―――繰り返す日々の中にこそ、本当の幸せがあると父は言った。

その一言でわたしは、この男とは一生相容れる事はないだろうって、確信した。

 

わたしには『違い』が解る。

あまりにも変わらない日々を繰り返し過ぎてしまった代償として、私のてのひらに宿った力。

 

その未知なる明日の感触が語る。

円環の内で偶然に生じた差異こそが、わたしをわたしの求める未来へと導いてくれるのだと。

 

――父は語る、わたしの幸せを。

――母は語る、わたしの幸せを。

――先生は語る、わたしの幸せを。

 

わたし以外の誰かによって語られる、わたしの幸せ。

 

わたしの幸せはわたしのものなのに、いつの間にか独り歩きを始めている。

だけど、何故と口にする事は許されていない。

 

諦めて、ただ先の見える浅い幸せに従事する事だけが、わたしに残された道。

なまじ賢しいが故に、わたしはわたしの未来に絶望する。

 

……だけど、呪いはしない。恨みもしない。

だって、私のてのひらにはこんなにも素晴しい力があるのだから。

 

日々という墓標にうずもれてゆく違和のカケラを繋いでゆけば、私はきっと、私の求める幸せへと辿り着けるのだと信じているから――――

 

 

 

 

 

 

 

 

―――今はもう使われていない、ぼろぼろで狭い埠頭倉庫。

私達はその小さな空間の隅っこで、小さく縮こまって震えていた。

 

 

時間は夜、天気は晴れ。

だけどさっきから出所不明の雨水だか海水だかよくわからない水滴が髪にかかって、すごく不愉快。

ここは多分、海の近くだ。きっとそこから塩分を含んだ雨風を浴び続けたせいで、屋根が殆ど朽ちて無くなっているんだろう。

で、その見事に風穴の開いた天井を通って、この生臭い水は降ってくるのだろう。

 

だろう、だろう、としつこく言うのはそれらがほとんど推測に過ぎないから。

私は自分の足でここへやって来た訳ではないので、周囲の状況を全く知らない。

 

 

……誘拐された。

現在の状況を簡潔に説明すると、そうなる。

 

私こと往崎佳澄(ゆきさきかすみ)は財閥の令嬢であり、危険を冒してでもかどわかす価値は充分にある。

だけど私達が誘拐された理由は、そんな底の浅いものではないと思う。

 

犯人達の目的が何であれ、私達が今置かれている状況自体は変わりはしない。

不注意で車の前に飛び出すのも死にたくて飛び出すのも同じこと。

飛び出した理由が前者であれ後者であれ、まもなく車に轢かれるという状況自体はなんら変わらないのだ。

 

…もっとも、『状況』とはあくまでも客観的に見たもの。

それが同じであろうがなかろうが、当事者である私達にとっては何の意味も持たないのだ。

 

だけど自分の立場を客観的に見てみることも悪くない。

それにもしかしたらそこから生まれてくる何かがあるかもしれない。

そんなことを期待して、私は出来る限り頭を冷静にしながら己の置かれている状況を自分自身に示してみる。

 

 

―――状況は、笑ってしまうぐらい絶望的。

 

私達は錆び付いたコンテナが立ち並ぶ薄暗い倉庫の中に、姉弟そろって押し込められた。

時折聞こえる潮騒から、海の近くであることだけは分かった。

周囲には見張りと思しき男が一人。

一応閉じ込められている身らしいが、手枷も足枷もなく自由に行動できる。これでは監禁ではなく監視だ。

 

しかし、それでもここから抜け出す気は起きなかった。

 

私の目の前にいる男。その目は鋭く、血走っていて、眼光だけで殺されてしまいそう。

私は知っている。あの目は追い詰められた人間の目だ。

 

……怖い。

縛られてもいないのに身動きが出来ない。

あの男が存在するだけで、ここからの脱出は絶望的だった。

 

ここから逃げようとすれば、私は殺される。

……たとえその結果一族郎党皆殺しにされると分かっていても、あの男は躊躇なく私を殺すだろう。

 

私は部屋の隅で小さくなりながら、ひたすら無為に、緩慢に流れてゆく時を見送る。

熱帯夜特有の生暖かい空気とこの場に漂う緊迫感が、私の身体を灼く。

 

…ノドが渇く。

滴り落ちる自分の汗さえも、たまらなく美味しそうに見える。

 

頭が熱っぽくて重い。首から上に血がのぼりきってしまったよう。

私はここに連れて来られてから、ずうっとうつむいたまま。

それからどのくらいの時間が経ったかは解らないけれど、途方も無く長かったように感じる。

 

いい加減顔を上げないとそのうち頭がぽろっと取れてしまいそうな気までしてきたけど、

それでも顔を上げることは出来ない。

 

顔を上げてしまうと、あの子の姿が映るから。

 

……私はまた一つ、業を背負ってしまった。

 

そして私はさらに深く頭を垂らし、考える。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。

自分で言うのもなんだけれど、私は慎ましく生きてきた。

誰の恨みも買わないように、誰の怒りも買わないように。

波風を立てるようなことは避け、穏やかで変わらない、つまらない毎日を送ってきた。

今日だって、いつもと何も代わり映えのしない退屈な一日になるはずだったのに……。

 

止まらない震えはそのままに、私はかたく目を閉じる。

そして、これまでの出来事をゆっくりと思い返してみる。

私達の運命は一体どこから狂ってしまったのか。思い出を洗って晒し出すことにした。

 

 

 

―――記憶は二日前に遡る。

 

代わり映えのしない、朝の目覚め。

六時きっかりに私は目覚める。それ以上早くもないし、遅くもない。

誰とも口を利かずに学校へ行き、誰とも会話せずに家へ帰る。

それが私の日常であり、私の生活だ。そこに不満があるわけではない。

ほとんど人と関わらないのだから、神経がすり減る事も無いし。

 

…けれど、それでは『自分』が持たないこともまた事実。

道徳の教科書曰く、家族というものは一切の損得を抜きに信頼できるものらしいので、

そんなものがあるのなら是非ともそれに頼りたいところだが、私の場合はそれもなかなか厳しいものがある。

 

まず、生憎と私は父との仲が悪い。目を合わせるたびに衝突するような関係だ。

お母さんは、いつも弟にかかりきり。私の事など見てもいない。

 

最後に、弟の綾人。お母さんに甘えている姿を見るとたまに殺意が芽生えたりすることもあるけれど、普段はけしてそんなことは無い。

あの子はとても私に懐いていて、お姉ちゃんお姉ちゃんと擦り寄ってきてとにかく可愛い。

可愛いけれどおつむはあまり良くはなく、話をしてもそのうちの二割程度しか理解できないようなので相談役としては微妙だ。

 

だけど、あの日の私はきっと疲れていたんだろう。

私は綾人に話しかける。

父に叱られた時はいつも気晴らしに夜の街をぶらついていること。

昨日も父に叱られて、家を抜け出して街を歩いていたこと。

そして、いろいろあって泣きそうになりながら夜道を彷徨っていた時に私に声を掛けてくれた、

優しい眼をした男の人と、綺麗な女の人のこと。

その二人に連れられ辿り着いた、廃ビルの屋上。そこから見た星空が、びっくりするほど綺麗だったこと。

綾人はそんなとりとめのない私の話を、目を輝かせて聞いていた。

 

……それで、何となく解かった。

綾人がお母さんを独り占めしているのではなく、お母さんが綾人を手放そうとしないのだと。

 

 

 

 

―――それから一日を挟んで、今日に至る。

 

とても誘拐されるとは思えないような、本当に相変わらずの日。

この日もやはり、いつもと変わらない一日として記憶にも残らず消えて行くはずだった。

 

だけどそうはいかなかった。

ひょんなことから、『違い』が出来上がってしまったから。

 

 

…今日は、初めて部活に参加した。

 

私の通う学校では、ふざけたことに部活非所属が認められていない。

必ず何らかの部に籍を置いていなければならないのだ。

 

迷った挙げ句、手芸部あたりなら適当に理由をつけるだけでいくらでもサボれるだろうと期待して、入部した。

手芸部は期待通り、家の事情を優先して各自で勝手に帰っていいという素晴しい部活だった。

惜しむらくは数週間だか数ヶ月だかに一度、よく分からない謎の周期でやってくる交流会みたいなものにだけは

特別な用事が無い限り必ず出なければならない、という一点。

 

その何たら会の日が、まさに今日だった。

私は莫大な不満を抱きつつも、仕方なくそれに出席した。

 

予想通り周囲には誰一人として私の知っている子はいなかった。

……いなかったけれど、何の奇蹟か、その場ですぐに何人かと仲良くなった。

私は元々無口な方で、敵が少なく味方も少ないを地で行く様なタイプのため、友人を作るのはあまり得意な方ではない。

だから、このことだけでもそんなに悪くなかったけれど、意外なことに会の内容自体もそれなりに良いものだった。

 

気になるその内容は、地域のご老人が学校にやってきて伝統工芸を教えてくれるというもので、

その道五十年の練達した技術を無料で見ることが出来て、さらにその技術を手取り足取り教えてもらえるといった具合。

 

私は技術や知識を身に着けることが好きだ。おまけに失われかけた技術というのにことさら弱い。

そんなだから、今日の交流会は満更でもなかったのだ。

 

私は定められた門限も忘れて新しい友人と歓談し、貴重な技術を夢中でかじった。

そんなこんなで家に帰るのがすっかり遅くなってしまった。

 

当然の事ながら父は私を叱った。

いつもならばやり過ごすところだったが、さすがに今回ばかりはそういう訳にもいかなかった。

 

私は常に父に対する不満を抱いていた。

門限が六時というのも納得出来ないけれど、遅くなった理由を聞こうともせず、

頭ごなしにこちらを否定してかかるその一方的独善主義な姿勢が何よりも許せなかった。

 

だからついカッとなって反論してしまった。

意味の無いことだとは分かっていたけれど、頭では分かっていても、どうしようもないことだって世の中にはごまんとある。

案の定そこから口論が始まり、終いにはお母さんまで仲裁してきた。

私は我慢出来なくなって、そのまま家を飛び出した。

 

 

 

……私は爪を噛んだ。

どう考えても、これが災難の始まりだ。

 

それにしても、過去の自分を振り返る…これほど下らない作業はなかなか存在しないだろう。

他にやるべきことがあれば、間違いなくそちらをこなしている。

たとえそれがくだらない数学の宿題や、古臭いピアノの課題曲だったとしても。

 

 

―――話は戻って、あの時の私…ついさっきの私には、家を飛び出すこと自体には特に抵抗なんて無かった。

どうせ後から家を抜け出して街に行くんだ。なら、先に飛び出そうが後で抜け出そうが同じじゃないか、と。

 

でもそれは、今日に限っては大きな違いだった。

もし私が感情を爆発させていなければ、こんなことにならずに済んだのかも知れない。

 

 

人工の灯りに塗りたくられた夜の街を、さまよい歩く。

騒々しい人込みを避け、人気の無い場所ばかりを選んで進んでゆく。

 

気付けば、二日前に星を見上げたあの廃ビルの前に来ていた。

あの優しい目をした二人の面影を追うように、私はビルの中へと足を踏み入れた。

屋上へ上がり、しばらくの間ぼぅっと夜空を眺めていると、背後に人の気配を感じた。

 

振り返ると、そこには綾人がいた。

とんでもないことに、綾人は一昨日の私の話からこのビルの場所を探し当ててしまったのだ。

 

あの子はちょこちょこと私のそばまでやってきて、ご飯とお財布を手渡してくれた。

そして今日は父が本気で怒っているから家に帰らない方がいいとだけ伝えると、そのまま背を向けて立ち去ろうとした。

 

私は綾人を呼び止めた。何のことは無い、少し話し相手になって欲しかっただけだ。

……でも、それがいけなかった。

 

 

綾人と話をしていると、階下からふたたび足音が聞こえてきた。

それは一つではなく、複数だった。

階段に目を向けると、浮浪者みたいな格好をした見知らぬ男の姿があった。

 

男はその手にナイフを持って、ゆらゆらと階段を登ってきた。

その男の後に続くようにして、刃物を持った男が次々と現れた。

 

 

こう見えて私は一通りの武術を学んではいるが、凶器を持った大人五人を相手に立ち回ることなんて出来るはずもない。

逃げ道などどこにも無く、抵抗はするだけ無駄。私達は大人しく捕まることにした。

幸い話は通じる相手のようだし、お金で何とか見逃してもらえるだろう、などと楽観視して。

 

 

……その結果の、この状況。

 

何が、幸いだ。自分のあまりの愚かしさに、頭の中が真っ白になる。

失敗だった。往崎の名がこれほどのものだとは思わなかった。

私がその性を名乗っている時点で、その権力の程を自覚しておくべきだったのだ

(ただ、今こうして幽閉されていることの責任はすべて危機管理のなっていなかった私にあるが、

自分の立場を弁えず子供たちに護衛のひとつも付けていなかった父も父だとは思う)。

 

往崎財閥の令嬢ならば捕まえれば確かに最高の金蔓になるだろうけれど、

だからといってそれを実行するような馬鹿はいないと思っていた。

誰かに尾行されることなんて、有り得ないと思っていたのだ。

 

だけど、その考え自体が甘かった。

彼らは私の身辺に関する情報を完璧に調べ上げていた。

私の趣味や習慣、身体的特徴はもとより、一人で出歩く時間、見張りの数、日常的に父と口論を繰り返していることも。

全てを把握し考慮に入れたうえで、彼らは完璧な誘拐計画を練り上げた。

 

もし彼らに誤算があるとするならば、それは私が綾人と一緒にいたことだろう。

もっとも、それは彼らにとって嬉しい誤算だ。

彼らは労せずして、往崎の跡取りを一遍に手に入れることが出来たのだから。

 

 

でも、まだ……そこまでなら、まだいい。

 

金目当ての誘拐、それを遂行するための計画。

そこまではまだ私の考えが及ぶ範疇だ。

 

問題は、彼らがどうやら金銭目的で動いているわけではない、ということ。

彼らの目的がまったく見えてこないのだ。

 

 

未だはっきりとしない彼らの目的。

……私は恐らく、怨恨の線だと考えている。

 

私は、見た目ほど子供ではない。だから分っている。

全ての人間、集団、機関には、決して人目に晒すべきではない暗部が存在すること。

その規模が大きくなればなるほど、それの抱える闇も肥大化していくことを。

 

財閥ほどの巨大機関ともなれば、一体どれほどの秘密を押し隠しているか。私には想像も出来ない。

ただ、その存在により追い詰められる者の数は百や二百に収まるものではない、ということだけは分かる。

 

 

 

―――そこで集中力の限界が来て、ようやくと目を開ける。

さすがに眩しくは無いけれど、目がしばしばする。

 

ちらりと倉庫の入口を盗み見る。

そこには例の男が、先程までと変わらない様子でそこに立っている。

 

…あの男も、何かを奪われたのだろうか。

会社を追われて一家路頭に迷ったとか、尊厳をズタズタに傷付けられたとか。

発想が貧困な私には、その程度の事しか思いつかない。

 

だけどあの目は、本当に何もかもを失った人間じゃないと絶対に出来ない目だ。

 

 

やぶれかぶれになった人間っていうのはものすごく怖い。

自分が死ぬ事がはっきりと分っているとき、あるいは極限まで追い詰められたとき、人は何も恐れなくなる。

 

フィアレス―――それはつまり、平たく言えば開き直りだ。

どうせ死ぬならその前に好きなことをやってしまおう、殺されるなら誰か道連れにしてやろう、そんな腐った開き直り精神。

そういえば、戦時中の日本には特攻隊というものがあったが、あれも同じ。

自分が死ぬ事が前提になっているから、何をするにも抵抗は無いし恐れもしない。

 

あの男もまさにそんな状態なのだろう。

全てを失った以上、失うものは何も無いのだから、恐怖が無ければ後悔も無い。

 

私を殺せば報復が待っている。

往崎という巨大勢力は必ずや下手人を見つけ出し、それに属する一派を文字通り根こそぎ潰すだろう。

だけど、それでもあの男は私を殺す事をためらわない。

 

要するに彼らはタガが外れてしまっているのだ。

損得も利害も超越して、ただ往崎への復讐を生存理念とした生物へと成り代わったのだ。

 

状況が予想ならば、これらの考察だって何の信憑性も無い私の予想だが、

それでも限りなく真実に近い予測であると自負できる。

 

もっとも、ヤマ勘でテストの範囲が的中しようが肝心の問題に太刀打ちできなければ何の意味も無いのだけど。

 

 

 

 

―――奇妙な軟禁状態を強いられ続けてから、大分時間が経った。

そろそろ私の精神も限界に近い。

 

目を合わせるのが怖いから、俯いたまま視線だけを綾人のほうへ向ける。

男の子のくせに女の子みたいな綺麗な顔をしていて、いつもぼけーっとしていて、つねってから五秒後に痛がるくらい鈍くて、

お母さんを独り占めにする、お母さんを私から奪う、私の敵。妬ましくて妬ましくて仕方が無い。

だけどいっつもすり寄ってきて、私のそばをちっとも離れようとしない…どうしても憎めない……可愛い、私の弟。

 

――それが今。あの子はその小さな両手で目蓋を覆い、身を縮めて震えているのだ。

 

……私のせいだ。

私が下らない反骨心を起こさなければ綾人はその尻拭いをさせられずに済んで、こんな所に閉じ込められることも無かったのに。

お母さんに素直に甘えることが出来たなら、私だってこんなつまらない意地を張る必要も無かったのに。

 

私はあの子に何と詫びればいいんだろう。

まだ十にも満たないあの子が、どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう。

 

誰か、誰でもいい、あの子を助けて、どうか、どうか。

さっきからそんな言葉が頭の中を何度もめぐっては消える。

 

懺悔の繰り返し過ぎで頭の中が沸騰して、舌を噛み千切りそうになったその時。

私は信じられないモノを見た。

 

 

 

――――天使が、現れた。

 

 

両の足を覆い隠してなお長い、黒い衣をその身に纏う、羽の生えた女性。

その場に居た誰もが、彼女に眼を奪われた。

 

着衣以外に一切の装飾具を身に着けない、何の飾り気も無いその姿でさえも、信じられないくらい眩い。

まるで一枚の絵画を見ているような印象を与えるほどの、人間離れした美女。

それでいて妙にあどけない―――どこか、綾人に似た雰囲気を持っている。

 

彼女はその荘厳な姿を見せ付けるように大きくゆっくりと羽ばたきながら、

吹き抜けとなった天板をくぐり、私と綾人の間に立つようにして廃倉庫の床に舞い降りた。

 

 

……まばたきをする間の出来事だった。

 

天使はゆっくりと―――ひざまずくように地面にくずおれると、目を閉じて祈り始めた。

瞬間、男の身体が弾けて燐光へと変わり、空気に溶けて消えていった。

 

騒動を聞きつけて、男の仲間が駆け付けて来る。

しかし彼らに成す術は無く、彼女の翼が翻る度、一人、また一人と掻き消えてゆく。

 

ほんの僅かな時間の後。

この世に存在していた形跡を何一つ残すことなく、彼らはすべて消滅した。

 

天使は大きく羽をはためかせながら立ち上がると、ゆっくりと綾人のいる方へと向き直る。

綾人と向き合うように座っている私には、当然の事ながら、その表情を伺うことは出来ない。

 

けれど私には――勝手ながらも容易に、彼女の面差しが想像出来た。

理由も確証もまったく無い、でも何故だかはっきりと浮かんだのだ。

 

哀しげな微笑みを浮かべてあの子を見つめる彼女の姿が。

 

 

―――天使はあの子の姿を刻み付けると、遠い夜空へと飛び去っていった。

 

それからすぐに綾人が私のもとに駆け寄ってきた。

泣きながらしがみついてくる甘えん坊な弟をあやしながら、私は大きく息を吐いた。

 

……本当に、この子が無事で良かった、と。

 

 

その後私達は倉庫を出て、見知らぬ街を歩き回った。

財布の中には十分なお金があったので、電話ボックスを見つけたら即座にタクシーを呼んだ。

運転手は私達の姿を認めると、すごく不審な目をした。

それもそうだ、こんな深夜に幼い姉弟が電話ボックスからタクシーを呼ぶなんて、よく考えなくたっておかしい。

しかしそこは持ち前の話術で何とか切り抜ける事に成功した。

 

綾人の忠告どおり家には帰らず、運転手さんの紹介を受けてさびれた安ホテルに泊まった。

当然のことながら、さっきのタクシーよろしく何事も無く泊めてもらうわけにはいかなかったけれど、

両親が喧嘩をしていて家にいると危ないから、と思いつきの適当な嘘を伝えると、人の良さそうな支配人が無料で部屋を当ててくれた。

その人の良さがホテルの経営を滞らせているのだろう。そう思うと、ちょっと涙が出そうになった。

家に帰ったら両親にこのホテルのことを何とか良く計らってもらえるよう頼んでおこう。

 

あてられた部屋はベッド以外何も無く、本当に寝るだけの部屋だった。

だけど疲れきっていた私達にはそれで十分。

姉弟揃ってベッドに倒れこむと、そのまま泥のように眠りに落ちた。

 

 

 

翌朝、家に帰ると父が涙を流しながら私達を出迎えた。

聞くと、私達が捕らわれている間に犯人達からの脅迫文があったそうだ(もちろん、私達の写真も同封されていた)。

その文面を掻い摘んで説明すると、

 

『往崎佳澄と往崎綾人を誘拐した。どちらかは生かして返すが、残りは殺害する。

どちらを生かし、どちらを見捨てるか。選択し、通達せよ。

尚、一両日中に返答を通達せぬ場合には、尋常ならざる手段にて両人共を惨殺し、あらゆる媒体を通じてその死体を晒す』

 

……というものだ。

ちなみに、お母さんはこれに目を通した瞬間に倒れたらしい。

 

しかし、この文面。事件の証言者である私達姉弟のうち、片割れをわざわざ生かして返すなどと。

……ぞっとする。私の予想通り、彼らは自分達の身元が割れることは百も承知だった。金銭などが目当てなワケでもなかった。

ただ往崎へ復讐するためだけに彼らは私達を誘拐したのだ。もちろん自分達の生死など、省みることも無く。

 

でもそんなことより何より、綾人を無事連れて帰ることが出来て、本当に嬉しい。

私は眠そうな綾人の手を引いて寝室に向かい、お母さんの隣に綾人を寝かせてあげた。

そして、お母さんが目を覚ましたときにおかしくなってしまわないように、私も二人と同じベッドにもぐりこんだ。

 

こんなに簡単なことなのに、どうして私は今まで二の足を踏んでいたんだろう。

こうして初めから素直にしていれば、誰も悲しみ思い悩む必要なんて無かったのに……。

 

 

私はその後も両親から事件のことについて問いただされたが、その顛末はさすがに話すことが出来ず、

綾人が守ってくれたのだとだけ伝えて逃げた。

 

 

 

―――かくして、事件の幕は下りた。

 

この一件以来屋敷の中を沢山のメイドがうろつくようになり、

母の過保護ぶりに拍車がかかったりもしたが、至って平和な日々を送ることが出来た。

 

 

……だけど。

あれから十年が経った今でも、あの日のことははっきりと覚えている。

 

 

真っ白な翼を持った天使が、罪人を光へと浄化してゆく……あの聖書のような光景が、網膜に焼きついて離れなかった。

 

 

 


I have a wings so reflectly silver and white.

It was lasted by anybody but I want to the foots to could be touch to the earth.

 

持つモノ‐Till accept actuality‐

前編〜『幼さの代償』

 

 

この部屋は、私を抱いて閉じ込める檻。

 

部屋の四面を構成する壁はとても高く、私の遥か頭上まで伸びている。

屋根のない天井が明り取りの役割を果たしてはいるが、底が深すぎて光が私の元まで届く事はない。

 

私はもう一度、暗がりから高みを見渡す。光までは遠く、梯子を何台積み上げても届きそうにない。

まるで井戸の底から地上を見上げているよう。耳を澄ませば呼吸が泡となり立ち登っていく音が聞こえるような気さえしてくる。

蛙か深海魚にでもなった気分だ。

 

思えば、私はどうやってここに入り込んだのだろう。周りの壁を調べても、出入りできそうな扉はどこにも無い。

……どう考えてもあの天井から入ってきたとしか思えない。けれど私には、ここに入る事は出来てもここから抜け出す手段が無い。

 

諦めて大人しくしていると、頭上から微かに何かが羽ばたくような音が聞こえてくる。

見上げると、そこには男の子がいた。翼の生えた、とても可愛い男の子だ。

私は嬉しくなった。ずうっとここに閉じ込められていて、寂しさを忘れてしまうくらい寂しかったから。

 

男の子はふわりふわりと降りてくると、私の方へ歩いてくる。

こうして見ると男の子は思った以上に幼くて、私の膝くらいの背丈しかない。

 

男の子はふらふらとおぼつかない足取りで、ゆっくり、ゆっくりと近付いてくる。

私は両手を広げて男の子を迎える。そしてようやく私の懐まで辿り着いたその子を抱きしめようとした瞬間。

 

―――男の子は無邪気に笑って、私の腿に喰らい付いた。

 

 


 

 

 

 

――いつだったか。

 

自分が平凡だと気付いた日、急に全てが虚しくなった。

個性の海にうずもれず、誰の目にも留まるような―――そんな、特別な何かになりたかった。

 

そしてまた幾つかの年月を重ねたある日、俺は気が付いた。

ぶっちゃけ、それめんどくさいんじゃね?

 

…と。

 

成り上がる野望を抱くよりも、日々肉欲とエロスの海に耽るべし。

そんなくたびれた思想を持つに至った今日この頃、君は如何お過ごしだろうか。

 

拝啓マイベストフレンド綾人。

君がこの手紙を読んでいる頃には、多分俺はもうこの世にいないだろう。

 

いつの日か俺とお前とで交わした約束を覚えているか?

