説明:

(1) 抑圧された心の状態   暗く、みじめで、出来ることなら死んでしまいたい。
                                     その状態をつづけると、
(2) 急落状態        それはある一時点で、ストンと落下する。
                                      甚だしい苦痛が本人を襲う。
(3) 魂の停止状態      そこは闇、あるいは明暗の逆転した写真ネガの状態。
(4) 魂の回帰状態      喜びもない、苦しみもない。
                                       襟首を掴んで引き上 げられる状態。
(5) 抑圧された心の状態   (1)の通り。
                                     驚きで心の抑圧状態も気にならない。


この精神構造モデルとジェイムズ自身の経験を重ね合わせると、

(1) 抑圧された心の状態       哲学的な厭世主義の状態におちいり、将来の見通しに
                            ついてすっかり気持が陰鬱になっていた頃のある夕方
(2) 急落状態                        突然、なんの予告もなしに、身の毛もよだつような恐
                            怖心が私を襲った。

(3) 魂の停止状態                  癲癇病患者の姿。まったくの白痴。ペルー人のミイラ。
                                            あの姿が私なのだ、と私は感じた。
(4) 魂の回帰状態                  啓示のようなじかの感情は消え去ったが、それ以来、
                            私は他人の病的な感情に共感できるようになった。

(5) 抑圧された心の状態       私は一人で暗闇のなかへ出かけることができなかった。
                                            私は一人で置きざりにされるのを恐れた。

このように実に精妙に適合する。ジェイムズは、このような激烈な、恐怖感を伴う
「地獄感覚」を彼ひとりの特殊な精神的経験だと信じたのだが、じつは、このような
経験は多数の人間によって経験されている。

B  の  記  述  例

筆者は、このB経験が、玉城康四郎、アヴィラのテレサ、ルタ
ーによって経験され、かれらの経験に共通する特徴を
次の通り
べた。

1. 苦しい経験である。
2. 瞬間的に、前後の脈絡を欠いた状態で、この経験に到達する
  
ことである。
3. それは、見るというよりもどちらかというと、「見せつけら
    
れる」経験である。
4. 自らの魂の本質を教えてくれるたぐいの経験である。
5. 時間的には、短時間である。が、決して死にはしない。
6. 短時間の経験だが、その記憶はその人の一生涯にわたって、
  
魂に深く刻みつけられる。

ジェイムズのB経験がこの特徴にもぴったり符合していることをご
理解願えるだろうか。

また、ジェイムズが、「私の母が、たいへん陽気な人だったから、・・・・私自身の精神状態の秘密をもらして母の気持を乱さないようにと、私はたいへん用心した」と述べたように、B経験の受領者は、この経験につき滅多に他人に話すことがない。

内容が、喜悦の感情につつまれるA経験の場合でさえ、「他人に話してもわかってくれるはずがない」と考えて、経験者は話をしない。

ましてや、内容が恐怖に包まれるB経験については、体験者は貝のごとく口を閉ざしてしまう。

記録に残された数少ないBの体験談にもかかわらず、Bの体験者はAの体験者以上の数で私たちの周囲に存在している。

従来、この類の精神構造論が確立されていなかったので、B経験については、哲学上また心理学上、まことに不当な扱いを受けているのが、西洋の精神界の実情である。

『宗教的経験の諸相』上 P242

(この文章がジェイムズ自身によって作成されたものであることについては、同書下巻後書P409を参照せよ)


この経験談を筆者の作ったBの精神構造モデルと照合してみよう。

さきに、稿のなかで、『宗教的経
験の諸相』のうち白眉とされるのは、
「病める魂」の部分であることを述べ
た。

この『宗教的経験の諸相』のなかで、
エネルギーレベルの異なる領域(
B
域)に到達しているのは、僅か一例の
みである。この大部の本のなかで、わ
ずか一例なのです。

なんども繰り返して引用することに
なるが、前稿「フランスの憂鬱病者
を参照願いたい。

一方、日本の仏教界では、聖徳太子が説教されたごとく、B認識はA認識と同位、いやそれ以上の評価と価値をあたえられている。

簡単なたとえで言えば「逆も真なり」が日本人の基本的な評価基準になっているのだが、西洋人には「逆も真なり」という定理は成立していない、と考えたほうがよい。

最近日本で、15歳ないし19歳程度の青年が、自らの精神の暗部の重さに耐えきれなくなって、事件をおこしている。それも決まり決まって非常に聡明なタイプの若者に集中して現れている。これはB経験にたいする最近の日本での認識が西洋化して、Bを全く無視するか、「聞く耳を持たぬ」態度であしらう風潮が蔓延し、人間の理解に対する柔軟性が欠けてきているのが原因だ、と筆者は考えている。

Bを包含する哲学や心理学は、私たちの生活にとって、とても大切なのだ。

画像:
蜘蛛の糸(芥川龍之介より)
Spider’s thread (from Ryunosuke Akutagawa)
1971
油彩・カンヴァス
91.0 x 65.2 cm
財団法人ウッドワン美術館
『鴨居玲展』
私の話を聞いてくれ
石川県立美術館 c2005