雪の降る中。
 月に向かって手をかざしてみる。ふわ、ふわ・・・と白い綿のような雪が月光を浴び、それに促されるようにしてゆっくりと重力に従い落ちてくる。
 落ちてきた雪は、かざした掌に触れて―――いや、触れることはなくそのまま透過して、顔へと落ちてくる。
 そして、顔にも触れずそのまま自分の身体の中を通り過ぎていく。

「・・・触れない、のね」

 少しだけ寂しそうに笑い、自分の足のつま先から抜け落ちて、地面へと向かう白い雪を見下ろした。
 眼下には、街の街灯の灯りがぽつぽつと見える。家の窓には明かりは見えない。クリスマスの早朝―――特別な今夜には、それなりに灯りが灯っているだろうが、まだ平凡な時である今は、いつもの朝と変りはない。

 もっとも、そんな“いつもの朝”を、空から見下ろすことなど今までになかったので、彼女自身にとっては“特別な朝”と言えないこともなかったが。

「精神体―――まあ、いわゆる“魂”だけの存在だから。よほど霊験あらたかなモノでないと物質界のモノに触れるのは難しい」

 声は、街の上空に浮かぶ彼女のさらに上から。
 見上げると、巨大な鎌を持った、自分と同じ顔をした死神の少女が月をバックにして見下ろしていた。

 自分の“死”を告げ、迎えに来た死神。
 少女が持つには不釣合いな巨大な鎌と、漆黒の端々がボロボロに擦り切れた巻頭衣は、見るからに“死”というモノを連想させる。

 しかし、彼女はその死神を恐怖とは思わなかった。
 恋焦がれるほどに望んだ自分の話し相手であるし、なによりも自分はもう死んでいるのだ。これ以上、なにを恐怖することがあるというのだろう?

「ぶっしつかい?」
「物理的な法則が支配する世界―――現世、とも呼ばれる・・・あなたが今まで生きていた世界のこと」

 質問をあらかじめ予測していたらしく、彼女が尋ねるとすぐに死神は答えた。
 「なるほどね・・・」と、とりあえず理解したことだけを気のない言葉で伝え、再び眼下に視線を下ろす。
 雪が舞い降りる街はとても静やかで、まるで死んでいるかのようだった。

 死―――その意味を、彼女は曖昧に感受していた。
 彼女にとって死というものはあまりにも親しいものであったし、もしかしたら「生きる」というコトのほうがよっぽど縁遠いものだったのかもしれない。
 現実に、今死んで見て―――なにがどうだ、という感動は生まれてこない。

 死ぬ、という運命を素直に受け止めた。というつもりもない。
 生きたい! と死んだことを後悔しているつもりもない。

 ・・・結局のところ、自分は死のうが生きようがどうでも良かったかのように思う。
 ただ、“終り”に対する恐怖はある。これから、自分はどうなるのだろうかという不安。

 しかし、今はそれよりも。

「・・・どうしました?」
「え?」
「なにか、現世に未練でもあるのですか?」

 物思いにふけり、眼下の街をじっと眺めていた―――正確には、灰色の街に沈んでいく白い雪を眺めていたのだが―――彼女を、死神は“心残りがある”と感じたのだろう。
 心残り・・たしかにそれはそうであるかもしれないが。

「ふふ」

 薄く笑う。
 それは心残り、それを言うのが照れくさかったからであり―――まあ、つまるところ苦笑なのだが。

「雪遊び」
「・・・はい?」

 困惑したような相手に、彼女はもう一度だけ笑い―――苦笑し、自分の体をすり抜けて舞う白の精霊達を目で追いながら。

「雪合戦とか雪だるまとか・・・ええと、ええと・・・かまくらとか」

 一度だけやったことがある雪合戦。
 冬が来るたびに、病院の窓の外で見ていた雪だるま。
 かまくら、というのは見たこともなく、ただ話に聞いただけだけど―――暖かい雪の家だという。冷たい雪で作られる家が、暖かいなんて魔法みたいだと、話に聞いた時は思ったものだ。

「昔から憧れていたんです。雪で遊ぶこと」
「ああ・・・そうですか」

 苦笑に、死神はなんとも言えない表情で、言葉を濁す。
 鎌を持たないほうの掌を天に向け、舞い落ちる雪を受け止めようとする。が、それはさきほど自分が試した時のように、手には触れることなく通り過ぎ、落ちる。

「・・・ごめんなさいね。私も、雪を手にすることはできないから―――・・・」
「あ! ううん。いいの、全然いいの!」

 申し訳なさそうに誤る死神に、ぶんぶんと首を横に振る。

「私、貴女と話しているだけで嬉しいから。とても楽しいから」

 そう。
 それは、雪遊びと同じく、現世で彼女が恋焦がれていたもの。
 こうして、誰かと話すこと。自分一人ではないと思えること。
 窓に映る全く同じ仕草で、全く同じ言葉を返す自分ではなく、自分とは異なる仕草で、自分とは違う言葉を返してくれる存在。

 願いが一つ叶ったのだ。なにも嘆く必要はない。

「それに―――」

 言いかけて、しかし実行した方が早いと、死神の隣りにまで移動し、並ぶ。
 死神が自分の隣りにいる彼女に、戸惑いを感じながらも見ると、彼女は微笑みながら雪を見下ろしていた。

「一緒に雪で遊ぶことは出来ないけれど、それでも一緒に眺めることはできるもの」
「・・・そう、ですね」

 死神は頷き、雪の街を見下ろして―――ふと、自分の懐中時計に目を落とす。

 ―――そろそろ、時間か。

 天に昇らなければならない時間が近づいている。
 そろそろ、向かわなければならないが―――しかし、嬉しそうに雪を見下ろす彼女にそれを告げるのは、とても残酷な気がした。

 だが、言わなければならない。
 それが死神としての仕事なのだから。

 ―――いい娘なのにね。

 手に下懐中時計をどこにとなくしまいながら思う。
 生在るものと言うのは、自らの生に執着するものだ。
 死んでからも、自分の死を認められないようなモノは、天に登る途中で逃げ出し、現世に充満する陰の気の影響を受けて魂を汚し、悪霊と呼ばれる存在になる。
 そうした霊たちを、“狩る”のも死神の仕事であり―――まあ、あまり後味のいい仕事ではない。

 話がそれた。

 自らの生に執着する醜い魂。
 それは、自らが死を望まぬ限り“生きたい”という、生物の当然の感情ではあるのだが。
 しかし、彼女は違う。
 自ら死を望むわけでもなく、しかし己の死を受け入れているのは、おそらく―――


