第28章「バブイルの巨人」
AO.「拳の痛み」
main character:セシル=ハーヴィ
location:バブイルの巨人・制御室
「―――止めなくていいの?」
殴り合う兄弟を指さし、バルバリシアが隣りにいたカインに問いかける。
エクスカリバーとラグナロクを二つまとめて肩に担いだ竜騎士は、「フッ」といつもの人を小馬鹿にするような笑みを浮かべる。「止める必要が何処にある?」
「だって、このままじゃ貴方達の王様が―――」
「どうせセシルが勝つ。わざわざ水を差す必要もあるまい」断言するカインに、バルバリシアはムッとして―――それから「おほほほ」とわざとらしく笑い声をあげて、言い放つ。
「何を言っているの!? ゴルベーザ様が勝つに決まってるじゃない!」
「そっちこそ何を寝惚けたことを。これだから女というのは度し難い」
「男とか女とか関係ないでしょう!」
「惚れた男のこととなると、まるで状況が見えなくなる、と言っているんだ」
「―――しかし、彼女の言うことにも一理あるぞ」言い争いに発展した二人の間に割って入ったのは、ヤンだった。
彼は、ゴルベーザとセシルの二人を見比べて。「セシルに比べ、ゴルベーザの方が体格が良い。単純に殴り合うだけならばセシルの方が不利だろう」
身長差もある。
二人とも鎧を着込んでいる為に、必然的に互いの顔面を狙うことになる―――これがヤンやマッシュなど、格闘術に長けた人間ならば、貫手で鎧の隙間を狙ったり、掌底で鎧越しに打撃を与えたりと色々とやりようはあるが、今殴り合っている二人にはそういうスキルは無い―――つまり、互いに相手の顔面を狙うしかない。そして、互いの顔面を狙う為に、セシルは拳を振り上げなければならないのに対して、ゴルベーザは振り下ろせばいい。振り上げるセシルの方が体力を使う上に、体重を乗せにくい分威力も劣る。
「しかしそうは言っても、そちらもなかなかにやる」
ヤンに対するように、セシルへ賞賛の言葉を贈ったのはルビカンテだった。
「ゴルベーザ様の打撃を殆ど紙一重で回避し―――逆に、カウンターを放っている。 “見切り” ではそちらの方が上手だな」
「むう、確かに」ルビカンテの言葉にヤンは頷く―――が、そんな二人の会話を、誰も聞いてはいなかった。
「絶対にゴルベーザ様の勝ちよ! シュウもそう思うでしょう!?」
「ま、まあ・・・私だってゴルベーザに勝って欲しいとは思っているが」
「ほう・・・ならば賭けるか?」
「望むところよ!」明らかなカインの挑発に、そうと理解しながらバルバリシアは受ける。
(確かに状況が見えなくなっているな)
と、シュウがこっそり嘆息するのにも気づかずに、二人は話を進めていく。
「ゴルベーザ様が勝ったら、貴方には私の足でも舐めてもらおうかしら?」
バルバリシアは見せつけるように素足をあげてカインへと見せつける。
いつも宙に浮いている為か、靴の類は一切つけていない綺麗な素足だ。「ついでに私のことは一生 “バルバリシア様” とお呼びなさい」
「いいだろう―――ならセシルが勝ったなら、お前達に一晩相手して貰おうか」
「ぶっ!?」カインの出した条件に、シュウは思わず噴き出す。
男女が一晩付き合う―――その意味を察して狼狽した。「カカカッ、そう言うことなら俺もセシルに賭けよう―――貴様を慰み者にできるなど、二度となかろうからな!」
カイナッツォが割り込んで来てバルバリシアをいやらしく眺めながら言う。
ちなみに今は、見も知らぬ男の姿をしていた―――表情のない水の人形では、何処を向いているのか解らずに会話しにくいとヤンやシュウがクレームを発したからだ。「あら、カイナッツォ。私に気でもあったの?」
「馬鹿言え。単に貴様という女を屈服させたいだけだ」
「ま、別に構わないけれど」
「構えーっ! というか一晩・・・って、わたっ、私もっ!?」顔を真っ赤にしてシュウは叫ぶ
そんな彼女にカインは「当然だ」とにやりと笑う。シュウはさらに何か叫ぼうとしたところへ、バルバリシアが「まあまあ」と声をかけてきた。
