あらゆる歴史資料を調べ上げたツヴァイクが、その時発見した事態に真っ青になり、憤激して書き上げたのが上の記述である。

 トーマス・ミュンツァーという人は、腐敗したカトリック教会を糾弾する点でマルティン・ルターと変わるところがなく、事実、当初はマルティン・ルターの教会改革運動の共闘者となっていた。しかし、トーマス・ミュンツァーにはマルティン・ルターと決定的な違いがあった。彼は共闘以前に、神からの暖かい恩寵(テレサの報告する一致の念祷)を授かっていた。そして、教会はなくても神と知り合うことができる、と主張したのだ。逆に彼はマルティン・ルターの主張の根拠となる原罪経験は持ち合わせなかった。

 マルティン・ルターは宗教経験の全く異なるトーマス・ミュンツァーを「豚」と呼んで、激しい憎悪の念を抱いた。つまり、マルティン・ルターにとってトーマス・ミュンツァーは「彼の理屈に合わなかった」から幾分の妬みをまじえて憎んだのだ。

 そして豚は殺せば殺すほど神の御意思に沿うのだとルターは主張する。

ト ー マ ス ・ ミ ュ ン ツ ァ ー

 1934年にシュテファン・ツヴァイクは彼の著書『エラスムスの勝利と悲劇』(内垣啓一、藤本淳雄、猿田悳訳、みすず書房)のなかで、マルティン・ルターについて次のように記述した。

 かれの友人のブツァーは書いている――「或る相手とことを構えたとたんに、この男のうちに煮えたぎる憤怒のすさまじさを思うと、私は死ぬほどぞっとする」。なぜならたしかに、戦うときのルターはまるで憑かれた人のように戦い、つねに身体全体で、燃えあがる激怒、血ばしった眼、泡を飛ばす唇で、戦うからである。それは、あたかもこのゲルマン的狂奔(フロル・テウトニクス)によって、いわば発熱する毒物を身体から追いだすかのようである。そして事実、つねに彼はただやみくもに殴りかかり、その怒りを発散させて、はじめて身が軽くなる――「私の全血液はさわやかとなり、心境(インゲニウム)は晴れ、魔障は退くのだから」。戦闘の場にのぞむと、教養高い神学博士(ドクトル・テオロギアエ)もたちまち傭兵のようになる。――「私は来るやいなや、棍棒で打ってかかる」。猛りくるう粗暴、荒々しい執念が彼を捉え、彼は見さかいもなく手に触れるあらゆる武器に――微妙な光を放つ弁証法の剣であれ、悪罵と汚物に満ちた堆肥用の熊手であれ――?みかかる。見さかいもなくあらゆる障害を排除し、相手を抹殺するのに必要とあれば、虚偽や中傷をも辞さない。「より善いことのためとか教会のためとかであれば、巧みな手ひどい偽りをも避けてはならない」。騎士的な態度は、この農民闘士にまったく無縁なものである。すでに敗れた相手に対しても、彼は雅量も同情も示さない。無抵抗に地面に倒れている者にさえも、やみくもな激怒に駆られた彼はさらに打ってかかる。トーマス・ミュンツァーと十万の農民たちが無残にも虐殺されるとき、彼は歓声をあげ、かん高い声で「彼らの血が自分の首に振りかかっている」ことを自讃する。あの「豚のような」ツヴィングリ、カールシュタット、そのほか彼に楯ついたすべての者たちが悲惨な最後をとげるのを、小躍りして喜ぶ。この憎悪の力に溢れた灼熱の人は敵に、たとえ死後にも、しかるべき追悼の言葉を恵むことはなかった。説教壇のうえでは人を魅了する人間的な声の持主、家にあってはやさし家父、芸術家や詩人としては最高の文化の体現であったルターは、反目が始まるとたちまち人間猿、途方もない怒りに憑かれた人となり、いかなる顧慮にも公正にも遮られることはない。天性のこの凶暴な必然から、彼は生涯を通じてくり返しこうした戦いを求める。というのも、戦闘は彼にとって生の最も快感に満ちた形式であるばかりか、道徳的に最も正しい形式と思われるのである。「人間、なかんずくキリスト者は、戦士であらねばならない」と、彼は鏡を覗きながら誇らしげに言い、しかも後年(1541)の或る手紙のなかでは「たしかに、神は戦いたもう」という神秘的な主張によって、この信仰告白を天上界にまで持ちあげている。

 これこそ間違いがない、といったん確信された内的経験に立脚した理論は、通常他者の並立を許さない絶対性をもつものであるから、内的経験をまったく持ち合わせず、AをもBをも知らぬ単なる常識論のエラスムスはこの時点で舞台から消え去ってしまう。

 ルターにはもちろん絶対の確信があるから、この時点で神秘体験Aを基礎とする絶対理論のカトリックと、神秘体験Bにもとずいた絶対理論のプロテスタントが格闘を開始したことを意味する。

 テレサはこの格闘を自己の内部で発生させてみた。その結果、彼女はその格闘に耐え切れず悶絶した。その事実をわれわれは先に詳しく調査した。

 では一見この片手落ちとも思える絶対理論の主唱者であるルターが、どうして一躍歴史の立役者になれたのか。それはマルティン・ルターの絶対理論が正しかったからか。ツヴァイクは「否」と述べる。


 来るべき人気者は天才的本能によって、ドイツ民族がローマ教皇庁の圧迫を最も痛切に感じていたまさに急所、すなわち免罪符に触れた。或る国民が何にもまして耐えがたく感じるのは、外国の権力によって課せられた貢税なのである。しかもこの場合、教会が何パーセントかの歩合にあずかる代理業者、すなわち職業的な免罪符売りをとおして、神の子たちの根源的な不安を貨幣に変えたということ、あらかじめ印刷された領収書でドイツの農民たちや市民たちから搾取されたこれらの貨幣が、国外に流出してローマへの道をたどったということは、久しい以前から或る漠然とした、まだ言葉にはならない国民的憤激を結集させていた。本来ルターはその決然とした行動によって、ただこれに火をつけたにすぎない。
                                   (同上)

画題:Pieter Bruegel, the elder
          "The Fall of the Rebel Angels" 1562

          Musees Royaux des Beaux-Arts de Belgique,
          Bruxelles

          世界美術全集10 『ボス/ブリューゲル』
      集英社、
1978

      神秘体験Bを核心とする宗教は、
      ルター、カルヴァン、ムハンマドを含め、
      「恐るべき」秘教の「神」を描くことを
      禁止する。

      偶像崇拝の禁止が実行される。
      だからカトリックのように
      目に見える「神」は存在しない。

      独断と偏見だが、

      ボスとブリューゲルが
      秘教の「神」の有様を描き出した
      あるいは
      その時代の精神的雰囲気を描いた
       ように筆者には思われる。