唯一の実在が発生させる問題(2)
−仕組まれた心理誘導
人間の心の常態は「揺れ動く」のである。揺れ動いていてしかもちっとも痛痒を感じない。
筆者は前述「人間精神の構造モデル」で右のような図を描いて説明した。
人間の心は揺れ動く。ときには「鬱」になる。ときには気分も爽快に「躁」になる。通常は「鬱」にもならず、「躁」にもならず、図の波型曲線をなぞる。
ところが、緊張の連続、努力の連続がある程度の期間続いたあとでは、このような「揺れ」に対応しきれない事態が生じる。疲労がたまったときなどである。
不安定なゆれの状態につくづくと飽きがきてしまうのだ。 本人は(+)exited stateの存在も(-)exited stateの存在も知らず、ただひたすらに自らのひしゃげた世界からの脱出を願うのである。
このような心理状態の人の前に「予言者」が出現する。彼らはいう。救いの日は近い。絶対の世界は目の前にある。精神力を使え。あなたはそこに到達することができる。
直接経験の上においてはただ独立
自全の一事実あるのみである。見る主観もなければ見らるる客観もない。恰も我々が美妙なる音楽に心を奪われ、物我相忘れ、天地ただ嚠喨たる一楽声のみなるが如く、この刹那いわゆる真実在が現前している。
(『善の研究』岩波文庫)
と彼らは述べる。谷口雅春もアウグスティヌスも、まさにこのパターンを踏襲する。最近日本に出現した麻原彰晃も手口は同一である。
彼らの主張は、目に見えない精神世界の存在の予言であり、しかもそれは唯一つの可能性なのである。目に見えないがそこはあり、存在し、しかもその場所はただひとつである。だから、現在の苦しい世界から脱出せよ、と彼らは暗示をかける。これは心理誘導である。催眠術である。
学者たるものは決してこのような心理誘導を行ってはならない。
画像:
胡人商俑
唐代(紀元618年−907年)
洛陽から出土。
高さ23.5cm
洛陽博物館、河南省洛陽
『洛陽文物精粋』王綉等編 鄭州
河南美術出版社 2001.4
頭にフェルト帽を被り、手に薬缶を提げ、
先の尖った長靴を履いて、荷物を売り歩く
西域の商人。彼は異郷の土地を放浪し、こ
れが人生のすべてであると諦観していたの
だろうか。すでに背は曲がっている。