ども、お久しぶりです。さっちゃです。

しつこいですが、とっても久々に投稿です。オリジナルの季節モノです。

 

今回は現代が舞台という事で、前作とは大幅に趣向を変えてあります。

そして容量過剰のため内容も大幅にカットしてあります(涙)。

 

 

のんびりとした、それでいて決して平穏でない展開―――――

 

最後まで一気に駆け抜けるような疾走感を目指していた前回の読み切りとは大分雰囲気が違いますが、

最終的にはところどころ俺らしさを窺わせる作品に仕上がってくれたと思っています。

 

 

 

長編読みきり『秋明けの波』、どうか最後までお付き合いくださいますよう――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人物紹介       

始点と終点を水色のマークで示しています。煩わしい方は飛ばして下さって結構です(どーせあんま反映されてないし)。

 

 

▲▽▲▽

 

 

雛迦 優:スウカ ユウ   

本作『秋明けの波』の主人公(脇役から晴れて抜擢)。年齢は物語の都合上、16歳ということになります。

頭も勘も良く真面目だが、冗談も融通も利く万能タイプ。でもよく軽口を叩くのが玉に傷。

未来を感じさせる強さを持ちながらも、同時にうっすらと陰りが差した常に自嘲気味なその瞳は、何か底知れぬモノを感じさせる。

 

 

雛迦 香奈枝:スウカ カナエ   

優の母親。はきはきしていて元気いっぱい、よく働く。

実家が洋食屋だったため料理の腕はかなりのもので、バリエーションも豊富。なかでも卵料理は得意中の得意。

年の功だろうか(失礼)非常に鋭く、隠し事をぽんぽん見抜く。

 

 

雛迦 皐月:スウカ サツキ   

優の妹。けっこう大人っぽい今時の小学五年生。明朗快活で、ほとんどのことを一人でこなしてきたため、もの凄い自信家でもある。

冷静無口な蒼の妹・遥とは正反対だが、意外なほど仲がいい。兄は言うほど嫌いではないのだが、素直になれないご様子。

とことん関係ないが、もうすぐ誕生日。さつき様は今年で11歳になられます。

 

 

 

沙紗那 蒼、遥、美雪:サザナ ソウ、ハルカ、ミユキ  

向井 康祐:ムカイ コウスケ  

香鴫 白羽:カシギ シラハ  

優の友人&その家族&雛迦一家が懇意にしている女性。

今回の『秋波』はさる物語の外伝であり、この人達はそのための布石なのである。

本作では重要だけどあまり表立って行動しない、いわゆる裏方的なお仕事をしています。

とりあえず彼らの本格的な活躍は本編でのお楽しみ。

 

 

 

鳳:アゲハ   

謎の少女。優の妹の皐月ととても仲が良く、彼女から聞いたのか、優のこともよく知っている。

容姿端麗なのだが、人を食ったような態度と、すべてを見透かしたかのような毒の強い言動をとる。

 

 

 

▲▽▲▽

 

 


 

 

 

 

 

―――――さわさわと、尾花が揺れる。

 

 

秋風にそよぐ、黄金色の波。

夕日を浴びて、赤に染まる野原。

 

今は無い、かつての憧憬。

 

 

小さい頃の僕は、その中に何か大切なものを置いてきてしまった。

 

それが何かは思い出せない、けれども失くしたらもう生きていけない。

……それほど大事なものだった気がする。

 

 

 

――――僕は、少し笑った。

 

 

僕は生きている。

あまつさえそれを失くしたうえに、

それが何であったかということすら忘れてしまっているのに。

 

やはり幼い子供の大事なものなど、取るに足らないものなのだろう。

 

それに、ここまで来て何の感慨も沸かないのなら、

そんなものは最初から無かったのと同じじゃないか、と。

 

 

だから僕は、ほんの少し幼い頃の自分を笑いながら、

人込みの中新築ビルを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月12日(月)  

September-12th,Mon  

 

 

 

 

 

 

 

 

家に着く頃にはすっかり日が暮れていた。

 

そんなわけで太陽は最早隠れきる寸前だというのに、さっきよりも一層濃くあたりを照らしているのが、

なんだかこう、尽きかけた灯火が最後に激しく炎を散らすような、そんな最後の一擲のように見えてか、どうにも哀れに思えてしまう。

 

…だって、蝋燭だし。

頑張ってもいずれ消えてしまうどころか、頑張ったやつほど先に消えるんだから。

 

足掻くほど早く終わるなんて、世界の縮図みたいじゃないか。

そんなことを思いながら鞄をさぐり、簡素な鍵穴にこれまた非常に簡素でイビツな鍵を取り出して差し込む。

 

鍵は、いったん鍵穴に差し込みさえすれば、その歪みきった形状を無視したかのように抵抗無くスッと入ってゆき、

そのままくるりと回すと一度だけ鈍色に光り、カチャ、という音とともにドアが閉まる。

 

 

「……鍵くらい掛けようよ」

 

………もう一度回しドアを開ける。

盗られるような物は無いとはいえ、無用心だと思う。

 

 

「――――ただいま」

 

 

 

タンタンタン………

 

台所から聞き慣れた、せわしなく動きまわるような足音が聞こえる。

……暫くして、足音はこちらへやってくる。

 

「お帰りなさい、優。もうご飯できてるから、一緒に食べましょう」

 

出迎えてくれる母。

着ているのはお馴染みのピンクのシャツとジーンズ。

 

……相変わらず、この人は料理をするときもエプロンをつけないで普段着のまま。

それで汚れないのだからすごい。

 

 

 

 

鞄を床に置いて食卓に目をやる。

埃一つないテーブルの上に、オムレツと法連草のスープ、鶏肉のソテーが2人分行儀よく並んでいる。

 

「………早いね、まだ6時だよ?」

「あら?母さん、今夜からお社に泊まるって言ったでしょ?」

「あ…そっか」

 

そう呟いて、当たり前のように椅子に座る。

……この瞬間が、一番嫌だ。

 

 

 

 

「………いただきます」

 

 

カチャカチャと耳障りな金属音を立てながら、湯気の立つ料理を口に運ぶ。

………さすがに美味しい。調理師免許を取っているだけのことはある。

 

特にこのオムレツは、ふんわり柔らかくて口当たりがとても良い。

………スーパーの特売で買った賞味期限ギリギリの危うい卵だという素材の悪さを感じさせない見事な出来栄え。

 

(絶対騙されてる気がするけど……美味しいから、この際何でもいいか)

 

 

 

「―――例のデパート、今日開店みたいね」

 

メインの二品を平らげるのが思ったより早く、残すはスープのみになった。

そうなると何となく手持ち無沙汰だったから、鞄から取り出した手紙を空の食器の下に忍ばせる。

 

「行ってきたよ」

 

こうしておけば、長話になってもその存在を忘れないだろう。

 

 

「……辛くなかった?」

 

 

「別に……」

「そう……」

 

 

さっき見てきたデパート、こんな田舎町にはあまりにも似合わない大きなビル。

ウチに二階があれば、たぶんそこからでもはっきり見えるであろうそれは、“夏の一件”にもめげずに完成した。

 

―――――で。

それの、何が辛いのか。正直、意味がわからなかった。

 

 

「でも、寂しいわね。どんどん子供の遊び場が減っていって……」

「今時外で遊ぶ子供なんていないし、あんな荒れ地誰も使わないよ」

 

「そうね…そうかもしれないわね……」

 

「…でもね、思い出深い場所が壊されるのって、やっぱり寂しいものよ……」

「思い出……?」

 

「ええ…今でこそ荒れてしまっているけれど……昔はね、あそこは大きな薄(すすき)野原でね…。

秋になると一面、金色に染まって…………憶えてる……?

あなたと、私と、お父さんの3人で……よくあそこへ行ったのよ………」

 

 

それは憶えてる。憶えてるけど……

 

「母さん、もういい加減そんな奴の話は止めなよ……」

「あ…ごめんなさいね……」

 

 

 

 

「……ごちそうさま」

「お粗末様。納品とか出店とかのお話がまとまったら

あなたにも手伝ってもらうことになるから、よろしくね」

 

 

―――そういえば、もうすぐ秋祭りなのか。

……というか、さっきからそのことを前提にして話を進めてきたんじゃないか。大丈夫か、自分。

 

……しかし…あんな事があった後だっていうのに秋祭りなんて、よくもまあ……。

 

 

「……わかった。送らなくていいの?」

 

「ええ、すぐ近くですからね。

……じゃあ、行ってくるから」

 

「行ってらっしゃい――――――――あ!」

 

「……どうかしたの?」

「……あ……えっと………ご飯、すごく美味しかったよ」

 

 

「……ありがと、作った甲斐があるわ」

 

そう言って、嬉しそうに出掛けていった。

 

 

 

(本当は何か他に言いたい事あったんだけど……忘れてしまった)

 

……まあ、喜んでくれたから、いいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――我が家の秋は忙しい。

 

祖母の家は小さいながらも地元では割と有名な神社で、秋は祭りで、冬は初詣で大忙し。

でもそこに住んでいるのは祖母と、(訳あって)離れて暮らしている妹だけだから、人手不足どころか実質両方とも実現不可能だ。

 

そこで、いの一番に白羽の矢が立つのが我が家なのである。

 

 

母さんは毎日社に勤めてはいるが、夜にはちゃんと帰ってくる。

だがこの季節になると、向こうに泊まり込みで朝から晩まで働くことになる。

 

「…………家事、面倒なんだよね。ものすごく」

 

落ち難そうな汚れのついた食器を眺めていると、改めて保護者の有り難味を実感する。

こんなところに居てもいいことないし…あまり気が進まないけど、近いうちに僕もむこうに行こう。

 

 

「……………」

 

家に帰れば、食事が用意されていて、掃除洗濯も完璧にこなされている。

それがさも当たり前のように、無言で食卓に着き、清潔な部屋で食事をする。

 

「…………はぁ」

 

何様なんだ、僕は。

養ってもらっておいて感謝もせず、日々のうのうと生きてる。

 

生かされることが当然だなんて、死人も同然じゃないか。

 

 

 

カチャ、カチャ………

 

 

昏い考えを纏めるかのように、緩慢な手つきで食器を重ね集めてゆく。

そうして一枚の飾り皿を退かした時、かさり、と何かの紙片が擦れる音がした。

 

(あ……そういえば学費振込みの便り、見せ損ねた……)

 

さっきから何か引っかかると思っていたけど、こいつだったのか。

忘れないようにと食器の下に挟んでおいたが、結局忘れてるのだから意味が無い。

 

(しかも母さんは今夜からずっとこっちには帰らないんだっけ)

 

何と間の悪いことだろう。

面倒だけど、明日直接社まで持っていくしかないか………

 

 

「ふぅ……」

 

思わず、溜息が出る

なぜだか僕は、あの神社へ行くことを嫌っているようだ。

 

よくわからないけれど、あそこへ向かうきっかけができることが

どうしようもなく憂鬱なのだ。

 

まあ、僕がこんなだから、どうせ明日には便乗して神社に泊まり込んでるんだろうけど。

 

 

……いつまでも食器と睨めっこしていてもしょうがない。

向こうは恐ろしいほど娯楽が無いからな…………さっさと片付けて今のうちに支度しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……散々迷った挙句、結局何も持って行かないことにした。

どうせ忙しくて、満足に遊ぶ暇もないだろうし。

 

「ふぅ………」

 

疲れたので縁側で一息つくことにした。

板張りの床に座りこんで足を伸ばし、明日の弁当のメニューを考えながら呆けてみる。

 

ここは、何かとりとめの無いことを考えるには一番だ。

 

 

田舎だから風情がある。これ、実際にはあんまり当てはまらない場合が多い。

でも、とりあえずウチの庭は綺麗だ。

 

……いや、綺麗といってもウチの場合、香草や薬味などの食用植物ばかりで庭というより菜園だけど、

きちんと手入れされた庭はそれ自体がすでに芸術だと思う。

 

おまけにここは海に近い。

耳にあまねく潮騒は、荒れる心を鎮めてくれる。

 

 

…そんな飾り気のない統一された庭の一角に、ぽつんと咲いているすすき。

あまり知られていないけれど、あれにもちゃんと花はある。

 

 

 

―――昔、散歩の帰りに僕が見つけたすすき。

 

秋が終われば枯れてしまうはずなのに、それなのに自分を主張することもせず。

道の片隅、アスファルトで独りぼっち、こまごました白い花を寂しそうに咲かせていた。

 

十五夜も近いからと、父親だった男が抜いて持ち帰ったそれが――――あのすすき。

 

よくも十年以上枯れずに持つなとつくづく思う(勿論世代交代してはいるが)。

根こそぎ抜いてきたのがよかったのだろうか。

 

 

……しかし、そんなだからなのか、あれを見るたびにあの男のことを思い出す。

 

……父親だった男。

母さんとそいつはとても仲が良く、誰が見てもお似合いだったし、当人たちも好き合ってた。

 

でもそいつは、女を作って蒸発した。

 

 

それが、ちょうど妹が生まれる数ヶ月前………僕が4歳の頃の話。

 

 

 

 

―――恨んでいるのか?

 

 

 

ふと、そんな声が聞こえた気がして、

くだらないことを考えた。

 

 

…もし、今ここに本当にあいつが現れて、そう訊ねてくるのなら。

本当に、殺してやる。

 

 

恨んでいる、恨まない訳が無い。

何度殺してやりたいと思ったことかわからない。

 

あいつのせいで僕も皐月も散々苦労したけど。

それでも。

それでも真っ先に懺悔するべき人がいるからには、誰よりも先にその人に跪かない限り僕に口を利くことは許さない。

 

 

 

父親が消えた日の夜。

母さんが包丁を握り締めて泣いているのを見た。

 

 

誰よりも傷跡が深いのは見限られた母さんだ。

だから……恨んでもいいのに。あいつを恨むべきなのに。

 

それなのに母さんは、そいつとの思い出を幸せそうに話す。

 

 

 

 

 

―――庭に下りた。

目障りなその一角に向けて、ゆっくりと歩を進める。

 

そんな自分を心のどこかで嫌悪しているのか、

無駄に二の足を踏みながら近づく。

 

 

「あれから十一年経ったよ……」

 

話しかける。意味は無い。

もとからこの一連の行為に、意味など無い。

 

「皐月も大きくなった……」

 

微かに潮を帯びた風が薙ぎ、細くしわがれたすすきの葉が、靴をかすめた。

……消えてからも僕の足を引くのか、あんたは。

 

 

「………あんたが何をしているかは知らないけど」

 

「できれば、一度くらい戻ってきて欲しい」

 

自嘲する。

心にも無いことを言うな、と。

 

「母さんが喜ぶし―――何より、皐月が会いたがっている………………僕は嫌だけどね」

 

 

辛いのも、悔しいのも悲しいのも。

あのヒトの痛いもの全部まとめてぶつけられるのは傷つけた本人以外にない。

 

 

………だから―――――――――だから?

