ACT.1 それは告白から始まった―――

 

 

「みさきっ! お前が好きだあああああッ! お前が欲しいィィィィッ!」

「黙れ、ゲス! つーか、近所中に聞こえるような声で馬鹿叫ぶなっ!」

 ごすっ。

 

 近所中に響き渡る男の魂の叫びと、それを上回る声量の女性の絶叫。

 ―――そして、それら二つをさらに上回る打撃音。

 三つの騒音が、一地域中に響き渡り、そして静かになった。

 

 

 

 閑静な住宅街である。

 先程、一時的に閑静ではなくなったが、いまはまったりと静かな住宅街だ。

 その中にある、とある家の真ん前で、小林みさきは深々と溜息をついた。

 嘆息しながら見下ろしているのは、一人の男学生。

 近所の公立高校の制服―――とはいえ、この辺りの高校の制服は学ランだけだが―――を着たその男は、道端で堂々と仰向けに倒れていた。

 どれくらい堂々かというと、アニメ「うる星やつら」に出てくる諸星あたるの倒れ方くらい堂々とした倒れっぷりだ。

 ちなみにその脳天には、ドでかいコブが出来ている。

 具体的に言うと、アニメ「うる星やつら」に出てくる諸星あたる(以下略)。

 

 その学生を殴り倒した凶器は、今、みさきが手にしていた。

 手提げタイプの学生鞄だ。

 だが、なんと恐ろしいことに、小林みさきは優等生だった。

 優等生の証したる眼鏡をしているわけではないが、優等生だった。

 どれくらい優等生かというと、毎日毎日教科書を家に持って帰って復習するくらい優等生だ。

 しかも、今日の授業には、教科書だけでなくプリントの資料が多い地理と物理が含まれていたりする。

 当然の如く、それらを凝縮して詰め込まれた―――強引に押し込んだとも言う―――鞄はパンパンに膨れあがっている。

 ぶっちゃけ重い。

 ぶっちゃけ夏コミのカタログよりも重い。

 ちなみにみさきが通っているのは私立の女子校だ。

 ここからだと、5分くらい歩いたところにある駅から電車に乗って行かなければならない所にある。

 正直、女の力でここまで鞄を運んでくるのは、かなりの苦労だった。

 そんな鞄を女性の腕力で振り回せるはずはない。

 だが、現実にはみさきの一撃で学ランの男は諸星あたるのような格好で道路に倒れている。

 Why?

 それは何故か。

 読者諸氏も疑問に思うことだろう。

 そして空想することだろう。

 例えば、鞄にジェットエンジンがついていて、非常時にはジェットが点火して女の子でも軽々振り回せるようになるとか。

 例えば、鞄に反重力装置がついていて、質量の割に重量は無いだとか。

 例えば、小林みさきは女子ボディビルダー部に所属するマッチョウーマンで、重い鞄なんか軽々振り回せるとか。

 例えば、小林みさきは男の子だったとか。

 色々と解釈のしようはあると思う。

 だが!

 Not!

 残念ながら上記に上げたのは全て間違いだ。

 ああ、今、こんな小説を読んでいる愛すべき暇人・・・もとい、愛すべき読者のがっかりした溜息が聞こえた気がする。

 だが、だが、無情だと理解しつつも私は心を鬼にして真実を伝えなければならない。

 ・・・ところで私って誰だ?

 いや、それはささいなことだ。気にしなくても大宇宙の収縮現象にはまったくもって関係ないので気にするな!

 そして今ここに、私ははっきりと断言しよう! NOだ!

 鞄にジェットエンジンなんて付けられないし、反重力装置なんて今の地球上においはグレンダイザーくらいにしか付いていないだろう!

 小林みさきがマッチョウーマンというのも有り得ない。

 挿絵が無い為、視覚証拠に訴えることもできないが、私が責任を持って断言しよう。有り得ない!

 そして、小林みさきが男であることも、また有り得ない。

 近頃では男が女装して女子校に潜り込むと言う話のギャルゲーがコンシューマに移植されたらしいが、無関係である。

 まったくもって見当違いだ。有り得ない。

 小林みさきはれっきとした女の子である。

 きりりとした青年のような精悍な顔つきと、同情したくなるような真っ平らな胸のせいで女子校の制服を着なければ男によく間違われるが。

 それでも彼女は女の子である。物理的な証拠を見せると、各方面から性的いやがらせだとか文句を言われかねないのでできないが。

 スカートの一つでもはいてなければ、中学生くらいの少年にしか見えないが。

 小林みさきはレディである。胸は悲しくなるくらい起伏が無いが。

 そういうわけでもう一回繰り返してみよう。

 アリエナーイ。

 

 さて。限りなく可能性の高い答えを4つとも否定してしまったからには正答を提示する義務が私にはあるように思われる。

 そういうわけで答えを出そう。

 小林みさきが女性では到底振り回せないような重い鞄で、男の頭を殴り倒せた理由、それは。

 ぶっちゃけ、火事場のクソ力というやつである。

 危機的状態に陥ると、肉体のリミッターが外れて、潜在能力が引き出され、通常では考えられない力を出すというアレである。

 最近ではメイルシュトロームパワーとも言うらしい。

 

 ふむ。読者諸氏の驚きに満ちた声が聞こえるようだ。

 「こんな単純な理由だったなんてー!」

 というような。

 つまり、複雑怪奇に見えるようなものほど、その理由は単純明快だという例の一つでありますな。

 

 おっと。

 そうこうしているウチに状況に変化が。

 なんか小林みさきが打ち倒した諸星(略)男がむくりと立ち上がったー!

 い、いや、まだだっ、まだ立ち上がりきってはいない!

 レフェリーはまだカウントを続けているっ!

 

「フォー・・・ファイブ・・・シックス・・・」

 

 シックスカウントまで数えられたが・・・・・・駄目だ、足下がふらついている! まだ立てないッ!

 このまま試合は終わってしまうのか!? それとも立てるのか諸星(以下略)ーっ!

 

「セブン・・・セブン・・・セブン・・・」

 

 おっと、レフェリー、セブンセブンとカウントを繰り返しているー!?

 そうだ、今夜のレフェリーはウルトラセブンのマニアだったーッ。

 これはつまり諸星あたるのような倒れ方をした男になにか感じ入るものがあったのか!?

 モロボシ繋がりで(関係ねぇ)。

 

「セブンセブンセブン! セブンセブンセブン!」

 

 おおっと、レフェリー、ノリノリだああああああああっ!

 

「はーるかっなほっしがー、ふーるーさーとーだー♪」

 

 歌い始めたああああああああっ!

 と、そうこうしているうちに立った! クララが立ったー!

 ・・・・・・今、直前でこのネタ使うと思った人。正直に手を挙げてください。

 ともあれ男が立ったので、レフェリーは歌うのを止めてコーナーサイドへ。心なしかその表情は残念そうだああああっ!

 ―――というわけで本編へどうぞ。

 

 

 

 

 

「・・・・・・いってぇ・・・・・・なぁにしやがる、この暴力女ッ!」

 

 時任一樹は今し方自分を殴り倒した少女へと怒鳴りつける。

 なかなかドスの効いた声だ。通りすがりの人が見れば、不良が女生徒を恐喝しているようにも見える。

 事実、時任一樹は中学卒業するまでは自他共に認める立派な不良だった。

 学校をサボってタバコを吸う、なんて当たり前の毎日で、

 誰かと肩がぶつかるどころか目線が合っただけケンカをふっかける日常。

 それでケンカを買われれば殴るし、謝られても殴る。金を出してくればさらに脅しつけて便利なサイフにしてしまうような悪っぷり。

 ヤバイ薬に手を出しかけた事もある。が、色々あって、結局、クスリはやっていない。

 悪運が強いのか、警察の世話になったことは一度くらいしかないが。

 そんな風にナイフみたいに尖っては近づくもの皆傷つけるような不良だった。

 

 もっとも高校に上がった今は不良の看板を下ろして、至極真面目に毎日学校に行って、ケンカも控えている。

 丸くなったなあ、と自分でも思う。

 以前の一樹なら、殴られたら三倍以上にして返す。老若男女かまわずに、だ。

 それがこうして、メンチ切って文句を言うだけ。人間として成長したなあ、とか思いつつ。

 

「照れ隠しにもほどがあるぶっ」

 

 台詞を最後まで言わされず、頬を殴られる。平手だ。

 ちょっとムカついた。

 我慢我慢我慢、と心の中で念じ続けて耐える。

 ちらりと平手を放った女の方をみれば、そちらは怒り心頭のようだった。

 なんで、我慢してんだ、俺。

 泣きたくなってきた。

 

「いや、あのな、なんでお前、怒ってんの」

「・・・分かんない?」

「解らんから聞いてるんだろが。それ、さくさく答えろ」

「うっさい、二等辺三角形!」

「うわっ、それ凄く傷つくんだぞ! いやマジで!」

 

 一樹はいかつい顔を渋く歪める。

 時任一樹の顔は縦長で顎が尖っている。

 ちょっとみると、逆二等辺三角形のようにも見える顔だ。

 それは産れたときからそんな顔で、小学校で「二等辺三角形」という単語を覚えた頃から馬鹿にされていじめられた。

 いじめられて、それをやり返しているウチに、いつのまにかいじめっ子になって、中学に上がる頃にはフダ付の不良になったわけだが。

 

「つか、傷ついたー! 傷を癒すには俺の女になれー!」

「バーカ! 死ね!」

 

 そう言い捨てて、みさきは家の中に入る。

 つまり、そこはみさきの家の真ん前だったりする。

 乱暴に玄関のドアを開いて、素早く身をその中に滑り込ませる。

 ばんっ、と怒りを表すような大きな音を立ててドアがしまった。

 それを一樹は呆然と見送って。

 

「・・・結局、なんで怒ってるんだ?」

 

 一樹は首をひねって、みさきの家の隣の家に入る。

 不法侵入ではない。そこは一樹の家だった。

 一樹の家はみさきの家のお隣さんなのである。

 子供の頃からずっと。

 つまり、今では絶滅したと言われる、あの古代民族「幼馴染」の生き残りだったのだ!

 ・・・ごめん、ちょっと大げさだった。

 

 

 

 

 

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ACT.2a 学校からの帰り道で―――みさき編

 

 次の日。

 

「そんなわけで、そのクソバカ男。近所中に聞こえる声でいきなり『みさき好きだ』とか絶叫してさあ!」

「ふうん、情熱的ね」

  

 

 学校からの帰り道。

 みさきは友人と二人で学校から駅までの道を歩いている。

 放課後直後の時間だ。

 みさきも、その友人である日下志保里も部活も委員会も入ってないために、この時間に帰宅している。

 

 ちなみに「日下志保里」は「くさかしおり」ではなく「くさかしほり」と読む。

 みさきとは中学の時、同じクラスになった時からの付き合いだが、初めての自己紹介でその名前の読みを聞いたとき、

「珍しい名前の読み方ね」

 とみさきが言うと。

「ウケ狙いよ」

 と返した強者である。

 

 二人が歩いているのは、学校近くの繁華街だ。

 みさきの家がある住宅地は、市街地の中心よりやや外れた場所であり、

 住宅地がずらーっと並ぶ他はスーパーだのコンビニだのがあるだけで、娯楽もなにも全くない場所だが。

 逆にみさきが通っている女子校は、街の中心に近い。

 流石に、教室の窓を開ければ繁華街の喧噪が直に飛び込んでくるような場所にはないが、

 それでも校舎を出て五分も歩けば、お祭り騒ぎの様な駅前に入る。

 駅前通りには人が寄せては返す波のように行き来している。

 この界隈には、みさきが通う女子校だけでなく、ほかに三校ほど学校がある。

 その全部が全部の生徒がこの駅を使うわけではないが、それでも駅前に密集している人の波の大半は学生だ。

 もう半分は高校生以外の大人たち。だが、学校は放課後でも会社はまだ終業になってない時刻だ。

 この大人たちは一体、どこから涌き出ているのかと、みさきはいつも疑問を感じている。

 とか、志保里に話題として出してみたら、

「・・・日本経済の不況って深刻ね・・・」

 などと、もっともらしく不穏当な答えが返ってきた。

 みさきも思わず納得しかけたが、流石に駅前の道を埋める人間の半分がリストラ組と考えると、

 自分の将来が心配になるのでそれ以上は考えないようにした。

 

「ったく、それもここんとこ毎日よッ!」

「ああ、だから最近、不機嫌そうだったのね」

「へ? あれ、そんなにあたし不機嫌だった?」

 

 きょとんとするみさきに、志保里はこくんと頷いて見せた。

 

「なんか、この世の中のもの全部死ねって感じだった」

「えーと・・・そんなに?」

「うん。だからクラスの人たちもあまり話しかけてこなかったでしょ?」

 

 いわれて思い返す。

 そー言えば、この所、クラスメイトの対応が余所余所しかったような・・・

 てっきり、イライラしていたからそういう風に感じただけかと思っていたのだが。

 

「あれ、でもあんたはフツーに話しかけてきたじゃない」

「私、そういうの気にしないし」

「いや、ちょっと気にした方が良いと思うけど」

「そう? じゃあ、気にする」

「うん、あんたは周りの人間、全然気にしてないから少しは気を遣うと言うことも覚えた方がいいって、絶対」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・志保里?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・あの、なんでそっぽ向いてるの? 危ないよ、前見ないと」

「・・・・・・・・・・・・」

「あっ、ほらぶつか―――りかけたところでクライフターン!? いつのまにそんな高等技術をッ!?」

「・・・・・・・・・・・・」

「えーと・・・あの、志保里?」

「・・・・・・・・・・・・」

「ごめん。やっぱいつもどおりのあんたで居て」

「そう?」

 

 ようやくこちらに返事を返した親友に、みさきは「はーっ」と嘆息。

 ある意味、いきなり近所に聞こえるような声で告白してくる馬鹿よりも疲れる相手だなとか思いつつ。

 

「でも、やっぱり気を遣ってみようかと。私にとってみさきは親友だし」

「え・・・」

 

 ちょっと、ときめいてみたり。

 そうなのだ。

 日下志保里は変人だが、みさきにとっては唯一の親友だった。

 みさきの交友関係は広く、友達と呼べる人間は100人は居なくてもそれに近いくらいは居る。

 ただ、彼女が親友と大っぴらに宣言できるのは日下志保里だけだった。

 そして、日下志保里にとっても、小林みさきだけが唯一の親友だった。

 

「め、めずらしいじゃん。あんたが私に気をつかうなんて」

「そうね、レアよ。だから遠慮なく受け取って」

「・・・なにこれ」

 

 志保里が通学用の手提げ鞄―――ちなみにみさきとお揃い―――から出したのはカッターナイフだった。

 100円も出せばおつりが帰ってくるようなちゃちなカッターだ。

 

「カッターナイフ。これで手首の動脈切れば俗世の諍いからは全部解放されるよ」

「・・・親友という言葉に騙されて、こういう展開を予測できなかったあたしが馬鹿でした」

「え。みさき、頭良いじゃない。クラスで3番目でしょ」

「皮肉ってんのよ! 気付けよ!」

 

 泣きたくなるような心境で、みさきはカッターを受け取る。

 そう。

 日下志保里は変人だった。

 今のも、悪意のある冗談というわけではない。

 もちろん悪意のある本気というわけでもない。

 善意ある本気である。

 

「ったく、そんなんだからあんたには友達少ないのよ。口閉じて済ましていれば、顔は良いんだから友達なんか幾らでも出来るのに」

「みさきと一緒で胸はないけど」

「うっさい、黙れ! つーか、あたしって、なんであんたと親友なんてやってるんだろう」

「フィーリングが合うんじゃない?」

「あんたみたいな自殺嗜好とフィーリングが合って溜まるかっ!」

 

