私的  Ritchie Blackmore 論    

 

 師匠との出会いは、私が高1の時でした。師匠狂いの友人宅へ遊びに行くたびに、やれパープルだ、レインボーだの当時の私にとって雑音でしかない物を聞かされているうちに、Minstrel worldにだんだんハマっていきました。で、最初にダビングさせてもらったテープが、DEEPEST PURPLE,IN ROCK,STORMBRINGERの入った120分のカセット。方向性の見事に違う3作品を一度に聴いて、コリャ難しいなあと思いつつも、一番インパクトがあったのが、BURNでした。邦楽しか聞かなかった私にとって、一曲6分台という長さも、えっ、という感じでしたし、その長さを感じさせない、曲のもつ整合感、緊迫感、何よりもギターソロのメロディライン。真に完璧でした。
しかも、このグループはすでに解散したと聞いて、無い物ねだりではないですが、もっと聴いてみたい気になったと思います。話によると、リッチーブラックモアというギタリストが曲創り、ライブでのイニチアシブを握っていたとの事。彼は現在(’80年当時)レインボーを結成し、ナカナカの人気らしい。でも、テレビやラジオでは目や耳にしたことは無いけど、そういう世界があるのか、という感じでした。
 リッチーという人物はどうも変人っぽい。黒しか身に纏わない、ギターを破壊する、インタビュー嫌い、ツアー中もメンバーやスタッフとも行動は別、黒魔術に傾倒している、日本のファンに‘WELCOME TO JAPAN’とメッセージを書く、そしてハゲだ。彼の楽曲への溺愛指数があがる毎に、そんなキャラに多感な年代の自分をオーバーラップしていくようになりやした。そういう聴き方って身に覚えがある人もいますよね。とにかく、リッチーに成りたい一心で、黒しか着ないとか、ジミヘンやバッハが好きだと聴けば真似をし、当然ギターも買って自分のセンスの無さに愕然としたりナドナド。ハードロックという拡散性のあまり無い世界で30年近くも第一線で活躍できたのは、楽曲の素晴らしさはもちろんですが、こんなミステリアスなキャラも手伝っていたような気もします。ほんとは、リチャード・ハロルド・ブラックモア氏は、いつしか周りが期待するRITCHIE BLACKMOREを演じていただけかもしれない。さらに、ML,BURRN!,炎を通じての酒井 康氏のサポートも見逃せない。
 リッチーほど、そのポピュラーさ故に過小評価されたミュージシャンはいないと思います。ハードロックファンでリッチーが好きだ、と言うのはあまりにも当たり前すぎだと思いません?70〜80年代はリッチーをきいてハードロックに目覚めた人が大半だったと思われます。そんな時代、私がリッチーが好きだと言うと、‘まだそんなの聴いてるの’というリアクションが多かったような気がします。別な言い方をすれば、いずれリッチーまたはロックは卒業するものである、と。でも熱しやすく冷めやすく、物事に執着せず、何事にも飽きっぽい私が、これほど熱中しているから、これは本物だな、という確信がありましたから、却って、‘この良さを解らないなんて、哀れな連中よ’思ってましたけど(ほとんど宗教に近いものがあるな)。数年前日本人ミュージシャンによる、DEEP PURPLEのトリビュートアルバムが発表されました。トリビュートアルバム、かくあるべしの素晴らしい内容でした。愛聴するうち解ったのは、結局皆、リッチーのことが好きなんだということです。愛情と尊敬の念が無ければ、あの内容にならなかったでしょう。
 97年にBLACKMORE’S NIGHT名義の‘SHADOW OF THE MOON’が発表されました。パープルからレインボーまで聴いてきたファンにとっては、違和感の無い内容でした。なぜブラックモア・ミュージックが好きか再確認させてくれました。(ほんとはイロボケしたかと思ってましたけど)あともう一枚出してくれないかな。
 一生付いていきますから、長生きしてちょうだいと思う今日この頃です。

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