その男の、顔も名前も知らない。
「何故、こんな事に手を貸す・・・!」
ただやるせなくて、彼は尋ねた。
男は血を口から吐き出しながらも、一本の剣を杖代わりに未だ大地を両足のみで踏みしめている。
既に死しているであろう程の怪我を負って尚、男は彼に向かってきたのだ。
ただ。
「ただ、忠誠を誓った、それだけだ・・・。」
それだけの意志で、顔も名前も知らない男は死闘を演じたのだ。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、彼は叫んでいた。
「馬鹿げた事を!、宇宙を滅ぼさんとする者のどこに!」
目的が叶えられれば、どちらにせよお前も消えてしまうではないか、と。
だが男は顔を歪めない、遠い幕の向こうで自身を待つ己の主を想うのだ。
今回の狩られるモノは、永き時を生き過ぎたが故に何もかもに絶望した、女であった。
「どこに・・・?、ふっ、ふははっ、ただ、ただ穏やかな世界を祈る事のどこに、邪な心があるのか・・・。
死ねぬあの方の為だ、笑う事を忘れたあの方の為だ!」
ギリ、と渾身の力を持って歯を噛み締め、剣を抜き放つ。
息を荒げたその男がそのまま倒れ臥し、動かなくなるのに、時間は要らなかった。
残った、彼だけが、悔しそうに歯を噛み締めていた。
―――何故闘う?
「我が命、一世一代の大革命に預けたり!
我が妻、我が子らが怯える事無く生きられる桃源郷を創造して下されッ!」
―――何故闘う?
「この世が苦界なれば、それを崩す方が世の為人の為では無いのかッ!?」
―――何故闘う?
「ただ―――強者と闘うのが愉しいからだ。
お前こそ、何故闘うんだ?」
ごうごうと燃える炎の中、男は一人、暁を見上げていた。
DARK SIDE
第19話
「暁」
二つの龍は絡み合いながら、天上へと昇っていくようにさえ見えた。
天上にて交わる龍は、互いが互いに宝珠を咥えている。
入り口は龍の尾が交錯する所に設けられており、一つ、ならば天への出口も一つだ。
その頂に程近い場所にて、彼女はそれを見ていた。
「ぁ・・・。」
一体どう言う事なのか、この部屋に横たわる死体の山の、全てが。
全てが、自分の想い人に見えてしまうのは。
カタチは有象無象バラバラで、原形を留めていないものばかりで、そもそもカタチ自体確かなのかどうかさえわからないというのに。
全てが、静谷冷冶に見えるのだ。
「何を驚いている、そんな出来損ないを眺めて。」
背後で、明らかな優越感を感じさせる声が響いた。
彼女は歯をギリ、と噛み締め、忌々しいその者を直視する。
「彼は、彼らは・・・。」
先に続く言葉は考えていなかった、ただ、憎悪を籠めた視線だけがその者と対峙している。
その者、つまり黎冶は呆れたように肩を竦めた。
「れっきとした人間、だ?
