彼は確実に大渦にとりこまれてしまった。
彼は、渦の外にいる人たちとは触れ合えない場所にいることを認識している。
彼は、自分が進みつつある渦の中心が、「死」であることを認識している。
生きたい気持ちと、死にたい気持ちとの板ばさみになっていることを認識している。
この状態が長時間続けば、発狂するであろうとの確実な予想もしている。
助けてくれ、助けてくれ、と助けを求める。もちろん誰も彼を助けるはずがないことも認識している。
この窮地から脱出するためになにごとでもやってのけるぞ、という死にもの狂いの心的状況におかれていることも、自覚している。
そのために、(必要ならば)人殺しでもやってのける、との気迫がはっきり観察できる。
「死」をはねのけるためには「殺す」。これが真の人間性である、との明快な真理に到達している。
その行為はまるで、それと自分で気がつかないうちに鳴門の大渦にまきこまれたようなものかもしれない。
初めはゆっくりと、斉藤宗吉が「病葉」で表現するがごとき気持ちを味わい、これはなにか、と軽く不審がるだけであるが、そのうちに流れは速度を増していく。いかに鈍い自分でもこれはおかしい、異常であると気づき始める。自力で脱出を図るがもうすでに時遅しである。だが、彼はまだ水面にいる。すくなくとも息はできる。そして求心力が彼を巻き込もうとしている実態を確実に認識する。渦の中心にいたれば確実に「死」だ。渦の外にいる人たちとはずいぶん距離が離れてしまった。そのような気も狂わんばかりの心境を21歳の斉藤宗吉は、次のように巧みに表現する。
昭和24年 2月 6日
荒寥地帯
とほくとほく
確かにとほく
みんなから離れてきて
へんにあをじろい暮景の中に
ぽつねんと坐り
瞳を据ゑ
身を固くし
そして
何かぎごちなく
夢はもう無く
ただ冷やっこく
昭和24年 2月22日
(日記から)
少量のウイスキーを飲み、十時頃からひさしぶりに作品の世界に遊ぶ。とりとめもない夢想。その中に発狂の恐怖、またしても我を襲う。時計を見たら、いたずらのように、十二時一分過ぎだった。
僕はどこかの宿屋の部屋で書きつかれ、廊下のテスリにもたれて深夜の外気を吸っている。と、誰か知合の作家が声をかける。僕は助けてくれ! と叫ぶ。そして相手の顔を凝視して、つかれたように言う。「どうしたら、一体どうしたら、人間は発狂しないで済むのでしょう?」。それは噛みつくような声だった。これは明らかに夢想とは言いがたい。何かに呪われた夢想だ。僕はハッとしてその妄想からさめる。頭はしびれている。助けてくれ、助けてくれ。
昭和24年 2月23日
(日記から)
僕は、そこらじゅうの人間共を撫で斬りにしてしまいたいと思
うこともある。本当に血刀をふるって――。
(以上、北杜夫『或る青春の日記』中央公論社、1992)
画像:フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ
「犬」1821/23頃
プラド美術館、
Scala
Publications Ltd. 1988
地中に開いた巨大な底なしの穴。
内部にズリ落ちそうになる犬。
救いはこない。
自らの無力感。
絶望。
晩年、
黒い部屋にとじこもったゴヤは、
その場所の感覚をたくみに描いた。