その日、俺は一冊の本を目の前にして唸っていた。
別に、その本が何かしてきたから威嚇しているとかそーゆーワケじゃない。
自分でもはっきりわかるくらい俺はアホだが、そんな奴でも何かを考えることはあるのだ。
ま、一応頭はついているんだし。回転速度遅いけど。
……一応、と断わりを入れる必要はあるだろうが。
窓際に置かれた自分の机。
それに向かうことで見える外の景色は、つい先日台風が去ったばかりのせいもあってか、よく晴れている。
いつもなら、悪友達とどっかで遊んでいるところだが。
ただ、今日の俺はそれをせず、悪友の誘いを断って、こうして机に向かい、この机の上にエラソーにしているこの一冊の本と睨みっこをしている。
……馬鹿馬鹿しい。
もう何度だかもわからない、そんな考えが頭をよぎる。
しかし、やはりその本のタイトルを見れば、何度でもそう思ってしまう。
その本のタイトル。
それは――
「永遠を捨てて見た」
その本のタイトルは「不老不死の法」。
ご丁寧にも、サブタイトルには「〜永久をあなたに〜」とか書かれている。
厚さはたいしたことが無いけど、いい感じに古ぼけた表紙だったりして、雰囲気は十分。
これで、中身を開けて「ンなもんあるか!」とか書かれていたとしたら、この表向きの演出はなかなかご苦労なモンだ。
アホらしい。
この科学の発達した今の世の中、不老不死や永久などと言うものを信じる奴がどれほどいることやら。
そう考える一方、俺はそれに関して興味を抱き、別のことも考えていた。
どっかの話には、不老不死を求める奴の話ってのが結構あったりする。
やれ人魚の肝を食えば不老不死になるだの、やれどこそこの水を飲めば不老不死になるだの。
またこれが、実際に信じ込んじゃった奴がいたりして。
その信じ込んじゃった奴、自分の若さを保つために、そこら辺から若いねーちゃんをさらってきて、その娘の血を飲んだり、その血の風呂に入ったりしてたそーな。
……話に聞くだけでもおぞましい。
そーまでしてどーして永久に拘るんだか。
……でも、ちょっと考えてみると。
例えば、俺はお袋がガキの頃に死んじまって、今は親父と二人暮しだけど…お袋が死んだときは「どうして死んじゃうんだ」って心の底から思った。
瀕死の床に伏したお袋にも、俺は同じことを言った。
「どうしてお母さんは死んじゃうんだよ!」と。
でも、お袋は静かに笑っただけだった。
どうして自分が死んじゃうのに笑えるのかと思った。
お袋の葬式のあとに、親父は俺にいった。
いつか死んじゃうから、その分生きている間は頑張れるんだ、って。
だけど、そのときの俺にはそんなことはどーでもよかった。
どうしてお袋が死ななくちゃならないのか、それだけが問題だった。
だから、そのときは、人が死んじゃうことなんてなければいいのに、って思った。
あー、なんだか自己解決。
確かにそー考えると、不老不死とかって結構魅力かも。
例えば、自分が死ななくても、誰か――例えば親父とか――に使って、死なないようになってくれれば、俺ちょっと嬉しいかもしれない。
あんまり仲はよくないけど、やっぱし死なれると嫌だし。
――と、でも待てよ。
親父が不老不死になるってことは、死なないわけで、もしも俺が不老不死にならなければ、俺のが先に死ぬことになるんだよな?
なんか、昔偉く喧嘩したときに、親父に「親よりも先に死ぬことは最大の親不孝だ」とか言われたよーな気がするけど……もしかしてこれって、なかなかステキに親不孝だったりする?
……だとするとちょっと考えちゃうかも。
じゃあ、あんまり気が進まないけど、俺が不老不死になりゃいいワケか。
そーすりゃ、きっちり親父の死も見届けられるし、俺は死なないでも済むし。
――ちょっと待て。
もしかして、俺がそーなったとしたら、俺がダチ全員が死ぬところを見るハメになるじゃん。
それはちょっと勘弁して欲しいなぁ。
いくらなんでも、ダチが死ぬところを全部見て、それでも自分は死ななくて生きてる。なんか寂しいよーな気がするぞそれ。
じゃあ、ちょっと工夫して、俺だけじゃなくて、俺のダチもみんな不老不死になればどーかな?
……そしたら、そのダチのダチも不老不死にしないといけないじゃん。
ダメっぽいし…。
いや! いっそのこと、地球上の人間全部を不老不死にしちゃうとかどーだろ。
コレなら問題なし! 我ながらパーフェクトな考え!!
