医師紹介 当院では様々な医師が働いています。当院で働くことになったきっかけや、現在の働き方について、その一部をご紹介します。


NO.1 基礎医学から臨床へ
内科医(男性)

医師不足の折、1人でも多くの勤務医を確保したい病院は多いであろう。本文は臨床医ではない基礎医学従事者が第一線の臨床病院に勤めることになったときに何を考えていたかを記したものである。

 

基礎医学から臨床へ転向
 私は2008年にJA長野厚生連富士見高原病院に就職した。それまでは基礎医学である細菌学の道を歩んできており、同病院就職前はK大学医学部保健学科検査技術科学専攻(当時)で微生物学の教員をしていた。将来の看護師や臨床検査技師に講義・実習をしていたのである。
 親の世話などの故あって故郷の長野県に戻ってくることとなったわけだが、子どもがいて40代半ばの私がどこで働くかということは一家を左右する大問題であった。大学のポジションは、通常、空席がなければ募集も出ず応募することもできない。早々に大学での就職はあきらめた。さて、では医師免許を活かして臨床へ行きたいと思うわけだが、雇ってくれる病院はあるのだろうか。

 

条件に近い病院を探して・・・
 当方にも条件はある。研修医と同じ給料では扶養家族を何人も抱える私にはまずやっていけない。かといって、年相応のベテラン医師のように医療活動を行えないのは明らかである。甘いというか都合のいいことではあるが、しばらくの間は「年齢のいった」未経験者をやさしく導いてくれる指導医がいてくれることが理想的である。

また、小中の学校に通う子どもがいる限り、その子たちに大きな苦労を強いるような場所に移住することはできない。それは、子どもたちの学校生活や友達環境を断ち切り、親の都合で転校させる私にとって、子どもたちにしてあげることのできる唯一のことだからである。さらに、妻が「嫌」という状況を私が選択することもできない、と思った。

今の病院を選んだのは、実家から極端に遠くはないこと、私のそれまでのキャリアを評価してくれたこと、過去に基礎医学従事者を受け入れた実績があったこと、そして当地での生活に家族が納得を示したこと、と私が考えた条件にかなり沿うことができたからである。現在自分が勤務しているからひいき目に捉えられても仕方がないが、病院側の熱意と対応(例えば、住環境整備や就職開始時期など)も重要な条件であった。


キャリアを活かしつつ新たな職場へ

実際に就職してからは、内科医として研修医の皆と同じように医療活動全般の手ほどきを受けている。一方でキャリアを評価してもらった分、感染制御や臨床検査関連では重責を負うこともある、といった次第である。

私は現在の研修医制度から外れた形になるので、初期研修医とは異なり他科を回ることはなく、ほとんどは内科を行っている。ただし、小・中規模病院の良さを生かし、他科医師にコンサルトの都度、指導を受けている。時に外科的手技の手ほどきも、である。

この年ではさほど気にしていないが、認定内科医取得には最低5年はかかるし、専門医取得は夢のような話となることは本文を参考にする方には伝えておいたほうがいいだろう。総じて私は現況に満足しており、大学時代の働き方との違いを体感しつつも楽しく仕事をしている。

  基礎医学従事者でも好むと好まざるに関わらず臨床に転換する必要のある人間はいるはずである。そのような人材を受け入れ、時間がかかるかもしれないが、慣らし教育し自分の病院に組み入れていくことは悪いことではなかろう、と私は思っている。

(長野医報2010.8.578号 勤務医のページより)

NO.2 子育てしながら医師として
内科医(女性)
出産で退職後、再び医師として

私は31歳で長女の出産を期に仕事を辞めましたが、ほんの少しでも仕事につながっていたいと思い、大学の医局の研究生にさせていただきました。しかし子どもを預ける適当な場所がなく、地理的に大学が遠いこともあり、ほとんど学費を納めるだけの状態でした。

34歳で次女を出産し、次女が1歳半の時、地元の病院で働く機会を得ました。週3回一時保育という、できたての市の制度を使わせていただきながら仕事を再開しました。そこで健康診断業務というものにはじめて携わることになりました。「病気です」と診断するより「異常ありません」と言い切るのは大変難しいことでしたが、勤務時間を考えると私には好都合でした。

 

母親、それから医師という働き方
 子どもの成長とともに徐々に働く時間を増やそうと考えていたころ、富士見高原病院の院長から「高原病院で働かないか」と声をかけていただきました。院長の熱心なお誘いに、それまでほとんど考えずにきた地域医療について学ぶことがたくさんあると思いました。

現実的なことですが生活する地域と職場が少し離れているほうがいいと感じていました。また、大病院ではなく少し規模の小さい病院のほうが自分は働きやすいという思いもあり、高原病院で働かせていただくことに決めました。

高原病院に勤務する先生方は、わがままな働き方しかできない私を温かく受け入れ指導してくださいました。本来、私には、「医師免許証を持つ者として男女別なく病院業務全般を担い、常勤医として働くべきだ」という思いがあり、中途半端な状況でしかいられないことで日々葛藤しています。でも、母親業を卒業するまでは子ども優先にしようと自分勝手を通しています。母親業って卒業する時がくるのかわかりませんが。

 

たどり着いた場所で一生懸命・・・抗加齢医学の専門医に

さて、私はいま老人保健施設や特別養護老人施設の回診、人間ドックの診察、内科外来、産業医などの仕事をしています。6月と10月にはヘルススクリーニングという住民健診もやっています。毎日決められた仕事を終えれば家に帰るので、学校から帰る子どもを迎え、日々の雑事もなんとかやっていけます。

大学を卒業した時は呼吸器内科で勉強しましたが、いつも流れついたところで一生懸命やればいいと考えているので、いま予防医学、高齢者医療や介護など全く違う分野にいることを全然苦にしていません。そしてここまで経験を重ねてきて、だいぶ人の痛みがわかるようになりました。また高齢者に接する機会が多いので、いつも人に優しくあることを自分に言い聞かせています。

どんな分野でも常に進化しなければ置いていかれ飽きられてしまう今の世の中がいいとは思いませんが、人間として生きている限り挑戦し努力することが人生を満足する秘訣かなと思います。

いま予防医学の分野では、健康診断をさらに進化させた抗加齢医学が注目されています。最近、抗加齢医学の専門医の資格を取ったことも自分の中の小さな満足になっています。このように牛歩の歩みではありますが、向上心を持ち仕事に臨んでいます。