…そう、俺とお前でエロメイドロボを開発し、エロ浸りの日々を過ごすというあの夢のような計画だ。

 

思えば君は最高の友人だった。

あの約束を果たせなかったことだけが残念だが、それでも君と過ごした日々はこの上なく楽しかった。

 

ではさらばだ、綾人。

くれぐれも『俺は家でモノホンのメイドさんと毎日エロエロしてるからいーや』なんてことは言わないでくれよ。

 

……そうそう、君には特別に我が最愛の妹・瑞希ちゃんの乳を揉むことを許可しよう。

あのやらかさはまさしく絶品だぞ。君も死ぬ前に是非一度は味わっておきたまえ。

 

では今度こそさようならだ、綾人。

願わくば君が俺の遺志を引き継ぎ、エロスの帝王とならんことを。

 

 

 

「……なんでやねん」

 

俺は読んでいた手紙を丸めて、ゴミ箱に投げ入れた。

 

さっきの手紙は自分探しの旅に出ると言って女子更衣室へと旅立っていった俺の親友が置いていった遺書だ。

ちなみに当の本人は俺の横で伸びている。あそこからこいつをサルベージするのは大変だった。

 

「ふう…」

 

空いているベッドに腰掛けて一息つく。

基本的に保健室ってのは授業中だろうが休み時間だろうが関係なく沢山の人がいる所だが、

今日に限っては俺と亮以外に使っている人は誰もいなかった。

 

自動的に温度を調節する空調のおかげで、室内はほんのり暖められていてわりあい快適だ。

目の前の時計は9時半を示している。…こいつを運んでるうちに気が付けば一時間目始まってるし。

 

保健室って真っ白なうえに消毒薬の匂いが凄いから、まるで病院みたいだ。

俺は病院のニオイもクスリのニオイも嫌いなので、出来ることなら早く退散したい。

 

しかしさっきの手紙、珍しく真面目な書き出しで始まったから、

もしかしたら普段おちゃらけてばかりいるあいつの本心が聞けるかと思ったのに。

 

……正直がっかり。

 

でもまあ、さようなら、亮。

俺が責任を持って鳴海亮は立派なHENTAIであったと後の世まで伝えていくよ……。

 

「う、う〜ん……」

 

お、動き出した。

 

「ここはどこだ…?そこはかとなくナースの匂いがするような気がするが……?ていうかメイドロボのロールアウトはまだなのか…?」

「保健室。病院じゃないからナースはいないぞ。一時間目もう始まってるから、そろそろ行かないとまずいかな?」

 

亮はおー、そうかそうかと言いながらベッドから飛び起きると、薬品棚を物色し始めた。

あれだけの猛攻を受けてけろっとしているのはさすがとしか言いようがない。

 

「なー、そろそろやばいんじゃねー?バンソーコがめてる場合じゃないぞー?」

「おお、じゃあ行くとしますか綾人クン」

 

よっしゃ行くべと返事をしてから、俺達は靴に履き替えて校庭へ出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二時限目終了のチャイムがうるさく鳴り響く。

一時間目は亮とゴロゴロして過ごし、二時間目は美亜とイチャイチャしてたら終わった。

 

 

「……授業、終わったみたいだね」

 

綺麗な長い髪をふわりと掻き分けながら、穏やかな表情をこちらに向ける美亜。

温室育ちの猫みたいな華奢で可憐でボンキュッボンな容姿にジャージがすごく不似合いだ。

 

…あ、美亜ってのは俺の幼馴染のことね。

なんていうか、どこか別世界のドジッ子みたいな名前をしているがあまり気にしないで欲しい。

 

「……亮君、来ないね」

 

今日は三時間連続で野外授業。教室に戻るのがめんどくさいので、校庭で休憩する。

ここからちょっと歩いたところにある背の高い桜の木の木陰が、俺のお気に入りの場所。

 

屋外での授業の合間には、俺と亮と美亜で三人揃ってのんびりとくつろぐのが決まりになっているんだけど……。

今日は珍しく亮のヤロウがまだ来てない。

 

「……先に行ってるか」

 

ここは暑くてかなわんので、俺はヤツを待たずに避難することにした。

俺が歩き出すと、美亜はヒヨコみたいにその後についてくる。

 

……うわー、抱きしめてぇ。

走るたびに揺れる胸といい、自動追尾型幼馴染属性といい、美亜は無自覚に俺を悩殺しよる。

 

俺は熱き血潮の昂ぶりを悟られぬよう、しばし立ち止まる。

そのまま美亜が追いつくのを待ってから、ふたり並んで歩いてゆく。

 

「…ユキちゃん、なんだか視線がいやらしいよ?」

「気のせいですよ」

 

漢らしく強引に誤魔化す。

しっかし、美亜様は本当にむしゃぶりつきたくなるようないいカラダをしてらっしゃる。

背丈は平均的だけど、胸とかお尻とかとにかくプロポーションが良いのですごく立派に見えるのだ。

そーだ、丁度明日からゴールデンウィークだし、この機会に俺と子供を作ろうぜ、みたいな。

どうでもいいけどブルマ万歳派の私としては、ジャージはやめていただきたい。

 

「ユキちゃん、歩くの大変そうだね?」

 

と、不意に美亜が小悪魔的な微笑みを俺に向けてくる。

これはあれですか、さっきからずーっと胸とお尻だけを見続けてきたことに対する仕返しですか?

俺はすぐさま、ゴメンナサイと平謝りする。

 

「気にしなくていいよ。男の子はね、えっちなのが健全だから…ね」

 

でも、あんまり行き過ぎたり節操が無かったりすると嫌われちゃうよ…と言って、美亜はくすっと笑う。

妙に大人びたその仕草にどっきんどっきんしているうちに、約束の場所に着いた。

 

 

俺が通うこの学校の正式名称はトーキョーキリウコウトウダイガクとかいうなんかよくわからん名前だが、

学園内の人間にはほとんどその名称で呼ばれる事は無い。

学生や講師、教師からは『AS』という超短い愛称で呼ばれている。

実は、その名には結構大きな意味があったりする。

 

うちは他所から見れば立派な私立大学だが、内側から見渡せばかなりヤバイ所だ。

呼称に込められた意味も含めて、何がヤバイのかはそのうちわかるだろう。

 

 

…さて、ここは大学なので当然中は広く、図書館や食堂だけでなく、美術館や展望台など高校には無かった様々な施設がある。

生活に必要なものは構内にある店でほとんどが揃うし、プールやハイキングコース等のレジャーも解放されている。

 

で、その展望台への小径の脇には公園があり、

盛りが過ぎて見向きもされなくなった哀しみオーラ全開の桜の樹がそこに軒を連ねている。

 

そのなかから程よく涼しそうな木陰を適当に見繕ってごろんと寝転び、だら〜っと過ごす。

校舎の中は寒いけれど外にいると暑いという、よく分からない気候なのだ。

 

「……んっ、あぁぁ〜っと」

 

組み合わせた両の手をぐっと突き出して、大きく長い伸びをする。

筋肉のところどころに出来たコリがほぐれていく快感を味わいながら、ふわぁぁ、とあくびをする。

 

「ふふ、ユキちゃんたらおおきなあくび」

 

なんて言いながら俺のすぐそばにしゃがみこんで、ほっぺたをぷにぷにとつついてくる美亜。

……ああ、くそッ!ズボン履いてたらパンツ見えねえじゃねーかッ!!

 

「美亜クン、ズボンを脱ぎたまえズボンを。なんだったらワタシが脱がして進ぜようか。ほれ、ほれほれ、ほ〜れ〜」

「やぁん…えっち、ユキちゃんがえっちだよぉ……」

 

すらりと美しいその足にブラッキィな手袋に包まれた背徳的なマイハンドを絡めて押し倒し、エロエロエッサイム。

ジーク・パンツ!ジーク・パンツ!ジーク・パンツ!

 

「おーおー、お盛んだねぇ綾人君」

 

ようやく亮がやってきた。

ていうかなんて格好してるんだこいつは。裸にジャージとか、既に変態の領域だ。

あまりにも自然なうえに誰も突っ込まないから忘れかけてたぞ。でもめんどくさいので俺も突っ込みはしない。

 

「…チッ、いいところに来やがったな」

「オウオウ、ご挨拶だな。大分お疲れのようだが、やっぱ一人暮らしは大変かい?」

 

…やっぱり見抜かれてる。

美亜もそうだけど、付き合いが長いと互いの微妙な変化にも敏感になるんだな。

 

「ああ。風呂沸かして、洗濯物たたんで、朝飯と弁当の仕度して…とにかくやることが多くてツライ」

「うへぇ…ご苦労さんなこった。俺にゃ無理だね、多分三日も続かねえ」

 

この学校に入学してから、もうすぐ一月が経過する。

AS生は世間一般では大学生にあたるけど、ここでの生活ははっきり言って高校と同じだ。

もう二度と来ないと思った日々が、クラスの仲間に囲まれた楽しい学園生活が、ここでは再現されている。

 

高校と違うところがあるとすれば、俺が一人暮らしを始めたことぐらいだろうか。

親父の余計な一言のせいで大学へ入るのと同時に俺のなんちゃって一人暮らしも始まり、一気に生活するのが大変になった。

学業に精を出すかたわら、炊事洗濯といった火事全般から小遣い稼ぎまで、全部自分でこなさなければならない。

 

そうして大学生活を初めてから、怒涛のように三週間が過ぎた。

身の回りの全てをメイドさんに任せきりだった俺のこと、絶対長続きしないだろうなあと思っていたが、人間やれば出来るもんだ。

 

「ま、明日からGWだし、一旦おウチに帰省してラクすることにするよ」

 

もっとも、実家は都内なので帰省なんて言うほどのもんじゃない。

ていうか、ぶっちゃけ今住んでるアパートよりも自宅から通った方が学校に近い。

 

「ユキちゃん、大丈夫…?私がお弁当作ってこようか…?」

「いや、まだいい。ギリギリまで自分でやってみる」

 

本音を言うと頭下げてでも作って来て貰いたいのだが、そうはいかない。

うちのクソ親父いわく、この試みには俺がどれだけ他人に頼らず生き続けられるか観測する意味もあるらしい。

おかげでせっかくの幼馴染の施しを断り続け、毎日こうして自爆しているのだ。

 

 

「あんたらねぇ、もうちょい真面目に授業受けなさいよ」

 

……珍しく茜までやってきた。今日は千客万来だ。

 

響茜(ひびきあかね)は長身で凹凸の少ない男っぽい体格で、サバサバした気質とパリパリした思考の持ち主だ、

と俺は思っている(亮の目には、決してそういうさばけたタイプには見えないらしい)。

やはり茜もジャージだ。なんでみんな暑いのにジャージなんか着てやがるんだ。

 

まあ茜は色気が無いから別にジャージでも構わないか。

このまえ、隠すほど胸無いんだから体操服でいいじゃん、って言ったら殴られた。本当のことなのに。

 

俺は美亜だけじゃなく亮ともやっぱり幼馴染で、小さい頃からずうっと一緒(でも高校は全員バラバラ)だったりするが、

茜に限っては入学前から面識があったわけではない。

でも何故か意気投合して、学校に入ってまだ一月も経っていないというのにすっかり仲良くなってしまった。

 

それは多分、茜が気兼ねしない性格だからだろう。

そうでなければ端から見ると結構排他的な俺たちの輪に踏み入ることは出来なかったはずだ。

あとは、この学校が大学っていう感じじゃないのも結構大きいかな。

日本の大学はほとんどの場合、各々が受けたい授業を勝手に受ける形式なのでクラスという概念自体が存在していない。

そこへ行くとうちの大学は、一年次は選択授業が無いためクラス制になっていて、高校と何ら変わり映えがしない。

そんなわけで、自然とクラス内での繋がりが強くなってしまうのだ。

 

「いーじゃんよー、休み時間なんだからさー」

「まー、確かにねー」

 

どっこいせっ…とか言いながら腰を下ろす茜。

…オバサンくさ。

 

 

「……綾人〜、いい加減その真っ黒な手袋外しなさいよー。見てるこっちが暑くなってくるじゃない」

 

暑いんならまずジャージ脱げよ、と言う前に茜は俺の手袋を剥ぎ取りにかかっていた。

俺はヤロウに反射的にチョップを食らわせる。

 

「あたっ!あにすんのよ、もう」

「人を脱がせる前にまず自分から脱げ。それが二人エッチの鉄則だ」

 

間髪入れずにナックルパートが飛んでくる。

 

「ぐふ…相変わらず素晴しい拳。だが、そんなでは嫁の貰い手がいなくなるぞ……」

「ほっとけ!」

 

そんなんじゃお嫁さんがやって来ないぞと言いそうになりあわてて口内変換したが、

どうにか間に合ったようだ。よかよか。

 

「無理だって、綾人は何があっても手袋外さねーんだから」

 

言いながら、亮はけだるそーに手をぴらぴらさせている。

………くうっ、本来ならば今ので美亜のスカートが少し浮き上がったはずなのに。無念。

 

「何があっても外さないーって、アンタそりゃ無理ってもんでしょう。

学校教師ってサイコーにそういうことに煩いんだから、外すの強制されたりしなかったの?」

 

フッ、俺のオヤジの権力を舐めるな。そんなヤツラは全員ブタ箱行きだ。

って言うとすごくイヤミっぽいから適当に流しておく。

 

「じゃあさ、手で掴んでものを食べる場合とかどうすんのよ?」

「ユキちゃん、すごく器用に食べるの。ナプキンでひょいひょい、って」

 

美亜がナプキンを折りたたんで口元に当てるジェスチャーをする。

…ごめん、どう見てもクスリやってるようにしか見えない。

 

「これでも一応跡取りですから。

食事の作法から経済学、上に立つ者の何とやらまで色々叩き込まれてるよ」

 

茜がふ〜んとか言いながらそれっぽく頷いて、一応の納得を示す。

まあ、実際は叩き込まれてるなんていうほど厳しくないし、むしろ我が家の人間はオヤジ以外全員俺に甘いけど、

とりあえず指導者の心構えだけはキッチリしてるつもりだ。

逆らい難いとか、貫禄があるってよく言われるのは、多分その所為だと思う。

高校でもいつの間にか舎弟だらけだったし。あと可愛い子はみんな俺のものだった、ていうかしてやった。

 

「だけど、美亜は色っぽくなったよなー、手袋してても膨らみがわかっちゃうもん」

 

胸を揉むジェスチャーをすると、ボンっと素敵な音を立てて美亜の顔がリンゴみたいに赤くなる。

いいですねぇ、乙女の恥じらひ。是非とも君に俺の子を孕ませ(以下略)。

 

「そ〜そ〜、最近うちの瑞希ちゃんもむちむちしてきてねー、たまりませんよまったくもう。

あーギュッてしてえよ〜ギュッて〜」

 

いいのか亮?

実妹攻略はソフ倫でも禁止されているんだぞ。

 

「亮なら男でもいけそうじゃない?増士(ますし)先生あたり、ムチムチよ?

ちょうど次の時間も実習だから、あたしが頼んできてあげようか?」

 

「勘弁してくださいよ…。あれはムチムチじゃなくてムキムキですよ。

しかも抱きしめるというよりはベアハッグですよ」

 

マジで嫌がる亮。しかし無理もない。

あんな素晴しきマッスルボデーに抱きしめられた日には危険な道に目覚めてしまうこと請け合いだ。

 

「…ところでユキちゃん、三時間目は総合運動場に集合だよ。そろそろ時間だから、急いだ方がいいよ」

 

おっけ、と返事をして立ち上がり、亮と一緒に体育館の方へ向かって走る。

無意味に張り合って競走する俺と亮の後に美亜たちが続いてくる。

 

 

 

 

 

 

 

授業開始時に先生の周りに集まって、話を聞いて、で、またすぐに散らばる。

たまーにこうして集合がかかったりするけど、基本的には上の繰り返しで実技訓練の時間は成り立っている。

 

俺は美亜と茜の後ろで、先生の話を右から左へ流し聞いている。

 

なんで前を走ってたはずなのに後ろに居るかって?

途中でスピード落として後ろから美亜のお尻を眺めてましたからね!ももじり(合言葉)!!

 

 

「んんー、いいねー、みんな良く頑張っているようだー。

では次の時間も引き続き頑張ってくれたまえ!」

 

話と言っても、ほとんどメンツ確認の意味でやってることだからそんなに長くは続かない。

先生の話が終わると局所的な熱気は速攻で霧散していく。

 

「ん……」

 

(俺の)視線がこそばゆいのか、お尻の辺りに手をやってもじもじする美亜。

…月が、星が太陽がッ!パンツをめくれと我に叫ぶぅ!!

 

 

「――――ひぁっ!?」

 

感度抜群。惜しむらくはスカートを穿いていないから、パンツが見えないうえにめくる楽しみを味わえないことだ。

しかしそこは、同時にもう一箇所別のところにセクハラすることで難なくカバー。

 

「……ん、美亜?どうかしたの?」

「い、いま、誰かに変なところ触られたの……」

「美亜は胸が大きいからねぇ、うりゃうりゃ!」

「やだー、茜ちゃんエッチ〜!」

 

 

……ねえみんな。ずるいよね、女の子ってさ。

目の前でこんなことしてるんだよ?こいつら俺を萌え殺させる気満々だよ?

 

「俺も混ぜてぇぇぇー!!」

 

この広い広いBlueSkyに向かって咆哮し、(茜には目もくれず)美亜の胸目掛けて飛びつく俺。

しかしそこへ死神のカマの如き茜のラリアットが食い込む!!

 

「死にさらせぇぇぇぇぇ!!!!!」

 

俺は星になった。

 

 

 

「地球は青かった……」

 

かのユーリ・ガガーリンの名言を残して大地への帰還を果たした俺を、親友が温かく迎える。

 

「おう、お疲れ」

「うん、ありがと」

 

まったく、女子同士のスキンシップというのはどーもよく分からない。

あんな乳の揉み合い、俺がやったらセクハラとか言うくせに。

しかしああして公然と美亜の美巨乳を揉めるなんて、何ともうらやましいことだ。

 

「つーか最近の女の子はみんなスタイルいいよなー。ウチの瑞希ちゃんも(以下略)」

「うーん、どーだろうなー?」

 

確かに最近の女の子はみんなプロポーションがいいような気がするけど、

実際にはスタイル矯正商品の恩恵によるところが多いのが泣き所だ(美亜はマジ胸だったからいいけどね)。

個人的にシリコンブラとボムバストブラの発明者は死刑にするべきだと思います。

あー、でも嘘っぱちの胸でも何でもいいから誰か揉ませてくれないかな。

こっそり揉むのは疲れるから堂々と揉みたいんだ。誰か解ってくれないもんかな、この気持ち。男以外で。

 

 

……それはさておき。さっきの茜の一撃で、俺は冗談じゃなく本気で宙を舞った。

ある特別な力のおかげで、ここに通っている学生たちは常人とは比較できないほど凄まじい身体能力と丈夫な身体を備えている。

茜は俺を打ち上げるほどの腕力を持っているし、俺はその一撃を喰らっても平気な頑強さと身体能力を持っているわけだ。

 

…ここの学生達が力を持っているというか、力を持つ者達がここに集められている、という方が正しいか。

この大学は日本では数少ない能力者開発・育成機関でもある。

能力者開発と聞くとどうも怪しい感じがするが、実際、怪しい。

 

2、30年くらい前から生まれるようになった異常能力者たちを統制し、研究すると共に様々な力の開発を行い応用・発展を目指した

学習指導を受けさせる機関で学生達は日夜勉学に励むそのかたわらであやしげな魔術もどきを教え込まされているのだが

でもそうなるとほらやっぱりこういうご時世ですから妬ましく思う人達がいるわけでそのうちあいつらは人間じゃないとか

根も葉もない噂が立って道往く人にお前たちは異常だと毒吐かれたりして寂しい気分になりながらも頑張っていますよ僕達は

ああそうともさ、僕達は怪しい怪しい力を使う怪しいウチュージンであってこうして日々樹木の陰で蒸散し光合成をすると共に

宇宙からの電波をチャージして不思議な力で実家のメイドさんたちを脱がせて揉ませてウェッヘッヘッへ……!

 

「だ、大丈夫…ユキちゃん…?」

「はっ……いかんいかん」

 

…と言うのはまぁ冗談で。

その力というのは古くから存在し現在まで歴史を積み重ねてきたものであり、当然体系もきちんと決まっている。

もちろん、一般人は俺たちどころかその力の存在すら知らないので毒吐かれたこともナッシヴ。

……力のせいで罵られたことはなくとも、謝られたことは、ある。けど…それは俺の個人的な話であり、今は関係ない。

 

『アサインメント』。

それが入学して初めて知ることになるこの大学の本当の名、機関としての通称だ。

見かけ上はごく普通の大学でも、部外者の知らないところでそういった力の使い方を教えたりしているのだ。

 

 

「じゃあ、頑張ってね、ユキちゃん」

「ぐぁんばってぬぇん、ユキちゅわぁ〜ん♪」

「うへぇ、気持ち悪いからやめれ、亮」

 

いかにも二手に分かれそうな展開だが、実際には3、4メートル離れるだけ。

訓練やるんだから近くに人がいると危ないし、近くに人がいないのも危ないのだ。

 

 

実習では原則として一時間一時間ローテーションを行い、ペアを組む相手を変えなければならない。

一時間目は亮、二時間目は美亜だったので、三時間目は必然的に茜になる。

 

「チッ……茜かよ」

 

そして俺は、茜の二の腕とのセカンド・コンタクトを果たす。

俺の身体はアンビリーバボーな放物線を描きながら、浪漫飛行へInTheSky。

 

 

「地球は丸かった……」

 

運動場の赤土に五体投地する俺の身体。

懐かしい大地の感触だ。

 

「綾人ー、いい加減始めるわよー」

「はぁ〜い」

 

足でガリガリと二重丸を描き、その横にちょんと座る。

 

今回行うのは、力の放出訓練。

ひたすら地面に描いた的に向けて魔力を放つだけのタルい繰り返し。

現段階で俺たちが学んでいる事は、ぶっちゃけ魔術師と変わりない。

 

「なー、ヒマなんだけどー。美亜にセクハラしに行っていい?」

「はいはい、後で試合ってあげるからさ、それまで我慢してよ」

 

うげ…。試合する、とか言ってるよ、この人。

どーせ自分は強いから俺に負けることなんか無いだろう〜なんて思っているんだろう。

 

ここで解説。実技実習では毎時間一回は試合を行い、その結果をスタンプカードにぺたぺた押していくのだ。

勝ちスタンプが一番多いヤツ程強いという、非常にわかりやすく、かつ血も涙も無い図式。

 

教育機関には教育機関の風紀があるように、ここには能力開発機関としての風紀がある。

そして言うまでもないが戦闘能力を研鑚するこのアサインメント…ASでは、強さがすなわち正義だ。

そんななかで、この場にいる(俺を除く)三人は、期待のルーキー三人組と呼ばれ、入学早々頭角を現している。

 

「オラオラ、さっさと試合うわよ〜」

 

とか何とか言ってるうちに試合ですか。展開早いなオイ。

……っと、そこへ亮と美亜がやってきた(と言っても元から目と鼻の先だったんだけど)。

あまりのヒマさに耐えかねたのだろう。

 

何はともあれ、これで期待のルーキーさんが再集結したってことですかね。ハッ!(ねたみMAX)

 

「さて、綾人はどーお?やっぱり順調に負け越してるのかしら〜?」

「…む、人のカード勝手に見るなよ」

 

言っておくけど、俺は目立ちたくないから細々とやってるだけであって、

まともに戦えばぶっちぎりで最強なんですよ?いやほんとですよ?あなた今俺のこと哀れだとか思ってません?

 

「ところが実際に戦ってみると大変なんだよな、これが。

負けないんだけど、勝てる気がしないっていう」

 

さりげなくフォローを入れてくれる我が親友。やはりお前は俺の気持ちを分かっている。

今の一言でHENTAIからHEROに昇格だ。

 

「ありゃ、そうなの美亜?」

「わ、私はまともにユキちゃんと戦ったコトないから…」

 

そうなんだぁ〜、あたしが前に一戦交えた時には様子見だけで何もしてこなかったから

サクッと仕留めちゃった気がするんだけどなぁ、と、いやに挑発的な茜の言。

 

…いいもんね。こないだ『茜は美亜と違って水の抵抗が無いから早く泳げそうでいいね』、って言ってやったもんね。

もちろんぶん殴られたけど。本当のことなのに。

 

「……目指してる人がいるんだよ。その人は強いのに、力をひけらかしたりしなかった」

 

呟いた俺の表情を、二人がじっと見つめる。……しまった、迂闊だった。

しかし茜だけは聞き取れなかったらしく、さっきと変わらぬ口調で

 

「それじゃあ今日はぜひともお相手願いたいなぁ、綾人ク〜ン?

あ、★ん★んが☆ん#でЭЯがは〓いからダメか」

 

……いくら温厚な俺でも、流石にここまでコケにされて黙っているわけにはいかない。

 

「期待のルーキー様直々にご指名頂けるとは光栄の極みですよ……受けて立とうじゃありませんかゴルァ」

「……決まったね。次の時間で勝負だ」

 

今度は空気抵抗が無いから早く走れそうでいいね、って言ってやろうと思ったけど、やめた。

 

そんなこととは知らず、茜はそうと決まれば善は急げねとか言いながら、増士センセを呼びつける。

何のつもりかと問いただすと、ただの訓練じゃつまらないわよねぇと悪魔のような笑みを浮かべて、

 

「先生、御前試合の許可を頂きたいのですが」

 

説明しよう。御前試合とはその名の通りみんなの見ている前で戦闘訓練を行う、いわゆる公開処刑だ。

講師の監督付きという名目の下でほとんどの制限が解除される、茜の大好きなルール御無用阿鼻叫喚の地獄バトル。

どちらかがぶっ倒れるまで戦う羽目になり、負けたら笑いものにされてしまう恐ろしい羞恥プレイ、もとい戦いである。

ちなみに俺は初めての実技教習の時、この御前試合で茜に負けて弱者のレッテルを貼られてしまった。

 

「ん・ん〜ん、いいね★」

 

芸術的なまでの肉体美を持つ増士先生が、白い歯を輝かせながら二つ返事を返してくれる。

増士先生いい人だけど、ことあるごとに肉体を露出するのはどうだろう。

 

先生がホイッスルを吹くと、各々勝手に活動していた生徒達がのろのろと集まってきた。

まばらだった人の波はやがて群れをつくり、運動場は部分的に騒がしさを増した。

……ていうかあのホイッスル、どこにいても聞こえてくるのは何故だろう。

 

 

誰かが御前試合をやると決まったら、他の生徒はその戦いを観戦するか適当に自習するかのどちらかを選べるが、

後者を選択する者はほとんどいない。

 

今回はさらにそれが顕著で、見学拒否者は一人もいない。

なんでかって…なんでだろ?みんなだるかったのかな?

 

 

20メートル近く間を空けて、俺と茜は対峙する。

無意味にも感じられるほど広い間合い。だが侮ってはいけない、それは計算づくでのこと。

ヤツは俺が接近してボコボコやるのが好きなことを知っているのだ。

しかし同時にヤツは知らない。俺はただ相手とギリギリのところで切った張ったするのが好きなだけであって、

実際には前衛型ではなくオールラウンダー型であることを。

 

…と、そんなもっともらしいことを言ってみたけど、やっぱりぶん殴りに行く気持ちは変わりません。

 

「いいのか、手加減しないぞ?」

「だいじょーぶだいじょーぶ、綾人君ごとき三秒で沈めてあげるから♪」

 

あの時は勝手が分からなくて酷い目に遭ったけど、今回はそうはいかない。

負けないように勝たないように加減して、引き分けに持ち込むなんて生温いこともしない。

 

「先生、そろそろ合図をお願いします」

「オゥケェイ★」

 

再び白い歯を輝かせながら、二つ返事を返してくれる増士先生。

 

「ん・んん・んん〜ん……」

 

そしておもむろに服を脱ぎ始める増士先生。

四月の太陽のもと、その輝かしいまでの肉体があらわになる。

 

「レッ…ディィィィィィ……ゴォォォォォォォォウッ・ん〜ん★!!!」

 

かくして俺と茜の因縁の対決は、増士先生の夢のようなマッスルポーズととびきりの笑顔で始まった。

 

 

開幕と同時に、俺は茜の元へと走り出した。俺は約束を守る男なのだ。

茜は美亜と違って胸も色気も無いから、オレのBIG‐BOSSがおおきくなってスムーズな走りを阻害されることもない。

まあそれはともかくとして、本来は戦いの型とか色々細かい決まりがあるけど、今回はそんなものはお構いなしで行く。

……これはただの訓練なんだ。誰も死なないし、誰も傷つかない。

 

「lusty! (引き裂く!)

 

一秒で20メートルの4分の3以上を一気に詰める。俺達の速度を常人のはかりにかけてはいけない。

ここにいる連中は生を受けてしまった時点でフツーの人間とは住む世界が違うのだ。

 

「そう来ると思った!!」

 

茜との距離は目測でおよそ3メートル。すぐにでも仕掛けられる間合い。

だが先駆けたのは茜だった。

 

「be light !! (光あれ!!)

