今日の一言
2004年12月22日
増えすぎたニホンジカの食害や角による樹皮はがしの被害が拡大し長野県上伊那だけで今年度1125頭もの捕獲許可。かつて焚き木採りなど暮らしと共にあった里山から人の気配が遠のくとともに鹿、猪が増え始めた。心境は複雑でも大量駆除はダーウィン以来の自然淘汰と割切るしかない!?。
2004年12月21日
今日は冬至。冬至 冬なか 冬はじめ―という言葉がある。光は春に向かっても寒さはこれからが本番。しかし冬至を境に米ひとつぶずつの一陽来復と思えば気分も明るくなる。霜枯れの庭でカサコソ枯葉が鳴り、セグロセキレイが鋭く鳴いて飛び去った。皆年の暮れなんとするを語る―か。
2004年12月20日
ぽか陽気に誘われ近くの山みちを散策した。林の中は見通しがきいて明るく道に敷き詰められた落葉がカサコソ鳴って心地良い。ここは昨年まで木々が密生しブッシュも多くとても近づけなかった。林野組合が間伐し作業道を造ったら森林浴が楽しめる自然公園風に生まれ変わった(日記参照)。
2004年12月7日
今日は二十四節気の大雪(だいせつ)。いよいよ冬将軍が近い。小屋を出てしょうしょうと風に鳴る森の梢を見上げて驚いた。コブシの花芽がもう大きくふくらみ、淡く銀色に光っている。これから厳寒を耐えて さらに耐えて、冬枯れの残る早春の雑木林にいち早く咲く。冬来たりなば―。
2004年9月1日
近くの山みちでキツネに出会った。カーブを曲がったら、十数メートル先にいて目が合った。身を翻し、尾を水平に伸ばした得意のスタイルで、あわてる風もなくスタスタと走り去った。そういえばキツネに化かされたとか、キツネの嫁入り、狐火などが話題に上ることはなくなった。かつてキツネに抱いた恐れや畏怖、親しみは、遠い感覚になってしまったようである。
2004年8月31日
今日のマツタケ研修会で、竹内県林業総合センター研究員が今年の作柄予測を発表。「現在までの状況は雨、気温とも良好。走りマツタケの発生状況も良い。問題は9月12,3日ころまでに適度なお湿りがあり、厳しい残暑が3日以内に抑えられればマツタケは平年作になる」とのご託宣(日記参照)。
2004年8月27日
世に「がっかり名所」なる言葉があると新聞コラム子。名所といわれる観光地のイメージと実際の違いの落胆を言っている。たとえば高知のはりまや橋、札幌の時計台―。WEb上の写真と実際の姿に落差が大きい!?惜桜小屋は、さしずめ「がっかり小屋」。しかし人の目を気にしなければ独善もまた善、と割り切っている。
2004年8月15日
ヒグラシが鳴くのは夏の終わり、秋風が立つころ―という印象をずっと持っていた。実際にはアブラゼミやミンミンゼミより早く鳴き始める真夏の蝉。空梅雨気味で地温が上昇した今年は特に早かった。カナカナカナ 朝夕の涼しいときに鳴く声は、涼しげであり、心にしみいる寂しさもある。そんなイメージからか俳句の季語としても秋に入っている。それにしてもヒグラシをもう一度じっくり聞きたいと思う 今日は終戦記念日
2004年8月13日
盆入り。先祖の霊を迎えるために、日暮れ時に玄関先で焚く迎え火がとんと見られなくなった。江戸時代から続くといわれ、以前は麦わらを燃やしたけれど、麦作が減った近年は白樺の皮が売られるようになった。植生の破壊につながる白樺はあまり賛成できないが、迎え火の風習は心の行事として子や孫に伝えたい
2004年8月12日
「いちばん良い森は明るく光に満ちた森です」。NHK人間講座でCWニコルさんが語っていた。諏訪湖西山の森も暗い森がたくさんある。間伐、除伐、枝打ちを終えた明るい森を見るとホッとするけれど、そんな森は多くはない。目につくのは近づき難いくらいに荒れて暗い森―。里山再生はいまだ手探りの状態。いま、大切なのはみんなが身近な森の現状を知ること。週末は家族で森に入ろう。
2004年8月11日
