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「フーガの技法」と対位法的技術の歴史

−目次−

ツァルリーノの「調和概論」
スヴェーリンクの「作曲の規則」
バッハの誕生
フックスの「パルナス山への階段」
「フーガの技法」とその背景


ツァルリーノの「調和概論」
目次
1558年、ツァルリーノ(Zarlino, G. 1517-1590)の名著、
調和概論」(Le Istitutioni Harmoniche)が出版されました。
その第3部は対位法の説明に当てられており、音程や音階の基本から、
対位法とその禁則、2重対位法などが説明されています。


「調和概論」より転回対位法の例です。

ツァルリーノはヴィラールト(Willaert,A. c1480-1562)の弟子の1人であり、
オケゲム(Ockeghem,J. c1410-1497)やジョスカン・デ・プレ
(Pres,J. des c1440-1521)に代表されるフランドル楽派の末裔です。
従って、「調和概論」における対位法技術は、
フランドル楽派の音楽の中から編み出されたものと言えます。


スヴェーリンクの「作曲の規則」
目次
ツァルリーノの対位法は、スヴェーリンク(Sweelinck,J.P. 1562-1621)
によって北ドイツの音楽家達にもたらされました。
スヴェーリンクはツァルリーノの「調和概論」第3、4部に基づいて
作曲の規則」(Composition Regeln)を著しました。
その中にはツァルリーノが作った譜例の多くが載せられました。
終止和音や2重対位法、カノンなどには特に関心が寄せられており、
ブル(Bull,J. c1562-1628)など他の作曲家の作品例も収められました。


スヴェーリンクの「作曲の規則」より、ツァルリーノ作の反行カノンです。

スヴェーリンクの「作曲の規則」はその弟子・孫弟子たちによって
書き写され、さらに新たな要素が加えられていきました。
スヴェーリンクの孫弟子に当たるラインケン(Reincken,J.A. 1623-1722) は、
フーガの調性的応答や、拍子・リズムなどに関する項目を加えました。
また同じくスヴェーリンクの孫弟子であるヴェックマン
(Weckmann,M. c1619-1674)は、2重対位法に関する多くの譜例を残し、
そこに拡大や逆行などの技法を加えました。
そしてその両者とも、ツァルリーノの理論にはなかった
「8度の2重対位」について論じています。


ラインケンによる8度の2重対位の例です。

こうして培われた対位法は、時として実用的な作品においても
用いられるようになりました。ラインケンの知人であるブクステフーデ
(Buxtehude,D. 1637-1707) は、自らの父の葬儀に際して、
転回対位法を用いたコラール変奏曲を作りました。
またその両者と交流のあったタイレ(Theile,J. 1646-1724)は、
音楽技法書」(Musikalisches Kunstbuch)の中で、
理論的な作品とともに、2重対位法によるミサ曲やソナタを示しました。


バッハの誕生
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バッハが生まれた1685年は、スヴェーリンクがもたらした
対位法技術の実践が行なわれていた時期に当たります。
少年バッハが受けた音楽教育がどのようなものであったか
明らかではありませんが、2006年に発見されたバッハ自筆の楽譜から、
10代前半のバッハがラインケンやブクステフーデの
オルガン曲を学んでいたことが明らかになっています。
彼らの作品に強い関心を寄せたバッハは、
後に彼らの元を訪れ、その音楽に触れました。


ラインケンのコラールファンタジア「バビロン川の流れのほとりにて」の冒頭です。

バッハがその名を馳せた1700年代にも、スヴェーリンクの伝えた
対位法的技術を受け継いだ記述が少なからず残されています。
そしてバッハは即興演奏の中で、しばしば拡大・縮小や
多主題の結合とその反行(2重対位)などの技術を用いたとされています。
しかし、当時そうした技術は「名人芸」あるいは「秘術」と見なされていました。
おそらくそのような対位法的技術は、知識としては知られていても、
実践はあまり行なわれなくなっていたのでしょう。
1720年にバッハの即興演奏を聞いたラインケンは、
「この技術は滅んだと思っていた」と述べています。


フックスの「パルナス山への階段」
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そうした中で、1725年にフックス(Fux,J.J. 1660-1741)の名著
パルナス山への階段」(Gradus ad Parnassum)が出版されました。
これはパレストリーナ(Palestrina,G.P.da c1525-1594)の音楽を基本として、
作曲の理論と実践をわかりやすく示したものとされています。
対位法を5種類に分類し、それを2、3、4声部で実践するというシステムは、
今日にいたるまで対位法教育の基本として用いられています。
「パルナス山への階段」では、フーガや2重対位法の説明もあります。


「パルナス山への階段」より、転回対位法の例です。

2重対位法の説明には、ツァルリーノの説いた理論が継承されています。
ただし、フックスは「8度の2重対位」を加えて説明しています。


「フーガの技法」とその背景
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「パルナス山への階段」が出版されてから10数年を経て、
バッハは「フーガの技法」の作曲をはじめました。
その手には「パルナス山への階段」が携えられていました。
「フーガの技法」と「パルナス山への階段」はいくつかの共通点を
もっていますが、特に「1つの主題で複数のフーガを作る」という
コンセプトが両者に見られることから、もしかしたらバッハは
「パルナス山への階段」から刺激を受けて作曲を始めたのかもしれません。
 
ただし、「フーガの技法」には「パルナス山への階段」には
説明されていない要素、拡大形の模倣やカノンなども含まれています。
これらは、スヴェーリンクの教えを受け継ぎ発展させた北ドイツの音楽家達が
用いていた技術です。バッハは彼らの音楽に触れており、
また「パルナス山への階段」を手にする前から
拡大・縮小や2重対位などの「秘術」を用いていたことから、
「パルナス山への階段」に説明されているような対位法的技術の多くを、
バッハはすでに知っていたと考えられます。

従って、バッハが「フーガの技法」の中で示した様々な「秘術」は、
バッハが幼少の頃から様々な音楽家の作品に触れ、
蓄積してきた対位法的技術を示したものと見るのが妥当でしょう。
そして「パルナス山への階段」の影響で「フーガの技法」を作ったとしても、
そこから新たな技術を学んだというよりは、
作曲のきっかけになったものと考えるべきでしょう。
 
なお、バッハは「フーガの技法」の中で、
「8度の2重対位」という語を用いませんでした。
版下原稿の段階では、少なくとも拡大・反行カノンには
「8度の対位による」(in Contrapunto all Ottava)というタイトルを
つけていたのですが、後にそれを削除しました。
おそらく、もしこのカノンに「8度の2重対位」という名称を用いたなら、
同じく8度で主題の入れ替えがなされるContrapunctus811
あるいは主題に対主題が伴うContrapunctus23さえも、
「8度の2重対位」という名称をつけなければならないからでしょう。
かくして「フーガの技法」は、図らずも「8度の2重対位」を省いた
ツァルリーノの理論に立ち返ることになったのです。


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