○眼鏡をかける

 

 最近、目が悪くなった気がする。

 別段、目に悪いようなことはしているつもりはないのだが。

 そう言えば、父も母も妹も、加えて言えば両親の祖父祖母まで眼鏡を使っている。

 もっとも、母方の祖父祖母は老眼だが。

 家族の中で眼鏡を使っていないのは自分だけだった。

 それでもすこぶる目が良かったわけではなく、学生時代の健康診断では視力は両目とも0.9程度だった。

 

 0.9でも視力にはそれほど不自由はしなかったのだが、

 一人暮らしを初めて一ヶ月。急に目が悪くなったような気がする。

 折良くかかってきた実家からの電話で、そのことを話題に出すと、母は、

 

「栄養が足りてないんでしょう。ちゃんとご飯は食べてる?」

 

 言われなくても、勿論、三食欠かさずに食べている。

 ただ、栄養はどうかと問われると少し困ってしまうかも知れない。

 やっぱり毎日三食カップメンというのは駄目だったかも知れない。

 一応、しょうゆ味→カレー味→シーフード、とローテーションは作っているのだが。

 

 

 

 

 ―――そういうわけで友人に勧められて眼鏡を買いに行く。

 その友人に勧められた店に赴き、眼鏡を一つ所望。

 どんな眼鏡がよいですか? と問われ、なるたけ安くてよく見えるのを、と注文。

 どういうわけだか視力検査の一つもせずに、薄いレンズの入った丸眼鏡をぽいっと渡される。

 お値段2100円(税込み)也。

 

 

 

 買った眼鏡をかけて、一週間ほど過ぎた。

 眼鏡なんぞ買ったこともないので、値段は如何ほどが妥当なのか知らなかったが、

 家族の電話で妹にこの話題を出したところ、普通の眼鏡でも2万円はするそうだ。

 安さに不安を感じたものの、しかしこの眼鏡は良く見える。否、見えすぎる。

 今まで見えなかった遠くのものがはっきりと鮮明に見え、世界とはこれほど明るく広いものだったのかと驚く。

 のみならず、念じて目に意識を集中さすれば、5K先の道を歩く友人の姿も確認できた。

 さらにはそれ以外のものもよく見える。

 

 幽霊、精霊、悪魔に天使、果ては運命線やら壊れやすい線やら不吉に不運、幸運、天命、宿命に宿業まで。

 およそ目では見えないものが見え、さらにこちらが見えると解れば意志のあるモノはちょっかいを仕掛けてくる。

 まあ、上記に上げたモノは気にしなければ気にならないし、こちらからは手を触れることもできやしない。

 ちょっかいを仕掛けてきても丁寧に応対すればそれで済む。

 

 一番の問題は視線だった。

 人の視線、がはっきりと見え、そしてそれは視線であるが故に自分を見られれば突き刺さってくる。

 友人知人の、親に連なる視線ならば気にもならないのだが、他人の視線は少しちくちくする。

 敵意のこもった視線は、もはや危険ですらあった。

 一度、ガラの悪いチンピラと肩をぶつけて険悪な視線を投げかけられたときは、視線が刃となってこちらの顔を切り裂いた。

 切り裂かれた皮膚から、何かが零れて目の前を漂うのが見えた。

 血のような赤いなにか。ただしそれは血ではない。

 切り裂かれた皮膚を撫でると、痛みが走る―――

 が、眼鏡を外して見れば視線を見えなくなり、血のようなモノも見えなくなって、痛みも消える。

 あとから聞いた話だが、その時零れたのは魂魄と呼ばれるモノだそうな。

 早い話が人の魂であり心であり・・・精神と言うのが一番解りやすいか?

 

 敵意を向けられたり、罵詈雑言をぶつけられると人の魂魄は傷つき、血のように零れてしまう。

 その魂魄が全部零れてしまえば、人の心は死んでしまうらしい。

 

 本来、心を傷つける刃は目には見えない。

 けれど、この眼鏡はよく見えすぎる。

 見えてしまえば、本来は感じないはずの痛みも、痛みとして感じてしまう。

 気づかなければ気づかないままで終わってしまうことが、気づいてしまうが故に、ただでは済まない。

 

 別に、見えてはいけないモノが見えてしまおうと、気にしなければそれで終いではあるが、

 だが四六時中、他人の視線をチクチクと感じるのは好ましくない。

 眼鏡を買った店に行って、そのことを文句を言うと、店主は眼鏡を直さずに右腕だけの黒いグローブをくれた。

 それはそれは不思議なグローブであり、右手に付けても眼鏡を外してしまえばそれは見えない。つけている感触すらない。

 つまるところ、このグローブもまた、人の目では “見えてはいけないモノ” らしい。

 このグローブは何かと問えば、このグローブはその見えてはいけないモノに干渉できる力だとかどうとか。

 試しに店主の視線にグローブをはめた右手をかざしてみる。

 グローブが視線に触れた。ぐにゃり、とした感触。

 視線を掴んでみると、それは掴めた。

 こちらへ向いていた視線の先を脇にそらすと、それにつられて店主の目線も視線の先へと転じる。

 やあ、なるほどこれは便利なモノだ。

 しかし、外へ出れば他人というモノは無数に存在する。それらの視線をいちいち相手にするのは疲れるだろう。

 できれば、これではなくて普通の眼鏡を欲しいと言ったところ、店主はあきれ顔で、

 

「なら眼鏡屋に行けば?」

 

 と、まあ至極もっともなことを言った。

 

 

 

 

 んで。

 それから結局どうしたかというと、店主の忠告通りに普通の眼鏡屋に赴いた。

 が、なにも買わずに家に帰った。

 何故かって?

 2100円(税込み)の眼鏡を買った後で、2万円もする眼鏡を買うのは馬鹿馬鹿しく思えたからだった。

 しかもその眼鏡は2万円もするというのに、天使も悪魔も運命も不運もなにも見えないと来てる。損だ。

 そういうわけで。

 今の自分は、未だに見えすぎる眼鏡と見えてはいけないグローブを身に着けて街を闊歩していると言うわけだ。

 


あとがき

 元ネタ。八房センセの宵闇幻燈草紙と川上センセの矛盾都市TOKYO。

 上記二つの漫画と小説読んでたら無性に書きたくなって書いた話。

 そんだけです(おい)。

05/07/17

 


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