快慶はこの傑作を彫り上げたのちに、漆箔と称する仕上げを施しました。木材の生地に漆を塗り、そのうえから金箔を貼ったのです。

 浄土寺の阿弥陀三尊は、800年前に施されたにしては漆箔がとても美しく残っています。

にもかかわらず、ご覧のように金箔の痛みははげしく、漆の固化と剥落が進行中であることを示しています。至急修理をせねばなりません。漆を一旦こそげ落し、生地の上に漆を塗りなおし、金箔を貼って「荘厳化」するのです。

 肩から胸元に積もった埃も払いおとさなければなりません。髪も群青で再塗装を施さねばなりません。

 快慶が精魂込めて彫り上げたこの勢至菩薩像の狙いは無量寿経、阿弥陀経で説かれている極楽浄土における肉体的な、精神的な豊かさなのです。塗装がはげて埃の積もった状態は、極楽浄土の荘厳さをイメージしません。

 このように金箔は極楽における肉体的、精神的豊かさを表現するのに使われるのです。

快慶、観世音菩薩

浄土寺については次を参照してください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E5%AF%BA_
%28%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B8%82%29

ついでに大仏様(だいぶつよう)という建築様式を勉強しておきましょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%8F%E6%A7%98

 平安時代末期に東大寺が焼かれてから、源頼朝の肝いりで東大寺が再建されたのですが、 その当時、現在の兵庫県小野市の場所が東大寺の所領であったため、再建用の用材がここから伐り出された。

 用材が伐り出されたあとの土地に、俊乗坊重源が浄土寺を建て、快慶に作らせたのが現在残る阿弥陀三尊像で、ここに載せた写真は左脇侍の勢至菩薩です。丈六、すなわち高さが一丈六尺もある巨大な勢至菩薩です。

 詳しく拝観することとしましょう。

画像:
兵庫県 浄土寺 阿弥陀三尊の左脇侍
観世音菩薩
鎌倉時代初期、快慶の作
370cm
魅惑の仏像20『阿弥陀三尊』
小川光三他、
毎日新聞社
1987