、錆びないようにメッキがしてあって、たまたまあったから使っているが、買うと一箱5千円はする代物なのだ。 何しろ自分の工房に、あまり金はかけたくない。と言うかかけられない。 倉庫には、今まで現場で少しずつあまったり引き上げたりして、サイズや素材の違う色んな種類の釘がたくさんあることを思い出して、それを使う事にした。 ![]() むしろ普段なら、5千円払っても人件費が少なくて済むなら、釘打機の釘を買ったはずだ。 でも今回は予算が無い事で、逆にあれこれ工夫をするという結果が生まれたのだ。 そこでハタと思った。お金があるという事は、あれこれ工夫をする必要がないという事ではないか。 世界中の国と比べて、日本は金持ちである時期が長い間続いている。 でもその間に失ったものが、たくさんあるような気がするのだ。 金を払えばなんでも手に入る、と日本国中が錯覚している。 毒入り餃子の問題で、日本の食料自給率が著しく低い事が問題として取り上げられているが、実は何でも金で解決する今の日本の貧しさが、逆に浮き彫りになっているような気がする。 お金があるということは、確かに一面では豊かではあるけれど、失う物もあるのだということをよく考えなければいけない。 反対にお金がない事で、工夫したりアイデアを出すことがとても新鮮で楽しかったりする。 そんな事を考えながら、今ある材料で、工房作りは進んでいる。 2008年2月
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工房暇をみながら今作っている自分の工房、遅いペースながらそれでも作業は進み、先日屋根まで終了。一部壁の下地を作り始めた。壁は当然タタミ下地に土壁。 本当は全部そうしたかったが手元に古畳が15枚ほどしかなかったので、今のところ奥の壁だけタタミ壁にするつもりだ。 今回は、木摺りの下地は省略して直接タタミに土壁をつける予定。それでもつかどうか実験だ。 自分の建物はそういう「ためし」が気軽に出来るのでありがたい。 ![]() 今ある材料で作るとは言っても、作業の進み具合でどうしても買わなければならない材料が出てくるのだ。 今回も基礎のボイド管やコンクリートと屋根材は購入。痛い出費となった。 自分の工房を建てる時間があるということは、すなわち暇で収入がないということでもあるのだ。 そんな時の出費はとにかく痛い。 この工房、壁を板張りにしようとか、窓は自分で木で作ろうとか、入り口は大きな扉にしようとか色々アイデアはあるのだが、それを作るために必要な材料がもうなくなってしまった。 まあとりあえず屋根までは出来たので、雨の日の作業もずいぶん楽になるだろう。 2008年2月
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読書以前はめったに行かなかったのに、最近しょっちゅう行くようになった場所の一つに図書館がある。子供が出来てからは特にそうだ。茅野市には立派な図書館が2つあり、隣の原村、富士見町の図書館も同じように利用できてとても便利だ。 しかもインターネットやビデオの貸し出し、子供が遊べるコーナーなども完備されていて至れり尽くせり。 行政の行う事業の中で、この図書館だけは利用者の事をよく考えた素晴らしいサービスだと思う。 今では本が好きで、図書館に1日閉じ込められても全く平気というより大歓迎だが、小学生の頃、読書はどちらかというと嫌いだった。 小学校何年かの時、毎月1冊指定された本を読んで読書感想文を書くという宿題があって、それをこなすのがいやでいやで仕方なかった。 その課題では、時には面白くない(当時の感覚で)本もあって、そんな時は目次と最初と最後の少しだけ読んで作文を書いたものだ。 一度そういうずるをすると、次も別に読まなくてもいいか、という気分になってしまって、結局感想文は全部読まないまま書き、悪循環で読書をすることも苦痛になってしまった。 中学の時もそれなりに本は読んだが、読書が本当に面白いと思ったのは高校に入ってからだ。 中学生の時、隣りの席の女の子がよく横溝正史を読んでいた。あの、黒い表紙の文庫本のシリーズだ。 その時は「そんな怖い話よく読めるな」と思っていたのだが、高校1年のある日、本屋に入るとその横溝正史の文庫本が目に入ってきた。