Recode of Daily Cat's Life
   

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osamu_kyaroru
2007年12月9日記

 双子のように見える
オサム(1991年生れ)上とキャロル(1999年生れ)。年の差8歳。
 今私の猫ちゃんの中では丈夫な2匹。
 蔵の2階猫部屋で暮らす。
オサムは横浜から猫部屋に入った当初
皆に溶け込めなくて、左足をひどく引っ掻かれたところが化膿して何針も縫ったことがある。
 2年前の冬は集団風邪でひどく痩せたが
半年以上かかって自力で回復した。歯は何も無くなってしまったけれど食欲は旺盛。
osamu_kyaroru 写真下に写っているキャロルは一昨年私の不注意で部屋から逃がしてしまった野良猫ナナが産んだ子供の一人。
 お茶目な性格だがおしっこをあちこち引っ掛ける癖があり油断できない。2002年8月1日に外出した際に刺激物を吸引したらしく呼吸困難になって帰って来た。
 検査や治療で1ヶ月入院して奇跡的に助かった。
 今は2匹とも丈夫になったのであまりかまってあげられない。
 
 ごはんをあげに行くと甘えてきて遊んで欲しいと寄ってくるけど1回づつ抱っこしてあげてそれで終わり。
リリィ(1998年生まれ)9月に瀕死の状態から立ち直った つぶ(1995年生まれ)。肥満で別名「万里の石つぶ」。
リリィは以前のように台所の窓から1日1回外に出てゆく リリィは昆虫や小鳥に好奇心いっぱい



2007年11月30日 記
野生を取り戻したチャーちゃん

9月22日の交通事故から約3ヶ月が経ちました
骨盤骨折でまったく歩くことができずに蹲っていたチャーでした
すぐに手術をしていただき 病室で悲しい顔をして
面会に行くと すまなそうに擦り寄ってくるチャーでした
1ヶ月前に 術後の状態をレントゲンに撮っていただき
ボルトの緩みなどないことを確認しました
退院後ずーっとケージの中でリハビリしていましたが
1週間前から ケージの外に出して室内歩行自由にしました
目つきがちょっときつくなって 怪我を克服した分
なんだか精神的に強くなったように思えます
擦り寄ってきたり 甘えたりすることがなくなり
少しびっこを引きますが パカパカと元気に私から逃げ回っています



心に響く言葉を見つけました

 インド古来の四十九日の意味では、死後から一週間おきに七回「生まれ変わ
り」の時があり、7日*7の49日で必ず新しい世界に生まれ変わるという考え方
があります。これを「輪廻転生」(りんねてんしょう)と言います。

 一般には、この「輪廻転生」を死後の生まれ変わりとして、永遠の命の一つとし
て考えられることが多いのですが、浄土真宗では「即得往生」(そくとくおうじょ
う)を言います。
 これは、私たちの有限な身体や世界から、無限の存在の世界である阿弥陀如
来の世界へ瞬時に開放される事を言います。従って、亡くなられてから後、亡霊
の様にそのあたりを漂っているということはありません。

 人が(すべてのいのちあるものたちが)生きるには、その命には必ず限り(おわ
り)が来ます。しかしその命が終わることで、その人が「確かに生きていたこと」
は意味を失うことはありません。また別なわけのわからないものに変わってしま
うこともありません。

 四十九日は亡くなられた人にとっても四十九日、同時にその方と別れられた方
にとっても四十九日です。
 二度と引き返すことのできないこの一瞬一瞬を、お浄土に還られた方が時間の
推移として私たちに教えてくださり、またその方がいらっしゃったという命の証
が、現実にここに在り続けるという事に感謝し、精一杯前に向かって進んでまいりましょう。

9月14日の夜通しないていた それからほとんど食べなくなった
水は沢山飲んでいたが皮下に輸液をして脱水を補っていた
19日の午後獣医さんに連れてゆき腎機能が悪化している事が判明
         2007年11月14日
     
      Wendyの死から2ヶ月経った今


 9月26日夜10時にウェンディの鼓動が完全に止ってから四十九日が過ぎた。この2ヶ月いろんな思いを抱いて過ごしてきた。あの時入院して治療を受けていれば もしかして助かったかもしれない・・・
 9月19日に同時に検査と治療を受け入院したリリィはあの日の状態がまるで嘘だったかのように元気になった。ウェンディを看病しながら4匹の猫の治療をしていた。呼吸器系が弱く虚弱なリッチィも体重が増えてふっくらしてきたし、星友は右目の虹彩炎が治まっている様子で、猫白血病ウイルスによる目以外の症状はあらわれていない。骨盤骨折のチャーも傷跡が目立たなくなってきた。しょんぼりとしていた事故直後から退院までの1ヶ月前とはうって変わったように食欲旺盛で元気はつらつな表情をしている。
 ウェンディが守ってくれているのか・・・・
 一緒に暮した動物が亡くなる時私はしっかりとその最後に時の許す限り付き合い苦しみを見定める。悲しみたくないから・・・
お風呂場にこもって水を沢山飲んでいたころ 
2階の私の部屋に連れてきても よろよろと階段を下りていってしまう

