貴君はこれで充分な修行をした。生命が炎のごとく輝く神秘体験Aも経験した。そして、今回は地獄の底を半年間も這いずりまわった。

このような場合は、しばらく修行をやめるのだ。手元の雑務は一切擲って、あれやこれやと考えることをいったん中止する。何も言わずに周囲の人が作ってくれる美味しい食事を食べ、身を暖かく纏い、そこらにいる犬や猫のような具合にして、なにも考えずぼんやりと時間を潰す。

 ただこのときに、今までに自分が見てきたこと、経験してきたことを虚妄だと断定せずに、あれはいったい何であったかと考えるだけでよい。思考経路を組み替える作業なのであるから、少し時間がかかる。

 これまでの経験をすべて通覧して、そこにどのような道理が存在しうるのかをウツラウツラと考える。

 そうすると、貴方はそこに到達することになる。

 自由闊達な境地が貴方を待っている。

 まあ、俺を信じてくれ、……と正受は白隠に言った。


 真実に参禅する人にとっては、吉凶栄辱、逆境順境すべて修行を助ける糧(かて)となるのに対して、怠惰、惰弱なひとにとっては、ほんのわずかな世努、芥子(けし)つぶばかりの病気も、たいへんな障害に作りあげ、そのあげくこの不幸は宿業の結果だ、仏性に縁がないのだなど種々の理屈をつけて、すぐ近くにある仏性を遠ざけ、根も葉もない業のさわりを作り育てて、一生を錯(あやま)るほど不愉快な情けないことはないのだ。昔から大病にかかりながら、生死の疑問を打ち破った人は時々あったのだ。                                                              (同上)


 人は、逆境に陥ると、そこから逃れようとしてもがく。そしてきっとこれは宿業の結果であって、自分ではどうすることもできないのだ、とほざく。では、天命に任せるのかというとそうでもなくて、ぐじぐじと気に病み、結局は病気になってしまう。そうではなくて、頑なに自己を信じ、どこに真理が在るかを考えつづけるのだ。仏性、すなわち現代語でいえば、真理。それは貴方のなかにすべて備わっている、と考えられたらよい、……と正受は語る。



 このように白隠語録を読み解いてゆくと、スペインのテレサの場合と比較して大きな差があるのに気づかされる。テレサの場合は、周囲の人たちはテレサに悪魔が取り付いたと主張した。彼女は危うく魔女として焚刑に処せられかねないところだった。正受は白隠の状態を観察して、貴君は正常だ、と主張したのだ。

 筆者はどちらでもかまわないが、ここに大きな差があることは観察し、記録しておかねばならない。

今 こ そ 正 念 場

(注6)
(正受は白隠にたいして今こそ正念場だと励ます)

  病気こそ修行の場
 およそ弁道工夫するためには病気になった時ほどよいことはない。昔から賢人達人たちが岩窟に住み、深山に隠棲したのは、俗縁を遠ざけ、雑務を捨てて、修行専一にはげみ勤めるためであった。けれども病中こそ真の山谷であり深山であるのだ。病中の人は、托鉢、作努(さむ)の労働をのがれ、使者たる僧や、知客(しか)など他人を応接する必要もなく、大衆と雑談してうるさいこともなく、僧堂内の治まりや乱れも知らず、什物(じゅうもつ)が豊かか、貧しいかも知らず、死生は天命にあずけ、食事や暖房は看病人にまかせたらよい。ただ犬猫などが寝ている風体で、何を承知するでもなく、何の思案もせず、ただひたすら坐禅工夫を忘れず、自己の正念を失わないことを第一として、生も夢幻、死も夢幻と観じ、天国・地獄・穢土(えど)・浄土をすべて投げ捨て、善悪分別の一念が起る前の、あらゆる人々が到達することができない所に向って、これは一体何の道理かとたえず吟味し、正念工夫をつづけることだけを肝要とすれば、いつのまにか生死の世界を越え、迷悟の境を超え出て、金剛石のような堅固な壊れることのない仏性を悟ることこそが、真の不死不老の神仙ではなかろうか。仏道の微妙(みみょう)な霊験ではなかろうか。                                       (同上)

(注7)
(宝永73月、正受は白隠に内観の法を習得するように命じた)

思考経路の検索、回路の修正と再配線には時間がかかることから、退屈しのぎに内観の法と?酥(なんそ)の妙術を習ったらどうかと正受は提案した。白隠は、彼の悩みが正当であり、正常であると正受に裏書されたのですっかりリラックスしていたから、もちろんこの提案を受けた。教師は、正受であったのか、飯山近辺に住む他の誰かだったのかは、わからない。

 この両法については夜船閑話の序文、夜船閑話、に詳しく記載してあるから、興味があればお読みいただければよい。

 いずれにしても、禅病にかかり疲労困憊したときに、そこから抜け出す術を白隠は習得した。

 あれやこれや言わずに、いったん健康を取り戻すことが肝要だ、と正受は考えて、ぬかりなく手段を講じたのである。

画題:深江芦舟(1699~1757)
      『蔦の細道図』重文 
      紙本金地著色

   東京 梅沢家
   山根有三
      『原色日本の美術第十四巻 
                   宗達と光琳』
      小学館 
1969


         『伊勢物語』の第八段、
      東下りの業平が、
      宇津の山の“蔦の細道”
      を越えてゆくところ。
      素朴な描写だが、
      ふかい山の気配やら
      土の匂いが感じられ、
      赤い蔦の葉に旅愁がにじむようだ。
                (山根有三)

      深江芦舟、
    銀座の商人であった深江庄左衛門の長男。