今こそ、市場原理・戦争政策への国民からの対案を

 

人間の尊厳踏みにじる、海外派兵・「ルールなき競争社会」から

安心感ある、平和の共同体・「ルールある共同社会」へ

                                            08.10.23  毛 利 正 道(弁護士)

 

 アメリカは、ソ連崩壊後、全世界に市場原理主義を貫徹させその障害となるものは武力を用いてたたきつぶす道を突き進んできたが、イラク・アフガニスタン戦争の失敗、米国発の世界的金融経済危機により、この米国発市場原理・戦争政策の破綻が明らかとなっている。では、どのような道があるのか、これは必ずしも明らかでなく、今のままでは、これまでの政策を巧妙に粉塗しつつ米国等多国籍企業の権益を追求する戦略が再編されていく危険がある。私たちは、国民にとって対決点が明らかになるよう、ここ日本を、国民を主権者とするにふさわしい存在にするための「国民からの対案」を分かりやすく呈示する責務がある。その対案は、ひと言で言えば「日本国憲法の花開く社会」ではあろうが、より具体的にはどのようなものであろうか。私は、今春以降、イラク派兵高裁違憲判決の原告兼弁護団として判決報告会で交流を重ねる一方、この9月には学力・福祉・企業国際競争力3点の総合力で世界TOPの位置にあるフィンランドを可能な限り深く視察してきたが、これらで得たものを生かしつつ、以下提起したい。

 

 国民からの対案その1  東北アジアに平和の共同体を!

 9条世界会議は、日本で憲法9条を守りぬくことが世界史的意義を持つことを内外最大規模の参加者により確認できた点で大成功であったが、他方「9条を世界に広げる」ことの意義を掴む点では今後に課題を委ねた。戦力を持たない国がいずれも小規模の30未満の国々(その世界史的意義は軽視しないが)に過ぎず、世界の大半の国々が軍事力を保持している現状では、世界の軍事力一切を放棄することを直ちに求めることは現実的戦略とはならないのではないか。

フィンランドは、長い国境で接するロシア・ソ連から、100年に及ぶ占領・独ソ秘密協定に基づく1939年の侵略戦争・戦後における幾多の内政干渉・最後はソ連崩壊による自国経済崩壊寸前の危機などひどい圧力を受け続けており、これに立ち向かって自国の独立を守るために、戦前は国挙げて戦って独立を守りぬき、戦後は中立政策を確立して必至の努力を尽くしてきた。とりわけ、東西が揃った1975年の全欧安全保障協力会議の開催とそこで相互不干渉・武力行使回避を定めたヘルシンキ協定締結への尽力は大きく、この姿勢が、インドネシア・アチェ和平協定などへの尽力が評価された元大統領のノーベル賞受賞に繋がっている。そして、この国は現在、常備軍3万人(日本の人口対比では74万人)・戦時動員戦力35万人(同860万人)の軍事力を保持している。このような国をみて、世界の軍事力一切の放棄を直ちに求めることの非現実性を実感した。

 

では、どのようにして戦争を防ぐか。フィンランドがヘルシンキ協定の締結に尽力したように、地域多国間不戦共同体を世界中につくり、紛争を対話と地域の民度の向上によって未然に防ぐことによって解決することである。軍事力の放棄には当面触れないまま(むろん、軍縮は大いにあり得るが)で自衛戦争をもなくすのである。アメリカの覇権主義に対抗するためにも地域共同体でまとまることが重要である。今世界は、ASEAN・上海協力機構・南アジア地域連合・EU・アフリカ連合・南米諸国連合など地域共同体でほとんど埋め尽くされているが、イスラエルを含む中東地域と共に、日本・韓国・北朝鮮・中国を含む北東アジアには地域共同体がない。日本に住む我々としては、まずは、平和のための北東アジア地域(のみの、若しくは他国を含む)共同体を結成する方向で尽力することが、「憲法9条を世界に広げる」ことである。東アジア共同体構想・北朝鮮6カ国協議の枠もあり、取っ掛かりとしては十分である。容易ではない事業ではあるが、ベトナム戦争当時から発足し、不信感満つる中で30年かけて不戦かつ思いやりある共同体に発展させてきたASEANをみると、「不信感に満つる関係」だからこそどうしても必要かつ実現可能な共同体である。

 

この共同体は、流布される北朝鮮脅威論や食品汚染の不信感からも増幅される危険性がある中国脅威論などに惑わされることなく、世界史的意義を有する憲法9条を守りぬくためにも不可欠。この平和の北東アジア共同体建設は、自衛隊の海外派兵阻止との関係でも重要である。足元が安定して安心感を持てれば、国民として根拠なき共同体外への派兵にも消極的になるし、「米軍が北朝鮮や中国の脅威から日本を守ってくれているのだから、米国からの海外派兵の要求に応じざるを得ない」との海外派兵を肯定する理由を消し去る効果もある。政府レベルの検討に入るには、民間レベルで大いに研究相互交流してその道を開けていくことが重要であり、民間の英知を結集して、直ちに、この研究検討に着手することを強く期待する。

 

 

国民からの対案その2  安心感ある「ルールある共同社会」を!