 などと親友同士の微笑ましい会話をしているうちに駅につく。

 定期を取り出して改札へ向かおうとするみさきに対して、志保里はそれを見送るように立ち止まる。

 

「あれ、どしたの志保里」

「今日、友達と約束があるから」

「あー、噂の男友達か。そーいや今朝言ってたね」

「みさきは会ったことなかったね。・・・会ってく?」

 

 交友関係が広いみさきとは対照的に、志保里の交友関係は極々狭い。

 彼女が友達と呼べるのは、親友のみさきを含めてたった二人だけだった。

 もう一人は別の学校の同学年の男らしいが、恋人ではないという。

 興味はあった。

 その友達の男の前で、志保里はどんな風に接しているのかとか。

 志保里が自分を隠すような器用な人間ではないと知っている。

 けれど、もしかしたら親友の自分にも見せないような仕草をするのかもしれない。

 そう考えると興味があったが―――

 

「んー、邪魔しちゃ悪いし。止めとく」

「そう。じゃあ」

「じゃ、また明日ね」

 

 そう言って手を振って別れる。

 改札口をくぐってから振り返ると、すでに親友の姿は見えなくなっていた。

 興味はあった。

 けれど怖くもあった。

 もしも親友の自分よりも、親密な絆を見せつけられたらどうしようかと。

 親友だと言い出したのはみさきが最初だった。

 良い意味でも悪い意味でも裏表の無い性格をしている志保里のことだ。

 迷惑ならそう言うだろうし、受け入れてくれるのなら二人は確かに親友同士なのだとは思う。

 けれど、もしかしたら親友だと思っているのは自分だけなのかも知れない。

 そう言った不安が心に残っている。

 

(・・・・・・親友以前に、友達を信じられないなら、それはもう友達なんかじゃないよね・・・)

 

 解ってはいる。そう感じてはいるのだが。

 日下志保里は小林みさきにとって初めての親友である。

 だから、未だに親友を失うという経験がない。未知は恐怖である。だからみさきは彼女が “もしかしたら” 親友ではないことに恐怖する。

 

 ふと。

 未だにさっき渡されたカッターナイフを握っている事に気が付いた。

 良く、駅員に見とがめられなかったものだと思い、慌ててポケットにしまい込む。

 固い感触。だけが手に伝わってくる。

 嫌なことがあるなら即座に死ね。などと言い出すような親友である。

 それでも付き合っていられるのは、それこそ親友だからなのかも知れない。

 

 

 

 

 

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ACT.2b 学校からの帰り道で――― 一樹編。

 

 みさきと志保里が駅の改札で別れた頃。

 二等辺三角形―――もとい、時任一樹は友人Aと一緒に、人気のない駅のホームの椅子に座っていた。

 一樹が通ってる学校から一番近い駅だ。

 もっとも、一樹の家は学校から歩いていける範囲にあるので、わざわざ駅を利用する必要はない。

 一樹がここに居るのは、電車通学をしている友人Aの付き添いだった。

 単にヒマだから、友人Aが帰るまでダベってるとも言える。むしろそうとしか言えない。

 

「なあ、友人A」

「んー」

「いやお前そこつっこめよ。ほら、『僕は友人Aなんて名前じゃないよー』とか泣き喚きながら」

「なんでやねん」

「ツッコミ違う。いや正しいのか? そうなのか?」

「なんでやねん」

「いやここは明らかに突っ込むところ違うし」

「なんでやねん」

「繰り返すな! うざいわぁっ!」

「僕は友人Aなんて名前じゃないよー、えーん」

「うっわ、ムカつく。殺すぞ」

 

 一樹がドスの効いた声に、隣に座った友人Aはむしろにこやかな笑顔で。

 

「ああ、いいなあ君のその『殺す』って言葉」

「マゾだろてめえ」

「いやいや。ほら、君って怖いじゃん。殺すって言われるとマジ殺されるような気がするじゃない。すると怖いって思うし」

「わけわからん」

「解らない方が良い世界もあるんだよ」

「なんかエラそーだなー・・・って、ああ、そうかテメエ。今日あの女と会うのか!?」

「今頃気づいたの?」

「思い出したくなかったから忘れてたんだっ! なんだテメエ、まだあの女と付き合ってんのか!」

「だから付き合ってるんじゃないって、たまに会ってお茶してるだけだよ」

「止めろ! 今すぐあの女とは付き合うの止めろ! でないと絶交だ、テメエ!」

「だから付き合ってないって・・・」

「まあ・・・いい。それよりも俺の話を聞いてくれよ」

「なんども聞いたよ。幼馴染に相手にされないんだろ?」

「おいスケコマシ。なんか良い方法ないか!? こう、誰でも手軽にラブゲッチューできるよーなやつ」

「なんで僕がスケコマシで、しかもそういうことを僕に聞くのさ」

「テメエが、俺らの仲間内で一番早くカノジョができたからにきまってんだろっ」

 

 きっぱりと即答されて友人Aは苦笑。

 カノジョが出来た、云々ではなく『仲間内』という部分に苦笑した。

 

 友人A。

 名前は伊藤一紀。

 いとうかずき、と読む。

 つまり、一樹と同じ読みの名前だ。

 そのせいか、中学時代では一紀は一樹に虐められていた。

 目を合わせるどころか、一樹の視界に入っただけで殴る。逃げようとしても殴る。

 あまつさえ一樹を恐れて学校を休めば、家人の居ない隙を狙って家に押しかけてくる。

 中学時代は一紀にとって、生き地獄のような毎日だった。

 

 それが現在では、一紀と一樹は友人のような付き合いをしているから人生とはわからんものである。

 今の一紀にしてみれば、地獄だった中学生活も、良かったとは言えないが、フツーに思い出として回想できる日々でさえあった。

 

「だから、カノジョじゃないって。ただの女友達だよ」

「くあーっ! なんかむかつくその笑い。なにそのいかにも『俺は女とつきあってんだぞ。げっへっへ』って顔!」

「そんな顔してないだろ」

「くそーっ! 相手があの自殺女だと解っていてもムカつく。つか、みさきーっ好きだー!」

「ああ、もう!」

 

 いい加減にうんざりしてきた。

 いくら人の少ない駅といえど、全く人が居ないワケじゃない。

 一紀たちと同じように、電車を待ってる客も三人ほどいるし、申し訳程度に駅員もいる。

 元いじめっこだった友人の暴挙は慣れているつもりだったが、幾らなんでも恥ずかしい。

 一樹に言い寄られている、みさきという女性の気持ちがよく解るような気がした。

 

「解ったよ! なんか方法を考えるから!」

「お前がぁ?」

 

 一樹は一紀を頼りなさそうな顔で見る。

 自分から方法を考えろと言っておいて、この態度。

 よくもまあ自分も付き合いが良いなあ、と思いつつ。

 

「うんと、まあ僕は上手い考えはないけど志保里さんならなにか思いつくかもー・・・」

「げぇ。あの自殺女が? なんか死ねって言われんじゃねーの」

「・・・・・・」

 

 否定はできない。

 かといって、一紀には他に相談できるような人は思い浮かばなかった。

 

(全く、時任君も他の人に相談すれば良いのに)

 

 “仲間内” でカノジョ(誤解だが)が出来たのは一紀が一番最初だった。

 だが、それも中学時代の話で、今ではその ”仲間” だった他の面々も、恋人が出来ているヤツも居る。

 けれど一樹はそういう連中には相談しない。

 ぶっちゃけ悔しいからだ。

 

 丸くなったとはいえ、かつての中学時代は仲間内の中で一番ケンカが強かった不良の一樹様である。

 昔は仲間とはいえ、手下のように扱っていた連中に頭を下げて「女の子と仲良くなる方法を教えてください」なんて聞けるはずもない。

 その点、一紀は違う。

 本人が言っているとおり、実際には恋人が居るワケじゃない。

 ちょっと親しい女友達が居るだけだ。

 だからこそ、気兼ねなく茶化したり囃したり、愚痴ったり出来るわけで。

 これでリアルカノジョがいるなら、やってらんなくてつきあってらんねーって感じである。

 

「それにしてもさ、なんで急にカノジョが欲しいなんて言い出したのさ」

「あん?」

「だって幼馴染なんだろ、そのみさきって人。だったら告白するチャンスなんて幾らでもあったでしょ?」

 

 とかいいつつ。

 一紀は内心で、なんとなく見当を付けていた。

 よく漫画とかでよくあるアレだ。

 今まではなんとなく幼馴染という関係で付き合ってきたけれども、

 義務教育が終わり、高校に入って、なんとなく男女というものを意識する年頃になってきて―――

 ・・・なんて甘酸っぱい青春な感じなんだろうな、いいなあ、僕も幼馴染とかいたらいいのになあ。

 とか一紀君、脳内ドリーミング。

 

「いやほら、お前とか、ヒョウとかサトとか木下とかさ。カノジョできたじゃん。なんか羨ましいなって思ってさ」

 

 脳内ドリーミング、終了。

 ちょっと一紀君、唖然。

 ちなみにヒョウとかサトとか木下というのは、中学時代の一樹の悪友だった。

 

「羨ましいって・・・その、みさきさんって人が可愛く思えてきたとか、青春とかそういうんじゃなくて?」

「いや一番手頃だったし」

 

 ・・・最低すぎる、この男。

 ちょっと頭痛を感じて、目と目の間を指で押さえる。

 脳内ドリーミング。完全崩壊。

 

「あ・・・来た」

 

 と、一紀が立ち上がった。

 その目の前に、待っていた電車が滑り込んでくる。

 それが止まるのを待たずに、通学鞄を肩に掛けて、座ったままの一樹に軽く手を振る。

 

「じゃ、行くから」

「まあ、期待せんで待ってるけどな。・・・自殺しろ、なんて言ったら俺がテメエを殺すかんな」

「うん。気をつける」

 

 一紀は苦笑して、丁度プシューッと開いたドアをくぐって車内に。

 それを一樹が見送っていると、やがて開いたときと同じようにプシューッと音がしてドアが閉まる。

 ゴトンゴトンと、ゆっくりと、しかし加速しながらホームを出て行く電車を見送ってから、ようやく一人になった一樹は立ち上がった。

 

「・・・・・・帰るか」

 

 誰に言うともなく、呟く。

 と、そこに一紀が乗った電車とは反対方向から―――つまり、一紀が向かった方から―――別の電車が来た。

 それは一樹が居るホームとは反対側のホームへ滑り込むと、乗客を吐き出して、またホームを出て行く。

 なんとなく、一樹はそっちの方を見やって―――

 

「・・・・・・あ」

 

 ぽかん、と口を馬鹿みたいに開いて。

 それから目を見開き―――絶叫する。

 

「みさきいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 

 ホームに降りたばかりのみさきは、そのホームに響き渡る絶叫にぎょっとして振り返る。

 そして、一樹の顔を見ると、全力で逃げ出し、ホームの階段を全速力で駆け上がっていく。

 それを見て、追いかけるように一樹も階段を駆け上がった。

 

 ――― 一樹がみさきを捕捉したのは、17秒後。

 みさきが改札口を出た直後のところだった。

 

 そして、昨日、みさきの家の前で響いた、とてつもなく重い打撃音がまた再現されたのはその10秒後だった―――

 

 

 

 

 

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ACT.3 当店では刃物のお持込はご遠慮させて頂いております

 

「死ねば?」

 

 予想通りだった。

 心の準備をしていて良かったと思う。

 

「これあげる」

 

 しかも安物のカッターナイフを差し出された。

 一紀は困ったような笑みを浮かべてそれを受け取ろうかどうか悩む。

 逡巡していると、ウェイトレスがにこやかにやってきて申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「店内に刃物のお持ちこみはご遠慮させて頂いております―――」

 

 そんなことを言われたので、日下志保里は伊藤一紀に差し出していたカッターナイフを、ウェイトレスに渡した。

 ついでに自分が持っていた手提げ鞄も差し出す。

 鞄を差し出されたウェイトレスは困惑したように渡された鞄と志保里を見る。

 志保里は平坦な、抑揚のない声でウェイトレスの無言の疑問に答えた。

 

「その中にも入ってるから。いっぱい」

 

 言われてウェイトレスは「失礼します」と断って鞄のチャックを開いて中身をちらりとのぞき込む。

 ――― 一紀はそのままウェイトレスが倒れるかと思った。

 それくらい、ウェイトレスの足下はおぼつかずにフラつき、顔は真っ青に血の気が引いていた。

 一紀と目を合わせた瞬間、なにやら助けを乞うような眼差しを投げかけられる。

 しかし、一紀はごめんなさいと、心の中で謝って頭を下げるくらいしかできなかった。

 鞄の中に何が入っているのか、聞きたくもないし知りたくもない。

 いっぱい、と言っていたからにはさっきのカッターナイフが鞄いっぱいに詰め込まれているのだろうか。

 ・・・想像するだけでヤな光景だ。

 ウェイトレスは少しパニくっていたようだが、やがて平静を取り戻すと―――顔はまだ青ざめていたが―――志保里に向かって一礼。

 

「それでは預からせて頂きます」

 

 プロだなー、と一紀は思った。

 今までウェイトレスって、別に特にどうとか思わなかったけれど。

 たった今から、尊敬できる職種の一つに加えられると思った。

 

「物騒な世の中」

 

 ウェイトレスが引っ込むと同時に、志保里がそんなことを呟いた。

 

「たかだかカッターナイフを大げさに刃物と言って預けなければ安心できないなんて」

 

 貴方の方が物騒です。

 そう思ったが、言わないでおくことにした。

 言っても「そう?」で済ませそうな気がするが、それなら言っても言わなくても似たようなものだ。

 逆に、それ以外の反応を返されたとき、自分がどう対処して良いか解らないことの方が不安だった。

 

 ―――今、二人が居るのは駅前のファミリーレストランだった。

 ヘタに洒落た喫茶店を利用するよりも、ファミレスのドリンクバーを利用した方が、コスト的に大変具合がよろしかったりする。

 本当なら、折角の二人きりだから、もうちょっとちゃんとした場所に行きたいという見栄はあるのだが。

 

(バイトの一つでもしようかなー・・・でも、絶ッッッ対に時任君たちが邪魔しに来るしなー)

 

 高校に入学する直前、中学卒業した直後に知り合いの店で短期間のバイトをやらせて貰ったことがある。

 が、当然のように毎日毎日毎日、一樹たちが徒党を組んで遊びに来ては仕事の邪魔をして。

 結局、それらの相手をする為に、まともに仕事らしい仕事ができなかった。

 当然、貰ったバイト代は予定の半分もないスズメの涙。むしろ貰えただけでも有り難いくらいだったが。

 そんなわけで、志保里と一緒にファミレスなんかに入るたびに、バイトしようかと悩んでは諦めていたり。

 

 一紀の前にはドリンクバーの、コールドリンク用のグラスが一つ、

 志保里の前にはホットドリンク用のコーヒーカップが一つ、それぞれ置かれていた。

 中身は、一紀はメロンソーダで、志保里はホットココアだ。テーブルの上に置いてあるのは二つのコップだけだ。

 学校が終わったとはいえ、まだ夕刻と呼ぶにも早い時間だ。晩ご飯を食べるには時間が早すぎる。

 そう言うわけで、二人ともドリンクバーを注文しただけで何も頼んでいない。

 