獣医さんからもらってきた薬を飲ませるために笹身やお刺身を指で強制給餌して与えていた

うずくまっていても トイレに行くときは すくっとたちあがって
からくり人形のように とことことこと左右に体をゆすりながら
歩いてゆく    意思の強さを感じる
Wendyは こんなに強いコだったんだと ジンときた

かごの中でじっとしていたり お風呂場に行ったり少しづつ
動いていた

25日 この日の夜で輸液で水分を入れるのは止めた

気持ちはしっかりしているけど 思うように歩けないウーちゃん

26日の昼頃から 寝たきりになった トイレにゆけない
息をしていて 体をピーんと時々伸ばす
呼吸は落ち着いていて 意識が朦朧としているが
呼びかけると 耳を動かしたり 目を開けたり
リッチィが添い寝している
ウーも安心しているのかな・・・・

星友は ウーの同胎の兄弟 ピーターに似ていて
ちび猫がくるまでは よくウーと寝ていることがあった
最後に星友もウーのそばで添い寝して 
ウーが寂しがらないようにしている
ウーは背中に星友が居るのを感じているかな・・・

まだ生きているような気がする

26日の夜10時にウーの心臓の鼓動が止ってから
私も他の猫ちゃんと一緒にウーに添い寝した
翌日の27日に体を洗ってあげた
獣医さんに行ったときに計った体重が1.6kgだった
このときはもっと少なくなっていたに違いない
でもガリガリのように痩せていないように見える

火葬に連れてゆく直前   もうこの姿では会えない

この日ウーと一緒に 旅立つ動物がいた

Wendyが旅立った日は 空が晴れていた

蓄霊塔
何度も何度も ここで見送った動物たちの思いがここに残る




2006年 9月23日のリリィ
           2007年10月21日
        
            リリィ 膿尿 黄疸


 先月9月13日(木)あたりからウエンディ、星友、リリィ、リッチィ・・みーんな具合が悪くなって来ました。特にウェンディとリリィは食欲が落ちました。獣医さんにかかると治療代が大変なので自分で補液は行って脱水から来る症状の悪化を予防したり抗生物質を飲ませたりしてました。
 
 ウェンディはこの一年夜になると鳴くきつづけていました。リッチィは沢山食べては吐くの繰り返し。私は夜しっかり眠れない日々を過ごしていました。リッチィの吐く量と範囲はただならぬもので、床に染みができました。私はその後片付けなどで神経衰弱になりそうでした。なのでこの2匹を相性は悪いのですが、隣の部屋に移して一緒にして住ませていました。ウェンディは、落ちつきが無く物を食べ散らかすリッチィと一緒にされてすごいストレスを感じていたかもしれません。星友は去年発症した虹彩炎が右目にも発症してきました。星友には去年余分にもらって残っていたステロイドの飲み薬と目薬を使っていました。



2007年9月28日 
具合が悪くなってから外の犬小屋で
寝ていたリリィ
 ウェンディもリリィもほとんど食べなくなって、リリィはトイレに頻繁に行くようになりました。どうやら頻尿になっているのに尿がほとんど出ていません。とても見ていられなくなって19日の午後2匹を連れて石川犬猫病院に連れて行ってきました。検査結果は2匹とも入院治療しなければならないほど悪い値でした。 私の現在の経済状態では皆に治療費が十分にかけられません。それで 若いリリィを土曜日まで入院させ、ウェンディにはお薬をもらって自宅で看取るつもりで連れ帰りました。結局22日にはチャーちゃんが交通事故で入院するハメになってしまったので私の計算は大いに狂ってしまいました。
 9月19日から1ヶ月が経ち昨日リリィを獣医さんに連れて行って検査してもらいました。9月22日に退院してから一時薬を切らしてリリィの症状はぶり返して悪くなってしまいましたが ほぼ毎日補液(ソルラクト)を行っていたので食欲がでてきてドライフードを自力で食べるようになりました。
 馬刺しやマグロの刺身を少しづつ強制給餌してました。
体重は1ヶ月前が2.6kg、昨日は2.7kgでした。
 