だから今更会いに来て欲しいって?

 

「……何やってるんだろうな、僕は」

 

馬鹿げてる。

もう二度と、二度とそんな下らないコトは考えるな。

 

 

「死なない程度に呪わせてもらうよ………」

 

 

背を向けて、そう呟く。

終止無意味な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


9月13日(火)     

September-13th,Tuesday    

 

 

 

 

――――キーンコーンカーンコーン

 

 

 

 

「ジミーと!マイクのッ!!」

 

『ふたりじゃなきゃだめなの☆』

 

 

「てーへんだァ!俺の上腕二等筋が赤熱してるぜマーイク!!」

「あわてるな!今すぐドライヤーで冷やすんだジミー!!」

「うわぁぁぁ、間違えてさらに熱してしまったぜ!しかもタ−ボだ!!俺ァ一体どうすればいいんだマァァァァァイク!!!」

「ジィミィィィィ!コールドはスイッチを16連射だって何度言ったら分かるんだこのクソ野郎が!!」

 

 

 

 

「間に合った!!」

 

HR五分前を知らせる(謎の寸劇と)予鈴とともに教室へ駆け込んできた自分を、友人が笑って出迎える。

断っておくが、こう見えて僕は成績優秀素行良し、という完璧な優等生で通っている(まあもっとも、今目の前にいる蒼程ではないが)。

 

だからこれは……そう、毎年この時期限定の特異現象だ。

 

 

「おはよう、蒼、康祐」

「あー、おはよう」

「優殿、珍しく寝坊ですかな?」

「いや、お弁当作ってたら時間無くなっちゃってさ……おかげで朝ご飯も食べてないんだよ」

 

 

台所で格闘すること二時間。

なんとかそれらしいモノは出来たのだけど、おかげで朝ご飯を食べる時間がなくなったのはひっじょーーーに痛い。

 

「あれ、そういえば女子組は?」

「購買。火曜だから天玄堂の焼きそばパン買いに行ったんだろ………あー、半分食うか?」

 

蒼がさっきからぱくついていたクリームパンを、こちらに差し出す。

とてもいい匂いで………見た目も非常に美味しそうだ…………。

 

 

「うう、それは目に毒だ」

「だから、やるって言ってるだろ……」

「……いいのか?」

「構わん、持て余してたところだ」

「じゃ、遠慮なく……」

 

ぱくっ……

 

 

 

 

 

「うぐはぁぁぁぁぁぁ!!甘い!!未知の甘さだ!!!」

 

「……やっぱりですな」

「……だな」

 

「一口で胸焼けしたよ…まったく。食べ物で遊んじゃだめだろ……」

「でも、出来は良かっただろ?」

「ああ、甘過ぎることを除けば完璧でした。美雪さん作?」

「いや、遥に頼んだ。腹に溜まるように思いっきり甘くしてくれ、ってな」

 

「勿体無いですなぁ……」

「まったくだよ……」

 

「はは、まあこいつで勘弁してくれ」

 

ごそごそっと、蒼が制服の左胸(通称:四次元ポケット)から取り出したのは……

 

「これは……ビー玉か?」

「ああ。職人が作ったシロモノだから、そこらの安物と違って綺麗だろ?」

 

すごく綺麗だけど……このぷにぷにした感触。

これは本当にビー玉なのかと思えるぐらい柔らかい。

 

「でも、何で僕に?」

「お前の妹、結構小さいだろ。だから喜ぶかと思ってな」

 

妹か…そう言えば、今日から神社泊まりだし、渡すにはちょうどいい機会だろう。

 

 

「……そうだな、ありがとう。もらっておくよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジミーッ!マーイクッ!!」

 

『ふたりでやれるもん!!!』

 

 

 

 

……意味不明なチャイムが鳴って、放課後を知らせる。

ちなみに容量不足のため、ジミーとマイクのやり取りは削除させてもらった。

 

 

 

 

「今日も何事もなく済んでよかったな」

「相変わらず放送は異常ありでしたがな」

 

「僕は酷い目に遭ったぞ……」

 

「ん…何かあったっけか?」

「親友の受難を忘れるとは何という薄情者か……。狂美(くるみ)先生にぽてくりまわされて最悪だったよ……」

 

 

担任教師の狂美先生は英語担当で、竜殺しと恐れ敬われている学園の裏ボスだ。

多分『FROMBLUE』最強キャラのひとりだろう。

 

コトの起こりは遡ること約4時間、昼休み直前の四時限目。

 

そのとき僕は空腹で、鉛筆をガリガリしたくなるぐらい空腹で、あまりの空腹に朝食べた蒼のクリームパンを反芻するぐらい(以下略)

とにかく、ものすごくお腹が空いたので、昼食を待てずに机に伏して爆睡してしまいました。

 

そしてなんと、非常に運の悪いことに、火曜日の四時限目は英語だったのです。

 

 

 

 

「微かに聞こえる潮騒が、また……ね。眠気をさ、誘うんだよね………」

 

「ははは、あれは災難でしたな」

「笑い事じゃないって……あぁ上腕二頭筋が痛いよジミー…」

「くく…まったく、コンビニでなんか買って来りゃいいものを」

「贅沢は敵です。…ていうか、僕にそんなお金は無い」

 

「でもお前、結構金貯めてんだろ……と、そろそろか」

 

曲がり角に差し掛かる。

僕の家は、蒼と康祐の家とは方向が違うのだ。

 

「優どの、さようならであります!」

「じゃーな、優」

「ああ、二人とも、また明日」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(やっぱり今日もここに来てるんだな………)

 

 

他人事のような、自分に向けた言葉。

夕暮れにあっても相変わらずな、たくさんの人いきれが漂う場所。

 

二階建て住宅が台頭するなか、このビルは頭ひとつ抜けている。

 

 

――――ぶろろろろろー…………

 

(涼しい……)

 

暦の上では秋とは言え、まだセミの鳴きわめく残暑。

大型車が通ると結構な強風が巻き起こるので、いい感じだ。

 

 

(多少排気臭いけど、この際気にしないさ………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま……優、あのね………」

 

家に帰るなり、申し訳無さそうな顔で僕を呼ぶ母さん。

 

「仕度は終わってるよ」

 

「え…?もう?」

「昨日支度しておいた」

 

――あら意外、とでもいうような感じの顔を一瞬見せてから、急速にくらーい顔に変わっていく。

母さんは深刻な話をするとき、決まってこういう顔をする(根っからの心配性なのだ)。

 

「実はね……昨日の夜ぐらいからお祖母ちゃんの具合が悪くなって………」

 

 

祖母。

そういえば、そんな人がいた。

 

―――おいおいお前のばあちゃん死にかけてんだろナニあっさりしてんだよ、と突っ込まれそうだが

僕はあの人が好きじゃない、ていうか嫌いなのでどうでも良し。

 

「それにやっぱりあなたがいないとダメね……ほんと、お母さん要領悪くって……」

「いや、さすがの母さんでも、3人だけじゃ物理的に無理だと思うよ………

―――それより、何で家に戻ってきてるの?」

 

「?……何でって、優を呼びに来るためよ?」

「あ…そうだよね」

 

当たり前のことを聞いてしまった。

いや、僕はてっきり………

 

 

(……てっきり………何だ?)

 

「優?仕度出来てるなら、行くわよ?

もうすぐ一雨降りそうだから早く行かないと」

 

「ああ…うん、分かってる」

 

 

時計を見る。

時間はまだ4時過ぎだが、だいぶ空が曇っているせいで6時くらいに思えた。

 

 

 

―――――今日も、誰か亡くなるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社に着く頃には、空は見事に一面灰色で今にもひと降りしそうだったが

家から神社まではかなり近いので傘は持っていかず、かわりに大量の生活用品を運んでいった。

 

母さんは社に着いてすぐ、荷物を置く間もなく祖母の部屋に向かった。

形式上とりあえずは僕も祖母の具合を見に行ったが、顔を突き合わせてから1分と待たずに切り上げて、この部屋まで来た。

 

 

神社に住む、父方の祖母。

 

あの人との思い出はあまりないし、あっても叱られてばかり。

家の中で遊びまわってこっぴどく注意されたし、妹と一緒に近所の柿を取ってきて、庭の木に半日吊るし上げられたりもした。

 

それでいてお年玉はかなりくれるから、厳格なだけで根は優しいのかと思えば、

何度テストで満点をとっても一度だって喜んではくれなかったし、皐月が川で溺れかけたって平然としている。

 

 

何考えてるかなんてさっぱり分からなかったけど。

ただ、僕や皐月にまるで興味がない、というのは幼心にも何となく分かった。

 

だから僕はあの人を初めからいないものと思い、ここにはなるべく近寄らないように努め、

あの人も僕を空気のように扱ってきた。

 

 

そんな薄っぺらな間柄だったけど、一度だけ。

たった一度だけ、祖母に頼ったことがある。

 

 

 

 

 

――――あの時。

 

 

「お父さんはお仕事で外国に行く事になったの。だから、ずっと会えなくなるけど………」

 

 

いつか帰ってくるから。

寂しいだろうけど、我慢してね……優。

 

 

あの時、僕は母さんの言う事を信じきって、いつか帰ってくるものだと思っていた。

でも、両親が共働きでもともと一人遊びばかりしていた僕は、親がいなくても遊ぶのに何も問題は無かったから父の不在をまったく気にしなかった。

 

そんな純真(?)な子供が母親を疑って、父親が居なくなった理由を祖母に聞こうと思ったのは、

あの晩、母さんが泣いているのを見てからだった。

 

一番好きだった人を疑ってまでして聞き出した、ふざけた話。

祖母は僕が欲しがった事実を一切の紆余曲折もなしに、とても簡潔に教えてくれた。

 

 

「お前の母親は捨てられたんだよ。今頃お前の父親は、お前の知らない女と一緒だろうさね」

 

 

 

「はぁ……」

 

この部屋にいると、何となく陰鬱な気分になる。

まるで、誰かの恨みが圧し掛かるような――――――――。

 

 

 

忘れる事は、何よりの罪だよ―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ざああああ――ー――。

 

 

 

外は雨。

とはいっても、取るに足らない小降りだから、社の中でも奥まった場所に位置するこの部屋には、

戸さえ締め切れば雨音は届かない。

 

潮騒も無く、虫の鳴き声も聞こえない。

時計すらないこの部屋は、ほとんど完全な無音だ。

 

(…………………)

 

音が全く無い、というのは逆に体に悪いようだ。

妙に落ち着かなくて、無意味に動き回ってしまう。

 

 

ポケットから携帯電話を取り出す。ほとんど使わないけど高校生のステータスとして一応持っている。

電話、メール、その他、それに関係する機能。それ以外の無駄な機能が一切無い代わりに安い機種。

 

音が無さ過ぎてあまりにも窮屈なため、着信メロディなるものを片っ端から鳴らしまくる。

ちなみにこの着メロも友人のパソコンからダウンロードしてもらった(よくわからないけど、そうらしい)。

 

実はこいつで音楽を聴く、というのは初めての試みだったのだが、とりあえずよく判らない最近の流行歌から超マイナーなゲームミュージック、

果ては一世代前のアニメに使われているような効果音まで実に多種多様である事が判った。

 

(相変わらず趣味を疑ってしまうようなラインナップが、らしいと言うか……)

 

そんな恩もヘチマもないことを考えながら適当にぽちぽち鳴らしていると、

 

 

≪〜♪〜♪♪〜〜♪〜♪

 

 

「………………へぇ」

 

なんとなく、気に入った曲があった。

……しばらく聴いてみる。

 

 

 

 

 

 

「――――ふぅ……」

 

いい加減疲れて目を瞑る。

余程疲労していたのか……それだけで僕の世界は歪曲し、深い闇に包まれてゆく。

 

 

 

 

 

 

「………ね、ゆうくん」

 

 

「……ちゃん、どうしたの?」

 

「あのね…」

 

「これ……ゆうくんに、あげる」

 

「わ……こんなきれいなもの、もらっていいの?」

 

「……うん。ゆうくんにね、もっててほしいの」

 

「ずっと、もっててほしいの………」

 

 

「うん、だいじにするね」

 

 

 

 

 

 

 

「…………いけない、つい眠ってしまった。」

 

虫の鳴き声が聞こえる。

雨はもう止んだらしい。

 

ポケットから携帯を取り出す。

8時過ぎ……さっきから1時間ばかり眠ってしまっていたようだ。

 

 

 

「………でね、チルチルを追っかけてお皿をがばーってぶちまけちゃったの!」

 

 

………結構隔たれた壁の向こうから妹の声が聞こえる。

 

それにしても、こんなに大きな声で独り言とは。

いつもながらかなり危ないぞまいしすたー。今度注意してやろう、兄として。

 

 

「くすくす………皐月は……が大好きなんだね」

 

 

ん………?

 

何か、もうひとり………女の子かな?

知らない誰かの声が聞こえる。

 

 

「久しぶりに………皐月の様子を見に行ってみようかな」

 

 

 

 

 

 

「………皐月……?」

 

……全然説明してなかったけど、皐月っていうのは6つ年下の妹(誰に話しているのかというツッコミは無し)。

何で離れて暮らしているかというと……

 

「……気安く呼ばないでよ」

 

……というわけだ。

 

 

僕はどういうわけかこの子に激しく嫌われていて、

僕と同じ空間に居たくない、と離れて暮らすことになった。

 

「ああ……気をつけるよ」

 

 

………実は、僕もこの子に正面きって接することができないので…正直助かっているといえば、助かっている。

 

あの男が姿を消してから数ヵ月後、

母さんもやっと立ち直ることが出来たと思ったちょうどその時に、妹が生まれた。

 

……だからだろうか、僕にはこの子が『あの男の遺物』に見えて(実際そうなのだが…)

どうにもうまく打ち解けることができない。

 

(ビー玉渡すどころじゃないよな………)

 

一度出した手を所在無げにポケットへ突っ込み、指先のころころとした感触を弄ぶ。

 

(う〜ん、嫌いというわけじゃないんだけどなぁ――――――ん?)