 ―――私、貴女と話しているだけで嬉しいから。とても楽しいから。


 現世に未練がないわけでもない。
 生きていれば、もしかしたら彼女の望む出会いがあったかもしれないし、雪遊びだって出来たのかもしれない。
 未練がないわけではない。生前の彼女は生きることをあきらめたわけでもなく、死を望んだわけでもなく。それは、ただ生死の区別がつかないだけなのかもしれないけれど。

 なのに、今ここに存在している少女は死してなお微笑んでいる。

 そっと、彼女の横顔を盗み見る。
 と、彼女も死神のほうに顔を向け、「え?」と言った感じに、にこやかな疑問の表情を返す。

 その笑みは、なにもかもを諦めた者には作ることのできない微笑。
 その笑みは、ただ今このときに、なによりも至福を感じている微笑。

 まったく・・・と、死神はごくごく小さく、呟いた。
 呟く、といっても物理的な力を持たない死神だ。声帯を震わせ、空気を振動させて声を出すわけではなく、“思念”をそっと発しただけだが。

(微笑み―――か)

 死神である自分に対して、そんな笑みを向けたのは初めてではないだろうか。
 ほとんどのものは、悲しみや恐怖を浮かべ、気の強いものはやり場のない怒りや憎しみを死神にぶつけてくる。

 ぎゅっ。

「わっ」

 不意に、死神は鎌を持っていないほうの手で彼女を抱きしめた。
 驚いたように、目をと口を大きく開く彼女。
 かまわず、死神は強く抱きしめた。

「ふわっ!? な、なにをするんですか―――あ」

 彼女が小さく呟いた瞬間、死神は彼女を抱擁を止める。
 クスクスと、悪戯っぽく笑い。

「死神の祝福」
「あ―――ええと」

 困ったように、彼女は首を傾げて。
 そして、沈痛な面持ちで死神を見る。

「あの、ツラいコト。色々あったんですね」
「・・・え?」

 不意に呟いた彼女の意味がわからずに、死神はきょとんとして―――気づく。

「あ、“私”を読み取ったのですか」
「え、あ、はい。よく分かりませんけど、そういうことだと思います」

 精神体ゆえに、その心は正直に思念として外に流れ出る。彼女が普通に喋って―――というか、死神に意思を伝えているのは、それがすべて本音であるからだ。
 死神のように慣れたものは、口を閉じて言葉を止めるように思念の流出を防ぐこともできるのだが・・・しかし、精神体同士が密着してしまえば、閉じた相手の内を覗くことも可能かもしれない。

 なによりも。
 死神は、彼女に対して心を開きかけていたかのように思う。


 ―――なにをやっているのだろうか、私は。


 自分で自分に疑問を持つ。
 自分が導かなければならない魂に心を開く?
 そんなことは何百年、何千年と永劫にも等しい時を“存在”してきたが、初めての経験だった。

「そろそろ、行かなくてはならないんですね」

 物思いに沈んでいた死神は、少女の言葉にはっとなる。
 そう。そろそろ天に昇らなければならない時間が迫ってきている―――それも、先ほど“読み取った”のだろうが。

 少女は、と見ると名残惜しそうに雪を眺めているが、そこに悲しみの色はない。
 ふと、少女が死神に顔を向けた。目が合い、少女は照れくさそうに笑うと、そっと死神の手―――鎌を持っていないほうのー――を握る。

「あの。手を、繋いでいてもらえますか?」
「・・・はい」

 頷き、軽く握り返す。
 と、少女の思念が手を通して流れ込んでいた。

 恐怖。
 少女の中には確かな恐怖が存在した。
 それを、押し隠そうと“喜び”が蔓延する。

 自分以外の誰かと話す喜び、一緒にいる喜び―――そして、手をつないでいる喜び。

 そのときになって、初めて死神は悟った。
 この少女も普通の人間となんら変らない。ただ、死―――というよりは“終り”に対する恐怖を、喜びで覆い隠そうとしているだけに過ぎないのだ。

 死神は、少女の手をさらに少しだけ強く握ると、微笑を向ける。

「では、行きましょうか」
「はい―――」

 と、答え、少女は何気なく天に顔を向けて。
 恐怖。

「!? どうかしましたか?」

 突然、少女から恐怖が伝わってきて、死神も天を仰ぐ。
 そこには月が浮かんでいた。大きく、真円の円月。
 ただし、その色はまるで・・・・

「血の様に・・・赤い・・・」

 怯えた声で、少女が呟く。
 死神はその赤い月がなにを意味するかを思い返した。

(―――そうか、今日は一月に一度の“告死”か・・・)

 思い出す名前は唯一つ。“アズラエル”

 告死天使アズラエル
 “死神”の中で、唯一天使の称号を持つ存在。
 強く強く己が死を望むものの魂を、天へと連れて行く役目をもつ。

 自らの死を願うもの魂を、死神は連れて行くことは出来ない。
 なぜならば、自らの死を願うものは運命―――“予定された死”を予測がつかないほど早めてしまう。
 故に、死神が迎えるよりも先に命を落とし、そのまま現世に幽鬼―――一般に言う、浮遊霊やら自縛霊というモノである――となって残ってしまうのだ。

 いちど“幽鬼”となった魂を、天へ連れて行くことはできない。
 浮遊霊となって完全に朽ち果てるか、“悪霊”と呼ばれる現世に害なす存在となり、死神か退魔を生業とするヒトの霊能力者に消されるかのどちらかだ。


 そんな魂たちを少しでも救うために、告死天使は存在する。


 唯一“生者”に死を与えることが出来る存在。
 予定された死よりも早く死ぬ魂を救うために、生きているうちにその鎌で殺す。そうして、自ら手をかけた魂を天へと導く。


 それが、告死天使アズラエル。


 だが、死を望むからといって片っ端から魂を狩るわけにはいかない。
 故に、アズラエルがその鎌を振るうのは一月に一度、赤き月が空に浮かび上がった時だけなのだ。

 嘆息。
 死神は、赤い月を見上げ―――少女を安心させるべく、説明しようと視線を下げて―――下げた瞬間。

「だめぇっ!」
「―――!?」

 いきなり少女は死神の手を振り払うと、下界―――街へと向かって急降下した。
 死神は思わず呆然とそれを見送って―――ふと、自分の手にあるぬくもりに気づく。


 ―――だめ・・・生きることができるのなら。雪合戦だって出来るんだよ!


