唯一の実在が発生させる問題(1)
− 狭隘な世界観
「純粋経験が唯一の実在である」と断定すると、どのような問題が発生するのか。この問題を考えてみよう。
発生する問題は三つある、と思う。
1. 反抗的哲学者の存在を否定して狭隘な世界観を構築する
2. 精神上の価値観を断定という形で押し付けることによる心理誘導
の危険性
3. 矛盾の処理をおこなうために精神力を導入し、日の丸特攻精神が生れる。
まず、1.についてだが、
玉城康四郎
林武
アヴィラのテレサ
白隠
さらには、
『若きウェルテルの悩み』に表出されるゲーテ
『煤煙』に活写される平塚らいてう
『或阿呆の一生』で白状する芥川龍之介
『叫び』で表現したエドヴァルド・ムンク
このような人々、つまり「純粋経験」に到達したあと、「純粋経験」の枠内におさまりきらぬ「矛盾」を追及した人たちの努力を幾多郎は完全に無視する。
近代日本の文学的天才である芥川龍之介が亡くなった翌々日に、幾多郎が発表した感想文を引用しよう。
「文学者連が死についてあのやうな考え方をすることは往々にしてあり得ることとは考へるが、しかし私は特に込み入ったことを考へずに、神経衰弱の結果の厭世であると解釈したいと思ふ」
(大阪毎日新聞 昭和2年7月26日)
このコメントを観察するかぎり、彼は領域外の探索者の努力を認めない。垣根を作って、自らの存在空間を狭隘化しているように見える。また、他人にたいする共感とか、推測とか、同情とか、憐憫とか、社会の共同体構成員にたいする最小限の配慮さえ決定的に欠落している。
哲学というものが、もし全宇宙を全体的に包括すべき理論の構築であると考えるならば、自分に都合のよい精神現象は承認するが、自分の理論にあてはまらない精神現象を「矛盾」と称し、矛盾は「体系を成さぬ事柄」であり、それは「たとえば夢の如くこれを実在とは信ぜぬ」と切り捨てる、のは理屈に合わない。哲学者は「矛盾」の本質を見極めるべきである。そう思う。
画像:
今村紫紅
『東海道五十三次合作絵巻(部分)』新居
1915(大4)
紙本着色
現代日本美術全集3
『菱田春草/今村紫紅』
吉村貞司/中村渓男
集英社1973