 

短くそう言い放つと、突如として中空に現れる一条の光。

やがてそれは矢となり、ゆるい放物線を描きながらまっすぐ俺に襲い掛かる。

 

そこそこ優秀で、それでいてなかなかに激しい攻撃。

一月足らずの習熟で放つ技法としては満点を付けるに値するだろう。

 

しかし。

 

「……その程度でよく大口を叩けるな、お前」

 

俺はその光を右手でぱしんと打ち払った。

 

「え―――」

 

そのまま懐に踏み込み脇腹目がけて肘打ちを食らわす。

と、その一撃で茜が堕ちてしまい、因縁の勝負はあっさりと着いた。

 

 

 

………………………………。

 

おいおいおいおいおい。いくらなんでも、これはちょっと口程にも無さ過ぎるぞ。

なんていうか、拍子抜けした感とちょっとした罪悪感があるぞ、これは。

まあいいか、勝ちは勝ちだ。

 

「ふっ、口程にもない……」

 

そう呟いてかっこよく退場しようとしたが、立ち去ろうとする俺の前をクラスの野郎どもが壁となって遮った。

 

軽く説明すると、御前試合は授業時間終了まで行われるため、決着が早く着いてしまった場合は飛び入り参加もOKなのだ。

さらに勝利者が男だった場合、そこから派生してマッスルの宴が始まるのだ…!(増士先生の授業限定)

 

 

「んもー、ゆっきーったらー☆コーフンしてきちゃったじゃないかー☆☆」

 

亮の声。誰の口調を真似しているかは言わずもがな。本物にそっくりなのがすごく嫌だよ、亮。

だが案ずるな、俺たちに言葉は要らない。俺とお前でマッスルだ。

 

 

「宴じゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

おかーさま、ボクはあなたの見ていないところでこんなことやってます……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーいい汗かいたー」

 

でも結局順応している自分が怖い。

おかーさま、ボクはもう真人間には戻れそーもないです。

 

「んむ、なかなかアグレッシヴな時間だったな。

俺のとろけるようなマッスルを月のんにも見せたかったぜ」

 

でもなんか心が一気に干上がった気分なのは野郎にもまれた所為かしら。

とくに増士先生なんて凄かった。某マンガのキャラから譲り受けた必殺技の『ふくらむマッチョ』が激スゴイ。見惚れるほどマッスル。

あなたならきっと120%もいけるでしょう。あー誰か後腐れなく抱かせてくれる可愛い娘いないかなー。オンナノコ、ダイスキ。

 

 

 

保健室から教室に戻ると、

 

「あ、綾人っ!貴方一体何してくれたのよ!?」

「ユキちゃんすごかったんだよ、格好よかったんだよぉ〜」

 

癇癪を起こしながら美亜をぎゅうぎゅうと締め上げる茜と、死にそうになりながら目を細めてうっとりしている美亜がいた。

あれで一応話し合っていたようだが、どう見ても話が噛みあっていそうにない。

 

「あっかねちゃーん、抱かせろォォオラァァー!!」

「イ゛ヤ゛ァァァァー!!!」

 

そして俺達は服を脱ぎ、飢えた野獣のように茜に飛びかかった。

 

 

 

 

「はぁ、はぁ…こ、このケダモノどもが……」

 

果敢に挑みかかるも、セクハラに及ぶ前にネリチャギで沈められたボクたち。

ひびきあかねはわれらを上回る野獣でした。まあパンツバッチリ拝んでやったから、いっかー。

 

「ボーリョクハンターイ」

「ヒンニューイロケゼロー」

 

「黙らんかいっ!まったく、どうしてあんたたちはそう品性の欠片も無い行動しか取れないワケ!?」

「お前が気絶してる間に、色々と大変だったんだよー」

 

あの後、ついに始まった肉欲の宴では、迫る野郎どもをちぎっては投げちぎっては投げ、

興奮した増士先生がふくらみマッチョりながら乱入してきたのでそれも投げ、自分で言うのも何だけど、まさに一騎当千オレって感じだった。

 

「…というわけで、女に飢えていたんだ」

「なにが、『というわけ』ッ!?」

 

茜がどこかで聞いたことのあるようなセリフをずびしと言い放つ。

うるおいが欲しかったんだよ…。仕方なかったんだよ……。このさいお前でも良かったんだよ……!

 

「茜はー、まともにしてればー、いい女なのにー」

「うるさいわね、それはあんた達も同じでしょうが――って」

 

ふん、と顔を赤くしてそっぽを向く茜。

こいつはこうやって気が向いたときに不意打ちしてやると楽しいのだ。

 

 

 

 

 

―――ようやく昼飯の時間がやってきた。

学校で一番楽しいひとときって言ったら、やっぱりこれからの時間でしょう。

 

そんな上機嫌で鞄から弁当を取り出すと、教室中がざわりと殺気に包まれる。

俺はもう一度鞄に弁当をしまいこむと、そいつを持ってそろそろと部屋の外に向かう。

 

廊下に出た。

やっぱりクラスの男子が息をひそめてハァハァしながらこぞって俺の後についてくる。

………かわいくない。お前らじゃ美亜と違ってかわいくない。

 

「弁当を…ヨコセェェェェ………」

 

地の底から響くような声に追い立てられて、自然と足の運びも速くなる。

だが厄介な事にヤツらには俺を上回る知能がある。

 

「C班は二階側から回れ…二方向から同時攻撃を仕掛けるぞぉ……」

「イェー…ッサー……」

 

飢えに飢えた亡者どもが様々な策略を駆使してジリジリと俺を追い詰める。

……っつーか、リーダーはお前か!亮!!

 

「バカめぇぇ…!そっちは行き止まりだぁぁぁぁぁぁ!!」

 

俺は咄嗟に階段を駆け上がりハンターどもを屋上までおびき寄せると、眼下の中庭へと飛び降りた。

これでもう追って来れまい……と思ったらヤツラも俺に続いて次々と飛び降りて来た。

しまった…ここのヤツラは四階から飛び降りるぐらい朝飯前だった……。

 

 

 

「しぶといやつめぇぇ…いい加減に諦めろぉぉぉ……」

 

……ヤツラの追撃から身をかわしているうちに何だかんだで学校を一周してしまった。

だが俺には翼を休める所なんて無い…。教室に戻ったら戻ったで、(茜を筆頭とする)女子達が俺に牙を剥くだろう……。

くそう…どうすればいい……?

 

「よし…敵は当該ルートに入った……!ABCD包囲網の完成だ……!!

四方向から一斉に仕掛けるぞォォォォ…!!」

 

ダメだ…流石に四方から来られたら逃れようが無いぞ……。

仕方ない。素直に教室に戻ることにしますか……。

 

「なにィィィィ!?バカなァ!!みずから虎の巣に入り込もうというのかぁぁぁ!!!」

 

教室のドアに手を掛けると、亡者どもの驚愕と諦めの声が響き渡る。

かまわず扉を開けると……。

 

 

「あ・や・と・ク〜ン♪あたし達もお弁当分けて欲しいなぁ〜〜?」

 

予想通り、ひびきあかねがしたり顔で仁王立ちしていた。

 

 

 

 

「くそう、みんなで寄ってたかって俺のオカズ取っていきやがって……。

……つーか茜!お前取りすぎ!!」

 

いろんなヤツについばまれて半分以下まで減ってしまった俺の弁当箱から、

茜はなおも容赦なくニワトリさんを奪っていく。

 

「だってさー、綾人の料理ってめちゃくちゃ美味しいんだもん♪

代わりにあたしの肉団子あげたから、いいじゃん?」

 

ひとのから揚げをほお張りながら憎たらしいことを言う茜。

それにしても幸せそうな顔してやがる。作り手としてちょっと嬉しいぞチクショウ。

 

「いいじゃん?……じゃねー!冷凍食品なんか食えるかい!!

つーかその肉団子も亮にとられたわー!うがあー!!」

 

満たされぬ食欲のために猛り狂う俺の頭を、美亜がやさしくなでてくれる。

……なんか、やけに幸せそうな表情で。

 

「ユキちゃんの髪、ふわふわ…撫でてると、すごくしあわせなの……うふふふ」

 

……ダメだ。完全に異世界にトリップしてる。

 

「綾人ぉ〜、ニワトリさんもう一個頂戴ねえ〜♪」

 

とか言いつつも承諾を得る前からうちのトリさんを捕らえようとしていた意地汚い茜の箸を、弁当の蓋でガード。

……まったく、油断も隙も無い。

 

「待て。一口100円だ」

「高い!」

「じゃあ50円」

「うわ、いきなり半額?……まあいいわ、はい50円」

「まいど。……ていうか、普通一口に50円も出しますか?」

 

そりゃまあ、我が家のメイドさん秘伝のから揚げですけど。

 

「あーいいのいいの。一口単価で考えると高そうに思えるけど、味的に損して無いから」

 

…そうなのか?

 

「ああ、料理を口に運ぶ回数って実は結構少ないのよ?

フランス料理なんて、フルコースでも100回以下よ。それで2万3万取るんだから、いい商売よね、まったく」

 

「それは……」

 

それは茜の口が大きくて一口で常人の三倍は攻略できるからだろ、

と言いかけて止めた。危ない所だった。

 

「……それは?」

「それは…茜がメシ食うの早いだけじゃない?大体人がもの食うスピードなんて個人差があるだろ。

うちの母さんなんて口が小さいから飯食い終わるのに一時間近くかかる」

 

まあ……母さんが食事する姿はすごく優雅だから、つい見惚れたりするんだけど。

で、そんな俺を見て母さんも姉さんもスゲー嬉しそうに微笑んでるの。あー思い出すとなんかくやしい。

 

「へぇ…それはつまり、あたしの口がでかいから常人の三倍の速さでものを食える、と。

……そういうことかな?」

 

でもニュアンスはしっかり伝わってしまった。

 

「から揚げ追加でもう一個よこしやれぇー!」

「うわぁぁぁん!!これ以上搾取されたら飢え死にしてしまう〜!助けて美亜ぁぁ〜!!」

 

そのまま美亜に抱きつこうとして、驚いた。

……気付けば、美亜はぽろぽろと涙を流していた。

 

「美亜………どうかした?」

「……えっと…ね。こういう雰囲気、すごく…いいな……って」

 

突然のことに俺はどうしていいかわからず、茜に促されるまでただ呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

 

昼休みに、ちょっとした修羅場が発生した。

 

例の如く四人でダラダラとだべっていると、突然出てきた女子がその輪にずかずかと足を踏み入れてきた。

あのキツイけどそこそこ美人な顔には見覚えが……ありまくる。…誰だろう?

 

「綾人くんっ!!」

 

いきなり一喝される俺。……Why?

だがしかし、その声には聞き覚えがあった。華美な色彩や露出を嫌う、さも私は優等生ですと言わんばかりの服装にも。

 

「ああ……なんだ、誰かと思えば知夏か」

 

ヤツは世話焼き委員長な令嬢という微妙な混合属性を持つ園枝知夏(そのえちか)。

またの名を"エロ本スイーパーちかりん"(俺命名)。

 

「知夏ぁ…?」

「……え、え!?」

 

亮と美亜がほぼ同じタイミングですっとぼけた声を上げる。まぁ無理も無い。

 

「貴方また図書館に変な本を追いて行ったでしょう!?

進学したら更生するって言っておきながら大学生になってもちっとも進歩してないじゃないの!!」

 

エロ本の束を押し付けてキャンキャンわめくちかりん。

……うるさいやつだ。

 

「や、進歩してますよ。前より隠し場所巧妙だったでしょ?」

 

ちなみに隠し場所は幼児コーナー。

我ながらじつにナイスだと思うんだけど、どうだろう。

 

「ろくでもないところだけ発展させてどうするのよ!貴方があんな所にあんなモノを堂々と置いておくから

あの発禁本がいたいけな子供たちの目に触れてしまったのよ!?」

 

亮と美亜が机の上のエロ本を手に取って、パラパラと読み始めた。

その内容のあまりのハードさに、美亜は目を白黒させている。

 

「いいのいいの。性教育は早いうちからの方がいいの。

…ということで知夏にも一冊。はい、『淫乱人妻肉欲の宴』をどうぞ」

 

机から取り出したエロ本を知夏に手渡す。すると知夏は、よせば良いのにその場で熟読し始める。

目の前に本があるとつい条件反射で読んでしまうのが本の虫の悲しい性、らしい。

ほどなくして知夏はボンッ!と派手な音を立てて、顔を真っ赤にしながら猛り狂った。

 

「なんて不潔っ!信じられない!!もういいわ!!」

 

知夏は散々好き勝手わめいた挙げ句にどっか行ってしまった。

……『私の赤裸々路上拘束日記』は幼児には少々刺激が強すぎたかな。

 

「おーいゆっきー、誰よ今のしっかり美人はー?」

「さーねー?」

 

すかさず亮が問いかけてくるが、エロ本のほうに熱中してるっぽかったので適当にしらばくれておく。

が、流石に美亜をやり過ごすのは不可能っぽかった。心なしか黒いオーラ出てるし。

 

「あの人、確か学園祭の時にもいたよね。

…ね、ユキちゃん。彼女とは一体どういう関係なのかな?」

 

……美亜、怖い。顔は笑ってるけど声が笑ってない。

 

「ハイ。ヤツの名は園枝知夏。お察しのトオリ、ヤツはワタシの高校の元同級生デス。

図書室でのエロ本隠しがバレて以来、なにかと口うるさく注意してきやがりマス」

 

恐怖のあまり思わずロボ口調になる。

 

「…綺麗な人だよね。凛々しいし。……彼女、ユキちゃんのこと好きなんじゃないかな」

「やめてくれよー、ああゆうのタイプじゃないんだよ。それにあいつが俺に気があるわけないって」

 

「どうしてそう言い切れるの?」

 

さらに問い詰める。

口調は穏やかだが、くってかかるような迫力がある。

 

「……俺さ、昔、告られたことがあるんだよ、あいつに」

 

「え……」

 

美亜の動きが止まる。

すかさず振ったことを伝える。

 

「けんもほろろ、って言うのかな。その時に再起不能になるくらい厳しい振り方したからさ。

多分、もう誰かに対する恋愛感情なんて芽生えないよ、あいつには。……これから先も、ずうっと」

 

そう、なんだ……と、曖昧な返事を返す美亜。

俺の言葉に安堵している自分を恥じるような、複雑な表情で。

茜のほうは一切口を挟もうとせず、腕を組みながら終始難しそうな顔をしていた。

 

「むほっ!こりゃすげぇぜ相棒!!たまらん食い込みだ!!」

 

亮はエロ本に夢中だった。

 

 

 

 

 

 

 

美亜の仕草は小動物みたいなところがある(これ萌え要素としてすごく大事)。

今朝のようにヒヨコだったり、不機嫌な時は猫だったりと、時と場合によってその印象は様々に変わる。

 

で、今の美亜はウサギ+イヌ。

あの、さみしいと死にます。っていう迷惑な生き物と、舌出してハァハァしてるヤツ。

 

……ごめんね、表現酷いね。特にイヌ好きには申し訳ないと思っているよ。うん。

だけど仕方が無いの、これ書いてる人犬嫌いだから。

 

さて。俺達は全員帰宅部っていうか帰宅サークル?なので、放課後になると速攻でお家に帰る。

そのままだと全員バラバラに帰りかねない俺たちを纏め上げるのが、美亜。

 

「みんな〜、帰ろ帰ろ〜……あれ、茜ちゃんは?」

「ボクシングジム。今日から特訓だって言って真っ先に教室を飛び出してったよ」

「すごかったよなー。赤いパ〜ンツを見た牛さんみたいだったぜー?

もし俺が赤トラ穿いてたら、パンツまるごと八つ裂きにされてそうでドッキリドキ♪ あー、ベッドの上でのロデオなら大歓迎なんだけどなー」

 

…などと軽口を叩く亮だが、あの勢いは本当にすごかった。昼間に俺にのされたのがそんなに悔しかったのだろうか。

亮曰く、茜は一つの事に熱中すると他のものが一切見えなくなるタイプだそうが、まさにその通りだった。

 

しかし、入学してたった一ヶ月でクラスメイトの性格を見抜くとは…。

恐るべきは鳴海亮の鑑識眼ですね……。

 

「…そっか。じゃあ亮君、ユキちゃん、一緒に帰ろ〜」

「おう悪いねぇ、俺様はちと用事があるんでね、チミらと一緒には帰れないのだよ」

「…ええ、亮君まで!?何の用事なの?」

「へへ、明日からGWだろ?月のんが帰国するってんで、空港まで迎えに行くことになったワケですよ」

 

月のん…月乃恵さんのことか。

 

月乃さんは亮が通ってた高校のクラスメイトで、亮の良き友人でもある。

可愛いぞー可愛いぞー大和撫子だぞーと亮がしきりに自慢してたんでどれほどのものかと思い、春休みにみんなで映画に誘ってみた。

実際に会ってみると大和撫子とはちょっと違う感じだったけど、でもすごく可愛いくていい娘だった。

そういえば彼女、イギリスに留学してるっていう話だったな。

 

つーかそのカッコで行くのか?

……なんて訊ねる気はもうとっくに失せました。こいつ、家ではもっととんでもない格好してるらしいしね。

本人曰く、休みの日に廊下で瑞希ちゃんとばったり出くわした時、いきなりアッパーを喰らわせられことがあると言う。

「もう男のヒトが信じられません……」と語る彼女の顔は怒りと絶望に満ちていた、とか何とか。

 

こんなヤツの妹に生まれてしまった彼女をつくづく不憫に思う。

亮ってば常人とは頭の構造自体が違ってそうなくらいの天才なのに、やることは俺と一緒なんだよねぇ……。

 

「……でも何でお前が迎えに行くの?単なるクラスメイトじゃなかったのか?」

「さあ?とりあえず頼まれたんだから行かないワケにゃいきませんよ。

まあ、月のんの家の人みんな忙しいし、お迎えがいないってのもやっぱり寂しいじゃん?

そこで、いつもヒマしてる俺の出番だと思うんですが、どーよ?」

 

……ああ、そーいうことですか。

鈍いなあ、コイツ。

 

「向こうには軟派なやつが多いから気をつけろ〜って言ったら、『心に決めた人がいるから大丈夫…』

だってー。誰だか知らんけど、愛されてるねぇ!むっはっは!!」

 

不憫なやつ…。

 

「じゃ、いいGWを」

「おう。ま、どーせ暇だから例の如くお前ん家に泊まりに行くと思うけどな」

 

お互いそこそこに挨拶してテキトーに手を振る。

こういうアバウトな関係が成り立つのも昔馴染みのいいところだ。

 

「ユキ…ちゃん……」

 

……と。美亜が心傷れた乙女のような表情で、じっとこちらを見つめている。

その潤んだ目が『ユキちゃんだけは私を一人にしないよね?』と告げている。

 

実は俺も用事があるんだけど……なんて、言い出せねぇよ………そんな目で俺を見るなよ…………。

 

「ユキちゃんユキちゃん、一緒に帰ろっ♪」

 

と思ったらいきなり元気一杯にしがみついてくる。

なんつー変わり身の速さか……。

 

「ユキちゃんて連呼するな。今日用事あるから、先に帰ってて」

「うん。レーデのいつもの席で待ってるね♪」

 

たったかたー、と一昔前の擬音が似合いそうな小走りで、美亜は教室を出て行ってしまった。

…話を聞け、話を。

 

 

まあでも、美亜はこうして無自覚にみんなを繋ぎ、衝突を和らげてくれているわけだ。

…ちょうど、異世界の人みたいに。

 

 

 

 

 

 

「『―――我々は自分の身を守るために物事を忘れてゆくのだが、現実にはそのせいで身を滅ぼすことが殆どだ。

……また、実生活で忘却を必要とするほど致命的な――トラウマを生み出すほどのショックを受けることはまず有り得ない。

……人間の忘却機能と個人に途方も無い事象を記録させようとする社会の有り方。

人体機能と社会は人が人である以上、どちらも必要不可欠かつ絶対に変更出来ない、未来永劫受け継がれ続いてゆくものだ。

……忘却による自滅は、人の持つ生体機能に反する社会を築いてしまったがゆえに生まれた、永遠に払拭不可な矛盾なのである――――』」

 

 

毎週金曜日、図書館で行われる雑読会……早い話が本の読み聞かせだ。

俺は今、そいつに参加している。

 

この会に参加することになったきっかけは単純不純。

エロ本隠蔽のために図書館を訪れた時、司書さんの話を偶然立ち聞きしたのが始まりだ。

かなり難しい本を砕いて説明してくれるところが気に入って、一回目から一度も欠かさず通っている。

 

「この論述のポイントは、忘却をある種の疾患として捉えているところにあります。

確かに我々が実生活において忘却を必要とする場合など殆ど存在しません。

社会が私達に求め、そして私達が必要としているものは経験・若しくは追体験したあらゆる事象を確実に記憶でき、

不要な事物を選択して消去…忘却する事の出来る機械のような都合の良い脳です」

 

 

機械のような脳……か。

 

確かに現代社会は、俺たちに無茶なことを求めている。

教科書に載っている知識を暗記して、一体何になるのか。

小説のほんの数ページをよどみなく記憶することがどれほど難しいことか。

方程式だって漢文だって実際の生活では使わないし、仮に必要になったとしても教科書のページを開けばそれですべて済む。

 

この幾何学的な勉強を続けさせた果てには、一体何が実ると思っているんだろう。

何世代も何世代も重ねれば、あるいは本当に機械のメモリーと全く変わらない脳へと進化するかもしれない。

もしかしたら、その進化した脳を持つ子供たちを造り上げることがお偉いさん方の狙いなのだろうか。

 

どちらにせよ、俺はこの国の害虫みたいな老人達に使われてやるほど安くない。

せいぜい踏み台として都合よく利用させてもらう。カンオケ入り間近の老人達の役目など、その程度だ。

 

―――往崎の家系は人を踏み躙って生きてる人間の中でも特に群を抜いている。

他人を踏み躙るってのは誰でもすることだけど、俺や姉さんはそれを才能まで昇華させている。

だから、特別。特別にぶっ壊れてる。

 

…………はぁ、いかんな。疲れてると、思考に境界がなくなる。

どうも…こう、難しい事考えたりしてしまうと、根っこの方に植え付けられたモノが表層化してしまう時があるのだ。

 

「貴方でも、まともな顔をするときもあるのね」

 

隣で椅子に座っている知夏が、俺の顔を覗き込みながら何か言ってくる。

人が年中腑抜けているとでも思っていやがったのか、こいつは。

 

ほんの一瞬、知夏に一瞥をくれる。

知夏が着ているダークグレーのロングスカートにライトブラウンのテーラードジャケット。

あいつのお気に入りの組み合わせであり、俺があいつのためにわざわざ服飾店で選んでやったものでもある。

こういう落ち着いた色合いは同系統で固めれば大人っぽく見せる事が出来る反面、

地が良くなければ似合わないし、だからこそ自分に自信が無いと着こなせない服装だ。

―――しかし、元は男子と話すのも怖い内気眼鏡っ子だったくせに、ちょっといじっただけでここまで変わるとは思ってもみなんだ。

 

「……いつまで見てるつもりだ?」

「あ、え…その……、、ご、ごめんなさい……」

 

指摘されてようやく顔を逸らす知夏。

結局、こいつも同じだ。

 

「っ……私は………」

 

何か言いたげな顔をしていたが、結局、知夏がそれを口にする事はなかった。

雑音が消えると、物事に集中するのに丁度いい静寂が戻ってきた。

 

司書さんの考察は特に重要と思われる部分のみに絞って行われるが、それでも要する時間は短くない。

窓ガラスから薄い夕陽が差し始めた頃、大人の読み聞かせ会は閉館とともに終了した。

俺は弁当箱以外入っていないバッグを手に、席を立つ。

 

 

「……綾人君。少し、時間……いいかしら?」

 

去り際に、知夏に呼び止められた。

 

 

 

 

 

 

――――知夏と別れた後、校門のあたりで一年生の統括担任に出会った。

俺は速攻で逃げ出した。

 

「待て待て待て!」

 

ザコキャラの分際で生意気にも俺を呼び止める一年統括担任の……担任の………う〜ん、マジで名前わかんないぞ。

物語的には通行人Aみたいなヤツなので、名前どころか存在を描写することすらめんどくさい。

つーわけで全描写を割愛させていただいた。

 

「―――ああ、往崎。最近街で起きている猟奇殺人事件のことは聞いているか?」

 

「いいえ初耳ですさようなら」

「こらこらこら!フラグが成立せんだろうが」

 

逃げ出そうとするとがっしりと肩を掴まれる。ザコキャラの分際で気安く俺に(略)。

だがフラグ不成立によって物語が進行しなくなると永遠にコイツと戯れる羽目になる。それだけはイヤだ。

仕方なくイベントを進めることにする。

 

「…知っていますよ」

 

この人の講座も一応受けてはいるが、正直、微妙だ。

何故か速攻で顔を憶えられて以来、意味も無く話しかけられてちょいと辟易してる。

 

「比良坂の顔狩り事件ですね。学生達の間で噂になってます。

死者13名、目撃者生存者ともになし。死体はどれも首から上が粉微塵になってたそうですね」

 

それから俺は、自分の知ってることを包み隠さず話す。

……と、教師はそ、そうか…とか言いながら頭を抱えた。学生達の情報の速さに面食らってるようだ。

 

「13人も殺られたんですから、当然犯人の目星くらい付いてるんですよね?」

「……分からん。だが死体の異常な状態から犯人は能力者、それも相当強力な使い手だと思われる」

 

…ダメじゃん。超役立たずだ。

おまけに犯人は能力者で強力な使い手って、ンなこととっくにわかってるわい。

 

「いいか、妙な気を起こすんじゃないぞ。いくらお前たちが強くとも、相手はさらにその上を行く化け物だ。

手出しは絶対に禁物だ。…それと常々言っていることだが、くれぐれも一般人の前で力を使うなよ?」

 

当然の如く釘を刺される。……もし見られた場合は?

…なんて、質問する気にもなれない。

 

―――返ってくる答えは決まりきっているんだから。

 

 

 

 

 

夕暮れ時の街を歩いていると、何だか妙に切ない気分になってくる。

斜陽とか黄昏とか、夕暮れに関係する言葉には終焉を意味するものが多い。

そういった言葉はきっと、陽が落ちる間近のこの形容できない切なさから来ているんだろうなぁ……となんとなく思った。

 

ふと立ち止まり、空を仰ぎ見る。

陽がすべて沈みきるまでに、あと数分かかるかどうか…といったところだろうか。

 

見上げた空は、ガラスのような半透明の膜に覆われている。

この三次東京は天球状のドーム型都市だ。

 

日本は奇蹟とも思われた四度目の発展を遂げ、現在の地球上で最も栄えている国となった。

多くの企業による努力の結果である第四次産業発展を誰かひとえのものにする事は出来ないけれど、

国民の多くは鷹場首相の働きによるものが大きかったと認識している。

事実、彼が首相の任に就いていた十年の間にこの国は目覚しい発展を遂げた。

この新東京都をあらゆる災害から守る天蓋も、俺が小さい頃は存在していなかった。

 

で、鷹場首相が政界を去った後、首相の座に腰を据えたのが灰金(はいがね)というジジイ。

コレがとんでもない愚物で、戦争を奨励するような政策を施行しようとして躍起になっている。

それを受けて、民衆の間では引退した首相をもう一度引っ張ってこようと言う声が高まっているのが現状だ。

この国は、老人の懐古主義に付き合っている暇なんて無いというのに。

 

……そういえば、美亜を待たせているんだった。

 

のんきに政治のことなんか考えてる場合じゃない。

今の俺にはこの国の動向なんぞより美亜の機嫌の方が大事だ。

 

そんなわけで、俺は心持ち急ぎながら美亜の待つ『レーデンブルー』を目指す。

とはいえ、まともに向かったら20分くらいかかりそうなので、近道を通る事にする。

 

 

 

人込みから抜け出して、狭い路地裏に潜り込む。

ほぼ隙間無く敷き詰められたビルとビル、建物と建物の隙間がそのまま道になったものだ。

 

ここには季節が無い。春の暖かさも、夏の緑も。秋の紅葉も、冬の白さも一切無く。

代わりに年中嫌な匂いの風が吹く。……だから、あまり好きじゃない。

おまけに道の脇にはべっこう色のギトギトした物体とかスライムっぽい光沢を放つ直方体とか、

正体不明な謎の物体がわんさか廃棄されていてちょっとドキドキする。

 

この路の途中には、懐かしいあの廃ビルがある。

不思議な事にあそこだけは、ここに立ち込めているような嫌な匂いがしない。

 

―――不意に。幼い頃、この路地を巡った日々を思い出す。

姉さんの話を聞いて、姉さんが会ったという二人に、俺も会いたくなった。

それからずーっとここに通い続けて、ようやく会えた時には涙が出るほど嬉しかった。

 

まるで拒絶するということを知らないかのように、彼女はありとあらゆるものを赦し、ただひたすらに受け入れた。

彼女は、その名に違わぬ聖母のような女性だった。

 

なんか…すごく懐かしいな。

あれからもう、十年も経つのか……。

 

……二人とも、元気にしているといいんだけど。

 

 

 

「………」

 

路地裏のちょうど中間地点となる、廃ビルの真ん前。

俺の行く手を遮るように、黒いロングコートの男性が立っていた。

 

普通ならばウホッ、ええ男!とか言ってるところだが、今はちと状況が違った。

…俺は急いでいるんだ。

 

「……こーんばーんわー」

 

コンタクトを試みる。

が、反応は無い。

 

「……退いてもらえませんか、そこ」

 

やはり反応は無い。

男は顔をしかめながら、路地裏の寝腐った風を浴びている。

 

辺りを見回してみる。

ここは基本的に一本道であり、途中にある脇道はすべて途中で袋小路になっている。

 

素敵なことに、あの廃ビルは自分より背の高いビルや建物(それらはすべて6時前には無人になる)に囲まれて死角になっている。

中は勿論のこと、その周囲で起きた騒ぎさえも誰かに気取られるということはほとんど無い。

……つまり、何か荒事を起こすには格好の場所なのだ。

 

「……俺は気が短いんですよ?」

 

この男、ただそこにたたずんでいるように見えて、隙が全く無い。

これは明らかに俺と事を構えようというサインだ。

何で一戦交えようというのか、その理由はさっぱりわからないけれど。

 

「……やるってんなら、容赦はしない」

 

言い捨てて、足元に転がっている空き缶を蹴り上げた。

それがコンクリートに接触した瞬間、俺は男へ向かって走り出していた。

 

 

――――武道には基本の型がある。

それと同様に、能力者同士の戦いにも型というものがある。

 

戦いの型は、大きく分けて2つ。

接近して直接攻撃を行う前衛型と、遠距離から能力放出や飛び道具を駆使して戦う後衛型。

基本的に体力に自信のない者、特に女性が後衛型を選択する場合が多い。

 

前衛方は前衛方で細かくタイプが分かれていて、近接格闘型、中距離攻撃型、後衛防御型などがあり、

そこから更にどのような武器を使うか、また、どのような戦術を用いるかによってタイプは無数に細分化していく。

 

…しかし、これだけのことを学んでおきながら、それを活用する機会が全く無いなんて、持ち腐れもいいトコだ。

力は自由に使ってこその力だ。使えない力なんて、あってないようなもんじゃないか。

 

……まあ、そんな愚痴はいいとして。

これは俺の勘だが、あの男は多分例外的に後衛型だろう。

その証拠に、俺がこんなに近づいてるのに相手は身動き一つしないんだから。

 

「pierce ! (穿つ!)

