純粋経験という名の体験

幾多郎は禅の修業中に経験した神秘体験の内容をありのままに記述することは避け、哲学用語で表現したわけだが、純粋経験の内容を以上の記述のなかから分類・列挙しておくこととしよう。




 1. それは、内面の疑うに疑いようのない意識    現象である。
   
   2.
それは、人に実在感の確信を植え付ける。
   
   3.
それは、人に喜悦感を与え、忘我境に誘い
   込み統一感を現前させる。

   
   4.
それは、相伝不能、不立文字(ふりゅうも
   んじ)である。

   
   5. それは、元々われわれの意識に内在してい
   たものが、意識の分化発展に伴い、突然開
   花する形で現れる。

   
   6. それは、時を超越する。また宇宙を包含す
   る。

   
   7. それは、自然との合一感であり、生命の直
   接把握である。

   
   8. それは神との会合である。

では、具体的にこれらが『善の研究』実在編のどの章に記述されているのか、検分しておこう。


1.   第一章。「事実と認識の間に一毫の間隙がない。真に疑うに疑いよう
             がない。」

2.    第二章。「少しの仮定も置かない直接の知識に基づいて見れば、実
           在とはただ我々の意識現象即ち直接経験の事実あるのみで
           ある。」

3.   第三章。「恰も我々が美妙なる音楽に心を奪われ、物我相忘れ、天
           地ただ嚠喨たる一楽声のみなるが如く、この刹那いわゆる
           真実在が現前している。」

4.   第四章。「真正の実在は芸術の真意の如く互に相伝うることのでき
           ない者である。伝えうべき者はただ抽象的空殻である。」

5.   第五章。「つまり一つの者の自家発展ということができる。独立自
           全の真実在はいつでもこの方式を具えている。」

6.   第六章。「意識の統一作用は時間の支配を受けるのではなく、かえ
           って時間はこの統一作用に由って成立するのである。
この
           故に人は自己の中にある理に由って宇宙成立の原理を理会
           することができる。」

 7.   第八章。「自然の本体はやはり未だ主客の分れざる直接経験の
          事実。」

 8.   第十章。「この無限なる活動の根本を我々はこれを神と名づけ
           る。」

これらの西田幾多郎の記述は哲学用語を使って難解にしてあるが、実は西田幾多郎の自らの体験を書いたものに過ぎない。

筆者は、前稿「量子力学モデル−神秘体験Aのパターン化」論文のなかで、神秘体験Aが量子力学におけるエネルギー準位の「量子飛躍」の状態に酷似していることを述べた。

 では、西田幾多郎の「純粋経験」はこのパターンにあてはまるかどうか、次に調べておくこととしよう。

画像:
    三彩鎮墓獣
    唐代(紀元618年−907年)
    1992年に洛陽孟津から出土。
    高さ110cm
    『洛陽文物精粋』王綉等編 
   鄭州 河南美術出版社 
2001.4

   いったいこの異形はなにか?
   どうやら墓守りらしい。

   頭に二つの角を持つ龍の首、
   肩にはガルーダのごとき翼、
   そして、鷹の爪を持っている。

   この鎮墓獣が須弥壇に蹲って、
   仏を守っていたのだ。

   唐の時代の中国は仏教の全盛期だった
   のだ。
   黄、緑、白釉の唐三彩が美しい。