 米国発の新自由主義にまみれるここ日本では、ルールなき競争格差貧困社会が頂点近くにまで達して国民の生存権をひどく脅かすとともに、それが人間一人ひとりの繋がりを断ち切り多くの人びとを孤立分断状態にまで追い込んでいる。ここでは、人びとは自己責任論の下、不安に満ち、現在の或いは来たる破局の不安に駆られて生きており、人間の尊厳が無惨に奪われるケースが後を絶たない。他方で、一握りの大企業と大資産家は、彼らの横暴を規制するルールもないまま、金融経済危機を国民に犠牲を押しつける方向で乗り切ろうとしている。このようななか、教育改革が大人社会をも改革しつつあるフィンランドに学ぶところが大きい。

 

 高福祉を共通項とする北欧諸国のなかでのこの国の特色は、この高福祉社会を支える国民を教育によって生み出していることにある。日本の教育基本法にも学んで、1968年からグループ学習など共同を大切にしてすべての子どもの身に創造性と問題解決能力をつける教育改革に着手して、既に40年。改革初年に入学した子どもも今や47才の働き盛りの年代。現在の高校生は、平日は友人と週末は家族とゆったりと過ごす生活の中で、異口同音に「かつての自分と比べることはあっても、他の人と比べる『競争』は良くない。一人ひとり違うのだから」と語り、そのような生活感・価値観を持った彼らが大人に巣立っていく。

 

その大人の世界。人口23万人のエスポー市での42の民間高齢者団体の共同討議による高齢者施策の展開、全国精神保健協会での鬱病患者・元患者による新規鬱病患者への話しかけなど直接支援する「ペアサポート」の推進、経済分野での政官学業間及び企業相互間における対話的共同による抜群の競争力、そして労働組合での組織率75%にのぼる固い団結や労業政三者会議の伸展などが今回のツアーで確認できた。また、この国には7-8万の民間非営利組織(NPO、NGO)があって、国民の5分の4が参加(その多くが複数に参加)しており、この傾向は年々増加していて過去10年間に26000の新しい組織が生まれているとのことである。

 

さらに、消費税が22%(食料品などは17%)で、これとは別に所得税も高度の累進税率になっている。また、速度違反に対する罰金額も、高齢者グループホームの利用料金も、所得金額の○%と決められていて高額所得者の負担が高い。(消費税22%であっても、私利私欲腐敗の少ない透明性高い統治システムの下で、自分たちが治めた税金が自分たちに還元されているとの実感があるため国民から抗議が出ないのだが)より重い負担を強いられている高額所得者からも大きな異議は出ていない。これは、彼ら高額所得者も、他の市民と同じ高福祉・教育を現に受けており、かつ、現在に至るまでの人生の中でこれを受けてきたとの実感から異議を述べないと言われてはいるが、それだけでは説明しにくいものがあり、共同の精神がここでも生きているように見える。

 

このような支え合うフィンランド共同社会で、例えば非正規労働者はどのように扱われているのであろうか。日本で全労働者の26%が非正規労働者であった2003年には、この国では僅か11%であった。同じ年、非正規労働者の賃金が正規労働者の48%であったが、この国ではなんと92%であった。このようにこの国の賃金にほとんど格差がないのは、同一賃金同一賃金が法定されているからである。また、労働時間は週38時間15分で誰でもほとんど残業がないが、これに加え、雇用形態の如何を問わず、労働者になれば週休2日の他に4週間の夏期休暇と1週間の冬期休暇が有給休暇として付与され、これが100%取得されている。これは、経営者に有給休暇の完全履行が法律で義務づけられているとともに、職場に雇用契約や法律が履行されているか否かを点検する「リーダー」が必ず存在し機能していることと無関係ではあり得まい。

 

また、1991年の最大の貿易相手国ソ連崩壊による国家的規模の金融経済危機の際に、全金融機関に対する公的資金による支援と金融機関の体質改善を思い切って進め(そのなかでも教育福祉分野の基本的水準は維持し続けた)、金融機関の収益力を著しく向上させた。なんとしても国民を守るとの姿勢が伝わってくるものであった。そのためもあってか、2008年9月からの国際金融経済危機においても、他のEU諸国で金融機関や基幹企業の破綻が表面化したり少なくとも15カ国で公的資金導入などの国家的強制措置がなされようとしているが、今のところ(10月22日現在)この国は安定している。

 

 手近なところからも、共同社会構築の努力を

 このように、世界に6万人の従業員を抱える多国籍企業ノキアの存在を始め、れっきとした資本主義国のフィンランドで、「ルールある共同社会」が形成されている。そこには安心感が確かに分厚く存在している。このような大企業大資産家の横暴を許さない国民を守るルールある共同社会をここ日本でも築いていきたい。そのためには、それぞれが現在持っている課題に取り組む際に、テーマに掲げた内外2つの国民的対案を常に提示してゆくこと、並びにそのなかで或いは別異に、例え遠回りに見えても、腹蔵無く対話する3名以上による共同の人間関係を社会の隅々で再形成していくことが不可欠だと思われる。家庭で、団体内部で、仲間で、地域で、事業体の内外で・・・・。

 (なお、フィンランド視察ツアーの16頁に及ぶ詳しい報告が、「弁護士 毛利正道のページ」

に「100個の目で見たフィンランド」と題して掲載してある。そこでは、負の面にも言及している)