B1 B2  日 本 人 の 例

 ところで、B1B2につき日本人の例を挙げておかなければならない。

 B1 onlyについてだが、西欧のルターのようなB1 only日本では歴史的に黙殺された気配があって、記録に残っている人物はほとんどない。先に江戸時代末期の画家高井鴻山をご紹介したが、この人くらいのものである。だから、日本人には、鴻山の精神もプロテスタントの精神も、なかなか理解できないようだ。

日本人は、聖徳太子の「空」思想(B1 after A)と「和」の精神の影響が大きすぎて、他の精神的な思想はすべて潰されてしまう傾向にあった、と感じられる。

 ちなみに、正受恵端は彼の『垂語』の「当人の純工功積り、実参力尽き、最後放身捨命の一刹那に在るのみ」を参照すると、B1 after Aであることがわかる。

 B2だが、最後の段階になってクロルプロマジンへと逃げた斉藤宗吉がこのタイプである。人間は逃げてはいけない。最後の最後まで自分を信じ、自分の感受性を大切にしなければならない。また、過去の人間の歴史にあって、薬物を使って「悟り」にいたった人間はひとりたりとも存在しないことを想い出すべきだ。残念なことに斉藤宗吉は、薬に頼ったがゆえに、廃人に近い状態で生涯を終えた。

芥川龍之介の場合は、体力の限界が精神的な忍耐の限界を上回ってしまった。残念なことだが、彼もまたB2と判定せざるをえない。

 しかし何度も繰り返しますが、くどいようですが、人間の直面しうる種々の精神状況にあって、最悪の状態はまちがいなくB onlyであり、それもB1に到達しないB2タイプである。

いま現在でも多数の人たちが、呼称は別にしても、B2と認定されていて、精神病院に放り込まれ、あるいは家庭で投薬されて、苦しんでいる。

残念なことにこの人たちは、現在の日本では、全員がクロルプロマジン漬けとなって、廃人状態に追い込まれているようだ。

このような人たちを代表して、B2の存在の可能性を主張し、B2の正確な表現を目指して、ウイリアム・ジェームズが『宗教的経験の諸相』のなかで、人間の歴史上はじめて口火を切った、と考えてもよいだろう。

 ちなみに仏教は、B after Aを「悟り」と認定するが、B2 onlyについては解決の方法を提示していないように見受ける。