9/19 9/22 10/12 10/20
WBC 31100 24600 50800 31600
RBC 675 550 550 542
Ht 26 25 22 25
ALT 77 95 77
BUN 53 94 84
Cre 2.3 3.0 4.1 4.2

薬はバイトリルと言う抗生物質と尿の酸性度を下げる水薬を使い、尿の排泄を促進するためと酸性度をさげるための皮下補液を続行しています
感染症は膀胱炎ばかりでなく歯石のほうからも来ていそうです。なんとか食べれるようになったので嬉しいです。
 9月22日の交通事故から1ヶ月、手術後の退院(8日)から約2週間経ったチャーちゃんは包帯も外れ、抜糸もほとんど済みました。抗生物質はずっと飲ませていますが、元気が出て体力もついてきたので、ケージから逃げようとするようになりました。
 
 びっこを引きながら歩いています。骨折をした右足よりも、関節が外れた左足のほうが治りが悪いです。
 ケージを2つ並べたので 広い個室ができリハビリに役立っていると思います。トイレも離れているので快適ではないでしょうか。
 ここまでお金をかけて治してきたのですからこれから先1年はうっかり外には出せません。仲間の猫たちの遊びにも注意していなければなりません。お薬をあげたり身周りの世話で1日が過ぎるのが早いです。あとお金の無くなるのも早いです。頑張らないと・・・




退院前のチャーちゃん
       2007年10月10日 記
      車にはねられたチャーちゃん

 7月1日にちび猫を交通事故で亡くしたばかりなのに、今度はチャちゃんが家の前の道路ではねられてしまった。
 9月22日の午前8時、毎朝のようにリリィ・星友・チャーは台所の出窓から外に出て行った。しばらくしてチャーと仲の悪いキャロルを別の家から出してしまった。そして喧嘩が始まりその直後に道路に出てはねられてしまったようです。
 私の家は少し道より入ったところにあるのですが、昼に仕事から帰って来たときに、植木の刈り込みの中にちょこんと大人しく座っていて動きませんでした。いつもならすぐに逃げるのにおかしいな・・・。「まさか チャーちゃん車にはねられたんじゃないでしょうね?」と話し掛けると悲しいような顔でただこちらを見るだけです。
 抱っこして家の中に入れて猫ベッドの中に寝かせたのですが どこにも外傷と思われるものは無いのに歩けません。動けません。
 
写真の左は22日手術前の写真 手術をしないで固まれば歩行障害と排便障害に悩まされることになる 費用見積もりは40万と言われ迷ったけれど手術をしてもらうことにした。血液検査でCPKが2000以上。術前検査ではFIV、FELVともに(ー)。
 右は24日の右の複雑骨折の手術後
27日には 体力の回復を待って左の骨盤間接の外れをつける手術が行われた 右のワイヤーはたぶん永久に固定したままになる  左のピンは半年か1年後に抜くようです。

公園で雨の日も雪の日も 餌を待ちつづけるチャー

今年の2月2日に捕まえて来て1ヶ月はケージの中で
暮した  不安でいっぱいの表情のチャー

チャーちゃんを初めてみたのが
去年の9月
まだ ちっちゃな子猫だった
公園に来るおばさんから餌をもらって
生きている猫の仲間と暮していた

メッセンジャーの星友が話し相手になった

8月にやっと去勢手術に連れて行った

外に出て遊んできては バッタやカマキリをくわえてきた



2007年 9月27日 記

ウェンディは9月26日 昼頃トイレに行こうと動いた後から
ずっと横たわったままになり 時々からだを伸ばしたり
小さな声でないたり 呼びかけに答えて体を起こそうとしたりしました
其の後 呼吸がだんだん浅くなってゆき夜9時54分に瞳孔が開き
10時に心臓の拍動が止りました  とても静かで綺麗な死でした

9月19日に 血液検査をした後に リリィと一緒に入院させれば
もう少し生きることができたかもしれない・・・・・
あるいは 入院させていれば病院で息を引き取ったかもしれない
ただ あの日私は 今までの辛い経験の多くから
ウェンディを家に連れて帰って 看病してあげるほうを自分で選んだ
26日の朝は ウェンディはよろよろと立ち上がって少しだけ歩いた
今日 昼間ウェンディの体を洗って 毛並みをふわふわに整えてあげた
体重は減っていたけど とても病気だったような感じがしない
ウェンディと出会って19年も経ったなんて・・・ そんな感じがしない
でも 最後をきちんと看てあげることができて 本当に良かった