 ・・・・困惑。
 したのは、そのぬくもりから感じ取れた、少女の想いが理解不明だったからではない。
 その逆。わかるほどに解りすぎてしまったのだ。

(くそ、心を開きすぎだ、私っ!)

 おそらく、少女は死神からその赤い月がなにを意味するか読み取ってしまったのだろう。
 少女に“伝えて”しまった自分を激しく非難する。

 しかし、それでも死神は少女を追いかけることは出来なかった。

 その身体の弱さから、死を待つことしか出来なかった少女。
 それでも絶望もせずに、生き続けていた少女。
 死の直前―――昨日もまた、窓に写る自分に向けて、雪遊びをしたいと語っていた少女。

 だからこそ、生きられるのに、生き続ける事が出来るのに、死を望んでしまう者に悲しみ―――あるいはそれ以上の感情を想ってしまうのだろう。

 だからこそ、死神はしばらくその場にとどまることしか出来なかった。
 だが、ずっとそうしているわけにはいかない。
 早く天に連れて行かないと、現世に満ちる陰の気に冒されて、少女の魂が汚れてしまう。天は汚れた魂を受け入れはしない。

「くそっ」

 死神は強く感情をあらわにすると、苦々しい表情で少女の魂を追いかけた―――

 

 


WINDOW

主よ、人の望みの喜びよ・・・


 

 

我、アズラエル。告死天使なり。

我、1月に一度の真紅の夜に現れし生命の権化。

我、死を願いし者の願いを聞き届け、その魂を狩る者なり―――

 

 

 

 

 

 長い銀髪を赤い月の光に写し、身体を真紅の衣にまとう。
 その赤にくっきりと映えるような病的なほど白く美しい肌。
 美しいも白い四肢。足はなにもない空を踏み、ほっそりとした腕は、その繊細さとは不釣合いな、巨大な鎌を手にしている。
 その鎌もまた衣の色と同じく、禍々しさを感じるほどに赤。

「・・・・・・我が告死を受ける者よ」

 アズラエルは一言。
 誰かを選別するかのように呟くと、おもむろにその姿を隠した。

 後には、なびく物も受ける物もなく虚しく吹き渡る夜の風と、天に赤く―――なによりも、血のように赤く輝く月が残るのみ。

 

 

 

 

 

 死ぬことを望んだのはいつからだっただろうか。
 三年ほど前から、ずっと「死にたい」とは願っていた。
 その前は? と聞かれると幾分自信もないが、おそらく思っていたのだろう。「死にたい」と。
 ひょっとすると、12年前に自分が生まれてた瞬間から思っていたのかもしれない。

 12年前。
 生まれた瞬間から、僕は孤児だった。

 父親は僕が生まれる前に死に、母親は僕を生んですぐに死んだ。
 思えば自分にとって『死』というモノは、手の届かない身近にあった気がする。
 目には見えているのに、手を伸ばしてもそれに触れることはできない。

 両親の居ない僕は、施設に行くことなく親戚に引き取られた。
 厳しいけれど暖かいおじさんと、優しくていつもおやつにアップルパイを作ってくれたおばさん。
 子供のいない二人は優しくて、僕を実の息子のように可愛がってくれた。
 今はおぼろげながらにしか思い出せないが、きっと幸せだったのだろう。僕は。


 ―――おじさんが交通事故で死に、おばさんが心労で後を追う様に逝くまでは。


 小学校三年生の頃だった気がする。
 おじさんを轢いた車の運転手はすぐに捕まって、おじさんとおばさんの保険がなんとかで、たくさんお金がもらえたらしい。
 らしい、というのは、そのお金は全部、すぐに引き取られた―――というか今、暮らしている―――親戚にもっていかれたからだ。

「お前は、お金たくさん持ってたから引き取ってやったんだぞ」

 僕と同い年の、家の息子にそう言われた。
 たしか、従兄弟の関係になるとか気がしたケド・・・どーでもいいか。

 従兄弟から言われたコトは、知っていた―――わかりきっていたことだった。
 ただ、実際にはっきりといわれるとショックはあったけれど、それでも僕を育ててくれたおじさんとおばさんが死んだ時に比べれば、なんでもないコトだった。


 それから三年間。


 僕は、両親がいないことで色々な差別―――簡潔に言えば、イジメ―――を受けながらも、それを逆にバネにして、胸を張って生きてきたつもり。
 僕の周りには敵ばかりじゃなかったし。僕の味方になってくれる、学校の友達や先生は少なくなかった。

 ―――たぶん、それは同情と呼ばれるモノだったのだろう。

 自分と僕を見比べて、僕がかわいそうだから心を寄せてくれる。
 その半面で、「自分は幸せで良かった」とか思っている。無意識にでも。

 それでもそれは仕方のないコトだ。それは厳然たる事実なのだから。

 おじさんとおばさんが死ぬ前だったら、「僕はかわいそうなんかじゃない」と胸を張っていえただろうけれど、大好きで大切な二人逝った今は、確かに不幸せだった。

 だから、僕はイジメを跳ね除けて、同情を受け入れて、ただなすがままに。


 けれど。今日の昼―――学校で。


「お前ってさ、呪いの子供だよなー」

 クラスでも仲のいい方だった友達とのたわいのない会話から出た言葉。
 “親友” ―――照れくさいけれど、そう呼べたアイツからの言葉。

「え?」
「だって、生まれてすぐに両親亡くなってるし、引き取られた親戚だってさ」

 ・・・気を落ち着けてみればわかる。
 そいつは、すぐに調子に乗る奴だったから、なんとなく思いついたことを口に出しただけなんだろう。
 気の良い奴だったから、少し怒ってみればすぐに顔色を変えて、土下座でもしながら自分の失言を謝ってくれるだろう。

 だけど。
 その時の僕は、そいつの言葉をただ真っ直ぐに受け入れて。

 気がつくと、僕はそいつを殴り倒して、そのまま思いっきり殴りつけていた。何度も、何度も、何度も・・・

「僕が・・・僕が、両親もおじさんたちも殺したって言いたいのかよっ!」

 血まみれになったそいつの顔。
 たぶん、気を失っているだろうとは、どこか頭の冷静な部分が言っていたが構わずに怒鳴りつけた。

 荒くなった息を僕が整えていると、あたりに人が集まってきた。
 血まみれの友達を見えて、怯えたように僕を見るクラスメイト。

 僕は、頭が真っ白になって、なにがどうしていいかも理解できずに、クラスメイトたちを弾き飛ばすと、教室を飛び出して、上履きのまま学校を飛び出していた―――

 

 

 

 

 