笑わせるな、人間として生まれた以上仕事を成し、ある程度の業績を収めて臨終するのが妥当だろう。
一人の人間が一生を過ごすうちにかかる費用は平均して幾らになると思う?、数億、数億だ。
ならば一人の人間は、自分の費用を上回る利潤を生む事で、次世代への種を残す、そうして社会全体が発展し豊かになる。
ああつまりだ、与えられた仕事なんてまるで出来ないそいつらなんて、初めから赤字だらけの廃棄物って事だ。」
理には適っている、と理性は思った。
人間が生きると言うこと自体にコストがかかるなら、それ以上のメリットで覆いつくさねば、コストだらけの社会は簡単に破綻する。
だがそんな理屈を簡単に受け入れられるほど、人間の感情は都合よく出来てはいない。
「勝手に棄てたのはあなたでしょう・・・!」
ただ、月江の言い分にも確かなものだ。
初めから設定された目的を果たせないと言うだけで廃棄するのなら、初めから何も作らなければ良いだけだろう、と。
だが。
「それは違う、私の両親、奴にとっても両親と言うのかな、遺伝上は、そいつらが、要らないと思ったから棄てたんだ。」
黎冶は「見ていただけ」と言う罪人であるから、だから月江の口にした咎は受けられないのだ。
「家族だから、何で愛し合えない、何故なら奴は不要、家族と言う組織を維持する上で不要。」
「家族だから云々なんて、どうでもいい・・・。」
「ほう?」
「家族だから、距離が近いから、憎み合い、軋轢が生まれる可能性だって高い。
そんな当たり前の事わざわざ言われなくたって・・・。」
空想ではなく確かな実感だった。
自分の肉親を、つい先日まで恨んでいた自分がそこにいたから。
「そうだったのか。」
だから、彼女の言い分は正しい。
黎冶は冷治を家族として認めたうえで憎んだのではなく、ただの「機械」としてみて、機械の調子が悪いから憎んだだけなのだから。
「つくづく、彼を嫌っているのね・・・。」
「勿論、あんな奴のシステムの一部にされかかったと思うとぞっとする。
だが立場は逆転した、私が優良種で奴は欠陥品だ。」
「あなたにとっては、そうでしょうね。
でも私には、かけがえの無い人だって、理解しての発言?」
強気な態度でほくそ笑む。
自分でも思うほど、月江は気が動転していた。
「貴様こそ。」
動転していたからだろう、大の男の腕力で首を絞められても、呻き声さえ上げなかった。
「今此処で私が何をしたとしても、抗いさえ出来ない立場だと理解して、生意気な視線を向けてくるのか?」
「あなたまさか、好意的な態度をとられるとでも思ってるの?」
「口だけは達者だな。」
「あぐぅ・・・。」
ようやく、首を絞められて痛いのだと、感じる事が出来た。
本当にどうかしていたのだ、身体も、心も、実は能力者として生まれた時点で、壊れていたのかもしれない。
「つくづく不愉快な奴だ、冷治め。
ただのプログラムとして機能しても私を害し、廃棄されて尚私を害し。」
「初めに侵食してきたのは、誰よ・・・!」
「黙れ黙れ黙れ!」
より強く、首を締め上げられる。
息は途絶え途絶えになり、声どころか音を発する事さえ難しくなった。
「貴様は奴の全てを知って尚、奴を愛しているなど言えないくせになッ!
・・・ハッ、ハハハ、ハッハッハ・・・。」
喚く笑い声と共に、黎冶は月江を突き飛ばすように離した。
背中が叩きつけられ、軽い痙攣が月江を襲う。
「良い事を思いついたぞ、さて、その為には五月蝿い奴を黙らせなければ。
純!」
「言われずとも、任務など与えられずとも静谷と戦わせてもらうだけで結構だ。」
ざ、と影のように現れた黒髪の少年は、用件を言わせないまま用件を述べた。