小屋の入口に目蜂が巣をかけた。巣も小さく蜂もまだ五匹しかいないので、今ならよそへ移ってくれるのではと、長い棒切れで巣だけ叩き落したが、すぐに再生してしまう。再生のスピードたるや素晴らしい。一日で八穴くらい平気だ。仏の顔も三度、仏心にも限界がある。いやいや、汝殺すなかれ。信心深いわけではないけれど、手元がにぶる。とはいえ背に腹はかえられぬ、チクリとやられてからでは遅い。心の整理!?がついたところで、ホウキを八双(はっそう)に構えて待つ。五匹全員そろったところでナムサン、エイヤッ。ウンのいいやつもいて、一匹だけは後ろも見ず一目散に近くの林にとび込んで消えた。
2004年8月10日
お盆花を探しに山に入った。採れたのはオミナエシ四本、ユリ一本。仏前に最も似合うキキョウは、たったの一本も見つけられなかった。以前はあちこちに野原があって、これらの花々がごく普通に咲いていた。お盆花は買うのではなく、摘んでくるのがあたりまえだったのである。「単なる懐古趣味」と斬って捨てるのは簡単だけれど、野草が色とりどりに咲き競う野原や野道は、そこに住まう人々が人間らしさを取り戻すふるさと原風景―。これらの復活にむけた思想と実践は、日々進化する科学技術の対極にあって、これからの大切な課題となるにちがいない。
2004年8月9日
肥料はボカシを中心に、農薬は極力使わず、除草も手抜きして、気ままに育てた野菜が実った。「野菜は人の足音を聞いて育つ」というけれど、菜園通いは平均すれば週に一度。それにしては朝採り野菜は思いのほか豊穣!?-と自画自賛するほどでもないか。(8月9日惜桜小屋日記参照)
2004年8月7日
立秋の小屋の森は、エゾゼミの合唱につつまれているけれど、深緑の木々はどこか静謐な穏やかさを感じさせるのは不思議である。「この暑さ 残暑というもおろかなり」。めくらめく日差し、沛然と襲う夕立-はまさしく真夏のものだが、朝晩の涼しさは、ついこの間とは確かにちがっている。
2004年8月4日
テレビで月山の鷹匠父子を紹介していた。目の前で鋭い鷹の爪に切り裂かれるウサギを見て、はじめ「動物を殺すのはかわいそう」と泣きじゃくっていた小学生の子。「かわいそう、哀れという感情を持つのは自然のこと。われわれは動物たちの死に支えられ、命をもらって生きている。だからいつも感謝の気持ちを忘れてはいけない」と静かに語る父。「命を無駄にしないために全部食べるのが礼儀」と、子の拒否反応にひるむことなく、なおウサギの解体を最後まで見せる。子は真摯でゆるぎない父の姿を見て動物の死を受け入れる。そして雪山深く獲物を追う鷹匠父子の姿が-。
2004年8月3日
小屋の森の山みちでオオムラサキの死骸を見つけた。国蝶だが里山の雑木林を代表する昆虫のひとつ。森のエノキで繁殖しているらしく、毎シーズン一頭だけ小屋の周辺へ姿をみせるのだが、今年はまだその優雅な舞姿を見ていない。宝石のような翅の輝きを失わない死骸からは、かえって死のあわれみが伝わってこないのは不思議-。
2004年8月1日
猛暑異変!? 県内はじめ全国各地でセミの初鳴きが早まっている(7月25日付信毎)という。夏鳥の旅立ちはどうだろう。そういえば7月下旬にはもうキビタキ、オオルリ、センダイムシクイといった森の歌い手の演奏をほとんど聞くことはなかったように思う。愛鳥家の見解はどうだろう。
2004年む7月31日
近くの峠路にちょっとした小さな原っぱがある。いつもは車で通り過ぎてしまうのだが、満開のクサギに誘われるまま付近を散策していて、ラン科のネジバナが咲いているのを見つけた。繁殖力が強く、群生地もあちこちみられるけれど、小屋の森では数年前から姿を消している。花期はとうにすぎて、二株だけ名残りの花を懸命に咲かせていた。車を捨てて野を歩こう。小さいけれど意外な発見に出会える。
2004年7月30日
