付記

(まえにご紹介したProf. Dr. Alfred B. Sullivanによれば、『独立宣言』には、アイルランド人哲学者Edmund Burkeの文章、”Governments should gradually progress. If no changes are made, you will have a revolution”という漸進保守主義も取り込まれているという。)

 日本語に翻訳すれば、

       われわれは、自明の真理として、
   すべての人々は平等に造られ、造物
   主によって、一定の奪いがたい天賦
   の諸権利を付与され、その中に生命、
   自由および幸福の追求のふくまれる
   ことを信じる。

(松本 重治訳 世界の名著33 『フランクリン ジェファソン マディソン トクヴィル』中央公論社 1976 より)

となるが、これと比較すると原文には、日本語訳では味わえない説得力と詩的飛翔感が備わっていることに気付かれることだろう。

モンティチェロ(Monticello

              2011/10/24

 「平等」と「自由」については『統治二論』、「幸福の追求」については『人間知性論』からの概念の引用だと一蹴することもできようが、この二冊の本の内容をたった7行の詩片で表現する能力はただごとではない。

 トーマス・ジェファーソンのこのたぐい稀な能力によって、アメリカの国は一つに纏り、アメリカの民主主義が成立した。

  独立宣言の第二節目をここに引用して見よう。


        We hold these truths
       to be self-evident,
       that all men are created equal,
       that they are endowed by their Creator
       with inherent and unalienable rights,
       that among these
       are life, liberty, and the pursuit of Happiness

伝統的にイギリス植民地の大学の教官はイギリス本国から派遣されていたものだから、ジョン・ロックによる経験主義であり、ドイツの形而上学はいわゆる「カルト哲学」として排斥されていた。だからというわけでもないが、ジェファーソンは、プラトンを単なる「神秘主義者」として切り捨てるごく当たり前な常識を身に付けた。

彼は同大学に、1760325日に入学し
16歳)、1762425日に卒業した(19
歳)。この間、指導教官は、

   ウィリアム・スモールWilliam Small
       自然哲学(今でいう自然科学)、数学

    ジョージ・ワイス(George Wythe
       法律

が主要人物であったが、三人目はなんと

       フランシス・フォーキエ(Francis Fauquier
           ヴァージニア植民地の総督代理
      (実質的な総督)

であった。これにジェファーソンを加えた四人
は年齢差に関係なく「仲良し四人組」となり、
総督公邸で食事をし、ダンスを楽しみ、音楽に
興じた。ジェファーソンはヴァイオリンが得意
だった。こういう交遊のなかで、年上の三人が
若いジェファーソンに政治哲学を教え込んだも
のと思われる。あるいは少なくともジェファー
ソンはこの三人から確認を取り付けたに相違な
い。

日本では、「世俗諦」と「勝義諦」の相反する認識を滅却して「空」の概念に到達し、(仏教)哲学を完成させた聖徳太子が、「では、人間関係をいかに保持させるべきか?」というテーゼにたいし、「和」を主張して、十七条の憲法を制定するにいたった。

この聖徳太子の業績のうち、前半の「『空』の概念に到達した」のはジョン・ロックだが、後半の「『和』を主張して十七条の憲法を制定した」聖徳太子の能力に匹敵しているのがトーマス・ジェファーソンだと断定してもかまわないだろう。

 トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)というひとがアメリカの民主主義(American Democracy)の基礎を作った。『独立宣言』という文書で民主主義の理念を明確化し、その文書が議会で議決され、署名され、公開された日、すなわちフィラデルフィアの独立広場で読み上げられた日が177674日であり、現在も独立記念日として祝われている。

画像:モンティチェロのパンフレットから

なお、シャーロッツビルから64号線を西方に30kmほど走ったところ、アフトン(Afton)にシェナンドー国立公園に入る入口があり、私は入場料15ドルを支払ってスカイラインを走ってきました。バード・ビジター・センター(Byrd Visitor Center)のあたりが紅葉がきれいでした。


では、皆様ご機嫌よう。

さて、上に掲げたのはモンティチェロの俯瞰図であるが、彼はこのモンティチェロの東方リヴァンナ川(Rivanna River)越しのすぐ近くにあるシャドウエル(Shadwell)で生まれた。

 彼は大学卒業後、弁護士となり、1768年(25歳)、モンティチェロの建設を始めた。

 モンティチェロはシャーロッツビルのすぐ近くにあり、シャーロッツビルの街にはジェファーソンにより建設されたヴァージニア大学がある。

画像:西側から眺めた総督公邸、絵葉書から

 トーマス・ジェファーソンがどこで誰からジョン・ロックの『人間知性論』、『統治二論』を教えてもらったか、という疑問だが、ウィリアムズバーグにあるウィリアム・アンド・メアリー大学に間違いない。

そのアメリカ民主主義の父ともいうべき大天才が住んでいた住居がモンティチェロなのだから、日本人の感覚からすれば、モンティチェロはさだめし「法隆寺」なのであって、だからモンティチェロには訪れる人の波が絶えることがない。

写真:ジェファーソンの墓

画像:Monticelloのパンフレットから

画像:
Thomas Jefferson’s Monticello
Thomas Jefferson Foundation, 2003

写真:モンティチェロの庭園

 トーマス・ジェファーソンが理念を作ったのではない。理念を作ったのは、イギリスの哲学者ジョン・ロックであり、その原典は『統治二論』1690(とくに後編)であった。

が、アメリカの独立戦争中、ロックの理念を短く、力強く、美しく、表現する知力がトーマス・ジェファーソンに備わっていた。その理念の象徴的な表現力は天才的であって、今現在にいたるまで、アメリカには彼を越える天才能力者は出現していない。

写真:モンティチェロの西側

写真:モンティチェロの庭園

画像:
トーマス・ジェファーソン
木製カンバスに油彩 
ほぼ
1821
ギルバート・ステュワート 
アメリカ人
1755-1828
ナショナル・ギャラリー ワシントンDC

写真:アメリカの紅葉。日本の紅葉とは色がちょっと違いますね。

写真:トーマス・ジェファーソンの銅像