B1 B2

このようにウイリアム・ジェームズの性格を判定しておくと『宗
教的経験の諸相』が読めるようになる。ウイリアム・ジェイムズは
自分が、「なんとしてでも救われるべき存在」であると認識してし
まい、この観点から『宗教的経験の諸相』を記述したのだ。


  Aの認識には達していない。だから、A体験者の論点はまったく理
解できない。カントもアヴィラのテレサも理解できていない。まっ
たく同じ地獄体験
Bを経験しながらも、そこから脱け出て「神」に
ついての新しい概念をつくった
B1タイプ、ルターとかムハンマドの
考え方も理解できない。一方、自分が求めるものは「とにかく、な
んとしてでも、救われる」ことなのであった。なんとかして地獄か
ら「救われる」方法をみつけたい。だから、それまでの哲学者や宗
教学者が取扱いを意識的に避けてきた
psychological manipulation
(心理操作)の領域にはいりこんだ。新興宗教と薬物の領域に入り
込んでしまったのだ。


Psychological manipulationとは、具体的には、

              信仰復興運動
              回心
              自然主義
              薬物

等々であった。

 ウイリアム・ジェイムズも口ではこのように言う。


   「私たちは、昔の人々が貧乏を理想化したのが何を意味したか
   を想像する力さえ失っている。その意味は、物質的な執着から
   の解放、物質的誘惑に屈しない魂、雄々しい不動心、私たちの
   所有物によってではなく、私たちの人となりあるいは行為によ
   って生きぬこうという心、責任を問われずともいかなる瞬間に
   でも私たちの生命を投げ出す権利、――要するに、むしろ闘士
   的な覚悟、道徳的な戦闘に堪えるような態勢、ということであ
   った。今日いわゆる上流階級の人たちがかつて歴史に見なかっ
   たほど、物質的な困窮や辛苦におびえているのを見ると、風雅
   な住家を建てられるようになるまで結婚を延期したり、銀行預
   金もないのに子供をこしらえて手仕事をせざるをえないことを
   考えて身ぶるいするのを見ると、思慮ある人間なら、当然こん
   な女々しい非宗教的な考え方に抗議して然るべきである。」
   (下
P168


 だが、事実は、ジェイムズには雄々しい不動心が欠けており、孤独
に耐えられず、悪魔の桎梏は回避し、生命を投げ出す権利を放棄して、
転地して欧州の保養所に逃れたのである。



  こうして、ジェイムズはB2タイプとなった。若いころに孤独に耐え、
悪魔の桎梏に耐え抜き、
Bの持つ哲学的な意味を解明しておけば、この
ような女々しい性格は醸成されなかったであろう。事実、この後、彼
ひたすらに「Bから逃れる道」を探したのである。

奈落の底に落ち込んだ時に、つまり「私の全存在が生と死のあいだ
に戦慄し、過去は紫電のごとくに未来のくらい深淵の上にかがやき、
われをめぐって万象が消えて、自分とともに世界が没落する(『若き
ウェルテルの悩み』
1772.11.15.)」ときに、奈落の底に飛び込むか、
飛び込まないかで差が生じる。飛び込んだタイプは
B1となり、腰が引
けてしまうと
B2タイプとなる。


   B1とは、ルターとか、カルヴァン、クロムウェル、ムハンマドなどで
ある。彼らは、考えに考えたすえ、
Bこそが真実の自分であると認識す
るにいたる。自分でそう評価することに腹を決めたのである。これは
B
をどう評価するかの問題で、そしてそう評価したBは、絶対唯一の真実
となる。そしてこの真実を告げてくれたのは、真実の「神」であり、
この体験こそ「神のお告げ」、すなわち「啓示」なのだと考え、得心
するのである。ちなみに旧約聖書に現れる「神」はこの神
(B1)である。
ヤハウェ)のことである。


  それにひきかえ、腰が引けてしまうと、「神」の認識には到達せず、
自分にたいする信頼感は失せ、「救われる道」をひたすら模索するタ
イプとなる。ウェルテルを自殺させたゲーテは
B2 after Aとなった。

しかし、ジェイムズがB only タイプであ
ると認定するにせよ、
B onlyタイプはさらに
二種類に分類されることを認めなければなら
ない。
B1B2である。これはB体験にたいす
る対処法とか評価によって生ずる差である。


  人間が生きながらにして奈落の底に落ち込
んだときに、
Bにたいし本人がどのように接し、
どのような評価を与えたかによって、
B1B2
が分かれる。

ウイリアム・ジェイムズはB2タイプであることを認識しよう。彼
1866年、26歳のときにこの地獄経験に遭遇した。そして、フラン
スあるいはフランス語圏スイスの保養所に逃れ、養生をした可能性
がある。金持ちの家族だったから、逃げる場所があったのである。


   ルターは違った。1514年ないし1515年のある日、31ないし32
で、彼には逃げる場所はなかった。だから、
ヴィッテンベルク修道
院の黒い塔のなか
の狭い一室で9年間辛抱した挙句、「B神」を見
つけたのだ。ムハンマドの場合も、
メッカ近郊のヒラー山の洞窟の
なかで、悪魔の桎梏と孤独に耐え抜いた。