そんな懐かしい熊の湯な
のに、卒業後
43年も熊の湯
に来ることがなかった。

 幸いに、長野市で同期会
をしたから、余勢を駆って
熊の湯詣でをすることがで
きたのだ。

 入浴料が千円もする硫黄
泉は、平生は高すぎて、入
浴はためらってしまうのだ
が、昔の仲間たちと一緒と
いうことになると話は別だ。
集団心理が働くというのか、
千円など安いものに思える
のだ。不思議だなあ。

体育の単位を一つとるために、なん
と熊の湯までの旅行をしたのだ。

 だが、そのお蔭でスキーが滑れるよ
うになった。熊の湯の前の長くゆるい
スロープをフルスピードで直滑降し、
腰をすこしひねったら、曲がれること
を発見した。だから、いまスキーが滑
れるのも、これひとえに熊の湯のお蔭
なのだ。

志 賀 高 原  熊 の 湯

                   2008/05/15

 その当時は、名古屋から夜行列車に乗り、朝長野駅に着き、長野電鉄に乗り換えて、信州中野でも乗り換えて、湯田中からバスに揺られる大旅行だった。

 頂上に日本一高度の高いパン屋
さんがあって、そこでパンを買い、
斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯縄の
北信五岳、南に白く煙る浅間山を
眺め、ふたたびリフトで駐車場ま
で降りてきました。ウキウキした
修学旅行生気分の一日で、これも
熊の湯の温泉の効能だとおもいま
す。

 我々一同のなかに「晴れ男」がいたのに違いありません。素晴らしいお天気でした。


 では皆様、ご機嫌よう。

 当初考えていた笠岳経由高山温
泉郷へのルートは
5月末まで残雪
のため通行できず、あきらめたが、
その代わりに、スカイレーターに
乗り、リフトに乗り換えて、横手
山頂上に登ることとなった。頂上
はいまだスキーヤーのための銀世
界なのだが、素晴らしい眺めだ。

 不思議なことにこの温泉に浸かると、
日常感覚が吹っ飛んでしまい、抑制感
がなくなり、修学旅行をしている開放
感がとりついてしまう。

 それにここの硫黄泉は、温泉好き、温泉通の人たち
には、名湯で知られた存在なのだ。

 http://www.kumanoyu.co.jp/hotel/

 熊の湯温泉は温泉宿の中庭に湧き出す硫黄(硫化水
素)泉で、黄緑色をしている。旅館のご主人に訊ねる
と、「微生物の影響で」黄緑色になるのだそうだ。硫
黄を食べる微生物がいて、その微生物が住んでいるの
かもしれない。岩手県の国見温泉も同じく黄緑色なの
だそうだ。

 この熊の湯は平成元年に建て直されたのだ
が、古い木造の建物の写真は、ロビーの懐古
コレクションのなかに見つけることができる。
お若いころの天皇陛下のスキー写真もあるか
ら、このコレクションは必見ですね。

 40年前の温泉は今よりもう少し、緑が濃か
ったのだそうだ。

 入浴すると、まことに濃い硫黄の匂いがす
る。この匂いが体中に染みついて一日中消え
ないから嬉しい。三年に一度張り替えるとい
う木造の内湯も楽しい。これぞ自然の恵みと
いう有難さを感じることができる。

(こんな露天風呂は、昔はなかった。風呂縁に白い硫黄の湯の花が析出している)

(熊の湯の内風呂。濃い緑色に見える。硫黄泉の匂いがしてなんとも素晴らしい名湯)

 前日に長野市で同期会を催して、
その流れで昔懐かしい熊の湯にやっ
てきた。

(スカイレーター。
リフト代と併せて¥
900でした)

(熊の湯のパンフレット)

(蛍の湯の源泉。笠岳道の分岐点にある。熊の
湯とは違う源泉で我々の時代にはなかった施設)

 その当時の熊の湯は古い山小屋風の建物
であった。そこは宿賃が高いから、大学生
は前の丘に立つ民宿に泊まり、夕食後に、
熊の湯に風呂を貰いに行ったのだ。風呂に
入ってから民宿まで帰るとき、あまりの寒
さに、ぶら下げていた手ぬぐいが凍って、
棒のように立ってしまったのを覚えている。

 昔、私たちはぐうたらで体育の授業
に出たことがなかった。そこで期末に
なると、「必須科目の体育の単位が欲
しかったら、熊の湯までスキーの補講
に来い」と命令され、しぶしぶ熊の湯
にやってきたのだ。

(大学のスキー部のヒュッテ。6年前に建て直されたのだという)

(横手山頂上小屋。内部にパン屋さんがある。
標高も高いが値も高い)

(標高2,300mくらいらしいのだが、ひどく高く感じる)

(頂上でスキーヤー気分を味わう同期生二人)

(笠岳スキー場の水芭蕉)

(ロビーにある懐古コレクション。懐かしい)