「それで、なんの話だったっけ?」

「いや、だからね。僕の友達が好きな人出来て告白したんだけど相手にされなくて―――」

「死ねば?」

「いや、その、死ぬって言うのはちょっと」

「死ねば恋愛なんか煩わされることもないし、遺書にその相手の名前でも書いておけば後悔くらいはしてくれるんじゃない?」

「すごく、後味の悪さ抜群だね・・・」

「でもその人、自殺するときは私を呼ぶように言ってね。見に行くから」

「あはは。大丈夫。絶対に死なないから」

「なんだ」

 

 本気で残念そうに呟く。

 日下志保里はそういう人間だった。

 

 彼女は天涯孤独だった。

 父親を産れた直後に事故で亡くし、母親も彼女が中学に入る直前に自殺している。

 しかも、風呂場で手首を切ったのを発見したのが、志保里本人だというから、またやるせない話でもある。

 

 そして、そんな母親の最後を見たせいか、彼女は人の死―――とりわけ自殺という言葉を何の躊躇いもなく、そして本気で口に出す。

 

「ええとさ、だから例えば志保里さんの場合、男の人からどういうことしてもらったらうれしいかな、とか」

 

 一樹のための相談―――のフリをして、実は一紀自身の質問でもあった。

 志保里と一紀は、実際に恋人と呼べるような間柄ではない。

 一紀の方はともかくとして、志保里のほうにそう言った気は完膚無きまでに無い。

 だが、一紀はできたらもうちょっと親密に・・・ぶっちゃけ青春したいなー、とか思っていたりする。

 具体的に言えば、夜に特に用も無く携帯に電話したりして。

「なに、一紀?」

「ん・・・えとさ、なんとなく君の声が聞きたくなっただけなんだけど・・・迷惑だったかな」

「ううん、そんなことない。私も一紀の声が聞きたかったから・・・」

「志保里・・・」

 とかそんな感じ。

 殴って良いですコイツ。作者が許可します。

 

 ちなみに、志保里は携帯電話を持っていない。

 代わりに家の電話番号を教えて貰ってはいるが。

 だから今日みたいな待ち合わせは、事前に連絡し合っておく必要がある。

 

「そうね・・・」

 

 志保里は一紀の質問に、ちょっと悩んで。

 

「やっぱり、目の前で自分の頸動脈をかき切ってくれる人が」

「いや、出来れば死なない方向で」

「・・・難しいわね」

「難しいんだ・・・」

 

 本気で悩んでいる志保里の前で、暗澹な気持ちで一紀は落ち込む。

 いや、半ば予測していたことではあるのだけれど。

 それでも、少しだけ、もしかしたら・・・と思っていただけにダメージは深い。

 

「ああ、でもプレゼントなんかどうかしら。くまのぬいぐるみとか。女の子ってそういうの好きって聞くし」

 

 あなたも女の子だったはずなんですが。

 至極当然に異性のことを語るように提案する志保里に、一紀はむしろ苦笑。

 

「なにかおかしいこと言った?」

「いえ、別に。・・・ですね、プレゼントはいいアイデアかも。ちなみに志保里さんはどんなプレゼントが欲しいですか?」

 

 一紀君、めげずに再トライ。

 

「注射器かしら」

「・・・ええと、理由聞いても良いですか?」

「聞いた話だと、空気注射って言って動脈に空気が」

「えっと、ごめんなさいもう良いです」

「ああ、でも一番はあれかしら。メス。ブラックジャックが使ってたようなヤツ。切れやすそうだし」

 

 なにを切るんですか、とはもはや聞かない。

 聞く気力もなかった。

 

「うん、じゃあ、えっとプレゼントって言う方向性で」

「・・・あ。そうだ、あれはどうかな。この間、読んだ恋愛小説にあったんだけど」

「恋愛小説ですか?」

 

 意外だった。

 志保里と知り合ってから、もう数年経つが、彼女がそう言うものを読む趣味があったとは。

 どちらかというと、猟奇殺人のミステリーとか読んでそうである。

 

「うん。友達に強引に読めって言われたんだけどね」

 

 意外そうな一紀の声音に気づいたのか、そんな風に前置き説明して、

 

「押して駄目なら引いてみろってヤツ。二角形に恋人が出来たことにして、その相手の女の子に見せつけるの」

 

 志保里は一樹と面識があった。

 初見で顔を指さして「二等辺三角形?」と呟き、それを聞いた一樹がショックを受けて落ち込んでいると、たたみかけるように。

「死ねば?」

 と、追い打ちをかけた。

 そういうわけで、一樹の志保里に対する印象は最低最悪だったりする。

 一応、志保里の事情は一紀から聞いたのだが、それでも印象はぬぐえない。

 だから一樹は志保里を指して「自殺女」と怒りと侮蔑を込めて呼んでいる。

 志保里の方も、一樹を指して「二等辺三角形じゃ長いから略して二角形で良いよね」と、通称「二角形」とか「二角」で呼んでいた。

 

「あー、昔あったねーそういうの」

「意外と効果あるんじゃない? 自分に言い寄ってきてたのが、掌返したように他の女と付き合われるのって裏切られたような気がするし」

「で、そこで。『はっは。それは誤解さ、俺が愛してるのはハニーだけさ』とか言うと女心がぐらっと来るわけだね」

 

 実際、そんなに上手く行くとは思えないが。

 だいたい、一樹の話を聞いていると、どう考えても相手の女性「・・・やっと五月蠅いのが居なくなった」くらいにしか思わない気がする。

 

「ところで『裏切られたような気がする』って、志保里さんもそういう経験あるの?」

 

 平静を装って、内心ドキドキ。

 もしかしたら、なにかに裏切られたせいで恋愛に疎いというか、臆病になってるとかそんな感じなのかな、とか思ってみたり。

 だったら、そのトラウマを解消してやれば、もしかしたら、もしかしたら・・・

 

「あるわよ」

「ええ、そうなのっ!?」

「うん。そうね、アレは中学の終わりの頃だったかしら。目の前で自殺しそうな人を見つけたのに、結局その人自殺しなかったの」

 

 ふう、と彼女は切なさそうに吐息する。

 日下志保里は美人である。親友であるみさきが言ったように、黙っていれば男でも女でも向こうの方から寄ってくるだろう。

 切なげに吐息する、そのシーンだけ見れば、なかなか絵になってる。

 ・・・もちろん、その吐息の理由を知った途端、大概の人間は逃げ出してしまうのだが。

 

「あの時は、とてつもなく裏切られた気分になったわ・・・」

 

 いいつつ、上目遣いで一紀の方を見る。

 上目遣いだが、媚びるような視線ではなく、下の方から睨め付けるような非難がましい視線だ。

 困ったように一紀は苦笑した。

 

「あの、それって僕のこと?」

 

 伊藤一紀は中学の時、イジメに耐えられなくなって自殺しようとしたことがある。

 その方法は、不況で倒産した会社の廃ビルの屋上から飛び降りるというシンプルな方法だった。

 だが、偶然にそれを見つけた志保里は一紀の後を追って、ビルの屋上へ。

 いざ飛び降りようとしたときに、いきなり人がやってくれば驚く。

 しかも止めるのかと思っていたら、なんと志保里は屋上に座り込んで、コンビニから買ってきたらしいスナック菓子の袋を開き。

「頑張って」

 と、一紀に声援まで送った。

 ぱりぽりぱりぽりと、小気味よい音を立ててスナックを租借する志保里に唖然として、

 不意に我に返った。

 振り返ると、足下にはビルの遙か下の地面が見えた。四階建ての、ビルと呼ぶには低いビルだが、下はコンクリート。

 どれだけ運が良くても確実に即死できる高さだ。

「・・・・・・」

 さきほどまで、その地面は天国への扉に見えた。

 でも、我に返って―――というか冷静になって見下ろせば、単なるコンクリートにしか見えない。

 不意に、怖くなってきた。

 

 勢いで自殺しようとしたものの、志保里の出現で毒気を抜かれてしまったというか。

 結局、一紀は自殺しなかったし、それから二度としようとも考えなかった。

 だからこうしてここに居る。

 

「あ、そうだ。こっちも相談することがあったんだ」

「相談? 志保里さんが?」

 

 ちょっと心が浮き立つ―――のを抑える。

 自分に相談を持ちかけてくると言うことは、それなりに自分を頼ってくれると言うことでもある。それは嬉しい。

 だが、相談の内容はきっとアレだろう。自殺に関する内容だ。それを考えると気分が重くなってくる。

 

「私の友達の話なんだけど」

「友達が自殺したとか?」

「するかも」

「するのっ!?」

「うん、なんかね、変な男につきまとわられてるんだって。毎日毎日家の前で待ち伏せされて、会うたびに『好きだー』って叫ばれてる」

「なんかどっかで聞いた話だなあ・・・」

 

 時任君みたいな人って他にも居るんだなー、とか一紀は苦笑。

 全くの同一人物だってことは思いつかない。

 

「それで、そのストーカーに困ってて、だからさっき別れたときにカッターナイフを渡しておいたんだけど」

「・・・えと、さっき僕に渡そうとしたヤツ?」

「うん。死ねば面倒事も無くなるし」

「それで自殺するかもって?」

「うん。だけど失敗したかも知れない」

 

 そりゃあ大失敗だろう。一紀は思った。

 その友人も、よくもまあ友達づきあいをし続けられるものだ。

 ・・・などと一樹が聞いたら、お前が言うなとツッコミを入れるだろうが。

 

「・・・別れるとき、死ぬ前に私を呼んでね、って頼むのを忘れちゃったから」

「失敗って、それ?」

 

 もちろん、呼んで欲しい理由は自殺を止めるためではない。

 自殺を見学する為だった。

 

「まあだけど、大丈夫だとは思うけどね」

「大丈夫なんだ」

「親友だもの。きっと死ぬときは私を呼んでくれるわ」

「親友なんだ」

「そう親友なの」

 

 そう言って、彼女は少しだけ嬉しそうに笑った。

 一紀はその親友さんに会ったことはない。

 会ってみたい、とは思っているのだが機会がない。

 こちらから「会ってみたいなー」とか気軽に言える性格でもない。

 

「でも、もしかしたら死んでないかも知れないし。だから親友として他の方法も考えようと思うんだけど」

「是非ともそうするべきだと思うよ」

「そう?」

「そうそう。で、そのストーカーが友達さんを付けねらわないようにすれば良いんだね」

「うん。どうしたらいいと思う?」

「うーん・・・と・・・」

 

 言われて悩む。一紀自身はストーカーに狙われた経験は、当然ない。

 あるのは虐められたことくらいだ。

 

(虐められたとき、僕はどうしたっけ・・・)

 

 思い返し、思い出す。

 自殺しようとしたことを。

 

「うわーっ、駄目だ駄目だーっ!」

 

 思わず叫んだ。

 目の前で志保里がびっくりしたようにこちらを見ている。

 ごめん、と小さく謝ってから、一紀は呼吸を落ち着けた。

 

(これじゃ、志保里さんの案そのものじゃないか。えーと、ストーカーストーカー)

 

 冷静になってすぐに思いついたのは、警察、だった。

 本当に悪質なやつならすぐに通報するべきだ。

 そう口に出すと、志保里は少し思い悩んで。

 

「警察は使わない方が良いと思う。というか、ストーカーって言っても、それほど悪質なものでもないし」

「そうなの」

「うん。だって、好きだーって叫んでるだけだもの。ついでに幼馴染って言ってたから、警察沙汰にしたくないだろうし」

「簡単に死ねとか言えるのに、そういう気遣いは普通に出来るんだ」

「え?」

「ななななな、なんでもないよ!? なにも言ってませんよ!?」

 

 思わずぽつりと呟いた言葉に反応されて、一紀君内心で大焦り。

 かなりドッキンドッキン。

 けれど、志保里はそれ以上追求してはこなかった。

 そのことに安堵して、それでも誤魔化そうと適当な話題を振る。

 

「今ふと思ったんだけどその友達さんって恋人とか居るの?」

 

 慌てたせいで少々うわずった声で、息継ぎナシで言い切る。

 聞かれても、志保里は無反応だった。

 聞き取りにくかったのかな、と思ってもう一度同じ質問をしようとして。

 

「居ないと思うわ。多分」

 

 黙っていたのは一紀の早口が聞き取りにくかったんじゃなくて、ただ単に悩んでいただけらしい。

 

「じゃあさ、きっとそれだよ。彼氏とかできれば、そのストーカー・・・もとい、幼馴染も諦めるんじゃないかな?」

「難しいわね」

「そ、そうかな」

「ああ、うん、一紀の案は悪くないと思う。けど、問題はどうやってその彼氏を調達するかなんだけど・・・」

「調達って・・・」

「ウチって女子校だし。あの子、私と違って友達多いけど・・・・・・男友達が居るってあまり聞いたことがないし」

「ううん・・・そっか」

 

 適当に思いついたにしては良い案だとは思ったんだけど。

 考えてみれば、恋人なんて作ろうと思って作れるものなら、そのストーカーだって苦労はしないだろう。

 

(僕だって・・・なあ)

 

 目の前の志保里の顔を見つめる。

 ・・・正直、どうして自分がこの女の子に心惹かれているのか良く解らない。

 美人だと思う。

 今まで出会った女の子(主に思い浮かぶのは親族やら学校のクラスメイトだが)と比べてみても、断然美人だ。

 ・・・ちょっと、同世代の女性に比べて胸元が寂しいように見えるけど。

 

 けれど、顔がよいからって、事あるごとに「死ねば?」とカッターナイフを渡してくるような女性をここまで好きになれるだろうか。

 命を救われたからかも知れない。

 行動はどうあれ、彼女のお陰で一紀は飛び降り自殺することなく、今もこうして生き延びている。

 だから、これほどまでに好きだと感じてしまうのだろうか。

 

 そんなことを考えながら彼女の顔を眺めてると、向こうの方もこちらをじっと見つめてきていた。

 その事に気が付いて、反射的に顔をそらす。

 顔が赤い、と自分でも解る。何気なくじっと見つめ合ってしまった事に気が付いて、顔が熱くなっている。

 だが、彼女の方はと言うと、一紀のような少年心・乙女心は持ち合わせずに、淡々と見つめ続けて。

 

「・・・そうか。同じでいいんだ」

「同じ・・・って、なにが?」

「今思ったんだけど。一紀、恋人やらない?」

 

 一瞬、目の前が真っ白く染まった。

 何を言われたのか良く解らない。いや、解ってるはずだが、解らないフリをしている。

 それほどまでに、その言葉は、要請は、とてつもなく衝撃的だった。

 

「こ、ここここっ、こぉっ!?」

 

 まるで鶏のように「こ」しか口に出せない。

 本当は「恋人って志保里さんの恋人に、僕がなるってことですか!?」とか聞きたかったのだが。

 だが、それでも彼女には通じたようだった。志保里はこっくりと頷いて。

 

「うん。他に手頃なのいないし」

「え・・・手頃なのって・・・?」

「でも、ストーカーが諦めるまでの間だけだから。お願いしていい?」

 

 一瞬で目の前が真っ暗になった。

 先程まで光り輝く世界―――例えるのなら天国のような場所に包まれている気分だったのが。

 今度は唐突に奈落に落とされた気分だった。

 

(いや、そだよね。フツー、そうだよね)

 

 話の流れを考えてみれば、いきなり自分の恋人になってくれ、なんて台詞が出てくるはずがない。

 冷静に、というか落ち込みまくってネガティブ思考な頭でよくよく考えてみれば、当たり前のことだった。

 当たり前のことではあるが、それだけにショックは大きい。

 つい寸前まで絶頂まで浮かれて舞い上がっていた所から、一気に最低ラインまで突き落とされたショックも大きいが、なによりも、

 

(・・・一瞬でも勘違いして浮かれた自分が馬鹿みたいだ)

 