 

挨拶の拳をみぞおちにねじ込む。が、手応えが無い。

代わりに返って来た右肩へのダイレクトなカウンターを紙一重でかわし、距離を取る。

 

……おかしい。今のは完璧に入っていた。。

拳を繰り出してから命中するまでの一部始終をこの目で見ていたから、かわす隙なんて皆無だ。

…この男、妙な能力を持っているとしか考えられない。

 

「一撃で仕留める事に失敗したら、即座に距離を取るか。……なるほど、いい傾向だ」

 

まるで中空にある見えない何かを掴むように、

男は右手をすっと前方に突き出したまま、ゆっくりと俺に近づいてくる。

 

「先程見せた初撃もいい。加速の勢いに乗じ、急所へ向けてほんの少し拳を突き出すだけで攻撃動作は十分。

行動にかかる制約も少なく、尚且つ次の行動に手早く移ることが出来る。

的確に人体の急所を突き一撃で勝負を決め、体力を温存する一撃必殺・一撃離脱型か。……よく考えているな」

 

一歩、また一歩と。

小難しいご講釈を並べながら、亀以上に緩慢な速度でゆっくりと差し迫ってくる。

 

「っ…」

 

思わず後退る。

……何故だろう、とても不安だ。

あの手が触れる瞬間に、俺は一体どうなっているのか……。

あの男、何がしたいんだ…?

敵に塩を送るような真似をして、一体何が目的なんだ……?

 

「だが、そのどれもが多人数を相手にするための戦法だ。

一対一の場合はこちらの方が有利だということを、しっかりと憶えておけ」

 

そう言うと、男はさらにはっきりと、こちらに向かって手を突き出した。

 

「え……?」

 

一瞬の後、男は、既に俺の目の前にいた。

困惑する俺を尻目に、男は容赦なく短剣を振り下ろしてくる。

 

「く…っ!」

 

咄嗟にナイフを引き抜き応戦する。

AS…アサインメントの学生は全員このナイフの携行を義務付けられている。

 

裏を返せば、これを抜くことは自分の身元を明かすことに繋がる。

 

「そのナイフ…ASの生徒か。成る程、道理でいい腕をしている訳だな。

しかし自分から素性を明かしてしまうようでは、まだまだだぞ」

 

予想はしていたけれど、やっぱり速攻で正体がばれる。一体何者なんだこの男はっ!

でもそんなことはどうでもいい。細かいことをうだうだ考えていて勝てるような相手じゃない。

 

「俺は弱いから、なりふり構ってる場合じゃないんだ」

 

襲い来る男の斬撃に合わせて、俺はもう一度ナイフを振り上げる。

金属同士の擦れる鋭い音。鋼と鋼の激突が鮮烈な火花を撒き散らす。

 

「そうでもない…君は強い。そして君は非凡だ。君は、君自身の認識よりも遥かに非凡な存在だ。

非凡が平凡である世界を生きているから己の非凡さに気付かない…それだけのことだ」

 

斬り合いの最中に放たれた言葉。非凡、非凡、非凡……。

その言葉の連続が強者の余裕のように感じられて、何だか無性に腹が立った。

 

「貴方の口からではどんな賛辞も説得力が無い…!」

 

よく言われる、と苦笑する男。

態度ではそんな余裕を見せながらも、放たれる斬撃には一切の容赦がなかった。

 

このナイフ、実はなまくらだ。相手の攻撃を受け止めるためのものだから硬いコトは硬いが、刃が激鈍い。

それはもうペーパーナイフ並みの弱っちい切れ味を誇っている。

でもって、相手の持ってるのはとてもステキに良く切れる。たまに刃がニヒルにギラついてドキドキしちゃう。

 

……冗談言ってる場合じゃない。このままでは埒が明かない。

やむなく後ろに三度ほど飛び退いて、もう一度距離を取った。

しかし、男は相変わらず目の前にいる。

 

「は…?」

 

結構な距離を取ったはずなのに。

顔を上げたら、目の前に、いる。

 

おまけにこっちは息つく暇も無いってのに、向こうは平然と短剣を振り下ろしてくる。

斬り刻む意思を剥き出しにした光。鋼による銀色の軌跡が綺麗に垂直線を描きながら切迫する。

反応間に合わない。殺られる、殺られる、殺られる、殺られる。

 

―――そこで試しに、手を後ろに回してみた。

 

「む……」

 

短剣は空を切り、男はそれに引っ張られるようにバランスを崩して微妙につんのめる。

その間に俺は態勢を整えて、素早く男の背後に回りこむ。

 

……やっぱり。

どういうわけか、さっきからずっとピンポイントで手の甲を狙っている。

もしかしたらこの男、俺を殺す気が無いのか?

 

でも、これでやっと判った。あの男の能力は対象を自分のもとに引き寄せるものだ。

対象が人間限定か、物質にも有効なのかはまだちょっとわからないが。

この能力の厄介な所は、対象に引き寄せられたという自覚を与えないところだ。

これは相当なプレッシャーだ。なにせ、気がついたら目と鼻の先にあの男がいるんだ。避けようがない。

もし視界内を可愛い女の子が通りでもしたら、すぐさま一本釣り&ドキワクエロティックタイムの始まりだ。

 

ただこの能力、厄介ではある(そして羨ましくもある)がタネさえわかれば対処は簡単だ。

どんなに距離を取ってもあの男の前では意味が無い。ではどうすればいいか?

答えは簡単だ。近寄ってぶちのめせばいい。

不可避ならばこちらから出迎えに行ってやればいいだけの話。

 

十分な反動距離を確保する為に、いったん退いて、そこから勢いをつけて一気に飛びかかる。

一つ覚えと言われようが何だろうが、近付きさえすればどうにかなる。

…と思ったがしかし無計画に近づいた報いか、飛んできた男の後ろ回し蹴りを見事に喰らい、後方へと吹き飛んだ。

何メートルかお空を飛んだあとみっともない格好で地面に墜落し、背中を激しく打ち付ける。

 

 

「ぐ―――ぁ」

 

 

喉の奥からこみ上げてくる嘔吐感と一緒に、突如全身をかけめぐる違和感。

それは良くない予感のように、一瞬で全身を駆けめぐり、俺という俺を支配していく。

 

お母さんは、ボクをクスリ漬けにして喜んでる。

 

この衝動……まるで魔が差すかのように、日常でも極々稀に襲い掛かることがある。

例えるなら、自分の中から何かが飛び出してくるような感覚。

ぞっとする…でも不快じゃない。これを解放すれば、あの男にも勝てるという確信がある。

 

―――ただ、それではまた母さんが泣いてしまう。

母さんが泣けば姉さんが泣く。俺はふたりを慰めなければならないのに、慰める事が出来ない。

 

……だって、俺が二人を泣かせるんだから。

 

「―――ふんっ!」

 

誘惑を何とか振り切り、根性で立ち上がる。ついでにさっきの衝撃でぶっ壊れた携帯電話を不法投棄。

こすれた背中がひりひりしてすごく熱い。夜のコンクリートは冷たいうえにブツブツで、おろし金みたいだ。

あー、誰か可愛い子になでなでしてもらいたい。あとで美亜に頼もう。

 

 

「ふむ……まだ押しが足りないか」

 

男が顎に手を当てて逡巡する。

何を考えてるかは知らんが、どーせ良くないことに決まってる。

 

 

「……貴方は、力を堂々と使うんだな」

「当然だ。使えない力に何の意味がある?」

 

―――それは、俺も常々考えていた事だった。

どんなに優れた道具も、使えないんじゃ持ってないのと同じ事だ。

 

「後悔は…ないのか?」

 

「無いとは言えん。だが、さしたる問題ではない。選択・決定・取捨……何をしようが付きまとう、それが後悔というものだ。

それが後付けの感情である以上、どんなものにも付着する。逃れる術は皆無だ」

 

…ああ、この人の言うとおりだ。

どんな道を選んでも、後悔するのが人間なんだ。

 

たとえ八割の成功を収めても、満足できないんだ。……人間は欲深いから。

止せばいいのに二割の失敗にケチを付けて、十割の成功を収められたはずだと嘆く。

どうして八割方というこのうえない結果に納得できないのか。

もしかしたら一割の成功も収められなかったかもしれないと考えはしないのか。

そんな欲深い思想を積み重ねて、往崎は限りなく10に近い9のみを生み出せる血統を手に入れた。

 

「…………俺は…俺の力を……どうすれば」

 

――――同時に。

俺が、姉さんが、生み出す結果は確実に99%であり、絶対に100%に到達する事が出来ない。

限りなく極限に近く、絶対に究極には辿り着くことが出来ない血。

 

「そうだな………見せておこうか。

これは領域から武器を取り出すための技術だ。君にもいずれ必要になる力だ。目に焼き付けておくといい」

 

今、この人は『領域』から武器を取り出す、と言った。

 

すべての人の心は奥底で繋がっているという説がある。

領域とはいわばその心の深奥、『人という種族全体で共有する心象風景』のことだ。

 

領域は、人々の想念が集まる空間。

そこは人々のイメージを象徴する霧と純粋な魔力が漂うだけの、なにもない空間だと学んだ。

 

そこではしばしば武器が生まれる。

膨大な魔力に編み上げられた各個人の妄想が、存在し得ない武器となる。

武器という形を取るのは、人の想念というものが例外なく他人を傷つけるものだからだろうか。

……ともあれ、能力者ならば誰もが領域からそれらの武器を取り出して現世に持ち込むことができる。らしい。

 

その、実演。

決して安売りできるような技術ではないのに、どうしてか。

 

「With liabled in blank are penetrater,that's unavoidable roar,

(空白に処されしは『貫くもの』 その軌跡は矢が如く 何人も逃るること叶わじ)

be killing are universally,there is The Orgin of naughty,―――『Arcyel』

(刻み付けて死ね 開闢の魔槍―――『アルシエル』)

 

世界の壁を希釈し、固有のイメージを手繰り寄せるための言葉。

その詠唱は恐ろしく長く複雑で、しかし一瞬だった。

だが次の瞬間。周囲を包む空気が、これ以上無いくらい変質していた。

 

野太い針のような悪寒が、背筋を貫く。

彼の右手から生じた、紫黒にゆらめく長槍。

それを目にした瞬間に例えようもなく絶望的な予感がした。

 

アレは、本来この世に存在するはずの無いモノ。

概念世界から引きずり出した、実体を伴う想像の槍。形を持った幻想。

 

このままでは、死ぬ。いとも簡単に殺される。

 

コワしたい衝動。。。むせかえるような、、くすりのニオイ。

おかあさんのなか。おもいだす、、、おぼれかけたときのこと。

 

……またか。

今日は多いな、しかし。

 

自分でも得体の知れないチカラに、安易に身を寄せるのはどうかと思う。

だけど、どうせ殺られるんだったら最後にひと暴れくらいはしたい、と思っている自分もいる。

それに、人間やめますか自分やめますかとと聞かれて人間やめますと即答した俺だ。

実際問題ちょっとくらい人間じゃなくなったって別にいーやと思ったりする。

 

「……うん」

 

この人のこと、ちょっと気に入りかけてたけど…しょうがない。

殺すか。

 

……俺、やっぱり死ぬより殺すほうがスキだ。

 

「don't be afraid―――

(恐れるな―――)

 

呟くのは呪文ではなく、心を奮い立たせる自己暗示。

 

眼を閉じることで目前に広がる、己の内なる三千世界。

まるで糸を引くように、そこにある無数の光を手繰り寄せてゆく―――。

 

 

 

 

―――その子を、殺しては駄目よ

 

 

 

背中のあたりに優しげな声を受けて、振り返る。

この場から発せられるはずの無い、静かで女性的な声だった。

 

「―――今晩は、可愛い坊や」

 

ぱっと見でも三階建て並の高さはあろうという廃屋の屋根から、黒い服を着た女性がこちらを見下ろしていた。

……その背には、着衣とは対照的な真白い翼が宿っている。

 

「あら…驚かないのね、ボク?」

「……ええ、まあ」

 

女性が成る程、と一人で納得してくすりと笑う。

そして彼女は純白の翼をはためかせ、男のそばに舞い降りた。

 

「水を差すようで申し訳ないけれど、そろそろ時間よ。

……その子に対してそれ以上の危害を加える必要も、もう無いでしょう?」

 

気に入った相手を殺したがるのは、貴方の悪い癖ね……と、女性は微笑みながらとんでもなく怖いことを言う。

 

「……そうだな」

 

今度は口元に手を当てて残念そうね、と微笑む女性。

そのしぐさは全くもって自然で、無駄が無い。

 

「……貴方の名は?」

 

別れ際になってようやく男の名前を聞いていなかったことに気が付いた。

さっきまでのコトを水に流す意味も込めて、俺は彼に名を尋ねた。

 

「……紀更堂千(きさらどうせん)」

 

知人からはキサラと呼ばれている、と苦笑しながら付け足す。

 

 

「俺は……」

「……あら、私には聞いてくれないのかしら?」

 

こちらも名を名乗ろうとすると、女性が突然会話に割って入ってくる。

妙なタイミングだったので、困惑してあー、うー、と曖昧な返事を返してしまう。

 

「ふふ、ごめんなさい。間が悪かったわね。

私は葉桐彼方(はぎりかなた)。一応彼の恋人のつもりよ」

 

おかしな名前なのは私の家系がイギリスかぶれの日本人だからなの、と言いながら上品に笑うカナタさん。

 

 

「カナタ……さん?ちょっと、失礼します」

「あら、あらあら……?」

 

近寄って、身体を触る……よかった、ちゃんとある。

この人、基本的に身体白いうえに黒い服を着ているせいで、遠くから見ると身体の部分だけがぽっかりと抜け落ちているように見えて怖かった。

だから、こうして実際に触ってみて、しっかりした感触が返ってくる事に安堵しているのだ。

 

同時に、彼女は『あの人』では無いことが分った。

……あの人は、本当に身体が欠けていたから。

 

「……手袋を付けたまま触れるのは、逆に女性に失礼というものよ、坊や?」

 

すらりとした美人な指で、ほっぺたをぷにぷにと突付かれる。

髪の毛は黒いのに、眼の色は蒼。なるほど、イギリスかぶれの日本人とはこういうことか。

前にもどこかでこんな人を見かけたような気がする。その人も確か女の人だった。

 

女性は俺を見下ろしながら微笑んでいる。ほんのりと姉さんに似ている気がしないでもない。

背は俺のほうが高いけれど、ブーツの高さと総合すると女性のほうが若干俺より目線が上だ。

そばにいると女性の髪と身体から、それぞれ異なるいい香りが漂ってくる。

時折漏れる微かな吐息が艶かしい。身体の線もはっきりとしていて肉感的だ。間近で見るとすごく良くわかる。

 

「……」

 

俺の股間のワイルドアームズが(以下略)。

食べたい食べたい、このひとつまみ食いしたい!寝取りたーい!!

 

「―――あらあら、大変そうね。それでは動くのも辛いでしょう…?」

 

彼女は普段と変わらない自然さで俺の下半身に向けてすうっと手を伸ばすと、

俺のてのひらに自分のてのひらを重ね、手袋の上から軽い握手を済ませる。

その思わせぶりな動きに、ついドキドキしてしまう。おいおい、らしくないぞ、俺。

 

「さ、貴方のお名前を教えてもらおうかしら」

「……綾人。往崎綾人です」

 

カナタさんはまるで不意を突かれたかのようにぱっちりと瞳を見開き、何か思考するような表情を見せる。

だけどそれも一瞬のこと、すぐにまた淑女の笑みを浮かべて、いい名前ね、と社交辞令。

 

「―――時間が押しているのだろう?」

「ふふ、せっかちね…もしかして妬いてくれているのかしら……?」

 

そういうことにしておいてもらおうか、と不敵に笑うキサラさん。

なんていうか……、似合いのカップルだと思う。だからこそ寝取りたくもなるんだけど(死)。

でも人のモノは取らないのが俺のポリシーだから、我慢我慢。

 

「では…また会おう、綾人。色好い返事を期待している」

 

これから恋人同士のイチャイチャが始まるのかなーなんて期待していたけど、この人に限ってはそんなことも無く。

その背に黒い翼を生じさせると、彼はどこかへ飛び去ってしまった。

 

「あらあら、あの人ったら……。それじゃあ、私も帰るとしましょうか。

ふふ…また会いましょう、綾人クン」

 

カナタさんもやはり同じように、翼を広げて遠くへ飛んで行った。

ひとり取り残された俺は、狐につままれたような感じを覚えながらその場を去った。

 

 

 

 

 

 

――――翼の生えた男と女。

彼らは綾人と分かれた後、一つ用を終えてから、路地裏にある廃ビルの屋上に留っていた。

 

二人とも長い間沈黙を保っていたのだが、

やがて女の方が思い出したように口を開いた。

 

「あの子、綾人クンと言ったかしら…?

……貴方、随分気に入ったみたいね。あの子のこと」

 

男がああ、と低く呟いて肯定する。

それを聞いて、女性が表情を綻ばせる。

 

「私もああいう子は好きよ。でも、こちらまで名前を明かしてしまっていいものかしら?」

「…そこまで悪知恵は回らないだろう、権謀術数には縁遠そうな顔をしていた」

 

女性はそうね、あの子そういう感じじゃなかったし、と笑いながら、

でも少しぐらいは焼き餅を妬かせてくれてもいいでしょう、と呟いた。

 

それきり会話は途絶え、先程と変わらぬ静寂が辺りに舞い戻った。

 

申し合わせたわけでもなく、ただ偶然に、何気なく。

二人は無言で、ほぼ同時に空を見上げる。

 

半透明のドームを通して眺める月は、どこか見世物のような安っぽさを感じさせた。

 

 

 

 

 

 

「近道したつもりがとんだ遠回りになっちまった……」

 

路地裏からもと来た道をうねうねと辿り大通りに出ると、その足で喫茶『レーデンブルー』へと向かう。

多分今頃、何本か頭のネジの抜けた幼馴染が(頼んでもいないのに)首を長くして俺を待ってくれているはずだ。

 

大通りを真っ直ぐ進み書店の角を右に曲がる。

その先の突き当りをさらに右に曲がると、小洒落た感じの建物が目に入る。

 

学校帰りにちょっと小腹が空いたけど、メルマブルゾンのメニューは高すぎてとても手が出ない。

そんな俺達貧乏学生に残された道が、このレーデンブルーだ。

 

聞くところによると俺の実家は大財閥らしいが、

その御曹司であるはずの俺がこうして金の工面に困っているのはどうしてなんだろう。

 

……まあそれはさておき、この店は俺達の行きつけの店で、学校の提出用レポートなどは大体の場合この店で済ませる。

有事の際の待ち合わせ場所もここと決めてあり、とりあえず何かあったらここに来い、といった感じになっている。

 

店の方針なのかどうかは知らないが、この店の内装は必要最小限であまりごてごてしていない。

そのせいか、敷地面積自体は勝っているはずのメルマブルゾンよりもこちらの方が広いように感じる。

美亜や茜はもっと可愛いものを置いて欲しいらしいが、そもそも俺にはあの二人の言う可愛いの意味が良く分からない。

くたびれたパンダはまだしも、腹の辺りを押すと尻から茶色いのが出てくる豚はどこが可愛いのか理解できない。

それより何より、あの茜が可愛いもの好きだというのが俺には未だに信じられない。

 

 

店内に入ると、露出の少ない制服を着たウエイトレスがはきはきとした口調で俺を出迎えてくれる。

美亜は………いた。窓際3列目の指定席からこちらに手を振っている。

 

「……大丈夫?ユキちゃん顔色悪いよ?」

「いや、別にそんなことないよ。それより、待たせてごめん」

 

実を言うとさっきやられたところが痛くて痛くて仕方ないんだけど、頑張って平気なふりをする。

ところが美亜は普段抜けているくせにこういうことには妙に鋭く、どんなに誤魔化そうとしても見破られてしまう。

今だってきっと、さっきのは嘘で、俺の体調が最悪だということが分かっているはずだ。

 

……だったら素直に甘えておけ、って?

俺だって、微妙なお年頃なんですよ。それが出来たら苦労してませんよ。

 

「…よければ私の家に泊まっていかない?」

 

いきなり殺人的発言。夜這い相引きねんごろ逢瀬、想像し得る限りの様々なシチュエーション

(どれも同じだろ、なんて言うヤツはまだまだ半人前)が駆け巡り、俺の脳内を桃色に変えてゆく。

 

どうしようどうしよう。

去年の初詣の時に美亜の着物姿に発情して夜道で襲い掛かりそうになった俺ですよ?

亮と一緒にウチで雇ってるメイドさんに毎日セクハラ働いてる俺ですよ?

あと昼間の実技訓練の時にさりげなく乳揉んだのも俺ですよ?

……いいわけないよね、うん。

 

「ごめん。出来ればそうさせてもらいたんだけど、俺、お前と二人っきりになんてなったら、多分歯止めが効かないから……」

ん、そっか。残念。それを期待して言ってるんだけどな……

 

何か素敵なワードが聞こえたような気もするが、多分俺の妄想だと思うので気のせいということにした。

…で、流石に何も頼まずに帰るのも気が引けるので、とりあえずメニューに目を通す。

あんまり物を食べる気がしなかったので、コーヒーを一杯飲んでから店を出た。

 

 

 

その後、帰り道の途中でふらついて倒れてしまい、美亜の家に強制収容された。

ベッドに寝かされ、ついでに服も脱がされて、そのまま芋づる式に傷を隠していた事がバレてものすごく怒られた。

 

「ユキちゃんのばか…どうしてこんな無茶するの……」

 

美亜が、俺の背中にきゅっと抱き付く。

あたたかくふくよかな…ふたつの膨らみのやわらかさと、いのちの律動が伝わってくる。

……男っていうのは単純なもので、たったそれだけで傷のことなんか全然気にならなくなった。

 

「誰…?誰にこんなことされたの……?」

 

路地裏で出会った男性。

…と言いかけた時、先生の忠告がふっと頭をかすめる。

 

――――猟奇殺人の、犯人……。

 

「ユキちゃん…ちゃんと答えて……」

 

……違う。あの二人はそんなことをするような人達じゃない。

ほんのわずかでも会話を交わした俺にはわかる。

 

「ひ、昼間のマッスルボンバーで……」

「……ユキちゃん」

 

…うわぁ。俺、嘘ヘタだなぁ。

 

「ここ美亜の部屋だよな?前見たときから大分変わってるな」

 

あんまり詮索するのも失礼かなあと思ったけど、こうなっては致し方無い。

話題を探すため、美亜の部屋をごろごろと見回す。ごく普通の女の子らしい部屋だ。

ちょっと少女趣味入ってる気がしないでもないけど、美亜のイメージに合っている。

あまり広くは無い部屋を狭くしている巨大なくまのぬいぐるみ。

部屋の一角を堂々と陣取っているアレは、俺が小学生のときに美亜にプレゼントしたものだ。

小学生のお小遣いであれを買えるのがとんでもなく異常であることに気が付いたのは、高校生になってから。

 

「ま、まだ動いちゃダメだよ…!」

「美亜のベッド〜。う〜ん、グッドなスメルでおます」

 

布団に顔をうずめ、ふんふんと匂いを嗅ぐフリをしてみる。

 

「ゆ、ゆゆゆユキちゃん……!」

 

美亜が頬を赤らめて、うわごとのようにユキちゃんユキちゃんと繰り返しながら悶える。

こう見えても…っていうか、見るからに俺は女の子を手玉に取るのが上手い。

今までにオトシたご令嬢の数は三桁を優に越える。

 

にしてもいい匂いだ。あくまでも嗅ぐフリのつもりだったが、思わずそのかぐわしいスメルを堪能してしまったぜ。

ああ…たまらんぜ美亜のベッド…。俺ここに住みてぇ……。

 

……やば、こっちが逆に落ちるところだった。

 

 

 

「ちょっと沁みるかもしれないけど、我慢してね……」

 

霧吹きで消毒液を拭きつけた後、時間をかけてゆっくりとまんべんなくクリームを塗りつけられる。

うぁぅ、美亜のゆびきもちいい…。

 

あ、そこだめ、あ、あ、か、感じる、感じちゃうぅ、あ、あっ、あぁぁぁぁぁ!!