                        2007年9月24日
 ウェンディはS63年9月20日産まれ・・・と言うことは19才の誕生日を迎えたばかり。母猫は家で面倒をみていた猫だったが、彼女ともう一人の息子を産み落としたまま帰って来なかった。胎盤をつけたまま保護してミルクから育てた。 2匹の子猫の名前はピーターパンから名づけた。幸せになるように・・・・・。
 
 相棒のピーターはH16年2月に亡くなった。2匹は沢山の猫とともに育ったけれど、遊ぶときはいつも2匹がぴったりくっついてじゃれあっていた。ウェンディの顔はピーターが亡くなってからとても寂しそうに見えた。
 
 ウェンディは丈夫でいろんな病気の子とともに育ったのにも関わらず、ウィルス感染も無く、歯石除去を3回ほど受けたくらいです。昨年から夜鳴きとが激しくなり、特にこの数ヶ月は夜中の騒音に私が耐え切れなくなって私の部屋から隣に移動しました。その他2年前くらいから私の机の上とかバッグなどの上に食べ物を吐くようになりました。 なんだか 私が他の子の世話をしていることに腹を立てているように思えました。
 2ヶ月前の写真ではこんなにふっくらとしているのに、1週間ほど前の敬老の日あたりから水ばかりのんで食べ物を食べなくなりました。
 リリィちゃんも おしっこが出なくなり 2匹を石川犬猫病院に連れて行って検査をしてもらいました。ウェンディは腎機能障害が進んで高アンモニア血症になっていました。 リリィは尿毒症と 細菌による溶血性黄疸になっていました。 リリィは即入院させましたが、私はウェンディを家に連れて帰りました。
'7.9/19 '06.4/30 '05.10/1
体重 1.9kg 2.7kg
体温 39.4 38.2
BE -15.2 -8.4
白血球 57800 25700 25000
赤血球 579 575
Ht 22 24 30
PLT 50.8 33.2
TP 11.0 7.4
ALT 71 42 368
BUN 118 48 69
Cre 3.0 2.0 2.2
Na 177 151
K 4.3 3.8
Cl 138 116


 ウェンディの小さな頃のことは こちらでお読みください。リリィは22日にだいぶ症状がよくなって退院し、内服薬と皮下輸液による治療を続けて元気になりました。ウェンディ内服薬と皮下輸液では体力が持ち上がってきません。昨日23日はお刺身を5切れ食べさせミルクも飲ませることができましたが、自分では水も飲めなくなりました。 今は静かにゆっくりと彼女の残された時が過ごせるように 時々水を飲ませて見守っています。
 今星友も去年併発した虹彩炎が再発してしまいました。リッチィも具合が悪いです。そしてこんなときになお悪いことに、2月に保護して面倒を見てきたチャーちゃんが車にはねられて骨盤骨折で入院してしまいました。  沢山動物を飼っていると1匹1匹に関わる時間が十分取れません。



2007年 7月31日

天使になったちび猫
小さな頃 ・・・(保護した頃のちび猫の写真)

去年天竜川沿いにある物置小屋で保護し
一緒にくらしていたちび猫は
7月1日の朝 家のすぐ前の広い道路の反対側で
車にはねられて亡くなってしまいました
まだ1歳と数ヶ月という若さで
ちび猫はお花が大好きでした
ここにはお花と一緒に写っている写真を載せます

6月30日の夕方外で遊んでいる姿を見たのが最後になってしまいました。夜中にちび猫を呼んだのですが何度呼んでも返事はありませんでした。道路を渡って道の反対側に遊びに行っていたのです。
縁石の上に横たわっているちび猫を見つけたのは7月1日の朝8:30頃でした。私のほうに背中を向けてツツジの植え込みの中にじっとしているちび猫を見た瞬間、彼女に何が起こったのか理解しました。前日に抱っこして家の中に入れてあげていれば、このような悲しい日を迎えることは無かったでしょう。
 悔やんでも悔やみきれない思いが残りました。通りがかりの人がちび猫を道路の脇に寄せておいてくれたおかげで、ちび猫はまるで生きているかのような状態を保つことができたのです。
 どなたか解りませんが其の方には本当に感謝の気持ちが絶えません。体の損傷はありませんでしたが左の目の上のあたりにぶつかったときにできた小さな傷がありました。
 お風呂に入れて体を綺麗にしてあげました。其のときに鼻血がたくさん流れ出て来ました。頭蓋内出血による即死だったと思います。ちび猫との楽しい生活は突然終わってしまいました。あまりにも突然過ぎて1月が過ぎた今でもまだちび猫の死が信じられません。