 凄く情けない気分だった。むしろ死にたい、とでも言えば彼女は喜んでくれるだろうか。

 カッターナイフをウェイトレスに取り上げられていて良かったと思う。

 今の自分なら、落ち込んだ勢いで手首の一本くらい切り落とそうとしてしまうかも知れない。

 そう考えるとこの店の方針は至極正しいと思われた。今この瞬間、一人の少年の命を救ったのだから。

 

「・・・一紀?」

 

 表情を暗く俯かせる一紀に、心配そうに志保里が呼びかける。

 

「もしかして、迷惑だった? ・・・ごめん。いきなり顔も知らない人の恋人のフリしてくれって、やっぱり迷惑だよね」

「え・・・いえ、違いますよ」

 

 顔を上げると、いつも通りの彼女の表情があった。

 半眼で、ともすれば冷たく睨まれているような印象を受ける彼女の表情。

 けれど、それなりに付き合いの長い一紀には、その瞳が不安げに揺れているように見えた。

 見えた、ような気がしただけかも知れないけど。

 

(すぐ人に死ねとか自殺する? とか言ったり聞いたりするくせに、他の気遣いは結構普通なんだよね・・・)

 

 日下志保里は変人だ。

 彼女に懸想している一紀でさえ、変な女の子だと思う。多分、彼女の親友も一紀と同じような感想だろう。

 もしかしたらその友達も同類かも、と思ったりもするが、日下志保里のような変人が二人もいるとは考えにくい。

 

「迷惑なんかじゃないですよ。志保里さんのお役に立てるなら、嬉しいし」

 

 ちょっとだけ勇気を出してそんなこと言ってみる。

 ささやかだが、今の一紀にしてみれば精一杯の勇気だった。

 だが、志保里がそんな一紀の勇気には気づくはずもなく、

 

「ん。私というか、私の友達の役に立って欲しいんだけど」

 

 と、さらりと流す。

 そのことにむしろ苦笑しながら「そうですね」と頷いて。

 

「でも、それだと一紀に借りができるわね」

「いやいーですよ。そんなの」

「良くない。・・・そだ、いいこと考えた」

 

 志保里は結構、強情なところがある。

 例えばいつも喫茶店やファミレスに入ると、支払いはいつもワリカンだった。

 一紀が「自分が出します」と言っても絶対に首を縦に振らない。今日も支払いはワリカンだろう。

 だから、せめて志保里が小銭を持っていないとき、細かいお金をさっと出せるように、

 一紀の財布の小銭入れは1円玉や5円玉で詰まっていたりする。

 

 今も、そうだ。

 借りだなんて気にしなくて良いと言っても聞きはしないだろう。

 だから一紀は黙って彼女の言葉を待つ。

 

「なら、私が二角形の彼女をやってあげるわ」

 

 借りなんかどうでもいいと強く主張するんだったと大後悔。

 一紀は反射的に口を開いて、否定しようとして―――

 

「丁度良いよね」

 

 機先を制された。

 「良くないよ」と言うのは簡単だ。

 だが「なんで?」と問い返されたとき答えに詰まる。

 ややあって、ふっと思いついたのは、

 

「で、でも時任君は志保里さんのことを―――」

 

 嫌ってる、と言うのはなんか言葉にし難かった。

 志保里は全くそういうのは気にしないだろうが、一紀の方が気にしてしまう。

 しかし志保里はあっさりと頷いて。

 

「嫌がるでしょうけど。他に当てもないでしょ?」

「まー・・・当てがあるなら、そもそも彼女が欲しいだなんて言い出さないだろうしね」

「それに、むしろ嫌われていた方がいいじゃない。恋人ごっこしても後腐れ無くて」

「まあ、そうかも」

 

 志保里の言葉にはいちいち説得力があった。

 確かに志保里の恋愛小説案を使うには、女の子が必要だが、そんな当てはない。

 当てはないのに、一樹にそのまま提案してしまえば、今度は「じゃあ、女の子連れてこい」とか言い出しかねない。

 だとしたら、志保里に頼むのが手っ取り早いだろう。

 それに、一樹は志保里のことを本気で嫌ってる、というか苦手としている。

 一樹が志保里と恋人関係になることはまずないだろうが―――

 

(・・・それでも、あまり良い気分じゃないな)

「なにか、問題がある?」

「う・・・ん、無いけど。もしかしたら一樹が志保里さんじゃ嫌だって駄々をこねるかも」

 

 もしも嫌だとか駄々をこねたら一発くらいブン殴ってやろう、と一紀は心に誓った。

 ・・・百倍くらいになって返ってきそうだが。

 

「それならそれで構わないわ。後はそっちの好きにすれば良い――― 一紀にはちゃんと別の方法でお返しするし」

 

 前言撤回。

 というか、誓いを撤回。

 駄々をこねるの大歓迎。ごねまくれ、我が友よ!

 

「じゃ、そういうことで」

 

 とりあえず、その話はそこまでで終わりだった。

 話が一区切り付いたところで、志保里がテーブルの脇に添え付けてあるメニューに手を伸ばした。

 デザートの一覧を眺め、丁度近くを歩いていたウェイトレスを呼び止める。

 適当なケーキを注文すると、一紀もそれに習って、特に考えずに志保里が頼んだ隣のケーキを注文する。

 言われた注文をウェイトレスが繰り返し、「よろしいですか」と問われて二人同時に頷くと、ウェイトレスは厨房の方へ歩いていった。

 それを見送り、志保里は「さて」と一紀に向かって身を乗り出して。

 

「今日のは、結構古い話なんだけど・・・・・・、昭和の終わり頃に長野県で起きた集団自殺の話で―――」

 

 と、いつも通りの話題に花を咲かせ始めた。

 

 

 

 

 

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ACT.4 すれ違ってるんだか激突してるんだか

 

「自殺女が恋人ぉ〜!?」

 

 夜。

 携帯に掛かってきた電話は、伊藤一紀からのものだった。

 内容は、これまたベタな内容で。ぶっちゃけて言うと。

「気になるあの子に嘘彼女を見せつけて、逆に気にさせちゃえ作戦☆」

 というものだった。

 ちなみに作戦名は、今即興で一樹が考えた。人格を表すような頭の悪いネーミングセンスである。

 

『ヤならいいよ。その代わり、もう勝手にしてよね』

 

 電話の向こうから聞こえてくる一紀の声が、いつになく冷たい。

 普段なら電話を切って伊藤家まで乗り込んで、一発ブン殴っているところだが。

 自分の想い人が、嘘でも他人の彼女になるというのは、そんな気分の良いものでもないだろうし。

 おそらくこの作戦だって、一紀が考えたものでもあるまい。あの自殺女が一紀の心情など全く考えずに出したに違いないのだ。

 だから一樹は怒るよりも、むしろ友人のことを哀れに思ってやることにした。

 ホントに大人になったなー、俺などとか思いつつ。

 

「い、いや、待てよテメエ。誰もイヤなんて言ってないだろ」

『・・・じゃあ、やるの?』

「え、ええと・・・いやまあ他に当てに出来る女もいねえしな。てか居るならテメエに毎日相談なんかしねーって」

『相談? 単にグチってただけだと思ってたけど』

「テメエ、なんか今日は突っつくな」

 

 その気持ちも解るが。

 なので殴るのは勘弁してやろう、と思った。我慢しろ俺、とか念じながら。

 

「あー、でもさ。テメエはいいのかよ?」

『なにが?』

「だからフリでも自殺女が俺の恋人役をするっての」

『良いと思う?』

「・・・・・・いや、あんまり」

 

 良いと思う? と尋ね返したときの一紀の声は、声音も、その温度もとても低くかった。

 普段のどちらというと気弱な印象を受ける一紀からは想像できないほどの迫力があった。

 しばらく、互いに沈黙。

 かけるべき言葉も思いつかず、一樹は相手の反応を待つ。

 やがて、電話の向こうで「ふぅ・・・」という吐息が聞こえたような気がした。

 

『でも、まあ。フリだし嘘だし演技だし』

 

 なにか自分に言い含めるように独り言のように呟く。

 

『それに時任君なら、志保里さんにヘンなことする事もないだろうし』

「まーなー」

 

 日下志保里は美人である。

 ちょっと胸が無さすぎるのが玉に瑕だが、顔だけ見れば一樹だって一目見て『良い女』だと思ったくらいだ。

 ・・・思った直後に「二等辺三角形」だの「死ね」だの言われて、第一印象は結局最悪だったが。

 その後も、一紀から時折聞く話では、自殺だの何だのと、そう言った話しか聞かない。

 正直、女性的な魅力よりも嫌悪感の方が強く感じてしまう。

 

『じゃあ、やるってことでいいの?』

「うん、まあ、そだな。やってみても良いんじゃないか」

『なにその他人事みたいな言い方』

「ほんとに絡んでくるなー、テメエ。別に、あんまり期待してねえだけだよ。そんな漫画みたいな展開、上手く行くとは思えないし」

『うん、僕もそう思う』

 

 憤慨すると思いきや、あっさりと認めた。

 意外に一樹が思っていると、向こうは続けて。

 

『でも他に良いアイデアないしね。やるだけやって見ても良いんじゃないかな』

「あ、ほら、テメエだって他人事みたいな言い方してるじゃんかよ」

『だって他人事だし』

「まあ、そうだけどよ」

『あ・・・そだ。出来れば今度の日曜日辺りが良いんだってさ、土曜日は志保里さん1日バイトが入ってるからって』

「今度の日曜日・・・って、明後日か。フーン、まあ構わねーけど。予定もねえし・・・って、日曜日に? なにするんだ?」

『だからその・・・付き合ってると見せかける為に、デート、だって』

 

 その声は、先程までの怒りと嫉妬を含んだ低い迫力のある声ではなく、暗く沈痛な声だった。

 

「そ、そうか」

『うん。それで出来れば、君の幼馴染が何処に行くか前もって解ればいいなって』

「ああ、直接見せつけるわけだな。アイツの休みの日の行き先ね・・・知らんけど、聞いてみるわ」

『そういうこと聞けるくらいには仲が良いんだ』

「まあ、隣近所だしな」

『や、実はちょっと不安だったんだ。君がストーカーみたいなことしてるんじゃないかって』

「はあ、ストーカー?」

『だってさ、毎日のように好きだーって言ってるんでしょ? 後つけ回してたりするワケじゃ・・・』

「ねーよ! たまたま隣だから、朝出かける時とか夕方家に帰るときに、偶然顔合わせるだけだ。そのついでに叫んでるだけじゃねーか」

『それも十分迷惑だと思うけど。いやさ、実は今日志保里さんから聞いた話なんだけど、彼女の友達がストーカーの被害に遭っててね』

 

 と、志保里から聞いた話をそのまま伝えてみる。

 聞いた一樹はへえ、と唸って。

 

「毎日家の前で待ち伏せねぇ・・・馬鹿じゃねーのソイツ」

『時任君だって似たようなモンでしょ』

「テメエ、死なすぞ」

『うん、ありがとう』

「なにがだっ!?」

『いやさ、いっつも志保里さんに『死ね』って言われてるから。あの人に言われると死んでもいいかなーって気分になるんだよ

だから、死ぬって言うことが怖いってこと思い出させてくれる、君の言葉は本当に有り難いと思う』

「トモダチとしてはっきり言ってやろう。テメエ、それは病気だ。しかも末期の。早めにあの自殺女とは縁を切ることを勧める」

『うーん、それこそ死んだ方がマシかなー』

「・・・手遅れだったか」

『あはは。でも人を好きになるってそう言うものなんじゃないかな。その人がいない世界なんて考えられなくなるくらいの』

「そうかぁ?」

『そうだよ。時任君だって、その幼馴染さんのこと―――』

「いや? 俺は女ならなんでもいーし」

『うわあ・・・』

 

 電話の向こうで一紀が絶句。

 そんな反応に、一樹は首をかしげる。

 それほど自分はヘンなことを言ったつもりはないんだが、と思いながら。

 

「顔が良くて、胸がデカくて、俺の言うことなんでも聞いてくれるなら、大概の女はオッケーじゃん? ふつー」

『いや、でも・・・さ、やっぱり好きな人は特別ってゆーか、特別な人は一人だけってゆーか・・・』

「ああ? 馬鹿じゃねーの? 良い女一人相手にするよりも、なるべく大勢の女をモノにしたいもんだろよ。男として」

『そんなこと・・・』

「全人類の男の夢はやっぱハーレムだろ。ハーレム」

『バスケ?』

「は?」

『ハーレムビート』

「ギャグだったら殺す。マジボケだったら死なす」

『どっちも死ぬじゃん!?』

「ええい、とにかくテメエは間違ってる! 女なんて、手に入れたいだけゲッチューすれば良いんだよ! これ、男の幸せ」

『身近な幼馴染一人ゲッチュー出来ないくせに』

「なんか言ったか!?」

『な、なんでもないよっ!? ・・・でも、僕は志保里さん一人居れば良いかなあ・・・』

「それはテメエが変態だからだ。テメエ!

いいか? よく考えろ? 例えばテメエ、誰か女と付き合ってるとする。で、街を歩いていたら付き合ってる女よりも良い女を偶然見つけた。

思わず惚れた。好きになった。愛しちまった。それは悪いことかよ?」

『え、ええと・・・どうなんだろ。別に好きになるくらいなら・・・』

「だけど今付き合ってる女も好きだ。だから二人ともゲッチュした。なんか問題あるか!?」

『あるんじゃないかなあ・・・』

「なんでだよ? 自分の心に正直に行動した結果だろ!? 愛だろ!? 愛は一つ以上持っちゃいけないのかよ!?」

『うわ、珍しく詩的な表現。っていうか、似合わないよ』

「うるせえテメエ! 良く聞けテメエ! とにかく俺が言いたいことは、だ!」

『うんうん、聞いてるから、ちょっとは落ち着こうよ。てかなに熱くなってるのさ』

 

 だが一紀の言葉は一樹には届かないようだった。

 一樹は真っ赤に目を血走らせて、吠えるように叫ぶ。

 

「世界中の女は、全部俺のモンだああああああああああっ!」

「近所迷惑考えろっ!!」

 カァンっ!!!