中学生の頃の懐かしさも手伝って、早速その横溝正史を買って読んでみた。それがとても面白くすっかりはまってしまった。1年の間に横溝正史はほとんど読んでしまった。 その後、著者の好みは次々移りながら、色んなジャンルの本を読んだ。 気に入った本は買って手元に置くので当然たくさん本が溜まったが、一度引越しを機にに200冊以上の本を整理した。古本屋に持って行ったり、アメリカの友人に送ったりした。 金がない時は買わずに図書館で借りたものだが、本当は買って読みたいし、読みたいと思う本はいつでも読めるように手元に置いておきたい。 恩師である大学の教授で、出かける度に書店でたくさん本を買う人がいた。 不思議に思ってある日聞いてみた。 「先生、そんなに買って全部読めるんですか?」 「引退したら部屋中の本を眺めながら、少しずつ読んで暮らすのが俺の夢だ。」 その気持ちとてもよく分かる。 遠藤周作の子息が、ラジオで語っていた話は興味深かった。 幼稚園の頃、父遠藤周作が書店に連れて行って店員に言ったそうだ。 「この書店にウチの息子が来た時は、どの本も全て私のつけにしてくれ」 それ以来、漫画から雑誌から何でも買って読み放題。 小さいうちは喜んで漫画ばかり読んでいたそうだが、そのうちに飽きてしまって、次第に本ばかりたくさん読むようになったそうだ。 金銭的にも、凡人にはとてもまねの出来ない芸当だが、とてもうらやましい一つの理想の話ではある。 ちなみに遠藤家には、本だらけで人が住めない、本のための家があるのだとか。 最近自分の中で、読書がまたにわかブームになってきた。きっかけはラジオだ。 車の中でよく聞くNHKのAM放送では、朗読や本の紹介など時々流れてくる。最初は何気なく聞いているのだが、だんだん気になって車を止めてメモしたり帰りに本屋に寄ったり、そのパターンがとても多い。 という事で、最近読んだ本を紹介すると 『甲子園への遺言』門田隆将著(講談社) 今NHKで「フルスイング」という名前でドラマを放送しているその原作。30年間プロ野球で打撃コーチを勤めその間たくさんの有名選手を育て、その後高校教師に転職、平成16年に癌で亡くなった高畠導宏さんの話。 『つばさよつばさ』浅田次郎著(小学館) NHKのラジオで、俳優の風間杜夫が朗読していたのを聴いて書店に走って買った。一年の三分の一を旅の空で過ごす著者のエッセイ。朗読では台湾のくだりを聞いたが、旅に出たくなる一冊。 その他にも読みたい本がいくつかあるが、残念ながら近くの本屋にも図書館にもなく、アマゾンで購入しようかと思案中。 読書の秋というが、冬の読書もまたいいものだ。 2008年2月
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ふくろう子供の頃、近くの神社の大木にふくろうの巣があった。友達と遊んでいて見つけたのだ。 その神社では、以前からよくふくろうを見かけたり鳴き声を聞いたりしていたので、きっとどこかに巣があるのだろうと思っていた。 それがある日、大木のウロから出てきたふくろうを目撃したのだ。 しばらく観察していると、どうも2羽いるようだった。きっとつがいだったんだろう。 ふくろうは人里の近くで巣を作ることがあるようだ。 そんな思い出があるからだろうか、ふくろうはとても好きな鳥の一つだ。 以前仕事で通っていた野辺山高原でも、電線に止まっているのをよく見かけた。 また、蓼科山の周辺で仕事をしていた時も、鳴き声を聞いたり飛んでいるのを見たりした。 ふくろうを見つけるととても嬉しくなる。そして「頑張れよ」と声をかけてしまうのだ。 ふくろうの姿を見るのは大体が冬で、車での移動中、電線に止まっているのを見ることが多い。 冬によく見かけるのは、木々の葉が落ち見通しが良くなるのと、雪が積もっている時などは、周りが白いのでよく目立つからだろう。 八ヶ岳周辺も昨日の晩から雪が降り、今朝は結構な積雪になった。 そして今日仕事の帰り、ふくろうを見かけたのだ。 雪景色の中、やはり電線に止まっていた。 車のスピードを落すと、飛び立ってしまったが、1羽のカラスが後を追いかけていった。 カラスに追いかけられるトンビはよく見るが、ふくろうもカラスにいじめられているのか。 ふくろうもカラスも近くの木に止まって、しばらくじっとしていたが「頑張れよ」とふくろうにだけ声をかけて立ち去った。 あの辺りの森に住んでいるとすれば、また会うことが出来るだろう。 出来れば今度、写真を撮らしてもらおう。 また一つ、ささやかな楽しみが増えた。 2008年1月