2007年 5月29日 記
 
チッチとの別れ

2005年の夏頃からちょっと痩せて弱そうで毛並みの悪い雄猫が数日おきに姿を見せるようになった。年は2〜3歳くらいに思われた。彼と入れ替えに Pホテルの近くで幅を利かせているらしいボス猫ケテオちゃんはあまり帰ってこないようになった。
 私はこの猫ちゃんをチッチと名づけて、来るたびに食べ物と話し掛けで懐くようし向けていった。

 毛並みの悪いのは皮膚病か寄生虫によるので、食べ物を食べている時に近寄っても逃げなくなったある日、背中につける蚤落としのスポッツオンを使用した。翌日チッチの寝ていたビニールシートの上に数百匹の虱の死骸が落ちていた。虱を落としたチッチの毛並みは日に日に良くなっていった
 。


逃げなくなったのでピンクの首輪をつけた
 首輪が気に入った様子のチッチ
落ち着いた猫ちゃんだった
2006年年8月
2006年10月
懐いたとはいえこの頃はまだ外の猫ハウスで
暮していた
2006年4月に保護した犬のマリちゃんの
ごはんを美味しそうにたべていた

2006年11月に去勢手術を受け
家の中で静養していた頃
2006年11月

家の中の猫ちゃんともだいぶ仲良しに
なった

犬のマリちゃんのごはんが欲しくてたまらない
ひとのものが美味しくみえるのは
人間だけではないみたい
 チッチは小さな頃は 人間に飼われていたことがあるらしく だんだんおっとりとした性格を取り戻していった。体も太ってきて一見健康そうに見えていたが、口の周りにアクネができていて、そのために薄黒く汚れていた。それが何のサインであるかわかってきたのは4月後半からだった。
 尿が茶褐色を帯びてきて、食欲が落ちてきた。元気がなくなってあまり外にでなくなり、寝ていることが多くなっていった。体は太っているように見えたが背骨がごつごつと私の手に触れるようになった。
 5月14日まではやっとのことで歩いてトイレができていたが、肝性昏睡状態になり5月15日AM11時に息をひきとった。チッチは多分伝染性腹膜炎のウェットタイプと思われる病状だった。
 チッチの死から約半月が過ぎやっと彼と過ごした日々を落ち着いて振り返ることができた。チッチ最後までよく頑張ったね。今ごろケテオちゃんと遊んでいるかな?




今年2月10日の写真です
リッチィが寄り添っています
リッチィは病弱なのでこんな風に
だれの所へでも身を寄せてゆきます
2007年3月25日 記

 すみれの死 もう一人のすみれ
 今日3月26日 午後2時30分に すみれちゃんを火葬してきました。とても温かく晴れた空の中にすみれちゃんは煙となって昇っていったことと思います。「千の風になってここに生きている皆のことを見守ってくれるように思われてきます。

 今年2月から体調を崩していたすみれちゃんは次第に食欲が落ち、先週3月18日頃から食べ物を自分から口にしなくなりました。ミルクを口元にもっていってあげると飲むことができました。笹身を柔らかに茹でたのはほんの少し飲み込んでいました。すみれが最後に食べ物を口にしたのは24日の夕方4時過ぎで、お刺身を細かく切って指で食べさせました。
 すみれが寒がってはいけないと思い、今年になってからすみれのために炬燵を作ってあげました。すみれちゃんは右の写真のように炬燵の布団の脇でちょこんと座って暖を取っていました。
 亡くなる3日前の23日から私のベッドの中に入れて一緒に眠りました。1年前にフィリップが亡くなってからすみれを私の部屋に連れてきましたが、ウェンディが執拗にいじめて大声をあげて威嚇するので、すみれは本棚の上などでじっとしていることが多かったです。ごはんを食べる時やトイレに行くとき、ウェンディが怖くて体が固まってしまって手足がからくり人形のようにコワバッタ動きをしていました。
 人間の世界を見ているようでした。弱くてびくびくしていると余計にいじめられて、しかもすみれはなんの抵抗もしないのです。他の猫ちゃんだったら眼を飛ばしたり、手でピシっと打ったりするのですが・・・。
 私がすみれをかばうと、ウェンディは見ていないところでもっとすみれをいじめていました。お局ウェンディはもう年なのに・・。
 すみれの最初の名前は キンちゃんと言いました。もう一人の同胞はギンちゃんです。その頃ご長寿の双子のおばあさんのきんさん・ぎんさんからなずけました。
 でもやっぱり可愛い名前がいいなと思い、すみれちゃんに改名しました。15年ほど前にもすみれと名づけた子がいました。

