次のように書いてあるのです。

 木像用金箔

 誦曰 面七胸五 衣三座一

 説云、以金薄佛像時、面上七重胸上五重衣上三重座上一重
是普通之像色也、湛水宝眼説也

 今案、金一両造薄千枚、

(読み方は、『改訂史籍集覧第二十三冊目録』 第十九 二中歴
     明治三十四年十二月二十日印刷 近藤活版所 による)



 金箔を仏像に押すときには、仏像のお顔には七重に貼れ、胸は五重
で、衣は三重で、台座は一重で結構、と言っているのです。このよう
な漆箔技法の常識が現代では失われています。我々現代人にとっては
極めて大切なメッセージであります。

 湛水宝眼とはどのようなお坊さんだったのかは分かりません。

 また、現在では、金一両から金箔千枚を造る、と書いてあります。

        

              練金一両から作られる枚数は600

              練金一両から作られる枚数は415

              方二寸三分 と 方二寸

        木像用金箔           金一両で千枚     

     京都の箔打が大和国金峰山の金18両を持ち帰って、箔7,8千枚を
    打った
 

     金一両(10)36分角約1,730             

奈良時代、鎌倉時代
    金箔の
dimension

 『二中歴』とは、平安時代の後期、あるいは鎌倉時代の初期に作
成された百科全書なのですが、もともとは『掌中歴』『懐中歴』と
いう二冊の本だったのを合体させたのです。現代でいえば、ハンド
・ブックとかポケット・ディクショナリーと称する辞典と考えたら
よいのでしょう。昔は時代による変化がほとんどなかったから、鎌
倉時代初期に使われた辞典が江戸時代でも使われ続けたのです。
 


 上の写真は『二中歴』第三のなかの「木像用金薄」という項目の
部分です。加賀藩前田家尊経閣に伝わっている伝本です。


 木製仏像に使う金箔といえば、面七胸五衣三座一と覚えよ、
とこのポケット・ディクショナリーは教え込むのです。平安時代以
降、これが常識だったのでしょう。現代の日本では失われてしまっ
た言葉です。


 拡大してみましょう。左のようになります。

  簡単に申し上げると、最近は金7匁で1,000枚の金箔が通り相場ですから、昔の金
箔はとても分厚い金箔だったことになります。そもそも箔のサイズが違います。昔
の金箔は
6cm或は7cm四方の小型の金箔サイズだったのに、現代の金箔は10cm四方
なのですから。つまり、現代は、金箔のサイズが大きくなったし、金一両で作る金
箔の枚数も
3ないし4倍も作ってしまうのです。


 金箔は厚いほうがよいのか、あるいは薄いほうがよいのか、考え方はいろいろあ
ります。しかし、古い文化財を修理するためには、古い時代に使われたその当時の
金箔を復元して使用するのがオーソドックスである、と考えなければなりません。
いまの時代の価値基準を、昔作られた古物に適用してはいけません。その当時の芸
術家が使用した材料を使い、その当時到達した美の基準を復元することこそ、修復
なのですから。

 『大日本古文書』から読み取れる金箔のdimensionをここでまとめ、
ついでに

              『二中歴』

              『宇治拾遺物語』

の記述をも考慮にいれ、不完全ながらも昔の金箔の厚みはどうだった
のか、推定してみることにしましょう。

写真:『二中歴』1 第一〜第四     尊経閣善本影印集成、
   前田育徳会尊経閣
文庫編      八木書店 
   
1997 8月(平成9年)         p146

 計算結果を報告する前に『二中歴』という本のことを調べておきま
しょう。

 以上が文献上で発見できるすべてのデータということになります。 これらから昔の金箔の厚みを推定することにしましょう。