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縄文時代の死生観
 
縄文時代の死生観

 縄文遺跡には、お墓を囲むように住居を配置した環状集落郡がよくあります。住居内の入り口付近からは、子どもを埋葬したと思われる埋られた甕が発見されており、短い命でこの世を去った小児の魂が、すぐに再生することを願ってのことと見て取れます。
 縄文時代の人たちが考えていた、この世とあの世を魂が循環する生まれ変わりの死生観はどのようにして生まれたのでしょうか、前回に続き自然現象などを頼りに考察してみたいと思います。
 太陽の活動により生じる昼と夜は「生」と「死」を連想させます。草本類が枯れる冬を「死」とすると、春から秋までを「生」と考えることもできます。また、夜を死後の世界と考えると、女性の月経周期とほぼ同じ29.5日周期で展開される月の満ち欠けは、死後の世界から魂が再生し、女性の体内に命が宿ることを直観させます。夜空に輝く無数の星は天(あの世)に昇った魂を映し出しているものと想像することもできます。
 縄文時代の人たちが、生物だけでなく土や石など、この世に存在するすべてのものに魂が宿ると考えていたことは、土器を埋葬していたことからもわかります。土器の魂をあの世に送り、その代わりに新たな生命の誕生を願っていたのではないでしょうか。また、食べるという行為を考えてみると、これは動物や植物の命(魂)をいただくことですから、煮炊きする土器に循環(再生)の象徴として縄の模様(∞)を施し、延命を願っていたのかもしれません。注連縄には蛇が絡まり交尾している様子を模擬したものとする説(注1)があります。子孫の繁栄を願い土器を縄の模様で埋め尽くしたのかもしれません。蛇は脱皮を繰り返すことから輪廻の象徴として崇められていました。また、土器には女陰に向かう蛇の図像も描かれていることから、蛇の鎌首を男根に例え子孫の繁栄を願い崇めていたのかもしれません。いずれにしても、土器の模様や図像は霊性を高めることを目的に施されたものだと思います。
 縄文遺跡には、直立した石を中心に、横に並べられた石が放射状に囲んでいる日時計状の組石(ストーンサークル)がよくあります。これは、直立した石を男根とし、その周りを囲むようにして並べられた石を女陰と考えることができます。私はこの組石を性行為の瞬間を模擬した装置と考え、あの世に昇った先祖の魂を女性の体内に呼び戻すために作られたものではないかと思っています。組石の周りの土が踏み固められていることから、この場所で命の再生を祈る儀式を行っていたのかもしれません。
 これまでに縄文遺跡から発掘されたいくつかの出土品を、自然現象と関連づけて考察してみると、縄文時代の人たちは人間だけでなく、すべてのものの魂は死ねばあの世に行き、そこでしばらく霊として暮らした後に、再びこの世に帰ってくると考えていたことがわかります。この世に存在するすべてのものは、大いなる存在の分身であり、石も草も木も動物も人間も、みんな魂を伴いこの世に存在している。縄文時代の人たちは、この豊かな精神性によって争うことなく共同体を形成し、優れた芸術性を持った縄文文化を一万年以上の長期に亘り継続できたのだと私は思います。

注1)吉野裕子(よしの ひろこ)著 「蛇」日本の蛇信仰(1979年2月1日初版)
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