私は窓を見つめている。
窓に映る私を見つめている。
窓の向こう側にあるものを見つめている…


―――春


病室は広くて静かだった。
時折、お医者様が診察に来たり、看護婦さんが私の世話をしてくれる他は、一週間に一度両親が来るだけで、後は私だけしかいない。
三月の初めに私はこの病院に入院した。
といっても初めてではなく、しばらく前にも入院している。そのしばらく前も。
物心ついた時から私はこの病院のこの病室を、出たり入ったりと繰り返していた。
私は重い病気にかかっているらしい。
その病気がなんなのか、お医者様も両親も教えてくれた事はなかったけれども。
「久しぶり。また、逢えたわね」
私は窓に向かって微笑む。窓に映る自分に向かって。
窓に映る私も微笑む。
何度も入院しているうちに、私の友達はベッドの側にある大きな窓だけになってしまった。その大きな窓に映るもう一人の私が話し相手。
私は白い絹のパジャマを着て、ベッドに座って窓の私に話し掛ける。
窓の私も白い透明なパジャマを着て、なにか…空に座って私に話し掛けてくる。
私と窓の私。二人とも同時に同じ事を話し掛けるから会話にはならないけど。
それが今の私の全て。


―――夏。


この部屋はずいぶん高い所にある。
私の世話をしてくれる看護婦さんに聞いた所、この部屋は五階にあるらしい。
辺りには高いビルもマンションも無いから随分遠くまで物が見渡せる。
そんな景色をずぅっと見てきたからかもしれないけれど、私は目だけは良い。
窓の向こうの景色は春とは随分雰囲気が違っていた。
窓の向こうに見える景色はだんだん色濃くなっていった。
木の葉っぱは深い緑になって、草木は青々と茂っている。
夏休みなのか、子供達が道路を元気に走り回っているのが見える。
―――もう夏なんだ。
そんな事を思いながら、私は窓の私に笑いかける。
「こんにちは。もう夏なのね、みんな半袖で歩いてる。きっと、窓の向こうは熱いんでしょうね」
この部屋は適度に涼しくて、夏の暑さは解からない。
不意に、窓の私の顔が曇る。そんな窓の私と同じ気持ちで私は話し掛ける。
「―――この頃、不安に思うの。もう八月…五ヶ月も入院してる。今までこんなに長い間入院した事はなかったのに…」


―――夜


「…ん」
私はふと、目を覚ました。
「あれ…暗い…」
ベッドから身体を起こして窓を見る。
暗い。どうやら夜のようだ。
「あ…そうか…お昼、なんか苦しくて、お医者様からおクスリもらって、そのまま寝ちゃったんだ…」
私は納得すると、窓の向こうの上の方…夜空を見上げた。
「わあ…」
雲一つない夜空。
そんな夜空に、黄色がかかった白い、真ん丸なお月様が浮かんでいた。
「きれえ…」
私はうっとりと満月をしばらく見上げて、視線を落した。
「ねえ、貴方もそう思うでしょ?」
満月の明かりで、夜の窓に映る私に話し掛ける。窓の私は返事をする代わりに微笑んでいる。
と、私は不意に気づく。窓の私も何かに気づいたように目を見張った。
「なんか…夜の貴方って、黒いパジャマを着ている見たい…」
私は白い絹のパジャマを着ている。
夜の窓の私は黒い透明なパジャマを着ている…
「初めて私と貴方に違う所ができたね」
私の言葉に窓の私は微笑むだけだった。


―――秋


窓の向こうの色が春から夏へと濃くなっていたのとは反対に、だんだんと色が薄くなっていく…
窓を見下ろせば、看護婦さんが落ち葉を集めているのが見えたかもしれない。―――と、夕日に赤く染められた秋空をベッドから見上げながらそう思った。
夏から秋へと変わりゆく境目あたりから、私は体を起こす事もできず、ベッドから窓を見上げる事しかできなかった。
窓の私にもしばらく逢っていない。
かわりにお医者様とか看護婦さんが前よりも頻繁に入って来た。
そして気持ち悪くありませんか、とか、苦しい事はありませんか、とか、色々尋ねてくる。
私はそのたびに肯いたり、横を向いて否定したりする。言葉を喋るのもなにか苦しくなってきていた。
(私…死ぬのかな…)
何度となくこの頃そう思う。
昔呼んだ小説かなにかで、寿命を迎えようとしているおじいさんが「自分の身体の事は自分が良く知っている。もうすぐ死ぬ事ぐらいわかるさ」という台詞を言っていた。
でも、私にはわからない。おじいさんだけしかわからないのかな。
それともまだわからないだけで、もうすぐ私にもわかるのかな…


