「和」の 精 神

写真:
   勝鬘経講讃図 
   勝鬘経見返し 
   (重文 東京国立博物館)

   平田寛(ゆたか)
   『奈良仏教』

   図説 『日本の仏教』 
   第一巻 奈良仏教

     P44
   新潮社 1989

 聖徳太子の時代の哲学は、後世の和辻哲郎が愚かにも「素朴
な感激」とか「神秘的なものをかくおのれに近いものとして感
ずることは、世界の光景が一変するほどの出来事であった」と
記述するような、素朴さと素直さでかためられていたわけでは
ない。聖徳太子の時代の哲学は、きわめて綿密な内面の分析に
よってささえられており、最終的な哲学構造は鋭利な刃のよう
な二面性を持っていた。しかもその二面は調和していた。


 聖徳太子は、なんと1400年も前に、西田哲学やカント・ヘー
ゲルのドイツ哲学を「阿羅漢のさとり」と定義して退けられて
おられたのである。西田哲学やカント・ヘーゲルの哲学からは、
「和」の精神は導出されない。逆に、聖徳太子は「阿羅漢のさ
とり」に陥ることを強く戒められておられたのである。



 『勝鬘経義疏』第六 無辺聖諦章で、勝鬘夫人は述べる。

         世尊よ、金剛喩(こんごうゆ)とはこれ第一義智なり。
   世尊よ、声聞・縁覚の
無明住地を断ぜざる初めの聖諦智
     は、これ第一義智にあらず。世尊よ、無二の聖
諦智をも
     って諸の住地を断ず。世尊よ、如来・応(おう)・等正
     覚(とうしょうが
く)は、一切の声聞・縁覚の境界にあ
     らず。不思議の空智(くうち)をもって、
一切の煩悩蔵
     (ぼんのうぞう)を断ず。世尊よ、もし一切の煩悩蔵を
     壊(え)す
るは、究竟(くきょう)の智なり。是を第一
     義智と名づく。初めの聖諦智は究竟
の智にあらず。阿耨
     多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)に
     向か
うの智なり。
                            (中村元『聖徳太子』日本の名著2
                                                     
中央公論社 1970  P192

写真:
   八牛貯貝器

     Cowrie-container with eight yaks
   西漢(西暦BC206-AD8年)
     1956年雲南晋寧県石寨山出土
   上海博物館
     2005 11 21撮影

 読者は、「阿羅漢のさとり」を第一義智と勘違いした白隠
を縁側から崖下に突き落とし、第一義智とは、金剛宝戒だと
説いた正受老人の無相心地の戒律を思い起こされることだろ
う。


 真諦は「体の大きな鬼が来て、汝を小脇に挟んで三千大千
世界を走り狂ひ二三回廻って、終に大熱地獄の中に堕(お)
ち、量り知れぬ苦しみを受け尽」したあとにくるのだ、と正
受老人は説いた。正受老人よりも
1100年も前に、聖徳太子は
すでにして金剛宝戒を説いておられたことを記憶する必要が
ある。

すでに筆者は、

              − アメリカの心理学者であるWilliam James『宗教的経験の諸相』のな
           かで、「健全な心」と「病める魂」の二つが究極的な魂の終着点であ
           る、と結論付け
ていることを伝えた。ここからpragmatismの哲学がうま
           れた。

              − 16世紀スペインの修道女アヴィラのテレサは、「天的愛との一致」
           と「悩み」
の二つが究極的な魂の終着点であるとして、矛盾する二つ
           の価値観の間で
自己が分裂状態に陥ることを報告した。

              − 4世紀の宗教者であるアウグスティヌスは喜ばしい「聖霊」がキリス
           トの本質
だと信じた。一方、16世紀初めのルターは恐るべき「死の神」
           が唯一の神であ
ることを発見した。この結果、宗教戦争が勃発して、
           ドイツの人口が
33%減少したことを報告した。

              − 17世紀のイギリス人哲学者であるジョン・ロックは、恐るべき宗教
           戦争の実
態を観察して、「聖霊」も「死の神」もともに否定できない
           存在であると断定し、
そのどちらにも一方的に加担しない哲学を創出
           した。かれは「幸福」を新しい
価値基準にしよう、と提案した。現在
           われわれがその哲学のもとで暮している
 民主主義がここに成立した。


 なんと私たちの現在の社会を構成する哲学を、聖徳太子は、1400年前に講義され
ていたことになる。ジョン・ロックは「幸福」を価値基準の根底に置こう、と主張
した。聖徳太子は、「和」を価値基準に置こう、と提案された。これはまったく同
じ考え方である。民主主義は古来、日本国が国家の姿を成して以来の伝統的な国家
哲学なのだ、と断定せざるをえない。

 竜樹が『中論』で述べたように、生命と死とは、諸刃の刃の
ように、一見矛盾する存在だが、実は、生命体のなかでは、裏
表をなす一体なのである。竜樹が「薪と火のたとえ」で喩えた
ように、それは一体性と相依性をもっているが、しかし同時に
おたがいに相手を消尽させる存在である。

 筆者は、『純粋経験B』(リバーフィールド、1994)のなか
で、
ABの混在」について説明した。ABは独立的であり、
反対方向のヴェクトルをもち、しかもこれらが生命体のなかに
混在している。
Aを意図的に増進させると、Bも加速的に増進
する。


 例えていえば、植物にたいして働く成長ホルモンは、一見成
長を促進させるブースターのように見えるが、逆に、植物の死
期を早めてしまう老化ホルモンでもある。死のブースターであ
る。成長ホルモンを与えられた植物は成長が早いが、同時的に
死期も早めてしまう。しかも生命体は、成長ホルモンと老化ホ
ルモン
を自らの体内で生産している。

 このように、生命体という存在においては、一方向のみに働
く「絶対」という概念は存在しない。成長ホルモンとしてのプ
ラスは老化ホルモンとしてのマイナスによって打ち消されてし
まう。プラスとマイナスを合算すれば、零である。成長ホルモ
ンの効果はゼロである。「空」なのである。生命体が常に変動
する存在であることに着目すれば、「諸行は無常」なのである。
頼るべき「絶対」は存在しない。


 「諸行が無常」であると感ずるときには、価値の基準は、ま
ことに相対的であるが、「話し合いで解決する」ことが基本と
なる。「和」に帰する。

 このように聖徳太子は講釈された。

写真:
   佛石像

   北周武成元年(西暦559年)
   通高64cm
   上海博物館
   『中國古代雕塑館』

写真:
虎背牛飾件
Ornament with an ox on a tiger design
西漢(BC206年−AD8年)
1956年雲南晋寧県石寨山出土
上海博物館
2005 11 21撮影


虎が牛を打ち負かしたようである。
しかし、よく観察すると、
虎の尻尾に毒蛇が噛み付いている。
虎は毒蛇を踏み潰す。

いったい誰が最後の覇者となるのだろうか?