「心配する必要はないわ。ゴルベーザ様が負けるなんてありえないもの」
「そういう問題じゃない! 勝手に人の純潔を賭けるなと―――ハッ!?」慌てて口を押さえるがもう遅い。
バルバリシアはとても生暖かな笑みを浮かべ、シュウを見つめていた。「ふうん、ほお、へえ、シュウったらまだ―――」
「うっさーい、うるさいうるさい! 余計なことを言うなばかー!」頭に血が上って、どこか口調が幼くなりながらシュウは叫ぶ。
「クックック・・・これは楽しみだ・・・」
「クカカカカッ、初物は譲ってやるからバルバリシアは俺によこせよ?」
「フッ・・・好きにしろ」邪悪に―――というか下劣に笑い合う二人をシュウはキッ、と睨む。
感情が昂ぶりすぎているためか、少し涙目になっていた。(こいつら・・・この場で殺しておくべきか―――)
かなり真剣にそんなことを考えていたシュウを、バルバリシアは宥めるように肩を抱く。
「シュウ、落ち着いて。絶対に大丈夫だから・・・」
(・・・もしもゴルベーザ様が負けたら “なかったこと” にして逃げればいいし)
とか内心では考えていたり。
******
「陛下を護らねば・・・」
「駄目ですよ。そんな身体では!」立ち上がりかけたベイガンの身体を、ミストが抑えつける。
普段ならば魔物の力に魔道士の娘が対抗出来るものではないが、ベイガンの身体はミストの力に抗えないほど弱っていた。「くっ・・・しかし・・・!」
歯がみする視線の先では、セシルとゴルベーザが殴り合っている。
どうやらゴルベーザも完全に頭に血がのぼっているようで、ベイガンが懸念したとおりに一方的にセシルが殺されるという事はないようだった。
しかし、だからといって護るべき王が殴られているのを黙ってみていることなどベイガンにはできない。「無理をするでない」
ミストに止められながらも、尚も動こうとするベイガンへ、いつの間にか近づいてきたのかフースーヤが声をかける。
「癒しが必要かと思ったが―――見た目よりも随分と元気だな」
「どうか回復魔法を! 私は陛下を護らねばならぬのです!」懇願してくるベイガンに、フースーヤは「まあ落ち着け」と宥め、セシルとゴルベーザの “兄弟ゲンカ” を見やる。
と、そこにスカルミリョーネが並んだ。「フシュルルル・・・気がついているか、フースーヤ?」
フースーヤと同じように “兄弟ゲンカ” を眺め、スカルミリョーネが問いかければ、かつての弟子は「はい」と頷いた。
「ゴルベーザはすでに・・・」
「フシュルルル・・・面白い―――本当に面白い。さすがはあの娘の血を引いていることだけはある・・・」フードに表情を隠した怪人は、心から愉快そうにそう呟いた―――
******
手が痛い。
思えば人を殴った記憶などセシルには無かった。(殴れたことは何度もあるんだけどな)
子供の頃、 “親無し” というだけで苛められ、特に理由もなく殴られることが多々あった。
あの時は、自分を殴ってくるいじめっ子達に対して特に何も感じなかったが、今にして思う―――或る意味尊敬できる、と。(どうしてこんな痛いことを好きこのんでやろうとするかな)
痛みをこらえ、痛めた手を握りしめてそれを振るう。
それは目の前のゴルベーザの顔面へと激突し、その手応えをセシルへと返した。すでにほとんど力が入らない。
だから “殴る” というよりは “叩く” といった感じだ。
それでも手応えは十分で、さらなる激痛が拳に響く。(人を殴るって痛いんだなあ)
それは今日始めて知ったことだ。
殴られることが痛いとは解っていたが、その逆も痛いとは思わなかった。痛いなら止めればいいんじゃないかと思う。
剣を振るうことは慣れているが、拳を振るうことは慣れていない―――慣れない動きに、全身疲れ果てていた。それでもセシルは拳を握りしめる。
自ら痛い想いをしながら拳を振るう。
その理由は目の前の存在。(ゴルベーザ・・・!)
