A after B

画像:
The Repentant St. Peter
http://www.clevelandart.org/exhibcef
/phillips/html/2681353.html

El Greco (Domenikos Theotokopoulos)
(Greek, active Italy and Spain,1541-1614)
The Repentant St. Peter, ca. 1600-5 or later
Oil on canvas
36-7/8 x 29-5/8 inches
The Phillips Collection, Washington, D.C.,
acquired 1923

The Cleveland Museum of Art.

 ご理解の速い読者のことだから、もうすでに気付いておられることだろう。では「A after B」はどうなのだと。


 これについては読者の想像力におまかせしたい。筆者はこのケースについてはあまり興味がない。結果として当人から出てくるコメントは、あまりに狂信的な発言に傾いてしまって、対話の余地もなくなるケースが多いからだ。

 もしどうしてもということならば、日本人のなかでは、例えば大本教の出口ナオが「A after B」に該当するのではないかと筆者は考えている。


 天保七年(1836)の天保大飢饉の年に生まれた出口ナオは、生まれてから死ぬまで心がやさしく、勤勉で、人一倍の努力家であった。ところが厄災は彼女の周囲から、また身内から山ほど押し寄せてきたのである。大酒呑みで乱暴者であった父の死、出口家の養母の自殺、婿政五郎の放埓による困窮、幼女三人の死、長男竹蔵の自殺未遂、三女ヒサの発狂、引き続き長女ヨネの発狂、次男清吉の戦死、彼女はこれらの相次ぐ不幸のなかで精一杯頑張り通したが、結局長女の内縁の夫鹿造にちっぽけな家までまきあげられ、この世の中に居場所がなくなったのである。このような幸福のひとかけらもない生き地獄の中をこらえ続けた揚句、彼女は57歳にして神を見たのである。明治25年旧正月元旦、彼女は艮(うしとら)の金神(こんじん)に召命されてしまった。


 残念なことに、彼女は文盲で、文字を読むこともできず、書くこともできなかった。だから実際のところ、彼女の心のなかになにが生じたのか読み取ることができぬ。お筆先と称する自動書記は、鬱屈していた心の状態から一挙に明るい世界へ飛び出した彼女の心中を必死になって表現しようとした心の動きかも知れぬ。他人にはわからぬのである。世の中が変わるぞとの御宣託は、暗くて身動きができなかった世界にあって、明るい世界を圧倒的な感動で一瞥した感激を表現したとも解釈できようが、これも本人の理性的な説明を欠いている。