 

今、皐月の部屋の奥で……

 

「な、なんだよっ、言いたい事があるなら言ってよ!」

 

「誰かいるのか……?」

「だ、誰もいない!チルチルとアカとクロだけだよっ!」

 

 

チルチル、アカ、クロ………ああ、ペットか。

 

「そういえば、皐月は猫と金魚を飼ってたっけ」

「そうだよっ。まったく、そんなことも憶えてないなんてどうかしてるよ……」

 

女の子が親と離れて一人で暮らすのは、どう考えてもきついだろう。

………強がっているだけで、この子もやっぱり寂しいんだろうか。

 

 

「そっか、邪魔して悪かったね」

「あ……しゅ、宿題手伝ってくれるなら、入ってもいいよ」

 

部屋の中にちろちろと目配せしながら、とりあえずの許可をしてくれた。

それにしても、半分ろれつが回ってないのは何故か。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………はぁ〜」

 

皐月が僕にそっくりの溜息を吐く。

………こういう変なところまで同じあたり、間違いなく兄妹なんだなと思ってしまうのが嬉しいような悲しいような。

 

「どうかした?」

「だって…あたしが2時間悩んでた問題、10秒で解くんだもん………」

 

高校生だからね、と思わず苦笑してしまう。

 

「それで、その問題あたしに解らせるのに1分………」

 

皐月の物分りがいいんだよ、と言うと赤くなって黙ってしまう。

 

 

 

 

………やや高めの騒がしい皐月の声が無くなると、この部屋は途端に静かになり、

バスや船舶の動力音に似たくぐもった音だけが、規則正しく響いている。

 

 

この部屋で辺りを見回すとまず目に付くのが、和室には不似合いな水槽と、動力音の源である、こぽこぽと空気を送り出すポンプ。

そしてその中にいる、元のサイズからは信じられないくらい巨大な二匹の生物。

 

アカとクロ。

正式名が不明な、よく屋台の金魚すくいで売ってるオレンジ色のやつと、黒くてぶさいくなデメキン。

 

 

「無茶苦茶でっかくなったね………」

「ん…10年近く生きてるから」

 

「チルチルに食べられなかったのは、奇蹟だね」

「はぁ………なんでそう、食べる事しか考えないかなぁ」

 

「む…」

 

そういえば昔、夏祭りの金魚すくいで捕獲した金魚を料理してくれーと頼んで母さんを困らせた事があった。

 

「……あー、そんなこともあったような」

 

で、そのときに皐月が泣きながらおにいちゃんそのコたべちゃだめー、と訴えてきたような。

 

「……まだ憶えてたんだ、そんなの」

「うん………あたし、兄貴との思い出なんてあんまり無いもん」

 

 

「…………ごめん、皐月」

「別にいいよ、必要ないもん」

 

 

「……はは、冷たいね………っと――――」

「…何?奇妙な動きしちゃって、Gでもいたの?」

 

「……鏡」

「Gは凶暴だからね、素手で立ち向かおうとしちゃ駄――――――鏡?」

 

机の上の鏡に目がいって、反射的に背を向けてしまった。

何でそんなことするかって言うと…鏡ダメなんだよね、僕。

 

「兄貴、まだ…………」

「ああ…今だに自分の顔が見れなくてさ………自分で言うのもなんだけど、おかしなヤツだよね……はは」

 

「………まだ…そんなこと言ってるの……バッカじゃない?」

「………?」

 

皐月は何を怒ってるんだろう?

というか、自分の部屋なのに『Gが出たの?』とか聞いてるさつき様は……どうしよう。

 

 

「……お風呂入ってくるから、そろそろ出て」

「ああ、邪魔したね―――――――――ところで」

 

……やっと本題に入れる。

 

「さっき、皐月の部屋から誰かの声が聞こえたんだけど?」

「…………それ、多分気のせいだよ」

 

「女の子の声だった気がする」

「あたし女の子。お風呂入れないから、そこどいて」

 

 

「あ、そっか」

 

 

……仮にも女の子ならば、平然と自分のお部屋にGが出現したなどと言うのは、よろしくないのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ………」

 

 

部屋に戻ってきた。

結構頻繁に訪れているというのに、相変わらずこの部屋には馴染めない。

 

(さて、お仕事お仕事………)

 

資料がそろそろ古くなってきたので、

新しいパンフレットのレイアウトと載せる文章を考えるのだ。

 

しっかし神のお社なのにパンフ書かなきゃいけないなんて、よく分からない世界だよなぁ……。

まあ、小学生の自由研究の課題のためと思って、頑張ろう。

 

 

 

まず、神社の紹介として外せないのが伝説だ。

これを最初に載せておくと、歴史や建設理由などの解説が楽になるし、社会の自由研究で一番のネタになるのもこれだろう。

 

有名な神社には、どこも特有の伝説がある。

当然ウチにも由緒正しいのが伝わっている……いるのだけど。

 

ここ雛迦神社には、他とは少し違う、一風変わった物語が伝わっているのだ。

 

 

 

――――イザナミとイザナギの子、迦具土(かぐつち)と蛇神(やたがみ)。

迦具土は火の神で、蛇神は水の神。双子の兄妹神。

 

二人の仲は悪くは無いが、互いが互いの苦手とするものを守護している為、

どうしても関わりを持つことができない。

 

蛇神はどうにか迦具土と仲良くなりたいと思い、

妖術で自分の苦手な火を起こし、勇気を出してそれに触れた。

 

途端、彼女の体は炎に包まれる。多くの神々が『美しい蛇神の愛を得る好機』と、こぞって彼女を助けようとしたが、

蛇神の妖術は強力で、彼女の住処である沙羅樹全体にまで火が回り、水の神でなくとも近づけないほどの煉獄と化した。

 

しかし火を恐れぬ迦具土は、真っ先にそこへ飛び込み、蛇神を助けた。

 

蛇神はそれ以来、迦具土に想いを寄せるようになり、

ついには得意の妖術で、迦具土に自分を犯させるよう仕向けるに至った。

 

そして、禁忌を越えて交わってしまった二人には、神ではなくヒトの子が産まれた。

そして彼女はすべての神の怒りを買って、迦具土共々人界に堕とされてしまった……という感じの話。

 

 

蛇神は男をたぶらかす魔性、同一の血による交わりなど、

ヒトの世に混乱と災いをもたらすものとして、恐れられている………だったと思う。

 

本来…というか定説(確か記紀神話)には、イザナミとイザナギの子に蛇神などというものはいないのだが。

 

 

 

「………少し足りないね」

 

 

突然現れてヒトの思考に割って入ってきた、おかしな少女。

 

 

「………………」

 

皐月と同じ白い巫女装束をまとう、僕と同い年ぐらいの女の子。

 

少女と女の中間的な、大人びた…けれど少女の面影を残す、神秘的な綺麗さは―――

……なんていうか、皐月が大きくなったらちょうどこんな感じだろうか、と思わせるものがある。

 

でも……皐月と決定的に違うのは……鎖の付いた、首、輪――――――――と。

 

 

頭がグラつく。

軽い脳震盪…とは少し違う、吐き気を伴う内側からの干渉。

 

 

「蛇神は人界に堕ちた後、神々の中で唯一、人と同じ世界に住み

人に直接的な災いをもたらす神になったんだよ」

 

「……誰だい…?」

「……驚かないんだね」

「別に、驚くことじゃない」

 

今はそんな余裕も無いし。

 

「鳳っ!ダメだよ外に出ちゃ!!」

 

どこからか慌てて飛んできた皐月をちらりと流し見て、

 

「……キミの妹さんには、鳳って呼ばれてるよ」

「じゃあ、アゲハ…?……どうしてキミはヒトの家に勝手に入っているんだい?」

 

「…………ね、キミは何も知らないよね?」

「質問の答えに、なってないよ」

 

―――ああ、ここは神社の境内だから、不法侵入にはならないのか。

 

「兄貴、ここで見たことは………」

 

何か言いかける皐月を“鳳”が指でぴっ、と制する。

 

「ね、キミは知りたいと思う?」

「……聞いたら僕の知りたいことを答えてくれるのかい?」

 

「くす……キミって、思っていた通りだね」

 

冷笑。

綺麗だけど残酷…そんな印象を受ける。

 

「大丈夫。私はキミの知りたいこと、すべて答えられる。

でも、私は縛られている身だから……詳しく説明することは出来ないけど」

 

けど。

その言葉に靄のかかったままでいい、と言うのなら。

その真実が眩暈を起こすようなものであってもいいと言うのなら。

 

「それでも知りたいのなら……ついておいで」

 

 

 

「キミの世界を、変えてあげる………」

 

 

 

そう言って、石段を舞うように降りていく彼女の後を。

僕は無意識のうちに追っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………そっか」

 

 

 

 

 

 

「兄ちゃん、やっぱり鳳をとっちゃうんだね………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふらふらと、ふたりで無軌道に道を歩く。

夜だから良いけど、これが真昼間だったらかなりヤバイ気がする。

 

なんてったって巫女装束に首輪ですからね、彼女。

 

 

「………何処へ行くんだい?」

「キミの思い出が眠るところ……」

 

……妙な言い回しをする。

今は頭が痛くて何も考えたくないっていうのに……

 

「思い出……?」

「今日も、キミはそこに行っていた―――でしょ……?」

 

「ああ…ビルか」

 

確かにあそこは7時半閉店。9時過ぎにもなれば人はいないはず。

秘密の話をするのにも支障は無いだろう。

 

「……今日も?」

 

…まさか。

 

「知ってるよ……キミは毎日、あそこへ寄ってたよね?」

 

―――ぐわんぐわん!

 

「っ……!」

 

……無性に喉が渇く。

頭が熱くなりすぎて、体中の水分が枯渇してしまったよう。

 

「ぐっ………」

「くすくすくす………ほら…お水、あげるよ……」

 

……その水は、何処から取り出したのか…?

 

 

 

 

 

 

――――そうこうしているうちに、目的地まで辿り着く。

 

社からビルまで遅く歩いても約10分。

頭痛にぐらぐらしかけつつ、ゆったり30分かけて到着した。

 

 

……夕方の雑踏が嘘のように、暗いビルには人気が無い。

本来自然と相容れるはずの無い人工物が、しっくりと夜闇に馴染み、溶け込んでいる。

 

駅前のエスカレーターも、冬に乗ったときこんな感じだった。

 

この田舎町では珍しいエスカレーター。予算の少ない町の宿命か、明かりは手すりの左右に付いた気持ち程度のランプのみ。

そんなただでさえ心許ない明かりが、都合の悪いことに切れかかっていて、夜闇の中で足元が見えない。

 

乗っているとまるで深い深い闇の底に運ばれるかのような、そんな不可思議な感覚がした。

……あれも人工と自然の一体だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「キミは覚えてる?ここで、一体何があったのか……」

 

 

建設されたデパート。

草木の生えない荒地。

一面の薄野原。

 

塵のような拙い記憶を辿って思い出せたのは、

手をつないで歩く仲のいい親子の喪像と、変わり果てた『思い出の場所』でひたすら何かを待っていた自分。

 

 

「………昔、家族で散歩してたことぐらいしか……」

「くす…本当に憶えてないんだね」

 

「3人で来ていたんだよね?」

「……ああ、よく知ってるね」

 

あまりに訝しかったのでさぐりを入れてみたが、それには答えずに。

 

「本当に、3人だったかな…?」

 

 

――――疑問。

ずっと心に引っかかっている疑問。

 

それが……僕でない、別の誰かの口から暴かれる。

 

確証に近い感覚が、頭にある。……それでもなるべくなら口に出したくない。

口にしてしまえば今まで築き上げてきた価値観が、残らず崩壊するような気がしていたから。

 

ただ。

それでも彼女になら吐き出してもかまわないと思えてくるから……不思議だ。

 

 

「……本当は…4人だった、と、記憶してる……………だけど。

そうなるとどうしてもつじつまが合わなくなるから……やっぱり、3人だったんだと思う…………」

 

「そっか…ふふ、よく考えてみて」

 

ぐわんぐわん――

 

彼女はそう言うけど、生憎こちらの頭は先程からさらに酷く容赦なくぐらぐらして、

とてもじゃないけど何か考えらたものじゃない。

 

 

「キミには、妹さんがいたんじゃなかったのかな?」

 

「………そう…か…?」

 

でも、妹が生まれたのはあいつがいなくなってからのはず………

 

「それは…おかしい……僕はあいつと歩いていた……

僕の思い出に………あいつと……皐月が…一緒に存在しているはずは……」

 

「くす……どうだろうね…昔の記憶なんて曖昧だからね………」

 

ぐわん!

と、一際大きい頭痛がした。

 

「く……」

「ほら……慣れないことをするから、カラダが拒否してる…。今日は、もう止める…?」

 

同時に感じた悪寒。

 

『昔の記憶なんて曖昧だからね………』

 

 

その言葉には彼女に篭められる全ての殺意を篭めきったような、等身大の闇があった。

 

 

そして、ワケも分からないまま前後不覚に陥る寸前に―――――

 

 

 

 

「――――――あら、あらあらあら〜!」

 

ほんわかした声と、見知った顔が3つ。

元気いっぱい、真っ先に此方に駆け寄ってくるのが最年長、声の主にして蒼の母親である美雪さんだった。

 

「蒼…と、美雪さんに、遥ちゃん」

「お久しぶりねえ…お泊まり会以来かしら?」

 

……そのお泊まり会から一週間とちょっとしか立ってないけど、美雪さんからすれば、それでも立派に久しぶりなんだろう。

相変わらずの彼女に、僕の方まで知らず笑みがこぼれていた。

 

そのせいか、隣からはぴりぴりした苛立ちのようなモノが感じられた。

 

「よ…奇遇」

「………こんばんは……優さん」

 

「こんばんは。今日は散歩かい?」

「外食。たまには、ってな……………まぁ、母さんの料理よか上手くなかったけどな」

 

「………優さん…そちらの方は……?」

「ああ、えっと…彼女は鳳っていうんだ」

 

「鳳ちゃん?あら〜、いいお名前ね〜。はじめまして〜♪」

「………はじめまして」

 

答えるのが先か、顔を背けるのが先か。

鳳は何だか気の無い返事をしてから、良く分からないけど俯いてしまった。

 

腕をぎゅっと握る仕草は…震えを抑えているようにも見えた。

 

「あら……あらあらまあ…優ちゃんたら隅に置けないわね〜!!」

「いえ…美雪さん、彼女はそういうのじゃなくて――――うぐっ!」

 

突如、隣から送られてくるオーラが増大した。

 

(ぐは……さっきまでブルってたんじゃなかったのかー!?)

 

びりびりばりばりばちばち。

なんという電力量だろう。四つん這いになってアースしたい気分だ。

 

(…いや、人としてそんな畜生のような真似は出来ない……!)

 

「…俺達はここらで退散する」

「待てーい!」

 

……蒼が離脱しようとしている。

逃がしはしないさべらぼーめと、どとーのいきおいで話しを振る。

 

「鳳はどう思う!?ブラザー!!」

「とっても怪しいが、多分違う!何かもっと別のものを隠してるな!マイク!!」

「はっきりしたまえ!漢らしくない!!」

「ナマ言ってんじゃねー!クリームパンの恩を忘れたか!?」

「あれはお前の策略だろうが!!このジミーが!!!」

 

(気合い十分に)ぼそぼそ密談する。

もっとも、鳳はくすくす笑っているから、筒抜けなのだろうけど。

 

「ん?」

 

突然くいくい……と、誰かが服の袖を引っ張る。

何だ何だ、と思って振り向くと、遥ちゃんだった。

 

 

「優さん、どうか、彼女に気を許さないように・・・」

 

 

しかし彼女はそれだけを言い残し、相変わらず笑う鳳を置いてさっさと行ってしまった。

 

 

 

まあ…聞き取られていたということは何もマイナスなだけじゃない。

彼女に対する牽制にもなる。だからあえて続けたんですよ。…いや、ホントですよ?