小屋の前庭に白い大きなウバユリが咲いた。エゾゼミの大合唱は午後四時半ころピタリとやまり、かわって鳴き始めたヒグラシもほんの数分で鳴きやんだ。待ってましたとばかり森の四方でクロツグミが高らかに歌い出した。頂上から夏休みに入った家族連れのにぎやかな歓声が聞こえてくる。つい先日までいた夏鳥のツツドリやホトトギスの声はもうない。子育てを無事終え、南へ旅立ったのだろうか。炎暑の中、季節は移ろう。
2004年7月23日
七月に入って、HDがカラカラ異音を発しはじめるなど、調子がおかしいと思っていたら、とうとう愛機SONY
VAIOがダウンし買い換える事態に。予測して大方のデータはバックアップをとっていたので助かった。このホームページはプロバイダからダウンロードして生き返った。それにしても、今はプロバイダにしろメーカーにしろユーザーに対する支援態勢が整っているので助かる。それがなければ中高年はお手上げだ。
2004年7月7日
小屋の森も夏日が続く。木陰にランの仲間のオニノヤガラが咲き始めた。同じ場所に続けて咲くことはなく、毎年違った場所に芽を出す。高さ約1メートル、葉らしきものは見えず茎だけが直立、頂上付近に黄褐色のつぼ型の花を穂のように沢山つける。枯れ木にも見えてしまう地味な花だけれど、年ごとどこに現れるのか、その神出鬼没ぶりがおもしろい。
2004年7月4日
村おこしで野の草をまるごと食べるという、つみくさの里うるぎ(売木村)にでかけた。どんな野草がどんなメニューに仕立てられ、味はどうか等々興味津々。食前酒はキーンと冷やしたイチゴ酒、続いて畑の雑草スベリヒユの酢味噌あえ、月見草の甘酢あえ、オオバコやアカザのてんぷら、野草入りこんにゃくなど、まさに山野草のオンパレード。どれも素材の色、食感、風味などが生かされていておいしく、おかみとの野草談義も楽しいものでした。昼食13品コースで2500円。高いか安いかはそれぞれ-。
2004年7月3日
ホタルブクロが咲き始めた。地味な花だけれど、郷愁を感じさせる。オミナエシ、キキョウ、ナデシコなどと共に、もっともっと野道に復活させたい野草のひとつ。
2004年7月2日
数日前からハルゼミの声がピタリとやんでいる。ことしは何年ぶりかで大量に羽化した。小屋の森も天気の良い日には、ハルゼミの大合唱につつまれた。その迫力に押され、野鳥のサエズリが細ってしまったほどだ。ここ一両日は、クロツグミが高らかに歌い、キビタキが妙なるソロ演奏を聞かせてくれている。
2004年7月1日
採ったばかりの松茸とコムソウをもらって食べた。シーズンにはまだ遠い珍品とあって、頭でその貴重性をかみしめ、舌で風味を味わった。秋も深い旬の頃に比べ薄味の感は否めないけれど、初物を堪能させてもらった。あわせて豊かな自然に囲まれて生きる幸せもかみしめながら・・・。
2004年6月30日
小屋の森の数ヶ所に、有害鳥獣駆除のワナが仕掛けられた。行政当局に駆除を頼まれたのは、森の麓に住んで、生態を熟知したベテラン猟師とあって、仕掛けた数日後には早くもニホンジカ四頭がかかった。子鹿だった一頭を森に返したのは、厳しい野生と対峙する猟師の矜持でもある。有害の烙印を押されたニホンジカ、カモシカ、イノシシ、それにいたずら猿と人が、里山で平和に共存することはできないものか!? 明快な答えはまだ用意されいいない。
2004年6月29日
窓外の"死角"を見事につかれた。今年二月、我が家のサワラの植木にキジバトがせっせと通い、営巣物件を物色中-と紹介したけれど、その後日談。生き残りをかけた野生の本能は、いくら平和の使者といえども、したたかである(惜桜小屋日記参照)。注:5月27日発信の内容
2004年5月26日
目の前にあるコレが、なぜ今まで気がつかなかったのか、不思議というほかない。森に何年通っても新しい発見があるのは、ひとつにはボケッとした性格にもよるけれど、自然の邂逅をめぐって、その深淵な営みを改めて思う(惜桜小屋日記参照)。