炬燵の脇でほっとした表情のすみれちゃん

虹の橋のむこうでは 今ごろ先に逝った
こじろうや同胞のギンちゃん フランシスカちゃん
フィリップちゃんやお母さんと再会して
嬉しそうに飛び回っているかな・・
そして時々風になってこの世界を見ていることでしょう

左上からミッキー・すみれ・さつき・ゆりえちゃん

炬燵の脇でくつろいで眠っている3姉妹(同胞)
左がすみれ
 初代のすみれちゃんは外猫さんが産んだ子で生後2ヶ月くらいに育って外で遊んでいるときに捕まえて家猫にしました。すみれは一番後で保護したのですが、その時は手足に火傷を負った状態でした。この子達は外猫さんだったのにも関わらず性格が良くすぐに私達に懐いて甘えることができました。まだ恐ろしい思いや切ない記憶のない頃に保護したから良かったのだと思います。
 ノートを見て調べると すみれは1991年4月27日産まれのようです。5月19日にさつきを保護して6月13日にミッキーを保護しています。その後1ヶ月くらいの時に近所の焼却炉のそばでうろうろしていたすみれを見つけました。この子達は本当に仲良く遊んでいました。外に遊びに行ったりしてのびのびと育ちました。

初代のすみれは事故に遭った後私のところに
命からがら辿り着いて亡くなったかと思うと
不憫でなかなか火葬に持って行けませんでした
呼吸が苦しかったので見ているのが
とても辛かったです
外には猫の好奇心を誘うものが沢山ありますが
沢山の危険も潜んでします
車・毒・伝染病・虐待・・・・・・
家の庭が広く敷地内で動物が自然と触れ合える場所が
あったら理想的だと思います
土の匂い、草や花の匂い、木登り、穴掘り
小さな昆虫、蝶々、小鳥・・・・
いろんな体験を自然のなかで積んで
またそれを子供達に教えてゆける
そんな環境がペットといわれる動物達にも
必要と思います

 上の写真で奥の黒猫はクック、真中奥にミッキー、ゆりえ、すみれさつき、左の子猫は美奈子ちゃん(1991年10月12日に照光寺の門前で保護)、手前左にくまちゃん、真中に初代ナナちゃんが寛いでいます。家はぼろでも生き物に優しい私の実家でした。

 すみれちゃんは避妊手術をしていくらもたたない頃そとに出かけていって車にはねられてしまったようです。
あさ6時半頃私の枕もとに戻って来て一声鳴いたかと思った直後にばたっと倒れこんで苦しそうな呼吸をしだし始めました。外傷はありませんでしたが一目みて事故に遭ったことが解りました。酸素だけは吸わせましたが、それから1時間後に息を引き取りました。左がその写真ですがお腹が膨らんでいますので内蔵破裂もあったかも知れません。1993年の1月29日のことです。H9年の5月にはさつきがはねられて死亡しています。ゆりえはH13年12月28日に黄疸がでて死亡ミッキーはH14年の12月25日に死亡しました。

 25日に亡くなったすみれちゃんは初代のすみれちゃんの分まで長生きができたと思います。保護してから一度も外には出しませんでした。家の中だけで一生のほとんどを静かに過ごしました。
 どちらのすみれちゃんが幸せだったのかは一言では言えません。

 ただ一つ言えるのは 私達人間はすみれちゃんたちとすごして幸せでした。





すみれちゃんの目は斜視で右目が少し内側に
よっています。
すみれちゃんは 私の隣の部屋に住んでもらいました
こじろう・ルミ・ギン・すみれ・フィッリップ・フランシスカが
長年一緒に暮した仲間でした
すみれの暮した14年の間に仲間は次々に
病気で虹の橋をわたりました。

こじろう H8年4月30日死亡
ルミ H15年8月14日死亡
フランシスカ H17年1月5日死亡
ギン H17年4月25日死亡
フィリップ H18年3月31日死亡
最後の仲間だったフィリップが亡くなって約1年になります