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月毎年ちょうど今頃、冬の時期は、比較的仕事も一段落といった感じで、忙しい時に出来なかった自分の仕事をやったりしている。普段は「紺屋の白袴」という諺の通り、自分の事はいつも後回しになってしまう。 それでもこの冬は、一念発起して工房の建築に取り掛かった。 看板も出来たことだし。。。 実は昨年の6月、建築基準法の改正前に、駆け込みで確認申請を取っておいたのだ。 アネハ事件後の法改正で、確認申請が厳しくなる直前だった。 確認申請を取ると、ちょうど完成した頃を見計らって色々な業者からチラシが来る。 ウチにも10月頃「ガーデニングはいかがですか」というチラシが2枚来た。 皆さん商売上手だね。 ところがウチの場合、その頃は完成どころかまだ着工もしてなかったのだ。残念。 ちょうどその頃は忙しくてそれどころではなかったが、昨年末から暇を見て基礎工事を始めた。 図面では布基礎だが、自分で布基礎をやるのは手間と予算がかかる。 そこで今回は独立基礎にして、屋根が出来た後、その間を石積みにすることにした。 そして今年に入って刻みと建て方を始めた。 材料は、昨年2月に知り合いの山で伐採したカラマツを、製材所でタイコや3寸5分角に引いておいたものだ。 製材してから約1年が経ち、ほど良く乾燥してねじれや曲がりなどの癖も出ている。 当然だが悪いものはハネ、良いものから使っている。 本当はせめて4寸角を使いたいが、丸太の径が小さく3寸5分が精一杯だった。 自分の工房だし、後で土壁にするつもりなのでそれで充分なのだ。 この2週間ほど、毎日作業をしたが、何しろ一人でやっているのでなかなか仕事が進まない。 それでも昨日、やっと棟上げをすることが出来た。 ![]() 工房を建てている土地からは遠くに富士山を望む事が出来るが、ちょっと疲れた時など仕事の手を止めて富士山を眺めると、とても元気が湧いて来るのだ。 富士山には不思議なパワーがある、と誰かが言っていたが、本当かもしれない。 毎日作業していると、同じ時間に決まっておきる現象がある。 午前中は上空に飛行機がたくさん飛んでいるし、電車も決まった時間に通る。 そして夕方になると東の空に、決まって月が現れるのだ。 ちょうど仕事終わりでほっとして空を見上げると、くっきりと月が浮かんでいる。 そしてその月は、毎日少しずつかけていくのだ。 昔の日本人が月で暦を作ったのが少しわかる気がした。 2008年1月
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温暖化について考える先日仕事の帰りに鹿を見て、環境のことについて考えていた矢先、今日ラジオでこんな話題をやっていた。瀬戸内海の海苔の養殖場で、4年連続で海苔の色が黒くならず、上流のダムの水を放流し始めたそうだ。 何でも河川から流れてくる水の中に、海苔の色を濃くする役割を果たす塩分が含まれていて、それがダム湖にたまっているということがわかって来たらしい。 何年か前、同じく瀬戸内海の牡蠣の養殖場で、牡蠣が健康に育つために、その海に流れ込む河川の上流の山が豊かであることがとても重要で、養殖業者が山に植林をしているという話が取り上げられていたが、まさにその通りの事が、海苔の養殖でも起こっているということだ。 そして今回は、その河川の途中にあるダムが、たまたまスポットを浴びた形だが、山が豊かであることが重要なのには代わりがない。 今あるダムが全て無駄とは言わないが、巨額の予算を投じて作ったダムが、実は無い方が良かったというケースは少なくない。 以前カヌーにハマッていた頃、カヌーイストの野田知佑の本をよく読んでいたのだが、そこには日本にあるダムがいかにに無駄であるか、河川行政がいかに自然を破壊しているかが切々と書かれていた。 近年、そうした過去の自然破壊の歪みが、あちこちに出始めているような気がしている。 