イラク派遣 歴史的違憲判決に立ち会って

池田香代子

 

 二〇〇八年四月一七日、名古屋はうれし涙の雨だった。航空自衛隊がイラクで行っていることは他国と一体となった戦闘行為であり、イラク特措法と憲法に違反する、と高等裁判所が認めたのだ。四年前から、三二六八人の市民がかかわった集団訴訟の控訴審判決だ。

 

 静寂の法廷に、裁判長の低い声が坦々と響く。「本件控訴をいずれも棄却する」。ところがしばらく読み進むと、満席の法廷のあちこちから嗚咽や鼻をすする音が起こった。誰かが外に飛び出す。扉の隙間から、雨の中で待っていた百人ほどの「わあっ!」という歓声が伝わってきた。裁判所前に掲げられた二枚の紙には、「画期的判決」「自衛隊イラク派兵は憲法違反」。閉廷後、集会の会場に貼られたときは、急遽「平和的生存権を認める」が追加された。判決がそこまで踏み込むとは、弁護団も予期していなかったのだ。

 

 大法廷は終始かすかにすすり泣く声に満ちていた。私は原告席の三列目にぎゅう詰めで座っていた。最前列には、弁護団がやはり目白押しに並んでいた。裁判長がさらりと読む。「憲法九条一項に違反」。その瞬間、老弁護団長の丸っこい背中がぶるっと震えた。

 

 私の隣の隣では天木直人元レバノン大使が、胸を張り腕組みをして瞑目していた。外務省は天木さんに嘘をついた、退官させられた無念と怒りを理解する、そんな判決文の朗読の間、陪席裁判官の一人はひたと天木さんを見つめていた。女優ヴァネッサ・レッドグレイヴ似の凛としたその女性裁判官は、時の政府を批判して失職した天木さんに、同じ国家公務員として何を思っただろう。映画の一場面のようだった。

 

 閉廷直後、天木さんが満面の笑みで握手を求めてきた。あちらでもこちらでも握手、抱擁。退廷する裁判官たちには、遠慮がちな「ありがとう」の声がいくつも贈られた。百数十人の人々であふれた報告集会では、この訴訟で頼もしく成長したふたりの若い弁護士が判決を解説した。何人もが思いを語った。民俗学者の大塚英志さんも、「一時間以上泣きっぱなしだ」と涙でぐしゃぐしゃになりながら語った。

 

  政府の反応は、虚勢ゆえの開き直りのように聞こえた。三権分立と立憲主義を尊重する旨発言していれば、市民は政府に一目置くし、世界はこの国を信頼しただろうに。翌日の記者会見で田母神俊雄・航空幕僚長は、「隊員はそんなの関係ねえという心境だ」と言った。その傍若無人に、イージス艦あたごや潜水艦なだしおの人身事故を思い出した。首相、官房長官、外相、幕僚長。政府要人が揃って司法判断と公務員の憲法遵守義務をあざ笑う。無知なのか無恥なのか。いずれにしても、有権者は見過ごさないだろう。

 

 なかでも幕僚長の品位を欠く言辞は、ほんとうに現場の気持ちを汲んでいると言えるのか。自衛隊員たちは、C130輸送機に五、六十人の完全武装の米兵が乗り込むとき、この機には狙われる理由がある、と秘かに緊張しないだろうか。ミサイルを回避するためのフレアが発射され、あるいは危険情報で飛行が中止されるとき、バグダッド空港と飛行コースという点と線だけは非戦闘地域だとする政府説明は現実に即しているのかと、戦慄とともに疑わないだろうか。現場の実感から、この判決に誰よりも深く納得しないだろうか。

 

 東京に帰る新幹線の車内で、電光ニュースが判決を伝えるたびに喜びをかみしめた。出張族の、驚きに弾んだ声が聞こえる。この報に、思うところのある人は多いだろう。なにしろ市民の七割が、イラク戦争には反対だったのだ。

 

 憲法に照らして参戦を拒否できるこの喜びを、私たちが独り占めしてはいけない。紛争地域の人々ほど、憲法で戦争を否定することの大切さ、その実効性を認めているのだから。

 

 五月四日から千葉の幕張で「9条世界会議」が開かれ、全国からたくさんの人々が集まる。世界からも、ノーベル平和賞受賞者などが多数訪れる。その席で、この国の市民は平和のうちに生きる権利を維持する努力を重ねていること、今回、司法は健全に機能したことを伝えたい。誇りをもって。