このフォールスに争乱を巻き起こした男。
それが自分の兄だと知った時―――そしてそれがただ操られていただけだと知ってしまった時、セシルはゴルベーザを憎むことができなくなってしまった。だが、かといって許すこともできない。
これが自分に縁もゆかりも無い人間だったならば “仕方ない” と許すことが出来たかもしれない。操られていたのならば “仕方ない” と許せたのだろう。
けれどセシルは、自分自身がやってしまったことを “仕方ない” と許せるような人間ではなかった。そしてそれは自分の肉親に対しても同じ事だ。身内がしでかしてしまったことを、 “仕方ない” と見逃すことなどできない。けれど断罪することもできなかった。
ゴルベーザが操られているわけではなく、己の意志で動いていたのなら、セシルは迷わずにゴルベーザを殺すことを決意しただろう。例え後で後悔しようとも、自らの手を実の兄の血で染めることを迷わなかったはずだ。
しかしゴルベーザは操られていただけだ。ゼムスが全ての黒幕であり、ゴルベーザ自身に非はない。だからこそ、セシルはどうしていいか解らなかった。
憎むことも出来ず、許すことも出来ず、斬ることも出来ない。だからセシルは思った。
“ゴルベーザが操られてさえいなければ” と。
憎むでもなく許すでもなく、ただ “操られてしまった” 情けない兄へ激しい怒りを覚えた。そして剣を握る代わりに、拳を握りしめた。
剣で斬る代わりに、拳を叩き付けた。
それはなにか考えがあってのことではない。他にどうして良いか解らなかったからだ。セシルは拳を握り続ける。
どんなに痛くても、力が入らなくても、構わずに拳を振るう。
自分か兄のどちらかが力尽きるまで、殴り続ければ自分の気が済んで怒りも収まるのではないかと考えて。そして。
もしかしたら―――ひょっとしたら―――ゴルベーザの――― “兄” のことを “許す” ことができるのではないかと、ほんの少しだけ、僅かだけでも期待をして―――
******
もう、どれくらい殴り合っているのかも解らない。
セシルもゴルベーザもすでに顔はボコボコに腫れていて、赤く腫れ上がっていたり青く内出血していたりと、奇妙な顔色をしていた。すでに二人とも限界らしかった。
一発拳を振るっては、身体を泳がせてたたらをふむ。さらに肩で息をして、少し息を整えてからまた次を行う―――といった繰り返しだ。
その拳にも力はなく、本人達は死力を尽くしているつもりだろうが、傍から見ているとぺちぺちと拳を相手の顔に押しつけているだけのようにしか見えない。「・・・そろそろ止めるか」
ヤンが呟く。
これ以上は不毛であるだろうし、顔がボコボコに腫れ上がるほどに殴り合ったのだ。下手に放っておけば命に関わる危険もある。「ちょっと待て! まだ決着は着いていない!」
「そうよ! 最後まで見届けなければ賭けが成立しないわ!」などとカインとバルバリシアが喚くが、それを無視してヤンはセシル達に歩み寄る。
「二人とも、もうその辺で―――」
終わりにしろ、と間に入ろうとした時だ。
不意に、ゴルベーザの目が見開く。「うおおおおおおおおおっ!」
これが最後の一撃だ、と言わんばかりに拳を強く握りこんでセシルへと振り下ろす。
「! いかん―――!」
突然のゴルベーザの雄叫びに、思わず呆気にとられていたヤンは反応が遅れた。
ヤンが止めようとするよりも早く、ゴルベーザの拳がセシルの顔面へと―――「・・・・・・!」
―――顔面へと激突する寸前、セシルの頭が動いた。
それは小首を傾げるような僅かな動きだが、それだけで十分だった。ゴルベーザの最後の拳はセシルの耳をかすめるようにして突き抜ける。「ゴル・・・ベーザアアアアッ!」
必殺の一撃を回避され、前のめりになるゴルベーザの顔面へと、渾身の力を振り絞ったセシルの拳が突き出されていた。
クロスカウンター。
それは ”打撃” と呼ぶにはあまりにも弱弱しい一撃だったが、相手の攻撃を利用したそれは絶大な威力を発揮した。「が・・・は・・・っ」
致命的な一撃。
ずるり、とセシルの拳をゴルベーザの顔面がすべり落ちる。
足がかくん、と力を失ってその場に崩れ落ちていった―――