 ―――そして、今ここにいる。

 近所の廃ビルの屋上。以前は小さなデパートだったらしい。
 ビルの入り口に掛かっていたカギを壊し、僕達の秘密基地だったトコロだ。

 ・・・二年も前の話だけど。

 雪の降る闇の中。
 昼からずっと、辺りが暗くなるまでここに居て―――そして、それからどれくらいたったのかわからない。
 けど、日は変ってるのだろうと思いながら、目覚めのまだない街を高い場所から見下ろす。

 ふと、駅前の広場にある大きな木が目に付いた。
 いつもは無い、大きなもみの木。


 ―――そうか、明日・・・じゃなくて今日はクリスマスか・・・


 寒い。
 ふと、現実のことを想ったせいか、今まで感じなかった身を切るような寒さが自分を襲う。
 痛さにも冷たさ。氷の刃を押し付けられたような寒さが全身を貫く。

 気がつくと、昼から降っていた雪は自分の頭や肩に積もり、足首までを埋めていた。

「さ・・・むい・・・」

 強張った口をほぐすように、ゆっくりと言葉を吐き出す。
 闇とは正反対な白いと息が漏れ、雪に対抗するように僅かに上昇。しかしそれもすぐ消える。

 寒い。
 身体が動かない―――動かすつもりもない。

 なんとなく。自分はもうすぐ死ぬような気がした・・・いや。

「は・・・あっ」

 ため息。白い息が吐き出される。
 死ぬコトを望んでいる。―――望んでいた今までよりもさらに強く死を望んでいる。

 昔見た映画で、雪山で遭難するシーンがあった。
 寒いと眠くなるらしい。そして、眠ったら死ぬらしい。

 安らかに眠りながら死ぬということは、幸せな終り方なのではないだろうか?

「・・・眠くならないし」

 苦笑。そして白い吐息。雪と同じ色をした、全く異なる白。
 こんなことなら、今日の授業をマジメに受けておくべきだった。
 昼までぐっすりと爆眠していたために、眠気どころか欠伸の一つも――――

「―――ふぁ・・・」

 思って居たら欠伸が出た。白い雲のような息を大きく吐き出して。
 熱い涙が目の端に滲む。それもすぐに冬の外気にさらされて冷たくなるが。
 心なしか眠くなってきた気がする。そういえば、もう夜だ。夜は誰もが寝る時間。

「寝よう」

 自分でそう呟いて、そのまま瞳を閉じようとして―――気付く。

 今、吐き出した息が“赤かった”コトに。

「―――!?」

 息を赤く映えさせる光の元が頭上にあると気付き、アゴを上に向ける。
 夜の空。瞬く白い星々。
 その疎らに浮かぶ星の中に、大きく浮かぶ月。

「・・・赤い、月?」

 そう。赤い月。
 そして―――

「・・・っ!?」

 背後に赤い月を背負い、そこには真紅の衣を夜風にはためかせて、一人の女性が“浮かんで”いた。
 自分の背丈ほどもある真紅の大鎌を苦もなく片手に持ち、鋭くも優しくも無い無意の瞳を、こちらに向けて見下ろしている。その瞳もまた赤い・・・

 赤尽くめの女性。
 宙に浮かぶその姿は、やや現実味に欠けるが―――彼は、直感的にそれを受け入れていた。
 自分を迎えに来た死神だと。

「―――汝」

 死神が、小さく口を開く。
 しかしてそこから漏れる呟きは、不思議と彼の耳にハッキリと届いた。

 死神は続け、問う。

「汝、我が告死を受けるものかりや―――?」

 

 

 

 

 

「だめっ! そんなのは絶対にダメーっ!」

 少女はただただ叫びながら夜の闇の中を疾駆。
 ・・・いや、実際には飛んでいるわけだから、“飛翔”か。

 そして、それを追いかける“黒”が一人。

「くそっ」

 黒―――死神は少女よりもやや遅れ、闇を飛翔しながら軽く毒づく。

「アズラエルの邪魔をするんじゃない! たかだか一個の精神体が叶う相手じゃないんだ!」

 死者に対する敬語を忘れ、死神は素の口調で目の前を行く少女に向かって叫ぶ。

 告死天使―――と、ご大層な名前がついてはいるが、死神の一種には違いない。
 しかし、死神と位は同格だが、力は圧倒的に死神よりも告死天使の方が上である。

 人は、死ぬ運命を生まれ持っている。
 その運命というスケジュールに従って人は死に、死神によってその魂を天界へと導かれる。
 そして、転生して再び生を受けて、死に、また生まれ―――輪廻を渡り逝くのだ。

 そう、人は死ぬ運命を持っている。しかし。

 時により、人の“想い”は運命すらを捻じ曲げる。
 生きる事に絶望し、死ぬことを強く望んだ命は、その寿命を短くして死神が迎えるよりも早くに死んでしまう。
 死神に迎えられなかった魂は、天に上ることもできずに“幽鬼”となって現世を彷徨い、生きとし生ける者を呪い、憎み、害を成す。

 その幽鬼の出現を防ぐために、告死天使は存在する。

 死神は、その鎌を持って“寿命を迎えた”魂を、死の苦痛を無くすために身体から引き離すために振るわれる。
 しかし、告死天使は違う。
 自らの死を強く願う者。なによりも現世の呪縛から逃れたいと願う者。
 それらの“想い”が運命を捻じ曲げるよりも早くに、その赤き鎌を持ってその魂を刈り取り、天へとその魂を導く。

 つまり、生者の命を断つ―――殺すことができ、それを許された唯一の死神であるのだ。
 死者の魂ではなく、生者を刈る死神。

 しかし、いくら幽鬼化の危険性があるとはいえ、“死を望む”というだけで生者の魂を制限なく刈っていれば、天は死者で溢れかえってしまう。
 故に、一月に一度。満月が赤く染まる時にのみにしか“告死”をすることができない、という制約を持っている。

「アズラエルは、告死を阻む者に容赦はしない! お前のようなか弱い魂なんて、一瞬で消滅させられるぞ!」

 と、死神は前を行く少女に呼びかける。
 が、少女は無言。声が届いていないのか、それとも無視しているのか―――おそらく前者だろう。
 少女は「ダメ、ダメ・・・・」と繰り返しながら飛んでいく。
 ただ、否定の言葉を繰り返し繰り返し―――飛翔、追い求めて飛翔。