すみれは悲しく孤独
本当は誰かのそばで眠りたい
寒い日は誰かのぬくもりが欲しい
取り残された すみれ
一人が好きになってしまった すみれ

遊びを忘れたすみれ
私が最後まで守ってあげる
だから 怖がらないで
私のそばにおいで すみれ
2007年3月10日 記
孤独なすみれ
 すみれは隣の家の車庫の屋根で1993年8月15日頃産まれたと推定されます。生後2ヶ月くらい経ったある日のこと車庫の塀の間の隙間に遊んでいるうちに兄弟もろとも落ちてしまったらしい。子猫の泣き声に敏感になってしまった私の耳に夜な夜な悲壮な呼び声が聞こえるようになった。3日経っても聞こえてくる泣き声の元が塀の間であることに気づいた時、隣の人に許可を得て塀の一部を壊させていただくことになりました。
 近所の大工さんに塀の下を切り取っていただき、中で空腹のために泣いていた子猫を助けてもらいました。最初に白黒のギンちゃんが出てきました。その次に白骨化した子猫の頭蓋骨がでてきました。きっと先に落ちてしまって死んでしまった子猫でしょう。最後にすみれちゃんが勢いよく駆けでてきて私が捕まえました。それがすみれとの出会いです。今年の8月で14才。

 幼少期を野良の母親が育てた子猫さんは人間にや外敵に対して警戒心を強く持っています。それに対し、幼少期に人間にそだてられた子猫は無防備で人間に擦り寄ってきます。その子猫の運命は出会った人間によって変わってしまいます。また、人間の運命もその出会いで変わってゆきます。ギンちゃんの警戒心はかなり早くから解けました。それは先住猫のコジロウチャンが解いてくれたに違いありません。すみれも一旦は警戒心が解けたのですが、避妊手術の印象が本人にとって怖かったのか、再び私に対して心を閉ざしてしまいました。避妊手術後の12年間というものは私が近づくと逃げてばかりの毎日でした。
 昨年の夏は 猫達の間にランブルべん毛虫が猛威を揮い、伝染力の強いこの寄生虫に対し薬を与えることができないすみれをやっとの思いで捕獲し石川犬猫病院に入院させて投薬と検査を行ってもらいました。
 そして今年の2月に入って体調を崩してから、徐々に痩せて、皮下輸液で脱水だけは予防していますが、体重が軽くなってしまいました。
 笹身はかろうじて食べることができています。猫のために作ったコタツの横でほとんどの時間を寝てすごしています。
 




2007年の大雪で道路脇には雪の山ができた
2007年2月3日
闘病と死
 パトリシアとチャールズ
 昨年12月に入ってから暖かい日が続いたにもかかわらず、猫達の間に気管支炎が蔓延していった。半数の猫が咳きや鼻水を出し、食欲が低下した。長寿猫ウェンディまで咳をしだした。慢性鼻気管支炎のキャロルは鼻の固まりをあちこちに飛ばしていた。 白血病ウィルス感染症のパトリシアは口内炎が悪化し気管支炎を併発した。その為ゆだれで口の周りはひどく汚れ、鼻が粘々の鼻汁で塞がった。いつも一緒にいたつぶやリリィの体のあちこちにもパトリシアの唾液や鼻汁がついてゴワゴワになった。パトリシア自身の両足や尻尾なども鼻汁で硬くなった。

 チャールズは12月20日頃から鼻水が鼻にこびりつくようになって食べられなくなってしまった。とりあえず皮下輸液で断続的に脱水を予防していった。1月4日まで固形物はいっさい食べれていなかった。 その為ぽちゃぽちゃしていたチャールズの体は半分くらいに痩せていった。

2006年9月14日はこんなにぽちゃぽちゃとしていた

星友君(右)はチャールズが大好きだった
星友君はシャイな性格のチャールズ君の所に
いつも自分から寄って行った

2006年11月15日 いつのまにか1本だけ残っていた
犬歯が抜けて何も歯が無かったけれど
ちゃんとドライフードも缶詰も食べていた
だから 体もまだこんなに元気

チャールズは静かにじっとしている子だった


2007年1月4日 12月20日以来初めて
鶏笹身を口にした 動物病院からの流動食は
嫌がって飲まなかった 体は半分くらいに
痩せてしまった。これをバネにして食欲が出ることを
願った。1月も7日を境にして寒気が増してきた。
ペット用ヒーターやハロゲンヒーターなど
暖房を使用して寝床を暖めた。


風邪症状は治まったが 食欲が無い
お刺身やレバー 馬刺しなども
ほんの少ししか食べてくれない
そばにいる キャロルやおさむくんが
チャールズのごはんを食べてしまう
よろよろと歩いているチャールズ。
輸液用の液を注射器いとって飲ませていた
 12月から闘病を続けていたチャールズが最後にごはんを口にしたのは1月31日。皮下輸液は2月2日の昼が最後だった。最後の輸液をする時よろよろと歩いて嫌がった。 口からも水分をと5cc位を注射器で飲ませた。夕方5時過ぎ頃から寝たままの状態になった。起き様とするが、首を持ち上げることが精一杯。
 わたしの部屋のベッドに寝かせて3時間位添い寝をしてあげた。 この日新たに捕獲した茶色の猫の世話もしてあげねばならなかった。
 