…………………はふぅ(昇天)。

 

「ユキちゃん……ユキちゃん?手袋、外すね…?」

「――ッ!」

 

指に手をかけられた瞬間、思わず身構えてしまった。

駄目だ。コイツのことになるとどうしても過剰に反応してしまう。

 

「ご、ごめんね……」

 

案の定、美亜は何も悪くないのに本当に申し訳無さそうに謝ってくる。

なんかやだな…。美亜にはこういう顔、して欲しくないんだよな……。

 

「……美亜ならいいよ」

「え…?」

 

不意を突かれたからか、素っ頓狂な声を上げる美亜。

 

「…ん、この手袋、美亜に外してもらいたいなって。……ダメ?」

「ううん、いいけど……その…本当に、いいの……?」

 

何だかよくわからない日本語だけど、意味は伝わったので、うなずく。

美亜はこの手袋が持つ意味を知らないが、こいつを外そうとした輩は例外なくぶっ飛ばされてきたことを知っている。

 

「じゃあ、外すね……」

 

おずおずと手を伸ばすと、指の一本ずつからゆっくりと抜いていく。

やがて手袋はするりと抜けて、コンプレックス気味の白い手が姿を見せる。

 

「あ……」

 

美亜は何かに取り付かれたかのように、俺の手指を食い入るように見つめる。

男女の垣根をすっぽり忘れてしまったのか、俺の指に自分の指先を重ねて嬉しそうにさわさわと撫ぜている。

 

「ユキちゃんの手、すごく綺麗……。女の人みたい」

 

ぐさっと来た。

こいつは、いきなり人が気にしていることを言いよった。

…と、俺がダメージを受けている間に美亜はすでに反対側の手袋を外していた。

なんて早業だ。これなら本番にも期待できそうだ。

 

「すごい…あったかいよ……ユキちゃんの手……」

 

手と手を重ねたり、きゅっとゆるく指を握ったり。

美亜は幼い頃にかえったように、無心に俺の手の感触と温度を楽しんでいる。

 

「……俺の番、だな」

 

今度は俺のほうから、美亜に触れる。

指先から腕、肩、頬へと順に伝いながら、全身を巡っていく。

 

「ん…くすぐったいよ、ユキちゃん」

 

物心ついてからはずっと手袋を付けていたので、こうして自分以外の誰かに素手で触ることなんてなかった。

だから俺も、美亜のいろんなところに触れる。

女の子のなかでも群を抜いて柔らかくてあたたかい、美亜の肌の感触。

それがあまりにも気持ちよくて、夢中になって味わっているうちに、いつのまにか意識が遠くなっていた。

 

 

 

 

―――寝ているユキちゃんの胸に顔を寄せる。

あたたかい鼓動が私を満たしてくれる。こうしていると、とても幸せな気持ちになれる。

 

悲しいことがあった時、私はいつもこうやってユキちゃんに甘えていた。

でもユキちゃんは、どんなに辛くて悲しいことがあっても、決して私に甘えようとしない。

きっと男の子だから恥ずかしいんだって……今までは、思ってた。

 

いつからだろう、私達がすれ違い始めたのは。

高校に入学した頃から、互いに互いの声を聞くことも姿を見ることも無くなった。

すごく身近だったのに、私達の距離は一気に遠く離れてしまった。

 

そうなってから、気が付いた。

ユキちゃんはもしかしたら私を頼ろうとしないんじゃなくて、私を避けてるのかもしれない…って。

 

理由なんてどこにもない、ただの身勝手な私の予感。

だけど、そのことを考えると…すごく、不安になる。

考え始めてしまうと、不安はどんどん大きくなる……私の、悪い癖。

 

ユキちゃんには私の知らない秘密が沢山ある。……誰にでも秘密はある、それは分かってる。

だけど、もう理屈じゃどうにもならないところまで来てしまった。

 

たとえ恨まれてもいいから、どうしても傍に居て欲しかった。

嫌いなら嫌い、好きなら好きって…知らない誰かなんかじゃなくって、他ならぬユキちゃん自身の口から言って欲しかった。

だけど勇気のない私には、想いを打ち明けるどころか話を切り出すことすら出来なかった。

ユキちゃんに否定されるのが、怖くて、恐くて……。挙げ句、あんな姑息な手段にまで手を出してしまった。

 

………全部、打ち明けよう。

打ち明けて、ごめんなさいって謝って……そして、ユキちゃんの本当の気持ちを聞くの。

 

ユキちゃんならこの不安を笑って吹き飛ばしてくれるって、私、信じてるから―――。

 

 

 

 

「うぷ……」

 

猛烈な不快感と吐き気に襲われて、深夜の二時に目を覚ます。

苦手なくせにコーヒーなんか飲むんじゃなかった……。

 

起き上がってトイレに行こうとすると、何かに腕を掴まれた。

見ると美亜が、ほとんど下着同然の姿で眠っていた。何で同じベッドで寝てるんでしょうこの子は。そんなに襲って欲しいのか。

周囲には眠る直前まで着ていたと思われるピンク色のパジャマが散乱している。信じられない寝相の悪さだ。

 

って美亜、なんて無防備な格好をしているんだ…。

ああ、そうか、美亜は俺がどれほどのケダモノなのか知らないんだった。

 

―――あ、うっすらと乳首見えてる。

 

………OH〜☆元気になってきちゃった。

据え膳食わぬは男の恥と言いますし、ここはひとつ、いただいちゃいましょうか?

 

「ん…ぅ……」

 

美亜が悩ましげに吐息を漏らしながらごろんと寝返りを打ち、その美尻が俺の目前に迫る。

……ホール・イン・ワン!ホール・イン・ワン!!ホール・イン・ワン!!!

そう、漢には穴があったら入れてやらねばならないという宿命が存在するのだ。

 

「ユキ…ちゃん…ユキちゃぁ…ん……」

 

≪脳内オレ≫

『ヘイ相棒!お前は大事な幼馴染の貞操をどこぞの馬の骨に奪われてもかまわないのか!?

いやそんなことになるぐらいだったら、むしろ俺が犯るべきだ!そうだろ、なあ相棒!?

さあ綾人、お前がヤらねば誰がヤるというのだ!さあ!さあさあさあさあ!!覚悟を決めてヤってやれ!!』

 

局地的充血及び衣服盛り上がり現象。通称海綿体ハッスル。

そうだ!今こそ二身合体を……!

 

「うぐっ、ぽぷ……」

 

……なんてこった、最高のご馳走を目の前にして食アタリを起こすなんて。

駄目だ。今の俺にはとてもじゃないが美亜を召し上がる気力はない。

 

トイレへ行くのを断念してベッドに再び寝転がる。そこから先はもう、生き地獄。

こんな生殺しの状態で眠れるわけもなく、悶々としながら朝を迎える羽目になった。

 

もうコーヒーなんて一生飲まないことにした。

 

 

 

 

 

 

 

朝日がまぶしい。

カーテンの隙間から差し込んでくる陽光を見つめながら、そんなありきたりなことを思っていた。

でもまぶしいものはまぶしいのです。チクショウ。

 

「おはよう、ユキちゃん」

 

そこへ美亜が衣服を持って現れる。

 

「ふふ、もうお昼だよ。よっぽど疲れてたんだね」

 

どうやら朝日じゃなくて昼日だったようだ。

 

せっかく、可愛い幼馴染と、一つ屋根の下だってのに、のん気に、昼過ぎまで、おねんねですか?

……馬鹿じゃないの!?バカバカバカ俺のバカー!!

 

「今ご飯作ってるから、しばらくしたら食べに来てね。

…あ、えっとね、ユキちゃんの服は昨日洗って干しておいたの。まだ乾くまで時間がかかるから、代わりにこれ着ててね」

 

男物の服なんてどこにあったんだろう、なんていう細かい疑問は後にして、手渡された着替え一式を早速着てみる。

まるであつらえたかのように、サイズはどれもぴったりだった。

……多分気を利かせて朝のうちに買ってきてくれたんだろう。鼻を近づけると、おろしたてのシャツの良い匂いがする。

 

「はっ…!」

 

いつの間にか俺、パンツ一丁になってる?

ま、ま、まさか、俺が寝ている間に脱がしてくれちゃったりなんかしちゃったのかな、美亜クンは?

 

バカバカバカ俺のバカー!!

 

 

 

美味そうな匂いに誘われて、誘われるように台所へと足を踏み入れる。

だが、そこには地獄があった。

 

デパートのエレベーターを横に二つほど並べたくらいの横長の空間の中で、美亜は単身五人の敵と戦っていた。

助太刀したいところだったが、美亜を取り巻く状況は俺の介入を許さない。

ガスコンロ二台にグリル、レンジ、炊飯器をフルに使っているのでそこら中からジージープツプツショリショリカチカチ

あらゆる電子調理器の稼動音が合わさって、何が何だかよく分からない音になっている。

そんな異界と化した台所の中で美亜は手際よく野菜を炒め魚を焼き、肉を煮込んで米を炊いて、

縦横無尽かつ華麗に立ち回る。

 

……すげーなー。弁当…作ってもらおうかな……。でも、大変なんだろうな………。

美亜は一人分作るのも二人分作るのも同じだと言っているけど、果たして本当なんだろうか。

俺だって料理を始めて一月経つけど、それでもよく解らない。

だってほら、一人殺すのと二人殺すのではかかる労力も被る罪状も全然違うわけで。

材料費とか配分とか、気を使わなければならないことが増えるんじゃないだろうか。

 

そんなことを考えながらうろうろしていたら、まな板の上に綺麗に切り揃えられた玉子焼きがあったので、一つつまんで口に運ぶ。

出来たばかりで中はまだ熱く、とろっとしている。砂糖が少し入っているのか、ほんのり甘い。

…文句なしに美味かった。

 

 

「…料理、上手くなったな」

 

美亜の料理は昔から味はそこそこだったけど、見てくれが不細工なものばかりだった。

そこへいくと今日のは形が綺麗だし、味も良いし。本当に上達したと思う。

 

「うん…ありがとう、ユキちゃん」

 

照れくさそうな表情で、はにかんだ笑みを浮かべる。

 

 

そういえば、美亜の家に来るのはすごく久しぶりだ。

高校入ってからだから、大体三年ぶりだ。

 

美亜も俺と同じように一人暮らしをしている。

その趣はかなり異なるが、生活費が全て親持ちでアルバイトをしていない所は同じだ。

美亜の両親はまだ生きているらしいが、俺は実際に会ったことがないので分らない。

 

美亜は小さい頃に家庭の事情で祖父母の家に引き取られ、それ以来二度と両親には会っていないそうだ。

その祖父は三年前、俺達が高校に入学する直前に他界し、祖母もつい先月に亡くなったばかりだ。

二人ともいい人で、俺と亮は世話になりっぱなしだった。

だから、葬式の日に火葬されて骨になった姿を見るのがたまらなく辛くて…三人で年甲斐も無く大泣きしたものだ。

 

……高校に進学してからの三年間、亮や美亜と会う機会もめっきり減って。

最近こそこうしてしょっちゅう厄介になってはいるが、高校在学中に美亜の家を訪れたのは数えるほどしかない。

 

高校生活三年間、いろいろあった。

俺は馬鹿馬鹿しくも楽しい学園生活を送ってきたし、亮だって悪くない三年間だったと言っていた。

 

……美亜にとってはどうなんだろう。

馴染みの面子と離れて過ごした三年間を、楽しい時間だったと、胸を張って言えるんだろうか。

 

三年間。

人が変わるには十分すぎる時間だ。

 

……美亜と両親の接点は、両親名義で贈られてくる生活費のみ。

だけど顔が見えない以上、それだって本当にご両親から送られてきているものなのかわかったもんじゃない。

 

俺は独りぼっちになった美亜を支えていけるのだろうか。

そんなことを考えていた矢先、ふと、とても大事なことを思い出す。

 

「……まずい。GWはこっそり実家に帰るって約束してたんだっけ」

 

携帯電話……は昨夜ブッ壊れたから捨ててきたんだった。

……これは本格的にヤバイぞ。

 

「……ゆ、ユキちゃんっ!どこへ行くの!?」

 

たまらず立ち上がり玄関へと走る。

折角作ってもらった昼飯にも手を付けずに帰るのは気が引けたが、それでも俺は戸を開けて外に出てた。

 

「ユキちゃん……」

 

すがりつくような美亜の声に、突き刺すような胸の痛みと一抹の不安を感じながら、

実家のある方向に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の家は都心から程近い場所にある。そしてとんでもなくデカイ。

俺が通ってた高校と同じくらいの敷地面積がある。

 

十年くらい前までは一家四人と数人の使用人だけしか住んでいなかったが、

ある事件以来親父の方針が変わり、家にボディーガードやら何やらを増やしまくることになった。

 

でも俺はごつい男どもが家を闊歩するのが我慢ならなかったので、母さんに頼んでメイドさんにしてもらったのだ。

おかげでウチのメイドさんたちには家事会計勉学武術に精通した一分のスキも無い完璧超人が多い。

 

ちなみに家の勢力図は 【母親>父親>姉>俺>使用人】となっているが、

【俺=母親】 という隠れた力関係が存在するため、俺の希望は大体すんなりと通るのだ。

 

 

さて、俺の家。

さっきも言った通り、無駄にデカイ。

 

門だけでも美亜の家の高さと同等の大きさを誇っている。この時点で既に異常だ。

さらに門前には使用人が立っていて、俺の姿を認めると恭しく礼をして、すぐに門を開けてくれる。

……どっかの城ですか、ココは?

 

敷地内に入ると、広大な庭が広がっている。

門を開けてから本宅に着くまでに歩いて十分くらいかかるほどの巨大な庭だから、移動には車を使う。

小さい頃は当然だと思っていたが、今考えてみれば家の庭を延々と車で走れるなんて恐ろしいことだ。

 

迎えが来るまでにしばらく時間がかかりそうだから、

と休憩所の扉に手をかけた瞬間に銀色の車がやって来た。いくら何でも早すぎだろ、おい。

 

…と、運転手が窓から顔を出した。

 

新人だろうか。迅速な対応はいいことだが、マニュアルに無い無駄な動きは感心しない。

どうも教育が行き渡ってないようだから、家に着くまでに修正してやる。

 

「綾人〜!」

「…姉さん?」

 

まさか往崎のご令嬢が直々にお出迎えとは。本当に俺には甘いな、あの人は。

しかしいつの間に運転免許取ったんだろう。自動車学校に通ってるような気配は無かったのに。

 

……さては、ぶっつけ本番で試験受けたな。

どうせ教習所に行かずに庭で実技訓練済ましたんだろう。

 

「早くお乗りなさいな。あ、浅見さん、ドアは開けなくていいわよ」

「…かしこまりました」

 

姉さんが乗って来たのは銀色のボディが眩しいコンパクトな軽自動車。

ブランドはRIGEL。機能美と頑丈さを追求した作風に定評があるメーカーだ。

俺は別にクルマが好きと言う訳ではないけれど、姉さんのセンスは俺によく似通っている。

ぶっちゃけて言えば、姉さんの持ってるものは全部欲しい。どれもこれも俺好みなのだ。

 

「……うむ」

 

一通り堪能したので中に乗り込む。

当然の如く、姉さんの傍らにはメイド長の浅見さんが座している。

 

「お帰りなさいませ、綾人様」

「ん、ただいま」

 

俺に向かってうやうやしく挨拶する、助手席にお座りの長髪仏頂面クールビューティ。

こちらが我が家のメイド部隊を取り仕切るボス・浅見志乃(あさみしの)さん。

中性的で一見男か女か判らないマネキンのような顔立ちだけど、化粧するといきなり綺麗な女の人になる。でも俺が頼まないと化粧してくれない。

一切の男を寄せ付けない鉄壁のガードと何をやらせても超一流な完全無欠っぷりから、付いたあだ名が『鉄血淑女』。

とにかく鋼鉄のような人だが、しかし。

 

「……よろしければ、お使いになりますか?」

 

背もたれを倒し、とんとんと膝を叩きながらそんなことを言う浅見さん。

……そんな無表情で膝枕するかって言われても。

 

「いや…結構です」

 

 

そうですか……と微妙に残念そうに背もたれを戻す。

相も変わらず俺が昼寝好きだと思い込んでいるんだな……。

 

浅見さんは俺には物凄く甘い。

他のメイドさんたちも俺にはとことんまで甘いが、この人に比べれば可愛いものだ。

 

浅見さんはとにかく俺を気に入っているらしい。

姉さんの話によると、浅見さんは初めて俺を見た瞬間、寝ている俺を猛烈な勢いで抱きかかえてどこかへ連れて行こうとしたらしい。

母さんの一声で正気に戻ったそうだが、もしそのまま連れ去られていたら今頃俺はどうなっていただろう。マジドキドキ。

 

 

車は控えめな廃棄音を立てながら、路の上をゆったりと進んでいく。

あたりに立ち込める霧のせいで、道は少し先までしか見えない。

 

「……親父は?」

「書斎に引きこもっているから大丈夫よ」

 

実はアパートから学校へ通うよりも実家から直接通った方が早かったりするのだが、

半分勘当されているような身なので、ここに居ることは出来ないのだ。

まあウチは馬鹿みたいに広いから、こっそり暮らしていれば絶対に見つかる事は無いだろうけれど。

 

「ただ、あそこに引きこもられると私が本を漁れなくなるのよね…まったく」

 

姉さんは十年前の一件以来急にしおらしくなり、今ではすっかり才色兼備の淑女といった感じ(浅見さんの影響か?)。

もっとも、それまでの放蕩ぶりが凄まじかっただけで、姉さんはもともと知的な人だった。

 

そしてあれ以来、姉さんはやけに俺に優しくなった。そりゃもう、手の平を返したみたいに。

罪滅ぼしのつもりだったのだろうけれど…あれからもう十年が経って、

いい加減そろそろ時効かなと思いきや、最近はそれに輪をかけて甘くなった。

 

本人に聞いてみたところ、最初は申し訳ない気持ちから甘やかしていたが、

そのうち本気で可愛くなってしまったらしい。……う〜ん。

 

 

「……そうそう綾人、今年も貴方宛に女の子からた〜っくさん手紙が届いてたわよ?」

「う…やはりですか」

 

"俺に手紙を書く女の子"="パーティの時にオトシたご令嬢"。

 

「綾人って本当に大人気よねー。私なんか誰も寄り付いてこないわよ?」

「……それはお姉様がたかりくる虫どもを見事な体術でことごとく打ち払ってきたからではないでしょうか」

 

金持ちってのは自己顕示欲がすこぶる強く、毎年毎年飽きもせずご自宅やら有名ホテルやらでパーティを開く。

うちだって世間的には超上流階級(でもその跡継ぎはこうして金の無心をします)なので、長期休暇ともなればいろんな所から毎日のようにお誘いが来る。

俺も姉さんもそういうのは大嫌いだったが、社交辞令的に出席せざるを得なかった。

 

もともと乗り気で無い俺がパーティーの席で取った行動は、用意された料理を食い、お嬢様をオトすというこれ以上無いくらい欲望にまみれた蛮行。

いやはや、我ながらとってもワイルドだった。

 

「意地汚くメシ喰ってただけのワタシが何故にこうも慕われるんでしょうかねー…?」

「あら、そうでもないわよ。貴方けっこう男のコしてたじゃない。

しつこく言い寄られてるエレナちゃんを助けてあげたのも貴方だったでしょ?」

 

ロシアで最も有名な音楽家バル何たらの愛娘エレナさん。日本語も完璧に話せる才女。上品で世間知らずな可愛い子だったなー。

……でもあれは目の前で言い寄られてたからつい横取りしたくなっただけで、彼女を助けることなんざこれっぽっちも考えてなかった。

それに、あのまま放っておいても弥生(やよい)が飛んできて何とかしただろうし。

 

「それに女の子を誘惑するのが異常に上手いからねぇ、貴方は。エレナちゃんと話す時も、ピアノを絡めて上手に興味を引いていたし。

あと、あの男嫌いで有名な弥生ちゃんを堕とした殺し文句。あれには流石のお姉ちゃんもクラッと来ちゃったわよ」

 

エレナさんの親友である弥生は、美人だけど男にはかなりキツイ、俺の最も苦手とするタイプ。

はっきり言ってアイツに手を出す気なんてなかったんだけど、エレナさんが紹介するって言ってどーしても聞かない。

で、顔を合わせるなり痴れ者だの色魔だのと罵倒するわ、エレナさん口説こうとするとひっぱたくわ、

そのくせ意味不明に頬を赤らめながらちろちろと俺の顔をのぞき見てくるわでうっとうしいったらありゃしねー。

……それでまあ、からかいついでに口説いてみたら、こっちは冗談だってのに向こうはその気になってしまった。

その流れのまま押し倒そうとしたら二度と顔を見せるなって言われましたけどね!ハッハッハ!!

 

「ダメよ綾人〜、女の子の純情を食い物にしちゃあ。女の子はとっても怖い生き物なんだから」

「俺はただパーティに出席したくないだけですよ」

 

とは言ったものの、夢見るお年頃の純粋なお嬢様を言葉巧みに堕落させていくのはすごく楽しかったなぁヒャハハハ。

おかげで往崎の跡継ぎは女好きという噂がすっかり広まってオヤジはすっかり頭を抱えているらしいけど、俺は知らん。

 

「まあ、手を付けちゃった以上は仕方ないわね」

「う〜ん…まあ、ね。ところで、その手紙って何通くらい来てた?」

 

そぉねぇ、と逡巡。

いくら私邸の道とはいえドライバーがそんなことしてていいのだろうか。

 

「私が目を通しただけでもざっと60通くらいあったかしら?

9割以上がGWはどこかでご一緒しませんかって内容だったけど、どうするの?」

 

まあ、毎度のコトではありますが。

当然のごとく中身を見るのはやめて下さいませ、姉上。

 

「……もちろん全部キャンセルで」

「OK。後で一曲弾いてちょうだいね♪」

 

姉さんはにやりと笑って返事をすると、思いっきりアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

五分ほど猛スピードで私道を駆けた後、車から降りて本宅に入る。

その見た目はまさしく洋館というか、規模からして西洋の城のよう。はっきり言って四人家族で住む家じゃない。

我が家は使用人を30人投入しても制圧しきれないほどの部屋数を誇っているのだ。

 

そして玄関前に着くやいなや、浅見さんがすすす、と素早く先行して俺たちの代わりに重い扉を開けてくれる。

今回、俺はお忍びで来ているということなので、形だけでも慎重さを装っておく必要がある。

 

「………どうぞ、お入り下さいませ」

 

促されるまま中に入る。

……と、一番会いたくない人にいきなり出会ってしまう。

 

「お帰りなさい、綾人、佳澄さん」

 

「……母さん」

「ただーいまっ、お母さん♪」

 

我が家の大ボス、往崎詩織。

あの浅見さんでさえこの人のことは恐れ敬っているという。

 

「ご苦労様です。もう下がってよろしいですよ、浅見さん」

「かしこまりました、奥様」

 

面食いのエロ親父がめとっただけあって、母さんは人生の折り返し地点を過ぎた今でも化け物みたいな美貌を誇っている。

何でもそつなく手早くこなしてメイドの仕事を奪ってしまうぐらい優秀だし、頭脳も明晰。でも基本的には不思議系だ。

 

「…そうだわ佳澄さん。ケーキを作りましたから、早めに召し上がって頂戴ね」

「ありがとうお母さん。それじゃあ、私は早速呼ばれてくるとしましょうか」

 

―――たまーにこの人が本当の親なのかどうかわからなくなる時がある。

周囲からはどう見ても親子だと言われるし、自分の顔を鏡で見ると、なるほど、確かに顔とか全体的にそっくりだし、

細かい目鼻立ちなんかそっくりを通り越して瓜二つだし、間違いなく親子だなって思うんだけど……なんか、現実感が足りない。

この人のお腹の中にいた頃の記憶まで持ってるっていうのに、血が繋がっているという実感が沸いてこない。

 

「では、綾人様。私は食材の買出しに行って参りますので、何かご入用のものがありましたらご連絡ください」

「ん、わかった」

 

連絡も何も、ケータイ壊れてるから出来ないんだけどね。

さて、どう言い訳しようか……。

 

「綾人、ついておいでなさい」

 

問答無用でお仕置き部屋直行。

 

 

 

 

談話室は四畳半しかない、とても狭い和室だ。

外観から内観までほぼ洋風に統一されている中で、この部屋は異分子であるはずなのに、何故か妙にしっくりきている。

中はこれまたシンプルで、小さな和風テーブルと座布団が二枚あるだけ。

今でもたまに茶室として利用される事もあってか、紅茶の香りに混じってほのかに緑茶葉の匂いが漂っている。

 

テーブルの上には皿に乗った1カットのチーズケーキと紅茶のカップがちょこんと置かれている。

母さんは俺や姉さんと面と向かって話をする時は、いつもこうして手作りのお菓子を用意する。

なんじゃそりゃって思うかもしれないが、このお菓子は戦略として非常に効果的だったりする。

刑事が被告人にカツ丼を勧めるのと同じような手法だ。

 

「綾人、そこに座りなさい」

「…は、はい」

 

その一言にこめられた有無を言わせぬ迫力に気圧されて、大人しく従う。

相手との距離がものすごく近いこともあり、説教がより過酷なものになる部屋なのだ。

 

「ご…ごめん、母さん」

 

我ながら情けない第一声。

俺、ホントこの人には弱いなぁ……。

 

「…綾人。お母さんいつも言っているでしょう?約束だけは守れる大人になりなさいって」

 

けっ、良妻賢母っぷりやがってよぅ!

……なんて、こわくていえません。びくびく。

 

「う……、、でも、ちゃんと家に帰ってきたから約束は破ってないよ?」

 

こぽこぽと紅茶を注ぎながら、母さんは口を開く。

 

「綾人。約束にはね、『果たすのに最も適した瞬間』というものがあるの。

それを守る事が出来なければ、あらゆる約束は意味を成さなくなるのよ。

明確な期限の決まっていない約束なんて、はじめから無いのと同じでしょう?」

 

人間はものごとにそれぞれ優先順位を付けていって、処理し切れなくなった場合には

優先度の低いものから順に切り捨てていくという微妙に機械的な機構を持った生き物だ。

10年後だろうが20年後だろうが、はっきりと約束の時が決まっていればそれは確固たるものとなって、忘れることはなくなる。

だけど、『いつか』や『きっと』、なんていう曖昧な意思は、とても優先順位が低い。

 

『いつか』ならばいつ果たしてもいい、いつでも果たすことが出来る。

そう考えて先送りしているうちに、果たされることなく消えてしまうことがほとんどだ。

 

だから約束には明確な時間を設定しろと、母さんはいつも言う。

 

「……いただきます」

 

フォークが無いので、そのままかぶりつく。

母さんは俺の子供っぽい姿を見たいからわざとフォークを用意しないらしい。

ナプキンもないので手袋を片方だけ外さなきゃならない。

 

ケーキをほおばると口の中にほどよい甘酸っぱさが広がり、

それがケーキの底に敷かれた土台であるさくさくのクッキーシートの甘さと絶妙に合っている。

 

「…どう、美味しい?」

 

ケーキをもぐもぐしながらうんうん、と二度頷く。

俺をみつめる母さんの表情が、ほころんだ。…よしよし、好感度プラス1。

 

「いつも思うんだけど、明確な時間が決まっていないからこそ成り立ってる約束もあると思うんだ。

『ずっと友達でいようね』…とかさ」

 

香りたつ紅茶をすすりながらプチ反論をしてみる。

 

「そうね…だけど」

 

うるおいたっぷりの指で頬をむにーと引っ張られる。

爪先に塗られた青色のマニキュアは、綺麗だけど俺の中にある母さんのイメージと不似合いだった。

 

「女の子はせっかちなのよ。憶えておきなさい」

 

母さん、もう女の子って歳じゃないでしょ。

喉元まで出かかったその言葉を咀嚼し、代わりにゴメンナサイを返す。

 

「綾人も来年には大人になるんだから、きちんとしないと駄目よ?