 自らの死を望む、悲しい魂を求めて飛翔―――

 死神は、その背を睨みつけながら呻く。

「・・・くそっ」

 追いつけない。
 一心不乱にとはいえ、ただの魂に死神が追いつけないハズはない。
 しかし、現に追いつけないでいるのは―――

「なんで・・・解ってしまうんだろうな。お前の優しさが・・・」

 呟く。
 その魂の優しさは、死神にとって初めてのものであり、そしてずっと恋焦がれていたものだったのかもしれない。

 死者が生者に対して、憎しみを抱くのではなく、なによりも深い優しさ。
 そんな暖かさを持つ魂に、死神はずっと触れてみたかったのかもしれない。

「・・・・・・」

 そして、死神は押し黙ると彼女の背中を無言で追いかけ続けた・・・

 

 

 

「告・・・死・・・?」

 少年は、宙に浮かぶ美しい死神の口から漏れた単語を呟く。
 耳にしたことの無い言葉だ―――が、不思議とその意味は理解できた。

 いや、理解。ではなくて漠然と。
 その“告死”とやらを受ければ楽になれるのだと、なんとなく解った。

「ああ―――もう、なんでもいい。ラクにさせてくれよ・・・」
「解った」

 死神―――アズラエルは、その手にもつ赤の大鎌を月光に晒すように高々と振り上げる。

「2000年12月24日、4時28分。我ここに、汝に告死する―――」

 告げ、鎌を振り下ろそうとした瞬間。

「ダメええええっ!」
「!?」

 悲鳴にも似た叫びと共に、一人の少女がアズラエルと少年の間に入る。
 いや―――正確に言うならば少女ではなく、少女の魂が。

「・・・汝は?」

 告死天使は問う。
 問われ、少女は応える―――もっとも、それは問いの答ではなかったが、

「ダメッ! まだ生きてるのに―――生きられるのに・・・そんなのダメだよっ!」
「・・・我が、告死を阻むものには容赦しない―――」

 アズラエルは、振り上げた鎌をなんの躊躇いのないままに―――振り下ろす!

「!!」

 少女は、思わず堅く目を瞑り―――精神体である彼女には、“目を瞑る”という行為には意味はなく、実際には周囲を知覚することを拒否した、という意味だが―――鎌が振り下ろされるのを待った。
 心の中では、背後にある少年が逃げてくれることを願いながら。

 しかし―――その少女の想いは、二重の意味で破られた。
 少年は逃げずにただ眼前の光景を眺め。そして。

「―――何の真似だ?」

 アズラエルの戸惑いを混じえたようなー――しかし、やはり無機質な響きのある声。
 疑問を感じ、少女は恐る恐る瞳を―――周囲を知覚していく。

「悪いが。その問いには答えることは出来ない」

 声。
 聞き覚えのある―――というよりは先刻まで聞いていた声。

「死神さんッ!」

 少女が目を見開く―――完全に辺りを知覚すると、目の前にはアズラエルの真紅の鎌を、己の漆黒の鎌で受け止める、死神の姿があった。
 死神は、少女の声にも振り返らぬままに、アズラエルに向かって続ける」

「答える事は出来ない―――何故なら、自分でも何をしてるかよく理解できていないんだよ!」

 死神が感情的になるなど、許されることではない。
 しかし、自分は今、十分感情的になっていると自覚している。感情の赴くまま、こうしていることを。
 それがどんな結果となるのか―――死神は考えようとはしなかった。

 ただ、想う。
 こういうのも悪くない、と。

「戯れた事を―――我は告死天使・・・我が業の障害たる者に容赦はしない!」
「知ってる!」

 アズラエルの再度振り上げられ、振り下ろされた鎌の一撃。
 それを、死神は己の鎌で受け止め―――

「くぅっ!」

 受けきれずに、横へと流す。

「くそっ。・・・やっぱり、力が違いすぎるッ!」

 舌打ち。
 死神とアズラエル―――本人同士の力の差はほとんど無い。
 “格”は同等なのだ。どっちが偉いと言うことも、強いということも無い。

 ただ、鎌は告死天使の鎌の方が、死神の鎌をはるかに上回る。

 そして、精神体であるが故に。
 その“差”は如実に力の差として現れるのだ。

「くそっ。くそっ―――」

 死神は、ただただ悔やみの声を繰りかえし。
 目前にと浮かぶ、アズラエルの姿を睨みつけて、さらに悔やむ。

「私は―――私は一体、なにをしている!?」

 

 

 

 

 

「おねえちゃん・・・誰?」

 死の淵に立つ者であるが故か、少年は少女の姿を捉えていた。
 一方、問われて少女は困る。

「幽霊・・・かな?」

 実は自分でも自身がない。
 死んだ、とは死神に聞かされてるし、こうやって肉体の枷を外して精神体となっているのだ。理解もしている。
 だが、実感が伴わない。あまりにもラクに死にすぎたせいだろうか?

 彼女は、死ぬまで“死”というものは痛くて苦しくてー――とにかく嫌なモノだと思っていた。
 きっと、注射よりも痛くて、苦い苦いお薬を飲むよりも苦しいものだと。
 ただ。死ぬこと自体には、あまり恐怖を感じていなかったが。

 だからだろうか。
 彼女は今ここに居る自分が、夢の中の自分である様な気がしてならない。
 ―――逃避をしているつもりはないが、どうしても実感できないのだ。自分の死を。

 だからこそ。彼女は、強い意志をもって少年の前に立つ。

「あの―――――あ、雪が・・・」

 少女は、何を言おうか迷う。
 とりあえず何か言葉を口に出そうとして―――少年の状態に気付く。

 彼は何時からこの屋上にいたのだろう?
 何時から、じっと制止していたのだろう?
 頭や肩には白い雪が積もり、服や髪は凍り付いている。
 肌は死人のように真っ青で、彼女は温度を感じることは出来ないが、酷く凍えているのだろうと思う。

「雪・・・積もってる・・・」

 少女は、そっと少年につもる雪を払おうとして手を伸ばし―――その手は雪を透過する。

「あ―――」

 気付き、少女は苦笑。
 困ったように自分の手を見て、虚ろな眼差しを向ける少年に、えへ、と笑う。

「そうだったね。私、幽霊だから。触れられないんだ―――ごめん」

 苦笑―――笑って。
 直ぐに真顔になる。

「そうだよ。死んじゃって、幽霊になったら・・・こうして雪に触れることも出来ないんだよ?」
「・・・?」

 少女の言葉に少年はやや首を傾げる。
 頭から、少し雪が落ち、宙にと舞い。そして、地面の白の中に溶け込んでいく。

 それを目にしながら、少女は両手に握りこぶしを作り、勢い込んで―――なによりも必至に言葉、思念を放つ。

「死ぬ。っていうことは、悲しいことなんだよ。死んじゃったら、雪合戦だってできないしっ、雪だるまだってつくれないし」
「おねえちゃん・・・僕に“死ぬな”って言ってるの?」

