旧渡辺家住宅の特徴

岡谷市文化財(平成2年指定)
長野県宝(平成5年指定)

長野県岡谷市長地柴宮3丁目に保存されている渡辺家住宅は、高島藩に仕え、この地の行政をつかさどった散居武士、渡辺家の家で、全国でも数少ない貴重な建物です。
 この家が最初に建てられた年代は、南側の座敷の戸口が袖壁を付けた閉鎖的なものであることや、土間の柱が手斧仕上げであることなどから、江戸時代、18世紀の中頃と推定されます。
 土間が広く、農家とよく似た間取りですが、式台や中床を供えた座敷などに、武士住宅としての特徴が見られます。
 その後、19世紀の半ばに大改築が行なわれ、南側にあった主な出入り口を北側に移し、北側の板の間や5畳の書斎と思われる部屋が設けられました。
 この大改築は、平成3年に行なわれた修理復元工事中に発見された墨書から、天保11年(1840)に始められたことが分かり、北側の座敷が完成したのは嘉永3年(1850)ころだと推定されます。
 修理復元工事中に襖や張付け壁の下張りから、多数の文書・書簡とともに、改築のための間取図4点、庭の築山の見取り図2点が発見されました。これらは、当時、渡辺家の当主であった渡辺斧蔵(千秋・国武の父で高島藩士)が自分で描いたものと考えられ、全国的に見ても非常に珍しい資料です。
 間取図には、現在も土間に敷かれている鉄平石(近在の山で得られる板状節理の安山岩)が描かれており、当時からのものであることがわかります。

郷土学習館がどのようないきさつでできたのかお話ししましょう


       郷土学習館の設立

 郷土学習館は、渡辺三大臣を輩出した旧渡辺家の保存住宅から南へ150mほどの郊外に、地域の人々の協力によって建設された学びの館です。
 激変する社会の中で、心豊かな人間性が阻害されがちな昨今、豊かな社会生活を営むために郷土のすぐれた先人の生き方や歴史、自然、文化等に学びながら、青少年から高齢者に至るまで、自らの生き方を問い直し「生涯にわたって学び探究し続ける」ための館です。
 建設に当っては、この趣旨に賛同する500名を超える皆様方のご協力とご援助をいただき、平成11年4月8日に完成しました。現在はNPO法人となり、学習室と展示室を公開し、郷土の自然、歴史、文化などを学ぶ講座や講演会がさかんに開かれています。

郷土学習館と旧渡辺旧宅はみなさまの来館をお待ちしています


  旧長地村の渡辺家からは、明治・大正・昭和にかけて渡辺千秋(宮内大臣)、渡辺国武(大蔵・逓信大臣)、渡辺千冬(司法大臣)を輩出しました。幼少期、千秋と国武はともに諏訪藩の長善館で学問と武術を学び、長じては薩長土肥出身者が占めていた明治政府に参画し国政を推進する大きな力を発揮しました。また、地元東堀区・長地村・諏訪郡・長野県のためにも多大な貢献をしています。千冬は千秋の子で国武の養子となりました。
 建物は平成3年、岡谷市の文化財として修理復元がおこなわれ、平成5年に県宝にも指定され公開されています。渡辺家住宅の保存と郷土学習館の活動によって、渡辺三大臣の功績は郷土の自然・歴史・文化とともに、後世に長く伝えられることでしょう。

旧渡辺家住宅の写真資料  ←クリックするとキャノンゲートウェイにジャンプします。白いボックスがありますので、右のパスワードを入力して下さい。  kyoudog20160002