山から栄養を海に送る川はいわゆる血管のようなもので、それが途中でダムによって堰き止められたら、人間でいえば脳卒中とか心筋梗塞とかの大きな病気になったようなものだと思うのだが。 そのダムが、すでに日本中に2,700もあり、まだ400以上も作る予定なのだそうだ。 前の長野県知事は、これ以上ダムは要らないと言ったが、そんな事は当たり前だと思っていた。 でもそんな事を言う知事は、日本では絶滅危惧種だ。 野田さんもそうだが、一民間人がそういう悪いところを何とか正そうと努力すればするほど、行政のいやな面が次から次へと現れてきて、どうしようもない気持ちになってしまう。 そして最後には、そんな事ばかり考えている自分がいやに思えて、ついには何も考えないようにしてしまうのだ。 やはりそうした問題で、政治や行政、国の責任はとても重い。 今年に入って、温暖化を伝えるニュースや話題がとても増えてきたように思う。 その地球温暖化の問題も、ただ二酸化炭素の排出量が増えたから、ということだけではないはずだ。 自然のバランスが今どんどん崩れている。 二酸化炭素の排出を減らすと同時に、失った自然を取り戻さなければ、増えた二酸化炭素はいつまでたっても減らない。 2008年1月
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鹿を見て思った時期はずれの話題でいささか恐縮ながら、、、クリスマスにサンタクロースを乗せたそりを引くトナカイは、全部メスである、って知っていました?その根拠は、トナカイのオスは12月末のクリスマスの頃、ちょうど角が生え変わる時期で頭に角がないというのだ。 その点メスは、角の生え変わる時期がもう少し先で、クリスマスのころ角があるのはメスのトナカイなのだそうだ。なるほど。 これもラジオで仕入れた知識。 なぜそんな話を思い出したのかというと、今日仕事の帰りに鹿を見た。 富士見町は酪農家がまだ多く、牧草地があちこちに残っている。 そんな牧草地の真ん中に、立派な角の鹿が2頭佇んでいた。 夕方のちょうど薄暗くなり始めた頃で、なかなか趣のある絵だった。 立派な角を持った鹿だからおそらくオスだと思うが、トナカイ同様、角が抜ける時期がいつなのかとても気になった。 家の近く、八ヶ岳の周辺を仕事の行き帰りなど自動車で走っていると、鹿の群れを見かけることがよくある。 特に春先は、群れの中に生まれたばかりの小鹿を見かけることもあって、そんな時は思わず嬉しくなる。 八ヶ岳周辺には鹿に限らず、まだ野生動物が多くいて、サルやキツネ、時にはカモシカなどを見かけることもあるが、そんな時はつい「頑張れよ」と声をかけたくなる。 そんな野生動物が生きていく環境が、年々開発によって少なくなっている。 それまで林だった場所に突然家が建ったり、森の木が帯状に切り倒されて道になったり、そんな事は日常茶飯事だ。 昨年も野生の熊が里に下りてきて社会問題になっていたが、人間の開発がどんどん山の中まで及んだ事で、里と山の境界線がどんどん上のほうに上がっているのが大きな問題だ。 野生の動物を守るには、人間の手の及ばない環境を残す事が必要不可欠だと思う。 一昔前まで、人が踏み込めない場所は身の周りに多く残っていた。 今ではそんな神秘の場所は、身の回りどころか、地球上からも消え去ろうとしている。 どんな場所にも人が行き、そこへ行くために道を作る。 一部の人間にとって便利にはなるが、自然をそのまま残す事の方が、後世に良いものを残す事にはならないだろうか。 どんどん開発を進める一方で、自然を守れとか、野生動物を保護しようだとか言うのは、矛盾している。 豊かな自然を残すのは、要らない道路やダムを作らないこと、今あるものは撤去すること、これしかないと思うのだが。 森林を切り開き大規模な土木工事を行うことは簡単に出来るが、実は何もしないということが一番難しいのかもしれない。 2008年1月