 少女の言葉に、首をかしげていた少年がそう結論つけると、少女はうんうんと頷いた。

「そう」
「いやだよ」

 即答に、うっ・・・と少女は詰る。
 そんな少女に、少年は冷笑を浮かべて。

「生きていたってさ、辛い事が多いもの。死んで、なにも触れられなくなって、誰にも忘れられていくって、たぶんラクだと思うし」
「違う!」
「・・・寒いんだよ」

 大きくかぶりを振る少雨所に、少年はポツリと漏らす。
 「え・・・?」と尋ね返す少女に、少年は震えた声で。

「こうして。雪の中に立っていると、すごく寒い。痛いほどに寒いんだよ」

 当たり前のことを言い、少年は少女を見る。
 少女はただただ困惑。
 少年は、それを愉快そうに見上げ。

「おねえちゃんは寒く無いでしょ? 死んじゃったんだから」
「あ・・・!」
「ね? 死ぬってラクなことでしょ? 今は苦痛だけど、もうすぐなにも感じなくなる」
「ダメだよ! そんなの絶対にダメ! 絶対に、絶対に、絶対にダメッ!」

 ヒステリックに叫ぶ少女。
 そんな彼女を、少年はやや驚いた目で見て。そしてやはり愉快そうに。

「なんだよ。可笑しいな、おねえちゃん。さっきから“ダメ”ばっかりだ」
「うぐっ・・・わ、私。人とお話したことがないから上手くいえないけど・・・でもっ。でもっ」

 涙。
 気がつくと、少女は涙をこぼしていた。
 幽霊でも涙を流せるんだ。と妙なところに感心しながら、少年は次ぎの言葉を待つ。

「死ぬのは絶対にダメ!」

 少年は苦笑。

「ダメ、って言われても納得なんて出来ないよ。どうしてダメなのか教えてくれないと」

 笑う。
 ふと、少年は自分が楽しんでいる事に気付いた。
 よくわからないことを言い、おそらくは少年のために「死ぬのはダメ」と繰り返して泣く少女。

 明らかに姿は自分よりも年上なのに、どこか自分よりも子供っぽい彼女の相手をするのは、楽しかった。
 だからといって、死にたいという想いが、薄れるわけでもなかったが。

 ただ―――もう少し早く、このおねえちゃんと出会っていれば、もう少し楽しく生きれたかもしれない―――そんな、気がしていた。

「お願いだから! お願い、だから・・・死なないで。そんな悲しいこと―――」
「・・・あ!」

 少年は、気付く。
 少女の後ろから迫る赤い影を。
  

 

 

 

 

 

「そこを退け」
「私もそうしたい」

 アズラエルの言葉に、死神は嘆息しながら返す。
 正直、自分がどうしてあの少女を庇っているのか理解できない。顔が同じである―――コトは関係ない。この顔は、死神が作り出した仮の顔。
 人、というものは親しい者の顔を見ると安堵するものだ。そして少女にとっては、それが鏡に映る自分の顔だったに過ぎない。

 では、何故だろう?
 何故、自分は死に行く魂の想いを受け、身の危険を冒してまで告死天使と対峙している?

「退かぬならば―――」

 アズラエルは、ゆっくりと真紅の大鎌を振り上げる。
 赤い鎌は、同じほどに赤い月に照らされて、怪しく―――ぬらりとした血の色に輝く。

「滅す」
「くっ!」

 ―――――――――――ッ!

 アズラエルの容赦ない一撃に、その一撃を受け止めた死神の鎌が、音も無く破砕。

「くそっ。解ってくれないか、アズラエル!」
「我は―――ただ告死するのみ」
「解ってくれ! お前も魂の導き手ならば!」

 解ってくれ。
 なにを解ってくれと言うのだろう?
 自分ですら解らない―――いや。

「解っているんだろう? 告死天使!」

 おぼろげながらに自分の中で解っていた。それは―――

「退け」

 アズラエルの鎌が、死神の身体を弾き飛ばす!
 斬られはしなかったが、それでも苦悶の表情を浮かべ、死神は動くこともできずにアズラエルをただ睨みつける。
 アズラエルは、そんな死神の姿を気にも止めずに、“告死”された少年に対して、なにかを必至で訴える少女の背中へと向かって飛翔。

「アズ・・・ラエル・・・くっ」

 その姿を見送って。
 死神の意識は夜よりも暗き闇にと包まれた。

 

 

 

 

 

「おねえちゃん!」
「え―――?」

 少年の悲鳴に、少女は背後を振り返る。
 そこには、鎌を振り上げるアズラエルの姿が。

「我が告死を邪魔するのならば―――穢れ無き魂よ。貴様ごと斬るのみだ」
「―――ッ!」

 振り下ろされる鎌。
 少女は反射的に、庇うようにして少年を抱きしめる。
 しかし、“見える”とはいえ、生者と死者の隔たりはある。
 少女の広げられた両手は、少年の身体を透過し―――その刹那に、アズラエルの鎌が少女の魂を切り裂いた!

 

 

 

 

 

 独り。
 私は何時も独りだった。

 独りだけの白い病室で。
 独りだけでベッドに寝ていて。

 誰の声も聞こえなくて。
 誰の顔も見えなくて。
 誰の匂いも感じない。

 死にたい。って思ったことは何度もあった。
 そうすれば、独りで悲しい思いなんてしなくてすむんだろうって。
 お父さんもお母さんも、悲しい顔をしながら私をお見舞いに来る必要もなくなるんだって思った。

 独りで死ぬんだ。
 寂しいけど、悲しくないよね?
 誰も、悲しまないよね?

