勝 鬘 経 義 疏 2

写真:
      佛石像

         Buddha, Stone
      東魏(西暦534-550年)
        上海博物館
         2005 11 21撮影

 これらの多数の述語を使えば、意味は明瞭になるはずだ、と著者は信じているの
だが、現代人のわれわれは、これだけ説明してもらってもなにがなんだかわからな
い。三つの毒心、四つの顛倒の見解、身の四種、四つの魔、難伏地、二種類の解脱、
二種類の生死、これだけの説明をおこなっても肝心の主題である「解脱」の理解に
は到達しない。中村元さんという超一流の学者による『勝鬘経義疏』の翻訳は、ま
ったく意味をなしていない結果になっている。中村解説は仏教用語の解説ばかり多
くて、仏教哲学の解説になっていないのが原因だろう。

「いささか異なる私の解釈」として、「金剛心にとって伏しがたいものは、五陰魔
と死魔とである。仏はすでにこれらの二つの境界を超過している。それゆえに、
「已に難伏地に到りたまえり」というのである、と聖徳太子は書き付ける。


 聖徳太子の書かれた感想は、聖徳太子の時代には無理なく理解されたはずなのだ
が、今の時代のわれわれには理解できない。五陰魔、死魔、難伏地の正確な定義が
欠如しているのが主たる理由であり、また、これらの心的状況を描写する心理学上
の諸例の提示がなされていないことも理由の一つである。


 では、『勝鬘経義疏』は意味不明のなぞの書物で、聖徳太子の表現されようとし
た、「なにか」は把握できないのであろうか。


 いちおう最初から三度読んで、専門用語を頭のなかにいれていただいた上で、次
のように読み取っていただくのが、正解かな、と思われる。

写真:
青釉堆塑人物罐

Celadon jar with modeled human figurines
三國(呉)西暦222-280
上海博物館
2005 11 21撮影


西国インドで竜樹が活躍されていた頃に作
られたか?

 この稿は中村元『聖徳太子』日本の名著2 中央公論社 1970を使用することに
しましょう。

 総序に書いてある通り、『勝鬘経』とは、正式な名前が

             『 勝鬘師子吼一乗大方便方広経

といって、コーサラ国の姫君でアヨーディヤー国の皇后となった勝鬘夫人(しょう
まんぶにん)が、大乗仏教の核心となる仏教哲学を、小乗仏教者ならびに苦行者の
到達する哲学との比較において解説することを骨子とし、勝鬘夫人の解釈が釈尊に
よって同意され、あるいは補足説明される、という内容です。


 法華経は、たとえ話が多いのにくらべ、勝鬘経は、哲学の中身を直接的に説明し
ようとしているのです。法華経が文学作品、勝鬘経は哲学書、という分類もできる
でしょう。


 聖徳太子によって書かれた(あるいは注記された)『勝鬘経義疏』の中村元翻訳を読まれた方はおわかりになるだろうと思うのだが、仏教の哲学用語が山積みされていて、とても難しい。読者は、『中論』が私たちを「理解なきまま積み残した」、と感じるのにも似た、隔靴掻痒の気持ちを味わうことになるだろう。

 例えば、同書P102 第一章歎仏真実功徳章のうちの第三偈は次の
ように述べられています。



              心の過悪と、
              および身の四種とを降伏(ごうぶく)して
              已(すで)に難伏地(なんぷくじ)に到(いた)りたま
         えり。

              是の故に、法王を礼したてまつる。(第三偈)


 詳細はP107をご自分で読んでいただきたいが、この第三偈の意
味するところを解説するために、
107ページの一ページだけで、次
のような五種類のグループの述語がつかわれている。『勝鬘経義
疏』の作者はこれだけの述語を使えば、いくらなんでも読者は第
三偈の意味するところが理解できるはずだ、と考えたに違いない。

 降伏すべき「心の過悪」とは、(三つの毒心)と(四つの顛倒の
見解)


              三つの毒心)とは、
                            貪りと怒りと迷妄
              四つの顛倒の見解)とは、
                            無常を常とみなす、
                            苦を楽とみなす、
                            不浄を浄とみなす、
                            無我を我とみなす
 降伏すべき「身の四種」とは、
              四大(地・水・火・風の四つの構成要素)

 この二句により、(迷いの世界である三界の内のすべての煩悩
(四住地の悪)を解脱することをたたえている。)のだそうだ。


 さらに使われている述語は、

 金剛心が降伏させようとする
              四つの魔)とは
                            天魔(死をのがれようとする者をさまたげるもの)
                            煩悩魔(人を死に至らせる煩悩)
                            五陰魔(身心の全存在)
                            死魔(死そのもの)
 五陰魔と死魔については、金剛心でもっても降伏させることがで
きないので、この二つの領域を「難伏地」という。


 また、
              有余(うよ)解脱(心の束縛から離れているが、まだ身
                           体をたもっている状態の
解脱)
と、
              無余(むよ)解脱(身体の死によって、身心ともに束縛
                           から離れたさとりの境地)

という二種類の解脱の存在を指摘する。

 それだけではない、次のページには、法雲法師の述べる分段(ふ
んだん)生死と変易(へんやく)生死という二種類の生死までで
てくる。

写真:
千佛石碑

北周(西暦557-581年)
通高171cm
上海博物館
『中國古代雕塑館』