ALSと親父

 親父の身の回りの出来事を紹介します
親父 永眠 2007.11.21
仕事から家に帰った直後、母親から電話がありました。病院から電話があり、親父の脈がだいぶ落ちてきてしまっているので、元気付けに着てほしいとのことでした。朝病院に行ったときはいつもと変わらない状態だったので、大したことはないだろうと思っていました。
母親とすぐに病院に行くと、病院の入り口で病院の人が待っててくれ、案内してくれたので、これはただごとではないと予感しました。病室に行ったときにはほとんど脈がない状態でしたが、親父の手を握り、『がんばれ、がんばれ』と励ましました。ほとんど意識はない状態でありましたが、親父の目から一粒の涙がこぼれ落ちました。なんとか回復してほしいという願いも叶わず、親父は永遠の眠りにつきました。とても穏やかないい顔をしていました。
親父は千の風になって、私達家族を見守ってくれるでしょう。
親父 今までたくさんの幸せをありがとう。
孫の七五三 2007.11.04
親父の孫のあんちの七五三をやりました。我が家にとって最後の七五三です。親父は9月に入院して依頼、肺炎は良くなりましたが微熱が続いており、しっかりしている日もありますが、薬のせいもあるのか意識が遠くなっています。口から食事を摂る事もできなくなったため、点滴で栄養摂取しています。この日もほとんど寝ている状態でした。コミュニケーションもとりにくくなってしまいました。あんちの着物姿を見てくれただろうか。
何とか復活してほしいと思います。

敬老の日 2007.09.17
親父は入院中でしたが、敬老の日に子供達が絵を贈ってくれました。せっかくなので、病室のベッドの正面に貼らせていたただきました。親父は耳も遠くなり、頭もスッキリしないみたいであまり会話もありませんでしたが、喜んでくれていました。
肺炎もだんだん良くなってきているようなので、家に帰れる日が早くくることを期待しています。
緊急入院 2007.09.03
9月3日の朝、親父は胸が痛いといい、痰の状態も悪かったため訪問看護の方に来ていただき診てもらいました。パルスオキシメーターの値も『92』程度ありましたが、親父は元気もなく、調子がかなり悪そうだったため、救急車で入院となりました。検査の結果、肺炎でした。ALSを告知されてから3回目の肺炎です。飲み込みも悪くなり、口から食事を摂ることもできなくなってしまいました。親父は現在治療中ですが、食事が口から摂れなくなったこともあり、なかなか元気がでません。そろそろ胃ろうの時期かもしれません。親父には、なんとかがんばって乗り越えてほしいと思います。
(記:2007.09.12)
パソコン特訓 2007.08
『伝の心』を支給いただいたので、親父のパソコン教室を始めました。親父はパソコンなど触った事もないので、何がなんだかわかりません。まずは、よく使う日常使用文と、テレビなどの機器操作を練習しました。自分は仕事でもパソコンを使用しているので、『伝の心』は比較的簡単だと思うのですが、パソコン初体験の親父にとってはとても難しいようで、説明するとその場ではできるのですが、次の日には忘れているといった感じでした。毎日同じことを繰り返し練習して、日常使用文と機器操作はなんとか覚えました。メールとインターネットも少し体験してみました。孫や嫁や娘とのメールの交換をし、手紙が一瞬にして届くことに驚き、また楽しんでいました。パソコン操作を習得することで、世界が広がると思います。このホームページを見て、時々親父宛にメールをいただきます。今は自分からメールの返信をさせていただいていますが、親父自身から返信ができるように練習していきたいと思います。
それにしてもなかなか覚えないので、ついつい大声を出して怒ってしまいます。怖い先生です。
退院 2007.8.13
肺炎もだいぶ良くなり、8月13日に退院し、在宅生活を送っています。お盆を家で過ごせるか心配でしたが、お盆前に退院することができました。お盆中は、妹家族が来て近くに外出し、みんなで焼肉会をしました。親父は肉を飲み込めないので、味だけ楽しみました。(外出記録をご覧ください)
8月11日にパソコン『伝の心』がきました。ほとんど自己負担なしで支給していただきました。親父はパソコンに触れた事がないのでちょっと心配ですが、難しく考えずにメールやインターネットなどを楽しみながら覚えていけたらいいなーと思います。
年賀状に各人に一言コメントを書く事を目標にコツコツがんばろう!