 だって、私は独りだから。

 

 

 

 

 

 その世界には誰も居なかった。
 少女以外の存在は、何も無かった。

 ただ、あるのは白い壁とベッドと窓だけ。

 ベッドに身を横たえて、壁やシーツと同じ白い服を着た少女は窓だけを見つめていた。

 

 

 

 

 

「・・・あ」

 少女は、少年の存在に気付いて、窓から視線を移す。
 ぽかん、と口を広げ、なにを言っていいのか解らない、というように少年を見る。
 少年もまたどうして良いかわからずに、ただ少女を見る。

 ベッドに身を横たえた少女。
 儚げに、雪のような真っ白な肌をした―――見るからに、病に冒されていると解る少女。

 触れるだけでガラスのように砕けてしまいそうで。
 何か言葉を言えば、それだけで泣き出してしまいそうで。

 少年はどうして良いかわからずに―――時が過ぎる。

「こ・・・こんにち、わ」

 時を置いて。
 真っ白な世界に、言葉を吐き出したのは少女が先だった。
 ベッドに身体を預けていた少女は、それだけを言う事に全精力を費やしたかのようで、はぁはぁと息を継ぐ。

「あ・・・大丈夫?」
「・・・うん」

 思わず、心配して少年が問うと、少女はにっこりと微笑んだ。
 それを見て、少年は先ほどの感想が間違いだと知る。

 彼女は確かに病に冒されていた。
 けれど、触れただけで砕けるほどに脆くなく。
 言葉を放っても、ちゃんと笑顔で受け止めるだけの強さは持っていた。

 それでも、少年は少女の笑顔を壊さないように、一歩一歩と少女のベッドへと、ゆっくり歩む。

「こんにちわ」

 少女が言ってくれたように、少年も挨拶も返す。

「うん・・・こんにちわ」

 少女は、もう一度挨拶を繰り返した。
 嬉しそうに笑いながら。

「病気なの?」
「・・・うん」

 少年の問いに弱弱しく頷く。
 頷いて、コホコホと軽く咳き込んだ。

「苦しいの? つらい?」

 少年が尋ねる。
 心の中で、馬鹿なことを聞いている、と想いながら。
 セキをしていれば苦しいのは当たり前。
 さっきの質問もそうだ。
 病気だってことは見れば解ることだ。それを本人に確認させるように尋ねる意味は無い。

 けれど。

「ううん。苦しくない」

 少女は、少年が思った答とは違う返事を返す。
 「え?」と疑問の声を発する少年に、少女はにこりと微笑んで。

「だって。キミがいるもの」

 それを前置きとして。
 少女は、ゆっくりと、途切れ途切れに話し始めた。

「私ね、一人ぼっちなの」

 少年は知っていた。

「ずっと、ずっと、独りぼっちなの」

 独りぼっちでー――“死にたい”と思っていたということも知っていた。

「誰かと、こうしてお話するのは、久しぶりなの」

 なぜなら、少年は先ほど彼女の心の中を覗いたのだから。

「だから、嬉しいの。つらくなんて―――」

 そこで、少女は咳き込む。
 「大丈夫?」と、少年が聞くと、少女は苦しそうに―――だけど、嬉しそうに笑って頷く。

「はぁ、はぁ・・・大丈夫」
「なぁ・・・辛いんだろ? 苦しいんだろ? ホントのことを言えよ」

 見ているほうが辛いんだ!
 少年は、そう叫びたかった。

 少女は、一寸驚いたように少年を見つめ―――しかし笑う。

「ううん。つらくないよ」
「嘘だ! 生きているのも辛いんだろ!? 死にたいって思ったんだろ!?」

 溜まらずに、少年は叫ぶ。
 少女は目を見開いて少年を見ていたが、やがてコクリとうなずいた。

「うん。・・・さっきまで、そう思っていた」
「“さっきまで”?」
「うん。死にたいって、思っていたよ。でも」

 少女は頷くと、少年から視線を外して、窓の方に顔を向ける。
 窓の向こうには何も無い―――ただ、青い空と白い雲があるだけだ。

「空が、どうかしたのかよ?」
「さっきまで飛行機が飛んでいたの」
「・・・そりゃ飛行機くらい飛ぶだろ」

 なにがいいたいのだろう?
 少年が困惑していると、少女は振り返らないままに続ける。

「乗ってみたいと思わない?」
「・・・まあ、少しは」

 少年は飛行機に乗ったことは無かった。
 そんなに旅行もしたこともないし、乗ってみたいと思わない? と聞かれれば、なんとなく乗りたいような気がする。

 少年が応えると、少女は嬉しそうに。

「でしょ?」
「・・・?」

 困惑。
 する少年に、少女は笑って。

「私ね、飛行機に乗れたら死んでもいい」
「そうかな」

 首を傾げる。
 乗ってみたいとは思うけど、死んでもいいから乗りたいとは思えない。

「さっきまでね。もうこのまま死んでしまいたいと思ってた。でも、今は飛行機に乗ってから死にたい」

 興奮しているのか、赤い顔をして、ハァハァと息を切らせながらも少女は続ける。

「そう、思ったら。なんか、なんだかとても馬鹿らしくなってきたの。上手くいえないけど」
「え?」
「だって、そうでしょ? 飛行機に乗ったら、今度はきっとまた別の何かをやってから死にたいと思うんじゃないかな。私は」
「・・・よく、わからない」
「うん。私も、よく、わからない。けれど、死んじゃったら、飛行機に、のれない、し」

 かなり息が苦しいのか、途切れ途切れに。
 それでも、今の自分の想いを伝えたいのか、少女は精一杯に言葉を紡ぐ。

「生きてれば、いつか、のれる、かも、しれない、し」

 そこで、ゲホゲホっと、強く咳き込む。
 だけど、笑顔は消さずに―――というか嬉し過ぎて消せない、という方が適切だろうか。
 そのまま、少女は呼吸を荒くして―――言葉は続かない。

「でも。・・・でもさ、飛行機に乗りたいって以上に、つらいってコトもあるだろ?」

 少年の問い。
 少女は、窓から再び少年にと振り向いて。

「・・・死んじゃえば、ツライことが終わるだけでしょ? もしかしたら、あるかもしれない、嬉しい、事、を知らずに、死ぬ・・・って、もったい、ないよ」
「それは、そうだけど・・・生きててツライ以上に、楽しいことなんてあるもんか!」

 それは少年の心からの叫び。
 生きていて、楽しいことは幾つもあった。でも、それいじょうに辛い事のほうが多すぎた!