もし遅れたとしても連絡を入れてくれさえすれば、お母さんもこんなこと言わないから」

 

大人になる……大人になるって、一体どういうことなんだろう。

20歳になった時点で、いきなり大人になるってわけでもないし………。

 

「綾人。お母さんの話、ちゃんと聞いてる?」

 

ケータイ電話が壊れたんです。

そう言おうとしたら、言葉のかわりにあくびが出た。

 

「まあ……」

「……ねむい」

 

「相変わらずお昼寝が好きなのね、綾人は。

じゃあ、お母さんお布団のお用意してくるわね、うふふ」

 

母さんは、怒っていたかと思えばすぐに機嫌が良くなったりする。

この辺も不思議系と言われる所以だ。

逆にさっきまで機嫌が良かったのに突然怒り出す、なんてことがないのは救いといえば救いだろうか。

 

しかし、説教がこんなに早く終わるとは思ってもみなかった。

あくび万歳。

 

 

 

 

 

「…でも、良かったわ。綾人が綾人のままで」

 

一ヶ月程ご無沙汰していたのに、ホコリひとつ無い俺の部屋。

扉の辺りでおろおろしているメイドさん達を尻目に、母さんはてきぱきとベッドメイクを進めていく。

 

「…そーなの?」

「ええ。ちょっと見ないうちに綾人がすっかり変わってしまったら、お母さんすごく寂しいもの」

 

……と、言っている間にもう完了。

4等分してようやくシングルかというほど無駄にでかいベッドを、母さんは10分足らずで完璧に整えてしまった。

ところで、ベッドメイクが上手い人は床も上手というのは本当だろうか。

 

「そうそう、連休中に美雪ちゃんが蒼ちゃんと遥ちゃんを連れてうちに遊びに来るらしいわ。

ここに着くのはあさっての夜かしら?」

 

沙紗那美雪さんは親父の友人である秋哉(しゅうや)さんの奥さんで、ウチとはけっこう親しい仲だ。

よくお子さんを連れてうちに遊びに来る。ちなみに蒼君は俺よりふたつ、遥ちゃんは俺よりななつ年下だ。

美雪さん……何度かお会いしたことがあるけれど、とんでもない美人だった。

何よりあの人、母さんとなにもかもそっくりで笑ってしまった。

 

「……美雪さんの料理、美味しい」

「うふふ、駄目よ。お客様にお料理を作らせるわけにはいかないんだから」

 

シワ一つ無い整えたてのベッドに寝転ぶ。とんでもなくふかふかで、すごくいい気分。

あぁ、ようやく帰ってきたー…って感じだ。

 

 

「…ねえ、綾人。あなたが眠るまで、お母さん傍に居てもいいかしら?」

「……べつにいいけど、すぐ寝るよ?」

 

母さんは何も言わずただ微笑むと、俺のまぶたの上にそっと手を乗せる。

じんわりと伝わってくる、てのひらのぬくもり。まるで揺りかごに抱かれているような心地。

それは確かに気持ちいい。でも、何かが足りない…そんなふうにも感じる。

 

「………おやすみなさい、綾人」

 

あたたかい水の流れにたゆたいながら、世界の終わりを迎えるかのような。

母さんのやわらかい声に安らぎと空虚さを覚えながら、深い眠りに堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つ…な…いで……、まざ…りあうここ…ろ…と、ここ……ろ………。

みあ…げた、ふた…つのひはあ…かく、あお……く………。

 

 

 

母さんは懐かしいメロディを口ずさむ。

この曲を聴く度に、お母さんのお腹の中にいた頃のことを思い出す。

 

母の胎内での記憶。

それらはとてつもなく断片的で、夢の中で何度試しても上手く繋ぎ合わせることは出来なかった。

……ただ、例外的に、ある状況下においてはその曖昧なロジックを驚くほど完璧に組み上げることが出来た。

 

今が、まさにその時だ。この千載一遇の好機を逃すわけにはいかない。

俺は意識を集中し、秒刻みで形を変える記憶のピースをカチカチと組み合わせてゆく。

 

 

 

――うみのなかは、クスリのニオイでいっぱい。

 

おかあさんはむせかえるほどのクスリをのんで。笑った。

うれしい、うれしい。あなたはとくべつ。わたしのむすこ。かわいいかわいい、わたしのいちぶ。

かんじるの、あなたのちから。とてもとてもつよいちから。ヒトをこえたチカラ。

 

―――俺が生まれてくる以前。理由はわからないけれど、母さんの精神状態はとてつもなく不安定になっていた。

母さんは、俺に特別な力が宿る事を望み、そして事実としてその力を持っていることに喜んでいた。

 

俺が生まれてからちょうど十年の月日が流れようという時、今と全く同じ状況

――つまり、胎児であった頃の記憶を克明に思い出すことが出来る機会が訪れた。

そして俺は、母さんが力を求めていたことを思い出した。だからあの日、俺は、母さんにこのチカラを見せた。

 

おぼれかけた。くちのなかがにがくて。何度はきだしてもにがいみずはくちにはいってきた。

ぼくは、これがクスリのせいだって、しってたから。だからぼくは、おかあさんに、もうやめて、くるしいよって、いった。

おかあさんは、、、ないていた。

 

―――そうしたら、母さんは俺を抱きしめて、泣いた。

ごめんなさい、ごめんなさい綾人と、ただひたすらにそう叫びながら、泣き崩れた。

あの頃の俺にはいったいどうして母さんが泣いているのか分らず、ただ困惑した。

そして俺は、母さんを泣かせたのが自分の力の所為だと考え、以来、それを忌み嫌うようになった。

 

それからだんだん、くすりがすくなくなっていった。うみのなかに、おかあさんのにおいがもどった。

ぼくは、おかあさんにつたえた。ぼくのすきなおかあさんのにおいがもどったこと。

おかあさんは、ものすごくよろこんだ。

 

―――でも、今なら分かる。母さんの涙、『ごめんなさい』の理由。

思えば母さんは、俺が生まれる前から、この力を否定していたんだ。

俺が苦しいと訴えたときから、母さんは俺に人外の力を与えたことを後悔していたんだ。

そして十年の時間を置いた後、母さんは自分が望んだ力の大きさ、恐ろしさを見せ付けられた。

 

おかあさんは、やがてクスリをまったく口にしなくなった。

それからくらいのとあかるいのがなんどもいれかわったあと、ぼくはおかあさんのそとにでた。

 

……驚いた。

ここまで思考が安定しているのは、本当に十年ぶりだ。

 

 

―――あの人の出現は、もう間近に迫っているんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………あー」

 

なんか美亜にSMプレイされる夢を見たような気がする。

 

「こんなしまりのないぞうさんには、お仕置きしてあげないといけないね……くすくすっ」

 

―――あー……、いい。すごくいい。夢のようだ。夢だけど。

是非ともお仕置きされたいぜ。

 

………と、すぐ近くから誰かの寝息が聞こえると思ったら、なんか隣で母さんが熟睡している。

いい機会だからこの場で仕返ししてやることにした。

まず頬を引っ張る。やわらかいうえによく伸びる。さすが化け物肌。

調子に乗って縦横にびろーんと大きく引き伸ばすと、小さく呻いてぶつぶつと何か呟いた。

 

「んぅ……たすけて綾人ぉ…。お姉ちゃんがお母さんをいじめるのぉ……。

お母さんのほっぺをのばすのぉ……」

 

ステキ天然系寝言。

なかなか鋭いけど、残念、いじめてるのは俺でした。

 

「―――失礼致しております、綾人様」

「ヤック、デカルチャ!?」

 

いけない、ついゼントラン語を発してしまった。

つーかいつの間にいたよこの人は。

 

「鳴海様からお電話です。お早めにお取次ぎをお願いします」

「…あ、ああ、うん、ありがとう」

 

浅見さんのセリフは、おがいっぱいだった。

おが、いっぱい。

 

 

 

 

 

「はい、代わりました」

 

受話器を取る。相手は亮なんだから、かしこまるまでもないけど一応。

そんなヤツの第一声は『おお、生きてたか綾人』。……なんでやねん。

 

「……勝手に殺しなさんな」

≪いやね、お前のケータイに電話しても全然つながらねーし、微妙に心配してたんですよ?≫

 

微妙ですか。それはまた。

まあ結構待たせたみたいだし、多少の失言には目を瞑るとしようか。

 

≪綾人ー、今晩お前んちに泊まりたいんだけど、いいかー?≫

 

――ちょっとッ!聞きました奥さんッ!?

歩くHENTAIがセキュリティ地獄の我が家にやってくるとかのたまってるんですよ!?

 

「いいけど、そのまま家に来るなよ?レーデで待ち合わせだぞ?言っておくがHENTAIに人権は無いんだぞ?」

≪そんな回りくどいことしなくても良いんじゃねーの?まあ、別に構わないけどさ≫

 

フガフガ言いながらぼやく亮。受話器の向こうで鼻ほじってるに違いない。

門番に変質者と間違えられて蜂の巣にされてしまうからだ、と言ってもヤツには分からないだろう。

変質者は自覚が無いからこそ変質者なのだ。

 

「じゃ、切るぞ」

≪おう、また後でな≫

 

…………やれやれ。

しかしまあ、あいつが来るんなら退屈しないで済みそうだ。

 

「……と、その前にひとつ、いいか?」

≪おお、なんだなんだ?≫

 

 

「――――お前さ。天使って、いると思う?」

 

 

 

その後美亜の家にも電話をかけたが、いくらやっても繋がらなかった。

たぶん買い物でもしているんだろうと思い、先にレーデに向かうことにした。

 

我ながら大変お気楽なもので、この時はまだ、美亜の不在を気にも留めていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

車を借りるために、姉さんの部屋へとやって来た。

なんだか姉を足で使っているように思えて気が引けるが、仕方ない。

 

「…姉さん?入るよ?」

 

二、三度ノックしたが全然返事が無いので、強引に踏み入る。

姉さんの部屋は、恐ろしい数の書物が無造作に置かれた本の墓場のような部屋だ。

 

「―――そう…。そういうことだったのね………」

 

部屋の中は夕闇の暗いオレンジ色に染まっていた。

最近使って片付け忘れていたんだろうか、微かに油絵の顔料の匂いがする。

姉さんはたまに気まぐれで絵を描くが、これが尋常じゃないくらい上手い。

 

「―――道理で、あの子に似ていたのね……」

 

姉さんは窓辺に寄りかかって、とても真剣な表情で、数枚の紙片を食い入るように見ている。

もちろん俺には気付くずくはずもなく、ぶつぶつと何か呟いている。

いつもながらかなり危ないぞまいえるだーしすたー。

こんな暗い中明かりも点けずによくやるなぁと思い、手元のスイッチを押して電気を点けてやった。

 

「あっ…!?」

「……何してんの、姉さん?」

 

姉さんはすっとんきょうな声を上げながら、びくりとこちらを振り向いた。

声を掛けると、慌てて持っていた紙を後ろ手に隠した。

 

「ちょっと出かけたいから、車を出して貰いたいんだけど……」

 

明らかに怪しかったが、特に突っ込まないことにした。

姉さんは俺の頼みを快く了解してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大通りに着く頃、夕陽のオレンジ色は夜闇でぐしゃぐしゃに塗りたくられていた。

俺は近道のために例のごとく路地裏へと入り込み、そしてまた昨夜の二人に出会った。

 

場所は、相変わらず廃ビルの前。

ここまで来ると俺とこの場所には何か因縁があるとしか思えない。

 

「先急いでるんで、失礼します」

 

素通りしようとしたら、釣られた。

そのまま頭をわしづかみにされて持ち上げられる。

 

「……今晩は、綾人君」

 

こちらの姿を認めると、柔らかな微笑をくれるカナタさん。

そんな微笑ましそうに見てないで助けて欲しい。

 

「こんばん、わー」

 

腹話術人形のように口をパクパクさせながら喋ると、見かねた彼女が助けてくれた。

 

しかしカナタさんってやっぱり美人だなぁ。

昨日の黒いロングスカートも良かったけど、今の白いワンピースも似合ってる。

 

「きれーですねー。みんなでさんしんがったいしませんかー?」

「ふふ…ありがとう。合体の方は…そのうち、ね」

 

誰かさんにいきなり触られないように白いものを選んできたのよ、とこちらを見て微笑むカナタさん。

そう言われるとなんだかちょっと恥ずかしくなる。

 

「昨日の傷はもう治ったのかしら?」

「………え…ああ、はい」

 

親友の手厚い看病を受けたおかげで、今はすっかり元気ですと答えると、

カナタさんは本当に優しそうな表情で、貴方にそう言ってもらえるのなら、きっとその子も喜んでいるはずよ、と言う。

 

「…では、早速本題に入ろうか」

 

ちょっとカチンと来た。わざわざ引き止めてすまない、用事があるようだから長く引き止めるのも悪いな。

どうしてそーゆーことが言えないんだろう、この人は。

 

「あ、そのまえにケータイ弁償してください。昨日ので壊れたんで」

「む……それはすまなかった。代わりに私のをあげよう」

 

わーい、もらっちゃったー。

 

 

「ふふ、良かったわね。

……さて。単刀直入に言うとね、綾人君。私達の仲間に加わって欲しいのよ、貴方に」

 

単刀直入と言う割には回りくどい言い方をするカナタさん。

キサラさんはずっと黙っている。口出しされたら交渉が上手くいかないだろうから、当然と言えば当然だが。

 

「もし納得できないというのであれば形式的でも一時的にでも構わないわ。

ただ、今日の日付が過ぎるまで、私達の意思を汲み取ってくれさえすれば、それで」

 

そう言って、詰め寄る二人。

あらゆる関わりを拒否するという選択肢は、どうやら無いらしい。

 

「話がいまいち見えてきませんが。どうして俺を誘うんです?」

「…そうね。理由も説明されないままいきなりこんなことを言われても困ってしまうものね」

 

言って、彼女は思考し始めた。

そして一瞬の思案の果てに彼女は口を開いた。

 

「私達は力を求めているの。『門』を開くための力を」

 

門…ね。

『門』って言うからにはどこかに繋がってるんだろうけど。

 

「察しが良いわね。『門』は『領域』と繋がる扉のことよ。

私達はその門を越えて『領域』へ到達する事を望んでいるの」

 

……読まれた。母さん、ここにエスパーがいるよ。

キサラさんも大変だ。この人の前では、隠し事なんてできない。

 

「『門』自体は能力者ならば誰でも開く事が出来るのだけど、私達の開こうとしている門は規模が大きいの。

だから、それを開くためには多くの能力者が必要……というわけ」

 

領域へ到達する、と彼女は言った。でも、学校で聞いた話が本当なら領域には何も無い。

水天を彷彿とさせる虚無の空間。そこには昼も夜も無く、あるのは無限の時間と永劫の沈黙だけだ。

わざわざそんな場所に行く意味はあるのだろうか。そもそも、まともな人間が無機質な永遠に耐えられるのだろうか。

 

……ある。きっとこの二人には、門を越えるのに十分な動機がある。

俺の勘だが、この二人は、誰もいない世界を求めている。二人だけの場所を望んでいる。

見ているとどことなく刹那的な感じを受けるのはそのためだろう。無論、何故と問うのは野暮の極みだ。

 

「ふふ、本当に勘が優れているわね、貴方は。その分ではこれ以上の説明など不要ね。

……さあ、私の話はこれで終わりよ。後は貴方の返事を待つだけ。よく考えて、答えを出して頂戴」

 

 

長いようで短かった会話が終わり、その判断はいよいよ俺に委ねられた。

だけど、もう答えは決まっていた。

 

「やっぱり……俺はあなたたちと戦いたくない。

そりゃ、ほいほい言うことを聞くわけには行かないけど、だからと言ってやりあうのは嫌だ。出来ることなら仲良くしたい。

俺も出来る限り協力するから、悩みがあるならもっと別の方法で解決して欲しい。それが、俺の素直な気持ちです」

 

甘いな、とキサラさんが呟く。

だけど気持ちは同じらしく、俺の考えについて是非を問うべきも無い、そんな顔だ。

 

「あら、私は素直な子は好きよ。産むのなら貴方のような可愛い子がいいわね…うふふ」

 

…すごい次元で褒められてしまった。

よくわからないけどとても好意的なのは確か…だと思う。

 

「昨晩からずっと彼と話をしていたのよ…貴方のこと。

そんなことをするぐらいだから、勿論私達だって貴方と傷付け合うことを望んでなどいないわ」

 

そこまで言った時、カナタさんの表情が変わった。

哀れむような、悲しむような、そんな複雑な表情に。

 

「ただ…ね。私達はそれで良くとも、納得しない娘が一人いるのよ」

 

カナタさんが、ちらりと背後の闇を流し見る。

控えめな足音を響かせてそこから現れたのは、俺が誰よりも良く知っている少女。

 

 

「……今晩は、ユキちゃん」

 

 

常磐美亜。

誰よりも俺のことを知り尽くしている少女。

 

俺達は互いに、互いのことならなんても知ってるんだって、思っていた。

……でも今の美亜は、その背に白い翼を生やしている。

 

「お昼ご飯……全部捨てちゃったんだよ、ユキちゃん」

 

一生懸命作ったのに、すごく残念。

そのあと大事な話をしたかったのに、ユキちゃんが帰っちゃったから、もっと残念。

 

……そう言って、微笑む美亜。

俺の知らない表情、俺の知らない姿、俺の知らない美亜。

だけどその瞳は間違いなく美亜で……。

 

俺の中の美亜という存在の一切が、崩れていくような気がした。

 

 

「ごめんね、今まで黙っていて」

 

そんな俺をあざ笑うかのように、笑顔のまましっとりと言葉を紡ぐ美亜。

俺は……こんな美亜なんて、知らない。

 

「でも、ユキちゃんだって私に隠し事をしていたんだから、私に秘密があっても良いよね?」

 

何のことだ、と言いかけて口ごもる。胸に、首筋に、いつの間にか温かい感触がある。

……美亜が、俺の首に牙を立てて血を啜っていた。

 

「ユキちゃんの、血……美味しい…くすくす」

 

およそ三メートル。

美亜はそこから一瞬で俺の胸に飛び込んできた。

 

もっとも、その動きが別段早いとは思えなかったし、ほんの少しだけ垣間見せた躊躇うような仕草から、

無理をして俺を不安にさせようとしていることもなんとなく分かった。

 

美亜は、ひどく焦ってる。

そしてそれに関係してかどうかは分らないけれど、あらゆる手段を使って俺の気を引こうとしている。

 

いくら美亜が常人離れした握力や腕力を持っていたとしても、同じ能力者である俺が相手ではプラマイゼロだ。

単純な男と女の能力差で勝っている以上、しがみつく美亜の腕を振り解くことは容易い。

ただ、その喘ぐような息遣いが、ぎこちない舌の動きが、甘い女の香りが。

そのすべてが信じられないくらい気持ち良くて、微動だに出来なかった。

 

美亜は、俺の知らない間に女になっていた。

 

「怒っているのよ、彼女。貴方の態度が、貴方にないがしろにされたことが、許せないらしいわ。

いささか一方的過ぎる気がしないでも無いけれど、まあ女の子を無下に扱った報いだと思って、大人しく痛い目を見ておきなさい」

 

美亜の心境をカナタさんが言葉で繋ぐ。

美亜もカナタさんも、相変わらず笑顔なのがとても怖い。

 

「それと……他に方法が無いからこそ、私達は諸刃の道を進もうとしているということを、忘れないで頂戴」

 

そこまで言うと、二人は翼を広げて高く飛び上がってしまう。

…視線を感じて胸元を見ると、美亜が上目遣いでこちらをじっと見つめていた。

俺がカナタさんの表情をうかがっている間に血を舐めるのを止めていたらしい。

 

「……あ、」

 

やめちゃうの?

そう言い終わる前に、頬をひっ叩かれていた。

 

「ユキちゃんなら…気付いてくれると思ってた」

 

掃いて捨てるように言い放つ。

そんな感情論を口にするにはいささか冷淡すぎる表情で。

 

「……そんなんじゃ、わかんないって。言葉が少なすぎるよ、美亜」

 

……すっげー情けないなー、と思った。

15年以上の歳月を共にしてきたはずなのに、美亜の言っていることがわからないなんて、俺達はその程度の薄っぺらい仲だったのか。

 

まあでも、仕方ないか。

俺は美亜じゃないし、美亜の考えてることなんてわかるわけがないんだから。

 

 

「―――私、ユキちゃんを殺すね」

 

美亜が、耳元にそっと囁く。

じゃあ、俺も美亜を殺すよ、と答えた。

 

 

―――殺しあいが、始まった。

 

 

 

 

 

バックステップを三つ踏み、4メートルほどの距離を置いて美亜と対峙する。

大人二人は遥か頭上から高みの見物を決め込んでいる。攻撃されることはないが助けられることも無いだろう。

 

冷静に考えて、逃走はまず無理。

ここは長々と続く狭い一本道の中間地点。

もし尻尾を巻いて逃げようとすれば、大通りに出るまでに背中を穿たれて終わりだ。

 

美亜が魔術の詠唱を開始する。

俺たちの関係もいよいよ修復不可能な所まで来てしまったということか。

 

俺は数日前に一度だけ美亜の相手をしたことがある。あの時は確か鞭の様なものを愛用していたっけ。

俺は一度事を構えただけで相手の力量が分かるほど練達してはいないが、少なくとも美亜が強い事は確実だ。

 

「For the far away...

(それは遥か彼方……)

 

 

短い詠唱の後に放たれる無数の光弾。

だが手袋に描かれた中和のルーンによって、それらは俺に触れる前に消滅していく。

 

……昨日、俺は読者様方に嘘を吐いた。

俺ってば結構弱いのだ。茜に勝てたのもこの手袋のおかげ。

キサラさんに立ち回れたのも、向こうが手加減してくれていたからだろう。

 

「all the things vanish down!!

(なにもかも吹き飛ばして!!)

 

矢継ぎ早に繰り出される強烈な呪法。

昨日まで学校で楽しく会話していたのが嘘の様だ。

 

ああ…だけど、こうでなくっちゃ。

俺たちの力は殺し合いに使ってこそ意味があるんだ。

 

 

「The divine srave of wisper in the imajinate blue,unworthy life,unworthy blood,

(概念の海を漂う『穢れ無き光』 あるまじき世界 あるまじき命)

eradicate with underrod oversky―――『Luxsheit』

(蒼天の名の下にその全てを一蹴せよ―――『ラキエータ』)

 

領域からの武器召喚。美亜には似合わない謳い文句だ。

虚空に現れた魔術模様から一筋の光が顔を覗き、鎌首をもたげる。

それは触手のように柔軟な動きで美亜の腕にしゅるしゅると巻きついていく。

朝顔のつるが何日もかけて支え棒に絡み付いてゆくところを早回しで見ているようだ。

 

「……なにそれ、小学校の自由研究?」

 

能力者と魔術師の決定的な違い、それは『領域』から力を引き出せるということ。

領域から魔力を得られる能力者は、自分の魔力だけでやりくりしなければならない魔術師に比べて圧倒的に有利だ。

ただそのぶんアンバランスな上に能力は先天的なものなので、後からどんなに頑張っても得ることは出来ない。

その点魔術はいつからでも修得が可能。汎用性に優れている分、能力者よか貴重視されない。

そして満足に領域から力を引き出せない俺は、使い走りの魔術師も同然なのだ。

 

……さて。ここで重要なのは、能力者がアンバランスであり、俺は能力者以前のひよっ子であるということ。

 

勝てないものに無理して勝つ必要なんてない。この戦いを通して俺がすべき事は別にある。

――さっきので崩れた美亜というイメージを、これからもう一度拾い直すんだ。

 

「言葉遣いには気をつけてね。ユキちゃんは私より弱いんだから」

 

呼び終えた概念の武器。その外見は鞭というより、蛇だった。

神話には虹色の体色をした煌びやかな蛇(本当は竜王らしいがどう見ても蛇)がいたが、まさにそんな感じ。

ちなみにそいつの体液は猛毒で、そいつを引き千切った時に飛び散った体液に触れてしまった雷神は

たったそれだけのことで相討ちになって死んでしまったという。神話にはこういうなんじゃそりゃって感じの話が多い。

 

「ふふ……イイ声で鳴いてね、ユキちゃん………」

 

美亜様の素敵な一言とともにその手の鞭は呼び起こされ、いよいよ大きく振り上げられる。同時に胸も揺れる。……GOOD。

でもアレは当たっても大して痛くなかった。そう身構える必要も無いだろう。

……と、油断していたらお腹の辺りをしたたかに打ち付けられて、思いっきり情けない悲鳴を上げてしまった。

美亜は鞭の先端を呼び戻して、きょとんとした顔でこちらを見つめてくる。

 

「………それ、痛いんだけど」

「うん、痛くしたもの」

「それ、痛いからしまって」

「そんなこと言われても…」

「じゃあ、おっぱいもまして」

「…ユキちゃん、本当に私を殺す気があるの?」

「しらない」

 

問答終了。

みなさんの期待通り、俺は美亜に向かって元気一杯に走り出す。

 

「くす…ユキちゃん、一生懸命で可愛い……」

 

対する美亜は、言葉とは裏腹にいつもの精彩を欠いた冷たい瞳で、機械のように冷静に正確に、一糸乱れず攻めてくる。

後退しながら鞭を振るってくれるおかげでいつまで経っても近づく事が出来ず、身体が蚯蚓腫れだらけになっていく。

 

……強い。

今の美亜は、イキモノとして俺より上位に当たる存在なんだ。

 

「くすくす。鞭はね、拷問用の器具として生み出されたものなんだよ。

だから他の武器と違って、どのように殺すかではなく、いかに殺さず痛めつけるかに主眼が置かれているの」

 

あの優しくて控え目な美亜の口から女王様そのもののセリフが飛び出している。

……たまりませんね。最高。

 

「一時間4000円?生中はOK?」

「……言ってることの意味がさっぱりわからないよ、ユキちゃん」

 

ムチを振るうたびに躍動する乳。プルチニズム万歳。

そして何よりも縦横にのたうつような軌道を見せる鞭を片手で御すことのできる、あのしなやかな身体。

柔らかく引き締まっていて、触ったらきっとものすごく気持ちいいとおもう。

…あ、あーッ!!今、今ぷるんって!某魔乳娘のカットインばりにこれみよがしなほどぷるんって揺れましたよ奥さん!?

 

「縦揺れも横揺れも大好きデス!」

「……?地震の事かな?縦揺れは危ないよ」

 

そうして噛み合わないコンタクトを幾度か繰り返しながらも、美亜は俺の海綿体のことなんか気にせずにムチムチしてくる。

こっちは身体じゅう打ち身だらけでいい加減泣きそうだ。

 

このままじゃジリ貧なので飛んできたムチの先端を掴み、手繰り寄せようと試みる。

……が、逆に引き寄せられてしまった。なんというか、男としてこれはすごく悲しいことだ。

釣り上げられた俺はそのまま美亜の目前まで引っ張られると、メチャクチャな情けない格好で尻餅をつく。

 

「………あ」

 

可愛い幼馴染の前で、大股開き……。

 

「新世界!!」

 

さあ、俺は準備万端。あとは美亜がココに乗っかるだけで生命誕生の再現だ。

ああ、素晴しきかな新世界。

 

「ふふ……、それ」

 

と思ったら、足先ひとつで四つん這いにさせられる。

だ、第二新世界!?ムチと折檻による巨大帝国の統治!?It's a wonderful world !!

 

「………ねぇ、ユキちゃん。ごめんなさい、は……?」

「ぐっ…」

 

ブーツのカカトで背中をぐりぐりと踏みつけられる。

あまりの痛さに呻いてしまう。

 

「ふふ…ユキちゃん苦しそう……。

いくら傷の治りが早いって言っても、昨日の今日だもんね……癒えきってるわけないよね」

 

シャレにならない痛さ。冗談を言う気も失せてくるほどだ。

あんな凶器そのもののブーツで蹂躙された日には、背中の皮が残らずこそげてしまう。

 

「あは…すごく気持ちいいの……。

もっともっと、ユキちゃんのそのカオが見たいな………」

 

そう言って、嘘みたいに長くて赤い爪を、ひたりと背中にあてがう。

美亜が何をしようとしているのか、一瞬遅れて理解した。

 

「やめ……!!」

 

叫んだところで、もう手遅れだった。

 

 

 

―――――ああ…入ってくる。

ナイフのような爪が、ずぶずぶ、ずぶずぶと。

 

大きすぎる異物が、正規の手順を踏まずに体内に侵入する。

感覚自体は火傷に似ているが、それよりもっと物理的だ。

肉をえぐられる感触とともに意識が飛ぶほどの激痛が身体じゅうを循環する。

自分では見ることが出来ないが、背中には生々しい五筋の傷が走っていることだろう。

 

 

俺の中の俺、やさしいやさしい自分が叫び声を上げる。

お前を苦しめているのは誰だ、そいつを俺が殺してやる、だから早く俺を解き放て。

 

力。俺の力。俺にだけはすごく優しい。何でも言う事を聞く。

そして強い。強大だ。自分ですら底が見えない。確かにコレなら美亜だって敵じゃない。

強引に屈服して支配することだってできる。犯すも殺すも望むまま。

 

母さんを泣かせてしまったあの日以来、ずっと抑えていた俺の力。

 

親父は何とか俺の力を失くそうとしたらしいが、母さんはそれを制した。

誰の手も加えられていない、自然なままの俺を残そうとした。

 

ひどい話だ。最初に俺に手を加えたのは他でもない母さんだっていうのに。

それとも、俺は母さんのモノだから、何をしようが母さんの勝手だというのか。

 

……ふざけるな。求めるだけ求めておいたくせに、いらなくなったら放棄するのか。

ごめんなさいと謝罪して、頭を下げて、それで自分のしたことが帳消しになると思っているのか。

 

じゃあ、このチカラはどうすればいい?

望むだけ望んでおきながら、必要とされなかったこの力を…俺はどうすればいい?