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軽トラ昨年末、ついに軽トラがいかれてしまった。去年の2月に、22万キロを超えたあの軽トラだ。 最終的に走行距離が24万キロになり、パワーも落ち、エンジンからはカラカラと変な音がし始め、最後はスピードメーターも距離計も動かなくなってしまった。 それでも車検が1月12日まであったので、ぎりぎりまで、もう一度修理して車検を取るべきか、それとも廃車にして新しい軽トラを買うべきか迷っていた。 近くの車屋にも相談していたが、当然ながら「買い換えた方が無難ですよ」と言われていた。 そんな矢先、知り合いにその話をすると「うちにある軽トラ車検が切れているけれど、車検を取れば使っていいよ」と言ってくれた。 前の車は三菱の平成12年式のものだったが、今度はスバルの平成4年のかなり古いものだ。 それでも走行距離は2万5千キロほど。 ほとんど乗っていなかったんだな。 ためしに走らせてみると、これがなかなかよく走る。 ただスバルの古い軽トラの特徴か、ミッシッヨンに癖があってギアチェンジがどうもスムーズにいかない。 もう2週間以上乗っているが、まだ慣れない。 と言うか、この硬いギアのまま乗るしかないのだろうな。 仕事柄、軽トラは必要不可欠の道具だ。 どんなに古くてもギアに癖があっても、無いよりはまし。 車検を取ったから、これでとりあえず2年間は使う事が出来るのだ。 住んでいるこの辺りは、冬の寒さが厳しく、自動車を選ぶのにも色々制約がある。 例えば冬場は、4駆でなければ話にならない。もちろんスタッドレスタイヤでだ。 自動車の保険を選ぶ時、エアバックとかABSとか、割引になる条項がいくつかあるが、4駆も是非それに加えてほしいものだといつも思う。 それにしても、この軽トラで遠くに行くのはちょっときついかな。 前の車も20万キロを越えてから、さすがに高速道路を走るのはちょっと心配だった。 特に長いトンネルの中など「ここで止まったらどうなるのかな」と考えると、今にも止まりそうな気がして、きがきではなかった。 まあ、出来るだけ高速道路は走らない事だ。 知り合いに、買った中古車が旅先で故障して以来、新車しか買わないと決めている人がいた。 そういう経験がなくても、自動車は新車で買うという人が多いかもしれない。 ローンを組めばそれも不可能ではないが、中古車を乗る時は、いつも何か出会いのようなものを感じる。 それに、自動車も含めて、道具は出来るだけ使えなくなるまで使いたいと思う。 今回は、数少ない新車の軽トラを買うチャンスだったが、まあ貧乏性と言うか、また中古車と出会うことが出来て、今回も中古車に乗る事になった。 まあそれもいいんじゃないかな。 2008年1月
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カレーライスとイチロー年末年始テレビで、アメリカメジャーリーグマリナーズのイチローを特集しているNHKの番組を見た。嫁さんいわく「イチローはあまり好きじゃない」、親戚の叔母も以前「イチローは生意気だ」と言っていたし、俺の周りの人のイチローに対する印象はあまり良くないようだ。 でも次々と記録を作り、毎年コンスタントに結果を残すあたり、彼は只者ではない事は確かだ。 番組は、シーズン中のイチロー選手に密着していたが、自宅でリラックスしている様子や奥さんとのやり取りなど「よく撮らしてくれたなー、さすがNHK」と思えるような映像もありなかなか興味深かった。 その中でも特に驚いたのが、彼の食事だ。 試合の日、昼食に彼が食べるのは必ずカレーライスなのだそうだ。 しかもアメリカに行ってから7年間、ほとんど毎日奥さんの手作りカレーを食べているのだとか。 それってすごい事だ。 学生時代寮生活をしていて、日曜日の昼は必ずカレーだった。 1週間に1度、決まってカレーを食べていて、カレーを食べると条件反射で「ああ、今日は日曜日だった」などと思ったりしたものだ。 でもそれが何年も続くと、いくらカレーが好きでもちょっと飽きたり、今日は違うものが食いたいなどと思ったりしたものだ。 何しろ8年間、毎週日曜日にカレーを食べたのだ。 それを週一どころか、毎日続けているイチローって、確かにすごい。 よく飽きないものだ。 ただ、凡人の俺にも思い当たるところはある。 仕事柄、昼飯に弁当を持っていく事が多いのだが、おかずは毎日同じでもかまわないと思うことがある。 むしろその方が、食べるのに一定のペースが出来て良いと思ったりもする。 それが仕事のリズムに影響したりするとも思うのだ。 