「そんなの、おかしいよ」
「何が!?」
「辛くても、嬉しい時は嬉しいし。嬉しいことがあると嬉しいでしょ?」
「わかんないよ! そんなの!」
「私、病気で苦しいけど、でも今は嬉しいよ」

 にこり、と笑う。

「だって、キミに会えたんだもの」

 先ほどと同じ。同じ言葉。
 だけど、なにか―――なにか違うようだと、少年は感じた。

「辛くても、苦しくても、生きていたからキミと出会うことができたんだよ。こうして、お話しているコト。私にとっては、とても嬉しいことだから」

 笑顔。

「もしかしたら、またこんなにも嬉しいことがあるかもしれないじゃない。ううん、きっとあるから」
「うん・・・」
「だから、私はこれからも生き続けるよ。きっと」
「うん!」

 そう言って、少女は笑い。
 そう言われて、少年は強く頷いた。

 

 

 

 

 

「ねえ」
「え?」
「お友達に、なってくれる?」
「え・・・うん」
「ホントに? また、遊びに来てくれる?」
「うん」
「私と話してくれる?」
「うん!」
「ありがとう! 嬉しいよ!」
「僕も、嬉しい」
「本当?」
「・・・うん。だって、こうして話しているのは僕も嫌いじゃないから」
「良かった―――ええと、あ、名前」
「あ・・・名前」
「うん。自己紹介だね」
「うん」
「私の名前は――――――・・・・・・」

 

 

 

 

 

「―――もしかしたら。そういう出会いもあったのかもしれないな」
「・・・!?」

 気付く。
 と、少年は凍えるように寒い、白い雪に包まれた屋上に居て。
 目の前には、赤い死神が浮遊していた。

「現実には、窓に映る自分の姿に対して少女は語っていた」

 死神が語る。
 それが、あの少女のことだと、少年はなんとなく理解していた。

「独りだった少女は、死してやっと己の事を話せる相手に出会えた」
「・・・そうだね」
「死にたいこと、生きたい事、自分がやりたかったこと―――だが、それらの中には後悔は微塵もない。何故か?」
「嬉しかったからだよ。・・・嬉しかったんだ、おねえちゃんは」

 死んだことが嬉しかったわけではない。
 ただ、出会えたことが嬉しかった。それだけ。

「想いは伝わったか」
「うん」
「ならば、今一度だけ問う。汝は我が告死を受けるか?」

 アズラエルの言葉。
 少年は、一寸だけ迷い―――しかし、次の瞬間にははっきりと、首を横に振る。

「いいや―――僕は死にたくない」
「そうか」

 アズラエルはあっさりと頷くと、ふわ・・・と赤い月に向かって跳ぶ。
 それを追いかけるように、少年は顔を上げて。

「あの・・・っ!」
「・・・なんだ?」
「僕にも、“嬉しいこと”見つかるかな?」

 少年の問いに、アズラエルは笑う。

「知らんな―――しかし」
「しかし?」
「・・・私は、永劫と生きていて、こんなにも“嬉しいこと”があるとは知らなかった。礼を言う、少年」

 その言葉に―――
 少年は。

「うんっ!」

 と、強く頷いた―――・・・

 

 

 

 

 

 まずは飛行機にのろう。
 彼女が、乗ってみたいといっていた飛行機に乗ろう。
 飛行機に乗ったらどうしよう? いいや、今はなくても飛行機に乗ったら見つかると思う。

 僕にとっての“嬉しいこと”が。

 

 

 

 

 

「結局。・・・私がしたことはなんだったんだ?」

 ややむくれたように、死神はアズラエルを見る。
 アズラエルは澄ました顔で何も応えない。
 代わりに。

「あ。でも私は嬉しかったです」
「・・・それは、どうも」

 死神の傍らに浮かぶ少女の、本当に嬉しそうな声に、死神は投げやりに応えた。
 ・・・実は、少しだけ照れくさかったのだが。

 少女をチラとみて、すぐにアズラエルを睨むようにして見る。

「まだ怒っているのか?」

 不思議そうなアズラエルの声。
 そのとたん、死神はアズラエルに詰め寄った。

「当たり前だ! 生者の魂と幽鬼は斬れても、“穢れ無き魂”は斬れないってなんだよそれはっ! 初耳だぞ!」
「初耳といわれても、真実だ」
「くそっ。私は、こいつが斬られるかと思って、死ぬ気で止めたんだぞ!」
「あ、でも私は嬉しかったです―――」
「・・・そりゃ、どうも」

 ぷいっと、明後日の方を向く死神。
 少女はアズラエルと顔を見合わせて、笑う。
 アズラエルは笑いこそしなかったが、口元が少し緩んでいた―――・・・

 

 

 

 

 

 求めていた。
 少女のような優しさを。

 死して、生者にたいする憎しみではなく。
 死して、生者にたいして生きることを望む魂を。

 優しき魂。
 その、暖かさを。

 私は、なによりも求めていたのだ。



 主よ―――それが私の喜びなのです・・・・・

fin.


あとがき

タイトルは、ヨハンセバスチャン・バッハが作曲した有名な曲ですが。
ハッキリ言って本文の内容とはほとんど関係はなかったりします。

・・・ただ、なんとなく使ってみたかっただけなんですよねー(笑)。


ええと。
ドレッドノートさんの「紅の告死」を読んで、おもむろに書きたくなったもんで書きました(おひ)。
執筆期間、実に二週間。よく書き上げられたなー、とか自分でも驚きですが。


・・・じゃなくて。
え―と。「WINDOW」の続編でもあり、死神さんと少女も出てきます。
・・・しかし、相変わらず名前ないなー。いや、名前つけないで書くのが好きなんですけどね。



・・・あれ。なんか言いたいこと。
そうそう、実はこの「告死天使」の設定は、オイラのオリジナルなので、ドレッドノートさんのアズさんとは多少以上に相違点があるかもしれませんが―――そこの人っ、JAROには電話しませんようにっ!


・・・実は。
アズラエルさんと死神さんのエピソードは、色々と勝手に考えていたりします。
元々は、死神さんは浮遊霊―――というか幽鬼で、アズさんとであってなんやかんやあった挙句に死神になったとかなんとか。
・・・いや、書きませんけど(笑)。


・・・えっと。
思うが侭に書いたもんで、けっこよく解らない話になってしまいましたが。
ここまで読んでくれた方。ありがとーです♪
それでは、また。

(2001/06/20)

 

追伸
死神さんの性格が不安定で、よく解らないでしょうが、じつはアレにはワケがあります。
死神さんは、多くの霊を導き、そのつど魂の慟哭、慙愧、憎悪を受けてきました。
そんな強い負の想いに飲み込まれないように、死神さんは自分自身を「柔軟」に―――「あやふやな多重人格」と言うのがピッタリかも―――変えたためなのですとか謎なことを今即興で考えたり(笑)。

で、今回、少女の想いに対して頑なにアズさんに対抗したのは、「柔軟」に対応してきた死神さんの心が始めて出会った優しさに戸惑ったためとかなんとか。

 

・・・もうちょっとキャラ設定しっかりしろよ自分(苦笑)。


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