2004年5月22日
久しぶりにじっくり本でも読もうと、惜桜小屋のデッキにくつろいだけれど、視界に次々現れる野鳥の姿、鳴き声に気が行ってしまい、五時間で読み進んだのはたった数ページ。活字なんかよりも、目の前で繰り広げられる森のページェントのほうが魅力あるに決まっている-。サァ、書を捨て森に行こう!?。
2004,年5月17日
雨の中、午後四時すぎて、小屋の森を訪れた。いろいろあって三日ぶりだったけれど、もうヤマツツジとフジが満開、森の木々も若葉から深い緑にかわりつつある。木陰に埋けたホダ木のシイタケは、存分に水分を吸って大きくカサを開き、ビニールの買い物袋一杯に収穫できた。持ち帰ってバター、味塩と一緒にアルミホイルにくるんでボイルし、ビールの肴に-。
2004年5月10日
猿の群れがどうやら西山の森に住みついたようだ。群れの数は数匹から7,8匹といい、目撃談に幅がある。山つきの畑でタマネギの葉っぱをすっかり食べられてしまった-との話も聞いた。小屋の食料・残飯管理も厳重にしなければ・・・。猿の遊ぶ森も悪くないが、餌の乏しい森での共存は何かと軋轢を生じそうで、やっかいでもある。
2004年5月7日
いや、まいった驚いた。年甲斐もなくのけぞってしまった。この場所(別の場所では確認済み)では発芽はもうない-とあきらめていたベニバナヤマシャクヤクが、どっこいすくすく育っていた。草丈10センチにもなるのに気づかなかったわけは?(日記参照)。
2004年5月6日
長野県の希少野生植物候補になっているベニバナヤマシャクヤクが芽をだし、順調に育っている。昨年は場所の異なる二ヶ所で四本が確認されているけれど、今のところ芽を出したのは一本だけ。このヤマシャクは、見つけた年から数えても、花をつけないまま二年たち、今年三年目になる。小屋の森では花期は梅雨さ中の六月。今年は咲くだろうか。
2004年5月5日
山里の小さな沢沿いの山みちに入った。やぶをくぐった先が急に明るく開け、原野に戻った一枚の田んぼが現れた。地形に合わせた瓢箪みたいな小さな田んぼだ。かつては春耕から稲刈りまで、自然と一体となった生活の営みがあったのだろう。ただウグイスがしきりと鳴いていた。
2004年5月2日
山裾の原っぱからまだ若い、柔らかなモチグサを摘み、小屋の森に伏せた茸のホダ木から肉厚のシイタケを四つ収穫しててんぷらに揚げた。目の前にエナガの戯れるデッキにくつろぎ、あつあつの揚げたてを、ふうふうやってほうばる。「摘みたて、揚げたてはやっぱり違う。これはうまい」「絶品だ」と少々大げさなのは、気分も味のうちということか-。
2004年5月1日
ツツドリが例年に比べ一週間も早く渡ってきた。ポンポンポン ポポポン 長閑な鳴き声は森に初夏の訪れが近いことを告げている。高らかに歌うクロツグミは自らの美声に酔いしれて、握ったマイクをなかなか手放そうとしない。歌姫キビタキはノドだけでなく、樹間に遊ぶ舞姿も美しい。ツンツンとヒトリシズカが群れて咲き、地表を埋めたタチツボスミレが薫風にそよぐ。 諏訪湖の森が一番輝く季節がやってきた。
2004年3月26日
ウグイスの初音をたずねて小屋の森につづく山畑を散策。しばらく立ち止まって耳をすませてみたけれど、声はなし。春耕の手を休めていたひとに聞いてみたところ「今年はまだ聞いてないね。いつもの年?、う〜ん、あんまり気をつけて聞いたことないんでわからないな」。
2004年2月25日(水)
先週の暖かさに春を予感したとたん、週明けいきなり余寒(よかん)のパンチをくらって、浮き立つ心もふっとんでしまった。とはいえもう旬日を経ずして弥生三月、里山の西向き斜面の雪は一気に解け出している。
2004年2月22日(日)
