なお、冒頭の写真シフノスの宝庫の北側フリーズについて
注:ローマ帝政期五賢帝時代の二世紀後半、パウサニアスの記述は、

シフノス人の宝庫

シフノスの人たちによってもつぎのような理由から宝庫が建立された。シフノスの島には金の鉱山があって、神(アポロン)はその産出高の「十分の一」奉納をデルフォイに納めるよう命じ給うた。そこで彼らは宝庫を造営して、「十分の一(デカテー)」奉納も納めていた。ところが飽くなき物欲に憑かれて納金を怠ったところ、海の水が溢れて彼らの鉱山を掻き消してしまった。

『ギリシャ案内記』下 パウサニアス著 馬場恵二訳 岩波文庫 青460-2 P217, 1992

 なお、パウサニアスによれば、最悪の人間はネロであって、
 「彼は神々と人間をないまぜにして500体の青銅彫像をアポロンから奪い去った」よし。
同書、P197

 一緒に発見されたのは、一個の石の台座の破片であり、二行の奉納のための韻文文言(エピグラム)が保存されていた。最初の一行は古代に訂正され再度刻銘されたにちがいなく、このエピグラムの読み取りと解読が難しい。読み取れるのはポリザロス(Polyzalos)という名前である。これはシラクサの暴君、デイノメネス(Deinomenes)の四人の子の一人である。紀元前479年ヒメラ(Himera)でのカルタゴにたいする戦勝を記念して、デイノメネス家によってデルフィに奉納された金の三脚台は古代では有名であった。この出来事と同時代のことだが、ギリシャ詩人バッキュリデース(Bacchylides)とピンダール(Pindar)は、ポリザロス(Polyzalos)の兄弟であるゲロ(Gelo)とヒエロ(Hiero)を(デルフィでの)ピシアン競技ならびにオリンピック競技での立派な殊勲を褒め称えた。というわけで、馭者付きの四頭立てはポリザロスによって奉納された、彼自身の、あるいは彼の兄弟達の、優勝記念なのである。

 全ギリシャの競技会に参加した馭者達は、高貴な素性の若者達、二輪戦車と馬の所有者である貴族達であった。典型的な袖のある、細い足首までの丈のある長い上着(チュニック)を着た軍事訓練中の若者がデルフィの「二輪車を駆る人」なのである。幅広のベルトで腰の上で上着を締め、背中で二本の紐を交差させて、乗り物を走らせているときに服装がふくらむのを防いでいる。チトンの深い垂直なひだは、立柱の丸溝ひだに似ている。反対に、上体の曲線ひだが堅さとか堅固さの印象を解消させている。頭部は鑑賞者のやや左手の方向に向けられており、長い指は手綱と突き棒(多分)のまわりを覆っている。

「二輪車を駆る人」は四頭立てのより大きな青銅製の作品の一部をなしている。馬の後ろ足二個、尾一個、軛の破片、手綱の破片のある若者の手、がこの像の近くで発見された。完全な作品の復元について当該の学者達は意見の一致をみていない。(復元されるとすれば、)四頭の馬が馭者により操縦される二輪戦車を曳くことになろう。一人か二人の子供が脇に乗り、外側の馬の手綱を持つ。競技は終了し、勝利した馭者がチャンピオンのヘッドバンドをつけて、拍手喝采する観客の前を行進する。

(注:Poseidon Artemision アテネ考古学博物館)

(注:Riace Waorriors イタリア、カラブリア州、リアーチェで19728月に発見された青銅像。デルフィ奉納作品のコピーではないか、と想像されている。Museo Nazionale della Magna Grecia, Italy Calabria

(館内説明文の翻訳)

二輪戦車を駆る人の像は、自然災害のお蔭で保存された。というのも、これは紀元前373年の大地震の残骸のなかに埋められていたからだ。これが盗掘と破壊を逃れた理由である。文献や碑文に記述されたデルフィ聖域の大規模な青銅作品は、そのどれもが残っていない。第三聖戦(356-346BC)の間に、幾つかは破壊されたし、その他は強奪されてしまったのに違いない。その間はフォキス人がこの聖域を占拠し、戦費を調達するために貴重な奉納物を鋳改してしまったのだ。ローマ時代にローマへ輸送されなかった作品は多分、家庭用品製造のための金属を必要としたこの地域の住民達によって再鋳されてしまった。1896年の大発掘の際にこの「二輪車を駆る人」が発見されたことは、熱狂状態を引き起した。というのも、古典期の作品で元来のサイズの青銅像はそれまで発見されたことがなかったからである。幾年もののち、「二輪車を駆る人」と同時代のしかも同等の芸術的価値のある、リアーチェの戦士達とアルテミシオン岬からのポセイドンが海底で発見された。古典ギリシャ期の彫刻大家達はほとんどが青銅を使ったのだが、ローマ時代には大理石を使用した複製品が作製されたことはご存じだろう。

8. 二輪戦車を駆る人

(館内説明文の翻訳)

アテネのプロナイア聖所にあった円形の祭壇。

この祭壇の周囲を取り巻く彫刻装飾はペアをなしている12人の若い乙女達であり、葉っぱでできた冠に装飾帯を優雅に架けている。この作品は多分、音楽会あるいは劇場公演フェスティバルの準備をするために聖所を装飾している場面であろう。

7. 円形の祭壇

(館内説明文の翻訳)