毎日同じことをするというのは、マンネリ化して飽きたりいやになってしてしまうものだが、逆にそれに慣れてしまうとリズムが出来て効率が良くなったり早く出来たりというメリットもある。 食事とは反対に、イチローは毎年バッティングフォームを代えるそうだ。 より良いものを求める結果だろうが、それもまたすごい事だ。 誰でも一度結果が出るとそれにこだわって、次も同じ方法でやりたくなるものだと思うが、イチローの一流たる所以だ。 いずれにしてもあの番組を見てから、しばらくはカレーを見るとイチローを連想する日が続きそうだ。 正月明け、嫁さんの作ったカレーを食べながらそんな事を考えていた。 2008年1月
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謹賀新年あけましておめでとうございます。今年から「建築工房 藁」がスタートします。 「自然素材を使った家作り」から更に1歩進んで、「自然素材しか使わない家作り」を目指して前進して行きたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願い致します。 この正月、娘にせがまれて久しぶりに凧揚げをした。 3歳になり色々な事を覚え始めた娘は、「お正月」の歌を少し唄えるようになった。 「もう〜いくつねると♪」というあの歌だ。 そこで「お正月には凧揚げて〜♪」の部分がとても気になるようで「たこあげげしよ〜」となった。 凧揚げなんて、30年ぶりくらいじゃないだろうか。 おそらく小学生の時以来だ。 懐かしいを通り越して、そんなに時間が経ったことが信じられないという感じ。 子供の頃、正月にはよく凧を作って揚げたものだ。 最初のうちは、竹ヒゴと和紙を使ってよく四角い凧を作った。 重すぎたり、バランスが悪かったりで、なかなかうまくいかなかった。 それでもたまに、すごく揚がるのが出来て、凧糸が足りなくなった事もあったな。 飛びすぎて糸が切れて、遠くの方まで飛んでいってしまったやつもあったっけ。 その頃近くの駄菓子屋では、同じような四角い凧を100円で買うことが出来た。 もちろんそれもよく買って揚げた。 そのうち学年があがり、次に作ったのは奴凧だ。 竹ヒゴを曲げて形を作り、それに和紙を張って絵を書いた。 でも奴凧はあまり飛んだ記憶がないな。 ちょうどその頃、天竜川の河川敷で毎年凧揚げ大会なるものをやっていて、時々友達と自転車に乗って見に行った。 何十も同じ形の凧が繋がったムカデ凧や、ドラム缶のような丸い筒状の凧、畳くらいの大きさの和凧など、綺麗で珍しい形の凧にとても驚いたものだ。 そこで見た凧の印象は強烈で、杉山少年のその後の凧作りに影響を与えた。 「ゲイラカイト」という外国製の凧がはやり始めたのもそこの頃だ。 友達の中にも早速ゲイラカイトを買って飛ばしているやつがいたが、その性能の良さにはびっくりした。 とにかくよく飛ぶのだ。 それも、日本の凧のように地面に近いところを飛ぶのではなく、真上に揚がるという感じ。 でも値段が高くて、自分では買わなかったかな。でも揚げた記憶もあるから一つくらい買ったのかもしれない。そこら辺の記憶はあいまいだ。 ゲイラカイトはよく飛ぶのだが、あまり面白くなかった。 飛びすぎで、飛ばす工夫が必要ないからだ。 だから一つ買って飛ばすと、すぐ飽きてしまったのかもしれない。 その後よく作ったのは、竹ヒゴ2本とビニールの袋で簡単に出来る6角形の凧だ。 天竜川の凧揚げ大会でその凧を見て、真似して作ったらとても簡単に出来てしかもよく飛ぶので、それ以来凧といえばそればかりだった。 さて今年の正月。 その頃の記憶を頼りにその6角形の凧を作ってみた。 材料は、建築模型に使う5ミリ角、60センチほどの棒2本、ビニール袋1枚、尻尾用に広告1枚、あとは糊、テープ、ホッチキス、以上。 製作に費やした時間は10分ほど。 これで本当に飛ぶのかなと思うほどだ。 で、実際に飛ばしてみると、見た目は悪いが、これがとてもよく揚がるのだ。 50メートルほどの凧糸が全部出るくらいよく揚がった。 娘も息子も大喜び。 楽しい正月になりました。 2008年1月
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