 

たとえそうだとしても牽制してどうするんだ、と突っ込まれそうだが、

さっき初めて会った人間をそこまで信用できるわけでは……

 

 

ん……初めて、会った?

 

 

――――ぐわんぐわんぐわん!

 

「っ痛ぅ……!」

「くすくす………いいよ……肩、貸してあげる………」

 

女の子に体を預ける………いやはや情けないけれど、誰に見られるわけでもない。

ということで遠慮なく彼女に全体重をかけた。

 

「んっ……キミ…女の子に肉体労働させるんだね……」

 

と、苦しげに笑う彼女は、相変わらず顔色一つ変えていなかった。

 

 

顔色一つ変えずに笑うって、日本語的に変かな……?

……でも本当に、無表情に笑ってた。

 

 

 

 

 

 

 

石段の上、遥かにそびえるお社を見上げる。ここまで来るのに行きの倍はかかった。

10数段ばかりの高さが、今夜は比叡山のように見えてうんざりする。

 

行きは良い良い帰りは怖い。

誰かにもたれかかっていると分かるけれど、自分の力以外で登る階段は、とにかく怖い。

 

しかしそんなことを考える僕を尻目に、紅知菜はかつん、かつん、と順調に石段を登っていく。

心なしか、彼女の足元が不安定な気もしてきた。

 

(ああ…こんなところを皐月に見られたらお終いだ………)

 

 

そしてあと一息で境内、というところで、彼女が僕の耳元に囁いた言葉が。

 

「……あの人…美雪さんって言ったっけ……」

「ああ……美雪さんがどうかした?」

 

「あの人なら、この町に起きている異変全てを、たった一人で解決できるだろうね………」

「…………」

 

警告のように聞こえてか、物覚えが悪いはずの僕の脳にも、その言葉がすんなりと入ってゆく。

 

「ふぅ……それじゃあ、ここでお別れだね」

 

苦しげに一息ついてから、彼女は僕を石段の脇にするりと降ろした。

最後まで気を遣ってゆっくりと寝かせてくれるところが女の子らしくて、好感が持てた。

 

聞きたい事はまだまだ山ほどある。

……でも、気のせいか、彼女の表情にただならぬモノを感じたから、黙って見送ることにした。

 

「ああ、また会おう」

「くす………いいよ、また明日……」

 

 

そう言うと軽く跳躍し、月光に溶けるようにふわり、と消えていった。

…その幽霊じみた様さえ優雅で、彼女には似合っていると思えた。

 

 

「美雪さん、か………」

 

確かに、二児の母をやっていながらも年齢不詳な謎の美貌を保ってるけれど………

……どうにも、あのほんわか〜な人が荒事をやらかすようには思えない。

 

 

(魔法でも、使えるのかな………?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………ただいま」

 

 

 

 

―――――とりあえず、ただいまと言ってみたんだけど。

 

返す言葉に期待などしてはいなかったけど。

それでもあからさまな沈黙の前に、ただいまなんて言うんじゃなかったと後悔。

 

 

帰ってきたはいいけれど、当然、誰も僕の帰りを待っていてはくれない。

 

 

 

「――――お待たせ……ってね」

 

 

結局、僕を待つのは未だ馴染めないこの部屋だけ。

……その辺、なんだかものすごい皮肉な気がする。

 

「………もう寝よ」

 

戻ってきても特にすることがないので、布団を敷いて横になる。

どうやっても眠気は訪れず、それでいて頭はさっぱりしない、鬱な状態。

 

 

 

 

『昔の記憶なんて、曖昧だからね……』

 

その言葉が頭から離れず、質量を持ったかのようにずっしりと圧し掛かっている。

出鱈目に殺気めいた一言は、片時でも忘れたら消す、と言わんばかりだった。

 

……しかし、どうにも解せないのは、

あれだけの殺意が込められた言葉の後に

 

 

『今日は、もう止める……?』

 

 

呟いた、あの一言。

それは、心から僕のことを心配してのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――幼い頃の、夢を見た。

 

 

 

母さんが―――――僕を抱いている。

抱くのと同時に……僕を制している。

 

 

見渡す限りの黄金の波は今、そのすべてが赤く染まっていた。

 

その赤に、僕は駆け込もうとしていた。

大事なものを、助け出すために。

 

 

母さんは、そんな僕にしがみついて。

泣きながら、痛いくらいに抱きしめた。

 

 

止めたかったのか、それとも抱きしめたかったのか。

…………多分、両方だと思う。

 

 

『あなたまで、私を置いていかないで』

 

 

……そんなことを言われた気がするから。

 

 

 

そしてそのまま泣き崩れた母さんを、どうにか家まで引っ張っていった――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

9月13(火)→9月17(土)  

September-13th,Tue→September-17th,Sat.  

 

 

 

 

 

 

深夜。

僕たちは、町外れの廃屋に来ていた。

 

 

 

月の、はっきりと見える夜だった。

 

 

階段に腰掛けたまま見上げる月は、妙に嫌らしく感じた。

高いところから人様を見下して、嘲笑い、劣等感を刺激する、ただうっとうしいだけの存在。

 

だからといって目を背けたら、あの傲慢で、ごつごつした不細工に負けを認めてしまうような気がして、

さっきからずーっと張り合っていたのだ。

 

そこに、「月、好きなの?」という鳳の一声が差して、ようやく不毛な睨めっこにキリが着いた。

 

 

「大嫌いだよ――――――と、今何時くらいかな………?」

「――――――今、ちょうど今日が終わったところだよ………」

 

ポケットから取り出した携帯電話。

もはやただの時計と化しているそれを開いてみる(この携帯には小窓がない…)までもなく、鳳がスパッと言い当てる。

 

彼女が言うには、時計を見ずとも月の位置と影の向きから簡単に時間を割り出せるらしい。

………まず、そんなことは普通の人間じゃ出来ない。相変わらず、とことん不思議な存在だと思う。

 

 

――――と、まあそれは良いとして。

 

今日で彼女と出会ってから、ほぼ一週間が経つ。

彼女は毎晩、ちょうど僕と出会った時間にこの部屋を訪れる。

 

「ああ、大丈夫。さすがにもう偏頭痛は起きなくなったみたいだから……」

「偏頭痛………くすくす……そうだね、もっと自分の体を大事にしようね………」

 

 

「それと、もう少し自分のカラダを把握できるようにしておこうね………

そのままじゃ、いつ誰に狙われるかわかったものじゃないよ………くすくすくす」

 

 

 

 

 

 

 

 

「キミは、お母さんも嫌ってるんだね――――」

 

 

 

突然の彼女の囁きに、びくりと震えた。

 

 

尋問の常套手段。

人間というのは不意を突いた質問への受け答えには、どうしても本音が出てしまうもの。

 

例え沈黙を守れたとしても、質問の内容如何に関わらず、動揺を隠すことなどまず出来ない。

 

―――――それはつまり、その質問に対して声を大にしてYES、と答えているのと同じコトで。

投げかけた不可避の質問が、その相手を―――――で…ある……ことは、当然………。

 

 

「……く―――――頭、どうしたんだろ…………」

 

一番あさられたくないモノを見つけられてしまったからか。

鈍い痛みと不快感が、神経をやわらかく押し広げながら体中をかけずりまわる。

 

「嫌い、とまではいかないか……でも、あまり好きじゃないんだね」

 

 

「…………そうだよ」

 

自分を見捨てた男を、恨みもしない母。

 

天真爛漫も、度が過ぎれば不愉快だ。

母親が自分とは違う事がわかってから、唯一の理解者とも距離を置いて生きてきた。

 

「………でも、そうなると、キミは独りぼっちだね」

 

そうして、ある程度周りが見えるようになった時、気付いた。

自分が誰からも孤立している事に。

 

「くす……類は友を呼ぶ、か。面白い言葉だね。

だからキミのオトモダチは、みんなキミと同じなんだね………」

 

微笑いながら、次々と古痕をえぐる。

言葉による追い討ちは、たった今暴かれたその傷に、煙草を押し付けたような熱い痛みを伴って。

 

その延長線上に待っているであろう『最悪』を、無言で語っていた。

 

 

 

「くすくす、あんまり虐めたら可哀想だね―――――」

 

ひらり、と。

蝶のように身体を翻し、階段に座る僕の頭上、手すりの上に寄りかかる。

 

 

「私はね、父親に殺されかけたことがあるんだ……」

 

 

「………そんなことを、僕に言っていいのかい?」

 

構わない、と言いたげにゆっくりと首を縦に動かし。

 

「キミなら、どう…?父親の愛情と心中なんて、耐えられる……?」

「ああ…絶対に嫌だね。それなら、僕があいつを殺してやる」

 

「ふふ、過激だね……」

「……別に。殺されるよりは殺す方がマシ程度だよ」

 

「くす……それにしたって、キミのその憎悪は尋常じゃないね………

キミにとって、父親は特別に憎い存在なんだね……」

 

珍しく彼女が破顔する。でも決して崩れはしないあたり、機械的な…例えるなら人形のような浮世離れした綺麗さを感じる。

……相変わらず純粋に笑っている訳ではないみたいだけど。

 

「随分楽しそうだね」

「うん……私も、父は憎いよ。嫌いにはなれないけど、とても憎い」

 

 

人形という喩えは、非常によく合っていると思う。

僕と会話しているときこそよく笑うが、普段の彼女は本当に無表情だ。

 

……何だか、こう…恐怖に浸りすぎて感性が残らず磨耗してしまい、変えられる表情がなくなったような感じ。

 

 

「……ね、私とキミ、よく似てるよね……誰よりも、何よりも。

キミのこと、よくわかるよ………性格も、嗜好も、意識も、情動も、コンプレックスも……手に取るみたい」

 

また、彼女が笑う。

が……今までとは違い、一途に笑っている。

 

その言葉には今までのような殺意や怒り、嫉妬や憎しみなんかはまるで無く。

だからきっと、彼女は本当に嬉しいんだろうな……と思えた。

 

 

 

「――――ね、交換しない………?私と……キミの、カラダ…………」

 

 

「……交換?」

「私、男の子のカラダに興味があるの……キミも、私のカラダ、触りたいでしょ………?」

 

それは……まあ、興味が無いって言えば嘘になるけど…………

 

「……なんていうか…今更女になんてなれないし、まず交換するなんていうこと自体が不可能だよ」

「…くす、残念……………でも―――――――」

 

ふわり。

風をはらんで飛ぶ。

 

地を這う羽根無きニンゲンにその蒼を魅せつける、蝶のように。

 

 

「これは冗談でも嘘でもないよ……ただ、今は実行できないだけのことで……ね」

 

 

―――――――たん、と。

窓辺から飛び降りた彼女の小さな靴音が、潮風に浸食されたアスファルトに鈍く響く。

 

「キミは恐れすぎだよ……思い切って近寄ってみれば、キミのお母さんだって、きっと分かってくれるよ………くすくすくす―――――――」

 

そのまま彼女は踵を返し、音も立てずに消えていった。

 

 

「…………やってみるよ」

 

 

 

聞こえないようにそう呟いてから、

 

 

彼女は去り、潮騒だけが残る。

僕は仰向けに寝転がり、しばしその音に耳を傾けていた。

 

 

 

それにしても……今日は何だか疲れた。

帰ったらすぐ寝てしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……」

 

 

真夜中に、息苦しさで目が覚めた。だらしなく垂れ流れる汗の所為で暑すぎて寒い。

頭は覚醒していても金縛りに遭ったように身体が凍りついている。

 

「くっ…ぁ……」

 

自分の身体が誰かに支配されている。微動だにしないはずの手が己の肢体を舐めずるように這う。

他ならぬ自分のカラダなのに、それを翫味する事で昂揚する何かが自分の内に潜んでいる。

 

 

コレは――――彼女だ。

汗ばんだ肌のぬめるような感触に悋気している。奥底で触穢を感じているのだろうか、呼びかけても反応がない。

そんな僕を尻目にくすくすと笑う。それがまた彼女らしくて腹が立つ。

 

「べつに、他人の身体で慰めようと、構やしないけど…それだけのためにこんなことしたんじゃない、だろ……?」

 

そして彼女は、頭の中で………聞き取りにくい細い声だったが、彼女は確かにもうすぐだと言った。

何がもうすぐなのか、既に彼女は此処まで僕を侵蝕し掌握しているというのに。

 

「ぐっ……ぁは………さすがに…怒った……かな………?」

 

緩慢な動作で這いずり回っていた腕は、同じようにそろそろと蠢くように動き、首を掴むと強引に脈を堰塞し圧迫する。

その合間にも深淵から囁く声が聞こえる。……それは欲しい、と言っている。嫉ましいと言っている。

 

「は、は……いいね…じつは、こういうの…好きだよ……わかり、やすくて……さ」

 

それにしても、この狭力………ここまでの愛撫は品定めといったところだろう。

そうなればここからは…さしずめ、脅迫による降伏勧告。

力を示して他者を…屈、服…させる、粗暴…で、原始的、かつ、効率的…な……し、は――――――

 

「―――――あ」

 

暗闇に落ちていく感覚。

白濁した意識の中、最後に見たのは愛惜しげに頬を擦り寄せる彼女の影と、その歓喜。

 

 

 

 

「……もうすぐ、私のモノ――――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――ちりん

 

 

 

 

 

 

 

「にゃー」

 

 

 

 

 

 

 

ちりん…ちりん…………

 

 

 

「にゃー」

「……ぅ」

 

「にゃー」

「うぅ…ん………」

 

「にゃっ!」

「わっ!!」

 

突如目頭に感じた寒気に驚いて、飛び起きる。

すると、目の前に、猫。

 

そして、猫、乗ってます、僕の上に。

 

 

「………おはよう、チルチル」

「にゃー」

 

どうやら肉球でスタンプされたらしい。

なにかの小説に猫の足の裏を瞼に当てると、ひんやりして気持ちいい……

とかなんとか書いてあった気がするが、あれは本当のようだ。

 

「……お散歩かい?それなら僕の部屋に来たって、つまらないと思うよ………」

「にゃ」

 

枕元の時計(=ケータイ)に手を伸ばす、10時ちょっと前。

1時過ぎに寝たから…………9時間睡眠か。

 

「土曜日とはいえ、いいご身分だな、自分………」

「にゃー」

 

「……………」

 

猫にまで肯定された気がして、とても悲しくなった。

 

「しかし三連休とは、また………」

 

「夏のアレがあってから学校も休みが多くなって、たまりませんねえ」

「ふにゃー」

 

「…………ていうか、全面休校してないのってウチの高校だけじゃないか」

「にゃーにゃー」

 

今更気付いた事実に不公平だー、と文句を垂れながら肩に猫を乗せ、境内をぼてぼて歩く。

昨夜大量に汗をかいたせいか喉が渇いていたから、まずは水場で柄杓を取って一口飲む。

 

 

「………………ぬるい」

「にゃ…にゃ……」

 

「………………」

 

なんてこった……口付けるより先に猫様が柄杓で水浴びしていやがるとは。

ていうかね、ヒトがこれから飲もうとしてる水で、手足ぴちゃぴちゃで、にゃ、にゃ、ですか、そうですか、それはそれは、さぞかし気持ちよかですたいね、

ちゃぽん、って…ああ、完璧に大きさとか質量とか物質界の法則無視して飛び込んじゃったよ、ほら、柄杓メリメリいってるし、

それに、あと、ほら、こう、なんていうか、ほのかな猫味が舌に残って………あああ〜!!