 

……簡単だ。誰にも必要とされないのなら、俺が求めてやればいい。

これは俺の力なんだ。俺のものは俺が自由に使う。誰にも文句は言わせない。

 

 

「ねえ…美亜は俺のことが嫌いになったのかな……?」

 

いつもの返事を期待して、問いかけた。

美亜はさっきより少し離れた場所にいる。

 

「ううん…大好きだよ。……だから殺すの。

他の誰かのモノになるくらいなら、私が、この手でユキちゃんを殺してあげるの」

 

俺が期待した通りの言葉を返して、美亜は一歩ずつこちらに近づいてくる。

 

「じゃあさ…俺がほんとうは化け物みたいな奴でも、女の子を犯すことしか考えていないケダモノみたいな奴でも、

美亜は俺のことを嫌いになったりしない……?」

 

美亜はゆっくりと膝を折り、俺の耳元に囁く。

 

「私、ユキちゃんが大好き。綺麗な顔も、ふわふわの髪も、深い瞳も、透き通った声も…ぜんぶ大好き。

だから、怖がらなくていいよ…隠さなくていいよ……。

私がぜんぶ受け止めてあげるから…ユキちゃんのほんとうの力を、私に見せて……」

 

そう言って、美亜は今にもはちきれそうなほど大きく翼を広げた。

 

―――チカラを受け入れられたことで、俺の身体ではゆっくりとした変化が始まった。

内側からだんだんと、少しずつ。変化は目に見えないところから進んでゆく。

 

美亜は相変わらずすぐそばにいて、俺を見下ろしている。見下ろすだけで手を出そうとはしない。

どうしてだろう。俺はどこまでも無防備で、こんなにも美亜の近くにいるというのに。

俺を殺すというのなら、これ以上の好機は無いだろう。

なのに美亜は、まるで母が子を見守るかのように期待のこもった目で俺の変化を見届けていた。

 

やがて大きな変化が始まると、すぐに美亜の視線は気にならなくなった。

身体がやけに熱い。見えない誰かと夢中で身体を重ねているような感じだ。

俺は獣じみた雄叫びを上げた。その声は自分でも驚くほどに低く、唸るような慟哭だった。

 

変化はまだ続く。

背中が急に重くなって、二本足では支えることが出来ない。

俺はやはり獣みたいに四つん這いになりながら、美亜を見上げた。

美亜は小刻みに震えていた。恐怖ではなく歓喜によって。

 

「いい―――すごく、いい」

 

美亜はその背格好に似合わない大振りな胸をぎうと強く握り締めながら、甘い吐息とともにそう漏らした。

そして足元でうずくまる俺と同じ高さまで腰を落とすと、紅潮し桃色になった白い手を差し出した。

その手が俺に触れた瞬間、快感が電流のように体中を迸った。

ぞくぞくと身震いするほどの心地よい感覚に、俺は自分が人間であることさえ忘れて吠え猛った。

そして美亜は信じられないくらい妖艶に微笑むと、俺を抱擁した。

ああ、なんて安らかなんだろう。

こうして包まれているだけで、全ての罪から許されるよう―――――。

 

祝福を受けて目を覚ます、あたらしい俺。

俺という魂のカタチの変化が、ここに完了した。

 

「―――いざとなれば、止めるぞ……」

「―――ええ…」

 

遠くで見物を決め込んでいたはずの二人の声が、すぐそばから聞こえる。でもそんなことはもうどうでも良かった。

俺はいきなり軽くなった背中にぐんと引っ張られるように立ち上がった。

そしてまず、首だけを後ろに動かして自分の背を眺めた。そこには黒い翼が六枚ほど生じていた。

 

美亜は満足そうにその様子を見届けると、完全に俺に身を任せた。

まるで怪物への贄として己の身を捧げる神話の乙女のように。

 

しばらくの間そのぬくもりを感じて居たかったが、待針でちくりと突き刺すような胸の痛みがそれを遮った。

見る間でもない。美亜が俺の胸を抉っているんだ。

 

「これで、私とユキちゃんは、おんなじ……ふふっ」

 

美亜は傷口をちゅるりとひと舐めしてから、遥か後方へと文字通り飛び退いた。

その爪からは新鮮な赤いマニキュアが糸を引き、垂れ落ちている。

 

俺は何をするでもなく、ただ美亜が翼を使ってはためく姿をぼうっと見ていた。

その間に出血も止まり、傷口は完璧に塞がった。

 

もう大丈夫。頭のほうはすごくおかしいけど、身体に異常は無い。

慌しかった鼓動はせせらぎのように澄んでいる。

 

さて。このまま素手で美亜と戦うのはちょっと不利かもしれないので、

俺は試しに、『領域』から何かを拾ってみることにした。

 

「From across the dark,once unexcuse to impostor on the ebony-shadow,

(彼方にて堕つ『昏き闇』 その漆黒の輝きを前に裁きを騙ることは許されない)

for cry,for guilty,this is The Devastat of judgment,―――『Gulf』

(刃を以って解放を叫び 一閃を以って断罪を滅す 背徳の剣―――『深淵の黒』)

 

俺の右手に現れた剣は、闇そのものだった。

一切の質量が無く、夜に溶け込んで掻き消えてしまう程に見事な漆黒。

 

試しに、美亜から繰り出された光の軌道に合わせてそれを一振りすると、光鞭は中ほどからじゅっと焼け千切れた。

同時に俺へ向けて突き出された槍を八つに裂いて、その主を蹴り飛ばす。

彼は壁まで吹き飛び、かくんと頭を垂れる。…残念だよキサラさん。貴方は強いと思っていたのに。

 

ともあれ、この剣。適当に取り出したにしては上出来だ。

威力の程を確かめられたので、この剣はもう領域へ還すことにした。

 

ふと後ろを振り返ると、カナタさんが俺を狙っている。手に強烈な得物を携えて。

持ち主の肩ほどまである長刃の日本刀。あれも領域から取り出したものだろう。それにしては無骨だ。あまりにも魔力が無い。

彼女は一歩で間合いを詰める。そして俺の腹に峰を打ちつける。すごい速さで。俺の目には遅くとも、世界にとってそれは速い。

 

「―――ッ!?」

 

でもそれは俺の身体をすり抜ける。当然。俺の身体は領域そのものなんだから。

俺はお返しに彼女の腹に拳を打ち付ける。あえて吹き飛ばないように、背中をがっしりと支えて。

手を離すと彼女は力なく崩れ落ちる。苦悶の表情を浮かべながら。

 

みんな、みんな、脆い。まったく、どうしてこうも脆いんだろう。

俺の闘争本能を満たすほどの強さを持ち合わせていないから、俺は闘争以外の手段で渇きを癒すしかない。

 

カナタさんを抱え上げる。お姫様は大切に扱わないといけない。でも獣にはそれが出来ない。

俺は彼女にごめんなさいと言い、その身体をキサラさんの元に投げ飛ばす。なんとなく彼と一緒の方が良いと思ったから。

 

ああ…本当に、俺の真性はケダモノなんだ。

獣はとても不器用だから、抱き寄せた姫を潰してしまう。呪いを解いてもらう前に、野獣は姫をなぶり殺してしまうんだ。

想いを打ち明けられるのは何も言葉だけじゃない。互いを引き裂き喰らい合うことだって、人外の立派な愛情表現だ。

そう、俺達はもう人間じゃない。この背に生えた翼が、俺達と人間を絶望的なまでに隔ててくれる。

たとえ美亜の声が聴きたくても、人外の俺では暴力によってしかそれを成す事が出来ないんだ。

もう二度と、あの優しい声は聞けない。そう思うと悲しいけれど、今の俺はもう涙も出ない。

 

―――ああ、なんだろう。だんだんあたまがぼやけてきた。

 

目の前にいたはずの美亜は、いつのまにかすごくとおくにとびのいていた。

翼をうまく使い空中でぐるんと回転してから、ぎゅんっと魚雷みたいなすごい音をたてて突っ込んでくる。

でもぐるぐるのアタマのなかとは裏腹に、美亜の動きが異常なほどくっきりとみえる。まるでコマ送りだ。

 

飛んできた美亜を捕らえる。羽虫を潰すよりも簡単だった。

美亜の腕を掴む。とてもやわらかい感触。

ぎゅっと握るとつぶれてしまいそう。

秒刻みでおかしくなっていく頭。美亜に触れることでそれがさらに加速する。

美亜が俺の腕をふりほどこうとして、じたばた、じたばたともがく。

…こまった。どのくらいのちからでおさていればいいんだろう。

やさしくするとはなれていくし、かといって、あまりちからをいれるともげてしまう。

迷ったあげく、抱きしめることにした。

でもそうすると今度は俺の腕の中で暴れるから、もつれて倒れこんでしまう。

そしたら美亜は、急におとなしくなった。

 

……犯したい。

 

感じる。美亜は特別なんだ。相性がいい。凄くいい。

このまま身体を重ねれば何にも勝る快楽を与えてくれるだろう。

俺は獣だ。獣は獣として相応しく振舞えばいいだけだ。

はやく、はやく。ひとつに、なりたい―――

 

 

 

 

「ゆっきー、初プレイで野外はやめとけ。そんなんじゃ女の子に嫌われっちまうぞ?」

 

 

……亮の声がする。

どうしてだろう。亮がこんなところにいるわけないのに。

 

「あー、でもいいよな、野外ってのも。月のん、今度やらない?

……とか言ったらどうしちゃう?」

 

「亮ちゃんは紳士ですもの。そんなことはしないと信じています」

 

この声、、、以前一度だけ聞いた覚えがあるけど、誰だろう?

心当たりが多すぎて、、わからない。

鈴を転がすような、可愛い声。あの頃は安らいだものだけど、今となっては、不快だ。

美亜も不愉快そうに顔をしかめている。これは人外のモノを強く揺さぶる音なんだ。

 

声の主の方を向く。女の子だ。やはり見覚えがあるけれど、思い出せない。

俺は女の子の瞳をじっと見つめる。じっと。すると突然、女の子の身体がぐらりと傾く。

 

「大丈夫か、月のん」

 

そこに亮が手を添えて支えた。

女の子は亮に肩を預け、甘い吐息と切ない声を漏らしながら呟く。

 

「……とてつもないものを宿しているのですね、綾人さんは。

この私が堕ちるなんて、前代未聞です」

 

亮はふんふん、と何やら頷いてから、

 

「―――綾人、美亜。帰るぞ」

 

本当に何気なく、いつも学校から帰るときのように呼びかけてきた。

 

「……………ん、そうだな」

 

でも何故かその声を聞いた途端、俺はすっかり元通りになった。

羽を仕舞うと全身からふっと力が抜けて、尻餅をついてしまう

ぼろぼろになった居住まいを正してから立ち上がり、ポケットに入っていた飴をひとつ口に含んだ。

その様子を見ていたカナタさんが、俺と同様に立ち上がり、服の埃を払いながら、呟く。

 

「貴方、彼の言うことは聞くのね」

「うん、信じてるから」

 

俺は口の中の飴をもごもごしながら答える。

 

「…羨ましいわね、そんな関係」

 

くすりと笑いながらそう答えると、何事も無かったように長い髪をふわりと払って月乃さんのほうに向かっていった。

俺はまだ中指の先くらいある飴を強引に飲み込んだ。飴は当然ながら喉を遡り戻って来るが、これまた強引にダメ押しした。

味のしない退屈な薬飴だけど、舐めていると頭がすっきりしてくる。

 

月乃さん…?

……ああ、そうだ。思い出した。さっき亮と一緒にやってきた女の子は、月乃さんだった。

でも今はそんなことより美亜だ。

 

「美亜、大丈夫…?立てるか……?」

 

へたり込んだままの美亜に、手を差し伸べる。

美亜はためらいがちに手を伸ばしたが、俺に触れる前にその手を引っ込めてしまった。

 

「私には…ユキちゃんの手を取る資格なんて、ないの」

 

だらりと力なく手を下ろし、泣きそうな顔を隠すように深く俯いた。

 

……手を取る資格がない?なんのことだろう?

たかが手を掴むのに特別な資格なんて要らないし、そもそも俺が手と手で直接触れ合う事を認めたのは美亜だけだ。

 

「……どういうこと?」

 

座り込んで、美亜の目を見据えながら問い詰めると。

美亜は、こらえていたものを一気に吐き出すように、声を上げた。

 

 

「わたし…なの。ぜんぶ、私が、悪いの……」

 

最後まで言い切らないうちに、美亜はぽろぽろと涙を流し始めた。

 

「わたし……わたし…ユキちゃんに、そばに、いてほしくてっ…!

だ、から…だから……ごめん、ね…ごめん…ねっ………」

 

……困った。さっぱり訳が分からない。

でも美亜は泣いてるんだから、俺が慰めなくちゃいけない。

 

俺は釈然としないまま、美亜を抱き寄せ出来るだけ優しく髪を撫でた。

こうすると、美亜は落ち着く。

しばらく続けると、美亜は泣き止んでくれた。

昔よりずっと女らしくなったけど、こういうところは変わらないんだな、と思うと、なんだか嬉しくなる。

 

やがて美亜は、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

 

「昨日の晩、紀更さんがユキちゃんに襲い掛かったでしょう?

あれは…ね。私が頼んでしてもらったこと、なの」

 

……どういう反応をすればいいものか。

本当は怒鳴りつけるような場面なのだろうけれど、生憎とそんなことをする気は全く起きない。

 

「私が、二人に、ユキちゃんを傷つけてって、頼んだの……」

 

すぐにもまた泣き出してしまいそうな表情。

だけどさっきとは違う…すべてを告白する決意を、そこに垣間見た。

 

「怖くなったの……。ユキちゃんが信じられなくなって…それがすごく怖かったの……。

ユキちゃんは秘密が一杯で、わからないことだらけで、わたしは頭がおかしくなりそうで……」

 

美亜の細い肩を抱き、落ち着くよう言い聞かせる。

美亜の告白を成就させるためには、俺が順を追って問い質していかなければならない。

 

「まず、どうして俺を襲わせたんだ?」

 

「……ユキちゃんが傷を負えば、きっと私を頼ってくれると思ったから。

ユキちゃんがここぞという時に私を頼りにしてくれるのなら、わたしも、希望が持てるはずだって思ったから」

 

そして美亜は俺の手袋を指差すと、付け加えて言う。

 

「出来るだけ手を傷つけて欲しいって、頼んだの。目に見えた隠し事、して欲しくなかったから」

 

そこで、亮が口を挟む。

 

「確かに昨日は問題発言が多かったからなぁ。トドメは昼休みン時のあれだろ?

お前あんま自分の事話さねーしさ。いろいろ重なって焦り切ってた所に昨日の知夏たんが来たもんだから、

溜まりに溜まった不安―――つーか不満が大爆発しちまった、と」

 

亮の意見に対してこくこくと首を縦に振る美亜。

 

……あまり自分のことを話さない。

そのセリフをそっくりそのままやつに返してやりたい。

 

「ただ、申し訳ないが殺し合う理由としてはどーも弱い気がするんだがな……」

「……確かに、な」

 

ここまでの美亜の話を聞く限り、特に難しいことは無い。

美亜は、俺のことで不安になる要素をなるべく取り除きたかった、それだけの話だ。

 

問題となるのは、そんな些細なことを殺し合いの引き金にまで至らしめた出来事。

……ただ、その前にひとつ。

 

 

「……なあ、美亜」

 

ようやく落ち着いたっていうのにまた蒸し返すようで辛かったが、これだけは聞いておくべきだと思ったから。

だから俺は、美亜に訊ねた。

 

どうしてそこまで切羽詰っていたのか、と。

 

 

美亜は震わせながら、ためらうように口を開く。

今から口に出そうとしていることが、この一連の騒動の核心となる出来事なのだろう。

 

 

「……最近、知らない人につきまとわれているの」

 

……………………。

いろいろ言いたいことがあるがひとまず置いておいて。

 

まず、それは誰だ、と尋ねる。

 

「わからない。でも、私が一人になるとやって来る。……場所も時間も関係無しに。

そして、ユキちゃんは私のことを見ていない、私じゃユキちゃんに不釣り合いだ、手を引くべきだって言ってくるの。

……初めはその程度だったけれど、どんどん酷くなっていって。…昨日、レーデでユキちゃんを待っている時にも来たよ。

それで、何て言ったと思う……? ユキちゃんはね、私を………」

 

手で制し、とどめる。

その先を口にさせてはいけないと思ったから。

 

「……その人の口から出る言葉は、すごく簡単に、なんの障害もなく胸の奥まで落ちてくるの。

疑いようが、無いの。刺のような言葉は疑うことすら出来ずに、真実として私のなかに入り込んでくる。

それが…どうしようもなく痛くて、辛くて………もう、我慢できなかった」

 

そこまで吐き出し終えると、美亜は意を決したようにこちらを真っ直ぐに見据えてくる。

 

「……ユキちゃん。高校生活は楽しかった?」

 

問い詰める。

今度は逆に、俺を糾弾するかのように。

 

「……楽しかった…よ」

 

本当のことなのに、答えるのがすごく辛い。

 

「ユキちゃんなら、気付いてくれると思ってた」

 

美亜は俺の答えに、さっきと同じ言葉を返してきた。

俺の罪。薄々勘付いていたのに、追求しようとしなかったもの。

 

 

「……私はね、毎日のように虐められていたんだ」

 

 

―――その一言で、全て繋がった。

 

美亜の精神状態は常にボロボロだったんだ。

祖父が死に、祖母が死に。学校では虐めが横行していて、居場所なんてどこにも無かった。

 

三年間……俺は何をしていたんだ。

支えてやるどころか、その悲しみに気付いてすらいなかった。

 

俺は……馬鹿だ。

 

「……ごめん、美亜。俺鈍いから、女の子の気持ちがわかんないんだ。

だから、お前の気持ちに気付けなくって……。ほんとうに、ごめんな……」

 

俺は美亜を胸に寄せて、とにかく強く抱きしめた。

ぎり、と歯軋りする音が聞こえた。

 

「どうして…どうして私を傷つけようとしないの……!?

私は私の望むまま、ユキちゃんを傷つけた!ユキちゃんには私を嬲る権利がある、それなのに……!!」

 

美亜が、顔をうずめたまま激情を撒き散らす。その表情は伺えない。

鞭により切り刻まれボロボロになった服の胸元の、瞳を押し付けられている部分が、熱く濡れている。

 

「……約束したからな」

 

空いた手で髪を撫で下ろすと、俺の手は流れるように自然に滑り落ちていく。

美亜は指を手袋の隙間に潜り込ませ、俺の手を握り返してくる。

 

「やく、そく……?」

 

顔を上げて、呟く。眼が兎のように赤い。今にして思えば、あのイメージは途轍もなく正しかった。

美亜は兎そのものであり、その赤は美亜を象徴する色だと改めて思った。

 

「……ん、覚えてないならいいよ」

 

俺はそこで言葉を切り、あとはそのまま美亜を抱き続けた。

しばらくの後、美亜は名残惜しそうに指を解いて立ち上がる。

 

「悪いな亮、随分待たせちまって……。もう、帰るか…?」

「……いや、もうしばらく待ってくれや」

 

亮は珍しく真面目な顔をして、視線をビルに向けたまま呟きをもらす。

 

「……全然見覚えねーんだけど、なんか懐かしいんだわ、ここ」

 

既視感…ではなくて、懐郷感。

亮の言う感覚は、一度も出会ったことの無い人間に懐かしさを憶えるのと同じ事だ。

それはつまり、幼い頃のイメージを強く刺激する何かを、そのものが備えているということだ。

俺は亮にわかったと返すと、しばらくその行為を容認する事にした。

 

 

「ええ………本物は比べ物にならないわよ?

お風呂の縁に擦り付けたりシャワーを押し当てたりするよりも、ずぅっと…ね。くすくす………」

 

なんかいきなりすごい言葉が聞こえちゃいましたけどおおお二人はなな何の話をしていらっしゃるのかなー!?

 

「ふふ…貴女とは気が会いそうね……」

「はい…お姉さま……」

 

そう言うと二人は身を寄せ合い、舌を突き合わせて口付けをした。

おほぅ…なんて濃厚な挨拶なんだ………。

 

「いいなー。月のん、俺にはしてくれないの?」

「もう…亮ちゃんはエッチですね……」

 

ぽっと顔を赤らめる月乃さん。

……魔性だ。ここにも魔性がいるぞ。俺の周囲は魔性ばかりだ。

 

 

―――と、月乃さんがおもむろに近寄ってきて、俺の頬をゆるくつねる。

 

「おあとがよろしいようで」

 

にこやかにそう言うと、むにむにむにむにと、遠慮も容赦もなくマイ頬肉を弄んでくる。

いけない、ここでこのきもちよさにめざめたらそのままめくるめくとうさくのせかいにひきずりこまれてしまうー。

 

「……月乃さん、いきなり何を?」

「亮ちゃんは必死に貴方のことを探していたのですよ?……本当に、妬けたんですから」

 

これぐらいは当然ですよね、と笑顔で脅迫しながら、むにむにと頬をいじくってくる。

痛くは無いけど、ちょっとドキドキする。なんていうか、和服の女の子もいいですよね。美味しそうですよね。

俺みたいな茶色がかってるのとは違って、純正日本人の黒髪なのも、また。

 

「似合ってるね、その着物」

 

着こなしを褒めると同時に話を逸らす。

このテの誘導は男女問わず効果があるが、特に女の子が相手ならとても高い確立で成功する。

 

「いいえ…これは浴衣です」

「着物にしか見えないんだけど」

 

…よし、乗ってきた。おまけにかなり嬉しそうだ。

どう見ても不似合いな格好を褒めるのと違い、彼女の場合は本当に似合っているから助かる。

 

薄いピンクがかった白地の着物と、首から掛けたロザリオの組み合わせが妙にしっくりきている。

彼女によると、これは異教のシンボルを取り入れることで背徳を表現した服装らしい。

……不信心者の俺にゃよくわかりませんがね。

 

「そういう風に仕立ててもらっていますから」

 

浴衣と着物ではお値段が10倍も違うのですよ、とたおやかに笑う。

と、ここで月乃さんの視線が艶を帯びていることに気付いた。

 

「それにしても…綾人さんは男性とは思えない程に美しい顔をしていますね……。

――――血の色も、とても…美しいですし……」

 

そこまで言うと、月乃さんはもう我慢できない、といった風に俺の背中に口を付けて血を舐め始める。

勿論傷は完治しているが、一度流れ出して固まった血はどうにもならず、背中にはまだたっぷりと於血がこびり付いている。

 

「……アァ…やはり、美しいカタの血は、味までも美しいのですね………」

 

女の子は意外と血に強い。女性の生理時には月経血が大量に流れる。

大量出血する光景をわりと日常的に見ているから、血に対して別段抵抗も無いという。

……だからといって、嗜好するわけでもないと思うんだけど。

なんでか、俺の周りにはこういうの好きな女の子が多いみたいだ。

 

「古来より血液には、各人のシュクメイが宿ると言われています…。私の前でソレを流さぬよう、どうぞお気をつけ下さいませ……」

「……ん。まあ、微妙に気をつけるよ」

 

八重歯を覗かせながら、常軌を逸した瞳でこちらを見つめてくる。

逆らってやりたくなったけれど、ここは彼女の可愛さに免じて大人しく言うことを聞いておく。

女の子はさっき言った生理のおかげで血の気が足りなくなる事が多いらしいし、こうでもして補わなければやってられないのかもしれない。

 

「……それより。亮に何かあったら、承知しないよ?」

「ええ…こちらこそ」

 

お互いに、決して相容れない一線。

それが明確なモノだからこそ、こんなに違う他人と他人が仲良くできるのかもしれない。

 

気付くと、美亜が怖い顔でこちらを見ていた。

……それを見て、もう元通りになったんだなって、安心した。

 

 

「…仲直りしてくれたのはいいのだけれど。私達はこのまま貴方たちを帰すわけにはいかないのよ」

 

事態にもようやく収まりが付き、さてこれから帰ろうという所で、大人二人が俺たちを挟み撃ちするような形で前後から道を遮った。

それに呼応するように、俺以外の3人は即座に戦闘の構えを取る。

 

「嬉しいわ、能力者が二人から四人に増えるなんてね。……もっとも、綾人君さえ居れば他の子は必要ないのだけれど」

「……オネーサン、そいつはちょいと都合良過ぎじゃないの?」

 

みんな……もしかして、やる気満々?

 

 

「……待て待て。みんな血の気多すぎ」

 

ていうか、美亜はあの二人と協力体勢をとっていたんじゃなかったんだろうか。

たんなる俺の思い込みなのか?

 

「……俺が『門』を開きさえすれば、全てが丸く収まるんですよね」

「ええ、そうしてくれるのならば、私達からは何も言うことは無いわ」

 

さっき決めた事だ。もう思案するまでも無い。

 

「……わかりました。やります」

 

答えたあとで安請け合いしちゃったかもしれないかな、とちょっと後悔したが、

一度約束してしまった以上撤回はできない。

 

「でも……きっと、その先に待っているのは絶望だけですよ?」

 

相変わらず二人の考えている事は俺には理解出来ない。

世界に二人ぼっち。それは絶望以外の何者でもないはずだ。

 

「……絶望から始まるものもあるのよ」

 

微笑んでばかりいたカナタさんが、ここに来て初めて無機質な表情を見せる。

その言葉にどれだけの重みがあるか、俺なんかには到底解らない。

 

たとえばどんなに相手に失望したとしても、世界には自分と相手しかいない。

だから結局、寄り添い合って生きていくしかない。

そこに特別な感情が無くとも、関係的に冷え切ってしまっていたとしても。

添い合っている以上凍りつくことは永遠に無い……そんな逆の考え方もある。

 

……やめよう。

これは下らない好奇心で掘り返して良いことじゃない。

 

 

「…その『門』はどこにあるんですか?」

「……この中だ」

 

 

キサラさんはいつものように不言実行。伝えるべき事を伝えると、さっさとビルの中に入って行ってしまった。

置いてけぼりを食らわないよう、みんなで急ぎ彼の後に続く。

 

 

 

 

 

―――ビルの内部は、真っ暗な闇と完全な沈黙に支配されていた。

 

ふぅ、と大きく息を吐く声が、いくつか聞こえる。

何故かはわからないけれど、ここに一歩でも立ち入ると路地裏の嫌な匂いがふっと消えるのだ。

 

廃棄されたビルなので当然の事ながら何もないけれど、

壁から配電線がはみ出ていたり老朽化した鉄骨が床に突き刺さっていたりして、そこそこ危険だ。

それに、六人分の靴音が、床、壁、天井、すべてに反響するのは結構うるさい。

 

このビルは10階建てでやたらと縦に長いが、1フロアは中高生用の教室を四つ並べたぶんくらいの広さしかない。

ビルとしては小さめだし、障害物がほとんど存在しないので通過するのも容易だ。

でもここ、階段が部屋の端と端に設置されているので、上るにしても下りるにしてもいちいちフロアを横切らないといけない。

すごくめんどいのだ。

 

「綾人くーん、綺麗なオネエサンに惑わされて勝手に手伝う事を決めちゃった綾人くーん」

「なにそれ。人を即物的かつ尖端的な海綿体の塊みたいに言わないで欲しいな」

 

亮がなんか文句言いながら後ろから挑発的に小突いてくる。

 

「ヒマ。なんか話せ。可及的速やかにな」

 

また無茶苦茶なことを。

なんか面白い話し合ったかなぁとほんの一瞬だけ考えたら、ありすぎて眩暈がしてしまった。

俺の人生はなんてネタに満ち溢れているんだろう。自分でも悲しくなってくる。

 

「あ、だったら昨日言ってた目指してる人の話を聞きたいな。

私、そのことがすごく気になってたの」

 

そこに美亜が便乗してくる。

お題を提示してもらえると、話す身としては非常に助かる。

 

「手袋の話も聞かせてくれよ。出どころが気になるんだよな、それ」

 

……亮め、この手袋のカラクリに気付いてやがる。そうでなきゃ出どころはどこだなんて聞いてこないだろう。

アーティファクトを買える店なんて、一般人とは無縁だ。ウチのような特殊な環境でも無い限り。

 

「この手袋は、もらったんだ」

 

亮が謎の雄叫びを上げる。次いで、さすがは超大金持ちだなオイ!!と難癖をつけてくる。

そりゃまあ、目が飛ぶほど高いアーティファクトをタダでくれるなんて、一体どういうコネだって話だけど。

 

「目指してる人の話は、どうなったの…?」

 

後回しにされたからか、拗ねたように訊ねてくる美亜。

あぁちくしょう。襲い掛かりてぇ……。

 

「…それも話すよ。実は、この話は全部繋がってるんだ。

まあ、あんまり期待しない方がいい。何のことも無い話だよ。

聞いても別に面白くないだろうけど、俺にとっては大切な思い出なんだ」

 

そんなふうに話しながら歩いているうちに、やがて階段に差し掛かる。

この階段は大人一人がやっと通れるくらいの広さしかなく、そのくせ長いので、自然と一列に並んで昇っていくことになる。

 

キサラさんが先頭を進み、カナタさんが最後尾に付いてくる。

……何だかんだ言っても、まだ完璧に俺たちを信用したわけじゃないようだ。

 

 

「ユキちゃん、手がすごくいやらしいよ…」

 

さっきからずーーーっと、前を行く美亜の尻をさわさわしていたんだけど、

いい加減怒られたので、やめる。

 

「…さて。スキンシップは終わったみてーだから、そろそろ話してくんないかな?」

 

後ろでニヤニヤしながら見ていた亮が、

一転して真面目な声調でさっきの話の続きを要求してくる。

 

「うん、私も聞きたい……」

 

美亜もわざわざこちらを振り向いて催促してくる。

……そんな前を見ずに歩いてたら転ぶだろ、って思ってたらやっぱり転んだ。

 

「…とりあえず、次の階に着いてからな」

 

すんでのところで美亜の身体を抱き寄せたので、危うく事なきを得た。

振り返ると、亮がニヤニヤと笑っている。

 

 

 

―――で、次の階に着いたら、約束どおり昔話を始める事になった。

 

……しかし、聞きたいって言ってきたのは二人だけだったのに、

いざ話す段になったらみんなして足を止めるのは何故だろう。みんな娯楽に飢えているのだろうか。

 

「さて、どこから話せばいいもんか……」

 

少しの間、思案する。

がらんとしたフロアに、先程までの沈黙が戻ってくる。

 

「そうだな…まず、このビル。

……十年前、俺はここであの二人に出会ったんだ」

 

薄汚れた壁を手でなぞる。その行為に特に意味は無い。

けれどその場にいる誰もが、俺のそれを食い入るように見ている。

 

「それが、尊敬している人?」

「ああ。歩さんっていう男の人と、真理亜さんっていう女の人。歳は……同時で今の俺と同い年だから、19歳だったのかな。

すごく優しい人たちで、俺と姉さんのことを可愛がってくれた」

 

月乃さんが、失礼ながら尊敬という単語がその話の何処と結びつくのでしょうか、

と容赦ない質問を投げかけてくる。

 

「説明が難しいけど…俺は高校生になるまでに、二度ほど生死の選択を迫られた時があった。

他にも何度か殺されそうになったことはあったけど、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い込まれたのは二回。

ひとつは本当に偶然の事故、輪禍だね。もうひとつは事故だけど明らかな意思、それも悪意を持った災害。

その後者にあたる危機を救ってくれたのが、歩さんだった。……それだけの話」

 

偶然の輪禍という言葉に、亮は目の色を変え、美亜は息を呑む。

…当然だ。あの事故は美亜や亮にとっても他人事じゃない。本当にぎりぎりの事故だった。

ただそれでも月乃さんは納得がいかなかいようなので、特別サービス。

 

「世の中には何だかよくわからないイキモノがいてさ。……そういうのは君の方が詳しいんじゃないかな。

で、それに襲われて殺されかけた時に、さっき話した歩さんに命を助けてもらったんだ」

 

月乃さんはあからさまな反応を示したが、意地悪な俺は話をそこで一旦止める。

ところで、ここは最上階。『門』というのはこの階にあるのか、それとも屋上にあるのか。

……十年前に歩さんたちに出会ったとき、屋上で何かしていたのは憶えている。

今回の件はそれと何か関係があるのだろうか?