「よく分かる奴だ、そういう奴は好きだ、さあ、行ってこい!」
「御意。」
軽く礼をしてから、静かに、しかし重い音を響かせて、純は立ち去っていった。
薄く見開かれた眸で、月江はその様子を見ていた。
「さて。」
奥歯まで除かせるほどにおぞましい笑顔を見せ、黎冶は月江をぎょろりと視る。
愉悦が、籠められている。
「すぐに見せてやる、あいつの全てをな。」
見下し、見下ろし、黎冶は高々と笑い声を上げた。
月江は無言のまま、心の奥で抗議する。
(だから、分からない、狂っているのは、私も同じ・・・。)
彼がどんな怪物だから、受け入れられないというのか。
人のカタチをして、優しさを見せて、温かみを見せて、それで十分では無いか。
黎冶の八つ当たりは、初めから的外れであった。
古めかしい扉を開き、瞬間、冷治は空気の異様さに感ずく。
呻く、血が、自分の全てが、この空間全てを殺せと命じるほど。
「この、双龍の塔、か、ここは一体どういう場所なんだ?」
睨みつけながら諦に問う。
諦はしばし虚空を見つめながら、ぽつぽつと語り始めた。
「優れた能力者は土地そのものを守る生き神となり、或いは死後の世界でさえ明確に自身を残し時には歴史に介入し、そして生まれ変わる。
だが力無き者は有象無象の怨念となって再生されるしかないが、その螺旋を遮断した塔だ。
二つに交わる螺旋、それを遮断する、つまり死者達の霊を純粋なエネルギー体に変え、詰め込んだ場所。
この場所の全てを取り込めば、お前では勝ち目が無くなる、だが。」
言葉の続きが告げられる前に、刃物の如き殺気が場を制した。
息苦しくなるほどの覇気が炎と言う見えるカタチとなって天井より降り注ぎ、落下に於いて白光を放ち石造りの床を砕いた。
「・・・純。」
派手に舞い散る瓦礫を見つめながら、その中央に座した一人の人物を睨む。
黒井純が、蛇の如き、そして自身の体躯さえ越えるほどの巨大な刀を持って参上したのだ。
揺らめく姿は鬼の如し、闘気が全てをゆだねた剣士がそこにいる。
「お前・・・。」
哀れむように、蔑むように、諦は刀の柄を握った。
抜き放ちはしない、今一度、この少年に分からせてやらねばならないのだ。
「どうしても闘うのか。」
「ああ。」
何を今更、と言わんばかりに純は答えた。
蛇型の剣をブンと振り回し、大地に突きたてる。
「おい、静谷弟、てめぇはボスが呼んでるんだと、あの門から上へ行くがいいさ。」
さも面倒くさそうに、純は中央に備え付けられた重々しい扉を指差した。
双龍の塔という名が示すとおり竜が絡み合うレリーフが彫られた、鉄の扉だ。
「―――。」
予想はしていたが、だからこそ不信の眼で純を見つめる。
誘われている、と言う事は、飛び込めば策に嵌ると言う事を暗示しているからだ。
「別に先に進まなくたっていいけどな、その場合、お前死ぬぞ?
俺の力は衝撃波を生み出す事、あたり構わずぶっ壊す事だ。
分子に干渉するお前は、だがエネルギーに干渉など出来ないだろう。
巻き添えで吹っ飛ぶのがオチだ、そしててめぇの兄貴は、誰かを守る事に悉く向いていない。」
しかし純は、進めば死に、留まっても死ぬと言うのだ。
これ以上ない究極の選択肢だろう、活路を見出すと言う点に於いて、これ以上分かりきった選択は無いのだから。
「わかった、貴様の、いや、あいつの誘いに乗ってやる。」
言い放って、諦を見やる。
きっと止めるだろうと思っていた諦は、残念そうに首を横に振ってから言った。
「あまり先走るなよ、俺が必ず駆けつけるから、だから。」
「お前信用されていると思っているか?