……つっても、絶対地球パンクするよな。
タダでさえ人間多すぎで食料難とか起きているのに。
どうにも考えがまとまらない……というよりも、勝手に考えが行ったり来たりするのに疲れて、俺は考えるのを止めた。
ふと立ち上がり、目の前の窓を開けてみる。
よく晴れている割に結構冷たい風が吹き込んできた。
そっか、もう秋なんだ。
再び椅子に腰掛けて、視線を窓から少し落としてみた。
相変わらずのさばっている不老不死について書かれた本。
そもそも、不老不死とか永久ってどーゆーことなんだろう?
不老不死ってことは、つまり老けないで、死なないこと。
永久ってのは、ずっと続くこと。変わらないこと。
もしかして。
もしかして、その不老不死とか永久ってのに俺が染まったとしたら、俺はここから変わることがなくなっちゃうんだろうか?
だとしたらそんなのは願い下げだ。
俺はまだ成長期だ。ようやく伸び始めた身長が、ここで止まっちまうのは嫌だ。
ガキの頃からさんざん人をチビチビ言って馬鹿にしてきた奴に反撃するチャンスがなくなっちまう。
風を感じることができるのは、自分風かぶつかったことがわかるからだ。
ぶつかったことがわかる、というのが1つの変化だとすると、不老不死になればそれすらわからなくなっちまうかもしれない。
俺のダチはいい奴だ。たまには喧嘩もするけど、ちゃんと話せば分かり合える。
でも、俺が変化しなくなるとすれば、話しても変わることができない――分かり合えることもできなくなっちまうんじゃないだろうか?
綺麗なねーちゃんを見ても心が動かされない。
親父に叱られても、気に留まりもしない。
ダチが何か面白いことを言っても、それを面白いと感じて表情を変える――つまり笑う――こともできない。
美味いものを食っても、綺麗な景色を見ても、何かの勝負に勝っても、それでも感情が動かない。
もしも不老不死とやらがそんなもんだったとしたら、退屈に感じる今以上につまらなくなっちゃうんじゃないだろうか。
そっか。
親父が言ってた「生きている間頑張れる」ってのは、そうやって色々自分が変わって見ることだったのかな。
だとしたら、汗かいて頑張るのも、綺麗なねーちゃん見てときめいて頑張るのも、ダチと喧嘩して仲直りしようとして頑張るのも、結構面白いかも。
「なーんだ、結構簡単な答えじゃん」
俺はわざとそう声に出して言って見た。
今の俺の動きで、もしかしたら誰かが変わったかもしれない。
死ぬのはそこで終わること。
不老不死も、変化がなくなるので、そこで終わること。
結局は同じよーなもんだ。
そう考えると、俺は机の上のペン立てから、一本のマジックペンを手に取った。
なんかの間違いで買っちまった、やたらにぶっとい、使い道に困るよーなペンだ。
俺はそのペンで、机の上の古びた本に、でっかくバツを書いた。
こーゆー使い方ができると考えれば、結構このペンもいい仕事をしている。
いい感じの古びた演出も、マジックのバツ1つで台無し。いい気味だ。
「さて、と」
俺は椅子から立ち上がり、バツが書かれたばかりの本を手に取った。
そして、それをおもむろに、机の脇のゴミ箱に放り込む。
今日はいい天気だ。
この晴れた空の下のどっかで、また馬鹿やっているであろう悪友のところにでも行って見るか。
連絡もしないで、勝手にそう決めると、俺は部屋を後にした。
END
ドレッドノートのあとがき
さ〜て、皆さんお久しぶりです、もしくは始めまして。
こんにちは、おはようございます、こんばんは。
とまぁ、そんなふざけた挨拶は置いておいて…。
なんとなーく暇になったので、なんとなく考えていたことを書いたら、なんとなくこんな話が出来上がりました。
このところずっとやる気がなくて、こうして文章ってか話を書いたのは久々なんですけどねぇ。
全然筋道考えないで、自分勝手な都合をこねくり回して書いたモンで、よくワケのわからん代物になっていたりします。
んで。
皆さん不老不死とか永久ってのは、どんな風に考えているんでしょうねぇ?
私自身はさほど生きようが死のうがどっちでもいいやとか考えている方なので、もしも不老不死になれたとしても、自分がなることはまずないでしょうけど。
でも、家族や友人には「ねぇねぇ、まだ不老不死になんないの〜?」とか勧めてそうですが(殴)
何かを失う怖さ・哀しさってのは、一度経験してしまうとそれで確実に満腹になるもんですから。
そう考えると、不老不死を求める人たちも、本当は自分が長生きしたいんじゃなくて、大切なものを二度と失わないためにそれを求めているんじゃないかなぁ、とか。
まぁ、「変化」が持ち味である人間が、「変化」を捨てて「永久」を選んだ時点で、その価値は捨て去られたも同然なのではないか…私はそんな風に考えていますが。
ともあれ、どの道不老不死の手段なんて現実にはありえないわけですし、皆さんもそれなりに頑張って生きていくのがよいのでは、なんて思ったり。
以上、取り留めのない後書きでしたっ! ではっ。