 

「……とりあえず、歩こう。ここは10階だから…確か階段の近くに休める場所があるはずなんだ。

続きはまた、そこで話すから」

 

俺の一言を受けて、皆は歩みを再開する。俺もその後に続く。

歩きながらこれから話す事の内容を考え、整理していく。

六人分の足音ががらんどうのフロアに幾度も反響して、怪物の息吹のような異音に化ける。

それが何度も続くと、ついには自分の足音さえもわからなくなる。ここが異界の門だというのも頷ける。

 

「……綾人さん。先ほどのお話の続きをもう少し、お願いできますか?」

 

月乃さんがそっと耳打ちしてくる。

俺はまた今度ねと言いながら、彼女の耳朶を甘く噛んだ。

彼女はそれに応じるように微かに声を漏らしながら、誘うような瞳を向ける。

 

「人のモノは盗らない主義だから、安心して」

 

月乃さんは浴衣の襟を少し開きながら頷くと、後ろの方に引っ込んで美亜と話を始めた。

……ふむ、なかなか蟲惑的な仕草をするではないか。

 

 

このビル、横はそれほど広くないので目的の場所はすぐに見つかる。

フロアの一角にかぶせてある青いビニールシートを慎重にはがすと、パイプ椅子が十脚ほど現れる。

昔、このビルに通い詰めていた頃に作った簡単な休憩スペースだ。

 

 

「まあ、座って」

 

俺の言葉に従うまでもなく、各々が勝手に十年の埃を払いながらその上に腰掛ける。

実をいうと最後にココを使った時に、椅子の上に画鋲を仕掛けておいたのだった。

さあ、誰がかかるのか……!?

 

「む……」

 

と、突然キサラさんが重苦しく呻くと、手の平を確かめる。……大当たり。

しばらくそうして自分の手を見つめた後、独りでふむ、と納得して何事もなかったかのように椅子に座る。

 

「くっ…く……」

 

なんで手で払うんですかとか痛くないんですかとかそんな疑問とか色々含めてもう駄目だ堪えきれねぇ…!

 

 

「っくく……まあ…それで、なんだっけ?

……ああ、手袋の話ね。これ、真理亜さんから貰ったものなんだ。いずれ必要になるだろうから、ってね」

 

美人のお古ですとー!?と亮が三度目の雄叫びをあげる。

真理亜さんが美人だという情報は一つも口にしていないんだが……まあ、ご多分に漏れずとんでもない美人だ。

昨日カナタさんを見た時に想像した別の女性というのが、真理亜さんのこと。

というのもカナタさんの青い瞳が、日系英国人である真理亜さんのイメージと被ったためだ。

 

「……でも、どうしてそれを肌身離さず着けるようになったの?」

「ただのまじないだよ。手袋をはめて手を隠すだけの」

 

とは言ったものの、やはり釈然としない様子。

美亜は俺がその『ただのまじない』を異常なくらい神経質に守っている事を知っているから、ますます疑問が残るのだろう。

 

「……そのまじないっていうのは、誰にも触れないようにすることなんだ。

手袋で手を隠して、特別な人が現れるまでは自分以外の誰にも触らせないようにする。

で、その人に出会い、そして触れる時に、はじめてこの手袋を取る。

……ほら、誰かに直接触れるのってすごく特別な行為だろ?

手と手でじかに触れ合うっていうことは繋がることと同じだからさ、やっぱり初めては好きな人のためにとっておきたいじゃん?」

 

俺の美亜(問題発言)は一瞬唖然とした後、信じられないくらい赤くなる。

 

「あぁ…美亜さん、可愛いですわ……ちゅ」

「んむ…め、恵ちゃんっ!?」

 

月乃さんに顔をくいと上げられ、口づけ。さらに赤くなる美亜。……月乃さんはキス魔だった。

カナタさんが顔を覗き込もうとすると、オネガイダカラ見ないで〜といった風に両手で顔を覆う。

カナタさんは新しいエモノを見つけたような歪んだ微笑を浮かべていた。

 

「そろそろ行きましょうか。『門』は屋上にあるのよ。儀式の準備もあらかた整っているわ」

「そうですね。じゃあ、この続きはまた今度という事で」

 

美亜を除く一同が立ち上がり、ぞろぞろと階段を登っていく。

あらかじめ打ち合わせしたかのような完璧さに、俺は以心伝心という言葉を初めて思い知った。

 

「待って〜、置いてかないでぇ〜〜!でも見ないでぇ〜〜〜!」

 

あわれ放置プレイの犠牲者となった美亜の叫びが、哀しく階下にこだましていた。

 

 

 

 

 

 

「……何コレ?スッゴク怪しいんですけど。サバトでも始めるんですか?」

 

俺が今口にした言葉が、そのまま『門』を開くための『儀式』とやらへの第一印象だった。

もう、とにかく怪しいんです。マー〇様でも呼び出すような感じ。

 

「この場所は、こと門を開く事に関しては、驚くほど条件が良かったわ。

陰を司るこの国に、まさか陽の属性を与えられた門が存在するなんて、思ってもみなかった」

 

屋上全体を使った大規模な謎の魔方陣が敷かれ、この世ならぬ雰囲気を放っている。

その中央に配されているのは、門を象徴する"スリサズ"のルーン。なるほど、イメージこそ沸き難いものの、確かにコレは門だ。

 

「人数もちょうどいいですね……。なんだか作為的な気もしますけど」

 

カナタさんの指示に従い、法陣に描かれた六芒星の頂点にそれぞれ一人ずつ立つ。

俺が配された頂点には、数字の『8』が刻まれている。

聖書において、8という数字は、「復活」「新生」「救い」「聖別」「解放」を表す。

横にすると"∞"(無限)となるため、円環としての意味合いも強い。……一番デカイ役どころじゃないか。

 

「……早く始めちゃってください」

「あらあら、拗ねてしまったのかしら?」

 

カナタさんは俺の向かい側、時計で言うと六時の場所にある頂点に立っている。

彼女はくすくすと笑いながら、開扉の呪文を唱える。

 

―――途端、物凄い衝撃が圧し掛かった。

いや、押し潰されるというよりは地面に向かって吸い寄せられると形容する方が正しい。

その重力が増したような感覚に、たまらずかくんと膝を折る。

 

「やべーって!マジでコンクリートに生き埋めになるっつーの!!」

 

しかし周りを見ても俺と同じぐらい切羽詰ってるのは亮くらいのものだった。

他の皆も多少辛そうだが、耐えられないほどではないようだ。

 

「随分っ…余裕が、お有り、ですねぇ……!」

「そんなことはないわ。これではさしもの私達も、足を動かすことすら出来ないもの」

 

ただ、貴方の位置は特別に辛いでしょうけれど、と柔らかく嫌なことを付け足す。

だが圧力が強すぎて文句を言うことすら出来ない。

これでは何か口にしようとした瞬間に間違いなく舌を噛み切ってしまう。

そして留まることなくどんどん強くなる圧力が、やがて異常な現象を引き起こす。

 

地面に―――正確には門の中に、俺の身体が埋もれてゆくのだ。

 

「ユキちゃんっ!!――――もういいでしょう!?解いてください!!」

「ふふっ…無理よ。動けないと言ったでしょう?」

 

やばい。足が完全にめり込んだ。もう逃げられない。

……後は、このまま沈むのみ、か。

 

「っ!ふざけないでっ!!」

 

ああ……溶けてく。足、腰、そして肩。

得体の知れない生きた水に、沈みながら同時に食べられていくような感覚。

やがて完全に飲み込まれるその刹那、俺の身体は誰かの手によって引きずり出される。

 

 

 

「―――手伝いましょう、継弟」

 

そして、誰かは俺の耳元でささやく。

聞き覚えのある声。とても懐かしい音色。声色からして女性のものだ。

 

……誰だろう。確かめたいけれど目がかすんで何も見えない。

わかるのは、甘い匂いと柔らかい感触。それだけ。場には疑惑の呟きがみっつ、驚愕の声がふたつ。

そのどれもが、今俺を抱え上げてくれている誰かが現れた事に対するものだろう。

他に聞こえるものといえば、暴走する機械にも似た魔術失敗音と、絶え間ない羽ばたき。

それと、俺を抱きかかえる女性の嬉しそうな呟き。

 

「わ、わからない…!そんなの出来ないよ…!!」

 

騒ぎが一層大きくなる。聞き取れた情報を総合すると、

俺を助けた女性の手によって門の儀式は中断され、連動して何か別の事態が起こっているようだ。

 

「何があったんですか……?」

 

自分でも、とぼけたことを聞いたなぁ、とは思う。

でもわからなかったものは仕方が無い。

 

「正から負に書き換えられているわね、門の属性が」

 

それってのはつまり…………門の役割が正反対になるっていうことで。

この門は『入口』ではなく『出口』になり、そこから飛び出してくるのは『負』のイメージを体現するもの。

つまり、門から異世界の魔物が溢れ出してくる……ということだ。

 

……何を冷静に分析しているんだこの人はッ!?

この門が開くことは東京が魔物だらけになるってことだぞ!!

 

「ちょっとちょっと!悠長なコト言ってないで何とかしてくださいよ!!」

「困ったわねぇ…私に言われても無理よ。この面子で門を閉じられるのは美亜ちゃんだけよ」

 

肝心の女性、当事者である彼女は相変わらず俺を抱きかかえたまま。さっきから呼びかけているけど全く反応が無い。

何度頼もうが止めてくれる気配が微塵も感じられないのだ。

 

「ッ!美亜、頼む、門を閉じてくれ!」

「で、でも私、どうすればいいかわからないよ……?」

 

―――唐突に、女性が俺の瞼に手を当てる。

その瞬間に何かの魔法をかけられたかのように、視界が嘘みたいにすっきりする。

 

「これから始まる出来事を…よく見ておくのですよ……」

「え……?」

 

女性は俺を解放し、翼で高く舞い上がる。

ようやくその姿を認めた俺は、驚愕のあまり息を呑んだ。

 

彼女の姿を見ただけで、とくんと胸が高鳴った。

人間を超越した芸術的なまでの美しさと、すべてのものを慈しむ微笑。

断罪の天使が十年前と何一つ変わらない姿でそこにある。

 

 

……そして。

真下から見た彼女の下半身には、本来あるべきものがなかった。

 

間違いなく、それは俺と姉さんを救ってくれた天使だった。

彼女は十年の時を経て、再び俺の前に姿を現し、俺の命を救ってくれた。

 

 

「よく見ておくといい―――か」

 

俺は地面に敷かれた魔法陣を見下ろし、溜め息をついた。

開きかけた『門』の向こう、やがて繋がるであろう世界がうっすらと見える。

この世ならぬ怪物達。数え切れないほどの異形が、狭い門を這い出そうともがいている。

 

……わからない。

どうしてこんなにも慈愛に満ちた彼女が、人々に危機をもたらそうとしているのか。

 

「……!?」

 

さすがと言うべきかやはりと言うべきか、亮がまず最初に彼女の異常に気付く。

次いで美亜もそれに気付き、最後までわからなかった月乃さんが不思議そうな顔をする。

 

「どうしましたか、亮ちゃん?」

 

止まらない胸の高鳴り。衝動が抑えられない。

本能が理性を上回る瞬間。

 

 

「あのねーちゃん……足が、ない」

 

 

息を呑む声が、聞こえたような気がした。

でも、もうわからない。

 

「お゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

 

もう何も考えられない。いまはただ、あのひとと殺しあいたい。

 

 

 

 

 

 

翼を広げて飛び上がる。ただひたすら彼女に向かって。

やがて俺の目はその姿を捉え、歓喜とともにその身を引き裂きにかかる。

だが彼女は真下から襲い来る爪をいとも簡単に制すると、俺の頭を掴んで大振りに五度、ビルの外壁に叩きつける。

崩れた破片がみんなのいる屋上に降り注ごうがお構い無しだ。でも負傷したのはビルの外壁だけで、俺にもみんなにも傷ひとつ無い。

さらに続いて彼女は弾むような呼吸とともに俺に正拳を突き入れた。見た目に寄らず豪気な人だ。

それにしても強い。両足の不備をものともしないような強さだ。加えて鳥のような自然な飛行。

まるで最初から足なんて要らなかったから付いていないようにさえ思えてくる。

 

ありったけの力を込めて凝視すると、彼女は達したようにびくんとのけぞる。

俺はその一瞬の隙を突いて彼女の肩口に喰らいつく。彼女の美しい顔が苦痛に歪む。

次いで恥じ入るように血のこぼれる肩を抱く。もう傷は完治しているが、それでも彼女は羞恥に顔を歪めたまま。

だがそれは女である以上それはどうしようもないことだ。

 

「…っ、貴方は、異性を欲情させることにかけては一人前ですね……!!」

 

彼女はお返しとばかりに横薙ぎの手刀を打ち込んでくる。避けられない。もろに喰らってしまう。

脇腹の辺りに鈍痛が生じる。すごくハイな気分だ。気持ちいい。こんな快感は生まれて初めてだ。

まるで身体を重ねているみたいで、気を抜くとあっという間にイってしまいそうだ。これが本当の戦いなのか……!

 

俺は彼女の頭上に飛び、脳天に肘を捻じ込もうとしたが難無くかわされ無防備になった所に掌底を叩き込まれる。

反撃に一蹴り加えようとしたが空中では思うように身体が動かない。それ以前にまず絶対的な力量が違いすぎる。

今の俺ではどうがんばっても彼女には敵わない。絶対に。だからこそ、いい。

 

「まともな会話も出来ないのですね……」

 

彼女は、残念です、と溜息を吐いた。

本気で、それを求めていたかのように。

 

「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!!」

 

叫び、叱咤する。そんなもの…そんなもの、貴女に出会った瞬間から、叶う筈は無かった。

俺を狂わせたのは貴女だ。俺がクスリまみれにされたのも、母さんが俺に謝ったのも。

俺が今生きているのも、俺が生まれたのも。全部貴女の所為なんだ。

無理矢理繋ぎ合わされた遺伝子が調和するはずも無く、矛盾と矛盾と矛盾が、常に俺の中でせめぎ合っている。

足りないものを補おうとして、自分にはないモノを持つ異性を求めた。

その心が強すぎた所為で、欲望は外の世界へ滲み出て、やがてその存在そのものを惹き付けるに至った。

 

「御免なさい、綾人………」

 

彼女は、俺の心を垣間見た。

そして、泣きそうになりながら、そう、呟いた。

 

ギリギリの所で理性を押し留めていたタガが、その一言で完全にぶっ飛んだ。

 

 

 

―――その後の展開は、もう戦いど呼べるものではなくなっていた。

綾人の容赦ない猛攻を、彼女は歯を食い縛りただひたすら耐え続ける。先程までの彼女の優勢が嘘のように一方的だった。

黒い衣はところどころ引き裂かれ、白い肢体には歯や爪による鋭い傷跡が、一瞬で癒えてはまた生まれる。

 

綾人と彼女の力の差は歴然だ。

本来、単なる感情の爆発などに彼女が圧されることなど有り得ないのだ。

では何が、彼女をここまで苦戦させているのか―――。

 

「――っ、あ…!」

 

突如、天使が苦悶する。

下腹を押さえ歯を食い縛り、押し殺した悲鳴を上げる。

 

「共、鳴…して…いるのですね……」

 

彼女は力の限り羽ばたいて、有り得ない痛みを必死に耐える。

そこへ理性を失い本当の獣と化した綾人が迫る。

強烈な痛みに集中が途切れた今、彼女に綾人の一撃を避けることは不可能だった。

 

 

 

「『―――初めに光ありき』」

 

 

やむなく彼女は言霊を放つ。

同時に、子供たちから驚愕の声が上がった。

 

魔術の詠唱には専用の魔術言語を使用する。

魔術言語の翻訳は困難を極め、和訳は未だ成されていない。

だというのに彼女は今、完璧に和訳された魔術を口走った。

 

つまり、たった今彼女は不可能を可能にしたのだ。

 

その不可解な魔術は直接綾人の脳に働きかけ、彼の動きを止める。

足のない天使はそのまま闇の中へ落ちていくはずの彼の身体をしっかりと支えると、

元いたビルの屋上へとゆっくり下降し、そこに彼の身体を寝かせる。…ほんの少し、嬉しそうな表情で。

 

しかし彼女はすぐに表情を消し、彼らへと向き直る。

後に残ったのは絶望だ。彼らのうちで最も練達している二人でさえ、綾人の足元にも及ばなかった。

その、唯一彼女を打倒し得ると思われた綾人が、いとも簡単に彼女の前に伏したのだ。

 

「二人とも、お久しぶりですね……。

貴方がたが抜けられて以来、私の心は穴が開いているかのように痛み、苦しかった」

 

圧倒的な威圧感を伴って贈られる、再会の言葉。

紀更は前に進み出て、彼女の言葉に答える。後ろ手で四人に逃走の合図を送りながら。

彼方はその合図をいち早く汲み取ると、子供たちを連れて階段へと走る。

 

……だが、既に先手を打たれていた。

 

 

「女王蜂(クインメイヴ)……」

 

待ち構えていたかのように、階下から三人の男女が現れる。

ギラつく危険な目をした男、それとは対照的な穏やかそうな青年、そして女王蜂と呼ばれた女。

 

「失策ですわね、アナタがたともあろうものが。

如何なる状況においても逃げ道は確保しておくべきであると、ご両親から教わりませんでしたの?」

 

女は高飛車な口調で彼方を挑発する。

それに乗る彼女ではなかったが、いくら彼女であってもこの状況は覆しようのないものだった。

 

気が動転したのか、美亜は足元で横たわっている綾人に駆け寄ろうとする。

が、足の無い天使はそれを許さない。

 

「……っあなたたちは、一体何が目的なんですか…!?こんなことをして、一体誰が喜ぶって言うんですか!!」

 

たまらず激する美亜。

解せない不安を最も嫌う彼女には、この全くもって理解出来ない状況が恐ろしくて仕方が無かったのだろう。

 

 

「……これは戦争です。私達と、貴方がたによる、互いの未来を賭けた戦争。

理由も目的もそうそう簡単に明かすことは出来ませんが……いずれ来るべき日のため、とだけ言っておきましょう」

 

断罪の天使は彼女の不安を煽るように曖昧にそう答えると。

合図を出し、困り顔の青年を除いた二人に、一歩一歩彼らとの間合いを詰めさせていく。

 

 

「マザー。私達が貴女と袂を別つ事になった理由を、憶えておられますか?」

 

蒼天の霹靂。珍しい事に、紀更が自発的に質問を送る。

彼女はそれがよほど重みのあることだと考えた。だからこそ、迂闊にも一瞬思考してしまった。

 

「今のうちだ!退くぞ!!」

 

その隙を突いて紀更は一足飛びで隣のビルに乗り移ると、そこから五人を引き寄せる。

さらにその付近の空域に、遠くからでも分かるほど大きな風切り音を立ててヘリコプターが近づいてくる。

 

「佳澄さーん!こっちですー!!」

 

三十六計、逃げるに如かず。

亮はこうなるであろうコトを見越して、丁度綾人と天使が戦っている時に往崎佳澄に連絡を入れていたのだ。

 

「逃がすかよォォォ!!!!」

 

呆気にとられるメイヴを尻目に、明らかに危険そうな男が彼らの後を追わんとどす黒い翼を広げる。

が、それまで黙って事の成り行きを見ていた青年が、いきなり男の前に立ち塞がった――。

 

 

 

 

――――高度500メートルで、自家用ヘリの扉が開く。

それは着陸してから再び離陸していては間に合わないという浅見志野の判断の元行われた。

 

「じゃあ、行きましょうか……」

「はい、お姉様……」

 

頬を赤らめながら彼方と飛行する月乃とは正反対に、紀更に抱きかかえられた亮は激しく男泣きをする。

戸惑いながらも綾人の身体を抱きかかえると、美亜は翼を広げて飛翔し機内へと乗り込んだ。

浅見志野はその様子を無表情に見届けると、黙ってヘリを発進させる。

一寸先すら見えない無明の闇を抜けて、一行は往崎の家へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――駄目、ですよ…。子供は、世界の、未来、そのものなんですから……」

 

足にしがみつく青年を心底鬱陶しげに一瞥すると、男はあらん限りの力を込めて青年の顔を蹴りつけた。

 

「ウゼェんだよてめぇはよォ!!これから俺たちがやらかそうとしてることは何だ!?

未来をブッ潰す事なんじゃねえのかよ、ああ!?いい子ぶってんじゃねぇよクソが!!

その気がねぇんならよォ!てめぇは!!ここで!!抜けやがれってんだ!!!!」

 

さらに男は何度も青年の腕を踏みつける。鈍い音が響き渡るまで、何度も何度も。

しかし、青年の手は男をがっしりと掴んで離れない。

 

「ッ…いい加減にお止しなさい、下衆犬!」

「ああ!?誰に向かって口聞いてやがんだこのクソアマが!!」

 

「……お止めなさい、二人とも」

 

主格であると思しき足の無い天使は二人の口論を諌めると、青年に怪我をさせたことで男を少したしなめた。

男は彼女の言う事だけは聞くらしく、申し訳無かったと呟いて階下へ降りた。

 

 

「…まったく、惨めですわね」

 

言いながら、女性は青年の手首に衣服の切れ端を巻き付けていく。

 

「……あはは。すみません、メイヴ」

「…ふん。私は貴方のその甘っちょろいところが大ッ嫌いですわ」

 

彼女は天使に向き直ると、真摯に問い詰める。

 

「マザー。私、どうしても解せないことがあるのです。

……何故貴女はあのような狂犬を側に置いておくのですか?」

 

マザーと呼ばれた天使。

彼女はまさしく聖母のように微笑むと、

 

「あら…そうですか?彼、あれでなかなか可愛いところもあるのですよ……?」

 

ものすごいことを言った。

 

「ご、ご冗談を……」

 

女の顔がさあっと青ざめる様を見て、他の二人がくすくすと笑う。

すると突然女が奇声を上げながら、青年を豪快に蹴り上げた。

 

「貴方に笑われると何故かしら腹が立ちますのよッ!」

「い、痛いですよメイヴ…」

 

そんな下らない寸劇に三人は破顔一笑、先ほどまで張り詰めていた空気が嘘であったかのような笑顔をする。

しかしそれも束の間、青年は申し訳無さそうに二人を見ると、哀しそうな表情で天を仰ぎながら、呟いた。

 

「これが…本当に僕達の望んだものだったんでしょうか……」

 

その場に居合わせた二人も、同じように頭上を仰ぎ見た。

 

 

 

東京の空は、異形の魔物達で埋め尽くされていた。

 

 

 

 

 


 

 

あとがき 。

 

 

………どうも、すんゲーお久しぶりです。さっちゃです。

こんな長いだけの駄文を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

 

この間、ネットの知人に「二次創作書いてみたら?」

と言われたのでその場のノリで書いてたんですが、いつの間にかオリジナルになっていました。

 

機会があればそのうちマジもんの二次創作やってみようかしら、なんて思ったりもして。

もしやるのであれば『シャドウハーツ』や『WA2』SSなんかを書きたいですね。

無理っぽいけど。

無理だけど。

 

物語的には……色々わかりにくいことが多いですね。

まあ前編ですし…なんていいわけをしてみたり。

 

各所で出てくる英文については、、、ま・文法狂いまくってますよ。それが何か?

や、やめてぇ……お願いだから俺を攻めないで………orz

 

綾人クンが恋愛対象として執着するのは美亜ちゃんだけです。

おまけに彼は超プレイボーイですので、彼女以外の女の子は食べ物としか思っていません。

知夏さんとか、典型的な被害者です。詳しい事は中編を……モガモガ。

 

あと、冒頭になんか『前編』とか書いてあるようですが、果たして続きがあるのかどうかは不明です。

これで完結だと思って下さいませ。

 

それでは。

 

 


座談会 其の一:『えっちなのはいけないと思います。』

 

 

美亜:「はい、えっと……座談会、です」

亮:「はっはっは、●崎●人クンじゃないか!」

美亜:「ダメー!それダメー!!いろんな方面から苦情が来ちゃうー!!!」

綾人:「ラーーーーーーーー」

美亜:「それもダメーーー!!!」

綾人&亮:「脱げ」

美亜:「うう、どうしてそういう言葉を発する時だけ驚くほどのシンパシーを発揮するのかな…?」

月乃:「亮ちゃんも綾人さんも、煩悩の塊ですから……」

マザー:「こんにちはみなさん。私がラスボスですよ〜♪」

女王蜂:「しくしく…何故私が……」

綾人:「私の海綿体を一生管理していただけないでしょうか?」

女王蜂:「うぅぅ……(←本当ならぶん殴ってやりたい所だが複雑な事情があるので殴るに殴れない)」

マザー:「このセクハリストめー☆ママはそんな子に育てた覚えはないぞっ★」

綾人:「ハッハッハ、お褒めいただき光栄ですよ」

美亜:「野放しにすると危険このうえないね……」

女王蜂:「まったくですわ……」

綾人:「作者のヤロウ後先考えずにぺたぺたぺたぺた伏線張りやがってよー、姉妹作の分含めると凄い数になるぞ」

女王蜂:「どう考えても文脈が合いませ…んむ、ぅ……」

月乃:「ちゅぷ、ちゅ……(超濃厚キッス)」

美亜:「(黙殺)明らかなのもあるよね。私の名前とか……」

亮:「いいからパンツ脱げ」

綾人:「ついでにブラも脱げ」

美亜:「……私の役目は脱ぐだけですか」

マザー:「ふふ、足なんてただの飾……」

女王蜂:「いけません!それより先は仰ってはいけませんわぁぁぁ!!」

マザー:「ぶーぶー」

女王蜂:「あぁぁ…どうかご自愛をぉ……」

月乃:「では、そろそろお開きにするといたしましょう……」

亮:「なんかとりとめねぇなぁ…」

綾人:「いつものことじゃん」

美亜:「このシリーズが終わるまで、どうか脱がされませんように……」