こういうの総力戦って言うんだろ、それで無傷ならそれはそれで構わないが。
―――だからお前は負けるんだろ。」
絶句。
あの男は今はもういないはずだ、ならば彼は間違いなく冷治そのものなのに。
冷たく見つめる茶色い眸は、あの極黒の眸と同じ光沢をしていた。
そして深く昏い、闇色の光を宿していた。
「彼女は俺が助ける、言ってやらなくちゃならないから。
お前もせいぜい負けないようにしろよ。」
銀の長剣を抜き身にしたまま、冷治はかつん、かつんと扉の前まで迫っていった。
無言のまま、龍の扉は開かれ、無言のまま、龍の扉は閉じられた。
かくして対談が始まる。
「お前に対して言う事は一つだけだ、お前は今日、負ける。」
「そうかい。
俺もお前に対して一つ言いたい、なんだって、調停者なんぞになろうと思った。」
―――空気が凍り、言葉が凍る。
目の前の男は一体、何を言ったのだろう。
自分が求めてやまぬ光明を、一蹴の下に笑い飛ばしたように見えた。
「俺は選ばれなかった。」
「それでいい。
同業者がな、こう言っているんだよ。
現世にも幽世にもいない調停者なんて、坂の上で処刑しか出来ないってさ。」
諦の言葉の意味を、純が飲み込む事は無いだろう。
元となった神話が、そもそもこの世界に存在していないのだから。
「ご先祖様は思い違いをした。
この世の果ては二つある。
一つはご先祖様が求めた「0」、もう一つは、調停者が媚び諂う「1」だ。
片方を選んでしまったら、もう片方には絶対に行けなくなる。
そして全てはこの世の始まりじゃないんだよ、その下、完全なる無が、お前の目指すべき場所だろ。
違うか。」
強い意志を籠めて、抜き身の刀を向ける。
だが純は首を振って答える、思い違いをして居るのはお前の方だ、と。
「―――原理とか、真理なんて知らん。
俺はただ、貴様を越えるために貴様の立っている土壌に立つだけだ。」
ああ、と、頷く以外に、彼に対して出来る事は無かっただろう。
理屈が云々では無い、ただ自分は、貴様と言う存在を否定したいのだと。
「ふざけろよ、そんな事で、調停者になどなれはしない。」
させてはならない、諦は心の奥底から叫んだ。
彼のような、不器用すぎるほどに真っ直ぐな人間は、調停者になどなってはならないのだ。
結局自分は、限界が何かを知ってしまったから。
だから、負けてはならないのだ。
彼が、黒井純が限界以下だと思い知らせなければ、純はもう立ち止まってしまうだろうから。
―――その時自分は、初めて勝てる気がした。
「負け犬、か、ようやく汚名を返上できそうだ。
偏屈自由主義者め。」
何者にも縛られないと言いながら、結局全てに縛られ、
それを自覚してしまっているがゆえ縛られた極黒の闇を、初めて嘲笑うコトができた。
本当に、感謝すべきだろう。
その言葉を言った瞬間に自分は、負けてしまうのだが。
「これで、最後だ・・・。」
「ああ、どっからでもかかって来い。
蛇の如き魔剣、天魔回天剣の力、見せてみろ。」
天と魔、光と闇、善と悪。
どちらか一方が頂点ならばもう片方は必ず底、その位置関係を回転させる、回天の剣。
絶対の逆転を願って手に取った純の剣は、狂気さえ見せるほどの輝きを見せていた―――。
彼は静かに、その剣の光を眼に留めた。
疾る、疾る、暴風雨が躍るが如く、白い閃光が壁を床を天井を伝い、矢の形となって諦に迫る。
動じない、わざわざ動く必要などない。
「―――覇ッ!」
気を一つ放つだけで、その閃光を滅ぼすことが―――
「―――ッ!?」
出来なかった。
巨大な何かが突き刺さる感覚、巨大なハンマーで殴られる感覚、巨大なヘラで肉を抉り取られる感覚が同時に襲い来る。
或いは攻撃の向きが一つだけならば、派手に跳ぶ事で衝撃を和らげられただろう。
