三澤先生記念文庫の概要

Overview

三澤勝衛先生

 三澤勝衛先生(1885~1937)は諏訪清陵高校の前身、旧制諏訪中学に18年間にわたり勤務され、その間、地理を中心に教鞭を執りながら、研究者としても活躍され、生徒・地域・学会に多大な影響を残されました。

 特に太陽観測は、諏訪中赴任の翌年の1921年から左目失明の1934年末までの13年余の精密な観測で、その観測結果は、京都大学花山天文台から発行される英文会報「BULLETIN」に掲載され、毎月世界観測者に向けて報告されました。当時の長期継続観測は、世界でも希少であり、当時から世界的に注目されました。

 本校における太陽観測は、先生の没後、昭和25(1950)年に三澤先生の方法を引き継ぐ形で天文気象部により再開され、その後今日まで60年間にわたり継続されています。

 先生の研究者、教育者としての業績は、2008年末から2009年にかけて著作集(三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 全4巻)が発刊されたことなどから、再評価の機運が高まっています。


三澤先生の地理学

 地理学は「風土」を対象とする学問である。「風土」とは大地の表面と大気の底面の接触面のことであり、その接触面はもはや大地でも大気でもない独立した「化合物」である。その接触面の問題を解決するためには、土壌学、植物学、動物学、農学、工学、人類学、民族学等々の資料が必要となるが、それら各方面の資料を集積しただけでは用をなさない。

 そういった各専門分野の領域に属する縦の研究ではなく、むしろ横の研究が必要となる、それらが互いにあいまって接触面の性質をいっそう鮮明に表現している「一つの統一体」を通して、接触面の性質を明らかにする必要がある。そして、それこそが地理学の目的である。


三澤先生の教育観

 由来、教育というものは、教えるのではなく学ばせるのである。その学び方を指導するのである。背負って川を渡るのではなく、手を曳いて川を渡らせるのである。

 既成のものを注込むのではない。構成させるのである。否、創造させるのである。

 只、他人の描いた絵を鑑賞させるだけではない。自分自身で描かせるのである。

 理解の真底には体得がなければならないのである。それがその人格そのものの中に完全に融け込んで、人格化されて行くところのものでなければならないのである。-「新地理教育論」より-


施設設備・収蔵品の概要


旧文庫

建物: 60m2(18坪) うち書庫11.5坪,事務室6.5坪
着工: 昭和39年10月27日 完成:昭和40年 3月20日
開館: 昭和40年4月25日

新文庫(本校全面改築(昭和60〜63年)にともない,新築移転)

建物: 84m2(24.5坪) うち書庫42m2,事務室28m2
着工: 昭和62年7月3日 完成:昭和62年12月19日
開館: 昭和63年4月1日

収蔵品

  • 三澤先生の収蔵品(11,675冊),原稿・資料等,その他
     論文・著書:生前に刊行されたもの124篇,没後の刊行13篇
     単行本(3,291冊),学術雑誌(171種 7,013冊),
     論文別刷(1,371冊:各地の研究者との論文交換で蒐集)
     原稿・写真,フィールドノート,地図・資料・標本等(2千数百点)
     昭和48年4月『三沢勝衛地理研究資料目録』として整理・公刊。
  • 御子息(次男)春郎氏の収蔵品(269冊)
  • 文庫開設後の収蔵品:現在 約4,000冊
     新購入図書・雑誌・資料,寄贈論文・図書・雑誌等。
  • 牛山文庫:62冊
     故牛山正雄先生の御遺志金により購入。

三澤勝衛先生の略歴(年齢は満年齢)

1885(明18)年 更級郡更府村大字三水字今泉140番地(現長野市信更)に出生。
1899(〃32) 水内尋常高等小学校高等科卒業,農業に従事。
1902(〃35) 更府尋常小学校で補助代用教員(満17歳)。さらに島内小学校(1905)・臼田小学校(1907)に勤務。この間,1903(明36)年の小学校教員免許状を皮切りに,専科正教員農業科(1904)・尋常科正教員(1905)・小学校本科正教員(1907)の免許状を次々と取得。
1908(〃41) 臼田小正教員(23歳)。以後,須坂小(1910)・松本小(1911)・更級郡中津小(1915)へと転任。
1915(大4) 文検(文部省検定)合格(30歳):師範学校・中学校・高等女学校の地理科免許状取得。
1918(〃7) 松本商業学校(現,松商学園高等学校)教諭(33歳)
1920(〃9) 諏訪中学校教諭(35歳)。文検(博物科の内鉱物)合格・免許状取得。
1921(〃10) 6月ごろ太陽黒点観測を始め,以後14年間観測を継続。
1922(〃11) “諏訪製糸業の地理学的考察”(「地理教材研究」第2輯)発表。以後,”諏訪製糸業発達の地理的意義”(「地理学評論」2-10・11 1926:大15))・“八ヶ岳火山山麓の景観型”(「地理学評論」5-9.10 1929:昭4)など多くの論文を発表。
1934(昭9) 49歳。長年の太陽黒点観測の結果左眼の視力衰退。白内障と診断(10月)され,左眼失明(12月末)。また秋頃より消化器系統疾患,食欲減退。
1935(〃10) 胃の異常を訴え,東大青山外科に入院。胃癌の疑いで手術し,胃の1/2を切除。2週間で退院。
1936(〃11) 51歳。胃疾再発。
1937(〃12) 52歳。8月18日午前5時逝去。前日の夜まで「信濃地理」執筆に努力。

