○空を走る
見えてはいけない物が見える眼鏡をかけて散歩に出るのは日課となっていた。
目の前を行き交う視線はうっとうしいが、目立つ行動をしなければこちらへ突き刺さってくることもない。
それに、眼鏡をかけて外に出ると、それなりに面白い光景を見ることが出来る。
これはその一例。
友人が走っている。焦っているのか、急いでいるのか全速力だ。
今、自分が居る通りはやたらと人が多い。
連休の二日目だろうか。初日はまったりと過ごしていた連中も、忙しい毎日の疲れも微妙に取れて、出さなくても良い元気を出して街に繰り出す。
かくいう自分もそうだった。
特に用事があるわけではないが、家にこもっているのもヒマなので、街に出た。
そんな折に友人が走っているというところに出くわしたのだ。
友人は、先も述べたように全速力だった。
脇目もふらずに真っ直ぐに、全力疾走。こんな人通りの多いところでは、絶対に誰かにぶつかってしまう速度。
だというのに友人はぶつからない。
何故か。
答は簡単だ。友人は誰も歩いていない空を駆けていたからだ。
なるほど、たしかにそこならば全力で走っても誰にも迷惑は掛からない。
やるな友人。なかなか素敵にとんちがきいている。
眼鏡を外して見る。
と、友人は地上を走っていた。人ごみの中を全力疾走で、脇目もふらず。
だが、誰にもぶつからない。時折、誰かとぶつかったんじゃないかと思うような場面もあるが、しかし衝突していない。
それはそうだ。地上を走っているように見えても、実は空を駆けているのだから。ぶつかりっこない。
眼鏡をかける。
友人は空を駈け抜けて、果てしなく向こうへと走って行ってしまった。
それを見送って、眼鏡を外す。
とうに友人の姿は人混みの向こうへと消えてしまい見えない。
つまり、これはそれで、あれだ。
これもまた “見えてはいけないモノ” なのだろう。
まあ、確かに。人が空を走るなどと言う異常風景は見えてはいけないモノだ。
見えてはいけないものは見えてはいけないのだから、つまるところ見えることはない。
だからこそ、友人は実際には空を駆けているのだが、地上を走っているようにしか見えない。
うむ、単純な理屈だ。
思わず頷いて眼鏡をかけなおしていると。
どんっ。
いきなり人にぶつかった。
そのまま、後ろ向きに地面に倒れる。
「なにすんじゃ、われぇっ!」
尻餅をついたまま顔を上げると、怖い職業(推定)のおっさんが怖い顔をして睨付けていた。
飛ばされた怒鳴り声を右手のグローブで弾き、こちらの目をめがけて突き刺さってくる視線を首をかしげるようにして避ける。
いかにも固そうな鈍器のような声と、鋭く尖った視線だ。避けなければ、ショック死することはなくても、それなりに魂が削れるだろう。
―――これこそ、単純な理屈だ。
空を駆けていない自分は、地面を歩いているように見えて、やっぱり地面を歩いている。
だから考え事をしていて、目の前を疎かにしていると、人とぶつかってしまうということだな。
そんな当たり前のことに納得して、起きあがって、にへら、と愛想笑いを浮かべる。
こちらに飛んでくる視線と怒気をグローブで払いながら、くるりと回れ右をすると。
そのまま一目散に逃げ出した。
勿論、空を駆けずに、地面を駆けて。
あとがき
なんか変な短編第二弾。
「眼鏡をかける」の続編でもあったり。