どうです。貴僧の心の中はこの通りでしょう、と正受は白隠に語りかける。

 具体的にいえば、次のようになる。

 神経質な人とは智恵のある人のことをいうのだ。智恵のある人とは「頭の良い」人のことだ。貴君は特別に頭のよい人間であることをまず理解せよ。

 神経質な人の特徴は、つまり頭のよい人の一般的な挙動は、自分でこれよかれと思い、到達すべき理想状態を作り上げることだ。

 たとえば、

 人間は周囲の人間にたいして親切であるべきだ、とか、
 人間は多くの親しい友人を持つべきだ、とか、
 人間として生れてきたからには、かならずや幸村のような超有名人にならねばならない、とか、
 人間は死んだその先は理解が不可能なのに、自分勝手に閾の向こうに極楽を想定するとか、
 反対に、地獄には決して落ちまい、とか、
 親が全ての面倒をみてくれたからこそ故郷は安楽であったことをすっかり忘れて、つらい現世を逃れ、桃源郷である故郷に帰りたいとか、
 そこへ帰るための迅速な帰郷手段があるはずだ、とか、
 辛い現世にあって自分を救う神や仏が必ずいるはずだ、とか、
 神仏に祈れば、御利益があるはずだ、

などといったものである。

 そして、頭がよいものだから、理想実現のために人一倍努力する。

 だが、努力して努力して、努力すればするほど、現実は自分の思い通りにはならない。
 疲れきったあげく、理想と現実とのギャップに悩む。
 きっとこれは他人が悪いのだ、と瞋(いか)る。
 そして途轍もない苦痛のなかにいる。
 過去に起こった事態やら自分の行動につき、くよくよと反省し、将来はどうなるのであろうか、どうすればよいのか、と結論も出さずに際限もなく考えつづける。

 これは、貴君の行動が悪かったのではない。
 病気のせいでもない。

 貴君の価値基準が一時的に混乱した状態と考えるべきで、これから採るべき行動の指針が自分で判断できなくなったからなのだ。

 思考経路が混乱しているのである。

正 受、禅 病 の 原 因 を 語 る

(注5)
(宝永七年春、正受が白隠に禅病の理由を語る)

 白隠が63歳のときに書いた『遠羅天釜』巻の中に、はっきりそう書かれている。鎌田茂雄、日本の禅語録十九、講談社から引用しよう。

  病は気から
 三十年前、ある老僧が病中の僧に物語ったことによると、世の中で神経質な人の病気ほどなさけなく見苦しいことはないとのことである。神経質であるから、過ぎ去った昔や行く末のことを際限なく思いつづけ。看病人のやり方をとがめ、古い友人と疎遠になって便りがないのを恨み、生きてる間、名声をあげることができないと心配し、死んだら長い闇夜の苦しみを恐れ、故郷を思っては、羽が生えれば飛んで行けるのにと怒り、神さまに祈っては御利益がおそいと瞋(いか)る。目を閉じて寝ているのは神妙で静かだが、胸の中は全国いたるところで戦乱があるよりも騒がしく、心の中は三途(さんず)の川をわたる亡者よりも苦しく、少しばかりの病に多く心を労しているにちがいない。

全くの蛇足だが、
「劉宋には曇摩蜜多が『五門禅経要用法』を、
沮渠京声が『治禅病秘要法』を訳出し、
禅法が流行するに至った。」
とする記述がある。
蒲田茂雄「中国仏教史」岩波全書310
岩波書店1978 P128

画題:河鍋暁斎
   『月次(つきなみ)戯画巻』
   江戸時代後期
(19世紀) 
     紙本淡彩 巻子
   ジェノヴァ東洋美術館、
   
Museo d’Arte Orientale “Edoardo Chiossone”
         ,Genoa

     平山郁夫
   『秘蔵日本美術大観十二 
       ヨーロッパ蒐蔵日本美術選』
   講談社
1994

   桃の節句に飾られているはずの内裏雛が
   どうしたわけか喧嘩をはじめるところ。
   男雛女雛共々桃の枝を武器にして争い、
   飾りの供物が床にこぼれる。
   立ち上がり片袖ぬいで
   襲いかかろうとする男雛を、
   犬筥が必死でくい止める。
   一方、男雛に負けじと大声はり上げて
   腕をふり上げる女雛を
   冠者の一人が力ずくでくい止める。
   夫婦喧嘩は犬も食わぬと言われる
   その犬筥に止められている可笑しさ。
                (安村敏信)

   このように戦う相手がいる場合は、
     周囲も対策がたてられる。
     ところが、
     戦う相手が見えないときには、
     人間は困惑する。
     それは
     「不可視の戦い」だからだ。

 この状態は、人間が神秘体験Aを経験したのち、きわめて顕著に現われる。

 もちろん、人間は、思考経路が混乱したままで行動を取ることもできる。そういう人間もきわめて多数いる。彼らはそれを称して「自分を殺している」と表現して得意がる。肝心の自分を殺してどうなるのかね。

 彼らとは逆に、貴君は混乱のまま行き当たりばったりに行動することを好まぬタイプなのだ。理路整然としたタイプなのだ。

 私はこのように人が自分の意思にそって行動できなくなった状態を「動静が落ち着かない」と表現し、「見苦しい」として、切り捨てる。