実 在 の 分 化 発 展

スペースが空いたので白馬寺の話をしておこう。
このお寺はインドで竜樹が「空の哲学」を完成させる前から存在していた。釋迦牟尼の思想を、哲学的な抽象化なきままに、理解し帰依していたのだと思われる。

    第七章 実在の分化発展

・・・・意識現象が唯一の実在であるという考より見れば、宇宙万象の根柢には唯一の統一力あり、万物は同一の実在の発現したものといわねばならぬ。・・・・・・・・今この唯一の実在より如何にして種々の差別的対立を生ずるかを述べて見よう。

実在は一に統一せられていると共に対立を含んでおらねばならぬ。ここに一の実在があれば必ずこれに対する他の実在がある。而してかくこの二つの物が互に相対立するには、この二つの物が独立の実在ではなくして、統一せられたるものでなければならぬ、即ち一の実在の分化発展でなければならぬ。而してこの両者が統一せられて一の実在として現われた時には、更に一の対立が生ぜねばならぬ。しかしこの時この両者の背後に、また一の統一が働いておらねばならぬ。かくして無限の統一に進むのである。これを逆に一方より考えて見れば、無限なる唯一実在が小より大に、浅より深に、自己を分化発展するのであると考えることができる。此の如き過程が実在発現の方式であって、宇宙現象はこれに由りて成立し進行するのである。
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                                 (『善の研究』岩波文庫)

 一の実在があれば、これに対応して他の実在があり、相対立する。相対立する実在は根幹は同じであるから統一される。統一された実在に再び相対立する実在があらわれて、再統一が行われる。かくして無限の統一へと進むが、その間実在の内容は、小から大に、浅から深に分化発展していくと幾多郎は主張する。

 だが、松篁の例で見るとおり、このヘーゲルの弁証法もどきは屁理屈である。それは一瞬にして完璧なのであり、分化発展することなどありえない。

写真: 
白馬寺
平成16年10月撮影

中国河南省洛陽の東、昔の洛陽城の西にある中国最初の寺。西暦75年後漢の明帝が建立。中インドの僧迦葉摩騰(かしょうまとう)・竺法蘭(じくほうらん)らを招いて訳経に従事させたという。(広辞苑)
両僧の墓が残っていて、右の写真は寺院の東側にある摂摩騰の墓、並びに記念碑である。

左は入場券の裏面なのだが、なにが書いてあるかというと、

東漢永平7年漢の明帝が夜中に金人の夢を見て、西域に仏法をもとめる使者を派遣した。
永平10年、漢使はインドの高僧二人、摂摩騰と竺法蘭と、並びに白馬に仏像と経典を積んで帰ってきた。
翌永平11年(西暦68年)明帝は勅令をもって洛陽雍門外に僧院を建て、白馬にちなんで白馬寺と名づけた。
これが中国の最初の仏教寺院である。


なお、西田幾多郎と仏教との関係については、あとで詳しく説明の予定。

 何ゆえにかかる屁理屈を作り上げねばならなかったかといえば、1st paragraphの「実在はただひとつである。万物は同一の実在の発現したもの」と仮定したことに始まると筆者は考える。

写真:
白釉馬と牽馬俑

唐代(紀元618年−907年)
1981年に洛陽龍門にある阿菩墓から出土。
高さ69cm、長さ81cm、俑66.5cm
『洛陽文物精粋』王綉等編 鄭州 河南美術出版社 2001.4

なお、ref
http://www.rmhb.com.cn/chpic/htdocs/rmhb/japan/jp-10/8-3.htm