 

「げろー」

「にゃ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事に(猫水飲む羽目になったけど、あれは…まあ、無事と言えなくもないだろう)朝の用を足したあとは、

やりたくもないお祈り。

 

ここのご本尊には、蛇神退治をした飛鳥葉綱(あすかのはつな)と、その時に使われた赤光球(しゃっこうきゅう)が奉られているらしい。

 

赤光球というのは、なんでも蛇神の妖術を封じ込めて焼き殺す宝玉らしいけど………

遺骸はともかく、そんな呪術めいたモノでさえ今では賽銭箱を添えられて、信仰の対象になっているとは。

人間って、つくづく現金な生き物だな………と思ってしまう。

 

 

(学校が消えてなくなりますように………)

 

いつものように死人に無理難題をふっかけてやっていると。

 

 

(ん…………誰か来る)

 

こちらに歩み寄ってくる、黒い着物を着た長身の美しい女性。

あれは白羽(しらは)さんだろう。相変わらず、真っ白く透き通った肌をしている。

 

 

「こんにちは、優君」

「こんにちは白羽さん。ここでは久しぶりですね」

「うふふ、そうですね」

 

彼女はここへ来て、毎日欠かさずお祈りをしていたらしい。

実際、去年までは僕がここに泊まっている間、必ずと言っていいほど彼女に会っていた。

 

 

―――けれど。

この夏から、彼女がここを訪れる事はなくなった。

 

 

「もう、私の願いは叶いましたから………」

「そうですか………」

 

控えめに笑う。

でも、それは普段から慎ましやかなこの人としてみれば、本当に嬉しいことがあった時の笑顔だ。

 

そんな白羽さんは何かを思い出したようにゆっくり手を叩き(この人の場合、ぽんと手を合わせた、と言った方がいいかも)、

懐からおもむろに包みを取り出しこちらへ渡す。

 

「どうぞ、お土産です。お母様によろしく伝えてくださいね」

「いつもありがとうございます。皐月が好きなんですよ、これ」

 

「ふふ……喜んで頂けて嬉しいですわ…それでは……」

 

白羽さんは最後に優しく僕の頭を撫でて、境内を後にした。

 

 

「……相変わらず、子供扱いなんだな…………」

 

 

 

…………白羽さんが完全に去ったのを確認してから包みを開ける。

中身はもちろん雪国饅頭。よく練りこまれた柔らかい生地にアイスクリームと一粒の小豆を包んだ美味しいお菓子。

 

(夏場にこんなもの持ってこれるのは、白羽さんだけだろうな………)

 

とりあえず、無くならないうちにひとつだけつまんで頂いておく。

うかつに冷蔵庫に入れといて皐月に発見されでもしたら一瞬で消滅してしまう。

そうでなくともあいつは物凄く敏感なので、甘いものの気配ならものの数分で気付くだろう。

 

最初で最後のひとつまみをじっくり堪能してから、急いで台所に向かう。

当たり前だけどこれは溶けたら美味しくない。

 

(皐月は甘いもの食べてるときが一番幸せそうだからなあ………可愛い妹の為に、兄ちゃん我慢しておこう)

 

 

 

 

「にゃ、にゃ、にゃー♪」

「………」

 

……こいつの変なクセ。乗っけて走ると喜んで、謎の猫語で何かを歌いだす。

 

そういえば、なんか………僕の知り合いは年齢不詳が多い気がする。

白羽さんに美雪さんに狂美先生(全員美女だというツッコミは無しで)。

 

見た目は小さいけど。こいつも、僕が生まれる前からここで飼われてたんだよな。

人間ならもうかなりの高齢なんだろう。

 

 

「もうおばあちゃんなんだから、無茶するなよ………」

「にゃっ!!」

 

ガリッ!

 

「いたた……わっ!!

 

ガンッ!

 

顔の辺りを引っかかれ、(小走りしながらだったので)バランス崩してずっこけた。

肝心の猫様はひらりと着地、平然としながらぺろぺろ顔を舐めている。

 

「痛たたたた………チルチルー、おいでー」

 

呼びかけてもつーんとそっぽ向くだけ。

 

「……ごめんごめん、機嫌直してよ」

「にゃー!!」

 

 

「……どっか行っちゃったよ」

 

 

こいつはどうも、おばあちゃんって言われるのが気に食わないらしい(……ええ、わかってて年寄りって言いましたよ、ハッハー!!)。

いくつになろうと、猫だろうと、やっぱり女性は女性なんだろう。

 

 

(しかしあの歌……何か、どこかで聞いたような覚えがあるんだよなぁ………?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お土産を冷蔵庫に入れてから、食卓に顔を出す。

 

「おはよう、優。朝ご飯出来てるわよ」

「あ、うん、ありがとう」

 

サラダにパン、コーンスープがやはりキチンと並んだお盆を受け取り、座布団の上に腰を下ろす。

焼きたてのトーストの香ばしい匂いが食卓に広がる。

向かいの席から物欲しそうにこちらを見つめるのは『朝は和食派』の皐月。

 

 

(……ま、それはいいとして)

 

さて、まずはトーストにバターを………

 

「………なんでバターナイフ持ってるの?」

「え?」

 

右手にナイフを構える和食派・皐月様。

……塗る気満々だな、おい。

 

「あ、ああ…はい」

「ん、ありがとう」

 

バターを塗って赤いラベルのビンをとり、やけに硬いふたを開けたらば、イチゴジャムのお目見え。

お前なんかこうしてやる、こうだ、こうだ、これでどうだ、まだか、これでもかと言わんばかりにぺしぺしぺしぺし塗りたくる。

 

その過程一部始終を「わ…」とか、「あぁ……」なんていう合いの手つきで見つめていらっしゃりやがったご飯食皐月嬢。

 

と、ここで自分と皐月の食事を持って母さんが現れた。

エプロンをつけたままなあたり、相当急いでいるようだ。

 

(………ていうか、エプロン着けてるの久しぶりに見た)

 

 

「ごめんねー皐月ちゃん、お待たせよー」

「わー!もうお腹ぺこぺこだよー!!」

 

盆におわすは伊達役者・塩鮭にねぎ入りの玉子焼きとじゃが芋の煮転がし、焼き海苔、冷奴。

朝食らしくお腹に健やかな献立。当然、味噌汁・漬物・納豆の三種の神器のオプション付属。

 

しかし……用意された食事の量は二人分と見ても明らかに多い。

あと、なんか僕のより豪華な気もする。

 

まあ、それは良いとして。

雛迦家は家族全員揃ったところでやっとこさ食事開始となる。

 

 

「…で、今日の仕事は?」

「そうね…今日はいいわ。優のおかげで思ったより早く話がまとまったから、今日ぐらいは休んでおきなさい」

「はぐはぐがつがつむしゃむしゃ……」

 

「…そういえば母さん、冷蔵庫逝きかけてたよ」

「……んー、疲れたのよ、きっと。あの冷蔵庫優よりも年上だから」

「がつがつがつむしゃむしゃむしゃむしゃ……」

 

「………………」

「はぐはぐはぐんぐんぐむしゃむしゃむしゃがつがつがつ……」

 

 

………………いや、なんというか…もう、すごいね。

我が妹ながらブルドーザーのような見事な食いっぷり。

 

テーブルにずらーっと並べられた料理の数々は、そのFファイトもまっちゃお(真っ青)なほど豪快なリズムによって

食べはじめてからわずか2分足らずで半分が消化、ていうか粉砕されている。

 

…もちろん全部皐月の胃の中。母さんはまだ口をつけていない。

 

 

「――――――赤コーナー、マッシャー皐月…って感じだね………」

「た、食べ盛りだから…優ももっと食べなさい」

 

見ているだけで胸焼けがするのですが、母上。

 

「はぐはぐはぐん!ぐぐぐぐぐけほっ!

「……ほら、お茶」

んんんんん……んくっ…んくっ…んくっ………」

「もうちょっとゆっくり食べような……」

「わーかってるわよがつがつがつむしゃむしゃむしゃごちそうさま!」

「………………」

「お、お粗末様」

 

 

「…………………」

「…………………」

 

顔を見合わせて、苦笑。

 

「……ほ、ほら、優も食べて」

「……そうだね」

 

 

 

ころころころ〜。

 

「はぅ………」

 

 

(聞こえないフリ、聞こえないフリ………)

 

超絶なスピードで多すぎる朝御飯を食べ終え、それでもまだお腹を鳴らしている暴食怪獣・サツキゴンをよそに、

僕はゆっくり食事を再開する。

 

 

トーストを一口かじる…甘い。

自己主張の激しいイチゴジャムは牛乳と相性がいい。

 

「このしつこさがたまりませんねえ………」

「じー………」

 

湯気の立つスープをすする。

粒々の実がたっぷり入っているのが手作りの嬉しいところ。

 

「じぃー……」

 

………見られている。

さつき様はもう、これ以上ないくらい切なそーにわたくしの大切な糧食を凝視なされている。

 

 

………そういえば、この前僕に食べる事しか考えてないと言ったのは、どこのどいつでしたかねえ?

 

 

「………半分食べる?」

「え、いいの!?」

 

いいも何も、狙っていただろう。

 

「まあ………ね。あと、白羽さんから雪国まんじゅうもらったから、後で食べな」

「ホント!?やったー!!」

 

(こういうところは、子供なんだな………)

 

無邪気に喜ぶ皐月を見て、ちょっと嬉しくなった。

 

 

「……それじゃあ、きちんとお礼しないとね。優、今度白羽さんの家に芋ようかん持って行って頂戴ね」

「ん、分かったよ」

 

 

 

 

 

 

 

さて………どうしよう。

めんどくさい日課は済ませたし、(半分だけど)きちんと朝ご飯も食べたし。

 

仕事もテストもない、せっかくの休日なんだから、久しぶりにどこかに遊びに行こう……と言いたいところだけど。

……あんな事があった以上、のんびりしている訳にはいかない。

 

 

 

「美雪さんに相談しに行こう………」

 

なんとなく、それが最善の策だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ん………?)

 

 

前を行く、両手にスーパーの袋を提げた高校生二人組。

あれはもう、蒼と康祐しかありえない。

 

「蒼ー!、康祐ー!」

「おお、優殿!良いお日柄ですな!」

 

「蒼は………相変わらず眠そうなことで」

 

よく考えてみれば、蒼が土曜の朝から出歩いてるなんて超レアじゃないか。

 

「………優、お前は確か神社に住んでいるんだったな」

「!…ああ、そうだけど………それがどうかしたのかい?」

 

なんと…蒼が朝から覚醒しているとは……珍しい。

 

「いや…俺の方でも色々ゴタゴタが起きてな、

で…まあ、そのゴタゴタの原因になったヤツを調べてたら……」

 

「調べていたら?」

 

「…………どうもそいつが、最近起こってる連続放火の犯人っぽいんだ」

「……………………それ、本当か?」

 

「……ああ。で、俺のカンが合ってたら、そいつは今夜、神社を狙うはずだ。

この街に神社なんてお前のトコと秘尋(ひしじん)くらいだからな……十分注意してくれ」

 

「ああ、分かった。燃えて困るものは避難しておくことにするよ」

 

「親や妹には言うなよ。言っても信じてくれやしないだろうし、

それに、少なくとも俺やお前の手に負える話じゃないし、な…………」

 

「もちろん、言われなくとも。情報ありがとう、蒼。

あと、今から美雪さんに会いたいんだけど……時間あるかな?」

 

「ああ、母さんは結構暇だからな………」

 

 

…と、ばつが悪そうに答える親友の姿が、何だか微笑ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がさがさごそごそ……

 

「何してるのよ、神棚荒らしっ!」

 

がさがさごそごそ……

 

「こらぁ!無視するなぁ!!」

「お兄ちゃんは今忙しいから、遊ぶのはまた後でな」

 

「泥棒を兄に持った覚えなんてなぁいッ!」

「寂しいなあ…この世でたった二人の兄弟なのに………」

 

うつむき気味に呟く。

 

「う……ご、ごめんね…………で、でも、お昼寝……してたんだけど、起きたらお母さんいなくて………探しても、どこにも見当たらないし………

なんでいなくなったのか…わからないと……不安に………」

「お、あったあった……」

 

ばしぃっ!