日脚(ひあし)が伸びてきた。冬至のころに比べ昼間が一時間ほど長くなっている。夕方からの雨も暖かいとはいえないけれどけして冷たくはない。
2004年2月21日(土)
久々の風邪ようやく回復へ。二十四節季の「雨水」もすぎ、我が家の周囲に広がる田畑は黒々として、季節は着実に動いている感じ。デーデーポッポ、デーデーポッポ 小屋の森のキジバトが歌いはじめた。東向き斜面にある森はまだ雪景色だけれど、この歌を聞くと、のどかな春がそこまでやってきているのを感じる。
2004年2月16日(月)
インターネットの利用率は五十代53.1%、六十以上16.2%-総務省の調査結果(2002年末現在)が今朝の新聞に載っていた。いずれも前年に比べ大幅な増加、中高齢者の普及率はこれからは更に加速すると-。
里山のスローライフを愛でるセンチメントとは対局にあるけれど、いろんな意味でこれほど便利なものはないというのも素直な気持ち-。
2004年2月15日(日)
そういえばスズメの姿が随分少なくなった。ひとむかし前だったら、目を向ければどこの屋根、どの電線にも必ずといってよいほどスズメの姿があった。毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばするとはいえ、害虫駆除の最大の功労者だけに自然のバランスがくずれないか心配-。と同時に、これまでずっと人のくらしと共にあった近しい隣人が、少しずつ追い詰められてゆくのをみると、いささかの寂しさを覚える。
2004年2月14日(土)
立春を過ぎたあたりからスズメの声にこころなし艶が出てきた!?。もともと色気のない鳴き声の持ち主なのだが、一年のうち何回かは美声のたぐいの鳴き声に変わる。そのひとつが陽春の繁殖期を控え、雄スズメのからだにある衝動が芽生えるこの時期なのだという。これも春の前ぶれ-。
さてあなたの耳には鳴き声の"ツヤ"聞き分けられるでしょうか?。 今日はバレンタインデー。
2004年2月13日(金)
惜桜小屋の森の麓の山畑にきれいな湧水があって、農作業のあいまにノドを潤してくれるオアシスになっている。一帯に生息するタヌキに似たハクビシンの水場にもなっていて、朝になると獣の臭いがぷんぷん。そこへふってわいたようなハクビシンのSARS感染騒ぎ。中国産ハクビシンの話しだけれど、気持ち悪いとこの湧水に蓋がかけられた。野生動物と人の暮らしの接点にある里山ではいろいろなことがある。野猿被害にしてもハクビシンにしても、絵に書いたような正答がないのが双方に切ない。が、そこがまたおもしろい-といったら不謹慎だろうか!?。
2004年2月12日(木)
九州と四国でヒバリの初鳴きを聞いた-と今朝のNHKテレビ。生物ごよみは季節感をしっくり伝えてくれるから嬉しい。女性アナウンサーの声も弾んでいた。春の便りはこれから少しずつ北上するけれど、その歩みの速さは気圧配置のご機嫌しだい!?。
2004,年2月11日(水)
森のいやし効果について林野庁は三年ほどかけて解明することにした。森林浴、フィトンチッド、マイナスイオン、ストレス解消と言葉はとびかっても、いやし効果の医学的解明はまだなのだという。新しい専門職森林療法士を創設、森林療法のメニュー確立も視野に入れた本格的なものらしい。いま里山は随分荒れているけれど、政策の目が向くことにつながれば-と期待したい(山みち考現学参照)
2004年2月10日(火)
諏訪湖西山の森の麓で、また猿の群れが見られるようになった。群れは十匹くらいだという。住み着いたとすれば、これから野菜の被害が心配。それに一キロと離れていない惜桜小屋は彼らの目にどう映る!?
2004年2月8日(日)
我が家のサワラの木にキジバトが頻繁にやってくるようになった。ぼつぼつ早いツガイは巣作りを始める時期。今年は子育てが見られるか!?。昨年は3月中旬に下諏訪の友人宅で巣立ち直前のヒナを見ている(日記参照)