12. 『中論』に出てくる「二諦」(P36)
諦とは、真理・真実の意味である。
鎌倉時代までは、諦は「あきらめる」ではなく、「あきらかにする」だった。
この諦に、「世俗諦」と「勝義諦」(第一義諦)の二諦がある。「世俗諦」にもとづいて「勝義諦」が生じ、「勝義諦」にもとづいてニルヴァーナ、最後の悟りがある。
言葉を用いて明らかにされる真理が「世俗諦」であり、「世俗諦」を用いて、真理というものを明らかにする努力を続けることにより、「勝義諦」に進む。
ただし、『中論』では、「世俗諦」と「勝義諦」の内容を明らかにしない。ただぽつんと上の三つの述語(二諦とニルヴァーナ)を含む三つの詩を置くだけ。
13. 涅槃という境地 (P38)
この「空」としての「勝義諦」に入り、そこではもはやことばは止(や)むことになる。そしてことばから全く離れ去って、一切のものが安らぎに到達したニルヴァーナ―涅槃という境地に到達します。
14. 「転迷開悟」 (P39)
その結果、
「煩悩即菩提」
「娑婆即涅槃」
となる、と『中論』に出ている。
15. 「空」とは、(P45)
「捨」 ← スッタニパータ 第1〜第17詩
「執著を離れる」 ← スッタニパータ 第837詩
「無常」
「無我」
「ニルヴァーナ」
16. 「空」という言葉 (P50)
『中論』の第24章に集中してあらわれる。この第24章の名称は、「聖なる真理(聖諦
(しょうたい)の考察」、鳩摩羅什訳では「観四諦品」。
三諦(空−仮−中)偈は、「観四諦品」の第18詩。この詩にただ一度だけでてくる
「中(道)」がこの本のタイトルになった。
内容が、門外漢にとってはまことに無味乾燥なので、半分は三枝論文の
抄録。あとの半分は、写真集にしてしまいました。いったいこれらの写真
はどこで撮ったものでしょう。当ててくださいな。(2005年6月撮影)