こうして19歳でハーバード大学に入学したが、このころすでに、
「自殺を考えざるをえないような激しい抑圧状態」にあって、神
経衰弱の状態であった。
22歳にしてハーバード医学学校に入学したが、精神的な方向性
が定まらず、ブラジル探検隊などに参加して失敗した。
24歳にして医学の勉強をはじめたが、種々の疾患に悩まされ、
フランスとドイツへ行き、二年間のあいだ、入浴したり、
Helmholtzとかその他の有名な生理学者の下で勉強したりした。
25歳、1867年4月16日、ジェイムズは欧州へ旅立った。彼は
(精神的な抑圧状態の結果)倒れたことを家族に秘密にして欧州
に旅立った。パリに数日いたあと、彼はドレスデンへ行き、1867
年の夏を過ごした。
27歳で医学博士号を授与された。博士号を入手したにもかかわ
らず、彼は知的な飢餓状態に取り残され、自分の将来につき暗欝
に沈み、彼の心ならびに世界についての科学的な見方と、彼の父
親の霊的ならびに精神的な見方とのの間にある大きな差異につい
て悩んだ。
28歳、ふさぎ込みに一年間も沈み込んだのち、彼は彼の父親と
とてもよく似た突然の感情的な危機状態に陥った。
では、ウイリアム・ジェイムズとはどう
いうひとなのか。
彼自身によって書かれた自叙伝はありま
せんから、私たちはインターネットから次
の二つの伝記を呼び出し、使うことにしま
しょう。
1. http://faculty.frostburg.edu/mbradley
/psyography/williamjames.html
2. http://www.des.emory.edu/mfp/jphotos.
html
読者の利便を考えて、30歳までの抄訳と
上記1.の全訳を添付します。筆者による拙
訳ですから、きっと誤訳が沢山あるにちが
いありません。ご注意ください。
ウイリアム・ジェイムズ
この二つの伝記を読むかぎり、次のことがよみとれる。
1. 父Henry James は富裕な家系の生まれであり、遺贈
された財産の運用で生計を立てていたようだ。
2. 父親はスエ―デンの心霊学者であるスエ―デンボル
グ(霊界とかテレパシーを説く)の影響下にあり、内
面的な傾向がいちじるしく、その当時の文筆家との交
流もあった。
3. 父親は家族を連れて欧州に滞在することが多く、息
子たちの教育は私立学校か家庭教師にまかせた。
4. Jamesはとくに父親の直接の影響下にあったようで、
心理的な傾向は父親譲りだった。
5.父親の方針に反抗して、画家を志したこともあった
が挫折した。彼の気性には合わなかった。
画像: Portrait by Ellen Emmet Rand.
Hung in Faculty Room, University
Hall,
Harvard.