AB の 混 在

写真:
四天王像 
高さ53cm 
慶州市東面桃盤里四天王寺址出土 
国立中央博物館蔵
久野健(たけし)『古代朝鮮佛と飛鳥佛』、
写真 田枝幹宏
(株)山川出版社 1979

 純粋経験Aと純粋経験Bは誕生時より死亡時まで同一人のなかに混在する。
すなわち人間とは
ABの混合物である。

 ゲーテと平塚らいてうと龍之介は、純粋経験Aの枠組みの外側に存在する
意識を洗い出したのである。そして純粋経験
Bに到達した。

 ゲーテは1772.11.3.で「一切の悲惨の源はこの自分のなかにひそんでいるの
です」と断言し、平塚らいてうは「元始、女性は太陽であった」のなかで、
「とはいえ、苦悶、損失、困憊、乱心、破滅すべてこれらを支配する主人も
またわたしであった」と告白する。龍之介もまた、「僕の魂のアフリカ」と
表現し、三者とも、純粋経験
Bとそれに至る道程が生後人工的に外より注入
された概念ではなく、それは自分自身のものであることを認めている。

すなわち、純粋経験Aで汲みとった生命の証と、純粋経験Bで汲みとった死の
証は、生まれたときから私たちの体内にあり、私たちが死ぬまでわが体内に
混在して存在すると考えねばならぬ。

 筆者は、先日偶々、東京大学農学部の石井龍一教授とお食事をともにする
機会があったので、お尋ねした。

「先生、植物にはホルモンというものが備わっているでしょう」

「はい、今まで六種類のホルモンが見つかっています。ジベレリン、オーキ
シン、サイトカイニン、ブラシノライド。それに加えて、アブシジン酸とエ
チレンの六つです。このうち、前の四つは、濃度にもよるのですが、一般に
は成長を早めるホルモンだと考えられているのです」

「では、あとの二つは老化を早めるホルモンということになるのでしょうか」

「はい。アブシジン酸は枯葉を枝から落とす離層形成ホルモンであり、エチ
レンは果物などの熟成に用いられるから一見成長を早めるホルモンのように
思われますが、それだけ葉や果実の死期を近づけるから老化ホルモンなので
す」

 そこでもう一歩踏み込んでお聞きした。

「先生、この成長ホルモンと老化ホルモンは植物が生まれたときから存在し
ているのでしょうか」

 石井先生はちょっと考えられてから、何気なく答えられた。

「はい、植物は、生まれたときからこれらのホルモンを自らの体内で作り出
す能力を備えています」

 筆者はこの質問の背景を石井先生にはご説明しなかった。ただ、石井先生
のこのご解答をいただいて内心ホッとした。

 少なくとも、植物の中では、生命の発展を促進する物質が存在すると同時
に、生命を老化させて死期へ近づける物質も存在し、それが混在しているこ
とが確認できたような気がしたからだ。