 

 いつかの再現。

 突然、一樹の背後から金属バットが振り下ろされ、良い音が響き渡った。

 

「ぐおおおおおっ!? 頭、頭が割れるうううううっ!?」

「大丈夫。元から割れてるから」

「あ、そっかあ・・・って、そりゃ尻だっ!」

「うっさいわねえ。どうせ大したモン入ってないんだから良いじゃん」

「よくねえええええええっ!」

 

 絶叫。した途端、自分の声が頭の中にわんわんと響いてうずくまる。

 

「うぐ・・・つかマジでヤベーだろ。金属バットだぞ? ふつー、ンなもんで殴ったら死ぬぞ?」

「死んでないじゃん」

「ギャグ小説だから死んでねーんだよッ!」

 それはNGワードです。

 

 

 

 

 目の前で一樹が頭を抱えて悶えていた。

 

「あれ?」

 

 と、小林みさきは自分の手に持った金属バットを見下ろした。

 一樹の部屋だ。

 彼に用事があって、一樹の母に断ってから部屋に上がった。

 お隣さんで幼馴染。勝手知ったる他人の家だ。

 迷うことなく―――迷うほど広い家でもないが――― 一樹の部屋に辿り着く。 

 そして、そこで電話中の一樹がまた馬鹿なことを近所迷惑レベルの声量で叫ぶものだから、つい金属バットで殴り倒して。

 

「うん、そうよね。金属バットで殴り倒したのよ。それは良いのよ」

「よくねえっ!?」

 

 がばあっ、と顔を上げて一樹がみさきを振り返る。

 

「てめ、いきなり人を金属バットで殴り倒して、死んだらどうしてくれる!?」

「死んで無いじゃない! なんで死なないのよ!?」

「殺したかったのかよ、おい!」

「違うわよ! そりゃ殺意はあるけど、犯罪者になるつもりはないし」

「殺意、あるのかよ!」

「とゆーか、なんで金属バットで死なないのよ? 死ぬでしょ普通!」

「だぁら、この小説が―――」

 

 ごかんっ☆

 皆まで言わせずに、みさきが一樹をバットで殴り飛ばした。

 

「その先を言うなぁっ! なんか、なかったことにされるような気がするから!」

 

 自分でもイマイチよく解らないことを、殴られて頬を抑える一樹に向かって叫ぶ。

 さっきよりも打撃は軽かった。そのせいか、一樹は痛みに悶えることもなく、即座にみさきをにらみ返した。

 

「ぶっ、ぶったな!? 親父にも金属バットでぶたれたことないのにぃっ!」

「うん、まあ、金属バットで息子を殴る親ってそうそういないだろうけど」

「いや解らんぞ? 最近、流行ってるらしいし」

「不穏当なことを抜かすなッ!」

「不穏当とか非難する前に、その金属バットを手放せよ!?」

 

 一樹の抗議の叫び―――抗議と言うよりは嘆願に近いようにみさきには感じられた―――に、みさきは「んー」と少し悩んで。

 

「ヤよ。これがないと、アンタ、か弱いあたしに襲いかかるし」

「誰がテメエみたいな女に手をだすかよッ!?」

「・・・あんた、毎日毎日毎日、あたしに向かって好きだーとか叫んでるの忘れたの・・・?」

 

 みさきに言われて、一樹はぽむ、と手を叩く。

 

「オゥ、忘れてた」

「忘れんなよ!? じゃあ、なに!? あんた、あたしのことを好きだっていったのは冗談だったの!?」

「いや、俺の女になって欲しいってのは本当だぞ」

「・・・じゃあ、忘れんなよ」

 

 限りなく温度の低い声でみさきが呟く。

 一樹君、ダラダラと冷や汗なんぞをかきながら。

 

「え、ええっと、それで、みさき。なんか用か?」

「んー、あー・・・いや大した事じゃないんだけどさ、あんた今度の日曜日ってなんか予定ある?」

「予定? ・・・って、もしかしてそれはデートの誘い?」

「違うわよ。ただ、ちょっと・・・そうね、ちょっと隣町の方まで出てくれると嬉しいんだけど?」

「は? なんで?」

「なんとなく、よ。あんたが日曜日に隣町に居てくれると助かるのよ」

「よくわからんが―――ああ、そういうお前はどうなんだよ?」

「へ? あたし?」

「そ。お前はなんか用事があるのか? つか、俺の方もお前が隣町に居てくれると助かるんだけどよ」

「え? えーと・・・そ、それは奇遇ね」

「キグー?」

「い、いや、あのね。私も丁度、隣町に用事があるのよ」

「へえ。んじゃ、実は俺も隣町に用事があったりするんだ」

 

 明らかに互いの態度はおかしいが、しかし二人ともつっこまない。

 はっはっは、とか、うふふふふ、とか不気味な笑みを交わし合う。

 

「じゃあ、もしかしたらそこでばったりと会うかもね」

「そーだな。もしかしたら誰かと一緒に居るかも知れないが気にするな?」

「またまた奇遇ね。実は私の方も、誰かと一緒かも知れないのよ」

「へー・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 今度は互いに言う言葉を無くして黙り込む。

 数十秒ぐらい、二人とも互いを伺うように沈黙を保ち。

 

 その均衡を破ったのは、みさきの方だった。

 

「じゃあ、用件はそれだけ。あたし、帰るから」

「おー。じゃあ、日曜日にな」

「うん、日曜日にね」

 

 まるで日曜日に一緒にでかける約束をしたように―――ある意味そのとおりなのだが―――言って、みさきは部屋を出て行った。

 ややあって、玄関の方から「失礼しました」「あらあら。もう帰っちゃうの?」「あ、はい、おばさん、お休みなさい」―――

 などという、みさきと母親のやりとりが聞こえてきて、玄関のドアが開き、閉まる音が聞こえた。

 その音を確認してから、一樹はさっき殴られた時、ついでに部屋の壁まで吹っ飛んだ携帯電話を拾い上げる。

 通話は切れていた。

 吹っ飛んだショックで切れたのか、それとも向こうが切ったのか解らないが。

 ともかく、再び一紀に電話を掛けなおす。

 通話ボタンを押す直前、壊れちゃいないかと不安が過ぎったが、何事もなく電話は通じた。持ち主同様、頑丈な電話だ。

 

「おう、テメエかー? さっきの話だけどなー・・・・・・」

 

 

 

 

 

 ・・・一方その頃。(FF4的表現)

 

 時任家を出たみさきは、そのまま隣の自分の家には入らずに、携帯で電話を掛ける。

 しばらくコール音が鳴って、相手が受話器を取った。

 

『・・・はい』

「えっと、小林と申しますが、志保里さんはご在宅でしょうか?」 

『みさき? どうしたの?』

「あ、志保里か」

 

 相手が友人だと解って、みさきは安堵する。

 

『みさきってヘンよね。いつもウチにかける時は、かしこまっちゃって』

「そりゃあ、アンタが出るならともかく、家の人に失礼なこというわけにはいかないでしょ?」

『ウチには私しか居ないし』

 

 志保里は天涯孤独だ。

 中学に上がる前に両親を失って、それ以来、一人で暮らしている。

 そのことは、みさきもよく知っているが。

 

「この前、アンタのおばさんが出たけど?」

『あれはたまたま。真紀子おばさん、心配性だから、たまに私の様子を見に来るの』

「ほら。その、真紀子おばさんが出るかも知れないから。・・・ってか、アンタ携帯くらい買いなさいよ」

 

 携帯電話なら、真紀子おばさんとやらを気にしなくて済む。

 だからみさきは、なんども携帯の購入を志保里に勧めているのだが、そのたびに返ってくる答えは。

 

『家に電話があるのに勿体ないじゃない』

「それは・・・そうかも知れないけどさ」

 

 両親が居らず、バイトだけで生計立てている志保里は、あんまり無駄遣いできない。

 そのことはみさきも良く解っているのだが。

 

『それで? なんの用?』

「あっ。さっきの話だけどさ。今度の日曜日、アイツ隣町に行くってさ」

『そう。じゃあ、隣町ね。何時に待ち合わせにする?』

「そうね、あたしはいつでも良いけど」

『私もいつでも良いわ。じゃあ、朝の10時くらいにしよっか』

「うん・・・って、あたしたちだけで勝手に決めて良いの? アンタの友達だって都合があるでしょ?」

『うーん、大丈夫なんじゃないかな。一紀、優しいから、いつも私の都合に合わせてくれるし』

 

 それ、優しいだけじゃないと思うんだけど。

 そうみさきは思ったが、なにも言わない。

 恋愛事にはとことん疎い人間だ。その一紀という少年は志保里に懸想していると、話を聞いてるだけのみさきにも解っているのに。

 当の本人が気が付いていない。

 これでは、その一紀少年が可哀想だ。

 

(貸した小説、ちゃんと呼んだのかしらねー?)

 

 この前、恋愛小説を貸したことを思い出す。

 いつも自殺自殺と口に出している親友に、もう少し普通にセーシュンさせるため、意識改革の一つとして貸したのだが。

 そう言えば、どこどこまで読んだ、と読破したところまで報告したのだが、感想らしい感想は聞いていない。

 いや、一度だけ聞いた。

 二年先輩のテニス部のキャプテンに恋い焦がれる主人公が、同級生に告白されて思い悩むシーンの辺りで、

「そんなに悩むんだったら死ねばよいのにね」

 などと言われて以来、感想を聞く気は失せていた。

 一応、読んではいるのだろう。ただ、意識改革は失敗と見た方がよい。

 

「じゃあ、日曜日の10時に。待ち合わせは駅で良いよね?」

『そうね。じゃあそれで―――あ、私、明日早いから』

「そう? ―――ああ、バイトだっけ?」

『ん。目覚ましの電池、切れちゃってるから。早く寝ないと』

「・・・アンタさあ。一人暮らししてる割には、そう言うところで不精よね」

『ぶしょー?』

「いーかげんって事よ。電池くらい、学校帰りにコンビニで買えばいいのに」

『つい忘れちゃうのよ。じゃあ、オヤスミ』

「うん。おやすみ」

 

 Pi、と携帯を切る。

 薄いピンク色の小さな携帯を、上着のポケットに滑り込ませると、そのまま自分の家に「ただいまー」と言いながら入っていった。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・チン。

 と、受話器を置く。

 今時珍しくも古めかしい、黒塗りのダイヤル式だ。

 母が生きていた時からずっと使っている電話機でもある。

 

「・・・寝よ」

 

 すでに晩ご飯も風呂も済ませて、パジャマ姿の志保里は誰に言うともなくそう宣言して、寝室へ向かおうとする。

 直後、ジリリリリ・・・ッ! と、電話が喧しい音を立てた。

 

「・・・?」

 

 寝ようとしたところを引き留められて、少しだけ不快に思いながら、志保里は電話を再び取る。

 受話器を耳に当てると、そこから聞こえてきたのは、聞き慣れた少年の声だった。

 

『えっと、志保里さんですか?』

「私が志保里さんじゃなかったら、誰なんだろう?」

『・・・志保里さんですね』

 

 苦笑を秘めた声。

 一紀のクセなのか、彼は事あるごとに困ったような笑みを見せる。

 本人には言ってないが、志保里はそんな彼の顔が、結構好きだった。

 

「なにか用? 私、明日早いから寝たいんだけど」

『え・・・あ、ごめんなさい』

「うん。謝る前に用件を言って」

『あ、はいっ。えっと、明後日の話なんですけど、覚えてます?』

「明後日・・・なにかあったっけ?」

『いや、その、時任君の・・・』

「ああ、二角形の・・・・・・夕方話した事?」

『はい。なんか、時任君の好きな人さんは、どうもこっちに来るらしいです』

 

 ちなみに、みさきと一樹、それから志保里は同じ街で、一紀の家は隣町にある。

 

「へえ。 奇遇ね」

『奇遇ですか? なにがです?』

「夕方話したでしょ? ストーカーに狙われてる私の友達の話。そのストーカーも、隣町に行くんだって」

『それは奇遇ですねー。まあ、ここら辺で休日に遊びに行くとしたら、限られていますけど』

「そうね」

 

 ド田舎と言うほどでもないが、都会とは微妙に言い切れない。

 そんな地域では、年頃の男子女子が遊びに行く場所は限られている。

 奇遇とか偶然というよりは、ただ、そんなもんだろうというだけのことだった。

 少なくとも、一紀と志保里はそう考えた。

 

『それで、日曜日の待ち合わせなんですけど・・・丁度いいし、待ち合わせ場所はこっちの駅で同じでいいですよね』

「そうね。私はみさきと10時にこっちの駅で待ち合わせするから。そっちには10分頃つくんじゃないかな」

『じゃあ、それで良いです。こっちも時任君にそう伝えておきますよ』

「9時に待ち合わせって言っておいて。どうせ遅れてくるだろうし」

『うー・・・ん、でもそれだとちゃんと時間通りに来た時に怖いですよ』

「そう? まあ、任せる。・・・じゃ、私は寝るから」

『あ、ごめんなさい。夜遅くに。それじゃおやすみなさい』

 

 焦った早口でそう言うと通話が切れる。

 受話器を耳に付けたまま、つー、つー、つー、と電話の切れた音をしばらく聞く。

 やがて嘆息と一緒に、受話器を置いた。

 

「おやすみなさいを言うくらいの時間はあるんだけど」

 

 言い訳するように電話機に向かって一人ごちる。

 眠いから、明日が早いからと言って、少し冷たい口調だったかも知れない、と今更ながら反省。

 なんとなく、後味が悪い。

 こちらからかけて、軽く謝罪しておやすみなさいだけ言おうか。と、思って受話器を取る。

 だが、一紀の携帯の電話番号が思い出せなかった。

 確か、生徒手帳にメモしてあったと思うが、それを調べてかけるというのもなんだか億劫に感じられた。

 受話器を置く。

 明後日、覚えてたら謝ろうと思い、寝室に向かう。

 

 当然の如く、翌朝にはすっかり忘れ去ってしまったり。

 

 

 

 

 

「・・・まずかったかなー」

 

 時計を見れば、もう9時を回ってる。

 まだ年頃の高校生が寝る時間ではないが、しかし電話を掛けて良い時間かというと、微妙なところだ。

 少なくとも、志保里にとっては不適切な時間だったらしい。

 いつもはあまり感情を表さない淡々とした声音が、少し不機嫌だったように思える。

 

 嫌われたらどうしよう。

 そんな想いが心を渦巻く。

 嫌われたら、もう絶交だって言われたら―――

 

「僕は死んでしまうかも知れない」

 

 呆然と呟いた。青ざめた顔で。

 嫌われて、生きる価値が無くなったから死ぬんじゃない。

 自殺をすれば彼女が喜ぶ。きっと、嫌っても自分が死んだその瞬間は喜んでくれるだろう。

 それはものすごく後ろ向きな決意だった。

 あるいは、ものすごく前向きな絶望だった。

 

「あああああ、でもでもでもだってー、明日は志保里さんバイトだし、バイトの最中は当然としてっていうか携帯持ってないし、バイトの後で疲れてるところに電話しても迷惑だろうし・・・っていうか、大体、全部時任君が悪いんじゃないか。ハーレムだのなんだのエラそうなこと言っておいて、幼馴染一人恋人に出来ずに僕にグチグチグチグチ、グチばっかりで。そーだよどうして僕が面倒見なきゃ行けないんだよ? 関係ないじゃないか僕ー! ・・・くそう、これで本当に志保里さんに嫌われたら時任君を呪ってやる。呪って呪って呪いまくって、すごいノイローゼにして自殺にまで追い込んでやるぅぅぅぅぅっ!」

 

 一紀がぶつぶつぶつぶつ恨み言を呟いていると、ノックもなく自室のドアが勝手に開いた。

 

「・・・静かにしてよ」

 

 かなーり、不機嫌そうな顔で部屋に入ってきたのは1歳年下の妹だった。

 ちなみに今年、受験生。

 志保里やみさきが通っている、この辺りでは唯一の女子校を狙っているが、偏差値ギリギリらしい。

 なので、最近は根詰めて夜遅くまで勉強している為に、ちょっと神経質―――ノイローゼ気味だった。

 

「あ、ごめん・・・」

 

 そのことを知っているので、一紀は素直に謝る。

 いつもの、困ったような苦笑を浮かべて。

 素直に謝ったせいか、妹は少しだけ険悪な表情をゆるめた。

 

「うん。悪いけど、静かにしてて。雑音が聞こえると、英単語上手く頭の中に入らない気がする」

「ごめん。・・・えっと、コーヒーでも入れようか?」

「・・・ミルクと砂糖、たっぷりでお願い」

「ブラックの方が眠気取れるよ」

「苦いの嫌い・・・」

 

 そう言い残すと、妹は部屋から出て行った。

 

「・・・ま、謝れば許してくれるよね」

 

 妹が出て行った後、少し冷静になった頭で一紀は独り言を呟く。

 志保里は変人だが、厳しい人間ではない。

 むしろ、意外に抜けてたりする。

 今日のことも、明日の朝になれば忘れてしまっているかも知れない(そしてそれはその通りだった)。

 それでも、明後日会ったら謝ろうと思ってた。

 この程度のことでヘソを曲げるような女性ではないが、しかし謝っておくに越したことはない。

 そう決めると、一紀は受験勉強で頑張る妹へコーヒーを入れる為に、台所へと向かった。

 