だが全方位から同時に向かってきた衝撃の光は諦の身体を存分に叩きのめしてくれた。
自らの身体の惨状を、だが猛烈に舞い上がった粉塵が確かめさせる事を阻害した。
「いつまでも舐められる半端モノじゃ、ねぇ!」
啖呵を切り、追い討ちをかけんと純は蛇型の剣を掲げ高々と宙へ飛び立った。
剣戟は、中空にて放たれる。
空振りするしかない刃、打が刃の閃光は擬態で、本命は。
「獄光・壊!」
本命は、空振りする刃から生まれた、破壊の衝撃であった。
渾身の力を籠めた、浴びれば四散、浴びれば崩壊、浴びれば消滅、あらゆるモノを容赦なく破壊する「壊す」コトに特化した力。
純のダークサイドとしての能力「衝撃」を一身に受けた必殺の一撃が、届かない事など有り得ない。
そう、届かない事など有り得ない。
猛烈に舞い上がる粉塵の中に突入した三日月型の光は粉塵を吹き飛ばし床を断絶し塔を揺るがした。
只の石に見える、その実あらゆる天災に於いても生き残る最高の物質を用いて作られた塔の基部さえ打ちのめす純然たる破壊。
それは確かに静谷諦の体を、際限なく破壊した。
それによって仕舞いだ、彼は間違いなく死亡した。
だが。
「甘いぜ、純。」
重く響いた調停者の警告に、純は自らの感覚全てを疑った。
穿たれたクレーターの上には確かに血が広がっている、これが諦のものであることは疑いようが無い。
なのに当の本人は、傷一つなく平然とそこに立っていたのだ。
「調停者はこの宇宙を維持する機能、それがいつ死ぬか分からん奴じゃ困るだろ。
だから調停者には特権が与えられるのさ、死んだ後も霊体として現世に介在できる、有難すぎる迷惑だ。
そして俺のダークサイドとしての能力は「時空」だがこれは間違いでな。
正確には無限に分岐する平行世界に介入できる力、これも調停者の特権。
そして俺は平行世界の間にある隙間に自分のテリトリーを持っていてね、万一「殺された」時の為の予備の肉体を置いてあるんだ。」
平然とした顔で言い放ち、諦は一歩前に踏み出た。
そのとき、気付いた。
諦の持っている得物が、自分の見た事のないものに変わっている事を。
それは黒い、禍々しい、闇に満ち満ちた正真正銘の「魔剣」であった。
「いや間違い、正確には自分のテリトリーじゃない、俺達一族の共同の物置だ。
だから、こんなものを置いてある。」
鞘から剣を抜き放つ。
刀身もまた、純然たる黒で構築され、更に赤い刺繍が施されている。
「かつてこの世界を訪れた「極黒剣士」の得物を自分達なりに開発してみた魔剣。
オリジナルとはかけ離れたが、それ故にオリジナルに無い機能を保有するに至った、貴様の家の家宝だ!
魔剣黒王剣、黒井家の最終兵器なんだよ、こいつは!
天魔回天剣が、静谷の最終兵器であることと同じく!」
「黒王剣・・・!」
正に黒井の家宝として相応しい魔剣、これで自分が天魔回天剣を持っていなければ、一方的に詰りもしただろう。
だが驚きは続く、この剣は静谷の家宝だと言うのだ。
「名将、黒井と静谷はかつての戦いで兄弟の契約を交わし、無二の友として、その証として自らの得物を交換し合った。
片や「この世全ての黒」の模造品、片や「無限蛇」の模造品を。
定義の曖昧ゆえに馬力と質量が桁違いの黒王剣、定義の不明瞭故に底無しのエネルギーを貯蔵する天魔回天剣。」
思い描く。
一体どうして自分が、これの元となった剣の使い手と出遭ってしまったのか。
極黒剣士アビス、極黒剣ダークネスを手に、あらゆる宇宙の敵を討ち滅ぼす―――世界で絶対無比の最強。
だが彼は正義感などで宇宙の敵と戦っているのではない、只仕事だからだ。
究極の自由、自由を求め続けた彼の剣が、その「究極の自由」を具現しようとした一族によって模造されるとは何たる皮肉か。
「極黒剣は真理に縛られた存在ゆえに真理以上の力を発揮できない。
