内 面 的 経 験

画像:
Vincent van Gogh
"The Starry Night" 1889
Museum of Modern Art, New York.
Gardens of the Sunlight,
http://art.koti.com.pl/vangogh

 純粋経験Bもまた純粋に内的経験である。


 ゲーテはその瞬間を次のように表現する。

               私の全存在が生と死のあいだに戦慄し、過去は紫電のご
         とくに未来のくらい深
淵の上にかがやき、われをめぐって
         万象が消えて、自分とともに世界が没落する。

               おのれを支えることができず、とめどなく転落してゆき
         ながら、むなしく攀じ
上らんとして攀じ上ることができな
         い。

 心の中にぽっかり穴があいたような、覗き込めば底の見えない暗い
穴で、しかも吸引力があってひきずり込まれる。

 もともとロッテへのかなわぬ愛情より出発した悩みであったが、そ
の到達した先は、純粋な暗い内的な経験であった。

 平塚らいてうの場合は、

               弱い、そして疲れた、何ものとも正体の知れぬ、把捉し
         がたき恐怖と不安に絶
えず戦慄する魂。頭脳の底の動揺、
         銀線をへし折るようなその響、寝醒時に襲っ
て来る黒い翅
         の死の強迫観念。

 これも全く純粋に内的な感覚である。

 芥川龍之介の場合は、

               店員や客を見下した。彼等は妙に小さかった。のみなら
         ず如何にも見すぼらし
かった。

               花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸のやうに憂鬱だっ
         た。

               娑婆苦の充ち満ちた世界。

 外界はまだ残っているが、その下界は急速に遠ざかり、灰色の内面
が救いのない娑婆苦とうつる。

 これらを取り纏めると純粋経験Bの真景は、

               灰色で、冷たく、暗く、未来のない深淵が眼の前で口を
         開く。その深淵には吸
引力が働いており、魂が吸い込まれ、
         私の存在は無くなりつつある。

 それはまるであたかも、宇宙に存在すると信ぜられているブラック
ホールが私自身の中にあると表現できようか。自殺の心さえ消えて、
黒い翅が私を運び去る。外界は手の届かぬ彼方に退いてしまう。私の
存在は無くなるという予感に震える。

 Aが燦然と輝く生命の証だったのに引換え、Bは冷たくおぞましい
死の証と考えられる。しかも、ゲーテとらいてうの二者は、純粋経験
Aを経験した後で、疑うことのできない内的経験としてBを経験した。

 両経験に共通する特徴は、その領域に一旦到達すると人間の思考は
その働きを停止し、我々はあたかも、他者により経験を強制されるか
のように、畏怖の心、驚きの心を以て、現前する光景を眺めるばかり
なのだ。

 西田幾多郎が、疑うに疑えない直覚的経験は実在と断定したが、純
粋経験
Bもまた全く同一の論理で、「実在する」と断定されてよい。