 

 

 

 

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ACT.5 さてさておあとがよろしいようで

 

 

 日曜日。

 みさきと志保里は普通に駅で待ち合わせをし、隣町で一紀と合流した。

 ちなみに隣町隣町と連呼しているが、別に一紀の住んでいる街の名前が隣町という名前ではない。

 ただ単に、作者が名前を考えるのが億劫だったので、名前が付いていないだけである。

 いや本当は「篠瀬」とか何となく直感で思いついてみたりしたのだが、ぐぐって見たら福岡県に同名の地名があったので却下したとか。

 

 それはともかく。

 

 初めて顔を合わせた一紀とみさきは軽く互いに自己紹介。

 

「あれ、ところで二角は?」

 

 きょときょとと周囲を見回して、志保里が尋ねる。

 一紀も軽く周りを見て。

 

「・・・来てないみたいですね。10時には来るように言って置いたんだけど」

「だから9時っていっときなさいって」

「えと、ごめんなさい」

 

 しゅん、となって謝る一紀。

 

「別に責めてるつもりはないんだけど」

「そうですか? ・・・あ、でもごめんなさい」

「だから、責めてないって」

「いえ。一昨日の晩、夜遅くに電話かけてしまったこと。志保里さん、次の日バイトだったのに・・・」

 

 言われて志保里は押し黙る。

 じっと半眼で一紀を見つめる―――見つめられた方は照れと緊張で顔を真っ赤にした。

 志保里が一紀を無言で責めているようにも見えるが、実際は違う。志保里が一昨日のことを思い出せないだけだ。

 ややあって。

 

「ああ、そう言われれば・・・・・・・・・そんなこともあったっけ?」

 

 イマイチ思い出せないらしい。

 電話されたことは覚えているのだが、それが夜遅く、しかも謝られるような時間帯だったのかが記憶にない。

 別段、志保里は記憶力が無いわけではないが、特に興味ないこと、意味がないと判断したことはすぐ忘れてしまう。

 逆に、興味があることには異常なほどの記憶力を発揮するのだが。

 

「まあ、いいわ。・・・二角って携帯は?」

「持ってますよ―――あ、ちょっとかけてみますね」

 

 言って、一紀が二角―――もとい、一樹に向かって電話を掛ける。

 その間に、会話から置き去りにされていたみさきが、志保里の腕を引っ張って。

 

「あのさ、ちょっと話が見えないんだけど。二角って誰?」

「一紀の友達。ここで待ち合わせなんだけど」

「待ち合わせ? その、伊藤君が? もしかして今日用事が―――」

「はあ!? ふざけてるのか君は!」

 

 突然、一紀が携帯に向かって怒鳴りつける。

 その声に、みさきの言葉の後半は口の中に消えた。

 一紀を振り返れば、顔を真っ赤にして志保里が見たことがないほど怒っていた。というか怒った顔なんて初めて見るのだが。

 

「いいから今すぐ来いよ! ―――当たり前だろ! 誰の為に志保里さんがわざわざ・・・ああ、もうなんでも良いから早く来る!」

 

 かなり激怒な感じで怒鳴りつけると、一紀は携帯を切った。

 顔を渋く染めて、申し訳ないように志保里に言ってくる。

 

「すいません・・・あの馬鹿、寝過ごしてたみたいで」

「へえ。一紀がアレのこと馬鹿とか言うの、初めて聞いた」

「あんなのは馬鹿で十分です。というか、もう帰っちゃっていいですよ、志保里さん」

「良いわよ。別にヒマだし。今から家を出ても、30分もすれば来るでしょ」

「そうですけど」

「丁度、暇つぶしもあることだし」

 

 と、志保里は文庫本を一冊取り出した。

 その本にみさきは見覚えがあった。自分が貸した恋愛小説だ。

 小説にはしおりが挟んであって、見たところもうそろそろクライマックスという辺りだった。

 

「じゃあ、みさきたちはもう行ったら? 別に一緒に待ってる必要もないでしょ?」

「それは、そうですけど・・・」

「あ。一紀の携帯だけ貸しておいて。二角と連絡取れるようにしたいし」

「いいですけど・・・」

 

 やはりどうにも申し訳なさそうに、一紀は自分の携帯を志保里に渡した。

 志保里はそれを受け取って。

 それから一紀に尋ねる。

 

「で、これってどうやって電話をかけるんだっけ?

 

 

 

 

 

 いつも歩いている町並みも、いつもと違う人と歩くと、なにか違った風景に見える。

 違和感がある、というかいつもの風景から、まるで自分たちだけがくっきりと浮かび上がってしまった感じ。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 さっきから無言が続く。

 方や女の子とロクに付き合ったこともなく、普通に話してるのは妹と母と、それから志保里だけという一紀。

 方や一応、友達の友達に男友達はいるが、こうして二人っきりで歩いたという経験は全くないみさき。

 二人とも、何を喋ったらいいのか解らずに、ただ無言で歩き続けていた。

 

(どーしよ。考えてみれば恋人っぽくするってどうすれば良いのよ? う、腕とか組むとか?)

(やっぱり手くらいは繋いだ方がよいのかな。で、でもいきなり握るのは迷惑だろうし、かといって断るって言うのも・・・)

 

 などと互いに考えて、なにげなく二人の手が互いの手に伸びて―――・・・・・・触れ合う。

 

「「あっ」」

 

 二人の手が触れ合った瞬間、まる熱い鉄にでもさわったかのように、手を素早く引っ込めた。

 互いに顔を真っ赤にして、

 

「「ご、ごめんなさい」」

 

 同時に謝る。

 初々しい恋人と言えば、それらしくもある。

 だが、一度離れてしまった手を、もう一度触れ合わせる余裕もなく、二人は微妙に感覚を開けて、手が当たらないように歩く。

 ・・・ものすごく気まずい。

 

 途中、一紀とみさきのように男女二人で歩くアベック(これってもしかして死語かも?)を何人か見かける。

 そのどれもが普通に手を繋いで歩いていて、中には腕を絡ませて見るからに歩きにくそうに通行するのも見えた。

 そんな様子を見て、一紀は溜息を吐く。

 

(いつか志保里さんとあんな風に・・・って、あああ、なんか想像すら出来ないよッ)

 

 その溜息をどう誤解したのか、気遣わしげにみさきは一紀に、

 

「疲れちゃった? 少し休んでいこうか?」

「え、僕は別に」

「そう? でも私はちょっと一休みしたいかな」

「そうですか。なら・・・」

 

 と、すぐ目の前にハンバーガー屋の看板が見えた。

 一紀は目線でそれを指し示して、

 

「あそこで休憩しますか」

 

 

 

 

 

 穏やかな日曜日の午前中だというのに、駅前広場は忙しく歩き回る人々で満たされていた。

 さすがに平日の登下校通勤ラッシュ時より人口密度は高くないが、それなりに人の波がある。

 そんな人の流れを前にして、志保里は駅前広場のベンチに座って文庫本を読んで一樹を待っていた。

 

 あとがきを読み終わる頃、丁度、一樹が現れた。

 さっき電話してから20分くらいだ。

 大分急いで来たのだろう。髪はボサボサだし、服も少し着崩れている―――よくよく見れば、ボタンが掛け違っていた。

 

「あー・・・ワリイワリイ」

 

 息を少しだけ切らせながら、志保里に手を振って合図を送ってくる。

 志保里は文庫本を手提げ鞄に入れてから。

 

「ううん、私も今来たところ」

「へ? そうなのかよ」

「いえ嘘。なんかこれが、定番の台詞らしいし」

「定番つーか、まあありがちだな」

「じゃあ、意表をついてこんなのはどうかな。『ううん、私は明日来るところ』」

「意表っつーか・・・ワケわかんねーし」

 

 深く突っ込まずに、さらりと流す。

 志保里のことは、基本的に嫌いというか苦手意識を持っている一樹だが、

 それでも一紀を通じて結構つきあいがある。それなりに扱い方は身に付いていた。

 

「で、一紀は」

「別の用事」

「・・・ふうん、まあいい。つかハラ減ってきた。飯食いに行こうぜ」

「奢り?」

「馬鹿抜かすな」

「ま、いいけど。ご飯食べてきたし」

「俺はくってねえんだよ。くそ、あの野郎。友人Aの分際でエラそうに怒鳴りやがって・・・」

 

 先程、寝起きに一紀に怒鳴られたことを根に持っているのだろう。

 イライラとした様子の一樹を眺め、志保里はやや驚いたように目を開いて一樹を見る。

 

「そう言えば、意外ね。たたき起こされて真っ直ぐ早く来るなんて」

「あ? ワリイかよ?」

「ううん。むしろ逆―――で、アンタって平気で人を待たせてそうな気がするし」

「うっせーな。俺にとって女が出来るかどうかの瀬戸際なんだぜ? 寝ていられっか!」

「だったらもう少し早起きしなさいよ。お陰で凄く珍しいものを見ちゃった」

「なら俺に感謝しやがれ。でもキモチワルイから感謝するなよ」

 

 だが、志保里は素直に頷いて。

 

「わかった。感謝しない―――それよりもご飯食べに行くんでしょ。私、フランス料理とか食べてみたい」

「金は自分で払えよ」

「・・・じゃあ駅蕎麦でいいじゃない」

「俺は蕎麦アレルギーだ」

「知らないよ、そんなの」

「んー、肉が食いたいなー。肉」

「じゃあ、ファミレスでも入る? それともハンバーガーショップとか」

「ハンバーガーな。金ないし」

「じゃ、いこっか」

 

 そう言って、志保里は一樹の腕に抱きつくように、腕を絡ませた。

 流石にぎょっとした顔で一樹が驚く。

 

「な、なななんだいきなりっ!?」

「・・・照れてるの? 恋人って、こうするモノでしょ」

「誰と誰が恋人だッ。気色悪いから離れやがれ」

「とかいって顔真っ赤だけど」

「うるせーっ!」

 

 ぶうん、とふりほどくように一樹が腕を乱暴に振った。

 だが、それよりも早く、素早く志保里は絡んだ腕を解いて離れていた。

 

「少しでも恋人っぽくしようかと思ったのに」

「ざけんな。殺すぞテメエ!」

「殺されるのは勘弁して欲しいな。殺されるくらいなら自分で死ぬ」

「・・・アイツともこういうことしてるのか?」

 

 一樹と志保里の共通の知り合いと言えばたった一人しか居ない。

 だから、アイツと言えば一紀のことだった。

 

「ううん。してない。・・・そんなことしたら、驚きすぎて死んじゃうんじゃないかな」

「死なねーとは思うけどな。まあ、嬉しすぎてトリップするかもしんねーけど」

「そうかな」

「アイツ、お前にゾッコンだしな」

「そうだね」

「って、気が付いてるのかよ」

「うん」

 

 さらりと頷く。

 むしろ一樹が驚いて志保里を見返す。

 志保里はさも当たり前そうに頷いて。

 

「私のこと好きでなきゃ、毎度毎度呼び出されて自殺の話聞かされて、我慢できるわけ無いじゃない」

「うん、まあ、ものすごくその通りだ。俺なら3秒で逃げ出す」

「でしょう? でも、一度もそう言う話を切り出されたことがないの」

 

 実は一紀の方は、さり気なくモーションを掛けているつもりなのだが。

 志保里には、自分が鈍感であるという自覚はないようだった。

 

「一紀ってシャイだから、私と手を繋ごうともしないんだよね。いままでに一度も」

「あー、なんか解る気がするな。アイツはそういうヤツだ。ヘタれだ」

「そーだね」

 

 そう言って苦笑。その表情はどことなく一紀の笑みに似ているような気がした。もしかしたら故意に似せてみたのかも知れない。

 そう思ってよくよく見れば、頬がほんのり赤いようにも感じられた。

 一樹は、ケッ、と不機嫌そうに吐き捨てて。

 

「ああ、くそっ。なんかムカつく。つーか、やってらんねー。帰って良いか、俺」

「いいんじゃない?」

「うわ、めっちゃ他人事ー。いや他人事だけどな」

「それで、どうするの? 私としてはどっちでもいいけど。別に二角が恋人出来ようが出来まいが興味ないし」

「・・・いや、やる」

「そう? じゃあ、行こう。まずはご飯食べたいんでしょ」

「おー。さっきからハラ減りすぎてなー。死にそうだ」

「死ねばいいのに」

「テメエな、そういうすぐ人に死ねとか言うの止めとけよ。ムカつくぞ」

「親切のつもりなんだけどな」

「テメエはそのつもりでも、こっちにゃ迷惑だ。一紀だってそう思ってんぞ!」

「そうかな。でも、死ねっていうたびに、一紀は笑ってみせるんだよね。私、その顔がけっこー好きだから」

「・・・本気でやってらんねー」

 

 なんどとやりとりをしながら、ぶらりと二人は歩き出した。

 手は組まなかったし、触れもしなかった。

 

 

 

 

 

 とりあえず静かだった。

 ハンバーガー屋の店内は、休日である為か、それなりににぎわっていて、喧噪に満たされている。

 だが、耳に喧しい声や音が飛び込んできても、それが素通りしていく。

 だからみさきにとってはとても静かに感じられた。

 

 目の前の二人がけのテーブルの上には、ハンバーガーとポテトとジュースのセットが二つ。

 その向こう側、テーブルの反対側には、一紀がかしこまって座っていた。

 

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 互いに沈黙。

 志保里を通して、互いに話は聞いていたが、実際は初対面だった。その上、いきなりデートまがいのことをしている。

 何やってるんだろうなー、とみさきは何となく思った。

 

 みさきは人見知りの激しい方ではない。

 どちらかというと、初対面の相手でも無遠慮に話しかける方だった。

 だが、一紀の前だと妙に緊張してしまう。

 それは相手が親友のボーイフレンドだからなんだろうと自分で思った。

 

 志保里のボーイフレンド。

 恋人ではないらしいけど、それでもいつも話に聞いていた志保里の男友達と二人っきりというのは、後ろめたさに似たような感覚がある。

 だから、いつものように言葉が出ない。

 話題は沢山ある。というか、幾らでも話したいことはある。

 主に志保里に関する話だ。志保里のことをどう思っているのか、志保里とはいつもどんなことを喋っているのかとか。

 果たして、いつも一紀と一緒に居る志保里は、みさきが知っているとおりの志保里なのか―――とくにそれが聞きたかった。

 

 だが、言葉が出てこない。

 なにか喋ろうとすると、喉がカラカラに干上がって上手く発音できない。

 唾を呑み込んでも、ジュースを飲んでも、その乾きは癒えなかった。

 

 せめて一紀がもう少し饒舌だったなら、会話できる雰囲気になると思うのだが、相手は相手で女性に対して志保里以外の免疫がないらしい。

 さっきからみさき以上に緊張して固まったままだった。

 

 ふう、と吐息して、みさきは窓の外を見る。

 二人が座った席は窓際だった。窓の外では晴天の休日を歩く人の流れが目に映った。

 中にはみさきたちと同じくらいの歳のカップルも見える。

 腕を組んで、まるで支え合うように身を寄せ合って歩いて、とても楽しそうに歩いていた。

 

(なにをやってるんだろ。あたし)

 

 不意に、そんな疑問が心に浮かび上がってきた。

 確かに一樹の行動には迷惑している。けれど、別に嫌悪するほどでもない。

 本気で嫌なら警察なりなんなりに連絡しているだろうし、或いはとことん避けて無視すればよい。

 なのにそうしないということは、それほど嫌でもなかったのだろう。

 

(嬉しいだなんて絶対に思わないけど)

 

 迷惑ではある。けど、こうして―――他人を巻き込んでまで忌避すべき問題でもなかった。

 ちら、とさっきからぼそぼそとハンバーガーをついばむように少しずつ食べている一紀を見る。

 いい迷惑だろうな、と自嘲気味に思った。

 考えてみれば一紀にはなんの関係も無い話だった。だというのに、貴重な休日を潰されたというのはそれだけでも迷惑だろう。

 それだけじゃない。特にはっきりと聞いたわけではないが、一紀は志保里に恋している。

 だからこそ、こんな馬鹿みたいな志保里の頼みを受け入れた。

 そもそも、顔を合わせれば「死ねば」と言ってくるような女性を、好きでなければどうしてずっと付き合って居られるだろうか。

 

 ・・・その疑問は、自分自身にも言えることだが、みさきは深く考えないようにしていた。

 考えても解らないし、解らなくても志保里とは親友だと断言できるからだ。

 

 ともあれ、好きな人の頼みとはいえ、そんな人から「友達の恋人になってくれ」なんて言われてショックを受けないはずがない。

 きっとあの志保里のことだ。一紀のことなんか考えもせずに、直でそんなお願いをしたのだろう。

 その時の彼のショックはどれほどのものだろうか。

 

「あ・・・どうかしましたか?」

「べ、別に、なんでもないけど・・・」

 

 視線に気が付いた一紀がふと顔を上げた。

 視線が合う直前、慌ててみさきはそっぽを向く。丁度、その時だ。

 

(・・・え?)

