2009/04/05
回 |
日付 |
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内容 |
担当期 |
懇親会場 |
参加者 |
1 |
1976/1/17 |
Sat |
昭和51年1月17日 |
葬儀 |
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2 |
1977/4/3 |
Sun |
昭和52年4月3日 |
第1回お参りの会 |
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3 |
1978/4/2 |
Sun |
昭和53年4月2日 |
?植物園展示会 |
8 |
東洋亭? |
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4 |
1979/4/1 |
Sun |
昭和54年4月1日 |
嵐山天竜寺 |
10 |
花の寺 |
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5 |
1980/4/6 |
Sun |
昭和55年4月6日 |
?南禅寺 |
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6 |
1981/4/5 |
Sun |
昭和56年4月5日 |
藤井有隣館 |
14 |
かも新 |
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7 |
1982/4/4 |
Sun |
昭和57年4月4日 |
京博 7回忌 |
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アショカ |
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8 |
1983/4/3 |
Sun |
昭和58年4月3日 |
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9 |
1984/4/8 |
Sun |
昭和59年4月8日 |
東大寺 |
10 |
奈良近鉄 |
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10 |
1985/4/7 |
Sun |
昭和60年4月7日 |
伏見修景保存、東福寺 |
5 |
菊水(四条京阪) |
24 |
11 |
1986/4/6 |
Sun |
昭和61年4月6日 |
?京都の小美術館 |
8 |
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12 |
1987/4/5 |
Sun |
昭和62年4月5日 |
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13 |
1988/4/3 |
Sun |
昭和63年4月3日 |
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14 |
1988/6/18 |
Sat |
昭和63年6月18日 |
泉屋博古館 |
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旅館中原 |
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1988/6/19 |
Sun |
昭和63年6月19日 |
13回忌上野照夫先生をしのぶ会 |
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きこく邸 |
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15 |
1989/4/2 |
Sun |
平成1年4月2日 |
高尾神護寺 |
3 |
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16 |
1990/4/1 |
Sun |
平成2年4月1日 |
三井寺、疎水記念館、野村美術館 |
9,10 |
ホテルサンフラワー |
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17 |
1991/4/7 |
Sun |
平成3年4月7日 |
大英博物館展 |
10 |
東急イン |
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18 |
1992/4/5 |
Sun |
平成4年4月5日 |
官休庵・同志社会館 |
15 |
同志社会館 |
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19 |
1993/4/4 |
Sun |
平成5年4月4日 |
南山城・円成寺・岩船寺 |
9 |
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20 |
1994/4/3 |
Sun |
平成6年4月3日 |
大徳寺:龍源院、興臨院、高桐院 |
14 |
キエフ |
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21 |
1995/4/2 |
Sun |
平成7年4月2日 |
滋賀11面観音 |
15 |
彦根 |
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22 |
1996/4/7 |
Sun |
平成8年4月7日 |
醍醐寺・日野法界寺、平等院 |
3 |
伏見 地ビールの店 |
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23 |
1997/4/6 |
Sun |
平成9年4月6日 |
南山城・奈良 |
5 |
奈良近鉄菊水 |
68 |
24 |
1998/4/5 |
Sun |
平成10年4月5日 |
室生寺 談山神社 聖林寺 |
7 |
橿原神宮 |
59 |
25 |
1999/4/4 |
Sun |
平成11年4月4日 |
兵庫;鶴林寺、一乗寺、古法華寺、浄土寺 |
8 |
神戸三ノ宮贔屓屋 |
62 |
26 |
2000/4/2 |
Sun |
平成12年4月2日 |
旧山邑邸白鶴・香雪・沢の鶴 |
10 |
三ノ宮しかのせ |
54 |
27 |
2000/7/9 |
Sun |
平成12年7月9日 |
東京日生劇場 |
5 |
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28 |
2001/4/1 |
Sun |
平成13年4月1日 |
奈良:当麻寺、今井町 |
7 |
高楼 |
64 |
