リンゴを噛みつ、自然を語らう

 クリントン前大統領は「リンゴを1日5ヶ食べて医療費の負担を半減しよう」を述べました。少子高齢化の社会をひかえて何処の国も医療費の延びは財政を強く圧迫しています。これは将に東洋医学の出番の時期と思われます。即ち、自然食を充分取り入れた食事により、国民全部が健康にならなければ国の経済が破綻してしまうと云うものでしょう。そもそも近時、生活も考え方も諸法令等々、自然から遠く離れてしまった感が致します。社会全体を見ますに、所得レベルが向上すれば比例して美食になりがちです。これが落とし穴ではないか。美食を減じて野菜・果物を倍増食べること。スーパーの果物売り場には必ず二段階に分かれた売場を設ける事。即ち曲がったキュウリ、2つ足の先の折れた大根、ゴボーを半値で。土、日曜日には15kg入りの果物野菜を箱大袋で売る場所。JAの大売り出しを行う。《パック入りの小売りばかりが販売方法ではない》今まで廃果として、加工場に出していたものを、2〜30%位の価格で市場に供給して、倍増摂取して、医療費を半減しようとするのが米国の新たな財政、福祉、生活に対する戦略と思われます。
 これは60年前、小学低学年「修身、道徳」の時間に「一汁一菜」の食事を摂り、「質素倹約」をして難局を打解、即ち「財政再建する」。これは何世紀も前から我国の信条云い伝えであったものです。即ち浪費はいけない。
 未来技術・・・・・・・・・バイオ(生命科学)、テクノロジー(超微細技術)、IT技術、又地球緑化、大地再生事業等、未来を豊かにする為には、莫大な資金を必要とします。
 さて、私半世紀(50有余年)の農業経験にもとづいて、この自然食を供給するには「有機農法」に依るもので、化学・化成肥料を与えてはならない事を経験して、爾来それを施肥して居りません。当時米国では、リンゴ栽培には硫安、化成肥を絶対に施肥せず、馬糞など有機質肥料を施肥、有機栽培であると、昭和20年代のアメリカ果実事情レポートを見てびっくりし、養鶏業などの有蓄農業を経営して、唯今リンゴ園を経営致しています。リンゴ・梨園で紋羽病が発生した場合は、化成肥料を施肥したのが原因です。私の園では一本もございません。(硫安は、バクテリアを殺すとの事で、一握りも与えない、との事)
 本年(平成13年度)は、冬は厳寒大雪、夏は空梅雨高温、早魃の異常気象です。気象庁の天気解説に依りますと、冬はモンゴル地方では放射冷却により、地上の温度が冷え切り、寒気が居座り、西風により我国が寒く、南からの温湿の気流が接して大雪を降らし、又夏はチベット地方に高温高気圧が居座り、その尾ひれが東になびき、我国にも到し、太平洋高気圧も温暖化現象で強く北に張り出し、2つの暑い高気圧は容易に衰えずかつて経験のない現象です。もともとチベット・モンゴル地方は遊牧、山岳地帯、即ち月の表面を部分移植したようなものです。砂漠化された地方は、夏は+50℃、冬は−40℃にもなり、これが主たる原因ではないか。又砂漠になる以前の状態は、羊が草を食い尽くし、その糞を焼いて(燃料として)食事等、生活の糧としています。云いかえると、有機質料を焼却してしまう事です。即ち「遊牧」は大地を破壊してしまう危険な行為と云わざるを得ません。かかる地帯は植林をして、緑化に務めて、有機栽培による自然改良法・造成法により気象異変を正さなくてはならない。又WTO農業交渉も同じ結果になり得ると思われます。即ち国際分業と称して、農産物の大量生産、大量消費は自然のルール、掟、法則に反する。1930年代ソ連は欧州一の小麦輸出国でしたが30年後には最大の輸入国になってしまった。為政者の多くは自然を知らない、即ち大地の扱い、農耕方式には「3圃式」即ち、30年間穀物を栽培したならば次の30年間は牧草地に、次の30年間は森林にする。地力を維持する。養生をし愛する精神に欠ければ、大地は忽ち力を失い、崩壊してしまいます。更に穀物売却金の多くは軍事費に消えてしまった例を見るに付き、正しい耕作・扱い方法を誤ってはなりません。
 砂漠化→貧困→戦争発生→人口爆発増加
 人類数千年の歴史の結果を見るに付け、何故にこんな馬鹿げた結果になってしまったのか理解に苦しみます。
 「緑の革命」 − 砂漠を緑にする事から始めて、人類の禍を正す。云い換えれば、現代の経済社会は、ギャンブル・マネーゲームの如きもの(WTO自由貿易には聖域を設けない)農地・大地を斯くの如き、遊びのシステムと同様に扱って、掠奪農業をほしいままにしたならば、30余年で元に戻せない。即ち、大地を扱うには、飽く迄も自然の法則に従って、半世紀は農耕地に、半世紀は森林、牧草地にする。(ロータリーを以て除草ばかりしていては、表土は皆流されてしまう。休耕とは植樹して、大地を養生して休ませる事であります)
 概して、経済優先主義を見直し、自然に優しく、自然を優先して考えるシステムに切り換えなければ、自然も文明も終焉してしまうのではないか。
 又現実の世相、誠に厳しく、株価低迷、不良債権蟻地獄等予期せぬ事態が終を絶ちません。これを私なりに考えますと今思えば60年前、日米開戦当時(私は小学4年生)担任教師(恩師)が授業の合間にささやかれた言葉が、今の世相と当時と似通っている点が多々あります。即ち我国は近代戦の準備が用意されなくて開戦しても勝利の見通しが立たない。いわゆる我国には「電波探知機」レーダーがなかった。エレクトロニクスの研究が為されていなかった。これが勝敗の分かれ目。現在の経済不況は90年代半ば米国は、二つ子の赤字を解消すべく思い切った行政改革を断行。その時点において100万人の新規雇用が生じ、就中高度の技術者が不足。世界中から最高クラスの人材をスカウト集めています(米国においても年間11万人しか養成できないとの事)。 これに反して、我が国は100万人の失業者が予想されていました。斯様な日米の相反した現象は「日米技術格差」から生じたものと云われています。とするならば去る大戦の反省がなく、その格差の解消に取り組み方が不充分であったものと思われます。例えば如何にすばらしい高度医療が施されても、その体力がなかったならば回復出来ません。基礎体力=技術力は小学生の基礎学力が基本でありますが、我が国の小学生の勉強時間は隣国の半分、又学習内容も来年からは30%削減される模様で、斯くの如き状態が半世紀も続けば我国は世界の最貧国になってしまうと云う作家評論家も出てきました。(それを下支えしているのが学習塾であると云われています)
 国としては全国で20校程理数科系専門校を造りたいと云う案もあると云われていますが、更に各都道府県でも、それに準じた理科系小中高一貫校(全寮制)を造り、内外地域格差をなくし以てこの困難に対峙する外に道はありません。
(個性に相った学習を身に付ける事。補助教師制を新設し、課外、補習授業を設け、学習塾は校内かその周囲に設けるのでなくては、機会均等の学習が出来ない。例えば体育にもインストラクターを以てすれば上達する。現在の方法は国民皆兵をモデルにしたものではないか。慣性の原理で止む得ぬと云いますが、速やかなる脱皮が必要とされましょう)
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