 

 みさきは有り得ないものを―――少なくとも、みさきにとっては有り得ないと思うものを見た。

 人混みの中、見知った顔が二つ、並んで歩いているのが見えた。

 遠回しに言っても仕方がないのでぶっちゃけていうが、それは一樹と志保里の二人だった。

 

(なんで・・・あの二人―――!?)

 

 有り得ない組み合わせに、みさきの頭が軽くパニック状態になる。

 みさきは志保里と一樹が顔見知りだと言うことを知らない。知らないからこそ、意表を突かれてみさきは混乱した。

 思考回路が完全にショートしてしまったみさきだが、しかし視線だけはじぃっと二人をロックオンしている。

 と、その視線に気が付いたというわけでもないだろうが、一樹が不意にみさきのいるハンバーガ屋へと顔を向けた。

 幼馴染同士の目と目が合う。

 最初、一樹がみさきを見た時は、顔見知りに偶然出会えた、程度の驚きだった。

 だが、その直後、目を一杯に見開いて、まさに『驚愕』って感じのタイトルがついたような表情でこちらに視線を送ってきた。

 

「外がどうかしたんですか?」

 

 みさきが窓の外を凝視しているのが気になったのか、一紀が身体を窓際へと寄せてくる。

 視界の隅に一紀の姿が目に入った瞬間、考えるよりも先にみさきの身体が反応していた。

 

「見ちゃだめっ!」

 

 ぎゅんっ、腰の動きだけで窓の方に向いていた上半身を後方へと半転。

 その回転運動と連動して、利き腕である右腕を伸ばす。

 目標との距離、間合いは一瞬の目測で掴んであった。あとはインパクトの瞬間に自分の全てを込めるだけ!

 のばされると同時に横に振られた掌が、正確に一紀の頬にブチ当たった!

 

 ばっちぃぃぃぃぃん!

 

 見事というしかないほどの、見事な音が店内に響き渡った。

 その響き渡った音で、ざわついていた店内が、一瞬だけ無音の静寂を産み出したほどだった。

 

「ぐはあっ!?」

 

 まるで漫画に出てくるザコキャラのような声を漏らしつつ、一紀が吹っ飛んだ。

 吹っ飛んだ、と言ってもギャグマンガみたいにばびゅーんっと飛んでいったわけではない。この小説は一応ギャグ小説のつもりだが。

 ただ単に、椅子の上に倒れ、その勢いで床にごろんと転げ落ちた程度だ。

 一方で、改心の一撃を産み出したみさきは、平手を見舞った状態のまま固まっていた。

 そんなみさきを、店内の人間は畏怖と尊敬を込めた視線で見つめていた。

 店内の人間―――客だけではなく、店員たちまでもが近しい人間と囁き合う。

 

 曰く、「言い寄ってきたしつこい男を豪快に殴り飛ばしたのよ」だの、

 曰く、「昔付き合っていたけど別れた男がしつこくヨリを戻そうって言ってきたから殴り飛ばした」だの、

 曰く、「実はあの子は結婚する直前で、そこへ昔の悪友がワルやってた事を旦那にバラされたくなければ、と脅してきたから殴った」だの、

 曰く、「あの男の子がガンオタで『ぶ、ぶったな・・・親父にもぶたれたことないのにぃっ』と言ってみたいと言うから殴った」だの。

 

 すいません。最後のは作者の願望です。

 しかも親父にもぶたれたこと在るので、嘘台詞です。アドリブ効かせて『ママンにもぶたれたこと無いのにっ』ってのもありかも。

 ・・・いや、母親にもぶたれたことあった気がするぞ、俺(うろ覚え)。

 

 ともあれ、そんな無遠慮な囁き声が交わされる中、みさきは慌てて一紀を助け起こす。

 一紀の頬はみさきの手形がくっきりと浮かび上がり、見るからに痛そうだった。

 みさきの方も、掌が痛くてジンジンしている。熱を測れば38度5分くらいは在るんじゃないかと思うくらい熱かった(掌限定)。

 

「あ、あの・・・ぼく、なにかしましたか・・・?」

 

 怒るよりも怯えて、恐る恐る一紀が聞いてくる。

 しかし、まさか一樹の好きな志保里が他の男と一緒に歩いていた、なんて口が裂けても言えない。

 別に一紀は知ってることで、渋々ながらも了承済みなので構わないのだが、みさきはそのことを知らない。

 

「あ・・・あのねっ、カよ。でっかい蚊がいたのっ!」

「蚊・・・? でも確かみさきさん、見ちゃ駄目とか―――あ、ああっ、すいませんすいません疑ってるワケじゃないんです。ごめんなさい」

 

 ツッコミを入れかけた一紀は、慌てて顔を伏せて弁解の言葉を吐く。

 別に、みさきは手を振り上げたわけでも、怖い顔をしたつもりもないのだが。

 どうやらさっきの一撃は、少年の心を完膚無きまでに恐れさせてしまったらしい。

 或いは、みさきは知らないことだが、一樹に虐められていた時の記憶がトラウマとなって蘇ったのかも知れない。

 

「え、えと、ごめんなさい・・・」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・・・・・・」

「あー、一紀君? 謝るのはむしろこっちの方で・・・」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・・・・・・・」

 

 みさきの言葉に耳を貸さずに、一紀はひたすら床に額をこすりつけて謝り続ける。

 その光景に、周囲の囁き声が一層、喧しくなる。

 

「・・・・・・・・・」

 

 目の前で謝り続ける一紀と、周囲の声と、それと何でか知らないが一緒に歩いていた幼馴染と親友の姿。

 みさきは、ふぅ、と吐息。

 それからなんとなく一人ごちる。

 

「問題が複数重なった時って、全部いっぺんに片付けようって思うんじゃなく、一つ一つ片づければ良いのよね」

 

 まずは目の前の手近な問題からだ。

 自分の言葉に自分で頷くと、みさきは先程平手を放った掌を、ぎゅ、と強く握りしめた。

 それから自分の頭の上に真っ直ぐに伸ばして振り上げ―――目の前で謝ってる一紀に向かって、思いっきり振り下ろした!

 

 

 

 

 

「・・・ハンバーガー食べたいんじゃなかったっけ」

 

 どういうわけか、ハンバーガーショップを目前に慌てて回れ右をした一樹に、志保里が怪訝そうに言った。

 疑問、質問、というよりも、どちらかというと確認みたいな言葉だった。

 

「気分的に駅蕎麦が食いたくなってきた」

「蕎麦アレルギーじゃなかったの?」

 

 今度は質問。だが、答えは気にしていないような、どうでも良いような様子だった。

 ・・・とりあえず、みさきと一紀には気づかなかったらしい、と一樹は安堵。

 考えてみれば、別段、一紀が誰と付き合って、それを志保里が目撃しようとしまいとどうでも良いことだった。

 良いことのはずだった。少なくとも中学時代の自分なら、平然と店に入って一悶着起こしただろう。

 しかし・・・

 

(くそったれ。あの馬鹿野郎、テメエでこんな作戦立てといて、なに浮気ぶっこいてやがる・・・!)

 

 一紀は気付いていないだろうが、日下志保里は伊藤一紀に対して好意を持っている。

 それが恋愛と呼べるものかどうかは解らない。

 しかし一紀が別の女の子と仲良くデートしている所を見れば、それなりにショックを受けるに違いない。

 そして、それは一樹がみさきに対してやろうとしていたことでもあった。

 

「二角」

「なんだ?」

 

 駅前広場まで戻ってきて、志保里が一樹を呼び止めた。

 一樹が振り返ると、志保里はちょこんと広場のベンチ――― 一樹を待っている間、座っていたベンチに腰掛けていた。

 

「私、ここで待ってるから。お蕎麦食べるならさっさと食べてきて」

 

 ここの駅にある蕎麦屋は、一樹たちが産れる前、駅が出来た頃から続く由緒正しい立ち食い蕎麦屋だ。

 デパートも入っている駅の広さとは対照的な狭い店内には、椅子を置くスペースもない。

 一緒に食べるならまだしも、食べるのを待つだけならベンチのある広場で座っていた方が良い。

 

「そか。・・・いや、やっぱいいわ」

「? なにが?」

「待たなくて良い。もう今日はヤメにしようぜ。なんか面倒になってきた」

「そう? じゃあ、解散で」

「おう。・・・俺、帰るけど、お前も一緒に帰るか?」

「ん。遠慮しとく。一紀を待ってなきゃいけないし」

「早く帰った方がいいぜ」

「早く・・・って、まだお昼にもなってないけど?」

 

 怪訝な顔をして、広場の中央に立っている時計を見上げる。

 三つの時計が組み合わさった三面時計は、広場の何処にいて時刻を知ることが出来た。

 その短針は、まだ10と11の間を、やや11よりに差していた。

 

「まだ11時にもなってないけど」

「いーから早く帰れよ―――忠告はしたからな」

 

 そう言い捨てて、一樹は駅ビルの中へ入っていった。

 訳がわからずに、やや呆然とその後ろ姿を見送る―――その背中は、人並みに隠れてすぐに見えなくなる。

 

「・・・忠告?」

 

 結局、一樹がなにを言いたかったのか、理解することはできなかった。

 一分くらい悩んで、解らないと判断すると気持ちを切り替える。

 そのままベンチに座ったまま、さきほど読み終えてしまった文庫本を取り出すと、もう一度最初から読み直した。

 みさきに是非とも読めと言われた恋愛小説。

 もう3度ほど読み返してはいるが、未だにどうしてこれを読めと言われたのか理解できない。

 一度だけ、この本の感想を言ってから、なぜかこの小説の話題を出すたびにみさきが気まずい様子を見せる。

 なので、今では何も言わないようにしていた。

 だから、この小説を貸してくれた意図も、返すタイミングさえもつかめずに居る。

 

(まあ、暇つぶしにはなるからいいけど)

 

 思いながら、もう完璧に暗記した本の出だしに視線を落とした。恋は何時だって唐突だ―――

 ・・・パクリじゃねーか。

 

「志保里ー」

 

 親友の声に、志保里は顔を上げた。

 読み始めて半ページも経っていない。

 枝折りを挟む必要性も感じずに、そのまま文庫本を閉じると、手提げ鞄の中に入れてベンチをたった。

 広場の外からみさきと一紀が二人して歩いてくるのが見えた。

 

 どうも様子がおかしい。

 みさきはなにやら怒ってるような様子だった。

 いつになく志保里をきつい目で睨んでいる。ただその視線には憎しみはなく、ただ怒っている―――憤慨しているようすだった。

 その隣を歩く一紀はやや仏頂面で、どこかぶつけでもしたのか、しきりに頭を撫でていた。

 ・・・一番気になったのは、一紀の頬が掌の形に真っ赤に腫れていたことだったが。

 

「どうしたの?」

 

 さきほどの一樹の態度といい、今のみさきたちといい、この短時間でなにがあったのだろう。

 怒りの視線を向けられても怯むことなく、むしろ困惑してみさきを出迎えた。

 

「どうしたもこうしたも!」

「あ。なんか懐かしい言い回しだね」

「誤魔化さないでッ!」

「なにを・・・?」

 

 本当に訳がわからない。

 みさきはどうやら自分に対して激怒している様だった。

 しかも、自分はなにかを誤魔化している―――と誤解している。

 とりあえず、志保里に解ったのはそれだけだった。

 

「あのねえ、志保里。これは重大な裏切り行為よ? 親友の私にも言わないであんなヤツと―――」

 

 そう、言いかけて。

 はっ、としてみさきは一紀を振り返る。

 視線を投げかけられた一紀は、仏頂面から一転して、怯えたように身を小さくする。

 

「・・・と、とにかく。話は後で聞かせて貰うから!」

 

 そう言い捨てて、みさきは駅ビルの方へと向かっていった。

 

「なんの話―――って、みさき? どこに行くの?」

「帰る! あの馬鹿にも文句の一つでも言わなきゃ気が済まないッ!」

 

 憤然として、みさきは肩を怒らせ駅の中に消えていった。

 ・・・すっごく男らしー、と志保里は胸中で感嘆しながら、一紀を振り返った。

 

「一紀、なにがあったの・・・?」

「いや、僕にも良く解らないんだけど、いきなり殴られて―――」

 

 一紀自身にも良く解っていない事情を説明しようと始めた瞬間。

 不意に携帯の着信音が鳴り響いた。

 ちなみに着メロは近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」。

 携帯をポケットから取り出すと、一樹からだった。

 付け加えておくと、志保里の自宅からかけられた時の着信音は、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」だったりする。

 

「もしもし?」

『おう、俺だ』

 

 電話に出ると、当たり前というか、案の定というか、一樹だった。

 

「俺だ、じゃないよ。というか君今どこだよ。二度寝したとか言ったら怒るよ!」

『寝てねえよ。つか、もうこっちの話は良いんだよ』

「良くないだろッ。いいからさっさと来いよッ。志保里さんをずっと待たせておいて、ふざけるなよ!」

 

 一紀はかつて無いほどに怒り狂っていた。

 訳もわからずに女の子に二度も殴られ、しかもその女の子はどういうわけか志保里に怒鳴りつけてそのまま帰ってしまった。

 その志保里はと言うと、一紀たちが駅に戻った時にはまだ一人で、ずっと自分の悪友を待ち続けていた。

 

 ―――と、一紀からしてみればそんな状況だ。

 これが自分が殴られて待ちぼうけをくわされただけならまだここまで怒ることはない。

 だが、それが自分の何よりも大切な思い人ならば話は違ってくる。

 頭の中の冷静な部分が、後日一樹にしこたま殴られるだろうなー、と危機感知していたが、気にしないことにした。

 

 だが、一樹の方は無言のままなにも反応がない。

 こちらの剣幕に押され、なにも言えないのだろう―――そう、一紀は考えた。

 

『・・・おい』

 

 ややあって、向こうが発した声は、どこか意気消沈していた。

 一紀の言葉がそれほどこたえたのだろうか。

 まさかあの時任一樹がそんな繊細な心を持っているとは思えないが。

 だが、そう言ったことを考えたことで冷静さが生まれた。言い過ぎたかなー、と少し後悔する。

 

