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生と死を考える

「生と死」を考える
 
 ALIVE2005,7,8,月号 
               長野県 小林桂子

  こちらに引越して来てから、何かとイベントや講演会に参加する機会が多くなった。先日は、イラクで拘束された高遠菜穂子さんのお話しを聞くことができた。長野県で3日間連続の講演会でどこの会場も満員だった。

  私は、よく「日本人は平和ボケしているんじゃないの?」なんて言っていたので、この日ばかりは、イラクのこと、平和のことを真剣に考えている人がこんなに大勢いることに驚いた。

  高遠さんの講演会は、イラクの現実をスライドを見せながら淡々と語るものだが、テレビのニュースでは見ることのできないイラクの現状、実際の戦争というものは、これほど恐ろしいものかと、まさに実感できるものだった。諏訪会場では850人以上が参加したが、だれも沈痛な面持ちで退場したことだろう。

  内輪の交流会に参加させてもらい、講演会上での少しの隙もない彼女の強さだけでなく、ひとりの人間としての弱さも垣間見ることができた。改めて強い女性だなあと感じ、高遠さんは、今、日本中で一番真剣に生きている人ではないかと思った。私自身も結構真剣に考えて生きているつもりだった。けれども、程度が断然違う。日常の生活でどれだけ真剣かというと、私の場合、楽しみの方が多い。命を張って毎日真剣に生きている彼女を見て、やっぱり私も平和ボケしているんだ…と考え直した。

  イラクでは、未だに連日のように多くの死傷者がでている。日本では、先日の列車事故で多くの犠牲者がでたが、イラクでは、原因は異なるが、こんな大惨事が毎日のように起きているのだ。

  高遠さんが言っていた。「死」とか「殺す」っていう字は怖いでしょう?それがテレビから毎日何十回も流れてくると…。私自身、今この原稿を書いてみて、確かにこの漢字を使うことに空恐ろしさを感じている。

  日本では、多くの人は病院で生まれ、病院で死ぬ。「生と死」が日常から離れてしまっているから、生きている喜び、死への実感がない。日常とつながらない。食べ物もそう言える。スーパーの切り身で売られている肉や魚しか見ていない。一頭の豚が殺されて皮を剥がれ、刻まれてここにあるんだよとか、海で元気に泳いでいた魚をあなたのために殺して来たんだよ、なんてことをわざわざ言う人はいないが、多くの人が、そんな当たり前のことに気付かないでいるのではないだろうか。知ってはいるが、実感が湧かないのではないだろうか。それだから、安く買い、感謝を忘れ、平気で無駄にしているように思える。

  戦争は非常識なのだ。常識があったら人など殺せない。つまり、手段は選ばないということだ。米国が使用した劣化ウラン弾は、これから半永久的に大地を汚染し、あらゆる生き物を苦しめ続けることだろう。何か災害が起これば、人間以上に動物が被害に遭う。人間が平和で豊かで、初めて動物も少し平和になる。そんな現実だから、絶対に戦争はあってはならない。

  うちのヤギで言うと、角のあるオスヤギは、根はやさしくても草餌を見るとガラガラドンに豹変するが、角のないオスヤギは、いつも人懐こくやさしいヤギだ。つまり、武器を持たないものは、戦いを知らないのだ。



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