無気肺、軽い肺炎 2007.07.20
親父が軽い肺炎になってしまいました。左の肺が小さくなっているようです(無気肺)。ALSと診断されてから2度目の肺炎です。一度目は重い肺炎で、一時は危篤状態になってしまいました。今回は比較的軽いという事で、親父自身もそんなに心配していないようです。食事も普通にしています。病院の方々にも、治療、体位変換、リハビリなど回復のため対応していただいています。
7月31日に退院して在宅生活を送る予定でしたが、ひょっとしたら延期されるかもしれません。親父は在宅を楽しみにしているのでちょっと残念ですが、しっかり治してほしいと思います。
お盆までには家に戻れればいいなーと思います。
散歩 2007.07.01
車椅子対応の車をレンタルし、家族で初めて車で諏訪湖に外出しました。
(外出記録をご覧ください)
最近の親父 2007.06.24
現在親父は在宅で生活していますが、いまいち元気がありません。病気のことなど色々と気になっているのかもしれません。まだ、病気を受け入れられないのかもしれません。受け入れられる日がくるかもわかりませんが、無理して受け入れなくてもいいような気もします。でも、元気で生活してほしいものです。最近はだいぶ体が疲れるようです。早く何か趣味を見つけてくれるといいと思っています。
元気のない親父の近くにいると、自分まで元気がなくなります。ということは、元気のいい人の近くにいると元気が出るのだと思います。家族みんなで元気を出していこうと思います。
梅雨が明けたらちょっと外出しようと思います。
お花見 2007.04.21
近くの広場に家族でちょっとお花見に出かけました。長女は中学のバスケットボール部の練習で欠席でした。残念です。(外出記録をご覧ください)
初めての外出 2007.04.14
初めて近くの広場に外出しました。(外出記録をご覧ください
在宅生活 2007.04.09〜
2回目の在宅生活のスタートです。前回2週間在宅したので、介護の方も少々なれたと思います。車椅子にも乗れるようになったので、外出も楽しみたいと考えています。自宅に帰る時も車椅子で移動しました。
親父はいまいち元気がありません。ちょっと元気な日があれば、落ち込んでいる日もあります。現在パソコン(伝の心)を手配しています。パソコンを勉強すれば、世界が広がります。早くパソコン使えるようになって元気に生活してほしいと思います。
親父の孫の卒園式・入学式 2007.03.23/04.04
3番目の子(あんち)が保育園を卒業し、小学校に入学しました。末っ子なので、もうちょっと保育園のままでいてほしい気もしますが、そうもいきません。姉が中学2年生なので、影響をうけてけっこうおませさんです。あんちは、いつも元気でちょっととぼけているので、家族を和ませてくれます。
(記:2007.04)
入院生活 2007.03.12〜04.09
今回の入院では、病院のリハビリの先生が、車椅子に乗る練習をしてくれました。最初は親父は車椅子に乗っているのは結構つらいようでしたが、リハビリの先生が、座布団などいろいろ工夫してくださり、だいぶ慣れたと言っていました。車椅子に乗れれば、外出ができ、行動範囲も広がります。孫とどこかに遊びにいければいいと思います。
(記:2007.04)
初めての在宅生活 2007.02.26〜03.12
