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ゴミのこと
ゴミのこと  
 ALIVE2005年9、10月号 
                  長野県 小林桂子

  毎日生活をするだけで、必ず出てくるゴミ。ゴミ問題は、今では、世界共通の悩みで、特に狭い日本では、深刻な問題になっている。

  ご多分に漏れず、私の住む村でも、埋立て地が溢れるということで、焼却灰の溶融炉建設計画が始まっている。建設費も運営費も莫大なお金がかかり、環境にとっても、問題だらけの物らしいが、取り敢えず、埋める所がない、だから取り敢えず作るしかない。そんな後手後手の対策しかない。

 年々増えてくるゴミ、減らすことを第一に考えるべきなのに…。そして、一人一人がこの毎日の便利さをゴミに変えていることに気づいてほしいと思う。

  以前、テレビで見たことがある。海に流れたゴミはゴミのベルト地帯という所に溜まる。それを海鳥が魚とまちがえて食べて、胃の中にプラスチックのゴミが溜まり、消化できずに死んでしまう。餓死して風化した鳥の骸骨の胃の部分に使い捨てライターやビニールの残骸が固まっている写真は、今も鮮明に覚えている。それ以来、道端に落ちているキャンディーのセロファン包みを見つけると、必ず拾うようにしている。どこに落ちているゴミも、風に飛ばされ、川から海へと流れて行く可能性がある。

  まさか、ゴミと餌の魚を見間違えるはずはないと思ったが、実際、鳥は魚が海面に浮く一瞬を狙って呑み込む。いちいち、ゴミか、魚かなんて見ている余裕はないし、まさかゴミが浮いてるなんて予想もしていないだろう。

  数年前、友人の付き合いでグアムの海に行ったことがある。まず、浜辺にゴミの多いことに驚いた。そして、沖でスキューバダイビングをしていた時、ひときわ輝いて白く透明で平たくユラユラと優雅に泳いでいるモノの周りに、沢山のきれいな色とりどりの熱帯魚が集っていた。「クラゲだろうか、何だろう?」と、よーく見てみると正体はスーパーのビニール袋だった。海中で揺れてユラユラまるで本物のクラゲの様に見えた。海亀がビニールをクラゲと誤食して死んでしまうというのを、その時ようやく理解できた。

 以前は、旅行が好きで東南アジアにも、ときどき行った。ベトナムでは、港でホウキとチリトリで掃除をしていた女性は、集めたゴミを海にそのまま捨てた。当然、ビニール製品も混じっている。ラオスでは、友人の伝手で、ゴミ埋め立て地を見学させてもらったが、埋立て完了の地では、ペラペラの薄いビニール袋が一面顔を出していて、風に舞って空高く何枚も飛んで行ったのが印象的だった。そして埋立て前の方に行って見ると、数十人の人間と数頭の牛がいた。そこで人はゴミの山から汚れたビン、ペットボトル等の廃品回収をしていた。今思えばおかしいが、牛も残飯を探しに連れて来られていたのだ。政府は禁止しているというが、生きる術がこれしかない子供たち、危険物も混じっているのに、ゴムぞうりに当然素手だ。複雑な気持ちだったが、友人が彼らと仲良しだったのでしばらく一緒にいることが出来た。

  どこでも、包装が天然素材のものから、ビニールに一変した。ペットボトルが氾濫している。我家では、ペットボトルを殆ど購入しないので、何かの時に貰ってきた空のペットボトルを水筒にして畑に持って行き、重宝している。先日、夫の飲んでいるペットボトルの水が緑色っぽく見えて、ひょっとして、アオミドロ?クロレラ?製造ボトルに変身した?




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