だがこの黒王剣は、真理に縛られない存在が作ったから真理を超える力を発揮できる。」
真理、この世界を縛る三つの鎖の、最も堅牢なる鎖。
あらゆる世界で通用される、「全ての始まり」から流出した絶対の理。
それを破る手段は、しかし存在するのだ。
「明鏡止水。」
一族は間違えていた、真理を破る領域―――つまりは究極の自由を得られると言う存在が、
あろう事か目指した先は真理の元で闘わされる調停者であった。
だが、その根本たる理念に揺らぎは無い。
自分は調停者となってしまった、自分は限界と言うものを感じ取ってしまった。
だが。
「限界以上の力じゃない、無限大の力を持った力、その領域、それこそ明鏡止水・・・!」
武闘家、と呼ばれる存在は真理に追従する魔術師からこう呼ばれる。
「真理の破壊者」と。
断固にして言い放つ諦を見て、だが純は首を振るばかりだ。
「理屈なんぞどうでもいい、過去など関係ない。
俺は貴様を倒す、今日こそ。」
得物に特別な絆があるというのならそれも皮肉だ、だが過去も未来も純は考えない。
心の底から思う、高すぎる障壁を今日こそ越える、その一念の元立っている。
だから、純は諦に勝利し得る。
限界を知らない無知ゆえに、限界と言うものから遠いのだから。
「卑怯な奴だ、俺の命は一つしかないと言うのに。
お前は既に死んでいるんじゃないのか?」
「初めからだ、調停者になった時点で、初めから死んでいるんだ。
いや、間違いか、死んではいない、あの世とこの世の狭間に居るだけだ。」
黒き魔剣を携え、しかし諦は自身の失態を悲痛に思う。
「だが負けは負けか、一つ目の肉体が潰された時点で俺は負けたんだな。」
「そりゃ違う。
本気を出さない以上は何度でも仕切り直しだ。」
嗤っている。
今純は、心の底から嗤っている。
絶壁とさえ思えた生涯の仇敵と今、対等に立てている事に心から歓喜している。
静谷の家宝とやらを天に掲げ、己の力を再び集約する。
「させるかよ―――。」
そう言って、足を踏み込む事に若干の躊躇いを感じた。
このまま闘えば、自分は負けを認める事となるのでは無いか。
一度死んだ者が二度も向かうなど、不公平極まりない。
だが。
「闘え、俺達の本質は闘う事だ。」
不適に嗤う純を見て、自分も嗤っていた。
何故ならそれは至極全うな、当たり前の事だったから。
「いくぞ―――!」
闇黒の刀を構えて、諦は勢いよく飛び出して行った。
とにかく殴りたい、初めて喧嘩した時、こんな気分だった、と、遠い遠い昔の思いを胸にめぐらせて。
幾重にも重なる剣戟、色は黒と白。
破壊の閃光を漆黒の太刀筋で弾き、闇黒の竜巻を白亜の壁で跳ね返す。
飛び交う二つの影が交差する時紫電が舞い輝きが裂けた。
「っ―――!」
「ぁ―――!」
聞こえない、自分達が今何を言っているのか、何を叫び魂を震わせているのか。
ただがむしゃらに剣を振るう、光を震わせ天地を揺るがす。
その中で、視る、かつての光景を。
黒き剣と白き剣が重なる時、遠い昔の記憶が呼び覚まされる。
焼け爛れた平原に、無数の屍が築き上げられている。
敵方1万、此方は二人。
絶望的なまでの戦力差を、しかし二人はものともせず潜り抜けた。
もはや闘い尽くす所まで闘い尽くした後、後に残った屍の上で仰向けに倒れていた。
互いの手にはそれぞれ、白い剣と黒い剣が握られている。
「静谷、お前は何人殺した。」
「負けだよ、4995人だ。
賭けに負けたからのだから、剣はお前のものだ、黒井。」
互いに息を切らしながら、しかしその目は死なないでいた。
こんなにも、悲しいまでに人を殺したと言うのに、今の晴れ晴れとした気分は名演技を行った後の役者のようだ。
学校で自分達は闘わずにいられない種族だと教えられた、それを実感している。
