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ひまわりと月見草

 

 

「長嶋 茂雄はひまわりの花、私は月夜にひっそりと咲く月見草ですよ。」

  この言葉は野村 克也選手(ホークス;現タイガース監督)が日本プロ野球史上初の2500本安打(現在の最多安打は張本 勲選手(フライヤーズ)の3085安打)を記録した際、発した言葉である。当時としてはとてつもない記録を達成したのにもかかわらず、野村は騒がれなかった。それに対し、長嶋選手(ジャイアンツ;現ジャイアンツ監督)はジャイアンツという球団にいるだけで(もちろんそれだけではないが)持ち上げられ、常に注目された。長嶋をひまわり、野村自身を月見草にたとえたこの名言はどのようにして生まれたのであろうか。

  断っておくが、私は野村が好きというわけではない。むしろ嫌いである。しかし、この「ひまわりと月見草」の話だけは私の心に響くものがあるので、これを題材にして少し話を進めようと思う。

  野村は、ホークスにテストを受けて入団し、3年目くらいから捕手として頭角をあらわした。3冠王にもなった。捕手としての実績、打撃成績はここまでの捕手の中でナンバーワンといって良い。

  一方の長嶋は、東京六大学野球のスター選手としてジャイアンツに華々しく入団、その後の選手としての実績も、もちろん素晴らしいものがある。この辺はいうまでもないであろう。

  さて、ポジションこそ違え、共に打撃成績では一流の域で互角、いやむしろ野村の方が上である。それなのに、長嶋はジャイアンツという環境にいるだけで、悪い言い方をすればちやほやされ、一方の野村は活躍すれどもあまり注目されることはなかった。野村は常に長嶋が羨ましいと思い続けたのである。そして長嶋に対するねたみとかそねみのような気持ちをばねにして、野村は長嶋の打撃成績よりも上をいった。ねたみ、そねみ、やっかみこそは人間を成長させる大きな要因なのかもしれない。

  しかし、それでもやっぱり長嶋は世間の注目を常に浴び、野村にはあまり良いイメージがつかなかった。野村としてはずいぶん歯がゆい思いをしたはずである。だから「ひまわりと月見草」という言葉も出たのだと思う。

  太陽の光をたっぷりと浴びて、大きく咲くひまわりに対し、静かな夜にひっそりと花開く月見草。月見草はひまわりに比べて世間からあまり注目されることはない。でも本当は月見草だってみんなに見られたい、注目されたいのである。

  この「ひまわりと月見草」の話を聞くと、2年間で3度の挫折を経験した私としては、どうしても自分自身を月見草の方にしか置き換えることができない。ひまわりが誰であるかは、この際あまり重要ではない。

  人間誰もが何かしら目標を持って生きている。そしてそれは雑な言い方かもしれないが、「世間に自分を認めさせるため」「世間に認められたい」ということではあるまいか。

  不思議なもので世の中には恵まれた境遇の中でそれほど苦労もせずに甘い汁を吸って生きている人々がいる。努力が報われ成功した人々がいる。それはそれで結構なことで、私は彼らを否定しようとは思わない。ただ、そういった人々が有頂天になって気付きにくい中で、世間に注目されないが、実質的に世間を支えている人々が実際いるのである。それは解ってほしい。そしてこうしたことはどうしようもないのかもしれない。

  しかし、だからといって月見草はくすぶってしまうわけにはいかないのである。月見草には月見草の美しさがあるではないか。その意味において月見草はひまわりを超えることができる。野村だって監督として当時は弱小だったスワローズを率い、長嶋率いるジャイアンツを制して何度も日本一になったではないか。「月見草はひまわりを超えた」のである。

  私自身のことを書かせてもらえば、2年間で3度の挫折を経験し、世間のせち辛さを痛いほど味わった。その一方で、なぜだか解らないが楽な人生を送っている人も見てきた。ずいぶん悔しい思いをした。そしていつしか自分を「月見草」に置き換えていた。

  だから、心の奥から私は叫びたいのである。「なめんなよ」と。「絶対にはい上がってみせる」と。

  繰り返しになるが、私はひまわりではなく月見草である。「月見草がひまわりを超える日」は必ずやってくる。私自身について、そう信じずにはいられない。

 

 

 

 

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