 

「おっと……」

 

背後より袈裟懸けにホウキ一閃。

しかし、僕はそんなものに当たってやれるほど鈍くない。

 

「危ないな……お兄ちゃんはお前をそんな子に育てた覚えは無いんだけどな………」

「あんたに育ててもらった覚えも無いっ!!」

 

どたどたどた……

 

「優ー、荷物集め終わったぞー」

「ご苦労さーん。先に上がってていいよー」

 

皐月が寝ている間に派遣しておいた蒼が、皐月の部屋からにょっと出てきてこちらに近づいてくる。

 

「ちょ、ちょっと、蒼さんまで!(ていうかあたしの部屋入ってたの!?やーん全然気付かなかったよ〜ん!)」

「……あー、久しぶりだな、皐月。遥がいつも世話になってるそうだな。ありがとう」

「あ、えと…おもに世話してもらってるのはあたしなんですけど……って蒼さん、あたしの部屋勝手に入らないでくださいよう!」

 

「ん……そうか、優が話をつけてると思ったんだが、まだだったか。悪いな」

「い、いいいいいいいいいいいえ、あの、その、だ、大丈夫です、お気になさらず!」

「そうか、すまんな」

「は、遥ちゃんによろしく言っておいてください!そ、それでは!」

 

逃げようとする皐月の服の襟を掴んでひょいっと持ち上げる。

 

「わ、わ!」

「巫女装束は持ち上げやすいなー。さて、散歩に行こうか」

 

「え、ちょ、ちょっと……」

 

派手に抵抗するかと思ったが……随分大人しい。なんだか拍子抜けだ。

 

 

――――――――ちりん

 

 

「あ、チルチルも行くかい?」

「にゃー!!」

 

誘ってはみたけど、猫様は相変わらず凄い剣幕で

すたたたたー、と本堂めがけていちもくさんに逃げていってしまった。

 

 

「はは、嫌われちゃったかな……?」

 

 

 

 

 

 

「は、離してよぉ………」

 

皐月は意外なほど軽く、片手でも結構楽に持ち歩けた。

……それが、なんだかとても寂しかった。

 

「………軽いな、お前は」

「ふ、ふん。当然よ、あたしクラスで一番スタイルいいんだからっ!」

 

「そうだな…お前は大きくなったら美人になるよ」

「…………本当?」

「ああ……きっと、鳳と同じくらい綺麗になるさ」

 

「へへ……鳳と、いっしょ…かぁ……えへへ………」

 

鳳の名前を出しただけでかなり上機嫌になったさつき様。

どうやら鳳は皐月の憧れのようだ(やりとりを見てたら大体分かるけど)。

 

「あ、でも、もしかしたら遥ちゃんとあたし、同じくらいスタイルいいかも」

「遥ちゃんか…かなり手強そうだね……」

 

美雪さん激しく美人だし。

 

「う、うん、あのね、遥ちゃん、頭いいし、おしとやか(ぼーっとしてるだけかも?)だし、あたしと正反対だから、凹凸コンビってよく言われるよ」

「へえー、初耳だなあ……」

「な、なによお、10年以上も兄貴やってるくせに知らなかったの?」

「皐月が教えてくれないからだろう?」

「あ…そうだね」

 

 

「そっか………10年以上兄貴やってて、今まで全然話しもしてなかったんだな……」

 

ぶら下げていた皐月を抱きしめる。

やっぱり小さいけれど、小さい頃に抱いたときよりも、ずっと、ずっと大きくなっていた。

 

「ん…………」

「もうこんなに大きくなったんだな………」

 

皐月の小さな頭をそっと撫でる。

くすぐったい、と言いながら腕の中で子猫みたいにもぞもぞ動く。

 

「今まで、兄貴らしいこと何も出来なくて…ごめんよ。でもこれからは、もっと一緒にいられると思うから……」

「うん…………」

 

 

 

「あ…そうだ……お母さんはどこなの…?」

「美雪さんとお茶してるよ」

 

「………………」

 

「へ……?」

「蒼の家。今からそこでご飯食べるんだよ」

 

「か、看病してるんじゃなかったの……?」

「まあ、気にしない気にしない」

 

「ん…美雪さんのご飯食べれるなら、いいかも………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……美味しかった」

「つい食べ過ぎてしまいますな………」

「だな…………」

 

食事会も終わり、みんなして馬鹿みたいに床に寝転がってお休みモード。

ああ…このカーペットの高級感がたまらない……。

 

「お腹が一杯になると眠くなるあたり、まだまだ子供ね………」

「うふふ、可愛いじゃありませんか」

 

「そうね…確かに、子供は可愛いものね……」

 

 

勝手知ったるひとの家。

無遠慮に戸棚を開けてはお茶菓子を持ってきて、煎餅ぽりぽりお茶ずずず。

 

「うーん、ワルだなぁ……」

「うむ…この背徳感がたまりませんな……」

「いや…別にそれぐらいで後ろめたさは感じないだろ……?」

 

「………」

 

(う………)

 

戸棚の陰に隠れるようにしてこちらを射抜く、冷たい眼差し。

心にやましいことがあるボクラには、遥ちゃんの視線がわずかに残った良心に、ちくりと痛い。

 

「………」

 

(……おや)

 

そろそろとこちらに近寄って来て、何をするかと思えばさっきと同じようにじーっとこちらを見つめる。

……咎めているのだと思ったが、単に物珍しいだけのようだった。

 

「………」

 

(む……?)

 

おもむろに手帳と鉛筆を取り出して……

 

「…………〜♪、〜〜♪」

 

(観察日記が始まる……まずいな。適当に話をつけて退散するか)

 

「蒼の家は二階あるんだよね……いいなぁ………」

「今時の家なら普通だろ……」

「三階もある時点で普通じゃないですぞ……」

 

「上がってみていい?」

「構わねーけど、何で今更?」

「いーからいーから」

 

そーれ、逃げろ逃げろ。

 

 

 

 

 

やたらと広い蒼の部屋。

―――に、差し掛かる前の廊下の窓から、どこかから煙が上がっているのが見えた。

 

 

「……あれ、優んとこの神社じゃね?」

「あー、そうだね。燃えてるね」

「見事に燃えてますなぁ……流石は木造」

 

 

 

「燃えてる…って―――――」

 

 

握り拳をつくった皐月が、階段の前で呆然と立ち尽くしている。

……多分、遥ちゃんの日記を読んで、僕をとっちめに来たのだろうが。

 

「神社、燃えてるみたいだよ」

「!!どうしてそんな落ち着いてるのさ!?」

 

「燃えたら困るようなものは、昼間のうちに家まで運んでおいたし、な?」

「ああ、金魚も運んだ」

「自分も手伝いましたぞ♪」

 

「っ…!こうしちゃいられない!!」

 

窓辺でまったりしている僕らを尻目にダンダンダンッと三段飛ばしで階段を駆け下り、大慌てで外に出て行く皐月。

窓から身を乗り出して、どこに行くんだー、とその後姿に聞いてみると。

 

 

「チルチル…チルチルがまだ中にいるの!!」

 

 

 

思わず、頭を抱える。

……ものすごい大ポカをやらかしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『石段の横にでも置いといてくれれば、それでいいよ』

乗ってきた自転車を蒼の言うとおりに段の脇に置いて、そのまま一気に駆け上がる。

 

吹き付ける熱い風は、今まさに往かんとする方向から発せられている。

 

短くも厳しい傾斜のその先に。

見慣れたはずの建物が橙色に包まれて、火の粉を吹きながら蜃気楼のように揺らめいていた。

 

木造の住宅は火の回りがすこぶる速く、とろとろといたるところが溶け落ちている。

 

 

 

…………眩暈がする。

砂漠化とは無縁の日本で陽炎なんかを拝見する羽目になろうとは。

そしてあろうことか、自分が今からこの中に入っていかなければならないとは。

 

(皐月……)

 

余計なものを振り払うように目を瞑り、そのまま一気に本堂まで駆け抜ける。

 

(たまには兄ちゃんらしいとこ、見せてやらないとね………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごほっ、ごほっ」

 

一歩一歩が、重く…そして強く頭に響く。

 

目を開ければ煙が染みる。

息するだけでむせ返り、吐き気が込み上げてくる。

 

「く……っはぁ、ハア」

 

 

何をしたって苦しい。

だからといって呼吸をしなければますます苦しくなるのは当然。

 

 

(どこだ……皐月…どこにいるんだ………!?)

 

いつ四方が塞がれるかわからないこの場において、躊躇と静止は最高に危険だ。

このまま前に進むしか………

 

ゴオオオォッ!!!

 

「っ!?」

 

正面を塞がれた。

思った以上に火の回りが速い。

 

(参った…このままじゃ崩れるのも時間の問題だ………)

 

 

しかし……こう熱いと………

だんだん――――思考が、ぼやけ…て……………?

 

 

 

「あなたまで、私を置いていかないで――――――――」

 

 

 

「う………」

 

 

炎。

炎。

炎。

 

視界には―――――炎。

 

不意に過ぎった言葉。

いつかと、同じ。

 

赤い世界。

大切なもの。

全部。全部同じ。

 

 

―――――失う。

これがいつかと同じなら。

 

僕はまた、大事なものを失う。

 

「………………あ、み」

 

気が動転しているのか。

自ら…吸い込まれるようにして、炎の中に入ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優―――!!」

 

 

 

どうして?

 

「怖かったね…もう大丈夫だからね……!」

 

どうしてボクをとめるの?

 

「ああ……こんなに火傷が…………」

 

おかあさん。

ボクはこわくなんかないよ。

あれはきもちいいんだよ。

いたくなんかないよ。

あつくなんかないよ。

 

「…!?……そんな…どうして………?」

 

おかあさん。

わかってるんだ。

もう、ボクはいらないんだよね。

 

もうひとり。

おかあさんのなかからきこえる。

 

その子がいれば、ボクはもういいんでしょ?

 

「優!?駄目、行っては駄目!!!」

 

……よんでるの。

あの子がね、こわいって、ないてるの。

 

もう、おかあさんはボクをみてないから。

だから、ボクにはもう、あの子しかいないんだ。

 

だから、だから。

おかあさん、ボクをはなして―――――――――

 

 

 

「――――――う」

 

気が付いととき、僕は赤い海の中にいた。

逃れようのない死の予感に支配された、炎魔の棲まうというゲヘナのような赤い海。

 

 

僕を撫でる炎の揺らめきは、波のさざめきに似る。

 

溶けてゆく。

 

世界の総てが、とろけてゆく。

 

だらだらと、だらしなく溶けてゆく。

 

熱くはない。

 

むしろ心地良い。

 

まるで揺り籠のようだ、と感じた。

 

そんな僕は狂っているのだろうか。

 

そうだろう。

 

そうに違いない。

 

でなければ、どうしてこんなにも昂ぶるのか。

 

 

…錯覚。

このすべてが、自分の一部だという錯覚。

 

手を広げる、それはカタチ無き抱擁。

抱くモノを守護するかのように。

 

 

現実は違う。

抱きしめた愛し人は容赦なく僕を焼いている。

 

なのに。

どうして僕は落ち着いている?

この心臓は、どうして、そんな、静かに、規則正しく鳴っているんだ?

 

恐れろ。

動機しろ。

脈を乱せ。

息を切らせ。

呼気を荒らげ。

嗚咽しろ。

恐怖しろ。

認めるな。

認めるな。

目を覚ませ。

頼むから目を覚ましてくれ。

頼むから。

頼むから。

頼むから。

頼むから――――――――――

 

 

 

ちりん………

 

 

「!」

 

鈴の音。

振り返ると、探し物がそこにいた。

 

「チルチル…皐月……!」

 

「どうして……どうして追って来たんだよぉっ!?」

 

「……………皐月」

 

「あたし……自分のことは、いつも自分で何とかしてきた!!

誰も…何もしてくれないから全部自分で何とかするしかなかったんだよ……!!

なのに、なのに、どうしていつも何もしてくれない兄貴が、なんでこんなとこまで来てるのっ!!?」

 

「それは――――」

「あたしを助けるつもり……?

冗談じゃないよ……こんな時だけ兄貴面してさ………何様のつもりだよ……」

 

「………皐月」

「…ふん……こんな生意気なガキ、助けるだけ無駄なんだから……さっさと尻尾巻いて逃げればいいじゃん……………」

 

「つべこべ言うな」

「わっ!」

 

無理矢理引き寄せ抱きしめる。

所々焦げてチリチリになった髪と、穴の開いたお気に入りの服。

 

「何、泣きながらぶつぶつ言ってるんだよ………」

「あたし……泣いてなんか………」

 

黒ずんで汚れた腕と指先にできた沢山の水ぶくれが痛ましかった。

……それが何をしようとして出来たのかを考えると、尚更。

 

 

「頼むから……兄ちゃんより先に死なないでくれよ………」

 

 

嫌われて当然な、バカな兄貴だけど。

 

「ばか…!ばかばかばかっ……!!」

 

 

今までずっと意地張ってて、素直になれなかったけど。

どんなにお前に嫌われても……それでも僕は、お前が大好きなんだよ………皐月。

 

 

 

「にいちゃんの……くそばかっ…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴオオオオッ!!

 

「あ、前後塞がれたかな?」

「何ゆったりしてるんだよ!もっと慌てようよ!!」

 

別にゆったりしてるつもり無いんだけどな……と、

そろそろ…まずいかな……?いよいよもって、もはやこの世とさようならって感じ。

 

 

「皐月、おばあちゃんは?」

 

「………もう…………いないよ」

「そうか……」

 

良かった。

…始末する手間が省けた。

 

「鳳……鳳が…おばあちゃんを、殺したの?」

「……いや、それは違うよ」

 

「え…違うの……?」

「まあね………ッ!?」

 

ゴオオオオォ!!!!

 

「あ………完璧に塞がれた……もう駄目かな?」

 

 

 

 

――――――ちりん

 

 

 

「………チルチル…?」

 

 

 

「……そっか」

 

「ありがとう……」

 

「最後の最後で気付いたよ……」

 

 

「馬鹿な孫で、ごめんよ――――――」

 

 

 

 

 

 

それから―――――目を瞑ると、身体が何かに包まれていくのを感じた。

 

 

 

熱くはない。

痛くも、苦しくもない。

まわりはすべて火の海だというのに。

 

燃えていく。

閉じた目にも、社が燃えていくのがわかる。

 

終わっていく。

長年彼女を縛っていたものが霧散してゆく。

 

そしてその矛先は、すぐにも僕に向けられる。

次に対峙したとき、彼女は本気で僕を奪いにかかるはず。

 

だから。

この手にはこれがある。

 

赤く輝く、退魔の宝玉。

 

 

 

…………大丈夫。

 

休もう。

今は休もう。

 

 

少しでも強くこの熱を冷まして、来るべき時に備えよう――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――気が付いたとき、僕と皐月は神社から遠く離れた場所にいた。

………でも、もうひとりの姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海沿いに所狭しと並ぶ廃工場。

その狭い路地裏に、彼女はいた。

 

 

魚の加工工場は、海辺の町では当然ながらいたるところにある。

それだけ重要な施設なのだが……魚を屠り続けたためか、その路地裏はいつも腐臭がする。

 

 

「………死体を隠すには、うってつけだね」

 

 

 

今、この町は異常だ。

 

海が閉鎖された為、この魚製工場も無人になって久しい。

……にも関わらず、ここを吹き抜ける夜風には、前にも増して生臭い匂いが風に漂っている。

 

それは………多分、人に害を為す、何か、何か…得体の知れないモノが徘徊しているから…だろう。

 

何も知らない無邪気な子供が取って食われたという話も聞いた。

今、海に近づいたらソレに襲われる可能性が高い。

 

つまり。

さらに都合のいいことに、今、この場所で、誰が何を殺しても、お咎めはまったくないのだ。

 

原因は他にあるのだから、疑う余地などない。

 

 

そして、それは――――――――――

 

 

 

「くすくすくす……………」

 

彼女が妖しく微笑む。

 

「美雪さんを連れて来なかったのは、致命的だったね」

「…どうして?」

 

「あの人なら私ごとき、苦も無く殺せただろうにね」

「…殺す?何の為に?」

 

空気が一変する。

こういうのに慣れていない素人目にも、その異常さは一目でわかる。

 

「あの人と会った時、怖くて震えが止まらなかったよ。

殺される、って思ったから…ね…………」

 

こちらに近づきながら、淡々とした口調でとてつもないことを口にする。

 

「美雪さんがそんなことするわけ………」

「くす…どうかな………?