「お前のものだ、我が家宝、回天剣をくれてやる。」
「ああ、ならば俺は黒王剣をくれてやる。」
黒井と言う男の唐突な言葉に、静谷は首を傾げ思った。
「何故だ?、賭けに負けた者に剣をくれてやるのか。」
「俺はその剣が欲しかっただけだ、だがお前に生半端な得物など持たせたくない。
黒王剣ならば、回天剣に拮抗しえるだろう。」
「敵に塩を送るつもりなのか。」
「かもしれん。
俺は貴様と本気で闘いたい。」
「フッ、つくづく不思議な奴だ。」
「貴様こそ、品性の良い貴様はとっくの昔にこんな僻地から脱していように。」
「好きなのだ、こういう僻地が。」
「だから不思議な奴と言っている。」
そして互いに笑いあった。
今日のような勝利は何度も続かない、自分たちはいつか敗れ、死ぬときが来るだろう。
だが駆け出した足は止まらず、そして兄弟たる友が背中を預けているなら、未来の予感など実感できなかった。
「そうして俺達は本気で殺しあう。」
「・・・そうだな。」
ゆっくりと頷き、眼前に迫り来る衝撃に身を任せた。
体の全てが白亜に包まれ、軋み叫び破壊される。
しかし痛みは無かった、心穏やかに崩れゆく体をながめていた。
そして思う。
調停者として闘った時は常に思っていた、何故闘うのか、と。
理由なんて単純、皆が言っている。
「人間は、闘わずにはいられない生き物、故に。」
こうして決戦を欲している自分もまだ、人間で居られるんだろうと。
心の底から、笑う事ができた。
閃光がひいた時諦の体は中に投げ出され、無抵抗のまま地へと落ちていった。
そして動かないまま死ぬのか、純はそんなことは思わなかった。
落下の直前、躍るように足で円を描き地に降り立ったそれに、間抜けな死に方などありえないから。
「全力、見せてやるよ。」
体中から血を流し、砕けた肋骨が胸から突き出ていた。
これだけで全身の神経が焼き切れ死に絶えると言うのに、諦は未だ、不適に笑い続ける。
手に持つ剣は、黒、しかし、僅かに黄金を、孕んでいた。
「さっさと見せろ、貴様は前振りが長すぎんだよ。」
手に渾身の破壊を籠めながら、純は冷ややかに侮蔑した。
「今度こそ仕舞いだ、相打ちなんてありえねぇよ。」
諦の顎から、一滴の血が滴り落ちた。
ゆっくりと落ちていく赤い雫、ゆっくり、ゆっくりと、残像を描いて地に落ちていく。
体から滲む汗が落ちるより遅く、涙が落ちるより遅く、一滴の血は、黄金を纏って地に落ちる。
ぽとん、と黄金の光が落ちた、跳ね上がった血液が、解き放つ。
「明鏡止水―――!」
体が変色して行く。
肌色の身体は黄金に、黒い髪の毛は黄金に、黒い眸は黄金に、ぼろぼろの服も黄金に、剣さえ黄金に。
あらゆるものが黄金となった、輝ける鬼神を前に、純は破壊を撃ち放つ。
「滅べェェェェェェェェェェッ!!!」
白亜の閃光、だがそれは黄金の剣の前に弾かれる。
「俺のダークネスは俺の中から生まれた、つまり俺そのもの、俺の心像世界を顕す魔剣。
それをコピーした黒王剣は普段は黒色をしていようが、その本質は無色。
持ち手の心に感応し、持ち手の世界を具現化する。
そしてこれが貴様の世界か、アキラ。
諦める、などもう止めにしたらどうだ?」
いとも容易く渾身の力が弾かれ、しかし純は嗤い続ける。
黄金の刃が向かい来る、それを回天剣で受け止める。
眩いばかりの輝きと稲妻と、炎が燃え上がる。
絶対に壊れないと聞かされた回天剣は、当然のように壊れない。
自分にも分かった気がするのだ、この光を見ていると。
明鏡止水、自分が、能力者の末裔としてどのような道を歩むべきか。
「俺は間違えてしまった、もう戻れない。
だが純、お前はこれからだろう。」
「実はお前、人付き合いが苦手だろ。」
ぎりぎりと迫る黄金の刃を前に、純はそんな事を言っていた。
諦は少し顔を歪ませたが、すぐに頷く。