29 |
2002/4/7 |
Sun |
平成14年4月7日 |
渡岸寺、巳高寺・石道寺・長浜 |
18 |
翼果楼 |
48 |
30 |
2003/4/6 |
Sun |
平成15年4月6日 |
洛西散策 |
16 |
まんざら亭 |
65 |
31 |
2004/4/4 |
Sun |
平成16年4月4日 |
滋賀ミホ美術館・善水寺・石塔寺 |
8 |
セサミ |
56 |
32 |
2005/4/3 |
Sun |
平成17年4月3日 |
薬師寺唐招提寺 |
10 |
江戸川 |
58 |
32 |
2006/4/2 |
Sun |
平成18年4月2日 |
坂本比叡山延暦寺 |
15 |
京大時計台 |
74 |
33 |
2006/10/30 |
Mon |
平成18年10月30日 |
韓国ツアー |
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30 |
34 |
2006/11/4 |
Sat |
平成18年11月4日 |
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35 |
2007/4/1 |
Sun |
平成19年4月1日 |
法隆寺 |
5 |
近鉄奈良ビル[百楽」 |
69 |
36 |
2007/10/14 |
Sun |
平成19年10月14日 |
生誕100年記念講演会 |
7.8 |
京都ガーデンパレス |
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37 |
2008/4/6 |
Sun |
平成20年4月6日 |
天理参考館・石上神社・白毫寺 |
7・8 |
近鉄奈良駅百楽 |
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38 |
2009/4/5 |
Sun |
平成21年4月5日 |
陽明文庫・仁和寺・広隆寺 |
8 |
平野神社 |
77 |
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特別例会 |
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京博 インドの仏像 |
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特別例会 |
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東京 |
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特別例会 |
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大阪市立美術館 |
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常任幹事の大内克之様のご提供下さった資料は次の通りで、なんと先生のご葬儀の日からこのOB会が始まったようだ。
この表を御覧いただくと、OB会メンバーの先生にたいする謝恩の気持ちと、今なお変わらぬ傾注ぶりもご理解いただけよう。
PS:
この項については追加説明をしておく必要がある。
私達は文化面ではもっとも恵まれたグループかもしれない。
大学が京都に所在していたこと、当時の教養課程の美学の先生が上野照夫先生であったこと、が主な理由である。
嵐電のチンチン電車を二駅、二百円で乗って、天神川で降りたらそこは御池通りで、東西線の地下鉄が待っていました。昔はこんな地下鉄などなかったのです。
京都も変わっていくのですね。
荻野様からは「平野神社でいっぱいやるのが最高なんだよ」と夜桜見物に誘われたのですが、あいにくとまったくの下戸になってしまった小生は、広隆寺でひさしぶりに弥勒菩薩を鑑賞させていただいたうえで帰らせていただきました。
また、中国で隋・唐の時代の仏教芸術の全盛期の芸術品がほぼ完全に壊滅させられて、仏教芸術の頂点をなす隋唐文化はいまや日本にしか残っていない現実を見るにつけ、先生の学恩が一層深く思い出されるのである。
私自身はサラリーマンの仕事で忙殺されて、定年退職後にこのOB会に復帰させていただいたのだが、その間、京都在住のOB会のメンバーの方々が先生逝去の後、この伝統を造り守って来られた。
私がこの報告ができるのも、このOB会の持ち回り幹事による年次例会があったからなのだ。
広隆寺 弥勒菩薩 画像
それに、幹事の方々のご精勤ぶりの成果なのか、幹事の方々のなかに晴れ男がおられたのか知りませんが、天気予報では「曇り」だったはずなのに、素晴らしい快晴で、しかも例年よりも開花が遅れた桜がたまたま4月5日に満開となって、その美しいこと。
(今回陽明文庫を解説してくださいました名和修様)
画像:
国宝 御堂関白記 (みどうかんぱくき)
藤原道長筆
平安時代・11世紀
京都・陽明文庫蔵
「御堂関白記」は、藤原氏の摂関政治の全盛期に活躍した藤原道長の日記です。20年あまりの記録が現存しており、本展に出品の巻はその自筆です。金峯山での埋経供養、および摂政頼通家の屏風を藤原行成が清書したことなどを記録しています。
今回の美研OB会例会のご趣向の見事さには驚かされました。
実に私達は、大学に入学すると同時に、先生から仏像についての精細な講義を受け、月に一回引率されて京都と奈良の仏閣を歴訪し、美術大学の生徒にもまさる高等教育を授かった。
今から考えると、これは深い学恩である。
今回の幹事は8期生のようですが、荻野晃也様、吉村良夫様、それに常任幹事の大内克之様が中心になっておられたのでしょうか。まことにご苦労様でした。有難うございます。
陽明文庫・文庫長名和修様のお話も直接に聞くことができて、東博で見物するよりも印象が深かっただろうと考え喜びました。
仁和寺のご本尊は金堂の阿弥陀如来及び両脇侍像なのでしょうが、本日は死ぬ前から既に極楽に来ている気分になりました。
国宝 倭漢抄 下巻 (部分) (わかんしょう)
伝藤原行成筆
平安時代・11世紀
京都・陽明文庫蔵
胡粉を膠の溶液で溶いて刷毛で引き染めにし、二重丸獅子唐草・鳳凰唐草・亀甲などを雲母摺りした唐紙や蝋箋を用いた華麗な料紙に『和歌朗詠集』を書写したものです。明るく流動美に溢れた書風で揮毫されており、平安朝を代表する古筆遺品です。
御室のあたりは庭師の仕事場なのでしょうか、植えられている樹木の佇まいも美しかったし、あたりの住宅の景観もしっとりしていて、私も生まれ変わったら、次回こそはお金持ちになって、このあたりに家を造ろうと決心したことでした。
では皆様ご機嫌よう。
今回の幹事の方々の聡明ぶりは最初の訪問先、陽明文庫でまことにしっかり見せつけられました。こんなに小さい御室の片隅に藤原家の宝物が残っていたのですね。昨年の2月の東京国立博物館の「陽明文庫創立70周年記念特別展」を見物することのなかった私は、このような宝物の山を見せられて腰を抜かしました。