痙攣で手足がぴくぴくと動く。呼吸は苦しそうではなかった。朦朧とした意識状態でも名前を呼ぶと顔を動かす。ノアの時のように呼吸苦があると見ているのも辛い。チャールズには呼吸苦はまったく見られなかった。チャールズは11時に静かに15年の命を閉じた。

パトリシアは去年から口内炎で口の中が真っ赤だった
にもかかわらずドライも缶詰も良く食べていた
昨年は食欲は問題なかった 歯は右の下の犬歯と
左上の犬歯だけが残っていて 後は歯石除去の時
抜糸したり 自然に抜け落ちたりしてなくなっていた
大雪の降った1月7日ころから徐々に食べれなくなった
水はたくさん飲むようになって行った
2007年1月13日 もう固形物は口にしなくなった
大好きな笹身さえも食べることができない

これは1月19日 亡くなる前日の様子
この日まで皮下輸液を毎日行っていた
鼻水やゆだれを朝晩拭いてあげていた
口内炎もひどく上下の犬歯のあたる
唇のところが割れて痛々しかった
この日のパトリシアの目の虹彩の色が
蛍光色のように変わって 鼻から 目からも
皮下輸液が漏れ出しているような感じで
終わりが近いことが予測された
パトリシアは この翌朝深夜に猫用に作った
コタツの中で一人静かに亡くなっていた
すぐにお風呂に入れて
両手足や尻尾や口の周りなどについていた
汚れを綺麗に洗ってあげて ふわふわな毛に
整えて 静かに寝かせた
小さな体で頑張ったパトリシアでした。




ご長寿猫ウェンディ19才


去年11月撮影
本当は目がとても大きくて可愛いです
手袋と靴下を履いているように見える
赤ちゃんの頃からずっと一緒でいつも
仲良くしていたピーターが
H16年に亡くなってから
とても寂しそうです
猫伝染性腹膜炎・猫ジステンバー
猫エイズ・猫白血病ウィルス感染症
さまざまな病気の猫ちゃんと接してきましたが
ほとんど病気と言う病気には掛かったことが
ありません
奥歯は歯石のため抜歯したりしてありませんが
この年で上下の4本の犬歯がしっかりあります
最近少し耳が遠くなったような気がします

2007年 1月1日
 A HAPPY NEW YEAR 
    
The Youngest Cat whose
          name is

           WENDY
 ウェンディは昭和63年9月20日産まれ。今年で19才になる。三毛猫の小柄なお母さんから男の子のピーターと一緒に産まれ、胎盤がついたまま水路の溝に放置され2匹でないていた所を保護した。お母さんははじめての出産で驚いたまま育児を放棄した様子だった。
 その頃既に私の部屋には ナナ・アントニオ・ミンミン・カトリーヌ・ナタリー・フランソワ・オサム・レオ・ミィーの9匹が一緒に暮していた。
 
 それまでに乳幼児は何匹か育てた経験があったのでそれほど不安もなく子育てが始まった。私はミルク担当。保育は主に三毛猫のナナが担当し、9匹の猫全てが遊び相手やトイレの躾等成長に応じて関わってくれた。
 小さな頃から外と家、私の家と実家を自由に行き来して いろんな人間や自然と触れ合って生きて来ました。交通事故にも遭わず、毒を食べることもなく幸運な猫ちゃんだと思います。
 マイペースでとても気が強く、他の猫ちゃんの面倒見はよくありません。すみれちゃんと相性が悪くイジメテいましたので最近別居させました。

 小さい頃の思い出の写真を出してみました。
 

乳母ナナと ウエンディ ピーター

3ヶ月年上の兄ちゃん レオと

カトリーヌとナナ ウー・ピー

ナナは避妊手術したので
お乳は出ないのです

ナナ 生後2ヶ月

ピーター 生後2ヶ月

ナナ・ミンミン とウー・ピー

レオ ウー・ピー生後4ヶ月

ピー・ウーとレオ・ナタリー

フランソワ・カトリーヌ・ピー・ナタリー

ナタリーとピー・ウー
お目目ぱっチリで可愛い!

真中にチャールズ君が見えます
手前左下がウー

レオとピーター

ピー・ウーとフランソワ・カトリーヌ