大理石の「臍」はアポロ神殿の北東にあたる地区で発見された。これは多分、預言の応答が(神託を伝えたデルフィのアポロ神殿の尼僧)ピシア経由でくだされる場所、アディトンに立っていた「臍」の形状の複製であろう。これはヘレニズム時代あるいはローマ時代に作られたコピーであるとみなされている。レリーフ彫刻は、もともと神聖な物体を包む羊毛の網、を表わしている。神話学によれば、この「臍」は地球の中心を標しており、ここでゼウス神によって地球の反対側で解き放たれた二羽の鷲が落ち合ったのである。最近の説によれば、この大理石の「臍」はもともと「踊り子」柱のてっぺんを飾っていたものであるよし。

Chitonの説明:

(館内説明文の翻訳)

白地のキリックス(kylix)(二柄付きコップ)。デルフィの墓地で出土。作者不明のアテネ人陶工の作品。白地の上にアポロン神が描かれている。ひめつるにちにち草の花輪を被り、一脚の椅子に座っていて(足はライオンの足の形)、白い(古代ギリシャの女性が着ていた)ペプロス(peplos)と赤いヒメーションを左肩にまとっている。左手の指は古代ギリシャの竪琴「リラ」の弦に触れている。一方右手は献酒を差し出し、ワインを小型のガラス器から注いでいる。アポロン神に寄り添っている黒い鳥は多分カラスで、アポロン神の美しいエーグル=コローニ(フレジアス王の娘)への神話上の愛情を思い出させる。紀元前480-470

5. キリックス

(館内説明文の翻訳)

金の王冠を着用した金と象牙製の女性像。女神アルテミスであろう。(注:アルテミス=月と狩猟の女神)

これにさらに二つの金/象牙像が加わって、デロス三神(アポロン、アルテミスとその二人の母親レートー)を構成していた。問題の頭部の大部分は蝋で修復されているが、顔の特徴は残っている。すなわち、アーモンド型の目、溝と埋め込み物で作られたアーチ状の眉毛、アクセントをつけた頬骨ならびに肉付きのよい唇である。この王冠ベルトは流れ渦巻き模様で装飾されている。イオニア様式の一例でサモス島の工房で多分紀元前6世紀に作製されたものであろう。

4. アルテミス像

クーロス像についてはアテネ国立考古学博物館「彫刻」の項で説明予定。

(館内説明文の翻訳)

奉納物である青銅製のヘルメット、コリント様式、神話学の画像(雄牛に騎乗するエウロペ)と戦う動物の彫刻つき。紀元前7世紀。(注:エウロペ=EuropaZeusに愛されたフェニキアの王女)

2. ヘルメット

このスフィンクスは、ナキソス島産出の大理石の巨大なブロックに彫刻されていて、そのがっしりして堅固な構造に、髪、胸、翼への装飾性をくわえ、巨体という印象を和らげている。紀元前4世紀に柱の基盤に刻まれた記銘によれば、アポロ神殿の神職達はナクソス市民にはプロマンテイア、すなわち「神託を受ける優先権」を与えた、という。

(館内説明文の翻訳)

西暦前560年頃、豪華なシフノス宝庫(シフノス市民国家によりデルフィに奉納された建物)の建設に先立ち、もう一つの市民国家、キクラデス諸島のナクソス島がデルフィのアポロに壮大な奉納物を送りつけた。すなわち、神話に出てくるスフィンクスであった。その並外れた大きさ、人に与える印象、ならびに聖域のなかの設置場所(シビル(巫女)岩の近くで、寺院の壁を保持するポリゴナル堂の真正面)は、古代におけるナクソス島の政治的、芸術的優位性を誇示するものであった。女性の顔、謎めいた微笑、ライオンの身体、鳥の翼をもつこの悪魔じみた動物は、悪を撃退する機能をもつものと考えられていた。また、これは非常に高いイオニア式柱頭に置かれており、デルフィのイオニア様式のうちもっとも古いアイテムであるとみなされていた。あれやこれや含めて、このナキソス島の奉納物は高さが12.5mに達した。

フランスが1891年、国費を投じてデルフィの発掘調査をして、「アテネ人の宝庫」という遺跡を復元したのが発端のようだ。

写真:博物館入口にあるデルフィ神域の復元図。左下に保護ガラスの反射が映りこんでいますが、無視してください。

疑いもなく素晴らしいコレクションを蔵する第一級の博物館で、収蔵品を見てまわると、紀元前4-5世紀頃のギリシャ人の感性が痛いほど感じられてくる。私の選択眼に従って、順不同で画像の選択を行ない、場内説明文を翻訳しておきました。

1. スフィンクス

デルフィ博物館

              2011/05/19

3. クーロス像

写真:シフノスの宝庫の北側フリーズ

 では皆様、ご機嫌よう。

 この立像は、マグナ・グラエキア(シシリーの沿岸部)で働いていたギリシャ人青銅彫刻家の作品、多分サモス島出身のピタゴラスの作品に違いない。彼はデイノメネス家が政権を握っていた時代は、(現在のイタリアの)レッジョ・ディ・カラブリア(Reggio Calabriae)に亡命していた。文献によれば、ピタゴラスは対称と部分の完全な表現とを求めた人物だ。疑いもなく、この「馭者」は古代から古典時代(480-460BC)への過渡期における厳格様式の傑作である。

写真:オンファロスの石=「臍」、右奥には「踊る女性達の像」335-325BC

  左の女性は chiton を着ている。右の二人はchiton の上にhimationを着ている。
himation Wiktionary英語版 より)

6. オンファロスの石

写真:
クレオピスとピトン
580年頃アルゴス人により奉納された。
大理石、高さ216cm