三澤先生のお仕事・考え

1.研究者として

(1)天文学:太陽黒点の継続観測。

(2)小気候学(局地気候)

(3)人文地理学・風土学

(4)地理教育論


2.教育者として:教えを受けた人々に多大な影響

(1)諏訪中学校「科学会」の指導・育成

(2)「新地理教育論−地方振興とその教化」(古今書院:1937)

(3)第7回世界教育会議に論文”地理学と地理教育との交渉”発表(1937)(先生病床のため矢沢大二氏代読)


3.先生の考えの一端

東洋の学は高く,西洋の学は深い。

されば学殖の増進に伴い,東洋の学はその視界を益々広大にし,是に反して,西洋の学は愈々その視界が狭隘となる。

従って,東洋の学は結合に趣き,思考思索に長じ,是に対して西洋の学は分析に傾き,実験観察に宜しい。

されば,今日並びに今後の学徒は,その両者の教養に努力を惜しんではならない。


教科書は古墳にして,著書は墓場であるが,学会は戦場である。したがって発表論文には,ときには誤謬があり,血が出るかも知れないが,生命は脈々と迸っている。

真理を愛する学徒よ友よ,生きた知識を求むるならば,学会とその機関誌とを退けてはならない。


「由来,教育というものは,教えるのではなく学ばせるのである。その学び方を指導するのである。

背負って川を渡るのではなく,手を曳いて川を渡らせるのである。

既成のものを注込むのではない,構成させるのである。否,創造させるのである。

只,他人の描いた絵を観照させるだけではない。自分自身て描かせるのである。

理解の真底には体得がなければならないのである。それがその人格そのものの中に完完全に融け込んで,人格化されて行くところのものでなければならないのである。

何時までも永く生きて居るものでなければならない。従って,地理科に於いても地理的的考察力の訓練を重視するのである。既ち地理的知見の開発だけではない。更にその性格迄も陶冶し,自律的に行動し得る様にまで指導する,過分に感情及び意志に対して迄も深い交渉を持ち続けて行くべきものである。

要は魂と魂との接触でなくてはならないのである。

否,共鳴でなくてはならないのである。」『新地理教育論』より

三澤先生に関する文献・資料

(1) 文庫開設記念文集『三沢勝衛先生』三沢先生記念文庫発起人会 1965(昭40)年7月発行
(2) 「信濃教育」第959号『特集三沢勝衛先生』信濃教育会 1966(昭41)年10月発行
(3) 『三沢勝衛地理研究資料目録』−所蔵諸資料の一覧・解説−(整理者:小林茂樹氏) 三沢先生記念文庫 1973(昭48)年4月発行
(4) 『信州教育の墓標−三沢勝衛の教育と生涯』 藤森栄一著 学生社 1973(昭48)年9月発行
(5) 『三沢勝衛著作集』(全3巻) 矢沢大二編 みすず書房 1980(昭55)年発行
(6) 『風土産業』 三沢勝衛著 古今書院 1986(昭61)年発行
(7) 『三沢勝衛−風土・魂の教育者』 宮坂勝彦編 銀河書房 1986(昭61)年発行
(8) 『風土の教育力−三沢勝衛の遺産に学ぶ』 宮坂広作著 大明堂 1990(平2)年発行
(9) 三澤勝衛著作集 「風土の発見と創造」全4巻 三澤勝衛著 農山漁村文化協会
  第1巻 地域個性と地域力の探究
  第2巻 地域からの教育創造
  第3巻 風土産業
  第4巻 暮らしと景観/三澤「風土学」私はこう読む
2009(平成21)年
2月28日発行
(10) 三澤勝衛「風土産業」を読む -未来をひらく真の地方振興の道- 志村明善編著 あざみ書房 2017(平成28)年
4月27日発行

その他

  • 所在地:長野県諏訪市清水1-10-1 長野県諏訪清陵高等学校内
  • 一般公開:毎年7月中旬「清陵祭」(学校祭)期間中の土・日(午後1-4時)
  • 見学:本校授業日(随時) 事前にご連絡下さい
    諏訪清陵高等学校内三澤先生記念文庫係(0266-52-0201)