―――冬


窓の外は雪が降っていた。
暗い夜の闇の中を、静かにゆっくりと…白いふわふわっとしたものが落ちていく。
久しぶりに私はベッドから体を起こしていた。
ずいぶんと気分が良い。
昨日まで、ずっと寝たきりだったのが嘘のようだった。
私は窓の私に久しぶりの挨拶をした後、朝からずっと、降り積もる雪を見ていた。
外が暗くなった事に気づいて、さっき時計を見てみるともう五時になっていた。
五時とは言え、もう真っ暗だ。
窓の私も白いパジャマから黒いパジャマへと着替えていた。
「ふふ…でも、今日はずーっと雪を見ていたんだね」
私はなんか可笑しくて窓の私に笑いかけた。
窓の私も笑う。
「私ね、雪って大好きなんだ。…ううん、違う。好きって言うよりも、憧れてるの」
今まで、話せなかったからだろうか、私はいつもよりもいろんな事を話したくなっていた。
「私、病気がちだったから雪で遊んだ事ってほとんどなかったから…雪だるま作ったり、かまくら作ったりね…」
窓の中の黒いパジャマを着た私は私の話を口を閉ざして聞いてくれている。
私は息を継ぐ事もそこそこに喋りつづけた。
何故か、もう二度と窓の私と話せないような気がしたのだ。
―――これが「死ぬ事がわかる」という事なのかもしれない。
「でも…でもね、一度だけ…たった一度だけ雪合戦をした事があるの」
その事を思い出して私はため息をつく。
「…楽しかったな…また、やりたいな…」
私は窓の向こうに振る雪を見る。
今日は十二月二十三日…クリスマスイブ
―――そして、明日はクリスマス…


―――そして…今日


カッチ、コッチ、カッチ、コッチ…
どこかで、時計の針の時を刻む音が聞こえる。
カッチ、コッチ、カッチ、コッチ…
「ぅん…?」
私を目を覚ますと、体を起こした。
「あら、まだ四分、時間があるのに…」
声はすぐ近く…窓の方から聞こえた。
窓の向こうはいまだ暗かったけれど、すでに雪は止んでいた。
そして声の主はいつも見慣れた窓の中の私だった。
夜の窓の黒いパジャマを着た私。
その窓の私が右手に巨大な鎌を方にかけて持ち、左手に薄汚れた黄土色の懐中時計を持っていた。
さっきから聞こえる、時計の針の音はこの音らしい。
「あなたは?」
私は初めて窓の私に逢った時と同じように問いかける。あの時の窓の私は答えてはくれなかったけれど、この窓の私は答えてくれた。
「私? 私は…見ればわかると思うけれども、死神よ」
死神。窓の中の私はあっさりと答えた。
…なんて言ったらいいかわからずに、私が喋れずに居ると、夜の窓の私の姿をした死神さんは左手に持つ懐中時計を見て。
「ええと、1999年12月24日3時17分に貴方の寿命は尽きるの。今、3時15分だからあと2分ね」
なんとなく魔女の話を聞いていて…私の両目から涙がぽろぽろとこぼれた。
魔女がぎくりとして慌てて手を振る。
「あ、でも。これは仕方ない事で―――あー。だから…泣かないで、ね?」
必死で私を慰めてくれようとする死神さんに私は涙を拭いて微笑んだ。でも、次から次へと涙は零れ落ちてくる。
「違うの…」
「え?」
「死ぬのが悲しくて泣いてるんじゃないの。貴方と…窓の中の私と話せた事が嬉しくて泣いているの」
ずっと、ずっと、私から話し掛けるだけだった。
ずっと、私の言葉に答えてほしかった。
私に話し掛けてほしかった。
そんな私を見て、死神さんは静かに宣告した。
「1999年12月24日3時17分…」
死神さんは右手に持つ巨大な鎌を振り上げると、音もなく私に向かって振り下ろした。
迫り来る鎌に何故か恐怖は感じなかった。
―――一瞬後、私はふわふわとした感覚に包まれていた。
「…貴方の寿命は今尽きました」
死神さんの宣告…私は死んだんだ。
私はベッドの上に浮いていた。下を見下ろす。
私がベッドに横たわっていた。
「さよなら」
なんとなくつぶやいて私は死神さんを見る。
死神さんは微笑んで、
「これから貴方は死者の国へ行き、神の審判を受けます」
「神の審判?」
私が尋ね返すと、死神さんは肯いて、
「はい。生前の事を審査され、そこで天に登るか地の底に落ちるか決められます。それで―――」
そこで、死神さんは息を吐いて
「―――死者の国に行くにはしばらく時間がかかります、それまで私が話し相手になりましょうか?」
「…ありがとう」
私は窓の中の私―――死神さんに微笑むと。死神さんは左手の懐中時計を服の中にしまい込み、私の手を取った。
「さあ。いきましょう」
死神さんの声に私は肯くと、もう一度だけベッドに横たわる私を振り返った。
―――メリークリスマス…そして、さようなら…
涙が一滴、ベッドに横たわる私の目から零れ落ちた…


END


 

あとがき

うーん・・・
こういうものをかけるんだなぁ、自分。とか感想。
この小説は、某雑誌の小説大賞に送ろうとして諦めた作品です。
なぜかというと、枚数が足りなかったから(爆)
原稿用紙百枚以上なんて書けるか―とか思いながら書いてたら、やっぱりかけませんでした(自爆)


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