………でも、とりあえずはキミの言うとおり、あの人はどういうわけか私を殺そうとしなかった」

 

耳元で彼女が囁く度、甘い吐息が吹き付ける。

しなだれかかるようにして、首筋から肩、そして腰へとひとしきり指を滑らせた後、恍惚した表情を浮かべて踵を返して離れてゆく。

 

「祖母は、どうなったの?」

「………死んだよ。多分、社と一緒に燃えてしまったんじゃないかな」

 

「くすくすくす………アレにはお似合いの死に方だね。

化け物を何よりも嫌ってはいたけど、結局自分もバケモノだったって言うんだからお笑い草だね………

……でも、どうせなら、私のこの手でなぶり殺してあげたかったけど………」

 

 

顔に装束の端を当て、笑いを堪えきれないと言ったふうにくすくすくすと小さく揺れる。

切れ込みの多い袖口からわずかに覗いた口元からは、隠しきれないほどの狂気もまた、溢れ染み出していた。

 

 

――――それで、何となく分かった。

これから先はもう、何が起こっても不思議じゃない……と。

 

 

 

「…………祖母が死んだ今、私の呪は消えて…もう何者も、私を縛ることは出来ない」

 

呪詛のようにそう呟いて、此方を一瞥。

その目はどうも、激しい殺意と強い期待、相反する二つが同居しているように見てとれた。

 

 

「……キミは、いつでも私の前を歩いてた」

 

何か言いたくとも、口が動いてくれない。

凄まじい威圧感、蒼白と寒気がこの荒涼たる場をあまねく覆う。

 

 

「キミと、キミの両親と……。3人で、ずっと私の先を歩いてたよね?」

 

「でもね…あの日は違ったんだよ?」

 

 

「………私がいたから」

 

 

「キミは憶えてないだろうね……」

 

「でも、私とキミは、一緒に生まれたんだよ?」

 

「家も、母親も、生まれた日も、全部一緒」

 

 

「それなのに………キミは随分愛されたよね?」

 

 

「誕生日は必ず祝ってもらえたよね?」

 

「学校でいっぱいお友達をつくったよね?」

 

「クリスマスは美味しいケーキを食べられたよね?」

 

「お父さんの肩に乗せてもらったよね?」

 

お母さんに抱きしめてもらったよね!?

でもね、私は違った!私はキミと違う!!蛇神の娘だから!!!

愛されない癒されない触れられない抱かれない壊せない満たされない満たされない満たされない何一つ誰一人何もかも!!!」

 

 

今までの落ち着きが嘘のように激昂する彼女。

これまで決して見せなかったその深淵は、どんな闇よりも暗いようで、その実足が付くほど浅い、沼のよう。

 

なにより、泥は執念深い。

―――――十の巡りを越えてなお、掴んだその手を離さない、そんな彼女の恨みつらみを形容するには相応しい…と思う。

 

 

「………蛇神の娘はね、炎で焼き殺す以外に始末する方法が無いんだ」

 

「だから、キミの父親はね、私を焼き殺したんだよ?」

 

「あの金色の野原の中で、私を抱いて、一緒に焼け死んだんだよ?」

 

 

「あはは……あはははははははは!!!

笑っちゃうよねぇ!『最後まで一緒』!?そんなくだらない情で私みたいなバケモノと心中するなんてさ!!

そんなに私を愛してるなら、どうして殺したんだろうね!?殺そうとしたんだろうね!?」

 

「でもね、私は生き延びた!そのくだらない情のおかげ!!

私はあのヒトに抱かれて生き延びた!どんなに息苦しくとも!どんなに熱くとも!どんなに蒸されようとも!

炎を浴びることがなかったから、私は死ねずに生き延びた!!」

 

 

 

「………ね、交換しよ?……私と、キミの、カラダ」

 

「そうすれば、お母さんが私を抱きしめてくれる。家にはかわいい妹もいる。人並みの暮らしだってできる。

……ね、だから私と、私の人生と取り換えっこしよう?」

 

 

「……嫌だね」

「…ね、キミ、自分に選択権があると思っているの?」

 

 

大気が震える。

彼女の手にみるみる水滴が集まっていく。

 

あの時も、ああして水を作ったのだろう。

……ただ、今回は飲ませるなんて平和かつ献身的な目的じゃない。

 

「選択も何も……ね」

「何?何か言いたいの?それとも気でも触れたの?」

 

何か強力な力によって、彼女の手のひらの水塊はパキパキと音を立てて凍り始めた。

……研ぎ澄まされた氷槍は、あとは合図一つで僕に襲い掛かるはず。

 

 

………そんな物騒なモノを突きつけられているのにも関わらず、僕の頭は妙に落ち着いていた。

 

だからこうして命を握られた状況でも、僕は彼女を真っ直ぐ見据えられた。

 

「鳳…ああ、違った……」

 

知らず、顔が綻び緩む。

視界には必殺の武器を持つ彼女が、丸腰の僕の微笑む様に動揺しているのが見える。

 

 

「…………そうだね――――――亜美?」

 

 

「そんな―――――――どうして!?どうして私の名前知ってるの!?」

 

「残念だけどね、出会った時から気付いてたよ。

……ホラ、これが何だかわかるかい?」

 

手の中の赤い玉を、彼女に見せる。

左右に動かすたび、闇の中でちろちろと赤く光る。

 

 

「…あ……ああ………まさか…しゃっこう、きゅう……?

そんな…そんなもの……何で、持ってるの?」

 

「会いたかったよ、亜美。

キミには今度こそ死んでもらいたくて……わざわざ暴いてまで用意したんだよ?」

 

「そんなの…そんなの、こんなところで使ったら……キミ…優だって……」

「大丈夫、心配ないよ。キミの言ったとおり、ここは死体を隠すのにはうってつけなんだよ」

 

そう。

この場所は殺人には最も都合がいい。

 

だから僕は、ここを待ち合わせ場所に指定した。

もちろん、はじめから彼女を殺すつもりで。

 

「それにね……キミが蛇神なら、僕は迦具土だよね?

なら、僕が焼け死ぬなんてこと、ありえない……」

 

手にした氷塊はどろりと崩れ落ち、たじろぐ亜美自身に降りかかる。

それすらも予期せぬ出来事だったようで、嗚咽とも悲鳴ともつかない声を上げ汚れた地面に尻を着く。

 

「あ…あ……嫌…いや……死にたく、ない……っ!」

 

彼女の自信は、もはや跡形もない。

 

………震えながら懇願するその姿が、あんまり滑稽だったから。

亜美と、もう少しお喋りしてあげることにした。

 

「ボクラは、生まれる前からキチガイだったんだよ……?

でもね、ボクは臆病だから、キミが一緒じゃないと死ぬ事すら出来なかったんだ……」

 

「ひ……やだ…………やめて…殺さないで……もう…もう熱いのは嫌…!!!」

 

「………どうしてそんなに生きようとするの、亜美?

キミはこれまで生きてきて、良かったと思えることなんてひとつもない………それなのに、まだ生きていたいと思ってるの?」

 

「………やだ……やめて……言わないで……お願い…お願いだから…キミが、そんなこと言わないで………

………私が…焦がれていた優は、いつも見ていた優は、そんな、そんなこと言うヒトじゃなかった………ね、優……おかしいよ、こんな、こんな…………」

 

「狂ったボクラは、ここで死ななきゃいけないんだ―――――――――ね………そうだよね、亜美……?」

「ひぁ…や、やめて……お願い――――――それを放して……優!優っ!!!」

 

握り締めた拳に走り寄り絡み付いてくる彼女を、強引に捻じ伏せて跪かせ

そして――――僕はその手の宝玉を、彼女の顔に叩きつけた。

 

 

「いやあああああああああああああ!!!!」

 

 

 

相変わらず、微笑みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………あ、母さん?終わったよ」

 

 

 

「………大丈夫、そこで気絶してるよ。

………うん、うん。……分かった、連れて帰るよ」

 

 

 

―――ピッ。

 

 

 

「ふう……携帯電話も、たまには役に立つんだなぁ………」

 

1分も電話してないのに30円以上も取られるのは全然納得いかないけど、

まあ………無料通話いっぱいあるみたいだから、いいか。

 

「そうだ……ビー玉」

 

亜美の傍に腰を下ろし、地面に転がり落ちたビー玉……いや、柔らか玉?を回収する。

なんとなく爪をぷすっと差すと、ずぶりと中に入り込み、そのままスッと指を引くと、思い通りの軌跡を描いて綺麗に裂けた。

 

「蒼………これ、やっぱりビー玉じゃないじゃないか」

 

しかし、あの亜美をここまで錯乱させた挙句に気絶させるなんて

 

 

「ふっ、僕も役者だな………」

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

「……僕って…双子だったんだ………」

 

 

超ショック。

 

 

 

さっきはテンパってたから軽〜く流せたけど、

これって、よく考えなくてもかなりヘビーな事実だよね………はあ。

 

それに……あいつは、あの男はもう死んでるのか。

なんか、さんざん恨んでた自分がバカみたいだ………。

 

おまけに、勝手に人間不信に陥って、母さんにも皐月にも迷惑かけて。

しかもあの祖母は嘘をついていやがったのか……くそう。

そのうえさらにこんなでっかい妹が出来て………

 

「……ああもう、どうすればいいんだよ………」

 

ひとりごちたところで意味無いことは分かっている。

 

(―――分かってはいるけど、人間たまにはそうしたくなる時だってあるのさ………)

 

 

脇に寝かせた彼女を見る。

今度は僕があの子を担いで帰るのか……

 

「さっきは、ものすごいひどいこといっぱい言っちゃって……ごめんよ、亜美」

 

彼女の髪を撫でてみる………

――――と。

 

 

「…………ね、誰が気絶してるって?」

 

 

触れた手首を凄い力で握り締める、冷たい手。

思った以上に深く立てられた爪痕から、僕の生き血がとろりと流れ滴り落ちる。

 

……よっく考えたら、あんな事で気絶する人間、いないよね

 

 

「覚悟、出来てるよね………優?」

 

 

 

「あんまり痛いのは、趣味じゃないな………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――人通りのない海岸線を、歩く。

 

 

 

 

西の空から、うっすらと陽光が差している。

朝が近い。

 

 

閉鎖されて使われなくなった線路には、ところどころ風化の跡が見られる。

途方もなく長い年月の結晶。潮風の凝縮されたそれを見ていると何とも言えない心地になるから、好きだ。

 

 

 

「重いよ」

 

 

僕は歩いていた。

むずかる彼女を背負って。

 

「キミは、もっと重かったよ」

「………だろうね」

 

それはまあ、女の子が男を背負ったら、大層重たいことだろう。

 

「………寿命縮むかと思った」

「それはこっちのセリフだよ………」

 

 

あの後散々脅されて、

メルマブルゾンの馬鹿みたいに高いイチゴパフェを驕らされた。

 

「もっと味わって食べて欲しかったね……」

「仕方ないんだよ。早く食べないと溶けちゃうから、無理して食べたんだよ?」

 

3000円のイチゴパフェを3つ頼んでおいて何を言うか。

 

こんな田舎ではああいう洒落た店がひとつしかないから客足が多くなって、必然的に値段も吊りあがる。

やっぱ独占はいけないね。うん。

 

 

「ここ、全然デートコースに適してない」

 

空の財布をパフパフ鳴らしながら都合よく深夜まで開いていた喫茶店を呪っていると、亜美がひとの背中越しにちらちら辺りを見回して、

何故かむくれながらひどいことを言う。

 

「む…ひどいなあ。一番好きな景色を見せろって言うから、わざわざ遠回りしてるのに」

「そういう時はね、『一番面白そうな場所につれてけ』って解釈するんだよ」

 

 

「女の子の言語は難解だね」

 

わざとらしく首をすくめて言う。

 

「くすくす。でも、私は“ユウエンチ”とか行ってみたかったな。皐月が“カンランシャ”は手軽に乗れて見晴らしがすごくいい、って言ってたし」

「こんな田舎町には遊園地なんてないよ」

 

―――第一、僕の財布は空っぽだ。

 

「口に出して言っておけば、次はそこに連れて行ってくれると思って」

「ぐ…」

 

心得てるな。

 

「……でも、しばらくはこの街から出られそうにないよね」

「―――残念。いろんなトコ行きたかったのになあ……」

 

指先であのぷにぷに玉を弄びながら、少し寂しそうに呟いた彼女に。

 

「……嫌でも行くことになるよ、嫌でもね」

 

とりあえず、嘘にならないようなことを答えておいた。

………そして、さてそろそろ我が家が見えてくるぞ、という頃に。

 

 

「優、本当は持ってたんでしょ…?」

 

「何を?」

「そうだね………うん、私の知ってるキミは、そういう人だよね……」

 

 

 

「……ありがとう、兄さん」

 

 

初めて、亜美が僕を兄と呼んだ。

 

 

(あんまり兄妹って感じしないんだけどな………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


9月18日(日)      

September-18th,Sunday    

 

 

 

 

 

夕陽が滲んだ赤を連れ、蒼穹の彼方へと進んでゆく。

 

 

たなびいた陽光は野原を覆い、

大地に突き立つすべてを燃えるような赤に染め上げる。

 

葉擦れの音と、風の音と。

潮騒だけが控えめに響く、静かで……とても懐かしい秋の海。

 

 

黄金色の波を受けて、彼女の髪がふわりと揺れる。

 

前を行く父親の傍らには、普段いないはずの小さな少女。

……それだけで、歩きなれた道がとても新鮮に感じる。

 

 

 

父さんと母さん、僕と……それに、妹の亜美。

四人で手をつないで歩いた、たったひとつの思い出。

 

 

―――それが、最初で最後。

後にも先にも叶うことのなかった、なんてことない当たり前の幸せ。

 

 

 

 

 

 

「どう?亜美ちゃん」

 

「………このオムレツ、すごく美味しい」

 

「本当!?良かったわ、喜んでもらえて」

「うん……お母さんの料理、ずっと食べてみたいって思ってたから………」

 

「でも面白いわねー。それね、優も好きなのよ。

やっぱり双子だと好みも似るのかしら?」

 

「………優も、好きなの?」

「ええ、安上がりで助かるわ♪」

 

「じゃあ…作り方、教えて欲しいな……」

「いいわよ、こっちへいらっしゃいな」

 

 

 

 

 

 

 

「…………はっ」

 

おっと、あまりに眠すぎて朝ご飯の目の前で寝てしまった。

 

 

「このタマゴ、賞味期限8月…………」

「焼けば大丈夫よ――――――ああ、優、起きちゃった?」

 

「おかげさまで」

「もっと寝ていてもいいのよ?」

 

「おはよう、亜美」

「あ…おはよう………」

 

「…………………」

「えっと…それじゃ……私、部屋に戻ってるから………」

 

 

 

 

「――――いいの?」

 

「色々と思うところがあるだろうからね。それに、人前で泣くのは恥ずかしいだろうし」

「ダメねえ…優はお兄ちゃんなんだから、一緒にいてあげなさいよ〜」

 

「亜美は子供じゃないし、そんなに彼女に好かれてるわけでもないと思うしね」

 

(……はっは〜ん、どうやら気付いてないみたいね〜)

 

「……母さん?」

 

「いいからさっさと亜美ちゃんトコ行ってきなっさぁーい!!!」

「うわ…分かったよ………」

 

 

 

「…………あのさ、母さん」

「何?」

 

「……ごめん」

「どうしちゃたのー?いきなり」

 

 

「今度……落ち着いたらさ、父さんのこと、教えて欲しいんだ」

「………………優」

 

 

「…………じゃあ」

 

 

 

もっと早く、こうしているべきだったんだよね……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンコン………

 

 

 

「………お母さん?」

 

「亜美、入るよ?」

「優?……どうぞ」

 

入ってみた。

入ってみたのはいいが…………

 

(何も無い………)

 

彼女にあてがわれた部屋はむかし皐月が使っていたところで、

ベッドと机と皐月の忘れ物数点だけの、本当に何もない部屋で、部屋に在るもの=亜美、みたいな感じ。

 

(何も無い……けど)

 

そのぶん…いや、そのことを差し引いても綺麗な部屋だった。

だいたい一年弱ほど使われていなかったのに、それでもきちんと掃除されているらしく、ホコリひとつなかった。

 

「座っていい?」

「いいよ」

 

無遠慮にベッドに腰掛ける。

今更だが、無遠慮は僕の大得意だ。

 

「何か用?」

 

亜美も、その隣に腰掻けて足を組み、縮こまって丸くなる。

ダルマのようにころんころんとベッドで寝転がりながらも、しきりにこちらを覗き込んでは僕の持つお盆を気にしている。

 

「……別に、用は無いよ…はい、お茶とお菓子」

 

草饅頭と緑茶。

もっと抵抗するかと思ったけど、意外と素直に受け取って食べ始めた。

 

「こうして、妹とゆっくり話たかっただけ」

「……………」

 

茶ぁ飲んでるときに話しかけんなやー、とでも言いたげにじろーっとこっちを見てくる亜美様。

 

「はは、ごめん。気を悪くしちゃったかな?