『自殺女、そこに居るのか?』

「居るよ。っていうか、志保里さんの事をそんな風に言うの止めなよ」

『あっちゃー』

 

 一紀の要請には応えずに、電話の向こうからそんな「やっちまった」というニュアンスの声が聞こえてきた。

 

『あー。伊藤一紀伊藤一紀。君の健闘を心から祈る―――グッドラック、頑張れよ』

「は? なにが―――」

 

 プッ―――・・・ツー・・・ツー・・・ツー・・・

 訳のわからないことを口走った悪友は、そのまま携帯を切った。

 一紀はしばしそのまま動かなかったが、やがて電話を耳から離した。

 なんとなく掛け直す気にもなれずに、そのまま携帯をしまう。

 そんな一紀の目の前に、人差し指が一本立てられた。

 

「一応、弁護しておいてあげると」

 

 そう言って、志保里は何気なく立てた人差し指をくるくると回しながら。

 

「あの二等辺三角形、いちおーここまで来たよ」

「え。そうなんですか? じゃあ、どこに・・・」

「帰るって。良く分かんないけど、もう面倒だからいいって」

「なにそれ」

「いや私に聞かれても。それよりもそっちは?」

「いきなり彼女に殴られて、訳もわからないけど一応ゴメンナサイって謝ったらさらに殴られて―――それから戻ってきたんだけど」

「なにそれ」

「いや僕に聞かれても」

 

 一紀と志保里は互いに顔を見合わせる。

 が、すぐに志保里は肩を竦めて。

 

「これからどうしようか」

「どうしましょうか―――いつものように、いつものファミレスでゆっくりします?」

「それも良いけど」

 

 ふむ、と志保里は軽く思案して。

 

「―――そう言えば、一紀の家ってここにあるんだよね。私、一度もいったことないなー・・・」

「い゛っ!? いえそのあんまり面白くないですよ。ボクんちなんて!」

「確かあっちの方だよね。いつもそっちの方に帰ってるし」

「あのっ、ボクの部屋って散らかってるし。また今度―――」

「散らかってるって、人に見られて自殺したくなるほど?」

「いや、そんなには・・・」

「なんだ、残念」

 

 とかなんとか言いながら、志保里は一紀の家の方向へと歩みを進める。

 それを慌てて一紀が追いかけた。

 

「ちょっと、待ってくださいって―――」

 

 引き留めようと、一紀は志保里の手を掴んだ。

 

「痛ッ・・・」

「あ、ごめんなさいッ」

 

 勢い余って、やや乱暴に志保里の手を掴んでしまった一紀は、慌てて手を離そうとする―――が、それを志保里が握りかえした。

 初めて繋いだ手と手。

 志保里の柔らかで、少し冷たい手の感触に、一紀は軽い目眩を覚えた。

 

「できれば、もう少し優しく・・・」

「う、うぇええぇっ!?」

 

 狼狽した声を出しながらも、一紀は注文通りに志保里の手を優しく握る。

 

「じゃ、行こ」

「えっと・・・はい」

 

 さっきまでとは裏腹に従順に頷き、志保里に引っ張られるまま一紀は歩いた。

 繋いだ手と手の感覚に、一紀の頭は成層圏を突き抜けて銀河の彼方まで舞い上がっていた。

 

(まあ、方向は解っても正確な家の場所までは解らないだろ)

 

 と、心の中でタカをくくっていたこともある。

 だから、一紀は志保里に引っ張られるままに歩いて、彼女の手の感触を涙流しそうな気分で堪能していた。

 

 その至福は、街の交番やら通りすがりの近所の人やらに道を尋ねるという裏技で、伊藤家が発見されるまで数十分間だけ続いた。

 

 

 

 

 

「よう」

 

 みさきが家に帰ると、丁度良く家の前に一樹が立っていた。

 こちらに気づいて、手を挙げてくる。どうやら向こうもみさきを待っていたようだった。

 

「丁度良かった。アンタに話があるのよ」

「そりゃキグーだな。俺もテメエに話があるんだ」

「女の子相手にテメエとか言わないでよ」

 

 顔をしかめて、みさきは自分の家―――ではなく、一樹の家の中に入って。

 

「なにぼさっとしてんのよ」

「って、なんで俺んチ?」

「外でアンタと長々と立ち話する気はないわ」

「俺、お前の部屋が良いなー、とか」

「あたしはイヤ」

 

 にべもなく、さっさとみさきは一樹の家の中に入っていく。

 玄関の引き戸がやや乱暴に閉められて、その向こうから「おじゃましまーす」というみさきの声が聞こえてきた。

 嘆息。

 してから、一樹も自分の家の中に入った。

 

 

 

 

 

 かなり意外なことのように思われるだろうが、時任一樹の部屋はかなり片づけられている。

 一樹自身は、特にきれい好きでもないのだが、ただ邪魔なモノは即座に捨てるという反エコロジー精神があるためだった。

 部屋の中で、一年以上前から存在するものは、限られたものしかない。

 棚、机などの家具類。それから制服を含めた衣類。それくらいだろうか。

 棚、特に本棚はみさきが小学校に通っていた頃からあった気がするが、そんなに古いモノには見えない。

 それは本棚が全く使われていないせいであり、現に今も本棚の中には今週号の漫画雑誌が一冊あるだけだ。

 基本的に、読み終わった本(主に漫画)は一度読んだら読み返さないし、だからすぐ捨てる。教科書なんかはずっと学校に置いてある。

 

 ちなみに本人が言ったように、伊藤一紀の部屋はかなり散らかっている。

 一度、一樹が部屋に行って3秒でキレたくらいの凄惨な有様で、一樹はそれから伊藤家に近寄ろうともしていない。

 

「で、話って?」

「いや、そっちから言えよ。テメ・・・お前も話があるんだろが」

 

 みさきは学習机の椅子(これも小学校からあるものだ)に腰掛けて、一樹は床に直座りで互いを牽制。

 二人して伺うように互いを見つめ合い―――やがて、根負けしたのはみさきの方だった。

 

「わかったわよ・・・実はね、ついさっきの事なんだけど―――」

 

 志保里たちと別れてから、まだ1時間も経っていない。

 時刻で言えば12時前だ。

 

「ハンバーガーショップで見ちゃったのよ。アンタと女の子が歩いているところ」

「・・・俺も見たぜ。お前と男が一緒に居るところ」

「ああ、やっぱり気が付いてたんだ」

 

 むしろみさきは苦笑して。

 それからすぐに真顔に変わる。

 

「単刀直入に言うわ。あんたと一緒に居た子。もし、あの子と付き合ってるっていうなら別れて」

「へ?」

「アンタと一緒に居た女の子ね、私の友達の友達が恋してる相手なの。だから手を引いてって言ってるの」

 

 志保里が親友で、しかも自分と一緒に居たのがその友達・・・というのはなんかややこしくなりそうだから伏せておいた。

 

(付き合うも何も、自殺女とはそんな関係じゃねーっていうかそんな関係になりたくねーんだが)

 

 そう、思う一方で、一紀以外にも物好きがいるんだなと妙な感心をする。

 機会があれば、そのみさきの友達の友達とやらの顔を見てみたいもんだと思った。

 

「いいぜ」

「ホント?」

「でも、それならそっちもお前と一緒に居た男と別れろよ」

「は?」

「お前、自殺―――もとい、俺と一緒に居た女と、あの後会ったんだろ?」

「会ったわよ」

「・・・そういうことだ」

 

 一樹は一紀とみさきが志保里と会ったことを知っている。

 きっと、それなりの修羅場があったんだろうなー、とか勝手な想像をしていたりするのだが。

 だが、勿論そんな修羅場はなく、みさきには一樹の言っている意味がわからない。

 だいたい付き合うも何も、一紀とはそんな関係ではない。

 一瞬だけ虚を突かれたものの、だがそんな条件なら断る理由もないと、頷いて。

 

「いーわよ」

「おし、交渉成立」

「あー、でも、大丈夫なの? いきなり別れるって言って・・・刺されたりしない?」

 

 不意にみさきが不安を感じて、そんなことを尋ねた。

 志保里の性格からして、他人に自殺を薦めることはあっても、他人を刺すような真似はしないと思うが。

 それでも、普段からカッターナイフを持ち歩いている彼女のことだ。はずみでなにをするか解らない。

 

「いや、俺のほうは大丈夫だと思うが・・・お前の方は」

 

 みさきの不安が移ったのか、一樹も恐る恐る尋ねる。

 一紀の性格からして、みさきが「別れる」と言えばすんなり諦めるだろうが。

 しかし、ああいう大人しい人間がキレるとどうなるか解らない。少なくとも今日、一紀のキレっぷりには少し驚かされた。

 そうでなくとも、中学時代に虐めすぎて自殺未遂をしている。

 もしかしたら、またふらふらっとビルの屋上に足が向く、なんて事があるかも知れない。

 

「私の方も大丈夫・・・だと思うけど。ちょっと不安ね」

「そうだな・・・」

 

 二人が不安に思っているのは、互いの相手のことだった。

 自分の方は、どうせ嘘恋人だし、別れる別れない以前の問題だと解っているから、なんも気にしていない。

 

(別に一樹が刺されようと構わないけど・・・志保里が殺人犯になるのはイヤだな・・・)

(別にみさきが一紀にキレられてどうなろうと知ったこっちゃねえけど、もしも自殺なんかされたら目覚め悪ィな・・・)

 

 第三者の視点からみていれば、これほど滑稽なすれ違いも無いだろうが、当事者は限りなく真剣だった。

 

「よし、こうしよう」

 

 ぽんっ、とみさきが両手を打ち合わせた。

 すっごく渋い顔で。

 

「ものすごーーーーーーーく、不本意だけど、一樹、あんたと恋人ごっこしてあげるわ」

「は?」

「だから、お互いに好きな人が出来たから・・・って話の流れで別れ話をきり出せば、上手くいくんじゃないかな」

「そうかあ・・・?」

「そうよ。いきなり理由もなく別れろっていうよりさ、納得はすると思うけど?」

 

 いきなり志保里に別れろって言っても、彼女は納得しないかもしれない。

 だが、間にみさきが入ってやればどうだろう。納得しなくても、殺意の矛先が一樹一人に集中することはなくなる。

 親友から恨みを買うのは気持ちの良いモノではないが、親友なのだ。話せば解ってくれるだろう、きっと。

 

 一方で一樹もみさきの案を検討していた。

 みさきが俺の女にあったから別れろテメエ、で納得するだろうか。

 逆ギレして殴りかかられるかもしれない。

 或いは絶望して、高いところから飛び降りたりするかもしれない。

 なにも変わらん様な気がするが。

 

「まー、なんもやらんよりはマシかなー」

 

 少なくとも当事者になれば、一紀を説得しやすいかもしれない。

 頭の一つでも下げれば、一紀のことだ。許す許さないを通り越して、ひたすら恐縮するに違いない。

 一紀如きに頭を下げるのはムカつくが、それで片がつくなら損は無い。

 

 この時点で、すでに二人とも最初の目的をすっかり忘れていたりする。

 みさきはしつこい一樹をなんとかするために、一樹はみさきをゲッチューするために。

 それぞれ、嘘恋人デート作戦を実行したはずなのだが。

 みさきは、わざわざ一樹と偽装恋人をすると言いだし、一樹はそれに関してどうでも良いような反応を見せる。

 

 結局の所、二人ともどーでも良かったのかも知れない。

 そして、或る意味では互いの目的は達成したと言えるのかも知れない。

 

 一樹と嘘でも恋人同士になってやれば、これからはもう近所中に聞こえる声で「つきあってくれー」とか叫ぶことは無くなるだろうし。

 恋愛がしたいんじゃなくて「彼女」というステータスが欲しかった一樹は、嘘でも彼女を手に入れた。

 付け加えれば、一紀と志保里の距離も、少しだけ縮まったのかもしれない。

 

 当事者たちは気づいていないが、とりあえず問題は全て解決したのだ。

 大団円である。

 

 ・・・・・・大団円か?

 

 

 END......?


 

あとがき

 

 これ、書くのに二週間もかかりました。

 疲れました。

「つか、愛あるじゃん。このラブコメ。志保里×一紀で」

 その表現止めてください。

 ・・・ええと、実はこの話、一応は一樹とみさきさんが主人公です。

 で、幼馴染の二人ではありますが、みさきさんの方は、一樹に対してはまったく恋愛意識はなっしんぐ。

 一樹の方も、ただ「彼女」が欲しいから手近なところにモーションかけてるだけで、みさきを愛してるー、とかそういうのは全然なかったり。

「一紀と志保里が主人公にしか見えないけど?」

 うう、志保里さんをインパクトのある友人にし過ぎました。

 途中からこの二人が主人公でも良いかなー、なんて思い始めたり。

「いや、アンタがどう思おうが、これってヒロイン志保里じゃん」

 ちなみに最後にも一度言いますが、彼女の名前は「しおり」ではなく「しほり」です。こだわってます。

 面倒なので、漢字変換する時は「しおり」で打ってますが。

「こだわってないじゃん」

 ええい、五月蠅いですよっ。

 だいたい、日下志保里が主人公の話は別に考えてあるんですから。

「在るんだ。書くの」

 いや。

「書けよ」

 んー、次書くのはもう決まってるんですよー。

 タイトルは「愛のないラブコメディ2」。

 今度は夫婦間の愛零コメディですなっ!

「・・・FFIFは?」

 しばらく仕事が忙しいので、9月は殆ど書かないんじゃないかなー。

 一回更新できれば良い方かも。10月もどーなるか解らない。11月は多分それなりに。

「つーか、こんな中編書いてるヒマがあったら、FFIF進めればいいのに・・・」

 連載ものって、なんかこう勢いに乗らないと連続して書けないんですよー。とか言い訳。

「・・・そうやって、連載が自然消滅していくわけね」

 諸行無常ですな。

「アンタが言うな」

 

05/09/04


 

 ――― 一ヶ月ほど経って。

 

「で、最近どうだよ」

「どうって?」

「ほれ、あの自殺女とはどうだって言うんだよ?」

「んー。どうって言われても変わらないよ。強いて言うなら、互いの家に遊びに行くようになった、かな」

「そか。まー、仲良くやってりゃいいんだ」

「そっちこそどうなのさ。みさきさんとはさ」

「たまーに遊んでる」

「でも、驚いたよ。君の言うみさきさんが、志保里さんの友達のみさきさんだったなんて」

「ああ? 俺、何度もテメエにみさきのこと話したろ」

「ゴメン、思いっきり聞き流してた。だいたい、みさきって名前、そんなに珍しくもないだろ」

「そうか? そうでもねえと思うけどな。みさきって名前の女、俺は一人しか知らないし」

「・・・言われてみればそうかも。僕だって一人しか知らないや。ああ、それでさ」

「あん?」

「今度、4人でどこかに遊びにいかない?」

 

 

 

 

「で、最近どうなのよ」

「どうって?」

「ほら、あの軟弱男―――もとい、伊藤君、だっけ? どんな感じ」

「んー。どんな感じって言われても変わらないよ。強いて言うなら互いの家に遊びに行くようになった、かな」

「そ。まー、仲良くやってりゃいいのよ」

「そっちこそどうなの? 二等辺三角形とは」

「たまーに遊んであげてる。ヒマな時とか」

「じゃあ、先月はずっとヒマだったんだ」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「今月はどう? ヒマになりそう?」

「わかんないわよ、そんなの。ヒマだったらどうだっての?」

「ん。今度4人で遊びに行かない、って一紀が言うもんだから」

 

 

 

 

 例えば、こんなラブコメディ―――

 


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