10月に愛知県の病院に入院して依頼、11月末に転院し、自宅のある下諏訪の病院に帰ってはきましたがましたが、自宅に帰るのは約4ヶ月ぶりでした。主に介護は母が担当しますが、初めてで長期間では大変なため、今回は2週間の期限付きで在宅生活を送りました。毎日午前と午後に訪問看護にきていただきました。親父は家に帰れてほっとしたと思います。病気の進行が自分で自覚できるほどであるため、あまり元気はありませんでしたが、母の手料理で家族全員で食事をしたりしました。在宅中に親父は64才の誕生日を迎えました。病院よりも食事量が多いため、ちょっと太ったかもしれません。母も私たち家族も介護は初めてのことであり、何がなんだかわからなかったけれど、病院の関係者・訪問看護・リハビリ・訪問入浴サービスなど多くの方々のご支援により在宅生活を送ることが出来ました。ありがとうございました。母は朝、新聞配達をしています。私が高校時代にやっていましたが、就職と同時に辞めたあとを母がやっています。今では楽しみになっているようです。この朝の一時間は、親父が一人になってしまいます。私の家は近所にあり、30秒もかからず親父の家に行くことが出来るのですが、親父は自分で電話を取ることが出来ないですし、電話を一晩中持っているわけにもいかないので、今回の2週間は私は親父の家に泊まりました。次回の在宅までには考えなくては・・・・。母も年をとってきてるし、体力的にも精神的にも疲れると思いますが、母はよくがんばってくれました。
(記:2007.04)
入院生活 〜2007.02.26
親父は元気の日もあれば、落ち込んでいる日もありました。病気でなくてもそうだと思いますが・・・。1月末ころから在宅準備が始まりました。病院の方が呼吸器を何種類か用意してくれて、親父に一番合う呼吸器を選択してくれました。親父も在宅ができるということで喜んでいました。私達家族は、痰の吸引の方法を覚えたり、呼吸器の回路交換の仕方を覚えたりしました。
訪問看護師さん、病院関係者の方々のご支援により在宅生活を開始することができました。
(記:2007.04)
呼吸器装着・肺炎・気管切開 2006.11.25〜12.12
転院した次の日(11月25日)、病院に行っていた母から電話があり、あわてて病院に行きました。親父はかなり息苦しそうで、酸素マスクを付けていました。もう限界であり、挿管、人工呼吸器装着となりました。親父は薬でしばらく眠っていました。この頃はまだ手が自由だったため、自分で管を抜いてしまうことが2回ほどあり、呼吸器を付けることを受け入れていないのではないかと心配していました。(あとで知りましたが、薬の影響で無意識のうちに抜いてしまったようです。)呼吸器装着を受け入れるために話をしようと思い、11月30日に病院に行ってみると、親父が肺炎になり、危篤状態とのことでびっくりしました。しかも抗生物質が効きにくいタイプということでした。しかし、病院の先生方のおかげで、肺炎から回復することができ、12月12日に気管切開・呼吸器を装着ました。
(記:2007.04)
藤田保健衛生大学病院から諏訪共立病院に転院 2006.11.24
ALSとの診断をうけたため、家の近くの病院に転院することになりました。私、母、長男の3人で朝早く諏訪を出発し、愛知県の藤田保健衛生大学病院に迎えに行った。移送者を手配したらどうかと提案もあったが、車椅子を自分で操作して動けているし、マイペースで行動したかったので、マイカーでの移動としました。この日、親父はかなり息苦しく、パルスオキシメーターの数字が「91」と低かったため、しばらく待って落ち着いてから病院を出発しました。移動の車中は、好みの体位になれないし、痰の排出がなかなかできないためとても苦しそうでした。途中、恵那峡SAで昼食を食べました。 車内で食べているとき、私が、『将来的にはイロウといって、胃に穴を開けて直接栄養を摂ることになる時期がくる』と話したら、『そんなことまでして生きてなきゃいけねーかなー』と親父は言っていた。今でも昨日のことのように印象に残っている。
諏訪共立病院に到着し、診察を受けた。転院した日が金曜日だったので、診察を受けて一旦帰宅して、土日を自宅で過ごして月曜日から入院する予定だった。しかし、パルスオキシメーターの数値が「90」程度と低かったため、自宅には帰れずそのまま入院となってしまいました。
(記:2007.04)

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