でも、きちんと教えて欲しいんだよ。キミのことを、さ」

 

「ね、亜美……?」

 

むすっとしながらも、しっかり微笑んで言う。

 

 

「………いいよ、話してあげても」

 

 

 

「でも、どこから話せばいいのかな―――って………殆ど知らないの?

じゃあ………昨日のあれ、全部ハッタリだったんだ………………呆れた」

 

 

ふぅ、と溜息をひとつ吐いて。

ひどく儚げで……今にも泣き出しそうな調子で、語り出す。

 

 

 

「………私ね、生まれてすぐ、狭い部屋に押し込められたんだ――――――――――」

 

 

 

 

呪われた子だから外に出しちゃいけない、っていうわけのわからない迷信のせいで、暗くて冷たい部屋の中。

誰もいない、何も無い、呪いだらけ。泣いても叫んでも誰も何も答えてくれない。

 

どんなに喉が渇いても、どんなにお腹が減っても、死なない。

ただ、死ぬほど苦しいだけで………それが飢えてるんだってことすらも分からずに。

 

………そのうち、叫ぶのをやめた。泣くのも終わりにした。

疲れるだけだし、私が死にかけても誰も何もしてくれないみたいだったから。

 

……地獄だったよ。生きてて楽しいなんて到底思えなかった。

この変な身体のせいで死にたくても死ねないし、そのくせ痛みだけはいつまでも続くし。

 

 

………でもね…死にたいとは思わなかったよ。

―――――ひとつだけ、希望があったから。

 

 

流れ込んでくる様々な知識と言葉に……嬉しい、楽しい思い出。

私を忘れず、私との出会いを心待ちにしていてくれたもう一人の私を通じて。

 

知ってる……?

キミが笑っているときは、私も一緒に笑ってたんだよ?

 

キミが泣いているときも、いつだって一緒に泣いていた。

いつだって、私はキミと一緒だった。

 

……そこには、たとえ実像を伴わなくても、直に触れている実感があった。

 

それにね………秋になると、お父さんとお母さんが私のところまでやってきてくれたの。

お散歩のついでだ、って言って、甘くて美味しいお菓子を持ってきてくれた。

 

……お父さん、優と良く似てた。

とってもひねくれてて、でもすごく優しい……素直じゃない、子供みたいな人だった。

 

 

優は、お父さんのこと…………?

……ううん、何でもない。気にしないで………。

 

 

それで……そう、お父さんが約束してくれたの。

いつか、ここから出していろんなところへ連れて行ってくれるって。

 

海の上にぷかぷか浮かぶ面白い乗り物とか、大きな魚がすごく近くで見られる水族館とか……

話を聞いて、想像するだけでも楽しみで仕方が無かった。

 

 

……やがて秋が終わり、真っ白な冬が始まると、また私はひとりになった。

青かった空も、温もりある大地も、すべてが等しく凍てついてゆく、厳しくて…そして寂しい、銀色の季節。

 

私は…冬が嫌い。

自分が人間じゃないってことを、最も強く感じさせるから……。

 

血の気を失った自分の指を見るたびに、重ね擦り合わせたその指から、否応無く溢れ出る異常なチカラを感じるたびに。

このバケモノじみた身体をズタズタに引き裂いてしまいたい衝動に駆られた。

 

………それでも……それでもね。

外の世界と…優のこと……お父さんお母さんのこと、諦めたくなかった。

 

だから……いつか出してくれるって言ったお父さんを信じて……私は待った。

 

手をつないで幸せそうに歩いていく3人の背中を、じっと見つめながら………

 

 

 

――――――そして季節は巡り、4歳になった秋の日……約束通りお父さんが私を連れにやってきた。

 

やっと外に出られるって、喜んだ………。

もう、背中を見ているだけじゃなくって、一緒に歩けるって…喜んだのに………

 

 

…………そのあとは……昨日話した通り。

 

 

私…キミとお母さんの見ている前で、焼き殺されかけたんだよ。

 

あのときはまだ言葉も良く知らないくらい小さかったし、元々教えてもらえなかったし。

だからお父さんの言ってるコトの意味はわからなかったけど、自分を殺そうとしてるってことだけは何となくわかった。

 

おかしいよね……女の子にさんざん夢見させておいてさ、それを自分から踏み躙ったんだよ?

私はずっと檻の中で、目の前で私が一番欲しがってる幸せを見せ付けられて、それでも我慢してたっていうのに………酷いよね…………

 

 

 

 

…………ごめんね、今のはぜんぶ私の愚痴だから。

真に受けちゃだめだよ……優はただでさえ自分が見えて無さ過ぎるんだから。

 

 

 

雛迦神社に伝わる昔話………人産みの元凶である蛇神。

人界に落ちた彼女達の間に産まれたヒトの子が、私達の祖先。

 

堕ちたとはいえ、神の血はとても濃く、途絶える事はなくて…………

極稀に生まれてくる、非凡な、才能ある双子……その魂と同化し、二人は必ず生まれてくるの。

 

でも双子自体が希少な上に、その魂の器を受け継ぐことの出来る子が二人も生まれることは、奇蹟に等しかった………

……だけど。深い因果と宿業は、決して消滅してはくれない。

 

その産物が、私と、キミと―――――――――

 

 

 

 

「………少し、疲れちゃった」

 

「……一気に話してくれなくてもいいよ。疲れたなら休んだほうがいい」

「…………うん」

 

足を組んでいた手を解いて、ぽふっとベッドに倒れこみ、その場で2、3度寝転がる。

そのうち仰向けに落ち着いたと思えば、もう一度ころんと寝転がってうつ伏せになり、枕の上で手を組んで眠たげな眼をしている。

 

「キミも十分ひねくれてるよ……」

「へぇ…私のどこがひねくれてる……?」

 

「ちょ、ちょっと……いた、いたたた………」

 

彼女に首のあたりを締められて、半ば倒れこむようにしてふたり並んで横になる。

………と、何となく体裁が悪いので、起き上がろうとしたけど……めんどくさいから、やめた。

 

 

 

「皐月…可愛いよね」

 

写真立て。

この部屋にふたつみっつ、わずかに残った皐月の持ち物のうちのひとつを手にとって、嬉しそうに呟く。

 

「初めて会って、一緒に話したときからずっと、ああ、こんな妹がいたらいいな…って思ってた。

あの子が私の妹だって分かったときは、本当に嬉しかった」

 

とろんとした…眠そうな、遠い眼をしながら語りだした亜美。

その話を、彼女の髪を撫でながら黙って聞いている。

 

「それにね、私のご飯や服はあの子が用意してくれてたんだよ。

そこまでしてくれたあの子に……私は名前すら明かさなかったのに………」

 

昔、皐月にしてあげたように。

静かに、ゆっくりと撫でながら……彼女の瞳が閉じるまで、じっと待つ。

 

「一生懸命考えた…綺麗な名前で呼んでくれてね……すごく…すごく嬉しかったんだよ………」

 

 

やがてかくんと頭を垂れて、眠りにつく。

小さく寝息をたてながらまどろむその表情は、本当に皐月によく似ている。

 

 

「………おやすみ、亜美」

 

 

眠り始めた彼女を起こしてしまわないよう…静かに、それだけを口にして。

僕は、妹の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「家を建て替えるわよ〜!!!」

 

 

「え………?」

「はぁ……?」

 

あんまりにもとっぴな母さんの提案に、二人して変な声を出してしまった。

 

「ウチ、お金無いんじゃ……」

 

熱々のお好み焼きを口に運びながら、さっきからすっごい不安だったことを口にしてみた。

 

「昨日の火事で保険がわんさか下りることになってね〜もうウハウハなのよ〜!!」

「火事……?」

 

ふよふよ踊るカツオブシをものめずらしそうに見つめながら、亜美が意外な事を呟く。

僕はてっきり、彼女はもう知ってるものだと思っていたんだけど………。

 

「ああ……神社が火事に遭ってね、皐月も今病院にいる」

「そうなんだ………」

 

神社なんかほっといてもお国が何とかしてくれるでしょう、ということで

新しく家を立て替えることにしたらしい。

 

(………というか…今時ウハウハは無いだろ……)

 

 

「………それでね…亜美ちゃん……おまわりさんの見立てじゃ、その火事はあなたがやった、ということになってるのよね………」

「そんな……ちがう…私が、皐月にそんな酷いことするわけ、ない」

 

「だろうね。僕も少しは弁解しておいたけど、それでも皐月はキミを疑っている…と思うよ」

「…………………」

 

会話の切り出しは明るかったはずなのに最終的には食卓が重い雰囲気に包まれてしまった。

…………うん、これはまずい。きっとまずい。

 

 

「……テレビでもつけようか…と、テレビは今繋がらないんだった。ラジオにしよう。

こんな僻地だから情報もローカルだけど、まあ我慢して」

 

「……石が落ちてくるとか、言わない?」

「いや、それは無いと思うよ……」

 

 

プッ――――ザ…ザザ………

 

ジミーと!マイクのッ!!

 

「しつこい」

 

ピッ……

 

≫暗殺集団フレンチドレッシングが活躍する、痛快活劇――――

 

「暗殺集団が活躍しちゃダメだろ」

 

ピッ……

 

 

≫…………今朝のニュースです――――――

 

≫明確な手掛かりが無く、これまで未解決だった連続放火事件の犯人が発見されました――――――

 

≫逮捕されたのは………の………容疑者――――――

 

≫………容疑者は、昨夜の火事を含む8件の容疑全てを認めています―――――

 

 

 

「………だってさ」

「………」

 

「良かったわね、亜美ちゃん」

「…………うん」

 

随分早い対応は、流石と言ったところ。

 

 

「…………明後日から学校だろう?だったら、仕度しないとね」

「……うん、そうだね」

 

 

 

 

 

「まー勉強はつまらないけど、面白いところではあるよ―――――おっと」

 

アレ特有の光沢と反射光に、またもや椅子の陰に身を隠してしまった。

 

「……どうかしたの?」

「まったく、こんなとこに鏡を置かないで欲しいな……母さんも………」

 

「………あら、ごめんなさいね」

「ぷ…くすくすくすっ……!」

 

 

何か、すっごい笑われてる…………

 

 

「どうかしたのかい?」

「だ、だって…本当に隠れてるんだもん……」

 

「う……そんなに笑われると傷つくんですけど」

「くすくす……ごめんごめん」

 

「―――――でも……やっぱりキミは、迦具土だよ……」

 

「……………」

「どうして?」

 

「知ってる…?迦具土が水を嫌うのは――――」

「水に映った己の顔を、醜いと思い込んでいたから…でしょう?」

 

 

亜美が驚いたような顔をしている。

……ということは、まあ、そういうことなんだろう。

 

「……意外、お母さんがそんなこと知ってると思わなかった」

 

母さんはああ見えて結構神懸り的なところがある。

多分……知っていたんじゃなくて、言い当てただけ…だと思う。

 

「当然よ〜母さんは何でも知ってるのよ〜♪」

 

と元気に答える姿はいつも通りだけど。

さっき、一瞬だけ悲しそうな顔を見せたような………まあそんなことどうでもいいか(オイ)。

 

 

「ふーん………水に映った顔、ねぇ……」

「馬鹿だよね…神様なんだから、格好いいに決まってるのにね……」

 

「それに…………」

「それに?」

 

「ううん、なんでもない。支度するから、教科書と鞄と制服と筆入れとってきて」

「…………人使いが粗いなあ」

 

 

 

 

 

 

………それに、数え切れない神々のなかで、蛇神を見初めさせたのは

迦具土ただ一人だけだし、ね………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

あとがきいやーん、だめぇん、おにぃチャーン(挨拶)

 

 

―――――ーご拝読ありがとうございました。

 

 

 

ちわっす、いつまでも半人前なさっちゃです。

ダブル妹で全国のお兄ちゃんメロメロ企画『秋明けの波』、いかがでしたでしょうか?

 

どうにもさわやかな終わり方でしたが、ホントはもうちっと歪んでました。

でも、やっぱりハッピーエンドがいいなあ、と思って急きょ作り変えました。

 

そしたらなんか、ありきたりなカンジになってしまいました(涙)。

 

今回、俺のクセに描写しまくったので(特に食べ物は美味しそうに書きたいなと思いまして)かなりしんどかったです。

当然ながら容量もブッちぎりってなモンで、200KBは軽く超越してしまいました。

 

しかしさすがにそのままだとマズいので、かなり多くの部分を泣く泣く削除しました。

具体的には学校でのやり取りと二日目の晩御飯、三日目四日目、美雪さんとの相談、みんなで晩御飯のシーン……かな?

 

とにかく省きまくったので、途中いくつかの箇所で大きな違和感のある仕様となっています。

特に三日目四日目と話的に重要な美雪さんとの相談を削ったのは痛かった………。

 

……それでですね(強引な話題転換)、今回すべて優クンの視点で書きましたが、

どうにも亜美ちゃんと優君、喋り方似てるんですよ、さすが双子。

 

で、折角だからそいつを利用して路地裏の場面で発言者を撹乱する作戦で行ってみましたが、

なんか逆効果になっていそうで怖い………。

 

個人的には、妹の悲惨な過去を知っても顔色ひとつ変えない主人公に激燃えなんですが。

 

 

……さて、ボロが出ないうちにお別れです。さいなら〜

 

 

 

 

 

 

10月30日投稿