「俺の道を勝手に決めるんじゃねぇ、俺は俺の意志で進むんだ。
お前の決めたカタチなど進まない。」
それを今から証明せんがために。
刃と刃の狭間から生み出される炎と稲妻に身を焦がし、探る。
探る、探る、探る、心を研ぎ澄まして探る。
目の前の人物に抱いていた劣等感も憎悪も優越感もどうでも良くなる。
今は、この美しい光が何かを探っていた。
そして、見つけた。
炎は剣を通して身体に燃え移り、自身の体が火達磨になるのに時間は不要。
燃える、世界の全てが燃える、だと言うのに不思議と穏やかだ。
目の前に死があるというのに不自然なまでに穏やかだ。
何故ならこの炎熱こそが、自分が求めて止まないモノだったのだから。
「明鏡止水、か。」
その言葉の重い響きが、己の心を昂ぶらせた。
炎は消し飛び、消し飛んだ炎が舞い散ってきらきらと黄金に輝く。
否、自分が黄金に輝き、炎がそれを映しているのだと分かった。
回天剣もまた黄金に染まっていく。
「ウロボロスを象徴した剣、逆転の剣、それが回天剣だ。
輪廻の象徴、循環する螺旋、螺旋即ち矛盾なり。
閉ざされた輪に果てなど無い、だと言うのに己の力でそれを無理矢理切り開く。
真理から脱した、奴こそ武闘家、真理の破壊者、だが。
お前も同じだろう、アキラ。
黄金の暁がそれを証明しているのだから。」
空間を照らし上げる黄金は暁の空に似ている。
全身を隈なく焼き上げて行く黄金は、太陽のそれに似ている。
もうとっくに身体はおかしくなっている、こんなに光り輝いている時点で、それを心地良いと思う時点で。
そんなことが出来る体だと言う時点で。
「俺は限界を知った、俺は最果てを知った、だが。
今は、今この時だけは限界を破る―――!」
「させ、るかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
重なるは二つの剣、交差するは獣の咆哮、果てを知らぬ者同士の血戦は、そして。
終極を告げるのは、轟音と、雷鳴と、輝きであった。
広がる輝きが世界を染め上げ、そして白紙に戻した。
白紙の中のからの世界で、一人は突き進み、もう一人は立ち止まる。
「お前の勝ちだ、諦。
俺にはこの先が、何も無いんだった、初めから俺の負けなんだ。」
「純。」
歯を噛み締め、最果てを見る。
そう、終わらない、終われない、自分にはまだ役割が残されているのだから。
白紙の世界に黒い斑点が生まれる、斑点は徐々に広がり、ついに大きな穴を生み出す。
抜け落ちる、自分の場所だけが抜け落ちる。
落ちていく中諦は無数の怨嗟と呪詛の合唱を聞いていた。
そして、傷つき倒れる「弟」の姿を視た。
「これが、勝利すると言う事なんだな。」
ふ、と、怨嗟と呪詛を並べる者達に微笑みかけ、一度も勝てないでいた遠い昔を思い返していた。
かん、と剣を床に立て、ゆっくりと手を伸ばす。
天井を目指して伸ばした手は、しかし空を切って虚しく落ちた。
「早く。」
溢れる血液を飲み込み、諦は這いながら扉を目指す。
往くのだ、往け。
とも
瓦礫の上で横たわる強敵が告げている。
行かねばならない。
この先へと、ずっと先へと。
「もう、少し待ってろ、すぐに行って、秒で終わらせてやるから。」
だが運命は優しいのか、残酷なのか。
因縁を断ち切るのに、他者の手助けを与えなかった。
今回も散々も悩みまくった挙句の奇作です。
正直もっと殴り合わせたかったです。
もっと血をどばどば流したかったしばんばん斬り合いたかったです。
因みに。
諦大兄は一番強いんだってさ。
負け犬の汚名返上だってさ。
勝ったのか負けたのかわかんないんだってさ。
では、次回最終回です、本当に本当。
なるべく早くに仕上げるつもりですが高確率で二月以降になるでしょう。
ごめんなさい。